こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年7月31日 金曜日 「夏の音色 Hawaii ’01/'15」

2015-07-31 23:32:36 | 音楽帳

ピーター・バラカンさんの声を朝・聴けなくなったのは残念だが、そのあとインターFMで今放送されているヴァンスKさんのDJはすがすがしく心地良い。
この人の語りには、無理強いや嫌味のない明るさと楽しさと優しさがある。
自ら演奏するウクレレ、そこにハワイのおだやかさが漂う。香ってくるようなものを感じる瞬間がある。

数少ない外国に行った経験の1つがハワイ。それも撮影という仕事。
実は、個人的旅行で海外に行ったことは一度もない。
ハワイ行きは、仕事の計画を何とか正当性を持って練り、周囲の説得を通して獲得出来た一週間の滞在だった。まだ仕事に対して熱い心を持っていた頃。

ヴァンスKさんの放送を聴いていると、あのときのハワイの鮮やかで優しい自然の色・おだやかな波の音・光の純度を想い出させてくれることがある。

ハワイというと、中心地は日本観光客ばかりで、”いったいここはどこ?”という、海外でやりたい放題連中のひどい状況を見た。
しかし、この一週間の旅は、そんな観光客用場所とは無縁のひとけないところ。
ほとんど人が居なかった場所たちには、その空間の広さ・空の広さを感じた。
家を借りて、そのオーナーの親族の家を巡り歩いて、撮影兼宿泊をした。
食事はみんなスタッフで買い出しをして料理を作って食べていた。

家の庭がそのままビーチになっていて、人っ子一人いない、というお家でも撮影と宿泊をした。
そこはマライア・キャリーがお忍びで休暇を過ごす家だとも聞いた。

着いた当初、色と光の世界に魅了されっぱなしだった。
デジタルカメラではない、愛用の街歩き用であるリコー・コンパクトカメラでシャッターを切り続けた。

毎朝自然の光と音で目覚める。そのとき驚いたのが、鳥たちが本当に歌うように/しゃべるように、朝日にうれしそうに鳴いている声だった。
今でも鳥たちがうれしそうな風景や声を聴くことはあるが、この朝の出来事は不思議な経験だった。

ただ、日に日に仕事が進み、家を転々としていく間に、疲れが出てきた。
幸せな楽園に居て、ほんとうは疲れなんかないはずなのだが。疲れというよりは恐れである。

来る日も来る日も、ひたすら空は青く、大きなヤシの木が揺れている。海は時間と共に色を変えては輝いている。バナナボートを漕ぐ人たちの姿が見える。
日が昇るのは早く、夜の方は8時を回ってからでないと暗くなって来ない。
ときおりスコールが通過するが、それも大した降り方でもなく、あっという間に元に戻る。基本的に”変化”というものが見えにくい。

次第にその楽園に怖くなっていった。四季もなくすべてが美しすぎることに対して。毎日毎日すべてが美しくおだやかであることに、奇妙なうずきを感じるようになった。
この永遠はいつまで続くのであろうか?そこから考えて行くと、過去から未来に向かって時を止めたその楽園ではずーっとこうだったし、今後もこうなのだという事実。

ハワイに移住される方も多く居るが、私がもし移住したら、すぐにボケてしまうだろう。そう分かった。
また、楽園は永遠に続くだろうが、その美しい世界で、人ひとりがいかにちっぽけな存在であることかと気付いた。

キミのことなんか気にしていないよ、とばかり大きくヤシの木は揺れ続け、見下ろされる自分。
髪を振り乱す巨大鬼のようなヤシ軍団。時計なんかじゃ時は測れるもんか、この永遠の楽園ではどうせキミなんか・もうすぐ死んでしまうんだからね、とカラカラとヤシは笑っていた。

そこから無性に日本に帰りたい、東京に帰りたい。そんなメランコリーな気持ちになった。

このハワイへの旅にどんな音楽を持って行っただろうか?と振り返る。砂原良徳さん・久保田真琴さん・・・・そうだった、と想い出す。吹き抜けの大広間、みんなで作ったご飯を食べながら、持参したCD「アンビエント・ハワイ」を掛けた。
音楽にうといスタッフの一人に「こういうゆるい音楽が好きなんですか?」と訊かれて笑った記憶がある。

日本に帰った後、セレクションCDを作った。しかしそれは1年半後、ハワイ熱がなかなか去らない中、2002年夏につくったもの。

今日、このクニのこの夏の異常さを離れてしまおう。
そんな気分になれた一日だった。
それはヴァンスKさんのおかげでもあるが、それだけでもない。このクニのねごとに付き合っているヒマはない。そう吹っ切れたからである。

尋常ではない今年の猛暑。帰り道、なじみのねこたちはペッタリコンとつべたいタイルに貼りついていた。余計な動きは余計なエネルギーを使う。今夜はカリカリはやめておいた。
どんな手段を用いても多くのなかまたちが、この暑さをしのいでくれることを祈る。

