こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年8月31日 土曜日 「祈り」

2013-08-31 06:53:07 | 音楽帳



■Depeche Mode 「Somebody」1984■
結果的に、長い長い、本当に長い付き合いとなったデペッシュ・モード。
彼らの4枚目アルバム「サム・グレード・リウォード」のB面1曲目に収録された「サムバディ」。
当時は「日和(ひよ)るんじゃない。安易なバラードなど、有り体なものをやるんじゃない。こちらが恥ずかしいよ。」という想いの方が大きかった。
上記写真は、その曲を収録した4曲入り7インチシングル。
同じジャケットをした12インチも持っているが、ただいま遭難中。

良い想い出よりも辛酸をなめた、ひもじいことの方が実は多くあった80年代・中高生時代。
誰も理解者が居ないのは、あの頃も今も変わりはないが、何が違うかと言えば、経験値を持ったことに拠る逃げ道・迂回路や、寄る辺を持ったこと、そして、戻れる場所やひと握りの持ち金。
しかし、満たされない気持ちはむしろ、じぶんのみではなくて、誰かなかまたちを含む者への不安定さ。そこに気持ちが傾いていく。
1984年当時は、じぶんすらままならない中、他者を想う余地など無かった。
そういう意味では、鬱で死に損なったお陰で、それはそれとして、知らない世界との邂逅を経た、別の境地に至れている、今のじぶんは幸福と想う。













なかまたちよ、しあわせであれ。
じぶんは、孤独を貫けるほど、強くはない。「あなた」が必要なのだ。
どれだけ裏切られ・絶望したとしても。
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2013年8月29日 木曜日・深夜 キャプテン・センシブル 「マーサ・ザ・マウス」'82

2013-08-30 00:20:15 | 音楽帳

疲れやすさ・だるさの復活。
浮いたり沈んだりの躁鬱。昨日から下り坂に。

そんな今夜、ついつい、やはり。。。
トニー・マンスフィールドが創り出した世界に引っ張られて、幸福なる地獄にはまりたくなる。
過去に紹介したであろうことは、記憶にはあるが。

幸宏がやっていた1983年のオールナイトニッポンの、深夜3時からの第二部。
そこで「ろっかー」「ろっくんろーる・えんじぇる」という職だったらしい白井貴子なる女が「今夜は、今夜しかないのさ」などと言っていた。

そーいう安っぽい言い回しはしたくはないが。
今夜も、自らの気の流れ・風の流れに従い、トニー・マンスフィールド作品に光を見い出したい欲望が収まらない。

幸福を希求する魂。

■Captain Sensible & Tony Mansfield 「Martha the Mouth」1982■





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2013年8月27日 火曜日 「ワンダフル・トゥ・ビー・ウィズ・ユー」

2013-08-27 23:03:27 | 音楽帳

昨夜23時を過ぎて、やっと待望の雨。生き物たち・大地へのめぐみ。
それも、かなり長いこと降ってくれた。

夜とは、ビールを呑みながら、一日で少ない自分の大事な時間。音を流しながら、食事の準備。
平日が大抵暗い心境の中、昨夜は、敬意と愛情を抱くトニー・マンスフィールドの創る音に救われた。

今夜も、その延長線上で、さらに一曲。愛する彼の優しさとドリーミーな音楽を。

■Mari Wilson & Tony Mansfield 「Wonderful To Be With You」1983■
このマリ・ウィルソンの「ワンダフル・トゥ・ビー・ウィズ・ユー」を初めて聴いたのは、1983年当時、ニッポン放送の火曜深夜1時からの「高橋幸宏のオールナイトニッポン」だった。

彼のバンド「ニュー・ミュージック」を知るのは、1981年の「坂本龍一のサウンドストリート」での「While you wait」。
コアな音楽好きの人だけには「すんばらしい」という音楽だったが、「世間」は知らなかった時代。
幸宏の名盤「ロマン神経症/ニウロマンティック」は、トニー・マンスフィールド抜きでは成立し得なかった。

