こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年12月29日 木曜日 山椒魚の夜間飛行 とある拾玖夜 - 師走の断層写真 -

2011-12-29 22:10:01 | 写真日和
MRI所見:・・C5/6・C6/7椎間板のbulgingを認める。あきらかな神経孔・脊柱管の狭窄。
「かたちんばの2011年のセルフ・ポートレイト」
カンカンに沸かした湯で緑茶を入れるが、すぐ冷える。そんなさぶい冬になった。
さぶいと頚椎ヘルニアの痛みが強くなる。
お風呂を沸かして入り、ぬくぬくになるが、それも早々にカラダのぬくもりも消えてしまい、痛みが復活してくる。
よって、鎮痛剤を服用。そして、ビールを呑んでごまかす。

TBSラジオをひねると「2011年おっさんニュース」なるものが放送されている。
ビビる大木&ピエール瀧がゲスト。昼のキラ・キラの流れ。
面白くて癒される。

飲酒運転をしている所、警官が検問。そこで、おっさんは車を降り、うんこを口の周りに塗りたくり、匂いでごまかせるだろうとしたが捕まったとのこと。
笑いがドカンドカン来る「現実にあった」事件に満ちているが、イタい。。。

痛いと汚いで始まってしまったが、師走の瞬間断面のごく一部を・・・。


スカイ・ツリーも灯りが点滅するまでの夜に至った。


実家の出窓にヒョイと乗る軽やかなコチャコ。


岩本町のカギ屋さん。


エレクトリック・アニマル。


冬の朝の陰影。


ショット・バーでの角ハイボール。


クロちゃんも元気に年を越せそうである。


朝の空に不気味な雲。


ドラマ「カーネーション」は、今週ついに昭和45年8月15日を迎えた。


主人公を演じる尾野真千子さんについては失礼なことを過去に言ってしまったのでお詫びと訂正。
美人では無いが・・× → 表情豊かなかわいい人です〇
芝居はうまくはないが・・× → うまい〇
ベタ惚れです。

というほど、このドラマと尾野真千子さんには癒され、惹きつけられ続けている。


冬の花。




温度が下がり寒くなるに従い、風景には陰陽が生まれ・空気が澄むことに従い色があざやかになる。


実家付近では可愛がられているミルクちゃん=通称ミーちゃん。
ミーちゃんも無事、今年を越えられそうである。


キジトラちゃんも。


朝のたゆたう雲。空を突き刺す冬の樹。






日本橋に向かう道のイルミネーション。


今度行ってみたいとずっと思っている浅草のネコ・カフェ。


昭和の匂いを残してくれている地下鉄浅草駅の地下道。


看板は「節電中」。


喫茶店で、店員が描いたと思われる2012年の干支である龍。
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2011年12月28日 水曜日 山椒魚の夜間飛行 とある拾捌夜 - キング・クリムソン「レッド」 -

2011-12-29 00:53:17 | 音楽帳
さくりんさんへ
こちらは22:42日本橋から銀座線に乗り、帰る。
仕事場の納会に元々参加すること自体にうんざりして18:00脱出。
過去一緒に仕事していた女史とお酒~お茶を飲み、長話をして別れました。
ちなみに、このクレバーな女史との何ら疑惑の関係は1%も無し。
長年働いてきた同志として、様々な話を久々に。。。
気が付けば4時間半も経ってしてしまいました。

帰り道、うろうろ酒を買い・雑貨を買い・・・23:35帰宅。
さくりんさんには悪いですが、これにて今年の「お勤め」は終了させて頂きます。
これにて閉店です。

***

ネコに関して。
まみちゃんを失ってから、私は明らかに堕ちていた。
そんなところに、2011年は、コチャコさんの3・11後の不思議な変態に出会った年でした。
「彼女=コチャコ」との不思議な付き合いが15年目にして生まれた年。
コチャコも自分も、お互い淋しい中、何かがそこに生じたような感覚。
かつては思わなかったコチャコへの愛情が今はあり、コチャコの自由なありさまに癒された年でもありました。


