こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年5月31日 火曜日 イーグルス「お前を夢見て」'76

2011-05-31 19:22:15 | 音楽帳


イーグルスは、中学生の頃、よく聴いた。
「ホテル・カリフォルニア」、そして、「しょせん、ボクらは、このサッド・カフェに集まった仲間に過ぎなかった・・・」と70年代の終わりと自らの活動停止を宣言し終えた「ロング・ラン」。
よく聴いた2枚のレコード。



「ホテル・カリフォルニア」は素晴らしい曲に満ちているが、そのアルバムB面3曲目に収まった曲で「PRETTY MAIDS IN A ROW」、日本語タイトル「お前を夢見て」には、様々な想い出がある。



中学生の夕暮れ時に聴いたこのアルバム。
その後、数十年を経て、いきなり右も左もわからない大阪に放り出されてスタートした社会人生活。

人間、苦労した時期が一生忘れられなくなるように、5年の濃厚なときは、今でもボクの基盤を成している。

5年を過ごして、大阪が好きでたまらなくなり東京へ戻るのが嫌でたまらなかった自分。
引き裂かれるようにして戻った東京・1996年3月。



かつてあった東京では無くなっていた浦島太郎状態で、テレビが流れていた。
「世界の車窓から」。

そこでどこか外国の旅路の窓から見える月。



そのときバックでかかったのが、イーグルスの「お前を夢見て」だった。
ゆったりした流れのこの曲に、安堵を覚えると共に、東京に帰ってきたのだなという感覚がやっと戻った記憶がある。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年5月30日 月曜日 夜 キチガイ文化

2011-05-30 22:47:48 | 雑記帳
ネットでのニュース。
ソースの元は、反日A新聞。
如何に気が狂ったニュースか?
まずは目を凝らして下さい。

『1号機地下にも、高濃度汚染水 通常の100~1万倍
5月30日(月) 20時20分
 東京電力は30日、福島第一原発1号機の原子炉建屋の地下1階のたまり水を調べた結果、高い濃度の放射性物質を検出した。
通常の運転時の濃度と比べて100~1万倍に当たる。
原子炉から漏れ出した冷却水とみられていたが、これでほぼ間違いないことが裏付けられた。』

お気づきだろう。
『100~1万倍』っていう報道は一体何なんだ?

至るところで平気にこんな事が当たり前に語られている。

昨日からの豪雨と突風は並大抵じゃない。

外壁のぶっ飛んだ原発にも豪雨と突風は影響していると思うのが正気。

しかし、そんな本質に迫る当たり前の報道・映像は一切流れない。

子供でも判ることだが、要はやはり3月12日に言った通りの放射能ダダ漏れがひたすら続いていることを恣意的に避けているだけのこと。



本当か否かは判らないが、原発の廃棄物を海に投棄に行く仕事をヤクザやマフィアが代行し、それが彼らの資金源となり、原発推進側と暗躍する側と繋がっているとも言われる。

そうすると今更ジロー。

日々、既にそういう海で採れた魚を食べ続けてきたことになる。

偽善者たちは『食の安全』などとたわけたことをほざいているが。

かつて静岡にミカン刈りに行った日、その農園に『愛媛みかん』と書いた段ボール箱を見てしまったことがあった。
世の中そんなもんだということを我々だって知ることが出来る。

昨日のY新聞記事。
『「放射能怖い」がん予防逆行も

外で運動せず 野菜を食べず

喫煙・飲酒 はるかにリスク』

よくもまあこんな適当で恣意的な記事が書けるもんだと、呆れてものが言えない。

実は、この国も中国のことを笑えない程出来上がったキチガイ国家に既になっているのかもしれない。

自己防衛と自分の五感を信じるのみであろう。


6月3日 23:35挿入:
丸激トーク・オン・デマンド
「原子力のこれまでとこれからを問う(小出裕章先生)」

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年5月30日 月曜日 China Crisis「African & White (Live)」'84

