春だ!修ニ会だ!春日大社だ~!!!(謎)
ってことで、慌てて予定を組んで遠征してきました>奈良。
どうせ行くならお水取りも久しぶりに見るかってことで、
3月14日の最終日に滑り込んだのですが、
久しぶりの土日日程であることに気がついたのは現地についてからであった。
(と毎度まいど、この銚子なワケですが)
とりあえず昼過ぎに奈良に入り、
昼ごはんとショッピングを楽しみに奈良ファミリーへ(何故?)
それからテクテクと歩いて法華寺へ向かいます。
大極殿北の道を東へ向かって歩いていて行き、
途中にあった平城天皇陵をこのたび初めてお参りしましたわ。
ここに限らず、両サイドを住宅街に侵食されている天皇家のオハカって、
どうしてこうも、似通った参道脇の風景なのかしらねとか思いつつ…。
(聖武天皇陵しかり、長屋王の墓しかり)
この古墳は築造年代(5世紀後半くらい)と、
平城天皇の没年代(9世紀はじめ)が合わないので、
もともとココにあった古墳を再利用して(!)平城天皇の陵としたようなのだけど。
京都に奠都したものの「奈良に帰りたいよ~」って思っていた
平城天皇の叫びは、私にはよく判るので(笑)
ココにお墓があるのは正しいのかもしれないけど。
もともとの持ち主(?)はこの暴挙をどんな風に思ったことか、と。
さらに東へ向かい、辿りついた法華寺は、
ただいまの会期は雛人形をお飾りしている時期でして、
東書院でたくさんの雛人形を鑑賞しました。
残念ながら写真撮影禁止だったので写真はありませんが、
香淳皇后から贈られたとか、
貞明皇后拝領の御所人形とか由緒正しい人形が並び、
ここは天皇家ゆかりのお寺なんだよなーと実感。
その後、本堂をお参りして、
久しぶりに「光明皇后の姿に生き写し」っていうご分身の十一面観音像を拝みます。
あと半月もしたら、今は閉じられているお厨子の中の本尊のお顔も拝せるようになるしね。
その頃また来なくちゃ(へへへ)
本堂内をまったりと見て歩いていたら、表の障子に影を映しながら、
猫が「にゃーにゃーにゃにゃー」と鳴き攻撃を開始。
お寺には猫がよく似合う。
すわ、野良猫が本堂に乱入か?って思っていたら、お寺の係りの人が外へ出て、
「スミちゃん(?)」って呼びかけてました。
あらら、飼い猫?
すると庵主さまが現れ「あのースミちゃんが来たんですけど」というと、
「おお、スミちゃん来たの」とひょいと肩に乗せて去ってゆかれました。
どうやら夕方のお食事のようです。
そういえばどこかのお寺でも、庵主さまに懐いて、エサをもらっていた猫がいたっけ。
あんまり猫の様子を見ることはできなかったんだけど、
次回また、夕方に来たら再会出来るかな?
法華寺をおいとまして、新大宮まで歩き、ヒト駅のって近奈良へ。
そしてお宿に荷物を置いてから、慌てて二月堂を目指します。
本日は最終日なので6時半から「おたいまつ」の予定なのに、
ついついのんびりしすぎていて、気がつけば5時半でしたもん。
宿からまっすぐ東へ向かって、NHKの前を通り、天極堂で北上して、急げ急げ。
とりあえず6時前に二月堂の前には出られましたが、もうもの凄い人出。
そうだ、今日、土曜日だ…。
久しぶりに平日じゃないお水取りだったもんで、土日の人出の凄さを忘れておりました。
あげく本日は最終日だもん。
人、多くて当たり前か。
とりあえず、仏餉屋の前には立てたんだけど、
右手の閼伽井屋方向からの広場(?)には行けないようにロープが張ってある。
どうやら手向山八幡宮方面やら、猫段方面から登ってきた人たちとは
区画ワケがなされていて、登ってきたルートによって、留まれる場所が限られているようす。
まあ、私はおたいまつ終了時に登廊から上へ登れればいいので、
この場所はベストポジションだったんですけどね(謎)
では、この待ち時間を利用して(?)お水取りスケジュールについておさらい。
ニュース映像ではこの「松明」ばかりがクローズアップされるため、