***

申し訳ないですが、一足先に「一時休戦」に入った自分。
23:35家にとぼとぼたどり着く。
ようけえらいことあった年も、残り三日。

崩壊寸前のマイVAIOちゃんは、立ち上げから安定するのに1時間を要する。
やっと軌道に乗る。

内心には、未だしょせん日々は365分の1日。
明日も、しょせんは365分の1日。
クリスマスは別として、年末を向かえたという気はしない。

***

「お勤め」を終えた夜中、聴くは怒りに近い表現のキング・クリムソンの「レッド」。



2011年12月。
キング・クリムソンを聴いているうちに、自分が固執していた70年代終わりから80年代中盤とは一体何だったのだろうかという沈黙に、近時至る。

1969年から1974年、各々のアルバム・ジャケットはお馴染みのデザインだったが、当時避難轟々だった「ディシプリン」でキング・クリムソンのリスナーデビューをした自分がちゃんと向き合ったものはファーストの「クリムソンキングの宮殿」のみだった。
あとは、クリムソンの様々な経緯を知らぬままに聴いた、渋谷陽一のサウンドストリートで組まれた80年代のクリムソン特集。

渋谷陽一が過去のキング・クリムソンを掛けること自体、それは番組の終焉を意味していた。
(ちなみに最終回は、レッドツェッペリンだった。)
その中で掛かり、好きになった曲「レッド」。
それを2011年12月、改めて聴いて伝わって来る響き、そして意味合い。

■King Crimson 「Red」■

常に目指すものに諦めや妥協を許さず、メンバーという「人間関係」などというくだらないものも無視し、音楽内容を常に変化させ・前進させつつ、突き進んだロバート・フリップ先生がたどり着いた最終地点。
「決して許さない」という意志が音と化した曲。

相手が人か?神か?世間か?事象か?
いずれにしても、内心の芯を貫く「決して許さない」。
持つ内包された心情が、単なる怒りの単純表現では無い形で、この世(此岸<こがん>)に裂け目(キャズム)という形で表出するクリエイティヴな表現。
目指すべきは、こんな偉大な「レッド」のようでありたい。
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2011年12月25日 日曜日  山椒魚の夜間飛行 とある拾漆夜 - コチャコ。ネコは目まぐるしく。 -

2011-12-25 19:35:41 | 写真日和

実家のコチャコさん。
十数年、自分を認めてくれなかったが、今年の途中から急に自分に近づいたり・甘えたり・触らせてくれるようになった。
認めてもらうまでに、ずいぶんと時間が掛かりました(笑)。

と思いきや、そうでは無くて、性格が変わってしまったらしい。
今までなかった甘え方を誰にもするようになってしまった。
「とにかく、誰か構ってくれえ!」という感じ。
常に臆病で冷淡だったのに、表情も行動も急に豊かに。

最近、ようく見ると、やっぱりまみちゃんの母だけあって、似ているものだなあと思う表情や瞬間がある。


ミセス・コチャコ。


寒い冬は丸くなります。


ネコの肉球も良いが、揃えた手というのも可愛いものです。


ちょっと失礼・・・。
「お主、スキを見せたな。」


コチャコさん。あんた、目付き悪いよ。


ネコはカゴとか袋に入るのが好き。


こういうキリリとした表情は従来のコチャコらしい。


ネコは「寝る子」から来たコトバという説がある。


じゃっかん、怒りの表情。なに怒ってんねん。


これは、親を連れて旅行に行く前の晩の怒り。
「なあんか妙だなあ〜」という空気を、コチャコは気づいていたようです。
「置いていくなあ!」


よく、目を半開きで寝ることがある。


かゆい場所を掻け!掻くんだ!
よくマッサージや掻いてあげたりするが、気持ちが良いので永遠に終わらない。
「右が終わったから、次は左。もっと上!違う、もっと下!」
ネコは人を使うのがうまい。


ネコはようく、ぼんやり何かを見ていることがある。

コチャコは短毛なのもあるが、キレイ好き。
コチャコには、赤が似合う。

しかし、まったく何を考えているんだか・・・・。
何年付き合っても、ネコという不思議な生き物は分からない。
まあ、そこに惹かれるのですが。
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2011年12月24日 土曜日  山椒魚の夜間飛行 とある拾陸夜 - 鎮魂としての聖夜 -

2011-12-24 19:45:50 | 音楽帳


兄からの「クリスマスCD」のプレゼント。
全21曲。幼い頃聴いたカーペンターズはともかく、それ以外は聴いたことの無い曲が多く入っている。

このコンピレーションCDは、とても穏やかで静かに満ちた曲が多い。
特に気に入った曲を、今夜は送る。
まるで冬の外気・空・樹木・雪のしんしんと降る音が聴こえてきそうな。

