こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2012年9月30日 日曜日 デヴィッド・シルヴィアン 「9月(セプテンバ-)」「銃を持った少年」

2012-09-30 16:01:31 | 音楽帳


近くにビールを買いに出た。
そこでいつものように、くねくねと細道のラビラントを写真を撮りながら歩く。







お花を撮っていると、その路地の1階建てに住んでいるおばさんが出てきた。
「不審者扱いかなあ・・・」と思ったら、「キレイに撮れますか?」と笑顔で話しかけてくれた。
家の横にグリーンカーテンが作られている。
おばさんは、その葉をいじりながら話しをしてくれた。

かたちんば「今年は、植物もかわいそうでしたね。
いくらお水を上げても暑すぎてヘタっていましたね。」
おばさん「そうなのよ。このゴーヤもね。
去年は大きくて・もっと白かったんだけども。かわいそうだよね。
ほうら、こんな葉っぱがしなっちゃって。」
かたちんば「去年の暑さの方がマシでしたね。
ようく、この細道を通ってはグリーンカーテンを見て、心配していました。」
おばさん「そうだったの。今日は雨が降るらしいから、少しはみんな生き返るといいんだけどねえ。」

会釈をしてわかれた。

***

同じ「新参者」の自分だが、周囲には新築が狭苦しく建つ中、そういう移動者たちが不愉快で、自分は一切口を利かない。
三ノ輪生まれもここではまだ浅い新参者だが、下町を巡り歩く独り者として、愛する中の1つの街が向島であって住んでいる。

だが、どうも周囲の新築移動者のツラを見ると、そんな匂いは一切感じられず虫唾が涌くので、一切関わらない。
相手も、ひそかに心の中に銃を持つ自分には近づいてこない。

***

今度は、おばさんのところに、何かおみやげを持ってお話しをしに行こう、と思っている。







やっとデヴィッド・シルヴィアンの「9月(セプテンバ-)」が聴ける程度の風情になってきた。
明日からは10月。
9月最後の日にこの曲を聴く。

■デヴィッド・シルヴィアン 「9月~銃を持った少年」■


空高く陽は輝き こだまする笑い声

鳥たちが古びた教会の 十字架に襲いかかる

ぼくら恋しているんだねと口に出してみる

ひそかに雨を待ちわびながら

コーラをすすりゲームを楽しむ

9月がまたやって来た。

9月がまたやって来たんだ・・・・・。
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2012年9月29日 土曜日 「秋」の訪れ

2012-09-29 08:10:35 | 音楽帳


悲しいほど、おてんき。
そんなセリフを思い出すほどの、真っ青な空。
日差しはやわらかくて、朝6時半の光は、窓から見える家並みに陰影を付けている。

平日の心の暗闇トンネルがウソのように真っ青な空は、まるで水彩絵の具のよう。
やっと、秋の訪れを感じる。





1週間の業務を終えて、夜とぼとぼ帰り、ビールを痛飲する。
1本飲むとそれだけで十分で、1時には真っ暗な中で横になる。
ラジオを聴きながら、2本目のビールを呑んでいたら、そのまま眠りに堕ちていた。
夢は相変わらず、自分を困らせる窮地のことばかりだったが、起きて逆にそれが流されていく(ことにしたい)。

起きるといくたびもくしゃみをする。くしゃみが終わると、またくしゃみ。
くしゃみが出そうで出なくて・・・を何度か繰り返してくしゃみをする。
やっとTシャツ・短パンに装備したものの、それでも寒い夜だったのだろう。

天気予報では30℃になると言うし、あまり話し過ぎると、いつものごとく逆のことが起きる。
それが心配でもある。
秋と言えば夏に戻り、まだ夏と言えば温度が低くなるから。

ただ、もう苦しむことは無いように思う。
ネコは、たんまりまどろむがよい。
魚たちは、水の中を安心して泳ぐがよい。





今週、まだ気張って半そでの夏シャツで過ごしたけれども、そろそろころもがえしないといけないのかも。
季節の変わり目を感じて、持病の頚椎ヘルニアとそれに連動した頸・肩のコリ、頭痛、目の血が出そうな感じの痛みが復活した。



