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こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

うなされる日々

2010-09-29 02:47:03 | 音楽帳
HASYMO 「Tokyo Town Pages」(アンビエント・バージョン)


中国に対する日本の失態・気温が30℃台から15℃前後へ・どしゃぶりの雨・土曜の怒りの行動・・・・・・

さまざまな要素が重なってか、日曜日から心身が固まってしまう。
そして、その状態が、月曜~火曜と続き、2日間、うなされたような状態で、とても仕事場に行けないカラダの重さで、家の中で幾多の夢を数時間見ては起き、水分を摂っては横になる生活を繰り返してしまう。

ついに、自分の心身も限界を向かえて、欠乏し、何かが憑依したような状態になってしまった。
「死」が見える。

***

夜中2時、リクライニングシートでうなされて眠っていた事に「はっ」と気付き、ガンガン頭痛・肩こりがやまない中起きる。

MZ師・くもおさん・さくりんさん・・・様々な想いを頂きながら、それに応えるだけの心身状態にあらず。
申し訳ならないが、そういうことである。



昨夜も、同時間には、暗がりの中、起きてしまい、ひたすらブライアン・イーノが80年代初頭、マンションに住んでいた頃にビルと雲の流れる姿を延々と映像を固定ヴィデオで撮影した「ミステイクン・メモリーズ・オブ・メディアエバル・マンハッタン」(今はDVDで持っている)を見ていた。

今は、何も考えられない。

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『憂国』 MZ師から首相官邸に向けて

2010-09-26 21:31:15 | 雑記帳


多くのクレームが寄せられている事だろう。

おそらくこのメールもじっぱひとからげに
そのままゴミ箱に葬られる事も承知だ。

だが祖国を愛する一国民としてどうしても言いたい事がある。

政治はキレイ事ではすまない事はわかっているし、
中国との関係をこじらせると経済的な打撃が懸念される
ジレンマもある事も理解する。

だが、政府が日本の利権を脅かすような恫喝になぜ対抗できないのか?
政府はたとえ全世界を敵に回し孤立したとしても、
国民の利権を守るために、立ち向かわなければいけない場面があるはずだ。
それが今回の問題では無かったのか?

俺はアメリカのブッシュ前大統領は嫌いであったが、
911事件後に、更なるテロの誘発のリスクを承知しながらも、
対テロとの全面対決姿勢を貫いた事は、一国を統べるモノとして
正しい決断であったと評価している。
(その後のアフガニスタンでの民間人も巻き込んだ攻撃は頂けないが・・)
あんな歴史の浅い移民の国でも最低限の誇りは持ち合わせている。

なぜ皇紀2千余年の世界に誇るべき歴史と伝統を持った我が国が、
あのような言い掛かりに屈しなければならないのか?
日本人としての矜持が砕かれたこの屈辱を俺は決して忘れない。

君たちは売国奴だ。

***

首相官邸 直アドレス

https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken_ssl.html

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竹内まりや  「とどかぬ想い」'84 

2010-09-25 23:22:33 | 音楽帳


あまりにものショックと嘆きと怒りに震える中、1日「活動」・「行動」に徹しているうちに、時間も忘れ・・・
殺伐として終了しようとしている今日。

やはり、聴きたくなったのは女性の歌だった。

わたしにとっての歌姫、竹内まりやさん。
その中でも、特に好きな、アルバム「バラエティ」の収録されている『とどかぬ想い』。

山下達郎さんとのコンビネーションで生まれた沢山の名曲の中の、ほんの1曲。

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Paul Hardcastle   「Rainforest」'86年1月22日発売

2010-09-24 00:03:15 | 音楽帳


「19(ナインティーン)」が全世界でヒットした勢いで出来たのが、上の写真のアルバム『マイクロチップに愛をこめて』である。

評論家からは、ずいぶん叩かれたものですが、僕個人は当時暗い素浪人の頃で、2年目の素浪人が決定した頃かと思いますが、この「レインフォレスト」という曲が大好きで、毎夜、うなだれた日々の中の鎮魂歌として聴いていた。



アルバムの当時の売り込みのコピーが時代を感じさせて、なかなか良いです。

「モダン・デジタルで織りなされたマジックの数々・・・。
 スーパーヒット『ナインティーン』で世界に
 名を知らしめた、ポール・ハードキャッスル。

 超LSI感覚のアルバム完成!」

***

今日は、一挙に16℃近くに温度は下がるは、豪雨が降ったりと、結局、外に出る事が出来ずに、部屋に幽閉されてしまった。
牢獄に入った人というのは、こういう感じなのだろうか?・・・・などと想像してみたりする。
逃げ場の無いような救いの無い感覚は、自分の鬱病気質がそうさせるものだが・・・・。