■アンビエント・ハワイ(久保田真琴・サンディー)■
今夜、汗かいて探したが、当時ハワイに持って行った「アンビエント・ハワイ」のCDが見つからない。そんな折、この探しているCDまでyoutubeにアップされている2015年。
出来たらちゃんとお金を払って、このCDを買って欲しいのが本音だが、今夜の暑さを少しでもしのげれば、と大事ななかまにだけ、暑中お見舞いとしてささげる。

リズムもビートも要らない世界にたゆたう快楽。


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2015年7月30日 木曜日 「夏の音色 M+M=Smiths・・・M+_=・・・・・」

2015-07-30 23:41:13 | 音楽帳

今週はフジ・ロックの現場で演奏された音が合い間に流れるインターFM。
今日、雑然とするなか耳をそばだてた。聴いた音。日常音の間からスミスの曲と認識する。
いったい誰が演奏しているのか?、と耳を近づけて「ジョニー・マー」と分かった。
曲は「ビッグマウス・ストライクス・アゲイン」。

じゃあ、ヴォーカルは誰なんだろう?という部分までは聴けなかった。
その後、スミスのアルバムから「ハウ・スーン・イズ・ナウ?」が掛かった。確かにこの曲のメロディはジョニー・マーに全ての権利はある。

ここ一年あたり渋谷陽一さん含むロッキンオンのライターさんのサイトに行く時がある。
ほとんどは渋谷さんのペイジばかりだが、渋谷さんのその演奏への記事を読む。その下に山崎洋一郎さんの引用があり、クリックして読んだ。
http://ro69.jp/blog/yamazaki/128085

ジョニー・マーのソロに対して、山崎さんが書く”ザ・スミスの「ビッグマウス・ストライクス・アゲイン」、「ゼア・イズ・ア・ライト」もやってくれて、やっぱりこみ上げるものがあった。”という言葉に感化された。
今夜は、スミスを聴いていた。

***

リアルタイムで好きだった曲はあるが、私は決してスミスの全面的なファンではない。
日本でスミスのLPが発売されたのは1984年。当時のリアルタイムカセットには、クロスオーバーイレブンからエアチェックした「ホワット・ディファレント・ダズ・イット・メイク」が、オーストラリア勢のミッドナイトオイルやメンタル・アズ・エニシングなどと同居して在る。

今夜は想い出すことが多い。

当時(土曜も)排球(バレーボール)部の練習後、あしたのジョーのように燃え尽きた中、なかまとクタクタなカラダを引きづりながら、JR大塚駅へ向かう空蝉橋へと昇っていく坂道をだるく歩いていた。
当時の自分には、仕事でもないのに仕事以上だった。

でも、そこには明滅する夜に向かう街の灯り(今気付けばラヴホテルや風俗街)があり・空があり・やっと寸分の休み、という喜びがあった。
その土曜の夜は独りパーティーと決めており、様々な深夜テレビ番組と深夜ラジオにひたる贅沢が待っていた。それが一週間耐えた自分へのささいで大事な解毒のためのごほうびだった。

そんな深夜、ラジオ日本で湯川れい子さんの「全米トップ40」が終わった後に始まる深夜2時「全英トップ20」を(毎週ではないが)聴いていた。当時埼玉にいた場所ではラジオ日本は入りが悪く、ラジオチューニングに苦労した。それは東京でも変わりないものだった。

日本よりも一早くイギリスの音楽チャートを伝えるこの番組で紹介される曲は、まだ日本国内で発売されていないものも多く、海の彼方への臨場感があり、とても重宝した。DJは大貫憲章さんとスヌーピーこと今泉恵子さん。
平日には「サウンド・プロセッサー」という22時にはじまる2人の番組を、練習後帰宅し毎夜楽しみにしていたが、番組としては「全英トップ20」のほうが歴史は長かった。

***

「全英トップ20」には”インディー・チャート”というものがあり、メインのレコード会社で組まれたチャート外のトップ5が存在した。そこを席巻したバンドなりレーベルはメインのレコード会社になるかその傘下に入る、あるいは移籍する。
このチャートで今でも覚えているのは、スミスが1位~3位を独占した頃、それに、コクトーツインズ含む4ADレーベルが独占した頃のこと。

そんな中の一回。スミスの特集があって「ウィリアム・イット・ワズ・リアリー・ナッシング」「ヘヴン・ノウズ・・・」などが掛かった。あるいは、この”インディー・チャート”コーナーのテーマ曲が「ウィリアム・・・」だったこと。それが紹介する大貫さんの声と共に想い出される。
ちなみに、その前のテーマ曲はポール・ウェラー率いるジャムの「ギフト」収録の「サーカス」だった。

遠回りした話だが、スミスに対する記憶はこのへんで聴いた曲が一番刻まれている。
音そのものより彼らの背景についての詳細を知りうるのは、解散後大学で出会った不思議な友人からだった。

***

彼は未だ唯一無二の友人だが、私にとってはぶっとんだ存在で、絵を描くアトリエ部屋でいろんな話を聴き、目が透けて見える薄めのサングラスを掛けてギターをよく弾いていた。
彼から「これ創ったから」と追っ付けられたカセットテープを強要されながら、スミスの曲を小刻みに聴いてきた。それは東京を引き離された90年代大阪へも送られ、異国でそれを聴いてはスミス教を学んだ。

私はゲイでもバイセクシャルでもないが、彼はなかなかのイケメンであり、私からは髪型といい背格好といい、モリッシーそのままをなぞらえているかのように似ている。
未だ独立独歩、組織にも属さずバイトを続ける彼は、未だ当時となんら変わらない。見た目もそのパッションも。

80年代から90年代初め当時、彼にとってはスミス=ジョニー・マーであり「モリッシーなんかどうでもいい」と言っていたが、パソコンすら無い当時、黒ペンで書かれたカセットテープの演奏者らんには「スミス」ではなく「モリッシー&マー」といつも記されていた。

ようくこう書く自分をウソつきと言われ、また自らそう言うのだが、これはまぎれもなく生きてきた中で出会った事実なのである。
渋谷さんや山崎さんが語ることと重ねると、何か時間が相当経過したようにも思えるのだが、反面で何も変わっておらず、時間を超えて変わらないモノを感じた今日だった。

■The Smiths 「Bigmouth strikes again」1986■
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2015年7月24日 金曜日 「夏の音色 Mille」

2015-07-24 23:23:50 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ

”好きなものが、わたしを強くする。
好きなものを守るために、強くなる。

目に映るものを見つめる力。
目には見えないものを信じる力。
今ここにあるものを味わう力。
ここではないどこかを夢見る力。
今ではないいつかに想いを馳せる力。

好きなものを、愛したい。
大切なものを、大事にしたい。
いくつもの「好き」を、いつまでも忘れないように。”(丹所千佳)


■Pupa 「Anywhere」2008■
時節柄、1982年の今ごろ、毎日聴いていたロキシー・ミュージックが到達した地点「Avalon(桃源郷)」への想いがよみがえる。稀なる透明感と恋心を抱いてやまないこの曲への一途な想いとともに。

本日一日お休みをいただいた。夏バテで丸一日横になっていた。
相変わらずの猛暑に始まり、不安定な天候は次第にカミナリの音、そして雨音を聴いた。
つね外に身を追いやる自分が、丸一日室内に居るなんてことは、いまや本当に珍しい。
そんな折、この端正な文書に出会った。

去年から今年の冬歩く中、夜の外灯が点いた古本屋の軒先。
そこで見つけ購入した雑誌『Mille(ミル)』2013年12月増刊号。
上記は、この本の冒頭の一文である。丹所千佳さんはこの本の編集者。

買ったはよいが積んであったこの雑誌を今日めくったことには、中島らもさんが言っていた「その日の天使」が居た。ページをめくると豊かな写真と詩的文章。だから買ったのだが放置していた。
「女の子」的なものが多いと感じる。(近時ハヤリの「女子」的ではない。)

丹所さんがどんなプロフィールの方かは知らないが、一文から伝わってくるもの。
とてもチカラ強い信念を感じる。それでなければ、厄介ごとをひっくるめて一冊の本を創り担うなんてことは出来ない。丹所さんが意図したものが、ちゃんと一冊の中に展開されている。

1984年に出会った雑誌「LOO」を想い出す。
丹所さんが言わんとすることはよく解かる。それを視る側の自分は”そうは想えど”もうその地点から別の地点に移っている。それは自ら動いたものもあれば、周囲の様相がおかしくなったからもある。
熱い想いとそれを定着させた一冊。”時を超える夢”などを込めた内容がまぶしい。

たた好きなものに没頭していられたのは、育ててくれた人たちが与えてくれた空白余地あってのこと。
そんな場所で出会えたものたちは一生刻まれるが、人は次第にそうも行かなくなる。
イヤでも好きだけでは済まなくなる。しかし、現実に目の前で見た夢のような出来事を手放し・あきらめることはない。

*現代は「人はパンのみにて生くるにあらず」のみではない。「人は検索のみにて生くるにあらず」も言っておいたほうが良い。
検索しているヒマがあったら、みずから動いて、いきあたりばったりの何かに出会った方が良い。
たぶん、つまらん洗脳を回避するのも含めて、今選ぶべき生き方はそれなんだろう、という直感にはまちがいはない。
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2015年7月22日 水曜日 「夏の音色 夏期講習~先生たちと過ごす夏~」

2015-07-22 23:26:41 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ

早いもので7月も20日を過ぎた。
連休を境に子供は夏休みに入り、朝の集団登校族も見なくなった。電車は少し空いてきたように思うが、暑さは容赦無い。気象庁は連休のスキマにぽろっと「今出しておかないと、あの年みたいになっちゃうよ」と梅雨明けを宣言。相変わらず湿気強い猛暑の中、汗だくになって歩くのは続けているが、日差しは強くとも風ある野外のほうがマシかもしれない。むしろ室内の密閉空間の方が苦しく危ない。すでに二度ほど室内熱中症的な感じになったので、暮らし方に注意を払わねば、と思う。

冷たいものや過剰な飲食はしていないが、日曜から腹を下し続けた。
月曜からのだるさは、歩き過ぎやこの腹痛のせいでもない。それまでの感じとは明らかに違う。月曜は室内で「ああ、だるいな」と横になって起き上がれない。トイレに行くのと水をコップに入れたいのとで、頑張って立ち上がり数分うろうろしたが、平衡感覚がおかしい。ちゃんと歩こうとしても歩行が斜めになってしまう。おかげで持ったコップの水をひっくり返した。

これはいわゆる夏バテというヤツかもしれない。マズイと思い、カラダからの欲求も伴い、くだものや野菜をせっせと食べた。昨夜はそこに景気付けを、と実家でもらったウナギをおいしく頂いた。土用の丑を待たず。

昨年の今ごろ本屋さんで出会ったみうらじゅん先生の「さよなら私」を昨日今日読んでいる。
厚さ1センチにも満たないその文庫本は、見開き2ページで完結するような短文で完結したエッセイを集めたもの。読みやすく分かりやすいが、だからと言ってすーっと通り過ぎる軽さはない。一見やさしそうな文章だけど、かなり深い内容となっており、何度も推敲されたものと思える。

 「思い返せば不安でなかった日など一日たりともありませんでした。
 なにかしら不安のたねはころがっているものであり、どこかしら不安の風は吹いてくるものです。
 もし、不安じゃなかったときがあったりしても、それは単に不安を忘れているだけのことで、また気がつけば新しい不安はすぐそこに待ち構えているのです。
 不安の反意語が「安定」なんて嘘。安定なんてそもそもこの世にはなく、油断している期間をそう呼んでいるにすぎないのです。
 そんな言葉にだまされて、さらにそれをキープしようと願う人がいます。いつか痛い目に遭うことは確実です。
 生き物の宿命は別離であり、死別であること。この最大の不安から逃れることがない限り、安定などあるはずがありません。すなわち、不安をなくすということは生きることを否定すると同じ意味なのです。
 もうあきらめるしかないが正しい。
 しかし、人は不安と真っ向に対峙したとき、必ず成長するものです。
 ただ単に年をとれば大人になれるわけではありません。目の前の不安から逃げないで、どうにかうまくつきあっていこうとする気持ちが大人にするのです。
 それにはできる限り他人にやさしくするのがいいでしょう。他人が喜ぶことだけを考えて、それを趣味に生きていけばいいのです。
 偽善だって言われてもかまいません。
 とにかく少しでも自分に興味をなくし、自分以外のものに興味を向けるべきなのです。」
(みうらじゅん作「さよなら私」より 『不安こそ生きてるあかし』)


VOW(バウ)や雑誌類など、みうらさんの笑える本はある程度持っているけれど、こんなにも真面目なみうらさんの文章を固めて読んだのは初めてだった。(「アイデン&ティティ」は映画は好きだが、本は持っていない。)

昨年夏、じりじりと暑い休みの日、空は真っ青だった。
セミの鳴き声がひたすら聞こえるなか、育ちの良い元気なきゅうりに水やりをしながら、何かとてつもなく孤独感を覚えた島の昼。
室内でめくる「さよなら私」にはしゃれにならない重さがあった。人が持つ心の核を突いていて、ヒリヒリした。

「シリアスになろうとするけど、シリアスが続かないんですよね」とついサービス精神から黙っておけなくて、人を笑わせてしまうみうらさん。そんなみうらさんの長きに渡る好きなことへの追及。その間に自ら悟ったことたちは、坊主や宗教家の現実味ない説教よりリアリティと説得力がある。

一年ぶりに読み返す「さよなら私」。めくって読んでは唸る。
その一方で、ネットでみうらさんの動画を見て楽しむ。昨夜は「ゴロウデラックス」という稲垣吾郎さんの番組ゲスト回を見て笑っていた。

■細野晴臣&横尾忠則 「肝炎」1978 (By「コチンムーン」)■

みうら先生の絵。松本清張先生、海女さん。



みうら先生の師である横尾先生の油絵
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2015年7月18日 土曜日・深夜 「夏の音色 いとおしさと切なさ・1」

2015-07-19 00:57:49 | 音楽帳

【1982年6月18日 東京プリンスホテル 坂本龍一&ホルガー・シューカイ】
ただ淡々と音楽を創るだけで音が天才的開花するのに、1982年後半以降・坂本龍一は野心的になっていった。

男が男を恋してはいけないのだろうか?
などとゲイのせりふを気取るつもりはないが、1981年までの”きょうじゅ”の孤独な背中への想いは、確実に恋だったのだろう。
それは、幸宏へも、細野さんへも、D・シルヴィアンへも、その他出会った素敵なマレビトたちへも。

そういう意味では、多くの男たちに恋してきた。
恋が切ないのは、いくら一方的に想おうと叶うことはないこと。
いや、叶うこともあるが、かなった途端に恋はリアルに染まって崩れ落ちていく。これを上手に言語化したのは、中島らもさんのエッセイ集「恋は底ぢから」。

***

坂本龍一は、うぬぼれても良いほどに元から才能があるのに、逆に陰鬱にシャイにとどまっていたのが1981年までの教授。それが私にとっての姿。
矢野顕子と一緒になることを決めて、少し気が緩んだ1982年。アッコちゃんと手をつなぐ写真が載る「愛がなくちゃね」。それから間もなく大島渚に誘われてラロトンガ島で、何の楽器も無い手持ちぶさたの戸惑いの時を北野武と過ごす。

日本に戻って、監督・大島渚に俳優としてではなく、音楽家としてサウンドトラックを創ることを取り付け、曲制作に入る。
カンヌでは映画は賞をもらえなかったが、映画「戦場のメリークリスマス」サウンドトラックの素晴らしさは多くの影響と余波を産む。そして、彼は否定したYMOの外側に行っても、再度取り巻きに囲まれ、周囲からの注目渦中に引きずり込まれた。「細野さんみたいに、トータルコンセプトアルバムを創りたい」というあこがれを掴んだ瞬間。それはきしくもオリジナルアルバムでは無かった。

***

さまざまな偶然が相まって関わることになった映画出演。
しかし、その「戦メリ」の産物であるサウンドトラックの成功は、当時(父親の投影としての)仮想敵であった細野晴臣を超えようとする想いを満たすものだった。

この契機は極めて重要で、[広告代理店-マスメディア-音楽業界]連帯は彼の商品価値に喰らい付き、いっぽうで本人は浮かれた。80年代、その後多大な影響を創る本当の文化の重要な萌芽と事件は1980~3年で尽きており、そこで完成されている。
彼は(仮想敵たる細野さんのバンド)YMOが1983年末をもって亡きあと、本当は敵無き世界にバランスを欠いたはずである。その不安定さは(それ以前に創られた曲としても)仕上げた1984年「音楽図鑑」のチューンに聴こえる。

1986年、他人なら既に数人分以上の素晴らしい作品を創り終えた中で、初めてのソロライヴ、ツアー。坂本龍一34歳のこと。そこには、YMOという敵を失い1人で立つ苦しさと戸惑いと必死さが見てとれた。

***

その後持ち上げられ続ける中で、1987年「ラスト・エンペラー」までが成功する。そこから馬鹿な用語「世界のサカモト」が謳われる。
私の悪しき親族が彼と仕事をしたのは、1989年「ビューティー」前後。幻冬舎・見城徹氏と深夜呑んだりするさなかと思える。時代は狂気のバブル。

1983年以降の坂本龍一は「戦メリ」という、ロッククライミングで言えば岩に打ち込めた杭を手掛かりにして、山を制覇していくことに躍起だった。ただ私にとっての彼が1981年までとそれ以降(一定時代以降は別で元に戻る)で異なるのは、野望を持つか否かである。野望とガッツを持ったからゆえ、それ以降のありえない作品の数々を創り得たのだが、私は彼に野望もガッツも求めていなかった。

坂本龍一父・一亀は、世に三島由紀夫を送り込んだ編集者。
その父を憎み抜いた子供=龍一が、なぜかその言行がどうしても私の中では三島由紀夫に一致する。自ら才能があることを他人から明示され、変な自覚を覚え・厳然たる名誉を与えられるうちに、それを背負うことになっていく様。

女たらしと相反する三島では様相は異なるが、本当に寝食を忘れ仕事に没頭し、狂気じみた執念の下で作品を紡ぎ出していく。そのためには周囲も他人もどうでも良い。
バタバタとスタッフが倒れようがどうしようが、元・健康優良児=坂本龍一の自我を貫くためには、周囲の者が病気や死ぬ犠牲を払ってでも自分の作品を優先する。これが80年代の教授の実像である。その点で過去を振り返るとき「言わずもがな」の教授像で一致する。

名音楽家=善人である必要はカケラもない。音楽さえ素晴らしければ良いのである。
そのためにはあらゆるものを利用する。そして、そこの犠牲に対しての責任を取らない。
周囲のスタッフからの「あの野郎殺してやる」とか「もう二度と彼の仕事はしたくない」。仕事に関わった知人からの肉声と一致する。

これは、いつの間にか周囲に素晴らしい音楽家が現れて接近してくる細野さんとの違いである。日本の音楽史を背負う細野さんが行くところには動植物が集まり、森を形成する。

その2人が(私は見に行けなかったが)和解から時を過ごし、2人だけのライヴをした。
そのさまは素晴らしいけれど、隔世の念もあるし、2人とも妥協してほしくない。老いたような様を頼むからしないでほしいと思う。

***

今日歩く中で、mp3プレイヤーから教授の1987年サウンドトラック曲が現れ、聴き歩くうちに、つい涙してしまった。それは、どれだけ自分が偉大なのか・坂本龍一が偉大なのかを放射するために日夜身を削って、こうもりのように羽を広げて大きく見せようとする様への痛々しさ。きしむ音が美しいメロディに聴こえるから。

wikiで、この曲は坂本龍一は作っていないという周囲のスタッフの批判の声を見たが、結果的には「坂本龍一的」な音楽と仕上がっている。そこに奉仕した人々の苦しみと対立があったとしても、それでもこの曲は私の心に響いて仕方がないのは事実である。

■坂本龍一 「オネアミスの翼」メインテーマ 1987■
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2015年7月17日 金曜日・深夜 「夏の音色 ゆるやかならせん」

2015-07-18 01:57:50 | 音楽帳

世間にうとくなってしまった自分。
世捨て人めいた流れのなか、スキマをぬって、近時視たり・聞いたり・教えられたりすることが多い。外国のコト・日本のコト。

ひょっとするとこれは逆に、世界すべてが芝居である、という明白な化けの皮があからさまに白日の下にさらされることで、決壊した裂け目に何かが産まれつつあるような気がしている。
それは希望と言えば希望かもしれない。

しかし、それを理論立てて説明する能力も無いし、その裂け目は明日になればいきなりふさがせてしまうのかもしれない。だが、単なる幻覚とも思えない。

7月17日 金曜日
遅くまで仕事場でパソコンと闘い頭痛がやまず。マッサージに寄る。
えらくひどいよ、肩も首も、そう言われる。だから来たんだよと、なじみの施術師に言う。

施術師 : ほんとは毎週家まで行って、ほぐしてあげたいけどね。
わたし : ああ。でも部屋が汚いからね。
施術師 : なんで?
わたし : なぜってね。。。

こうして会話していくうち、一回たまったゴミを捨ててしまうと良いコトがあるよ、という施術師の言い回しが妙に説得力あって、後を引いた。

終電近くの電車に乗り、混雑の隅っこを確保し、ウィリアム・バシンスキーの「ディスインテグレイション・ループ」を聴く。ひたすら繰り返すテープループが物理的摩耗によって劣化し、音が崩れていく。
その音の背景に、DVDにもなった9・11後もうもうと煙を上げているマンハッタンの空を思い浮かべる。それが雑然とした電車内の光景への視線にまじわる。
だからといって特別な絶望感は無い。いつものコトだ。

■William Basinski 「Disintegration Loop」2001.9.11■
深夜の電車。途中、島へ向かう閑散としたローカル線に乗り換える。

なんで人はこんなにもくっちゃべってんだろう。
閑散としているのに、目の前の光景は、まるで芝居をする一座のように、芝居じみている。
イヤホンのボリュームを上げる。

ひたすら口を動かす連中が、キチガイたちの夜のパーティーのようだ。三連休前だからと浮かれているんだろうか?こんな光景を見させられるたびに、「連中」ほどろくでもない生き物は居ないなあ、とこころが悪意につい傾く。

駅で降りると、ポリスメンと酔っ払いがやりあっているノイジー。
ぼーぼーと吹く風。その風が気持ち良い。いくら蒸し暑くとも、昨夜より良い。マシだ。

イヤホンの音のループは続き進む。円環のなかを。
歩いて歩いて喧騒をしだいに離れ、ざわめく森と迷路の路地に入っていく。
狭く区切られた視界から見上げると星空。風鈴が満たすラビリンス島に戻っていく。

昨夜は、風吹く場所で涼んだキジトラちゃんに遭ったが、カリカリを忘れた。買って戻るといなかった。
今夜も遭った。今日は持っているカリカリをあげた。そうすると陰からクロちゃんら、おなじみのメンバーが現れてきた。






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2015年7月15日 水曜日 「夏の音色 ウソつきから愛を込めて・2」

2015-07-16 00:12:00 | 音楽帳

今日で熱暑5日目。
とはいえ、今日は前4日と異なった。まるでポスターカラーで塗ったような青空。

今日も北関東での一日。午後都内に戻る。
うだうような暑さで危険は続き、たんまり汗はかいたが、そんな隙間を縫って外で日光浴をすると、風はまださわやかな方でびゅーびゅー吹き抜ける風の中、空を眺める短時間が素敵な日だった。
雲はもう夏雲・入道雲になっていて、その形の移ろいを眺める中で刻まれたDNAは呼応する。

こんな暑苦しい日にもかからわず、夢見れる。
脳裏に夏の訪れに必ず聴くこの曲が浮かぶ。
帰ってCDをひっくり返しがさごそと汗をかいて探すが、この曲を収めたCDが見つからない。それでも良い。

■パーシー・フェイス・オーケストラ 「夏の日の恋(Theme From A Summer Place)」1959■



【2006年スクラップブック兼日記帳より】
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2015年7月14日 火曜日 「夏の音色 ウソつきから愛を込めて」

2015-07-15 00:35:44 | 音楽帳

【6月27日 島のスイレン】
先週梅雨の抑揚のない、まるで果てしなく続くのかな・・・と不安になる陽気だった。
そこから一転して11日・土曜日~30℃超えの炎天下が4日連続となる。極端すぎてニュートラルが無い陽気の変動は、心身に響いている事だろうと思う。

こんな屁理屈はともあれ、生命的に危険だから、エアコンを点けられない境遇であっても、公共の場も利用し倒すことも含めて避難して欲しい。生き抜いて欲しい。そう願う。

そう語る自分は、今エアコンを付けた部屋に居る。
社会に身売り・レイプされることをいとわず・・・と自らの幾分かを諦める対価で、手に入れたエアコンが設置された部屋。
しかし、働いても働いても苦しい人や、少ない年金のなかで工夫をするご高齢の方々が厳然と居らっしゃる現実の中、理屈抜きでとにかく「しのぐこと」をまず、と思う。
最近あった新幹線の事件の哀しさには、図り知れないものがある。

こういう私は生きているだけで大ウソ付きだと思っている。
意識的に思うことも、無意識でいつの間にかウソを付いていたりと様相は時それぞれだが、いくら「世間」の中心的存在ではないエイリアン的であったとしても、それでも社会側に受容された存在である。

太宰治の短編「親友交歓」を想い出す。「お前、友達だろ」と太宰の家に無理矢理押し掛けた”友”。
太宰と奥さんにけしかけては、酒とメシを出させ、さんざん飲み食いし言いたい放題をした挙げ句、最後の去り際「えばんな!」という。
ここで太宰が提示しているものは、ものを書いていることそのものに必ず混じり込むウソであり・人が容易にそれをまのがれ得ない事実。

あるいは、写真家・荒木経惟さん(アラーキー)が「写真なんか表面しか映らねえんだから。どうせウソを付くなら、良いウソを付きたい。」と虚と実を織り交ぜて展開した素晴らしい作品集を想い出した。この荒木さんのセリフには、昭和歌謡の「どうせあたしをダマすなら、死ぬまでダマして欲しかった」というくだりがよぎる。荒木さんの写真を「あざとい」としか表現できない人が居るが、私はそうは思わない。

これらは言うまでも無い事実。
そして、自らに戻れば、何の欲もない無心なら、ブログなんかやっていないはずである。
しかしとりかかってしまい今さらどうにもならない、という言い訳をしながら、誰か1人にでも良かったと思える「良いウソ」があったならいい。そうポジティヴにせねばならない。

世界の中心で愛を叫んでも意味がない。意図的に反らして「見えないことにしよう」と、人の心理が働く隠されたところに愛を込めねば意味がない。

自分より年上の方にいろいろな想いを抱くし、ロクでもないヤツはいる。
それは同世代でも年下でも同じ。しかし、ご高齢の方々に本当の意味で共感を抱き始めたのは、自分の親がまさかという大病をしてからだと思う。
そこから約2年経つが、いかに「世間」がヒトゴトと捉えているかはとうの昔から分かっていたもののヒトゴトではない同一線上で同じ時を生きているかを、遅ればせながら解った。

不思議なもので、そんな構えになると、休みに街歩きをしているさなか、自然と色んな人から声を掛けられる。それは、若かりし頃、宗教団体から勧誘を受けることとは違うものである。
ときに道を尋ねられ、ときに話が盛り上がり一緒に歩いたりといろんな経験をした。
これ以上言うと、また大ホラ吹きになりそうなので止める。

歩くことは、カネが要らぬ割に得るものが多い。
それは”ウォーキング”ではない。ただ歩いて、目の前に展開していく風景に目をやり何かを感じるだけのことだ。そういう趣味を持つのはなかなか良い、と勧めたい。

インターネットは10数年前から今に至る中で魔界になってしまったけれど、いくらお金が厳しくとも、救いの回路として開いておいた方が良い。
新聞やテレビが楽しみな方は多いかもしれないが、魔界も付き合い方であって、選んで見ていけば何かヒントになるものはある。
音楽が好きな方なら、お金を払わなくてもいろんな音楽に出会える。

こうやって、そろそろ大ウソ付きも今日の幕引きの準備に入るのだが、4日連続の猛暑の中、何か希望と清涼感のある音楽を1曲紹介して終わりたい。
「ああ、またおんなじ」と言われても、切実な音楽は良い効能を発揮すると祈って。

■ヒューマン・オーディオ・スポンジ 「Everybody Had A Hard Years」2007■
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2015年7月13日 月曜日  「夏の音色 みずの和」

2015-07-13 23:49:34 | 音楽帳



By Brian Eno "Little Fishes" From"another green world"

きんぎょばち だれかのねてる いきのおと








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2015年7月13日 月曜日  「初夏のサウンド33 歩いたら虹が見えるなら彼方まで歩きたい」

2015-07-13 22:50:45 | 音楽帳

【寺の上に飛行船、あるいはUFO】
ひたすらうろうろする。土曜も日曜も。昔も今も。
歩く旅の基本七つ道具に万歩計が加入したのは最近。
それまでは携帯電話にくっついた万歩計だったが、壊れてしまい、別で買った。

風景に目もくれずベルトコンベアに乗る者。
あるいは、「健康」への妄信に憑りつかれた”ウォーキング”する者。
そう言った人が見る歩数とは、見る方の見方は異なる。

毎日どれくらいうろうろしたかが、数字だけでも並べてみると、
その羅列された数字の起伏に、通過した街の航跡や名残りが漂い、見るだけでもなかなか楽しい。

7月 6日 月曜日  7641
7月 7日 火曜日 13552
7月 8日 水曜日 10958
7月 9日 木曜日  7327
7月10日 金曜日 10315
7月11日 土曜日 18951
7月12日 日曜日 23296


数字から「この日はココでこうしていた」と言い切れれば良いが、そこまでの脳力は無い。
それはパソコン・携帯電話・デジタルカメラ等々、手軽く「安く」手に入れられた便利道具によって確認できるという依存と共に、心身の退却が同時に産まれたものだろう。
それが無いと記憶が成立しないのは実に残念なことだが。

とある発火点から愚にもつかないスクラップブックを再開した。
今度も、カタチとか仕上がりを更に無視して「他人に馬鹿にされるくらいしょーもないけど、自分にだけ意味がある」ものにしたい。

【スクラップブック制作中】
汗をたんまりかいて歩き音楽を聴きシャッターを切っていると、社会的情勢も、自分が位置付けされた位置も、今が2015年という事も全て忘れてしまっている。

この目的なく歩き倒す数十年の情熱。
『そんな情熱が仕事にもあったらね・・・』幻聴が聞こえるが、そんなムダで不名誉な情熱はカケラも持つ気は無い。

ポート・オブ・ノーツと畠山美由紀さんに偶然出会えた2001年。
愛する大好きな曲に「ミッドナイト・レインボウ」があるが、歩いたら虹が見えるならば、彼方まで歩いていきたい気分とでも言おうか。

■石野卓球 「ステレオナイト」2001■

◇土日のプレイリスト◇ 
また入れ替えた。相変わらず意外な順番で曲が現れる。

1・ファウスト 「So Far」全曲
2・スティーヴ・ハイエット 「渚にて」全曲(バスの車窓からには最適)
3・ティアーズ・フォー・フィアーズ 「ザ・ハーティング」
4・ティアーズ・フォー・フィアーズ 「ペイル・シェルター」
5・フライング・リザーツ 「フレッシュ&スティール」(エクステンデッド・ヴァージョン)
6・フィクス 「ザ・フール」
7・トーキングヘッズ 「ワンス・イン・ア・ライフタイム」
8・TOTO 「アフリカ」
9・トーマス・ドルビー 「地平球」
10・テイ・トーワ&椎名林檎 「アップル」
11・トム・トム・クラブ 「愛の気分はパラダイス」
12・U2 「終わりなき旅」
13・ビージーズ 「愛はきらめきの中に」
14・ABBA 「イーグル」
15・ブームタウン・ラッツ 「バナナ・リパブリック」
16・ブロンディ 「ラプチュア」
17・イーグルス 「言いだせなくて」
18・キム・カーンズ 「ベティ・デイヴィスの瞳」
19・プリテンダーズ 「恋のブラス・イン・ポケット」
20・ポリス 「Walking on The Moon」
21・クリストファー・クロス 「セイリング」
22・ルパート・ホルムズ 「ヒム」
23・砂原良徳 「Clouds Across The Moon」
24・細野晴臣(F.O.E) 「Agricul」
25・アンダーワールド 「Mo Move」
26・ハービー・ハンコック 「アース・ビート」
27・レイン・トゥリー・クロウ 「ビッグ・ホイールズ・イン・シャンティ・タウン」
28・砂原良徳 「バランス」
29・ポート・オブ・ノーツ 「ミッドナイト・レインボウ」
30・石野卓球 「ステレオナイト」

























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