こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年1月30日 水曜日 Propaganda 「Duel」'85

2013-01-30 23:12:10 | 音楽帳
今週も真ん中水曜日まで来た。
若干疲れもあるが、あえて明るい曲を。ひさびさに。

【7インチ・シングル×2枚組の輸入盤より】
■Propaganda 「Duel」1985■

1983年暮れにアート・オブ・ノイズ/トレヴァー・ホーンが、ニューウェイヴ状況への新たなる殴り込みをかけたZTTレーベル。
なにせ「イントゥ・バトル=戦いに向けて」ですから。

それは、サンプリングマシンというたんなる道具を「音楽」にまで仕立てたYMOの革命「テクノデリック」以降であるが。
音楽家の先端とオーディエンスの状況は一致しない。
結論としては、ZTTがかき回したものは、その後のニューウェイヴの終焉へのスタートだった。

アート・オブ・ノイズ、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドと並んで、ドイツ色のの強いプロパガンダは「ドクター・マブーゼ」でデビューした後、アルバム「シークレット・ウィッシュ」を経て、1985年・一転してきらびやかでポップな「デュエル」なる新曲を発表する。

わたしはとうに素浪人のデッドゾーンに入っていたが、その中でも、この「デュエル」の光には救われた瞬間が多かったように思う。






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2013年1月29日 火曜日 George Winston 「Stars」

2013-01-29 23:25:11 | 想い出かたちんば
ウィンダム・ヒル・レーベルへの違和感は、こないだ話したが、ジョージ・ウィンストンの「スターズ」なる曲との偶然の出会いは、良いものだった。
1984年、じぶんは文武両道極道的男子高校のバリバリ童貞三年生。打ちのめされる中、心身共にボロボロになった土曜日の夜。
独りだけでの隠れての酒・タバコでのパーティー。
夜23:00から23:30は、東京12チャンネルの「日立サウンドブレイク」と日本テレビの「タモリの今夜は最高」の掛け持ちだったが、次第に「日立サウンドブレイク」の方に惹きつけられていった。

1984年10月27日の放送は、詩人・文筆家・佐々木幹郎さん演出の「Red Magic」なる回だった。
ここで、倉庫街ののっぺりしたコンクリート、10トンコンテナが積まれた空間を、オンナが歩く映像の中で「スターズ」が流れた。
■George Winston 「Stars」■

この頃の「日立サウンドブレイク」は、出色の出来映えが多く、ヴィデオにして売り出したら・・・と思うくらいのクオリティだった。
世間が「環境ヴィデオ」「映像と音楽とのコラボレーション」などとはやし立て始めた頃だが、サウンドブレイクはわたしが知るその前から続いてきた、音と映像を結ぶ番組であった。

「Red Magic」は、どうやら横浜港付近で撮影されたと思えるが、曲はほとんどアート・オブ・ノイズの12インチ「イントゥ・バトル・・・」を中心のテーマに据えていた。
その合間に掛かったジョージ・ウィンストンの「スターズ」は、本来持つ曲の位置から離れ、映像と共に、別のコードとして配置され、じぶんを魅了した。
世紀末的だったり、陰鬱的だったり、すえた匂いを漂わせたものとして響いた。

下は、1月2日にハブ噛み師匠と歩いた隅田川沿いの千住関屋町。
かつて2人で、そこに放置されていた廃墟空間に漂う、昭和40年代の香りに誘われ写真を撮りまくった。そこ生息していたネコたちとも出会った。
しかし、すべては壊され、また何か新しいモノが出来ようとしていた。
消えたものは、二度と復活しない。
ただひたすら、無味乾燥なモノへシャッターを切り続けた。
頭の中で「Red Magic」における「スターズ」の音と映像が流れていた。






















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2013年1月28日 月曜日 Steve Hackett 「Kim」'83

2013-01-28 23:05:09 | 想い出かたちんば

朝、ひらひらと小雪が舞い散る中、傘を差して仕事場に向かう。
公園では、ハトさんたちがちょこちょこ。
最近は、ハトにも至近距離で近づける。その動くさまを見るのが、朝は楽しい。