こんな夜には、四半世紀前によく聴いた「レイン・フォレスト」が頭に浮かんで聴きたくなった。
天候の乱れの多い、よくわからない日々だな。。
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かたちんば徒然日記 : 甲府人なる人種

2010-09-23 18:35:24 | 雑記帳
□■□かたちんばニュース□■□
神奈川県厚木市で開かれたB級ご当地グルメの祭典「B-1グランプリ」で、「甲府鳥もつ煮」の最高賞獲得から一夜明けた20日、甲府市内のそば店には県外からの観光客が詰めかけた。客足はふだんの5倍以上という店も。

県内のスーパーマーケットでも、鳥もつ煮用の肉やタレのセットが完売するなど、早くも「鳥もつ煮」ブームが起きている。
甲府市国母7丁目のそば店「奥藤本店」には早朝から湘南、千葉など県外ナンバーの車が乗り入れ、午前11時半の開店前から 鳥もつ煮目当ての観光客が列を作った。千葉県から友人2人と来たという人は「今朝テレビで見て食べに来た。1時間待ったけれどおいしい」と満足そう。

同店にはこの日、通常の休日の5倍以上の人が詰め掛け、午後2時半までの昼の営業を4時まで延長。
中休みなしで夜の営業を始めた後も客足は途絶えず続いた。
「混雑は予想していたがここまでとは。しばらくは忙しくなりそう」と社長の塩見大造さん。 他のそば店からは「モツはある程度確保してあるが、他のメニューの材料が底をつかないか心配」との声も聞かれた。

***

自分は、の上に成り立つ「食肉」のありがたさに対して、全くそういう意味を感じずに食べる、今の現代人がどうしても好きになれない。

このニュース自体にも、あまり良い気持ちにならないが、さらに、中身が甲府の食べ物と聞いてなおさら、気分が悪くなった。

***

自分は、営業で山梨県を2年担当していたが、どこのイナカモンにも言える事ではあるが、痛いほど、特に甲府という場所に住む土着民の在り方には、受け入れ難いものを感じた。

甲府人の特徴として言えるのは、地元に対する誇りを持つ人が多く、あたかもココが中心に日本が回っているかのような感覚(錯覚?)を持っていて、そこの文化や風土や食べ物が日本で一番良いと信じてやまない。(単に他の世界を知らない?)
また、地元に根付かない出張組というのは「ヨソモノ」扱いであって、いわば村八分みたいな扱いを受ける。
では、付き合い・話し合いが深まればどうにかなるのか?と言えば、それは無く、そこに住み込みをしない限り、性格が閉鎖的なので認められることはない。

***

しかし、「ほうとう」などといううどんの出来損ないは、所詮は江戸時代の山越え・徒歩の為の活力源として、とにかく何でもいいから色んな野菜等々を放り込んで煮ただけのもので、旨い/まずいという区分で語るものではなく・とにかく・栄養を取ることのための食べ物である。
これを、現代も地域の特有の食べ物のようにして1杯1000円以上する値段して出しているが、「美味しい」と感じたほうとうには一度も出会わなかった。
まずさ極まりなく、よくもこんな食べ物を出して、1000円以上の値段を付けて平気で居られるもんだと、関西で同じ事をしたら、ブッ殺されるか・店が潰れるのは必須だが、旅行の一元さん中心で成り立っているこういう店は、出している商品への自戒は無い。

というか、「ほうとう」以外にも、甲府の中で、昼何かを食べたいとお店を探して入るのだが、「美味しい」と感じた店に出会った事は1回も無かった。
ことごとくまずいのである。
本当に、行くところ・行くところ、全部まずいのである。
でも、平気な顔をして食べている人たち・・・。

ここに住む人の味覚は味覚異常なのではないか?という疑いも、あながちウソでもあるまい。

ということで、出張している間は、さんざんな目に遭ったので、コンビニでおにぎりなどを買ったり・全国チェーン店のお店を選ぶようにしていた。

***

また、甲府商人の歩いた後にはペンペン草1つ生えないと言われるが、ニンゲンとしても性格のベースが悪いのは元々だが、そこにさらに猜疑心とケチが上に乗っかり、商売としてもやりにくい場所である。

関西というのは、商売にイノチを掛けているし、それに値するものを生み出しているが、甲府人は、ただ単に安くなければ買わないだけという、営業においても実につまらない商売の仕方である。

まあ、元々は、自民党の金丸信が金を落とし続け、公共事業でだけ成り立っていた土地であるから、それが無くなった今、もはや、成長も無ければ、切磋琢磨も無い。

こんなつまらない土地には、もう二度と行く事はないだろうが、こんなニュースにだまされて行くのはどうか・・・・・・と思う。
旅行であっても、自分の経験上、行く事は勧めない。