何故「火」を扱っているのに、「お水取り」って言われるのか判らんと思いますが、
もともと水を汲み上げて本尊に供えるという行があるため「お水取り」と呼ばれるのであって、
「松明」自体はおまつりの主要なものではない。
松明は、もともと電気のない時代に、二月堂に上堂する練行衆の足元を照らす
明かりとして用いられたもので、なにも高覧から火の粉を落とすために
”アレ”をやっているわけではない。
ってことで、11人の練行衆が二月堂に向かうためにともされるのが「おたいまつ」
このうち「処世界」という役どころの人は、すでに準備のため上堂しているので
おたいまつの必要がない。
ってことで、11-1=10本のお松明が毎日上がる。
ただし、ひときわ大きなお松明である籠松明があがる12日だけは、
この処世界という練行衆も一緒に上堂するため、全部で11本の松明があがるということに。
…ということで。
そうこうしているうちに30分ほど待ち、いよいよおたいまつ10本連続登壇です。
しかし参籠所のかげになって、登廊がまったく見えない場所にいたので、
登壇する人の姿&登っていく松明の絵は全く見えず。
とりあえず二月堂の正面にいるので、松明が登ってくれば見えるようになります。
(それでも左手に参籠所、右手に良弁松。
その間のわずかな”正面”だけが私に見える空間なんですけどね)
一日から13日までの松明は一本一本(ひとりひとり)上がって行きますが、
最終日ばかりは前との間隔を詰めて、一気に上がっていくので、
10本勢ぞろいが短い間に完成します。
(それでも先頭の松明は結構燃えてボトボト落ちてましたけど)
十本全部がグルグルまわされて、火の粉を落とすその光景は、
さしずめ花火の「ナイヤガラの滝」状態。
前の人は歓声を上げてますが、あんなかぶりつきで見てたら、
頭萌える、否、燃えるぜぇ~(ははは)
実際、”下界”に帰ってきて、コートがススだらけとか、
アタマに燃えカスが…ってこともありましたし。
久しぶりに見た「おたいまつ」はそれでもなかなか迫力があって、
ああ、修ニ会だなあとしみじみと感動。
松明が撤退して、「おたいまつは終了です」の奈良県警のアナウンス。
「おたいまつ」の見学者はそこで帰宅するようですが、
本当に面白いのはココからだよ~ん。
(オモシロイとかゆうな>仏教行事なのに)
ということで登廊前の規制線手前に並んで待ち、
すべてのお松明が戻ってきたあとで、警戒態勢が解かれていよいよ登檀再開です。
まずは、お参り…ではなく、本堂向かって左手にある茶屋で腹ごしらえです(をい!)
というのもですね。ここ、参詣うどんなるものがあるのですが、
まだ体験したことがないのですよ、アタクシ。
ということで。
何故か今年はこれを体験せねばならんって気になって(何故なんだ?)
いつぞやも入るには入ったことがあるんだけど、すごい行列で。
狭い店内に人があふれていて、並ぶのも席取りもムリそうだったので諦めた。
そのリベンジですから、とりあえず階段を登りきったら、店内へ入るぞ!!おお!!
狙い通り、登檀が再開したばかりの店内は空いていて、座り放題♪
わーい☆ってことで、うどんと助六をゲットして、まずは腹ごしらえです。
ハフハフしていたら、あれよあれよという間に、店内はごった返してきて、
身動きできない状態に。ふふふ、今回はうまく行ったわ(^^)
ってことで、ツルツルいただいた後は、速やかに撤退して次の人に席を譲りました。
それから参拝(をい)
正面にて、この一年の無事を祈りました。
それも無事済んで、さてこれからどうしましょう。
本日は最終日ということで、行を見学するつもりなんだけど。
明け方まで続くので、しばしの間は下界にて待機していようかなと一旦”下山”。
そこで時間つぶしのために書店に入ったところ。
なんと、そこで、『天上の虹』最終巻が並んでいるのに気がついて…。
買う!買う!!絶対に買う!!!
そして、読む!