***

過去のノートには記載モレしているのだが、東京12チャンネルの「日立サウンドブレイク」で1985年1月頃だと思うが、上野公園のゆったりした朝から日暮れまでを追った回がヴィデオテープにあった(テープは遭難中)。
とてもゆるやかな時間の流れの中で掛かった曲たちが、記憶に刻まれるような愛おしさを持っていた。
その中の1曲。
上野公園に降り注ぐ冬の陽、エサをついばむハト、陽を受けて輝く樹々の映像が、脳裏に焼き付いている。

今日は、自分がそこで偶然出会った名曲、スティーヴ・ハケットのアルバム「ベイ・オブ・キングス」に入った「キム」という曲を。
そこに、何枚かの冬の写真を並べてみる。
■Steve Hackett 「Kim」1983■



















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2013年1月27日 日曜日 徒然写真日記

2013-01-27 13:58:35 | 写真日和
すこーしだけ、気持ちをやさしくするために、ネーナを聴いてみる。
ネーナの中でも、特に好きな「?(クエスチョン・マーク)」。
■Nena 「?(クエスチョン・マーク)・ドイツ語:Fragezeichen」 1983■

この曲自体は、1983年リリースだが、ぼくらがネーナの存在を知ったのは1984年の「99ルフトバルーン」だった、という人が多いだろう。
80年代前半には、イギリスから派生してオーストラリア(アイスハウスなど)・ドイツ(DAFなど)・そしてヨーロッパ各地の音楽を探索した人は、じぶん含めてたくさん居ただろうが、まさかドイツから全米・全英チャートインするアイドル的人気の曲が出てくるとは思いもしなかった。

当然、日本国内ではネーナはアイドルチックな人気で、オリコンチャートでもヒットしていた。
「ネーナ」とはバンドの名前なのだが、ヴォーカルのネーナ・ケルナーに由来する。
彼女がとっても可愛かったので、曲にも癒されたが、彼女の声・表情に癒された。
「当時、やはりドイツ人というのは違うもんだなあ~」と思ったのが、可愛い表情で手を振るネーナのわき毛がボーボーだったこと。少年の目には「ええっ」と、そのちぐはぐさが焼き付いた。

黒木香が、ボーボーのわき毛で「SMっぽいのすき」というアダルトビデオの夜明けを飾ったのが1986年の末。
村西とおる先生と共に、やたらと丁寧なコトバ遣いで、とてつもないエロスを展開するには、まだ遠い時代。

そもそも当時ビデオデッキは高価な商品で、じぶんが手に入れたのは、1987年4月、大学入学のお祝いに兄がプレゼントしてくれた地点に始まる。
そんな硬派の兄ですら、ネーナにはイチコロで、当時、LPレコードを買っていた。曲も良かったが、ネーナ・ケルナーの魅力は多くの人を惹きつけた。

***

全然「徒然写真日記」ではないところに、いつもの通り著しく脱線してしまった。
まあ、刺身のツマとしてでも、写真を添えよう。

神田須田町の「やぶそば」。ハブ噛み師匠・MZ師2人で、かつて旅をした際に入ったらしいが「旨くもなんともない、やたら高い割に量が少ないそばだった」とのこと。
まあ歴史があるから旨いとはならないだろう。よく風情や伝統で誤魔化しているパターンも多いだろうし。

昨日、順天堂での定期検査を終えて、カメラ片手にふらふらとしていたら、このあたりに差し掛かった。
「ミャーミャー」とどこからか、子猫の声が街の雑踏の音に混じって聞こえて来る。
どこだ?どこだ?と探ると、ビルとビルの間に白い物体を発見。
近づくと産まれて間もない子猫。

クリクリした可愛い目をしている。お腹が空いたのかな?と思って、カリカリを置いたが食べてくれない。警戒が強く、粘りに粘ったが、ビルの合間の奥に引っ込んでしまった。
こんな街で産まれて暮らすのは大変だろうけど、生きていくんだよ。