***

PS:これを山梨県という県民性に拡大したいところだったが、東京よりの都留辺りの牧歌的な感じや、静岡付近の身延町・南部町辺りのヒトの優しさを思うと、やはり、このまま行くと、まさに、荒れ果て・何も生まず・切磋琢磨もなく・自滅していくのは時間の問題の都市「甲府」が山梨の中でも一番のガンなんだろうなあ、と思い、甲府の話をした。
甲府は盆地で、夏は異常なねっとりした暑さであるし、まさに空気がその中でだけ滞留している感じというのが、閉鎖的で「ヨソモノ」を平気な顔して村八分にする閉ざされた世界と一致する。
こんなところはもうこりごりだ。
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大槻ケンヂ 「恋人よ逃げよう世界は壊れたおもちゃだから」'96

2010-09-21 00:39:38 | 音楽帳
大槻ケンヂさんは、昭和41年2月生まれ/かたわのかたちんばは、昭和41年7月生まれ。

大槻ケンヂさんには、「同世代だから」という事も含まれているが、いつも気にしているサブカルチャー人の1人である。

***



大槻ケンヂさんのエッセイ集で、彼は「カート・コパーンくん、君はきたない!」と言い切る。

めざすものは音楽・アート・・・・それぞれ違うが、大槻くんは「とにかく、やり続けていけば、なんとかメシにはありつける」と言う。
一方、僕は、好きなアートを捨て、とりあえずは、社会の一端に居れば何とかメシくらいは喰えるだろう・・・・そんな汚い・まさに汚い「身売り」で、今、何とか「サラリー」を得ている。

道はそれぞれ違えど、趣味を趣味として大事にしたかった言い訳をしながら、営利団体に行って、日々格闘を続ける自分/趣味を仕事として、日々、矛盾にぶち当たりながらも、アーチストとして生き延びてきた大槻ケンヂさん。。。

ニルヴァーナのカート・コパーンは、自分の口に銃口を向け自殺したが、「死ぬのはカンタンなのだ」。
どれだけ、行き続ける事の方が苦しく・無様な事だろう。
それでも「僕らは、死なずに生きていく」。
その日々の格闘こそが、大事なんだ。

この点でだけは、大槻くんと自分は一致している。

カッコヨク生きて・カッコヨク死ぬ、そんな夢は、しょせん「夢」に過ぎない事を、お互い知っている。

***

僕は、大槻くんの音楽そのものへのファンではなかった。
筋肉少女帯も良く知っていたし、出生からよくわかってはいたが、もともと「ロック」嫌いの自分は、大槻くん自体の本や言論にはいつもタッチしてきたが、彼の音楽そのものを真剣に聞くことは少なかった。

だが、そうはいえ、やっと40歳を超えた当たりから、大槻くんの音楽を俯瞰的に見られるようになって、いくつかの「宝物」のような曲を発見した。

そんな僕が、いつもわざとふざけようとする方向に行く彼が真面目に歌う「恋人よ逃げよう世界は壊れたおもちゃだから」という曲に、「ガーン」と頭を一撃された。

元々は、愛ネコ=まみちゃんの愛称の元になった、山瀬まみちゃんの『親指姫』に収録された大槻くんの作った曲を、1996年にセルフ・カバーした「恋人よ逃げよう世界は壊れたおもちゃだから」には、その素晴らしさに参った。

長い事、クサイメシを喰い続けてきたヒトにこそ、こんな素晴らしい曲が書けるんだ!と言いたいラブ・ソングである。

曲名の素晴らしさ・曲としての完成度・大槻くんの歌声・・・・
もう、何も言う言葉が見つからない。



どんなに苦しみ・もがいても死んではいけない。
だって、こんな素敵なラヴ・ソングは、苦しまずに死んでしまったら、生まれなかったんだから。
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夏のフェイバリッツ21  Rain Tree Crow「Red Earth」'91

2010-09-20 03:47:32 | 音楽帳


不思議なもので、パソコンで、○の21という記号を探そうとすると、全く無いことがわかる。
○は、20で打ち止めなのだ。

⑳がムーンライダーズの名曲「くれない埠頭」だったが、その後、世間で言う3連休が来た。

思えば、昨年の今頃は必死に、瀕死のネコ・まみちゃんとの最後の共同生活をしていた。
もう間もなく死ぬ事がわかっていながら、彼と添い寝をしながら、最後の想い出創りをしていた。
苦しければ、クスリを飲ませ、カラダをさすりながら抱きしめ、一緒に寝て、一緒に部屋で過ごした。
もう、あれから1周忌をむかえようとしているのだ。