こんなやっとの一拍・境目感には、こんな曲を・・・・・とシングルEP盤の箱をまさぐる。
今日は、めずらしく探していたものが出てきた。普段はなかなか見つからないのに。。。
偶然の出会いに託した1987年以降の、音楽への旅。

大学時代、家から大学まで1時間半以上かかった。乗り継ぎが悪いと2時間近くまで。
だから、ということだけでもないけれども、1週間のうち2日程度しか家には帰らなかった。
お酒を呑んだり・話し込んでは、先輩・後輩の家にころがり込んでは、転々と放浪していた。



この曲は、そんなある日。先輩の家においとまをして、夜の東大和駅を目指す。
暗い道の向こうには駅の明かり、手前に信号の明かり。

家に戻って、真っ暗な部屋でじっとして、FM東京をひねる。
「SONY・サウンドビジュアート」が放送されていた。
その曲の流れに反応して、途中なのにむずむずとして、ラジカセの録音ボタンを押す。
音楽へのあきらめが生まれた後に流れていた曲は、先進性はカケラもなくて、ごくごく身近な些細な出来事を曲にした音楽。
それが逆に新鮮だった。

■エクスポゼ 「シーズン・チェンジ」/ Expose「Seasons Change」'87■
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2012年9月28日 金曜日 Smiths  「Please,Please,Please・・・」

2012-09-28 07:04:10 | 写真日和










































■ Smiths 「Please, please, please, let me get what I want」■
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2012年9月26日 水曜日 「糸」

2012-09-27 00:04:06 | 音楽帳


「視え」ない過去
「視え」ない未来

「今」一点の「孤」を照らす月

これらをつなぐのは、想い、描き、そして語り続けることだけ

■Fennesz & Sakamoto 「Oto」(アルバム『Cendre』)■
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2012年9月24日 月曜日 「闇を伝って」

2012-09-24 22:46:38 | 音楽帳

【sleeps with the fishes】

長いこと光の射さない世界に居たので、「私」は眼が悪い。
暗がりをヒタヒタと伝って、何とか生を繋いできたので、まばゆい光や高温に弱い。

表向きは無反応そうなフリをつつも、心の深い井戸の奥底では殺意と敵意が煮えたぎっている。
それでも、「ココロを無に」と言い聞かせて、過ごす平日の人間のていをなした時間。

このゆがみ・ひずんだ構造こそが、「私」の暮らす「世界」のリアリティそのものである。

***

此の世は、官も民も(何が正しいか?不明なれど)「正しさ」などという基準・縮尺・論理では構成されていない。
同じイカサマ同志、同朋であるのに、イカサマがイカサマを責めている構図。もしくは責めているフリ。
所詮は、どちらも三文芝居に過ぎない。

正気であれば見えることは、どうやら其の手の世界では、正では無い。
欺瞞と矛盾と理不尽を抱えながら、あたかも最終的には正義を語っているかのように振る舞うイカサマ。
それにダマされる者、ダマされたフリして拍手でコビを売る者・・・。
喝采に満ちた絢爛豪華なヤクザ世界。

***

汚泥にまみれたそんな地点から遠く離れた、4ADレーベルの独自性ある音。
静寂と美が何たるかを音楽で示した面では、比するレーベルは無い。
「緩やかなる連携・連帯」が、ここでは実現化している。その産物こそが『this mortal coil』に結晶されている。
産業音楽・経済営利音楽隊に「NON」を突き付けながらも、堂々とその静謐世界を展開し、多くの人の心の深みにまで到達する音楽を創り上げた。

コクトーツインズは、その4ADの中核を占める貴重なる存在だった。

偶然の出会いに、音楽を託すこととなった1987年以降。
ムーン&ザ・メロディーズとの出会い。
そんな出会いが皆無では無かったが、1987年発表された4ADザイモックスのピーター・ヌートンとイーノファミリーのマイケル・ブルックの共作を、リアルタイムでは経験していなかった。



