こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

Gary Numan  「Slow Car To China」'81.09

2011-01-09 17:35:05 | 音楽帳


ゲイリー・ニューマンの「ダンス」というアルバムが発売されたのは、1981年9月だった。

「ダンス」はいわゆる「ダンサブル」という、余り好きでは無い「音楽用語」を想起させる。

この「ダンサブル」という言葉を真っ向から否定するかのように、ゲイリー・ニューマンのアルバム「ダンス」は、「スロー・カー・トゥ・チャイナ」という、実に穏やかで不気味な曲で始まる。

「ミュージック・マガジン」ではボロクソ叩かれていたが、ボクは好きである。

これまた大嫌いな村上春樹の本に「中国ゆきのスローボート」という話しがあるが、それを引き合いにエラソに語っていたのは、スノッブ今野雄二だった。



このアルバムで、フレットレス・ベースを弾いているのがミック・カーン。
愛する不気味な「エイリアン的」存在感ある者同士の融合。

「スロー・カー・トゥ・チャイナ」は9分近い長さの曲だが、比較的ミック・カーンのベースは遠慮気味に、ゲイリー・ニューマンのサウンドの背景に立って演奏している。

コメント (2)
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かたちんば徒然日記  : -20110107→0109-

2011-01-09 13:57:16 | 写真日和
1月7日 金曜日
前夜眠りになかなかつけなかった。

***

木曜日夜は、帰宅すると23:00.
何とかレポートは全体修正完了。
後はOKを貰うのみ。

ノンアルコールビール、タバコで一服の後、
余りに寒いので、珍しく、ラーメンでも作ろう、
ほうれん草を入れて冷凍ラーメンを茹でて食べる。

その後、入浴で温まり、1:30に床に着く。
しかし、眠れず。
ミック・カーンの死、レポート明日朝チェックの上の提出。
いろいろ思考回路の乱れ。

1:30から仕方なく、もう1本ノンアルコールビールとタバコをやり、2:30に再び床に着いた。

***

眠りの浅いまま6:00起床。
目が充血。
ナメコ汁、シャケ、お茶碗半分のご飯。

いつもより30分早く電車に乗る。

仕事場で、前夜修正のレポート、上司に細部を確認して頂きOKのお墨付き。
部数分コピーして提出完了。

その後は、昼ご飯抜きで14:30迄仕事。
即、外出し、医者に急ぐ。
丸の内線-御茶ノ水駅から走る。

15:00の予約時間1分オーバーで順天堂病院の窓口にタッチ。

そうしたものの1時間待ち。

診察→会計→クスリ待ち・・・

病院を出ると18:30.



***

御茶ノ水の真暗になった寒冷厳しい中、写真を撮りまくり。



駅の地下の喫茶店で温まり、タバコとアメリカンコーヒーをのみながら、思考を巡らせ、「ランダム・ノート」にKEYを書き、エンピツで結んだり、本から引いたり、携帯で調べたり・・・

コトバの断片

実存主義
人間であるという病は直らない
与えられた役割をまっとうする


人の目を気にするなんて、くだらないことさあ(忌野清志郎)
=他者の目を気にしないこと≠自己啓発

自己啓発≠社会からの洗脳圧力用語

オウムだけでは無い洗脳圧力

疲れ・・・澱みの中で

日の出6:51-日の入16:43 =陽の長さ約10時間(約40%)
陽40:DarkSide60

内と外

あるべき!=to be ウソ・抑圧
ねばならない!=must 義務
いいんじゃないの~=better



愉しい⇒Relux

全ての状態を包含してmy selfは在る



***

20:30持っている録音機器でフィールド・レコーディングをしながらアキハバラへ向かい歩き出す。
写真を撮りまくる。

21:00~23:00ブックオフで本、CDを探す

本3冊購入。
・柳美里 言葉のレッスン
・森行生 ヒット商品を最初に買う人たち
・月泉博 流通戦略の新常識



24:10帰宅
それからネットしながら、音楽、思考三昧

1月8日 土曜日
気が付くと8:00.
また徹夜。

そこから爆睡。

完全な仮死状態。

1月9日 日曜日
なんと26時間睡眠で、10:00にそこから脱する。
ラジオを付けると安住さんの声。

完全にカラダがラリっているので、緑茶、チオビタドリンク、コカコーラ500mlを飲み干す。
ブログにコメント頂いた方々、それぞれの想いに、返信をしたためる。
イーノ&ララージの「メディテイション」をリピートして聴きながら。

そうしている間に12:00が来た。

たばこが切れて、買いがてら散歩&買い物。



春のようなあったかい小春日和。

餅つきを見る。
たばこ、ノンアルコールビール、食材を買って帰る。

13:30いくら・タラコ・海苔をかけたパスタを食べる。

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音楽帳 : 曲名・アーチスト名不明曲のナゾ解き

2011-01-09 09:00:00 | 音楽帳
エア・チェック三昧だった中高生を経て、カセット・テープには録音した後「やはり消そう」とか、「この曲の後には、これしかないだろう」などと試行錯誤の跡が残る。