2011-05-30 10:04:52 | 音楽帳


1985年、浪人1年目の頃、御茶ノ水のシスコかディスク・ユニオンで発見したチャイナ・クライシスの1984年発売の7インチ・シングル「ハンナ・ハンナ」。



この夏、磨り減るほど聴いた1枚。

A面の「ハンナ・ハンナ」はアルバム「ワーキング・ウィズ・ファイア&スティール」に収められているが、自分が気に入って聴いていたのはB面の「アフリカン&ホワイト」のライヴ。



1984年1月31日にリーディング・ユニヴァーシティで行われた演奏。



「アフリカン&ホワイト」は、彼らのデビュー曲だが、ここで演奏されるライヴは、ギターのエコーが心地良く、明るさがほのかに見える。
晴れた空の下でこのテイクを聴くことが、窮地に追い込まれた自分の癒しだった。

YOUTUBEというものは、実に凄いもので、このライヴ・テイクまでアップされている。
リンク切れをする前に、みなさんにもシアワセのおすそわけ。
夏のまぶしさと、ここで奏でられるギターの流麗な流れ。



当時、彼らチャイナ・クライシスは自分らの音楽を「ポジティヴ・ポップ・ソングス」と呼んでいた。



次々に発売されたチャイナ・クライシスのシングル・カットは、どの曲にも優しさと人の気持ちを緩ませる効果があった。
「売れること」「世界で有名に」などという野心や野望を抱くことの無い2人のピュアな音楽が、自分にとっては、貴重なものだった。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年5月29日 日曜日 雨が永遠に降り続ける/「ヒア・カムズ・ザ・レイン・アゲイン」

2011-05-29 17:35:21 | 音楽帳
14:30付けっぱなしのラジオ。
起きてお茶とタバコで一服する。



外は、金曜日の夜から雨が降り続いている。
雨はやむ気配は一切無い。



頭の中には、ユーリズミックスの名曲「ヒア・カムズ・ザ・レイン・アゲイン」が浮かんだ寝起き。
まずは、曲を聴こうと思う。

【YOUTUBEでは埋め込み禁止なので、Wクリックして見て下さい。
オリジナルMTVです。】


歌詞は和訳するまでも無く、実に解かりやすい英語で、そのままの方が伝わるので、英語で記載する。

■ユーリズミックス「ヒア・カムズ・ザ・レイン・アゲイン」
Here comes the rain again
Falling on my head like a memory
Falling on my head like a new emotion
I want to walk in the open wind
I want to talk like lovers do
I want to dive into your ocean
Is it raining with you

So baby talk to me Like lovers do
Walk with me Like lovers do
Talk to me Like lovers do



Here comes the rain again
Raining in my head like a tragedy
Tearing me apart like a new emotion

I want to breathe in the open wind
I want to kiss like lovers do
I want to dive into your ocean
Is it raining with you

So baby talk to me Like lovers do



Here comes the rain again
Falling on my head like a memory
Falling on my head like a new emotion
(Here it comes again, here it comes again)
I want to walk in the open wind
I want to talk like lovers do
I want dive into your ocean
Is it raining with you



***

このシングル・カットされた「ヒア・カムズ・ザ・レイン・アゲイン」は、ユーリズミックスの3枚目のオリジナル・アルバム『タッチ』に収録されている名曲。
アルバムのA面1曲目。


アルバム『タッチ』は、1984年1月21日に日本発売された。

ツーリストというバンドが解散し、その中に居たアニー・レノックスとデイヴ・スチュアートがデュオを組んだのが、ユーリズミックス。
過去、2人は恋人関係にあったようだが、その後、関係を解消しながらも共に活動した。

ファースト・アルバム『ザ・ガーデン』は故コニー・プランクがプロデュースしたが、一部のコアなファンのみにしか聴かれなかった。



私は、このアルバムから、1982年6月頃にFM東京の土曜日夜中3:00から放送されていた「スタジオテクノポリス27」(ピーター・バラカンさん&矢野顕子さんがDJ)で、初めて「ベリンダ」というポップでキャッチーな曲を聴いたのが、思えばユーリズミックスとの初めての出会いだった。

ユーリズミックスに大きな変化をもたらすのが、2枚目のアルバム『スウィート・ドリーム』にも収録されたシングル「スウィート・ドリーム(アー・メイド・オブ・ディス)」の世界的なヒット。