このアルバムは、大阪に行った1991年以降、中古レコード屋さんで出会った。
いつ・どこで?がいまいち思い出せない。
ただ、レコードの「エサ箱」で、このレコードに出会ったとき、
4ADのアルバムということもあったが、裏ジャケットのナゾの生物の墨絵のような絵に惹かれて、即購入を決意した。

アルバムのタイトルは『sleeps with the fishes』。「魚たちと眠る」。。。。
このタイトルだけだと、トロピカルな南洋の海をも想起するが、この裏ジャケットを見れば、
違う世界の文脈であることが一目瞭然分かる。
魚は魚でも、潜伏する山椒魚を思わせる。

買って正解だったのは、このジャケット通り、たとえ澱みの中でも、生命を繋いで行こうとする閑かな想い。
その想いが満ちた美しい音楽が、ここにはあった。

■Pieter Nooten & Michael Brook 「Searching」’87■
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2012年9月23日 日曜日 「雨の日には・・・」

2012-09-23 14:35:13 | 音楽帳

どしゃぶり、というのを気づかないほどに、眠りの海に居た。
目覚めると12時。
脳がとろけている。夢をずいぶんと見た。

つい、三善英史(みよしえいじ)の歌が自動的に頭に浮かぶ自分を「おやぢやなあ」と笑ってしまう。
「あ~めに~濡れながらぁ~、たたずむヒトが居るぅ~・・・」

夢に、嫌いな人も好きな人もたんまり出てきた。
友人MZ師に言わせれば、夢もその人自身にとっての現実の一部。
夢は起きると断片しか思い出せない。嫌いな人は除外して、夢の断片。

●アラン・パーソンズPJ「アンモニア・アヴェニュー」のアメリカンコミック風にも見えそうな、小さいクルマで狭い街を、キュンキュン・くねくね移動。
何かが起きる前触れというので、みんな現場へ急ぐ夜のダウンタウン。

●とある川の鉄橋のたもとに、何人かで居る。空はくもりの灰色。
電車が走るたびに、地震時のような異様な揺れ方をする。何人かで見ながら「相変わらず、この風景はすごいね」。
どうやら、日々日常の中の光景らしい。
その駅あたりは、様々な電車が交錯するのだが、この川を渡る電車は後から出来たものらしく、それが理由で揺れるらしい。東京のローカル電車。

●たんまり送られてきた公募のアート作品を整理して、みんなで袋に入れている。
アルバイト的風景?もしくは新聞屋の風景を思わせる。
袋に入れ終わったら、「はい、先生。これはMIXで、なかなかですよ。」と横のたけしさんに渡す。
すると、たけしさんが赤黒さまざまな色の油性マジックを持って、袋に書き込む。
「はい、MIX 99点」と書き込み、顔のいたずら書きをするたけしさん。

***

雨が降ってくれることが、外に行けない理由となってくれるので、今日は安心して引きこもれる。
三善英史というと古い、と思われるが、80年代で思い出してしまうのが「雨音はショパンの調べ」。
小林麻美というタレントだか女優だかモデルだか・・ようわからん存在が歌っていた。
これは、1983年にヒットしたガゼボの「アイ・ライク・ショパン」のカバー。

自分が初めてこの曲を聴いたのは「高橋幸宏のオールナイトニッポン」だった。(トシ矢嶋さんが送ってくれた最新レコードより)
小林麻美はどーでもいいが、ガゼボは好きだった。
確かお金持ちの貴公子だったと記憶している。

■Gazebo  「I Like Chopin」'83■


カバー曲というと、ずいぶん80年代の「歌謡曲」にはたくさんあった。
アメリカ&イギリスでヒットすれば、すぐにそれをアイドルに歌わせていた。

まだ「カバー曲」と表明するだけマシで、ひどいのになると、パクリなのに日本人の作曲クレジットだったり・・・。
そんな最低行為の産物の1つに、プリンスファミリーのシーラEのかっこいい「グラマラス・ライフ」を、そのままパクった石川秀美の「もっと接近しましょ」がある。
当時「おいおい、それはあまりにそのまんま過ぎるだろうが」と思っている同世代は多く居た。
そんなこともあったっけ。

PS:渋谷陽一さんのサウンドストリートで、こういうパクリ曲の特集回があったことを思い出した。
ブルース・スプリングスティーンやスタイル・カウンシルと佐野元春、マドンナとレベッカなど。。。
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2012年9月22日 土曜日 「秋分の日」の夜明け 「これにて一件落着」か?