ってことでコーヒー片手に早速それを読みました。
『天上の虹』とは副題が、”持統天皇物語”。
里中満智子大先生が30年間に渡って書き続けてきたライフワークとなった作品。
奈良時代マンガの三部作の、時代的には一番最初に位置するものなのに、
最後の最後に完結することになったという作品。
最終回では讃良(持統天皇)の崩御が描かれているのだけど、
なんかそれを読んだら号泣してしまいましたわ。
持統天皇が崩御するなんて1300年前にわかっている事実なのに、
とうとうそれが来たかって感じで、マジ、泣いてしまっている自分に驚愕。
サイン会や、講演会に行くたびに、「里中センセ~早く続き書いて~」
とか茶化していたけど、いざ完結してしまったとなるとホントに寂しい。
いや~無事に完結してよかったです。
里中先生、お疲れ様でした。
さあ、泣いてばかりもいられないよー。
二月堂行かなくちゃってことで、気を取り直して再度二月堂へ。
さっき下山した時は人がイッパイいた道も、今では鹿がいるばかりになっていました。
くらーい道をひたすら鹿の監視の中登っていくと、
二月堂の前は煌々と明るく、ヒトもいて、ほっと一安心。
堂に再度上がると、見物のお客さんはたくさんいて。
あんたも好きねえ~状態。(その物好きの一人なんですがね)
とりあえず南の局にもぐりこんで、「走り」と「韃靼」の行を見学しました。
※局の図解はこちらを参考に。
(→http://www.enyatotto.com/fieldnote/narabonchi/syunie/field100.htm)
あまりスケジュールを押さえていかなかったので、
次に何がくるかってのがわかってないの(ダメじゃん)
「走りの行」とは、練行衆が堂内を走り回って行う行。
『二月堂縁起』によれば、
天平勝宝三年に東大寺の実忠和尚が笠置寺の龍穴を覗き、そこから先に進むと、
なんとそこは都率(とそつ)の内院であった。
そこでは、天衆(てんじゅう)たちが集まり、
十一面観音に悔過(けか)を勤修(ごんしゅ)しておった。
その姿に感動した実忠は、人間界でもこの行をやりたいと思ったが、
聖衆たちは「ここの一日は人間界の400年に当たるから、
同じコトをしても、同じようにはおさめられないであろう」とつれない返事。
しかし引き下がらない実忠は、「さすれば走りながら、その行を行うことにしましょう」
といって認められたとか。(どんな俊足?!)
最初は木沓(差懸・さしかけ)の音が「ガタンガタン」聞こえていたのが、
そのうち沓をぬいで走り出すと、バタバタという音が聞こえてきて、
堂正面(西の局)では五体投地が行われている様子。
体を踏み切り板のような板に打ちつけている
「ダン!ダンダン!!」というリズムが聞こえてきます。
韃靼の前には「後夜」の勤行として、大導師作法、咒師作法などがあったようです(をい)
※だって、「これから○○の行です」とかってアナウンスがあるわけじゃないんだもの★
この時、途中「内閣総理大臣安倍晋三~」の声が聞こえてきて、慌てて耳を澄ますと、
各大臣の名前も読み上げられてました。
(ころころ大臣変わっているから、突然の辞任とかにも対応しなくちゃいけないんだよね、
とかとかくだらないことも考えたりして)
ってことは、これは過去帳読み上げか?
(後鳥羽天皇…という名を聞いたような気もする)
日本語で読まれているんだけど、走りの行のその通り、
とくかく急いでいる様子ってのが、その早口からもうかがい知れます。
ほとんど最後の方は「読み飛ばし」のように早すぎて聞き取れません。
そして「韃靼」
木造建築物の中で、火がついた松明を振り回して歩くという暴挙。
薄暗い堂内が火の明かりで明るくなり、その光が内陣を照らしてゆきます。
いやー、これで火事にならんほうがおかしいでしょ。
(て、毎回これで火事が起こっていたら困るけど)
実際、寛文7年(1667)2月14日未明の「達陀」の残り火で二月堂は全焼。
現在の建物は、寛文9年(1669)に再建されたものだとか。
ほら貝が鳴り響いていたり、焔の明かりで堂内が明るくなったりと、
あまり体験したことがない感じに、行のクライマックスを感じました。
それが終わると練行衆のみなさまは一旦下堂されるので、
私も堂を出てコーヒーなど飲んで暖を取り、再度上堂されるのを待ちます。
例の茶屋はまだまだ営業していて、「お寿司半額です~どうぞぉ」と呼び込みをしていました。
そして、お茶屋の方の内陣入り口で上堂を待っている人が多いので、それにつられて立っていたら、
上堂してきた練行衆が再度堂内へ入るのが見られました。
それから西の局へ行ったんだけど、ここは満員で入れなさそう。
しょうがないので舞台で立っていたら、近くにいたお嬢さんが
「もうすぐ出てくるから、そうしたら南天もらってかえれって(意訳)」
なる謎の言葉を発していたので、とりあえず北の局の前で待っていたら…。
中では行が続いているのでしょうが、
もうそろそろ「お片づけ」の時間なのか、北の扉が開いて、
いろんなものを運び出す東大寺法被のひとたち。
これが「破檀」というものか?