YAZOO、デペッシュ・モードなどと共に、当時、流行し出した「MTV」を伴ってイギリスのテクノが世界進出を果たし、勢いを持って波及・拡散した。

***

私は「ヒア・カムズ・ザ・レイン・アゲイン」のMTVをテレビ「ポッパーズMTV」(ピーター・バラカンさんの選曲番組)で見たが、元々中性的で美形のアニー・レノックスが化粧無しの姿で現れるが、最後の灯かりを持ちながら海辺の崖をおぼつかない足取りで歩くシーンがとても好きだった。


当時のユーリズミックスにかかっては、この程度の名曲はお茶の子さいさい、即出来てしまう勢いがあった。

アルバム『タッチ』が発売される前に、1983年にシングル・カットされていた「フーズ・ザット・ガール?」「ライト・バイ・ユア・サイド」もこのアルバムは収録されている。

個人的には、アルバム『タッチ』は、3枚のシングル以外の曲に余り新しいものを見い出せなくて、アルバムとしては「んんんん・・・可もなく・不可もなくだな」と思っていたのが、正直な感想。


【ミュージック・マガジンのレコード・レビューは、小嶋さちほさん】

***

1984年1月と言えば、YMOが「散会」した後。
これからどうしようか・・・という不安なおももちでもあった。


【1984年1月6日の「オリコン」トップ20 いかに日本のメジャーシーンに何も音楽らしき音楽がなかったかが解かる。】

しかし、手元にあるミュージック・マガジン1984年2月号を見ると、1984年1月には実に多様な素晴らしいレコードが発売されている[日本国内発売基準だが]。
ほとんど持っているが。
(あまり自分の関心を示さなかったアルバムを除いても)

・ジェネシス 「ジェネシス」

・ニュー・オーダー 「コンフュージョン」12インチ
・フェルト 「毛氈」
・TRA・スペシャル・ベルリン(カセット・ブック)

・デゥルッティ・コラム 「アナザー・セッティング」

・デゥルッティ・コラム 「ドゥー・トライアングルス」12インチ
・高橋幸宏 「タイム&プレイス」(1983年のソロ・ツアーを収めたもの)
・戸川純 「玉姫様」
・ヴァン・ヘイレン 「1984」

・ピテカントロプスの逆襲(メロン、桑原茂一が関わったクラブ「ピテカントロプス」の集団制作)

・フィリップ・グラス「コヤニスカッティ」(1月21日からゴッド・フリー・レジオの同名映画が「シネ・ヴィヴァン六本木」でロードショーされている)


***

雨は相変わらず降り続けている。
雨にまつわる曲はたくさんある。
「雨に歌えば(シンギング・イン・ザ・レイン)」なんてスキップ踏んで、傘をくるくるする気分にはなれない。

80年代が産んだ宝物のヴォーカリスト=アニー・レノックスは、アリソン・モエット、トレイシー・ソーンと並んで、自分の中では本当に偉大なる存在である。
そして「ヒア・カムズ・ザ・レイン・アゲイン」は、雨をテーマにした名曲。
ボクだけの1曲であることに間違いはない。

_________________________________________________________________

19:26追記:

つい、YMOが聴きたくなり、1980年第二次ワールド・ツアーの最終公演、12月暮れの海外から帰った凱旋公演、武道館でのライヴ。
このツアーの1曲目に細野さんが指名した教授の「ライオット・イン・ラゴス」。



細野さんの特番まで2:30.
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年5月28日 土曜日 夜 今週の写真集

2011-05-28 22:06:19 | 写真日和
朝方眠り、何度か起きたが、結果目を覚ますと真暗闇。
「ああ、また寝すぎた。」と思って、時計を見ると20:00.
14時間眠ってしまった。

冷たいウーロン茶をごくごく、イカ明太でご飯を食べる。

「マル激トーク・オン・ディマンド」を見る。


http://www.videonews.com/on-demand/

喜ばしいことでは無いが、案の定、東京電力と政府の隠蔽が少しづつ判明し出す。
まさに「案の定」。

空気中のガンマ線放射線量しか調べて公開していないがそんな事だけでは解からない。
アルファ線・ベータ線の方が怖いという。
アルファ線・ベータ線は外にあればいいが、一見して弱いからと無視されるが、粉塵が皮膚・頭皮・鼻から体内に入ることで、細胞を大きく傷つけるという。
内部被爆というやつだ。
野菜については、洗えば落ちるが、それは確かに表面の放射能が落ちるが、洗って計ってOKということではなく、洗う前に放射線量がある野菜は、土や野菜そのものに要因があるので、食べれば内部被爆する。
そういうものが、時間を経て、ガンになった際に、因果関係の証明は不可能である。