土曜、そして、日曜と、世間を遮断し、窓のスクリーンを下ろし、ひたすら寝たり起きたり。
残った冷蔵庫の食材をむさぼりつつ、ビールをひたすら呑み、録りだめたラジオのmp3を聴き、たまに音楽を聴き、惰眠をむさぼる。
ひたすら、家の中に籠もり、静かなウツ的世界に染まる日々。

あれほど、猛暑は11月まで続くだの・今年の秋はない・だの言っていたが、陽が短くなっていくとの連動して、着実に、猛暑は沈静化に向かっている。

やっと、生き物たちも喜んでいることだろう。
ニンゲンなどは、どうでもいいのだが。

***

いったん1982年に解散したジャパンのメンバー4人で創った一時的ユニット、レイン・トゥリー・クローの1991年のアルバム「レイン・トゥリー・クロー」が好きである。

藤原新也さんのアメリカで撮影した写真集の1枚がジャケットになっている。

中身としては、インプロヴィゼイションが中心の、とても抽象的なジャパンとはほど遠い音だったが、素晴らしい出来であった。

個人的に好きなのが、この4曲目の「レッド・アース(アズ・サマータイム・エンズ)」である。



この曲には、元ジャパンの4人以外に、コンガでマイケル・ブルック、アコースティック・ギターでフィル・パーマーが参加している。

まさに、まぼろしじみた夏の暑さと、そのもうろうとした世界/その盛りを過ぎて落ちていく盛夏の終わり・・・そういった雰囲気が、音の中にかもし出されている。

***

ジャパンというバンドは、たぶん坂本龍一・YMO・矢野顕子に出会わなかったら解散をする結末を向かえなかっただろうし、バンドとしての最後の大爆発アルバム「ブリキの太鼓」も出来なかったはずである。

坂本龍一・YMO・矢野顕子が、彼らに「音楽という世界のまだまだ広い可能性を示した」ことが、それぞれに明るい未来と、「ここにとどまってはいられない」という、その可能性の実現に向けたソロ活動に向かわせたのである。
全ては、そこから決裂とバンドの崩壊が始まったのだ。

「レイン・トゥリー・クロー」は、極めて地味でロック的で無いながら、1991年当時、高評価を受けたのには意外に思ったものだった。

それぞれが距離を置く関係になってしまったからには、二度と再結成などはありえないのだが、4人が組み合わさると、凄い世界が展開するのだという実力を示した形となった。

***

2010年。
僕は、今でもこのアルバムが好きで、たまに魂の沈静化のために、引きづり出してくる事がある。
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かたちんば徒然日記 : 夏が終わる

2010-09-18 18:00:29 | 雑記帳
9月15日(水)仕事はお休み

堂々と休んでいながらも、暗くじめじめした部屋に籠っていた。
雨が降っていた。

撮りだめた、みうらじゅん先生&安斎肇さんのラジオ番組のmp3を聴いていたが、一向に気は晴れない。
その中に、一緒になって入っていけないのだ。
いつもなら入っていけるのに・・・。



自分の「内なる世界」が「空虚」もしくは「ウツ」に染まっていくさまは、幼少の頃から慣れ親しんで来た感覚だが、時が数十年経っても変わらないことに、いまさらながら嫌気がさす。

すっかりほとんどTVを全くゼロといって言い程見なくなった生活・・・・。
新しい「げーのーじん」も「はやり」も全くわからなくなってしまった。
「わかる必要もない」からそれでいいのだが。

全ての情報源をネットとラジオから得る生活も随分と長くなった。
というか、一人の時間が長くなった。

こんな1人暮らしも4年近くなると、ヤドカリさんみたいに、自分用の殻が背中にはえ始めるかのようだ。
ヤドカリさんになれるなら、なりたいが。

***

じとじとと、じめじめと、部屋でひたすら横になっていた(-_-#)。

小沢がやぶれ菅が勝とうが/押尾学がシャバに出た途端に射殺されようが/田代まさしがつかまろうが・・・・・・

まったく、僕のまわりの風景は、なんら変わらない。
その「なんら変わらない」事は、ずっとそうである。
政治がどうなろうが・芸人がどうなろうが・・・・自分のリアルな現実に影響することはない。