バーブラ・ストライザンドの「アイル・ビー・ホーム・フォー・クリスマス」。

昨夜、TBSラジオで、小さなコドモが独白するCMがあった。
「サンタさん。
今年はお母さんが居ません。
お母さんが居ないクリスマスなんか、ボクはサンタさんにお願いなんかしてないですよ。

ねえ、サンタさん。
来年は、ちゃんとボクの願いをかなえてくださいよ。」

それが、何を意味し・何を言おうとしていたのかは明白。
2011年という、とんでもない事態に突き進んだ、異例なる年のクリスマス。
亡くなった魂への鎮魂と祈り。

自然を越える神などは居ない。
未来がまったく見えなくなった中、それでもあえてウソ臭いことを言う。

「どうか、ご加護を。
来年こそは・・。」

■Barbra Streisand 「I'll be home for Christmas」■
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2011年12月23日 金曜日 エイリアン「かたちんば」 社会という服を脱ぐ休暇

2011-12-23 15:37:26 | 音楽帳

昨夜は、毎日顔を合わせる4人だけのささやかな「慰労会」を企画した。(忘年会ではない。)
すさまじい状況下で、2011年をお勤めしてきた疲れの慰労のため。
残り4日のお勤めとなった中、支えてもらったみんなへの感謝も含めて。


肝臓を壊して以来、断酒を経由して、その後、酒の量をへらし、3・11後は外で呑むのを避けてきたが。
3・11後、6か7回目の外呑み。

自分が外呑みがダメなのは、他にも理由がある。
酒を呑み出すととことん呑んでしまう。その一方で、食事をほとんど摂取しない。
ゆえに、翌朝が地獄になること。
・・・とえらそうに言いながら、結局昨夜も同じ「失敗」を繰り返す馬鹿。。。。

1次会では皿に乗ったサラダ程度だけしか食べずに、ビールをたんまり呑んでしまい、二次会にぶらりと見つけたショットバーでも角ハイボールをパカパカ呑み、帰った寒い部屋で更にハイボールと日本酒を呑み、ボコボコになって憤死状態で寝る。


案の定起きれば、二日酔い。
「かたちんば、大失敗の巻!」

***

しかし、久々に10時間眠れたのは救い。
先週土日は、伊豆旅行だったので、何か久しぶりの一人での休暇感覚。

ノドがカラカラで、深い緑茶を入れて何杯も飲み、TBSラジオを聴きながら過ごすうちに、次第にお酒も抜けはじめた。


明日のクリスマス・イヴは仕事なので、今日はこのままだらだら・まったりして過ごそう。

80年代に発見したイーグルスのクリスマス・ソングを今日はかけたい。。。
そう思っていたところで、TBSラジオからこの曲が掛かった。
(余談:TBSラジオは、60周年を迎えたという。)

自分はクリスチャンでは無いし、宗教=政治的意味合いのクリスマス、商売としてのクリスマス・・・そういうことは重々承知。
だが、それでも、幼い頃味わったクリスマスの年末感覚は、今でも自分の体内に宿っている。

そういう頃に出会ったジョン・レノン、そしてビング・クロスビー&デヴィッド・ボウイのクリスマス・ソングは今でも好きだが、今日は案外知られていないイーグルスを選ぶ。


1978年、シングルで発売されたシングル盤の日本盤のタイトルは「ふたりだけのクリスマス」だったが、歌詞とは微妙に意味合いが異なる。
実際は「ふたりだけのクリスマス、を過ごせたならば・・・」だろう。

***



ベルが鳴り響く季節がやってくる・・・なのに、良いニュース1つもない。
せっかくのクリスマス・・・ブルーな気分で過ごすなんて。
彼女は行ってしまったし、友だちも居ない。
祝杯をかわす相手も居ない、今年のクリスマス。

コーラスが歌う「サイレント・ナイト」。
クリスマス・キャロルに、ともるキャンドルライト。
クリスマスには帰ってきておくれよ、どうかクリスマスには。
それが無理なら、せめてニューイヤーの夜には。

友だちや親戚からあいさつが届く。そんなのは星の数ほどあるけれども。
でも、今はクリスマス。そうほかでもないクリスマス。
一年じゅうで誰よりも、恋人と過ごしたい季節。

だから、どうか言っておくれよ、もうどこにも行かないと。
クリスマスとニューイヤーは、きっと帰るよと。
つらい思いから開放されて、さみしさも苦痛もなくなる。
ボクはハッピーになれる・またハッピーになれる。