政府・東京電力・安全保安院、そして、他人事づらした自民党の犯罪は、まさに国家犯罪そのもの。

もう2ヶ月経った。取り返しはつかない。


【ボクはネット詐欺にあってから、カードの引き落としでカネを払うのをやめている。いくらお金がかかったのかが紙で請求された方が、自分の目に見えて良い。
たまに支払い遅れをすると、東京電力からこういう紙が入る。
「重要」との記載。何が重要だよ。
カネだけには「重要」と要求するが、もっと「重要」なことが起きると、何も「重要」な事をこちら側に伝えない連中に、カネなど払うつもりは今後一切無い。
送電ストップでも裁判でも何でもすれば良い。お前らには屈しない。】

***

この1週間の写真。

23日 月曜日 昼 南千住からのスカイ・ツリー つくばからの帰り道 くもり空


23日 月曜日 深夜 眼の酷使で疲弊しているのでうな丼を食べる。


24日 火曜日 深夜 実家に泊まる コチャコさんの眠る深夜、起こしてしまった。


25日 水曜日 昼 つくばから都内に戻る際に、歩いていたら魅惑的な花に出会う。


25日 水曜日 昼 北千住で後輩くんとお寿司を食べる。大好物のさばとこはだ。


25日 水曜日 深夜 ケーブルテレビで70年代の中村雅俊の「俺たちの旅」が懐かしくて見る。若き日の青春の悩みの切なさが幼な心を動かし、毎回見ていた記憶。
大嫌いなカラオケでやむなく「歌え」と言われた際、今のアホJ-POPなど知らぬので、自分は「俺たちの旅」「ただお前がいい」を歌う。

「夢の坂道は・・・」

26日 木曜日 朝 子会社統合に失敗した敗戦処理班は、今週3回目のつくば行き。
朝、つくばの駅の座る低い場所に、子供達の描いた夢ある絵をたくさん見つけて写真を撮る。


27日 金曜日 深夜 余りのみんなのやり切れなさに1杯1時間程度呑みに行く。
終電に乗り、南千住で降りる。雨が降る。南千住の引き込み線。


歩いて帰る途中、信号の柱に貼られた紙が雨に崩れて按配の良いアートになっている。


南千住のガスタンク。


***

■お便りコーナー■

真暗闇 (さくりん)2011-05-27 20:20:37

更新やお返事いただく時間が少し早いとほっとします。
早く帰れることと疲労度が比例しないのは分かっていますが…

かたちんば:更新は部分的に携帯電話から予約更新をかけているので、その時間とはずれるケースがあります。
疲労はなかなか取れませんね。


人間ごときについて。外食に添加物云々の話をしましたが、今日は、ランチにサービスで付くデザートを「○○にしてちょうだい」。一番高いケーキをご指名。
サービス業の立場でありながら、最近はこんな些細なことですぐ着火、サービスに慣れすぎて厚かましいのは見苦しい。
あって当たり前。楽して当たり前。ヒトは特別。自分もヒトの皮を被っている。

かたちんば:資本主義と民主主義が全部の要因で、両方とももう辞めるべきとボクは思っています。
「カネさえあれば何をしてもいい」というのが資本主義。
資本主義の悪の面は、モラルなど無くて良いという欠落。
だから、ガキがサービスを受けている意識もなく、自分は嫌いで行かないファミリーレストラン他外食の場所で横柄な態度をし、長居し、群がる。


【「ミート・イズ・マーダー」=食肉は殺戮。生肉喰らって死すは自然の流れ。】

つつましく暮らしている中に感じられるご褒美や「ちょっと楽させて」をむさぼって、ヒトは戻れなくなってしまいました。
ナントカ加工の商品や扇風機で、どこまで耐えられることか(真っ先に、自分も)。
楽したツケ、開発の代償はあまりに大きいですね。
いいヒト悪いヒト関係ないのは残念ですが、要らないものが間引かれる時が来たのだと思います。