そんな事よりも、この雨はいつやむのだろうか?という目の前のナマの現実の方がリアルである。
政治と自分の幸せはまったく連動しない。

***

昔、中国の特別区「深セン」に出張した際、とある電車のとある駅で降り、駅前の人・人・人・人・人の渦に取り囲まれた事を思い出した。

貧乏なフリをした女が(ウソの・回しものの)赤子を抱いて、空き缶を僕の胸に突き付けてカネを入れろとくるわ、わざとぶつかりに来るわ・・・・・・。

そんな群衆を目の前にして、日本円で1万円あれば人一人殺すのはたやすいという特別区「深セン」の現実がわかり寒気が走った。

そのシーンにおいて、僕は、『数億人分の1人』でしかないことが迫ってきた。

たかだか自分1人がこの世から消えようが、誰も困らないし・誰にもわからない・・・
そういう中国という国の怖さを思い知った。

その出張の帰り、飛行機が成田空港に着き、そこからスカイライナーで上野の駅前のいつもの雑踏にたどり着く。
その幼少からなじんだ駅前の雑踏を見たとき「ほっ」として、自分が日本人で居て良かったという実感がわいてきた。

「人権」という事はこういう事なんだという事を思い知った。

それと同時に、日本の人1人を・1人大事にしていた内にこもった日本独自の文化・過去鎖国をしていた日本の文化と裏腹にして、近時の周囲の国に自国を売り払おうとする人々・・・・



僕らはその境目に立っているが、結局、政治がどうなろうが、周囲の国に自国を売り払おうとする『売国奴』ばかりが増える一方で、それと共に、不幸になる人ばかりが増えるだけで、浮かばれることがない。

そんな中、ヒタヒタと、だんだんとそんな不幸が、自分に向かって距離を近づけていく音は聴こえる。。。。。

***

戦後65年が経ったが、この国は本当に壊れようとしている。

わたしは、かたちんばであり、他人からすると相当な「変わり者」らしい。

会う全員が全員、そういう「レッテル」を貼る。

かつて一緒に仕事をしていた人が、その部下に僕を紹介するのに、
「カンタンに概略像を描くとしたら、中島らもさんをイメージ」したらいいそうである。

らもさんは好きだし、生前はリリパッド・アーミーの芝居をよく観に行ったし、ある種光栄な事である。

わたしは現実に日本人であり、日本という国が好きである。
しかし、なぜかそれを『愛国』というコトバに替えたとたんに『右翼』と変わる。
その話をみんな回避しようとする。
てめえは、その国に保護され、人権を守ってもらっているクセしやがって!!!

「かたちんばさんって、右翼なんですって?」と聞かれると素直に応える。

「そうだよ。わたしは右翼ですよ。」と仕事であっても応える。

***

雨は、夜まで降っていた。
そして、僕は籠もっていた。

僕の家には、数百枚のCDがあるが、聴いていないCDはたくさんある。

山積みにしながら、買いはしたもののおばさんたちの衝動買いよろしく、眺めている一方で、何かのきっかけ・発火点がないと聴かないものである。

そんなふざけた事を、十代の中学生の僕が見たら『なんという贅沢を!』と怒る事だろう。

しかし、彼と今の僕には30年という距離がある。

彼と僕の間には、さまざまな距離がある。

***



持っていながら、ロクに聴いていなかった「ファウスト」のCDを、次第に夕刻迫り・夜に向かい暗くなっていく中、初めて聴いた。

1曲聴いて「んんん?」と意外に良い感触があったので、次々に聴いていった。

音として、ロック的なギターやドラムが混じるのだけれども、決して汗臭い匂いがせずクール。
形式は明らかに「ロック」なのだが「ロック」と感じない。
さすがジャーマンと納得。

***

僕らの世代は、今のように、あらゆるサービスで持って「買って下さ~い」と「タダで音楽が聴け・海外音楽情報が手に入る」事などなかった。

レコード屋さんの店頭で、何度もそのジャケットを眺めながら、雑誌から切り抜いた評論などを参考にして中身を想像して、購入可否決断を迫られたものである。

それが「凶」と出るか「吉」と出るかは、神のみぞ知る世界だった。

思えば遠くへ来たもんだ。


9月16日(木)

朝、どしゃぶりの雨。

茅場町で降りると止んでいた。
雨はゲリラ的なものだったようだ。

朝から予約した歯医者。
また、のこぎりのような音の響く中、1時間以上掛けて治療。

仕事はいろいろ問題あれど、冷淡に済ませ、22:50帰宅。
ビールを呑み、かき揚そばを作り食べる。



特に、おおごとは無かった1日。


9月17日(金)

この日も同じようなもの。



3連休前という事で、その明けた日の対策が仕事の中心だった。

淡々とすませ、22:00に帰宅。

面倒くささとだらしなさが、点けた明かりの下、リビングの散乱する様を明白にする。
少々暑くて、洗濯機にシャツにくつしたを入れると、ラジオのスイッチを付け・パソコンを付ける。