朝に、夜に、とカモさんたちが川で楽しそうに、大勢の仲間とつどっているのを見るのが好きである。
じぶんも仲間に入れて欲しい、と思いながら、自由に暮らすカモたちを眺める楽しみ。
よく夜の見えにくい中、軍団で川面を泳いでいると、鳴き声が聴こえる。何を会話しているだろうか。

今まで使ってきたデジタルカメラは、代々電池式のモノ。
理由は、ようくある「薄型・持ち運びラークラーク・旅のお供に」というウソから。
今はもっと進化しているのだろうが、形を小さくするために専用バッテリータイプがほとんど。じゃあ、その専用バッテリーの持ち具合は?どれくらいの時間使えるの?結果としては、旅のお供になんかなりえない・あっという間にバッテリーゼロの駄目設計カメラだらけだった。

しかし、今持ち歩いているデジタルカメラも、酷使しすぎて不具合が出始めたので、次のカメラ探しをし出した。
店員さんにこの質問を投げかけたところ「かつて、そういう使い物にならない商品だらけだったが、今はかなり改良されていますよ」とのこと。
使わない機能なんかどうでも良いので、主要な機能だけを見て選ぶつもり。

















最近、パスタをたんまり作って・たんまり食べてしまうが、食べたら即寝てしまう。
このところ、そういう日々を繰り返している。




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2013年1月26日 土曜日 China Crisis  「Forever I & I」'83

2013-01-26 12:25:06 | 音楽帳

かつて、イヤミ大好きな自宅待機の暇なネット住民から、英語で「お前は永遠にお前という牢屋から脱出出来ない」と揶揄された。
当然スルーしたが、本音は「キミもそうでしょ?」そんなことは、とうに偉人・カフカが小説にしていること。

よく人生を仕事に掛けたりする者や、スケジュール帳にびっしり予定を埋めて日々遂行する人が多いものだが、「社会がどうのこうの・・・仕事がどうのこうの・・・」と言いながら、残るものは何なんだい?

世間の狂騒にまみれる中にじぶんを刷り込ませることで、じぶんへの存在不安を消そうとしている強迫神経症と、「私」は判断・断定する。「お前がお前という個を捨てる覚悟をしたなら、そうしなさい」と親切にアドバイスする。

「じぶんという牢屋」であることは、全員同じである。「出口なし」であるのは全員だ。
ただ、「個」に立ち戻った際に、そのじぶんが一体何だったのだろうか?などという愚問・馬鹿な吐露を死ぬ間際にはしたくはない。それだけのことだ。

1983年~素浪人の夏には、チャイナ・クライシスの12インチシングル「ファイア&スティール」は、じぶんの定番だった。
問題は、B面2曲「ドックランド」「フォーエヴァー・アイ&アイ」という大好きな曲。過去にも紹介したものだが。
当初なぜ「アイ&アイ」なんだろうか?と思った。
「永遠にアイ&ユー」だったら理解しやすいが。

幼少の頃、三面鏡が怖かった。親が居ない独りの部屋で見る三面鏡に、奥まで続く自分の姿。
また自分が像を結ぶ鏡の中の自分に「お前は一体、誰なんだ?」という違和感を覚え続けた記憶。

エディのベッドルームで録音され、ギャリーがそこにシンセを重ねた「フォーエヴァー・アイ&アイ」。
イギリスから遠い距離にある日本で、その音に共鳴して毎夜・真っ暗な部屋で聴いていた自分。
チャイナ・クライシスならではの優しい曲もだが、タイトルにも深いものを感じる。
■China Crisis 「Forever I & I」1983■



朝起きたら、緑茶を飲むのは数十年にわたる決まりごと。
今朝もやかんでお湯を沸かし、幸福の一杯を飲む悦楽。

今朝、思い出したのが「喫茶去」(きっさこ)という言葉。
記憶をたどれば、ノイローゼの出口なしの中、脱出口を探して、生き方・悩み相談本を買っては読んでいた頃に出会った言葉。