かたちんば:資本主義にすっかり慣れてしまった人々のしっぺ返しですね。



「夏に毎年聴く音楽は、ドゥルティ・コラム、ミカド、バージニア・アストレイ、ロータス・イーターズ、フェルト、ドリーム・アカデミー、細野さんの過去からのソロ、アンビエント・ハワイ(久保田さん・サンディー)、砂原良徳さん…」
細野さんといえば、29日のETVスペシャルで特集がありますね。
東京で生まれ育った細野さんが、東京を歩きながら語るということで楽しみにしています。



震災後しばらく音楽に触れることができなかったというのは、私たちも同じですが、音楽家であれば、細野さんであればなおの苦しみでしょう。
YMOはもちろん、ティン・パン・アレイやはっぴいえんどなど、「あなた」が居なければ成り立たなかった音楽に感謝。
それなのに、「風をあつめて」のような風を今、すでに感じられなくなっているのは、哀しいですね。

かたちんば:細野さんのスペシャル、自分も楽しみにしています。
細野さんほどあらゆる日本の音楽を裏側から長きに渡って支えたミュージシャンというのは、ほかに居ない。
細野さんが居なければ、YMOも含めて色んな花咲いた音楽は無かった。
ボクは、細野さんを「国宝人間」に規定したい。


DJかたちんば様 (さくりん)2011-05-28 13:21:08

スティーブ・ウィンウッドは「Gimme Some Lovin」から、フリーは「All Right Now」から…
洋楽の聴き始め、ラジオで耳に残った音を逃すまいと、音楽雑誌の系譜を読み漁り、好きなミュージシャンが聴いてきた音を芋づる式に手繰り寄せました。
もちろん、お金のない子どもですから、ラジオや友人の兄・姉を頼りに。
その中から掘り下げたものは少数ですが、四方八方に伸ばしたアンテナが、その後の音選びに役立っていることは確かです。

かたちんば:ボクらの世代は、情報の少ない中で音楽をいわば「みずから獲得」していたのでしょうね。
取りに行ってもなかなか情報が得られず、色んな工夫や探索をしてきた。
それは、今の人とは違うと思うし、我々の誇りじゃないですか?


寝息が聞こえそうなピー助さん。
猫との付き合いが浅い私でも、こうして丸まって寝ているのを見ると、安心しているのを感じるし、何より自分が落ち着きます。
残念ながらうちねこは姿を消してしまいました。方々探しているのですが。
ぼろぼろになっても、生きて、うちを覚えていてくれるといいのですが。
今はひと回り大きな、うちねこにそっくりな「ママ」が出入りしています。
最近になって、うちねこと同じ仕草をしてくれるのが切ないです。

かたちんば:外ネコも含めて自分も多くのネコと出会って来ましたが、ある日を境に消えてしまう場面は多々ありました。
とても哀しいことですが、どこかで生きていて欲しいと願うばかりです。


かたちんば家の玄関にCDがあるのは拝見しましたが、こうして色々発掘されるのは、もう、ギャラリーか博物館ですね。
私はCDを購入するようになってから、コンパクトな風体と、AB面一緒くたのお気軽さのせいで、あまり整理しなくなっています。
レコードは、並べ方から飾るジャケットまで、それはそれはずっとこだわっていました。



色の組み合わせでいくつか好きなものがありますが、オレンジと水色のペアが好きになったのは、スミスの「Heaven Knows I'm Miserable Now」と何か(「Strange Ways Here We Come」だったような、なかったような)を並べた時からです。
スペース作って、やはりレコードを取り戻さねば…

かたちんば:レコードは立てかけて並んでいますが、やっぱりボクも愛着が薄いCDはそのへんに積み上げています。
まあ、本当にゴミ屋敷。
CDなんかコピーが幾らでも可能ですから、その程度でいい。
「Heaven Knows I'm Miserable Now」、良い曲ですね。
高校生の頃、これと「ウィリアム・イット・ワス・リアリー・ナッシング」をよく聴いたなあ。
ラスト・アルバム「Strange Ways Here We Come」は、当時聴いていません。
このアルバムは既にジョニー・マーが途中から不在でスミス崩壊後のアルバムという意識です。