1ヶ月に1回会うクリニックの先生に言われた事を思い出す。
「脳に栄養を与えないと、いくら抗鬱剤を飲んでも、神経伝達物質にならない。
マメ・チーズ・リンゴといったものを食べる事。」

納豆をこねて、たんまり食べる。
缶ビールを数本呑む。

睡眠薬を多めに飲むと1:00頃、眠りに堕ちた。


9月18日(土)休

なぜかタイマーが平日通りセットされていた。
そのおかげで、睡眠薬たんまり倍がけで飲んだのだが、ふだんと同じモーニングコールの嵐で、ふだんより早く起きてしまった。

夢を見ていた。
昔、近くに居た役員Uさん(上司の上司の上司)が「いやいやいや~。ご無沙汰ねえ~っ。」と柱の陰から、昔通り豆乳パックをストローで呑みながら現れて、カラダ叩かれる悪夢だった。
その人は、既に役員では無いのだが、今は悠々自適のせいか?もしくは、当時飲んでいたバイアグラのせいか?
俺ら=ボロボロ隊よりアンチエイジングされ、若返っていた。

「Uさん、顔若返ってますが、プチ整形しましたか?」と、夢の中で聞いたが、答えてはくれなかった。

昔、夏~秋に恒例化していた、Uさんの親戚が静岡で営んでいたミカン畑にミカン取り&大バーベキュー大会の記憶が、こんな朝の夢に出て来てしまったようだった。



缶ビールを近くのコンビニエンスストアに行く。
天気が良い分、それなりの温度にはなろうが、明らかに空気の匂いに「秋」を感じた。



どうやら、やっと夏が終わろうとしているようだった。

***

家でラジオを聴きながらビールを呑み、寝たり起きたり。。。。

幸福な休みを部屋の中で過ごす。
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僕の夢

2010-09-15 14:58:59 | 想い出かたちんば


僕には大好きな童話がある。
あまりに好きで、コドモ向け本のコーナーで買った、この「ブレーメンのおんがくたい」は、いつも僕の寝床にはある。

果たして『童話』というものは、コドモだけのものなんだろうか?

いや、たぶん、疲れてしまったオトナたちの癒しとしても、機能するはずである。

「ブレーメンのおんがくたい」は、それぞれの生き物たちが「お前は用済み・不要だ」と言われて「社会」から追放されながら、そういうみんなが一緒にお互いトモダチになって、最後には『永遠にシアワセな家』で永遠に楽しく暮らす、という僕の夢のような世界。

この絵本を見て、目をつむり夢の世界に、自分の脳を行かせると、シアワセになれます。

***

■■■ブレーメンのおんがくたい■■■

 むかしむかし、ある人が、一匹のロバを飼(か)っていました。
ロバは働き者でしたが、年を取って力がなくなったために、仕事が出来なくなってしまいました。
 
 そこで主人は、ロバにエサをあげなくなったので、ロバはさっさと主人の家を逃げ出したのです。

 そして、ブレーメンという町に向かって歩いて行きました。
その町に行けば、町の音楽隊にやとってもらえるかもしれないと思ったからです。

☆☆☆

 しばらく行きますと、疲れ果てた一匹のイヌが、道に寝転がっていました。

「おい。とても疲れているみたいだけど、どうしたんだい?」

 ロバの言葉に、イヌが答えました。
「いや、実はね。
おれもすっかり年を取っちまって、体が日ましに弱ってきたのさ。

狩りに出かけても、むかしのようにえものをつかまえられない。
それで主人が、おれを殺そうとするんだ。

おれは、あわてて逃げ出してきたってわけなんだが・・・
さて、これから先、どうしたらいいもんだろうなあ。。。。。。。。」

「ふーん。それなら、どうだい」
と、ロバは言いました。

「おれは、これからブレーメンヘ行って、あの町の音楽師になろうと思っているところだが、きみも一緒に行って、音楽隊にやとってもらったらどうだ。
おれはギターをひくから、きみはタイコをたたきなよ」

 それを聞いて、イヌはすっかり喜びました。

☆☆☆

 そこで二匹は、一緒に出かけました。

 すこし歩いて行きますと、一匹のネコが道ばたにすわりこんで、三日も雨にふりこめられたような顔をしていました。

「おや、ネコのばあさん、なにをそんなに困っているんだね?」
と、ロバはたずねました。

「わたしゃ、このとおり年を取っちまったし、歯もきかなくなった。
それに、ネズミなんかを追いまわすよりも、ストーブの後ろにでもすわりこんで、のどをゴロゴロやってるほうが好きなのさ。

ところがそうすると、うちのおかみさんはわたしを川の中へぶちこもうっていう気をおこしたんだよ。
それでわたしゃ、急いで飛び出してきたんだけど、
といって、うまい知恵もないし、これからどこへ行ったらいいんだろうねえ」