そうさ、つらい思いから解放され、さみしさも苦痛もなくなる。
ボクはハッピーになれるはず。
もう一度、そんなクリスマスを・・・。

■Eagles「Please Come Home for Christmas(どうか、クリスマスには、家に戻って来ておくれ)」■
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2011年12月21日 水曜日  山椒魚の夜間飛行 とある拾伍夜  - 写真 -

2011-12-21 22:42:36 | 写真日和


一泊二日。両親・兄夫婦・自分の五人で旅した伊豆。
普段余り人物を撮影しない自分が、四人それぞれの瞬間にシャッターを押した。

多くの撮影写真は美しく変化しながら随時立ち現れる風景、そして動物園で出会った沢山の動物たち。
とは言え、全体に占める人物写真の割合は、いつもよりはるかに多い。
そのことは、この旅が如何に異例であったかの証明。

撮影した写真は1000枚を越えた。。。。
これをどう扱うか?
それは、お勤めに突入している師走の週の半ばには、結論出せずに居る。

ひとまず、パソコンを持たない老親には、セレクトしたショットをプリントしよう。
アルバムに入れてプレゼントしようとは思っている。

*** *** *** *** ***

96年4月東京に舞い戻って以降の自分は、たんまり写真を日々撮りつづけてきた。
振り返って明らかだったのは、東京の街・空・花・犬やネコなどの動物がミックスされたものが全体の多くを占める事実。
しかし、いっぽうで、率は少ないが人物写真。枚数は少ないが重要な写真。

人が出て来る際には、街の風景なり、想い出との重なりがある。
もしくは、人単体が主の場合は、その対象に吸引力がある場合。
それは過去出会った恋人だったり、場末で出会った風俗嬢だったり。。。

30代の勢いがあった頃、永井荷風のように足しげく通った色街で、いっとき、いつも会っていたお嬢に聞かれた。

お嬢「今日は、お休み?何してた?」
我輩「今日は、ここからここまで街を放浪しながら写真を撮って歩いたよ。」
お嬢「そうだ、写真が好きなんだよね。ねえ、私を撮ってよ。」
我輩「ええっ?撮っていいの?」
お嬢「うん、撮って、撮ってぇ」
と彼女は、みずから進んで服を取りながら近づいてきた。

顔も何も隠さずにこちらに向かい合った彼女の言行は、どう解釈しても単なる営業精神とは異なっていた。
それはこちらを見る目線からも明らかだった。

撮った写真をプリントして、次に会った際にプレゼントした。
彼女は喜んでくれた。
それもそのはずだった。
情感がほとばしる中、シャッターを切った写真のなまめかしさとリアリティは、自分が撮ったとは思えないようなものに仕上がっていたからであった。
また、ふだん一緒に居る際には分からなかった・彼女の別の顔がそこには映っていた。
ある瞬間を切り取り・生と死にまたがるエロスが定着された、誰か第三者が介在したかのような写真。

同じ三ノ輪出生の荒木経惟(アラーキー)も、そしてこういう自分も、単なる助平で済ませばコトは早い。
だが、エロスを抜きにしては、この世も人間も成立しない。

自分は、こういう体験を幾度も通過して、改めて荒木経惟の撮った写真を見ては、単なる助平だけではない何かを認識してきた。

***

写真というのは、瞬間を切り取る作業。そして、その瞬間は撮った時点で過去になる。
二度と同じ瞬間はおとずれない。
写真というもの自身が持つ刹那さ。そして、二度と戻らないという残酷さ。

かつてテレビでの荒木経惟特集で言っていた言葉を思い出す。
「写真がなければ、たいていのことは忘れられるよ。写真が残るから哀しくなったり、余計なことを思い出したりする。」

男女の交際の別れに、女は貰ったモノや一緒だったときの想い出を、全部捨て去るいさぎよさを持つ。
かたや、男は案外めそめそしながら、いつまでもモノも想い出も捨てられずに引きずるケースが多い。
かくいう自分も、そんなものを捨てられずに、引きずりながら生きてきた。良い時も・悪い時も、自分の行き抜けてきた瞬間のかけら。

今は亡き女優、太地喜和子は「別れた男たちへ・一緒に居た時間と楽しい想い出をありがとよ」と、彼女らしい発言を後輩たちの前で言ったという。
これは並みの女ではない太地喜和子ゆえに言えた言葉であろうが。。。。

今年、東日本大震災で多くの方が亡くなり・多くの方の家が流された。また放射能エリアに戻れなくなった人々が居る。
そんな中、人々が探し求めたものは、家族や相方や想い出の写真だった。未来予測不可能な中で、ある過去の瞬間を切り取ったコンマ何秒。