お供えされていたであろうお餅や、法要の道具、そして紙で作った椿>糊こぼしが
法被姿の人によって堂内から取り出され、運び出されています。
おおう、あれ?もう終わりなの?と思いつつ、坊様たちは誰も出てこなくて。
その間もお片づけは着々と進んでいるようで、
韃靼で使用したのか焼け焦げた竹(?)の束を、
法被姿の人が水のはった入れ物にいれた途端、
周囲にいた人たちが群がってそれの争奪戦が開始!
よよよ。
どうやら、檀を飾っていたものは撤去された後は、ゴミ置き場としての
手水の脇のスペースに置かれて、それは自由に持ち帰れるようです。
しかし、黒こげになったのをもらって帰ってもなあ…。
とか思っていたら、登場しました>先ほど話題にしていた南天の枝。
南天と焼けてない竹の束を持った人が出てきたので、
これはねらい目ってことで、これだけもらってきました。
争奪戦の戦利品(^^)
南天はもっと実がついていたけど、持ち帰る際にボロボロ落ちてしまいました
この時ですでに深夜2時をまわっています。
今年はあったかいななんて、思っていたものの、
奈良の深夜をなめるなよって感じで。
この頃から猛然と寒くなってきて、
立って出待ちをしていたら膝がカクカクするようになってきました。
おおお、震えが止まらない。
しゃーないから、待ち時間の間に、足とおなかにカイロを貼ったり、
足にユニクロダウンを巻いたりして対処。
オーバーパンツでもはいてくればよかったかなあとか後悔。
その後、南側で結構人がはっていた(?)ので私もそちら側で待っていたら、
扉が開いて、なにやら法被姿の人が松明を用意し始めまして。
おお、こちら側から出てくるのか…。
(何も判ってないワタクシ★)
そうしたら私が立っていたすぐ前で、松明を持った人たちが横並びになって生垣(?)を作り、
中から出てきた練行衆さんたちを迎えました。
おお、何も考えてなかった割に、いい場所ゲットしたんだわ☆
と思ったら、松明を手にした人と練行衆さんがペアになり、
本堂向かって右側の階段を下りてゆきます。
慌てて階段下が見える舞台まで走り、
見てみると、本堂下にある社に詣出てお参りしておりました。
このお参りは「惣神所」(そうのじんしょ)と呼ばれるそうで、
本堂下の東大寺地主神である興成(こうじょう)神社、
二月堂南の高い場所にある実忠ゆかりの飯道(いいみち)神社、
本堂北側・手水舎の脇にある遠敷(おにゅう)明神、
の三社に詣でて、修ニ会の満行の報告を行うもの。
これで修ニ会が終わりましたよ、ありがとうございましたという報告のようです。
ああ、これで終わったのね。
ほっ。
これが終わると堂をおりてゆく練行衆のみなさま。
どうやらこれで終了らしい。
私の体も限界が来たようなので、そそくさとおいとますることに。
サムサム…と唱えながら、お宿まで戻ってきました。
お宿入ったら、あったかくてほっとした~☆
しかし顔洗って、鼻をかんだら、鼻水が真っ黒だったことにびっくり!
そういえば、鎮守三社に付き添う人のお松明の真後ろ立っていたっけ。
たったあれだけで、鼻水が黒くなるなんて、
ずっと松明持っている人にいたっては…(以下略)あはははは。
眠さと、寒さで限界だったので、もうその後は泥のように眠りました。
(つづく)
ってことで、慌てて予定を組んで遠征してきました>奈良。
どうせ行くならお水取りも久しぶりに見るかってことで、
3月14日の最終日に滑り込んだのですが、
久しぶりの土日日程であることに気がついたのは現地についてからであった。
(と毎度まいど、この銚子なワケですが)
とりあえず昼過ぎに奈良に入り、
昼ごはんとショッピングを楽しみに奈良ファミリーへ(何故?)