「ふーん。
じゃあ、おれたちと一緒にブレーメンヘ行こうじゃないか。
おまえさんは夜の音楽がおとくいだから、町の音楽隊にやとってもらえるよ」

 ネコは、それはいい考えだと思ったので、みんなと一緒に出かけました。

☆☆☆

 家を逃げ出してきた三匹は、やがて、とある屋敷のそばを通りかかりました。

 すると門の上に一羽のオンドリがとまっていて、ありったけの声でさけびたてていました。

「きみは、腹の底までジーンとひびくような声でないているが、いったいどうしたんだい?」
と、ロバが聞きました。

「なあに、いいお天気だと知らせているところさ」
と、オンドリは答えました。

「なにしろ、きょうは聖母さまの日だろう。
聖母さまが幼子キリストさまの肌着を洗濯して、かわかそうという日だからね。

ところが、あしたの日曜にはお客さんが大勢くる。
それで、なさけ知らずのおかみさんが、このぼくをスープにして食べちまえって、料理番の女に言いつけたのさ。

だからぼくは、今夜、首を切られちまうんだ。
それでせめて、声の出せるいまのうちにと思って、のどの破れるほどないているところさ」

「おい、おい、なにを言っているんだい」
と、ロバが言いました。

「殺されるのがわかっていて、なぜ逃げ出さない。

いや、それよりおれたちと一緒に来たらどうだい。
おれたちはブレーメンヘ行くところだ。

死ぬくらいなら、それよりもましなことはどこへ行ったってあるさ。
第一、きみはいい声だ。
おれたちが一緒に音楽をやりゃ、たいしたもんだぜ」

 オンドリは、この申し出がたいへん気に入りました。
 それで今度は、四匹そろって出かけました。

☆☆☆

 けれども、ブレーメンは遠くて、一日ではとても行けません。

 やがて夕方になり、一行は、とある森で夜をあかすことにきめました。

 ロバとイヌは、大きな木の下にゴロリと横になりました。
 ネコとオンドリは、木の枝にのぼりました。

 木のてっぺんを寝場所に決めたオンドリは、ふと、遠くのほうに、火がちらちらしているのを見つけました。
 そこで仲間に声をかけて、そう遠くないところに家があると言いました。

「それじゃ、そこへ行くとしよう。
どうも、ここの寝心地はよくないからね」
と、ロバが言い、みんなは、あかあかとあかりのついている家の前まで来ました。

☆☆☆

 一番、背の高いロバが、まどのそばへ行って、中をのぞいてみました。

「なにが見えるね、じいさん」
と、オンドリが聞きました。

「なにが見えるかって。
これはすごい。
うまそうな食い物や飲み物が、いっぱいならべてあるテーブルがあって、そのまわりにドロボウどもがすわっているぞ。」

「食い物か。
そいつをいただきたいもんだ。」
と、オンドリが言いました。

☆☆☆

 そこで動物たちは、ドロボウを追いはらうには、どうしたらいいだろうかと相談をはじめました。

 そして、いろいろ相談したあげく、うまい方法が見つかりました。

 まず、ロバが前足をまどにかけて、イヌがその背中に飛び乗る。
そのまた上にネコがのぼり、最後にオンドリが飛びあがってネコの頭の上にとまる。
 
準備が出来ると、みんなはいっせいに音楽をやりはじめました。

 ロバは、ヒヒーン。
 イヌは、ワンワン。
 ネコは、ニャーニャー。
 オンドリは、コケコッコー。
と、なきさけびました。

 それからまどをつきやぶって、四匹がいっせいに部屋の中へ飛び込みました。

 ドロボウたちは、ビックリして飛び上がりました。
 お化けが飛び込んで来たにちがいないと、思ったのです。

 みんなはふるえあがって、森の中へいちもくさんに逃げて行きました。

☆☆☆

「よしよし、うまくいったぞ。
さあ、ごちそうを食べよう。」

 四匹はテーブルについて、のこっていたごちそうをおいしそうに食べました。

 それこそ、お腹がはじけるくらい、いっぱい食べました。
 四匹はごちそうを食べおわると、家のあかりを消して、それぞれ寝心地のいい場所を探しました。

 ロバは、わらのつみあげてある上に、
 イヌは、戸のうしろに、
 ネコは、かまどの上のあたたかい灰のそばに、
 オンドリは、天井の横木の上に、
 みんな、疲れきっていたので、すぐにグッスリと寝こんでしまいました。