茶家の元に、さまざまな相談や悩みを持って、その小さな茶室に現れるのだが、茶家はただ「まずは、お茶をお上がりなされ」。
質問の内容がどうあれ、それを一切聞かず「まあ、お茶をお上がりなされ」。
そんなくだりがあった。
「私」が悟りを開いているわけではないのだが、この言葉がよぎる土曜日の朝である。

疲労困憊である。
そこには、複雑骨折した大事なお袋さんへの心配や不安もあろうし、実家・自宅・つくば・仕事場を行き交った疲れもあろう。
天候不順の中で過ごすネコたちへの心配でもあるし、実家付近で見なくなったクロちゃん・ミーちゃんへの不安でもあるし、免疫力が明らかに落ち気味のカラダへの不安でもあろう。
(仕事への悩み・不安が絶えないのはいつものことだが)直感的に感じる・何かが身近におとずれそうな不安でもあろう。

ともかく、疲れが取れない。挽回できない。

QPコーワは、よく効く、じぶんに合った頓服剤なのだが、これはその日に効いても、翌朝どーんと落ちるのが副作用なので、
多用や依存は出来ない。

***

振り返ると、最近、よりいっそうに静かな音楽・痛々しい音楽ばかり紹介しているのはわかっている。
とはいえ、嫌いなロックや「元気」という嫌いな言葉を感じさせる音楽を掛ける気にもならない。
音は、心身に作用する。音と心身は一体とも言える。風景だってそうである。
空を見上げるには、そういう意志が働いている。

広い世界にたくさんある宝物の音楽・写真・アート。
「少し偏りがひどいね」と精神科医は、じぶんに言うだろう。
しかし、偏りがひどいのは生まれつき育ててきたじぶんの本性とDNA。
ネコが季節に応じて、心地良い場所を住処とするように、じぶんもそうしているだけのこと。

***

星の数ほどあるブログ。ブログなんてえのは、単なるオナニーのようなもの。
今やネット上にあふれるようになったネタを、適当に組み合わせればいくらでも仮想空間は作れる。

スケベ心がゼロでは無いにしろ、誰もが集まることは、このサイトのもともとのコンセプトには無く・想定外。大勢に押し寄せられても困る。
公的に開かれた窓でありながらも、自閉・鎖国したサイトみたいなものである。
何人来ようが来まいが、そんなことはどうでも良い。
あくまで、同世代の人たちの、ある瞬間のきっかけやヒント、止まり木であれば良いだけのことに過ぎない。
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2013年1月24日 木曜日 「街のにおい」~玉の井~

2013-01-24 21:50:59 | 写真日和

世の中、必死にゼネコンにカネを落とすために、東京という街は、過去から延々と破壊され続けている。
そういったものへの、じぶんの数十年に渡る絶望は、とうに涅槃を過ぎている。
最近であれば、経済を回すために東京駅を破壊して・あえて昔に戻すプロジェクトだったり、記念の場所・万世橋駅を含む淡路町・須田町のローラー潰しだったり、徐々に進む上野解体だったり・・・・。

「不景気・不景気・・・」と言いいながら、ボンボンボンボン新しい建物が建つ、この日本という不思議な国。
一方では、崩れかけた高速道路や橋があり、犠牲者が出始めた惨状。

そんな利益誘導だけが暗躍する中でも、じぶんは幼少の元・夢遊病者の延長で、懐かしい匂いや佇まいを求めて、街を迷走し歩いている。
街には、街それぞれの匂い、というものがある。
そんな匂いに導かれて、ネコさんやイヌさんの如く、クンクンと空気や気配や距離感を働かせ、迫り来る「東京未来都市化」の波間を縫いながら、今日も野良として、にんげんさまに「変なヒト」というレッテルを貼られながら、写真を撮りまくって歩いている。