彼が創る音楽には、夢があった。
この「ワンダフル・トゥ・ビー・ウィズ・ユー」を聴くと、明日なんかどーでもいい、と思うくらいに、夢の世界にいざなわれてしまう。

温故知新、なるコトバがあるものの、わたしのような音楽老年には、未だに当時の夢へのドリーミーな回路がある。「故」なる死んだものではなくて、永遠。
そのせいで、まだ月曜日の夜中というのに、孤独に一人の自室で舞い踊っていた。
高揚して・いい気になっているうち、寝るのが3時半になってしまった。
今夜は、早く寝なきゃ持たない。

ゴミ・スクラップ・ブック(制作途中)
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2013年8月26日 月曜日・深夜 「陰影・弛緩」

2013-08-27 01:06:09 | 雑記帳

願いかなって、急速に温度低下傾向に入り、大地がまっとうに。
朝、日射の差し込み圧度は変わらぬとも。

往路。
空一面のうろこ雲を目撃す。

午後、先週から始まった、胃痛。
17歳秋冬、胃潰瘍で入院した頃の痛みに比べれば、屁みたいなレベル。
体内でのイラ立ちが要因。

四月以降、月次検診の主治医だった、ドSの貞子先生が転勤。
年度変わって、主治医となった斎藤孝(さんそっくり)先生との出会い。

最初、相当に話し込んだお陰で、対話と合意形成がされている。
毎月一種類づつ、対話をしつつ・クスリを削る工程へ。
「身体全体の調子を整える」「肝臓にこれ以上負担を掛けない」
その主旨から、出されたまんまだった漢方薬もやめた。
「身体全体の調子を整える」は、見方を変えれば、どこに作用しているのか?が不明瞭ゆえ。

毎月、一つづつ消えていく服用薬・・・その反動が、逆にイラ立ちとなって、現れているのか?じぶんのことながら不明。

夜、人の時間を無駄にさせ・話す割には、何も前に進まない、カタチ上だけの迷惑者を振り切り帰る。

食材を選び、出来るだけ手を加えずに・・・と煮物をつくって食す。
昆布、しいたけ、切干大根、ささがきごぼう、クラゲ、ひじき。
そこに、塩、だし汁少々で味付けし、胡麻を振りかける。

食は、体裁(見た目)ではない。おいしい。

雨が降ってきた。

■ニュー・ミュージック(トニー・マンスフィールド)「Here Come The People」1982■

アルバム「ワープ」より
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2013年8月25日 日曜日 「島便り」

2013-08-25 03:05:14 | 写真日和

■マーク・ノップラー 「アイリッシュ・ボーイ」
(映画「カル」サウンドトラックより)1984■


~昨日の島の風景より~



鳥さん

卒塔婆と天空

メロンちゃん

お地蔵さま

誰もいない校庭

銭湯のエントツ





風に佇むヒツジさん

島の鎮守さま







アルバム「カル」。
これを聴くと、今ではもう無くなってしまった季節「夏」に、御茶ノ水の夏期講習に向かっていた道を想い出す。1984年・夏休みの遠い記憶。

マーク・ノップラー


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2013年8月24日 土曜日 「今日は今日で、生きられるまで生きるだけ」

2013-08-24 11:18:05 | 音楽帳

先日、マクロビオティックと書いてしまったが、あくまで、じぶんはジャストのマクロビオティックの実践者ではない。
マクロビオティックの解釈は、それぞれで良い。そうじぶんは思う。
じぶんは、人間様の見えない所で生き物を虐殺した結果としての、生き物の死殺体の肉片を、ウマイだマズイだ、ガタガタ文句を言いながら、命を頂いている意識もなしに・喰らう者と一緒に居たくない、というだけのこと。