相変わらずの美しい目玉焼き。この日のお供は焼きそば、ですか。
前から伺おうと思っていたのですが、目玉焼きには何をかけて召し上がりますか。

かたちんば:実はチロチロになっていますが、焼きそばではなくてナポリタンなんです。
翌日なのでやせ細って焼きそば的になってしまいました(笑)。
目玉焼きには、今はお塩とこしょうをかけています。
ソースやケチャップもいいですね。
幼い頃は、昭和ですから、お袋はおしょうゆをかけていましたが、どうもおしょうゆは自分は合わないですね。

***

毎年、夏になると聴くはっぴいえんどの名曲「夏なんです」。
詩人・松本隆と細野さんの曲。
こんなステキな曲も、このような放射能の事態になると、2010年までの「過去の夏」の在りし日の出来事のようです。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年5月27日 金曜日 深夜 Talking Back to the Night

2011-05-28 02:35:25 | 音楽帳
1:00帰宅。
降る雨は、放射能を洗い流してくれるだろう。
今夜も南千住から歩いて帰る。

すっかり・どっぷり・・・
ウツに染まる世界だから、怒涛の1週間の仕事を終えて帰ったら、少し自分も・このブログも軽くしたくて、1枚のCDを手探りした中、スティーヴ・ウィンウッドの「Talking Back to the Night」を取り出す。



80年代当初から、毎年2月号で前年のベスト・アルバム・トップ10を載せる「ミュージック・マガジン」を毎日毎日めくる日々だったが、ずっと気になっていたスティーヴ・ウィンウッドをちゃんと聴いたのは、この「Talking Back to the Night」というアルバム。



全面的にシンセサイザーが導入されていて、彼の過去の経緯も知らないまま、テクノの延長線上で聴いていた当時。
熱いヴォーカルそのものより、自分の耳は、素直でストレートなシンセサイザーの調べの方に関心の観点が行っていた。



そこからトラフィックという過去のバンドまで聴くに至るには長い道のりがあった。

1983年2月号の「ミュージック・マガジン」での、1982年のベスト・アルバムに「Talking Back to the Night」を選ぶ人が目立つ年だった。

とりあえず、今夜の深夜はここから始まった。

******

5:40記載:

酒を呑み音楽を聴く。
奈落の底に落ちて行け。
心身ともに燃えて無くなればいい。

中島みゆき「ヘッドライト・テールライト」

詞・曲:中島みゆき



語り継ぐ人もなく・・・
吹きすさぶ 風の中へ
紛れ散らばる星の名は 忘れられても・・・

ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

足跡は降る雨と・・・
降る時の 中へ消えて
称える歌は 英雄のために過ぎても・・・

ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

行く先を照らすのは・・・
まだ咲かぬ見果てぬ夢
遥か後ろを照らすのは あどけない夢・・・

ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

******

6:00記載:

相棒、ピー助の眠る姿を筆ペンで描いた1989年の絵が出てきた。



風のように、私が見えないところで「バイバイ」と去っていったピーちゃん。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年5月27日 金曜日 朝~ だっぺとロハスの違い

2011-05-27 08:02:18 | 雑記帳
昨夜は、つくばを出たのが20:00近く。
田舎の夜が更けるのは早い。



田舎の朝夜は、太陽の昇り沈みとリンクしている。
だから、早起きで居られる。
やることが少ないから子供作ってしまう。
それは一見、シンプルでナチュラルかのように思えるが、私はそうは思わないし、何てつまらない人生だろう。
しかも、彼らのバックにはいつも『辞めても、たんまり土地あるし、百姓やりゃあいいんだもん』という甘えがちらつく。