「未来都市」にも、匂いが無い訳じゃあ無い。
MZ師が、今仕事で通っている「千葉ニュータウン」には、何一つ街の匂いが無いという「死滅」「空虚」という匂いがある。
かつて営業していた「多摩ニュータウン」にも、野良ネコ排除(=抹殺)を必死にしながら、強迫神経症の現れとしての「潔癖症」が姿となった、理路整然とした「キレイな街」というニセモ空気の匂いがする。
北千住の古い街を破壊して、でーんと出来た東京電機大学移転場所には、メタリックでハイパーな生き物全てを排斥する暗雲の匂いがする。

消えていく街へのノスタルジアを感じながら、今日もぼくは路地を迷走している。
ラビラント玉ノ井。

アメ公が実行した東京大空襲をも間逃れ、まだノラネコや路地や古い家などが、デコボコと温もりを残した大好きな街に暮らせる幸福を感じながらも、彼方から大波が来るざわめきが聴こえる中、ひたすら歩き・ひたすらシャッターを切り続けている。

■東向島 1月20~24日■







路地で、まだ産まれて3ヶ月程度の小さなネコさんと目線を合わせてお話し。
すると、背後からおばあちゃんの声が。
「暖かいところで日向ぼっこかい。この子の親は7.5kgもある大きなネコなんだよ。2匹産まれてねえ。3匹で仲良くやってるよ。
アメショーだのなんだの色々居るけど、やっぱりニッポンのネコはいいいねえ。可愛いいよお。」
しばし、雑談をした後、おばあちゃんは荷車を引いて去っていった。



去年、小村井や曳舟を歩いたときも感じたことだが、まだ墨田区のコドモたちはすれていない牧歌的な雰囲気を残している。



















いずれ消えていく運命としても、じぶんはこの匂いを写真に収めていきたいと思っている。


■ヴァンゲリス 「子供(L'Enfant)1979」 アルバム「Opera Sauvage」より■



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2013年1月23日 水曜日 Japan 「Night Porter」'80

2013-01-23 22:46:04 | 音楽帳

80歳を過ぎたお袋さんの骨折に伴い、実家の雑務手伝い。実家と自宅とを行ったり来たり。その片方では仕事。そんなさなかで傍観者として、ぼーっと見つめる道行く社会人・電車車内のさま。にんげん交差点。
また、今日は、仕事を抜きにして、三月末に切れる中小企業金融円滑化法のゆくえ・この国のゆくえについて考えるために、市ヶ谷までセミナーに。
また、一方では大島渚の死去に関してのもやもやした脳(悲しくもなんともないが、言うべきことがある)。
それらが渾然一体となって、言葉として結びつかないまま、日々流されつつ、ひどく今週も、まだ半分というのに疲れ切ってしまった。
そんな水曜日の息切れした夜。

遺書に記するべき、じぶんの愛したレコード100枚において(YMO&各ソロを除いて)、決して外せない1枚にジャパンの「孤独な影」がある。
1981年4月「坂本龍一のサウンドストリート」開始後、夏に近い頃、当時通っていた塾「神保町セミナー」の帰り道。
雨の日に、買ったLPレコード。
今では、カラオケ&アミューズメントビルになってしまった書泉ブックマートとなりのビルは、当時ヴィクトリア・レコード館だった。
ヴィサージの輸入盤・幸宏の「ロマン神経症」と並んで有った「孤独な影」を購入した夜。

何が・どう・とは、今夜は語ることができないが、今夜はこのアルバムを聴きたくなり、ひさしぶりに取り出した。
というか、いつも見える場所にあるのだが。
ミゾが磨り減ったLPレコード。