流通経路の末端で、クチを開けて、店員さんに「遅い」と文句を付けながら、肉がやってくるのを待つ、家でろくに料理も出来ない・ずぼら主婦を含む馬鹿家族の「既に終わっている」外食光景は、見たくもない。
また、一方では、健康オタクの「かれら」が、永遠に通信販売に騙され続ける・奇妙な錠剤を服用し、毎日ウォーキングをして。。。食はバランスを取って1日何十食物を摂り。。。長寿を目指す。何も保証・担保など無い生において、一種の宗教に掛かってしまった連中。喰らったあと、クルマに引かれたら一貫の終わり、というのに。
そういう「かれら」から180度反対側の対岸に、じぶんは居ることを死守する。

【ゴミ・スクラップ・ブック(制作途中)】
今日さえ生き抜けるか分からないカオスの中で、長寿とは何を意味しているか?「かれら」とは、関わりになりたくない。というのが本音。

細野さんの「ウォーカーズ・ブルース」の歌詞を想い出す。
『・・・魔物にかまわず、先へと急ぐだけ
そのうち・いつかたどり着けば、そこがパラダイス
とどのつまり、魂を鎮め、今日も・明日も歩く・・・

着の身着のまま 君は君のまま
ボクはボクのまま ともかく歩くだけ・・・

沈むこころもち・昇る夢心地
ぎこちなく・・・このまま死ぬまで生きるだけ』

「かれら」=「魔物」

【ゴミ・スクラップ・ブック・その2(制作途中)】
じぶん一人で出来ることなんてのは、実に狭い。時間も含む様々な制約下。
だからやれることをやるしかない。身近な草木に水を与え、野良猫たちと島で一緒に暮らす。そこにパラダイス(はらいそ)を見い出そうとする。

■細野晴臣 「悲しみのラッキースター」2011■

「ホソノヴァ」



まもなく、細野さんの新譜CD「ヘヴンリー・ミュージック」が届く。
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2013年8月23日 金曜日・深夜の鎮魂歌 プリテンダーズ「ラヴ&ヘイト」'84

2013-08-24 01:08:21 | 音楽帳
祈りが通じたのか否か。雨が降ってくれる。
なかまたち、生き物たちへ、どうか、ご加護を。



■プリテンダーズ 「Thin Line Between Love&Hate」1984■














中学一年生から、毎週土曜日の洋楽「ポップス・ベスト10」(FM東京)を聴き、ノートにペンで記しながら、次第に音楽の幅が広がっていった頃。
そこで出会ったプリテンダーズの「恋のブラス・イン・ポケット」。
視覚の無い中で出会ったクリッシー・ハインドの魅惑的ヴォーカルに、少年は導かれていく。

その後、プリテンダーズは来日もしたし、そのライヴも聴いた。

だが、このバンドに不幸が次々舞い降りる。ドラッグや事故での死。
次々とメンバーが消えゆく中で、改めて新生プリテンダーズとして発表したのが、1984年の「ラーニング・トゥ・クロール」。
リーダーである彼女(クリッシー・ハインド)の強さと共に、新たなる出発を賞賛したじぶん。

このアルバムに収録されたカバー曲「Thin Line Between Love&Hate」。
愛と憎しみの間の薄い壁。

女が、男・女という性別を越えた時、生身で本当のミュージシャンになる。(というか、クリッシー・ハインドは、尊敬するジョニ・ミッチェル同様、出会った時から性別など無かったが。)
よーく2013年の仕事場で見かける、女子なんたらという、笑ってしまう場末のキャバクラ嬢的存在は、まさに「あまちゃん」。
だいたいが、黙っておけば良いところを、一時的時流(バぶる)に乗っかって、それを喰いモノにする電通などの広告代理店に騙されて、みずから「女子」と宣言した時点で、人間として終わっている。

クリッシー・ハインドの存在は、そこから程遠いところに位置している。性別を越えたプロフェッショナルなミュージシャン。
カバー曲ながらも、「Thin Line Between Love&Hate」におけるクリッシー・ハインドは、相も変わらず彼女らしい毅然とした歌と声。
こころに染みる一曲。
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2013年8月22日 木曜日 「雨強烈祈願」

2013-08-22 22:25:18 | 音楽帳

昨夜の雨は、まるで話ばかりが大きい「はったりさらりーまん」のようだった。
そんなレベルのことで、草木や生き物たちの苦しみは癒えない。
もっと降らないとダメでしょ?
大地が冷えないでしょ?
と、空にダメ出しをする。

今朝も、ゴーヤくんには、2リットル・ボトル×4本のお水を上げた。


今日、帰り道。
いきなり視界が、ぐしゃぐしゃっと瞬間壊れ、三半規管がぐるぐる回り、歩く中、よたよたと道端に倒れた。
ひさしぶりのめまいである。
立って歩こうとするが、うまく進みたい方向に歩けないので、しばしトロトロと歩く。


暑さの続く中、それがガタの来たカラダに影響。
とも言えるが、そんなことを言っては生き物たちに失礼千万。

決して、正統マクロビオティックではないが、動物性の食物を出来るだけ採らない暮らしは、かなり長い。しかし、暑さの影響でバランスを欠いた食事であったことは事実かもしれない。
一日二食か一食。
余分な食をしないのは変わりないが、食の代わりにお酒を飲みすぎている。と言ってもビールだけしか呑めないが。

今日のめまいは、昨夜、眠られず、朝方4時に眠りに堕ちたものの、つくばに都内に・・・と、ああだのこうだの、しょーーーもない会議三昧だったせいであろう。
そう思うようにしよう。


【7月から、あてども無く貼り込み続ける、ゴミ・スクラップ・ブックの中の「とある」ページ。
永遠に完成しそうに無い。・・・というか、何が完成なのか?も、じぶんには判断が付かない。】
早々に今日は家に帰った。参っていたので。そこにめまい。

帰るとまずは、暑がりで汗だくなので、パンツ一枚の姿に「即」成ることが基本。
首に職人さんのごとくタオルを引っ掛け、あたりに散らかる、拾った何か、ポストに(望んでもいないのに)勝手に投函された、しょーーーもないチラシ類、ゴミ・・・そういったものを、無造作にスクラップブックに貼り付けながら、缶ビールを開けて呑む。
ゴミ・スクラップ・ブックの面白さは、計画性の無さにある。脈絡や意図や世間なるコードから逸脱する。
意味など無い。単なる衝動をぶつけるのみ。


夢の島から亀戸まで歩いた8月11日。
道端で、車に潰されたタバコ「エコ-」の空き袋を拾う。
なんだかんだと貼り付け・絵の具で地を潰した上に、そのエコーをノリでべったりと貼り込む。
そこに、ワールドハピネスで、入場者が首からぶら下げるタイムスケジュール表のヒモだけを切り、貼り込む。

あの汗だくの深夜を、ノートに焼き付けする。


そんな今夜、愚にも付かないスクラップブックの制作の傍らで聴いていたのは、80年代の十枚には必ず選ばれるLPレコード。トーキングヘッズ&ブライアン・イーノに拠る「リメイン・イン・ライト」。

当時ぎらぎらしたブライアン・イーノが、ウルトラヴォックスやディーヴォー同様、オーバープロデュースした1枚。
アフリカ音楽を引用して、いけるところまでワンコードのみの繰り返しで行くという実験が、まさに化学変化して、新しい未知の音楽となった一枚。

暑い中ではあるが、それでも聴きやすい一枚。


一番最初に出会ったのは、1980年のいつか。。。
レコードレビューから気になっていたところ、たまたまレコードショップに入って、そのエサ箱で発見したシングル「ヒート・ゴーズ・オン(ボーン・アンダー・パンチズ【権力のもとに産まれて】)」の購入。


じぶんの記憶では、御茶ノ水・聖橋口に当時あったレコード屋さんで買ったと思っていたが、レコードの袋に「小田急」のマークがあって、新宿で買ったのだなあ。。。と、なんだかおかしな記憶違い。

久しぶりに聴くが、今夜は聴いているその曲を。。。

■Talking Heads 「Born Under Punches (The Heat Goes On)」1980■

このシングルを買った後に、兄が持っていた・友人に借りてLPレコードをカセットテープに落としたもの。
それを借りて、ダビングした。
そのテープを聴いて、LP「リメイン・イン・ライト」の全曲・全容を知ることとなる。
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2013年8月20日 火曜日・深夜 「なかまたちが無事であることを」

2013-08-21 00:44:52 | スケッチブック

1984年、高校三年生当時。三菱のBOXYのノートを「ランダムノート」と称して、様々なメモなどを付けていた。
毎週土曜日がやってくると、ひそかに隠れてお酒とタバコを居間でやりながら、夜を過ごしていた。
上記は、23時・東京12チャンネルでやっていた「日立サウンドブレイク」より。
深夜、引き込み線に入って、眠ろうとしている電車の映像を速記する。
掛かった映像のバックの曲をメモしながら、一家に一台のテレビの映像を見ながら、瞬間ペンを走らせていた。

■タンジェリン・ドリーム 「ホワイト・イーグル」1982■






tangerine dream - white eagle -
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2013年8月19日 月曜日 「しのぎ・かわすことを祈る欺瞞者の夜」

2013-08-19 22:30:57 | スケッチブック

夏、とは呼べない夏。
詩的なことを語る余裕があるのは、わたしが欺瞞者ゆえ。

かつて四季の中に有った夏は、すでにもう無い。むご過ぎる。
花火は、江戸に住まう人が、一寸でも、暑さを忘れられる時間稼ぎとして編み出したのだろう。全然歴史も調べずに勝手にそう思う。
しかし、2013年のこの時期においては意図を大幅に逸脱している。祭りも同様。
過去と同じ月日に行う必要は無い。逆にありえない。ノイズを発するな、静寂たれ、と、それらから距離をおく。

死を回避するために、冷房とせんぷうきを合い混ぜて使う人間側のじぶんが、のうのうと語る言葉は無い。だがまだマシな方と自己弁護する。

あれほど節電を語っていたが、語るに語れなくなり、311に端を発し、当時は本気であったはずの節電も遠く。今や、安直に信ずれば、死に至る。
形骸化した言語=節電。それでも、移動列車の乗務員は、義務としてかったるそうに、気のない言い回しで車内放送する。

帰り道。歩く。熱帯夜。
それは、細野晴臣さんが創ったトロピカル三部作のような、夢多き世界では、もはや無い。
煌々と夜の中で、必要以上の灯りをたいたドカンとデカイ薬局は、裏側を歩けば、もうもうと排出熱を吐いている。
何もここで買わないと決めた店内には、やる気の無い店員。熱さまし等も売っているが、その様は、自ら占拠地域の気温を上げている自己矛盾。つい、意図的釣り上げ迄想起する。

できるだけ暗い闇の方向へと歩む。
森や緑をどれだけ増やせるか。常々そう思う。

夜の公園の森。虫の鳴く声、揺れる植物。草場に眠る動物たち。
森に暮らす人は、寝苦しそうに草の上で眠る。月がキレイなだけが救いの夜。

ここに、一条の救いの音を添えたいと思う。勝手な・一方的であることを知りつつも、ウソから脱せないじぶん。

(原曲が無いのでカバー)コシミハルさん「キラ」■

この曲を知ったのは、細野さんのラジオ。まだ「デイジー・ワールド(J-wave)」だった頃。
それを録音したものは、どこかに行っている。「源氏物語」の頃の作品。

NHK-FMのサウンドストリートとクロスオーバーイレブンの間15分の番組「ふたりの部屋」。
80年代、椎名誠さんのスーパーエッセイ「気分はだぼだぼソース」、新井素子さんの「二分割幽霊綺譚」「グリーンレクイエム」はリアルタイムで聴いていたものの、「マージナル」というドラマは知らなかった。
このドラマで、コシミハルさんはテーマ曲だけでは無く、出演者となっていた。
パソコン時代のお陰で、数年前YOUTUBEで聞くことが出来た。

上記は、一般の方のカバー。
「オムニサイトシーイング」を想わせる、故・モロさんと細野さんの作品。
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