今週も真ん中水曜日まで来た。
若干疲れもあるが、あえて明るい曲を。ひさびさに。
【7インチ・シングル×2枚組の輸入盤より】
■Propaganda 「Duel」1985■
1983年暮れにアート・オブ・ノイズ/トレヴァー・ホーンが、ニューウェイヴ状況への新たなる殴り込みをかけたZTTレーベル。
なにせ「イントゥ・バトル=戦いに向けて」ですから。
それは、サンプリングマシンというたんなる道具を「音楽」にまで仕立てたYMOの革命「テクノデリック」以降であるが。
音楽家の先端とオーディエンスの状況は一致しない。
結論としては、ZTTがかき回したものは、その後のニューウェイヴの終焉へのスタートだった。
アート・オブ・ノイズ、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドと並んで、ドイツ色のの強いプロパガンダは「ドクター・マブーゼ」でデビューした後、アルバム「シークレット・ウィッシュ」を経て、1985年・一転してきらびやかでポップな「デュエル」なる新曲を発表する。
わたしはとうに素浪人のデッドゾーンに入っていたが、その中でも、この「デュエル」の光には救われた瞬間が多かったように思う。
若干疲れもあるが、あえて明るい曲を。ひさびさに。
【7インチ・シングル×2枚組の輸入盤より】
■Propaganda 「Duel」1985■
1983年暮れにアート・オブ・ノイズ/トレヴァー・ホーンが、ニューウェイヴ状況への新たなる殴り込みをかけたZTTレーベル。
なにせ「イントゥ・バトル=戦いに向けて」ですから。
それは、サンプリングマシンというたんなる道具を「音楽」にまで仕立てたYMOの革命「テクノデリック」以降であるが。
音楽家の先端とオーディエンスの状況は一致しない。
結論としては、ZTTがかき回したものは、その後のニューウェイヴの終焉へのスタートだった。
アート・オブ・ノイズ、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドと並んで、ドイツ色のの強いプロパガンダは「ドクター・マブーゼ」でデビューした後、アルバム「シークレット・ウィッシュ」を経て、1985年・一転してきらびやかでポップな「デュエル」なる新曲を発表する。
わたしはとうに素浪人のデッドゾーンに入っていたが、その中でも、この「デュエル」の光には救われた瞬間が多かったように思う。