あの世にレコードを持ってはいけないのだけれども。
今夜は、その中から1曲。
■Japan 「Night Porter」1980■






























とても言葉では言い尽くせない
まとわりついて離れない この愛の感覚
こころの中で どの道をゆくべきかと
ぼくに語りつづける この怖れ

あてもなく さまようぼくたち
服はずぶ濡れ
雨からのがれようと
思いつく限りの 隠れ場所に憧れる
底のない快楽を 内に秘めた部屋の広がり

また ひとりになってしまった
生(せい)を投げ出したくなるほど しずかな街
ぼくは ひとり想いにふける

ナイトポーターが行くよ
ナイトポーターが ひっそりと歩をはこぶ

きみの様子を じっと見守ろう
もしもきみの気持ちをそこねてしまったなら
部屋にこもって 夜が来るのを待つよ

息をつめて
ふたりで嵐にむかっていこう

(作詞:デヴィッド・シルヴィアン)
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2013年1月22日 火曜日 「20・日-21・月-22・火」

2013-01-22 05:52:22 | 写真日和
1月20日 日曜日
















1月21日 月曜日










1月22日 火曜日・明け方・夢より現実へ


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2013年1月20日 日曜日 「日暮れ後の柳森神社」

2013-01-20 17:39:06 | 写真日和
買い物の帰り道。相変わらず、写真を撮りながら、あてどなく道をくねくね迷歩するうち、日が沈んだ後の須田町に至った。

街はひっそりと音も無い。
週末の街が、ある時に見せるポカンとした何も無い時空に出会う。

柳森神社前の道を歩き、シャッターをあっちこっちと切りながらふれあい橋を通り過ぎ、神社に着く。
もう門を閉める時間だ。
柵のあいだからシャッターを切り、門を通り過ぎようとすると、降りる石段の暗闇にネコさんを発見。
地面にひざまづき、しばし会話をする。
前に会ったときには、魚肉ソーセージを右手でチョイチョイ転がしながら食べていたが、昨日は、何か思い耽るように、ボウッと何かを見ていた。




















■William Ackerman 「Conferring with the Moon」1986■

ウィンダムヒル・レーベルのウィリアム・アッカーマンの、このアルバムCDを買ったのは、2000年以降。
この曲は、昔、深夜のジェットストリームやJ―WAVEでよく流れていた曲だった。
この曲に限らず、アルバム全体に、この静謐な空気が満ちており、夜に気や呼吸を鎮めるために聴くことが多い。

ウィンダムヒルを知ったのは1983年だったが、当時のじふんには違和感があった。
ブライアン・イーノ、そして、彼に共鳴・影響を受けたフォロワーたちが、疲弊する都市生活へのすき間に豊かな時空を見い出すことに使命を費やす事象とは、むしろ相対するものと捉えていた。

アメリカ発信のウィンダムヒルが奏でる音には、広い大地や満ち溢れる自然が背景に見えた。
我々の当時の切迫した状況とは、大幅乖離しており、下手をすると(悪しき意味での)イージーリスニングとも捉えられかねない危険を孕んでいた。

その後「ニューエイジ」なる名称・くくりが与えられ、80年中盤にかけて似たような音楽がたくさん出てくることになる。
このカテゴリーの胡散臭さは、次第に「エコロジー」「新興宗教」と手を結ぶことになる。
そして、ラッセンのリトグラフのように、あたかも地球愛を語っているフリをしながら、幾らでも刷り増し出来るリトグラフは、ギャラリーのフリをしながら詐欺まがいの絵の売り付けに繋がっていく。
わたしにとって、リアルタイム進行の音楽が終焉を迎えた後、1987年以降にFM東京が「アース・コンシャス」なるコンセプトを企業イメージに打ち出したのも、中身や思想なき表層環境主義宣言だった。

結果、この流れが行き着いた先が、1995年のオウム・サリン事件である。


ウィンダムヒルから、それら付き纏った事象を除去して、色眼鏡を外して、音楽そのものとして聴けるようになるには、かなりの時間を要した。
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2013年1月19日 土曜日・朝 Orchestral Manoeuvres In The Dark「(Forever) Live & Die」'86

2013-01-19 09:57:36 | 音楽帳

■Orchestral Manoeuvres In The Dark 「(Forever) Live And Die」1986■










一月街で出会ったネコたち








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