2011年現代のデジタル/コピペ文化と大幅に異なり、カセット・テープを聴くには早送り・巻き戻しは出来ようとも、曲順を並べ替えたり、間を詰めたり、などという高尚な事が出来なかった。

時には、カセット・テープの間のムダ部分をカットし・セロテープで繋げるという「高等な手術」を試みもしたが、注意せねばならないのは、カットはA面・B面共にカットされるので、相当なテクニックと鍛錬を必要とした。

***

よくネットで「家出捜索」の如く「これ何ですか?」募集しているように、曲名・アーチストは分からないが、後で聴いてみて「コレはイイ!」という曲があったりする。

NHKに電話して「いつの何時ごろの放送でかかった曲はなんですか?」という質問をして、係りのおじさんが、タイム・スケジュールと資料をめくりながら・・・
「いいかい。これはね。ジョニ・ミッチェルの”れでぃーず・おぶ・ざ・きゃにおん”って曲だ。
峡谷の女ってヤツかね。。。へへへ。」
と憎めないおじさんに助けてもらった暖かい経験もある。

しかし、ランダムに録音したり消したり・・・そういう行為を繰り返した後に放置されたカセット・テープという物は、整理のために聴き出したら、曲の途中であきらめてストップ・ボタンを押した後に、下からムニュ~っと顔を出すように出てきた音楽が「ああ、いつ録音したか分かんないけど、イイ曲だなあ・・・困ったなあ・・」という事態が付き物だった。

こんな「曲名・アーチスト名不明」の音楽のナゾ解きを、2011年44歳になっても、実は続けている。
そんな曲は、まだまだたくさんある。

「聴ければいいじゃないか」というのは正論なのだが、やはり、そのルーツを知りたいのは、ヒトの本性。
あきらめがつかないもの・・・。

***

そんな中、神保町の古本屋で、当時より高価な’80年代のFM雑誌を「たぶん、この当たりに聴いたはずだ・・・。」と目検討とカンで買い、その番組表をめくりめくり、やっとブチ当たった捜査線上に現れた曲が1曲ある。

それは、結果から言うとフリーズというバンドのインストゥルメンタルの曲・「スパイ・オブ・バクダット」という曲。
録音の元は、どうやらクロスオーバーイレブンに違いない・・という、大捜査から判明したもの。

ところが、フリーズというバンドは「I・O・U」という曲では、アーサー・ベイカーがプロデュースしてヒットしたが、それ以外のネタが’80年代に存在しない。
アーサー・ベイカーは、当時、ニューオーダー「コンフュージョン」、シンディ・ローパーの12インチなどを手がけたが、この「I・O・U」という曲の感じとカセット・テープのメロディアスでフュージョンの香りもする曲とは相結び付かない。

自分はとにかく、日々もんもんと中古レコード屋さんめぐりをしていた。
何も、この1曲に限らず、掘り出し物を発掘に・・・。

***

そんな中、1枚300~500円で、前回の「BON」テープの話題同様、野外のエサ箱で風にさられて「後は売れなきゃ、廃棄処分だな。別に万引きに会っても構わない。そのほうが処分するのは楽だ。」という店主によって絶壁に立たされたレコードがたくさんある。

ボクは、ガラクタ同然で、風に吹かれたレコードたちを、手を汚しながらめくる。
かなり傷んだレコードも多く、確かに「これは売れないな。」という代物もあったが、こういう中に発見があるもの。

妙に気を引くデザインに1枚取り出して見ると、それがなんとフリーズのLPレコード!



「観た事も無いデザインのレコードだ。」
興奮しながら、ウラを見ると「あった!B面最後の曲だったんだ”スパイ・オブ・バクダット”」
感極まり、ニンマリ・・・。

かなり荒く扱われてきたせいで、輸入盤でもあり、ジャケットの傷みもひどいが、中身は「聴ける」レベルの盤質。
ベガーズ・バンケットのレーベル・デザインも相変わらずカッコイイ。



店主には「宝」を掴んだことを気取られまいと何気ない顔でお金を払い・買う。

店を出てから、再度ニンマリ。

***

レコード・プレイヤーからmp3に変換して、最近よく、この「スパイ・オブ・バクダット」を聴く。
こういう埋もれた名曲がたくさんこの世にはあるんだろう。

次世代に歴史的遺産を繋ぐのは、神保町のような古くても中身を重んじる稀有な町の文化だが、そういう中、多くのレコードが処分されていくのは忍びない。

それを拾いながら公の場に広げるのも、自分らのようなサブ・カルチャー人間たちの役割なのだと思う。

コメント (3)
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