☆☆☆

 さて、真夜中になって、ドロボウたちが帰ってきました。

「いやに静かだな。
もう、お化けはどこかに行ったのかもしれんぞ。」

 そこでドロボウのかしらは、手下の一人にようすを見に行かせました。
 手下が行ってみますと、家の中はシーンと静まりかえっています。

 そこで台所に入って、あかりをつけようとしました。
 ところがそのとき、この男は暗やみに光っているネコの目を炭火だと勘違いして、その目にいきなりマッチをおしつけてしまいました。
「フギャー!」
 ビックリしたネコは、ドロボウの顔を思いっきり引っかきました。

 ドロボウは、あわてて裏口から逃げ出そうとしました。

 ところが、そこに寝ていたイヌのしっぽをふんでしまったので、イヌに足をガブリとかまれてしまいました。

 ますますあわてたドロボウは庭へ飛び出して、わらのつんであるそばをかけぬけようとしますと、今度はロバに蹴飛ばされてしまいました。

 おまけにオンドリも、このさわぎに目を覚まして、
「コケコッコー!」
と、さけびながら、ドロボウのあたまをくちばしでつつきます。

 ボロボロにされたドロボウは、なんとか、かしらのところへ逃げ帰りました。

☆☆☆

「おかしら、あの家には、おっそろしい魔女(まじょ)がいます。

いきなり、あっしに息をふっかけたかと思うと、長い指であっしの顔をひっかきやがったんでさ。
戸の前には男が立っていて、ナイフをあっしの足に突き刺しやがる。

庭には黒い怪物が寝ころんでいて、こん棒であっしをぶんなぐります。
おまけに屋根には裁判官がいて、『その悪者を連れて来い』と、どなりながら、あたまにペンを突き立てるんです。
とにかく、あっしゃは、ほうほうのていで逃げてきました。」

 その話を聞いたドロボウたちは、二度とこの家には近づきませんでした。

☆☆☆

 いっぽう、四匹の動物たちは、この家が気にいってしまい、ブレーメンには行かずに、この家でずっとくらしたということです。
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くるり  『アマデウス』'05 (オーケストラ・ヴァージョン)

2010-09-13 02:29:55 | 音楽帳

【9月13日 深夜0:30 南千住駅前のスロープ】

■疲労・憤怒で眠れない夜に・・・・■

先週になってしまったが、金曜の晩までの憤怒を溜めながらの資料作りと、金曜の晩の罵声と暴力的な態度と酒は・・・・納得行かないまま、土曜の2日酔いとウツ状態に繋がっていった。

日曜日も、昼には一度起きたが、ふさぎ込んでしまい、ずっと、ござの上で横になって耳だけで撮り溜めた音楽・ラジオ番組を聴いていた。

16:00炊いたご飯にシャケのふりかけをかけて食べた。
胎内に吐き出せないで居る『重い想い』。

MZ師としばし話すが、「月曜の資料準備に会社に行くよ・・。」といいながら、その後、また再び寝てしまう。

起きると、デジタル時計は21:00を告げていた。
「やばい」と思う部屋は真暗。

お風呂を沸かし、2日間寝たきり老人だったカラダを癒したのち、家を出て22:00駅に向かう。

23:00仕事場の明かりを付けて、パソコンを立ち上げ、作り掛けの月曜日の資料を仕上げ、部数分コピーし、準備を整え、机を整理し・・・・再度、全部の灯かりを消して、駅に向かうが、あるのは0:13分の終電のみ。

仕方なく、南千住まで行き、そこから歩いて、家に帰る事にした。



救いなのは、涼しい事ぐらいだった。
心中のもやもや感は、高まって消えない。

***

結局、歩ききって、白鬚橋を渡り、家に帰ると1:00.



かなたには、ガズって頂上まで見えない東京スカイツリー。

***

こんな夜には、ビールと枝豆をやりながら、スローバラードの名曲、唯一の6つ上のアニキに教えてもらった『アマデウス』という大好きな曲が聴きたくなる。



YOUTUBEには、プロモーション・ヴィデオとしても傑作だった動画は消えてしまっていたが、オーケストラとのヴァージョンを見つけ、それを聴きながら、ココロを鎮める。



つらい夜だ。

***

『アマデウス』Byくるり

アマデウス きみはどうしてそんなに 高らかに歌えるの
アマデウス 僕はどうしてこんなに 胸が苦しいの

時速は200キロ越えて 真っ青な荒野かけぬけ そんな間も
胸の中スローバラッド スローバラッド スローバラッド

アマデウス きみはどうしてそんなに 臆病者なの
アマデウス 僕はそろそろ腰を上げて 椅子をたたむよ

知らん間にこの世界すら 君のものじゃなくなってた
そんな顔しなさんな
旅はこれから これから 旅はこれから これから
コメント (6)
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