2012-09-22 06:43:03 | 音楽帳
1時半に、いつもの通りおくすりを飲んで、真っ暗闇にカラダを横たえる。
眠りとは、いわば生の中の死の時間。いったん生の時間を絶つことで再生させる日々のON/OFFスイッチ機能。

・・・と思いきや、足に激痛を覚える。足の親指がピンコ立ち。
最初は片足だったものが、次第にもう片方の足へ。

両足が吊ってしまい、必死に眠りと覚醒の境界線で指を曲げたりして、吊るのを緩和させようとするのだが、なかなか収まらない。
激痛との闘いを数十分。・・・やっと収まると、起きてしまい、外を見れば次第に夜が明けていく。
時計は5時を指していた。

びっこを引きずりながら、夜明けの空に向けて、何枚かシャッターをパンパンパンと切る。
窓を開けると、未だ無かった湿度・温度の低いおだやかな空気。

長々と続いた暑さも「これにて一件落着」か?
そうであれば、愛する動植物・生き物たちには幸いなれども。

いつもどおり、パンツ1枚の裸族で寝たものの、やたら鼻をすすっている。
夏、ねっとりした暑さへの対処は、やっと緩めて良いのかもしれない。
しかし、雨が降れば、その翌日は反動で暑くなる、を繰り返すのは恒例なので、まだ警戒態勢は崩せない気もしているが。。。

昨日は、やっと30℃を切った。
最高気温26.9℃・最低気温23.1℃の東京。

このグラフは、9月の日別の最高気温と最低気温の流れ。
ためしに深層深い1981年9月と今年の9月の東京を比較して作ってみた。(気象庁データ参照)

赤は今年2012年、青は1981年。
実線は最高気温・点線は最低気温。
たかだか30年で、こんなにも状況はひどくなっているのが、可視化されてわかる。

青線の1981年、月末に1日だけピョコッと気温が上がった日はあったものの、9月に入り、だらだらと温度が低下傾向に入っている。
これに反して赤線の2012年の最低気温が、1981年の最高気温とほぼ重なっており、最高気温は30℃越えが続いてきたのが明白に見える。

地球は、長いここ数千年の歴史の中、この100数十年でそれまでの数千年と違う世界を作ってしまった。
そう言われることが多い。
ここ100数十年とそれより前には、確実なる断層線が入っている。
たかだか30年ごときで、気温1つとってもこの有様。
我々が居る渦中の世界。これが如何に異常世界なのか?
過去の先人には理解されない。
数千年をたかだか100数十年で壊してしまった異常世界に突入しているのは、何も気温だけのことではない。

***


涼しくなるのはありがたいことだが、気分は妙に冷ややかな状態で覚醒している。
久々に、ブライアン・イーノの「ミュージック・フォー・エアポート」の「1/2(ワン・オーヴァー・トゥー)」が脳に流れ出したので、夜明けに聴いていた。

■Brian Eno  「1/2」1978■
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2012年9月21日 金曜日 「秋分の日」前日=「いまだに夏」の夜

2012-09-21 23:41:09 | 雑記帳


今年の盛夏は、珍しくずいぶんと食欲があった。
暑さに弱い自分の肉体が、その方角を向いたのは偶然だろうか?
あるいは、その不思議な現象は、心身が緊急を感知したからなのか?
要因は不明。