写真がなければ、生きてきた証明すらも消えてしまう。
写真とは、何かそういうせつなさを持っている。
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2011年12月20日 火曜日  山椒魚の夜間飛行 とある拾肆夜  - サブリミナル -

2011-12-20 21:53:56 | 雑記帳


たまに近くに居たりすると、会話が気になって、思考回路が乱され・ストレスを感じさせる人がいる。
彼は、30代だが、妙にカッコ付けたダイナミックで大げさなしゃべり方を、周囲がうるさいほどの声でする。
こういうタイプは、地方から出てきた人に多い。
「げーのーじん」と呼ばれている人にも多い。

まあ、よくあることではある。

ただ、それより心配に思うのが、彼のしゃべり方が、彼の過去の上司にウリ2つなこと。
反射神経と呼ばれるものや、サブリミナルな刷り込みの存在は知っている。
単なる影響ならよく受けることではあるが。。。

***

過去読んだ「サブリミナル・マインド」という本はとても面白いものだったが、反面怖いものでもあった。
神田正輝・若い頃の高島礼子が出ていた映画「さまよえる脳髄」を同時に思い出した。
映画は、サブリミナルと殺人が絡む話しなのだが、行動と言動の不一致がキーとなった不気味なB級ホラーだった。

ユング等々の研究も含めた、無意識という領域の不可思議さ。。。。

本人が意識で認識するより前に、肉体が「おのずと」行動するというのは事実。
この今叩いているキーボードの文字も、
「A=あ」がこの位置で・「E=え」がこの位置だなあ・・・などと考えてから叩いているわけではない。
既に無意識下に刷り込まれてしまった何かは、すでに本人すらも掌握・解釈不能な領域に入り込んでしまい、うごめいているのだ。


***

話しは、逸脱する。

自分が持つ森田療法の医学書の一冊で、継承者である鈴木知準と森田療法の体験者との対話の中、雑念恐怖というくだりを思い起こした。
この本は、1986年の自殺未遂直前に、ふらふら歩いた神保町の三省堂本店で手に入れたもの。
雑念恐怖とは、頭の中でさまざまなものが湧いて湧いて止まらない・・・そういうことを「取り払おうとする」神経症。
誰にもある、ごく普通のことなのだが、それが許せないで、取り払えるまで悩みぬく、袋小路に入ってしまう類の病。
強迫神経症の中で潔癖症が、手がすりむけても手を洗い続けないと「気が済まない」のと同類。

ここで、鈴木知準はこんなことを言っていたような記憶がある。

・・・「カラダを動かし『今に行入(こうにゅう)』していくうちに、雑念は心の底流を流れて行き、次の地点へと自然に移り変わっていく。
雑念は流れていく。だから、そこに取り合っていてはいけない。いくら気にしたくても気にして強迫行動に出てはいけない。
目の前のやるべきことに、行入していきなさい。」

森田療法は、森田正馬が作り出した神経症に対する行動療法。
西洋医学にはない・東洋ならではの思考回路が生み出した手法。
上にあるような「人なら誰にもよくあること」を流せない人に対しては、行動を習慣として身心にプログラムとしてインプットすることで、神経症症状をクリンチして回避セヨ、と説く。

この森田療法については、多くを学んだ。
しかし・・・。
行動療法、とコトバにするのはカンタンだが、実際は異なる。

時には避けている「恐怖突入」などを含めて、リアルに必死にならなければ峠を越えることは出来ない。悟りに近い鍛錬(ディシプリン)が無いと越えられない。
まるで「根性論」のようであるが、生きるなんてものは、そんなもの。キレイごとで済むわけが無い。


***

話しは戻る。

森田療法はあくまで神経症レベルの話しに過ぎない。
上記のサブリミナル・マインドや脳障害などとは、わずかにしか接近する部分は無い。

最初に戻って、過去の上司にウリ2つなしゃべり方をする「彼」だが、見ていて他人事では済まない部分がある。

例えば、とある外部の職場とお付き合いして、日々電話などしたり応答をしていると、同じ場所で働いているのは幾人も居るのに、
みんな言動・行動が、あるいは、話し方のトーンやイントネーションが微妙に似通っているのを体験してしまうことがある。

空気感染のように、サブリミナルな領域で、異なる人が「同期化」するのを目撃すると、気味が悪いものである。
だが、そういうことが起きているのは真実。

気が付かないあいだに、サブリミナル世界は、その人の多くの領域を覆っている。
あるいは、世界もそういうものに覆われているとも言える。
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2011年12月19日 月曜日  山椒魚の夜間飛行 とある拾参夜  - 他者 -