様々な都市生活でボロボロになった末に自ずと発見したシンプルでナチュラルな暮らし方の切実さの方こそに信じられるものがある。

だっぺの街を出て久々に早く20:45に帰宅。
食事と缶ビール1本をニュースと共に終え、漢方薬・抗鬱剤・睡眠薬を飲み、早々に布団へ。

22:00~のラジオ『DIG』を掛けているうち、死んだように堕ちる。

7:30長く寝た割には、だるさと溜まった疲れで相変わらず心身不調。

仕事場でどんな悪魔が待っているかは知らぬが、今日を乗り切ればとりあえず休める。

自分は立場上、昨年より1つ上にはなったが労働基準法に従い、殺された場合の為の記録は日々きちんと付けている。

右から左、上から下へ、ただキラーパスを渡すのは、マネージメントではない。
そういうヤツには、抵抗する自分は邪魔な存在であろうが、見方の軸がぶれることなく、あるべき姿を忘れずに進む。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年5月26日 木曜日 「Lips That Would Kiss」

2011-05-26 18:30:53 | 音楽帳


ドゥルッティ・コラムに出会ったのは、1983年だった気がする。
土曜日、深夜3:00からFM東京の「FMトランスミッション/バリケード」でかかった「リップス・ザット・ウッド・キッス」。

中学、高校と御茶ノ水から神保町界隈の中古レコード屋さんのエサ箱を漁りながら、ずっと気にはなっていたのだが、買う決断が出来ないでいた。

そんな折、とある夜明けに聴き、録音した「リップス・ザット・ウッド・キッス」。

他には類を見ない、かきむしるような情念をギターに込めた調べ。



「リップス・ザット・ウッド・キッス」という言葉は、友人であったジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスが好きだった詩の一節だとのこと。

この曲は、首吊り自殺をした友人、イアン・カーティスに捧げられている。
1980年発売の7インチ・シングル曲。
まぶしいような輝きをギターの音色に感じる。

私は、夏が近づくとドゥルッティ・コラムを聴く。
無精に切ないヴィニ・ライリーのギターが恋しくなり、無精に聴きたくなるときがある。

無事、夏まで迎えられるかが保証の無いこの2011年。
今、聴いておこう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年5月26日 木曜日 個人の内界

2011-05-26 12:20:03 | スケッチブック

【紙を裏返すと1990年4月と記載あり。山のように、当時、リクルート社から送られてきた就職関連情報の本を納めていた段ボール箱を使って、その上に、スクラップを貼り込み、その上に色んな道具でドローイングしていったセルフ・ポートレイト。実際の現物はかなりデカい。】

毎朝の心身状況のつらさ。
昔のような本気の『死にたい』感は無いが、状況は明らかに日を追うごとに月曜日以降ひどくなっていくのが現実。
土日は、室内でぐったり横になったままというのも現実。

浪人~大学~今を通じ、あらゆるヒントの潜む本を読みまくり、似た人それぞれの対処法【克服法ではない】にえんぴつでアンダーラインを引いたり、浮かんだコトバを書きこんだ。
また、水泳・アクアビクス・エアロビクス・ヨガ・座禅…等々も試みたりした。

要は『こういうものだ』と、自分特有の持つ心身を受け入れつつ、その中で何が出来るか。
それが落とし所だろう。

***

夜、睡眠薬飲んでも眠りになかなか堕ちない。
深く眠れていない。
よって、朝、目覚まし等で『起こされる』と、体が重だるく体調が悪い。

日中も疲れていて体がだるい。

狂気に至るストレスを我慢することにより、腰~背中~首廻り【が一番ひどい】~肩・肩甲骨裏側~頭に、容易に取れないコリが痛みに至る。

体重は減り続ける。
特に毎週土日は1~2kg減る。


地獄の心境の朝は、仕事に巻き込まれる事で待った無しの世界の濁流に飲み込まれる。

夜に向かって、まるでネコそのもののように、体調は補正されるが、それでいい気になってオーバーワークをし、メーターを振り切った状態で夜を向かえる。
短時間、ビールとタバコを一日のご褒美で上げて寝る。

しかし、翌朝には変化(へんげ)し、どーんっと、前日までの累積の疲労が一気に身心に重圧を掛けてやってくる。
この繰り返しを続けている。

***

しかも、この「病(やまい)」誰の目にも見えない放射能のようなもので、レントゲンにもCTスキャナーにも写らない。
本人が自覚をしているだけなので、その本人が叫ばなければ誰も、その苦しみや痛みの度合いを理解しない。