最近は、欲しいと思える最低限以上の食をとらない。
そんな元の姿に戻る。

***

魚、豆類、それにお米。
豆は、ナッツ・枝豆・納豆・豆腐等々。。。。。

豆腐はつくづくおいしいものだと、最近改めて思った。

安い豆腐を買ってはならない。
消泡剤なし、と記載されたものを探して買って食べた。
ほんとは、なつかしい笛を吹きながら「とお~ふ~」。。。。
と自転車でやってくるお豆腐屋さんをその場で捉まえるのが一番だが。
お皿を持っていくと、自転車の荷台の箱の水の中に浮かんだお豆腐。
懐かしい。。。
しかし、そんなお豆腐屋さんがプーッと流している時間に、自分はアウシュビッツに拘束されている。

日々、調味料でごまかしがちな、乱暴極まりない食への気付き。
そこから、調味料うっすらで食べるようにする。
その行動は、健康おたくの「塩分ひかえめ・・・」とは無縁である。

ほんの少しのダシしょうゆでお豆腐を食べる。
そこではじめて、その素材自体がどうなのかが分かる。
豆腐という色形をしただけのニセモノと、本物の豆腐の違いが分かることを、今大事にしている。

***

野菜は正直、日本の流通に乗ったものにはほとんど味が無い。
幼い頃に初めておいしさを理解して克服した時のピーマンは、もっと苦くて・濃い味だったように思う。
今、食べるにがうり(ゴーヤ)くらいの感触。

そんな野菜は悔しいかな、もう二度とその大陸には立ちたくない某国で食べた「<自分ら>用野菜」の旨さにはかなわない。
逆に言えば、それ以外の輸出品は農薬三昧で、それが日本の流通ルートに流れている。
ゆえに、最近は、生産者の顔・届くまでの経路が見える野菜を好む人たちが増えた。

幼稚園の遠足のはるかなる記憶のかなた。
松戸の畑でさつまいもを引っこ抜いた体験。青空の下でうれしかった時空。
土のにおい。その頃、お芋は美味しかった。

味が無い、と分かりつつ、つい近くのスーパーで・・・
と、安直に済ませる習慣はやめねばならない。
そう、今は思っている。

***

~今夜の夜想曲~
かつて、'83年1月の寒い夜。
クロスーバーイレブンで出会い、エアチェックしたアイスハウスの曲。
日本で2枚目の発売だった「プライベート・マン」より流れた「グラム」、そして自国の大地を歌った繊細なる名曲「グレイト・サザン・ランド」。。。

■Icehouse 「Great southern Land」 '82■



【神保町で発見した、'89年再発されたシングル盤。アイヴァ・デイヴィスのクレジット。】
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2012年9月20日 木曜日 「 みず」

2012-09-20 22:39:32 | 雑記帳


最近は、お水(水道水)を朝から飲む。
好物のお茶も飲み、また、少しのお茶「2」に対して冷たい水「8」で薄めて飲んだり・・・。

この世の動植物の基本は「水」で回っている。
何もそれは、割高で暴利を含むコンビニエンスストアに行く必要などない。
蛇口をひねれば、きれいな水が出てくる。
日本は、きれいな水に囲まれた国。
水道水がそのまま飲める国は少ない。

昔、日本に来た異国の人が「蛇口」だけを買って帰った、という実話があった。
「蛇口」を魔法の道具と思い込む。
そこに至る心境の背景を、自分は外国に行って初めて知った。

「東京の水はカルキ臭い」と地方の人にはよく言われてきたが、私にはわからない。
これだけ景気の低迷長き中でも、見かけ倒しの贅沢を欲する平和ボケが蔓延しているからだろうか。
より贅沢へ・・・と向かうだけならば、限度は無い。

但し、高級ホテル、と呼ばれるホテルの部屋で、蛇口をひねると茶色の水が出て来た某国に行って・帰って来れば、水に困らない日本という国が、如何に稀有なる国かが分かる。

■Bvdub 「There Was Nothing But Beauty In My Heart」2011■
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2012年9月18日 火曜日 二〇十二年九月・御茶ノ水~神保町 その2

2012-09-18 22:12:58 | 写真日和




























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