2011-12-19 21:46:43 | 雑記帳


■ぐるぐる回る
今日は、まだ旅の疲れが取れぬまま漂った。
日中の仕事のさなか、頭の中を鳥肌実せんせいの会話がエンドレスに流れていた。

当初は、あくまでお笑いの延長線上で右翼的な発言スタイルを取っていた鳥肌せんせい。
・・・・ところが、今ではお笑いでも芝居でもなく、本物の真性右翼におおむね変態した鳥肌せんせい。

もはや、逆戻りは出来ない。
鳥肌せんせいの「行くところまで行くしかない。退路は絶たれた。」まま、本物へと突き進む様は、自分が愛するものの一部。

今日、頭の中をぐるぐると回っていたのは、2004年ごろ、鳥肌さんのCDで聴いていた初期のスタイルのコトバたち。
当時、42歳厄年男の設定だった鳥肌さんは、山崎パン工場内のサンドイッチ班・ピクルス担当として「朝の6時から朝の6時まで(=24時間)」働いていた。

あの頃の、鳥肌さんのルサンチマン発言は、今でも新鮮で、ニーチェじゃないが「人間的な、あまりに人間的」に私の体内をぐるぐる回る。

「ああ、今日も、単純作業のお出ましだ。」
「きゅうりは2枚だと、あれほど言っただろう!」
「巨大なジャムパンが攻めてくる。」
「オレはなあ契約社員なんだよ。。。。年下のくせに、アゴで使いやがってぇ。」
「尊敬するアーチストは、池田大作です。」
「休憩時間には、アムーウェイの勧誘に努めております。」
「土日は創価学会員と殴り合っております。」

そんなくだりが、頭の中をめぐりめぐる日。。。

■「空気」
話しを移す。
もしも、災害・事故・病気をまのがれて生きることが出来たとしても、何年生きられるか?
という未来予測は不可能。

ならば、如何にして、自分と大事な人との残り少ない時間を大事にするか?
それしか無い。

家族旅行から帰った私の思念は、さらにその念を強めた。
旅行帰りの翌日のお勤め。
朝から「ひとびとの振る舞い」を見て、「相変わらず、しょーもないなぁ・・・・・」とつぶやき・思わず苦笑。

距離を置いて見える者たちは、何か大きな勘違いをしたまま生きているように映る。
違和感を覚える。

まだ読めてはいないが有名な山本七平の著作「空気の研究」、近時ハヤった「KY(空気読めない)」なるコトバ。
「は~い右に曲がってぇ~」「は~い、今度は左にぃ~」・・・
インストラクターとのエアロビクスのように「は~い、ワン・ツー、ワン・ツー・・・」。
目に映る者たちが、周囲の空気次第でしか動けない烏合に見えてしまう日。

良い意味で、楽で効果を産むような・・・positiveな生きる方向への動きならまだしも、どうも彼らはそんなことまで考えている気配は無い。

■三人称「彼・彼女」
「わたし」にとって、しょせん他人以上の存在では無い人。
そんな他人は、彼らにとっても他人である「わたし」の命を保証しない。
むしろ、ああだのこうだの「わたし」の命を削る目的としか思えない方法で、小じゅうとのように口うるさい。

他人にしか過ぎないのに。
そういう者ばかりで形成された組織なり社会。

幸福だった「あのころ」とは異なって、実はハラの中には、誰も周囲が仲間だなんていう馬鹿な意識を思っては居ないはず。。。
と思うが、未だに構成員=仲間と勘違いした時代錯誤者が居たりする。

ごく一部の親しい仲間以外は、当たり前だが=(イコール)居ても居なくても良い登場人物・ボトルネック抱えた人だったり・・・。
六人部屋の病室に入ってしまって、単に同じ部屋割りになったときみたいに。
他人が身近に居るときに、体内が発する不愉快・不快感。

いっぽう、電話で他部門や外の人と会話を交わしたり・そこへ訪問して話すことは、お互いの歩を進めることであり、不快感はない。
そこで萌芽した何か小さいものは、最終的に影響効果が「ご利益」として還元される可能性があり、努めてそこには熱心たろうとする。