また、苦しみや痛みを伝えても、病院では「散歩でもして、気晴らししましょー」などとさらっと流されるか、話しを聴いて「うんうん」と頷かれ、「は~い、薬出しますから、外で待っててくださいね~」で済まされる。

誰も、各個人の内界で生じている状況になど、親身に対応などしない。
人間は、よくよく孤独であることを、訴えることによって、逆に返って自覚をし、深めるだけだ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年5月25日 水曜日 日和者からの罠

2011-05-26 00:14:08 | 雑記帳
昨夜は、23:02に電車に乗り、ぐったり(-_-#)。

23:50帰宅する。

食事と1本のビール。
寝床でTBSラジオ『DIG』を聴く。
私の好きな神保さん&竹内香苗ちゃんの日。



なかなか良い議論が聞けた。
東京電力に如何にして責任持って血尿出るまで補償をさせ、その後どう解体させていくかの議論。
持っている資産と資源はたんまりあり、まさに絞り出せば相当なる補償が出来ることを知る。

また、ラジオつけっぱなしで寝たせいか、浅い眠り。


【Pink Floyd 「Wish You Were Here」】

ピンク・フロイドの『あなたがここに居て欲しい』では無いが、人の気配がしていないと眠りに就けないのは、幼少も今も変わらない。

***

07:00激疲れでガンガンする中、うるさい目覚ましに、
『ギャー(;`皿´)!
わかった(;`皿´)!
うるせい(;`皿´)!』と溜まったストレスのせいで声出して叫びながら、勢いだけで起きた。

まさにカラスの行水で焦って風呂入る。
頭を洗う一方、歯を磨き、顔を洗い…

とにかく時間無い中、駆け抜けるようにして07:36の電車に飛び乗り、つくばへ。

昼まで、何人かで消火対策。

後輩君と2人で都内に戻る途中、2人でかつて行った北千住の回転寿司へ。
珍しく7皿も食べられた。
こはだ・シメ鯖・えび・いか・えび軍艦・穴子・数の子。

2人だるいカラダ引きづり都内仕事場に14:40戻る。

今日は邪魔な電話も人も居ないので、静かに仕事しているうち22時を今夜も回った。

22:30の電車で帰る。

この一週間、一日中マスクマン。
多少の放射能摂取は遮断出来ているのだろうか?

***

最近、仕事でぶち切れるのをいとわない。

我慢などしていたら、どんどん『連中』は付け込んで来るし、いわれの無い窮地に追い込まれていくだけのこと。

先日、役員との打合せあり、自分なりの資料に考え方をまとめて議論した。
相手も一定の理解を示してもらい、お互い違う意見は意見として、威圧されながらも、それなりにまっとうな議論の時間だった。

しかし、その後、メールで送られてきた議事録。
その内容を見て唖然。

核心だったはずの意見交換がばっさりカットされ、マスゴミ・新聞・地上波テレビよろしく恣意的に部分的内容だけを繋いで歪曲された議事録。

即、メールで関係者全員に『私が述べた意志が書かれず、誤った内容が記載されている』と抗議。

翌日、それを書いたT田というヤツに電話。

その後『お話しをしたい』と電話あったので、『お前、日和ってんじゃねえよ。
事実歪曲してまで上におもねりたいのか?』
降りてきて話しがしたいと来たので、しばし話した。

盛んに謝っていたが、一貫して追い詰めた。
『お前らが恣意的に欲しい方向に無理矢理持っていこうとしているのが判った。
(mp3録音機を向けて)今の会話も次回以降も、お前らの議事録は嘘八百だから、こちらも自己防御のため全部録音して、社内ネットに全部アップしてやるよ。
やるだけのことはやる覚悟で仕事しているのに、こういうことされると、やる気を失うよ。
責任取れというなら、責任取ってやるよ。
お前らの勝手にしろ。

煮るなり食うなりしろ。
ただ事実がどうだったか?
全部記録残してやるからな。
ただじゃ死なねえからな。

日和ってんじゃねえよ。』

危ない危ない。
こういう善人ズラした犬がうようよする世の中。
ただで刺される程、こちらもアホじゃない。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする