かたちんばと、「ZARD」などというものに、接点があるとは思えないだろうが、なぜか、うちには、1枚だけ、シングルCDがあるのである。
それは、1997年8月20日発売の「永遠」という曲。
かつて、「失楽園」というドラマの主題歌にもなっていたそうだが、そんな恍惚老人渡辺淳一のスケベ小説には、縁の無い自分だから、当然見ていないのだが、何かのラジオかTVかで聴いたサビのセリフがキーとなって買ったのだろう。
「君と僕との間に 永遠は見えるのかな」
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1991年4月から、自分は社会人で、右も左もわからぬ大阪に投げ込まれて、もがきながら、ビッコマンと化しながら、はいつくばっている向こう側で、EveryLittleThingやZARDは、自分とは対極の位置に居て、ひたすらかろやかに、ポンコツの営業車のAMカーラジオから流れていた記憶が強い。
うまく生きれない自分にはなしえない、リアリティの低い音楽が日本の主流を占めていたのが、90年代の記憶だとすれば、その中で、不思議に、透き通って、何の悩みも無いかのように、持田香織や坂井泉水の透明なウタは、ふわふわと、遠くに聴こえていた。
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そういう自分が、なぜこのCDを持っているのかは不思議だが、1996年の東京に戻って以降、何かのきっかけで聴いたこのサビが、微妙に、自分とリアルな接点を持ったのだろう。
「君と僕との間に 永遠は見えるのかな」
残念ながら、それ以前も、それ以降も、そういう接近は、2度となかった・・・。
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むしろ、恍惚老人渡辺淳一のスケベさとは違う意味での、スケベさを持つ、かたちんばは、蒲池幸子としてのレースクイーン時代の、日清の金色のハイレグ水着姿なら、脳裏に焼きついて消えない。
昨夜は、蒲池幸子(=坂井泉水)のハイレグレースクイーン時代の雑誌を探したが、荷物の中に見つからなかった。
しかし、あのハイレグ角度▽は、確実に30°を切っていた。
あの食い込み具合が脳裏から離れない。
しかし、それが、同一人物だと言うのにも、自分の中では、未だに理解出来ていないでいる。
正真正銘、蒲池幸子=坂井泉水なのだが・・・・。
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昨日、ニュースを見て、初めて、自分と同い年であったことに気づいて、「えっ!」と思った。と、同時に、仕事場でも「えっ!」と自分に向かっての冷たい視線を浴びた。
確かに、彼女は、美しいイメージのまま、40歳ということも知られぬまま、こういう時を、不幸にも迎えてしまったのである。
いつも、「映像には、余り映らない・映さない」というイメージ戦略で、坂井泉水のイメージは、波紋のように、ふくらみ・広がったが、その果てが、このような突然死という形で幕を下ろすことになろうとは思いもしなかった。
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今夜は、同い年という事を知って、初めて、10年ぶりに、このシングルCDをかけてみた。
永遠に美しいイメージのまま、走り去っていった坂井泉水に合掌。