彼らとは仲間という意識が芽生え。/その一方で、近くに居る者への違和感を感じるちぐはぐ。

■「空気」×「彼・彼女」=「珍妙空間」
単に偶然同じ部屋割りなだけなのに、気が狂い「勘違いした他人」は、勘違いしたまま暗黙の了解を越えて「構成員だから・・・」と、他人の身内が亡くなれば、本人に会った事すらないのに、土足で他人の葬儀にジャマしに上がりこみ、不遜にも焼香をして、酒や食い物を飲食ちらかして帰っていく。まるで盗っ人みたいに。酒を呑みに来て去っていく者も多い。

元々、葬儀・結婚式含む冠婚葬祭とは、血が繋がった親戚縁者・友人・身近な者だけで行うもの。それ以外は関係が無かった。

しかし、他人の身内の葬儀にでかい迷惑花輪やら、結婚式の仲人だの・・・筋違いはなはだしい「余計なお世話」が頻繁に発生する。
そこに家族的融和が実現しているならまだしも。頼む方も頼む方だが。

まるで新興宗教や細木数子が、勝手に他人家系のDNAに介入してくるのと似ている。

バブル後、どん底まで没落した日本・やっとカネが尽きたお陰で、近時は、そういった勘違い者を排除・お断りする傾向はあるし、自分も一切お断り。
もし、自分の身近にそういうことが起きたら、一生の「仲間(グル)」「友人」「身内」と認識する者以外は塩をかけて追い返すしかない。

何のために働くか?=それは生活費のため「だけ」。
それ以上もそれ以下も、何も無い。
そんなドライが正しいことなのに、まだ日本人はウェットな「空気」や他人に引きづられる。

ただ、一定時間拘束されるからには、楽しい方が良いし・やったことが報われた方が良いし・良い事が多くあった方が良い。
また、拘束されながらも主体的に動けば、学ぶことも多くあり。それだけのこと。それ以外、自分には意味が無い。

■「忘れてええんかい?」-Forget Year Party-
先週金曜日「大忘年会」とやらが唐突に出現した。自分は「NO」と断った。

というのも、用事があり・もてなす先客が居るから。
土曜日~日曜日の家族旅行は既に予約されており、金曜日の夜は親の準備の手伝いも元々あった。
心の中で「だいたいが数日前になって、さあ大忘年会ですよお」と表明する女へ理解不能と疑問符。

「いろいろあった1年ですが、皆さま、1年を振り返りながら楽しくのみましょう!!(幹事:KY)」

「いろいろあった1年って、何だよ?ネエちゃん。それで済ますんかいな。お気楽やねぇ。」
3・11後の日々の混乱の中での地道な人々の苦労も知らない。
3・11当時居なかった4月からの新人ネエちゃん。
そんな者に、そういうセリフを言われる覚えはない。
冗談にもならん、と頭の栓が切れた。

3・11発生前からあった(いつかのための)危機管理マニュアルなるモノもリアルな現実の前で、何の役にも立たないコトが見事に証明されてしまった2011年という年。
そういう年に「年末だから・・」という誘い・結ばれてなど居ない糸の者に付き合う「ナゾの日本人」的世界(外国から理解されない)の中に入るほど、自分も人で無しではない。

同席するVIPの好み中心にしか飲・食・場所を考えない女子幹事。しかし、それでも何も言われないのは、女に何かを言うと面倒な取り巻きが居ることに拠るだけ。ハチの巣をつつくようなもの。
女子力なる、あまり聴いたことの無いコトバを言っている人を見たことがあるが、昨今世間で呼ばれているのは、どういう意味なんだろうか?
意味を調べたこともなく、テレビ番組も選んでしか見ないので、最近のコトバには無知なのだが。
ただ、見た目はどう引いて冷静に見ても、自分の目には、キャバクラ・風俗の延長線上にしか映らない。

■「オシャレな方々」
最近、20代、30代と言った、自分より若い世代が、コビへつらう場面を見ることが身近に多くなった。
自分は(関わると単純に面倒なだけの陰湿女以外は)じかに「こうした方が良いんじゃないの」と言うようにしている。
「まだ、20代、30代の段階から、そんな折れ曲がり方してたらどうないすんねん」と思いながら。

今年は、見事・あっぱれなことがあった。
聖職者と打合せした議事録を、同席した30代後輩が書いた。
配布されたものには、自分が話したくだりは全部カットされ、聖職者に都合の良い部分だけで仕上げられていた。
フィクションの世界。
「お前は情けないヤツだなあ。30代にして、偽造議事録か。。。。自分が何を言いたいかは分かるだろう?
今度から録音機器持ち込むのでヨロシク。」

正直、社会の中に居ると役にも立たないアイデア、明白な三文芝居に、案外コロリとだまされる「見るチカラ」の無い人がたくさん居るものだ、と感じることが多い。
童話の「裸の王様」じゃないが、みんな笑いをこらえているのに、安っぽいモノや考えが道の真ん中を、堂々と平気なツラ下げて歩いていたりする。

・・・・これを世間の現場に展開してみると、マンガとしか言いようの無い状態。
しかし「そんなものだ」とサブリミナルに刷り込まれていたりするケースも多いようだ。
(ちなみに、マンガとは日本が作った偉大なカルチャーということを理解した上での言い回し)

●優しいフリや如何にも他人を気遣ったようなフリを、見せる人の居るところでのみ指導や差配を見せる人。
●電話での会話で、都合の良いエッセンスの部分だけ、周囲に聞こえるように大声でしゃべる人。

しゃれにしては、キツすぎる事象は、あげていくと尽きない。。。。

***

明日が分からぬ時代。

自分が日々意識しているのは、生活費をもらうに課せられたに相対するミッションを果たすことに集中する、それのみ。
といっても、それが十分出来ているとは思っては居ないが。

しかし、それ以外の「空気」だの「結束」だのを強要されるのは、筋が違う。
私は、お勤めで死ぬつもりはない。
もっと大事なものがある。さらに残り時間さえも少ないかのだから。。。
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2011年12月17日 土曜日 二千拾壱年、師走の旅

2011-12-17 07:56:07 | 雑記帳


近時、不意にミュージシャンや俳優を見て、その老いに驚愕することが多くなった。
まあ、みんな同じく歳を取っているのだから、当たり前なことだが、その様を目の当たりにすると感じるものは多い。

そういう感覚は、身近な身内に対しても同様。
11月に、家族4人+兄の奥さんで、お袋さんの81歳の誕生祝いをしたときのこと。
お酒も入る中、ロックなお袋さんの歳を感じさせない突き抜けた会話と笑い。

さまざまないさかいや争いがゼロになったわけではないのだが、昔では親に言えなかったコトも次第に言えるように・・・
というか、もう全て明日は無いという意識の中、いまさらどうでもいいと、他人同士の家族は、今、溶け合い出している。

この5人がこうしていられる保証は明日も無いならば、今しかないだろう、と思った。
そこで決断。

全てお膳立てをして、一泊二日の伊豆への温泉旅行を企画した。
4人への、今年最後のプレゼントゆえ、思い切って老舗の旅館を取った。
最後の旅になるのかもしれない、そう思いながら。

これから東京駅に向かい、踊り子号で旅立つ。

コチャコさんも連れて行くことを視野には入れていたが、最終的には、トイレやストレスを考えたら逆に可愛そうだという結論に至った。
コチャコさんへ 寂しい思いをさせてすみませんが、お留守番ヨロシクね。
コメント (2)
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2011年12月16日 金曜日 山椒魚の夜間飛行 とある拾弐夜 - 風に語りて -

2011-12-16 20:52:02 | 音楽帳
キング・クリムソンのファースト・アルバムには夜しか似合わない。
リアルタイムでは聴けず、追体験した自分はそう当時を想像する。

1969年、昭和で言えば44年。自分は3歳、兄は9歳。
テレビでロックがかかるなどはまだ異質であり、茶の間とテレビのチャンネル権は、当時殺すべき対象の家父長にあった頃。

潜んだ仲間たちが分かち合うネットワークは、ラジオ放送、もしくは、限られた採算ラインぎりぎりの雑誌しか無かったであろう。
潜んだ仲間たちは、当時夜な夜なこの曲を、このアルバムを、聴いていた。
そのシーンを想い描く。
なんとも切ない気持ちになる。



「風に語りて」・・・。
A面2曲目のこの曲は、多くのミュージシャンにカバーされている。

「わたし」は風に話しかけてみるが、風は何も言わない。
風はただ黙って吹いているだけ。

まだ夜が静けさ・覆う空の下の闇に包まれていた時代の刻(とき)。
聴く人々は、そこに深く刻まれたものに向き合っていたであろう、人それぞれの孤独な刻と想い。

もはや騒がしさの絶えない2011年の夜。
当時の夜の漆黒の闇に想いを馳せる。

生きる、とは何か?
そんなうずきと痛みを伴う問いに、一つの回答を提示してみせた哲学「風に語りて」。

■King Crimson 「I Talk to the Wind」■
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