それからテクテクと歩いて法華寺へ向かいます。
大極殿北の道を東へ向かって歩いていて行き、
途中にあった平城天皇陵をこのたび初めてお参りしましたわ。
ここに限らず、両サイドを住宅街に侵食されている天皇家のオハカって、
どうしてこうも、似通った参道脇の風景なのかしらねとか思いつつ…。
(聖武天皇陵しかり、長屋王の墓しかり)
この古墳は築造年代(5世紀後半くらい)と、
平城天皇の没年代(9世紀はじめ)が合わないので、
もともとココにあった古墳を再利用して(!)平城天皇の陵としたようなのだけど。
京都に奠都したものの「奈良に帰りたいよ~」って思っていた
平城天皇の叫びは、私にはよく判るので(笑)
ココにお墓があるのは正しいのかもしれないけど。
もともとの持ち主(?)はこの暴挙をどんな風に思ったことか、と。
さらに東へ向かい、辿りついた法華寺は、
ただいまの会期は雛人形をお飾りしている時期でして、
東書院でたくさんの雛人形を鑑賞しました。
残念ながら写真撮影禁止だったので写真はありませんが、
香淳皇后から贈られたとか、
貞明皇后拝領の御所人形とか由緒正しい人形が並び、
ここは天皇家ゆかりのお寺なんだよなーと実感。
その後、本堂をお参りして、
久しぶりに「光明皇后の姿に生き写し」っていうご分身の十一面観音像を拝みます。
あと半月もしたら、今は閉じられているお厨子の中の本尊のお顔も拝せるようになるしね。
その頃また来なくちゃ(へへへ)
本堂内をまったりと見て歩いていたら、表の障子に影を映しながら、
猫が「にゃーにゃーにゃにゃー」と鳴き攻撃を開始。
お寺には猫がよく似合う。
すわ、野良猫が本堂に乱入か?って思っていたら、お寺の係りの人が外へ出て、
「スミちゃん(?)」って呼びかけてました。
あらら、飼い猫?
すると庵主さまが現れ「あのースミちゃんが来たんですけど」というと、
「おお、スミちゃん来たの」とひょいと肩に乗せて去ってゆかれました。
どうやら夕方のお食事のようです。
そういえばどこかのお寺でも、庵主さまに懐いて、エサをもらっていた猫がいたっけ。
あんまり猫の様子を見ることはできなかったんだけど、
次回また、夕方に来たら再会出来るかな?
法華寺をおいとまして、新大宮まで歩き、ヒト駅のって近奈良へ。
そしてお宿に荷物を置いてから、慌てて二月堂を目指します。
本日は最終日なので6時半から「おたいまつ」の予定なのに、
ついついのんびりしすぎていて、気がつけば5時半でしたもん。
宿からまっすぐ東へ向かって、NHKの前を通り、天極堂で北上して、急げ急げ。
とりあえず6時前に二月堂の前には出られましたが、もうもの凄い人出。
そうだ、今日、土曜日だ…。
久しぶりに平日じゃないお水取りだったもんで、土日の人出の凄さを忘れておりました。
あげく本日は最終日だもん。
人、多くて当たり前か。
とりあえず、仏餉屋の前には立てたんだけど、
右手の閼伽井屋方向からの広場(?)には行けないようにロープが張ってある。
どうやら手向山八幡宮方面やら、猫段方面から登ってきた人たちとは
区画ワケがなされていて、登ってきたルートによって、留まれる場所が限られているようす。
まあ、私はおたいまつ終了時に登廊から上へ登れればいいので、
この場所はベストポジションだったんですけどね(謎)
では、この待ち時間を利用して(?)お水取りスケジュールについておさらい。
ニュース映像ではこの「松明」ばかりがクローズアップされるため、
何故「火」を扱っているのに、「お水取り」って言われるのか判らんと思いますが、
もともと水を汲み上げて本尊に供えるという行があるため「お水取り」と呼ばれるのであって、
「松明」自体はおまつりの主要なものではない。
松明は、もともと電気のない時代に、二月堂に上堂する練行衆の足元を照らす
明かりとして用いられたもので、なにも高覧から火の粉を落とすために
”アレ”をやっているわけではない。
ってことで、11人の練行衆が二月堂に向かうためにともされるのが「おたいまつ」
このうち「処世界」という役どころの人は、すでに準備のため上堂しているので
おたいまつの必要がない。
ってことで、11-1=10本のお松明が毎日上がる。
ただし、ひときわ大きなお松明である籠松明があがる12日だけは、
この処世界という練行衆も一緒に上堂するため、全部で11本の松明があがるということに。
…ということで。
そうこうしているうちに30分ほど待ち、いよいよおたいまつ10本連続登壇です。
しかし参籠所のかげになって、登廊がまったく見えない場所にいたので、
登壇する人の姿&登っていく松明の絵は全く見えず。
とりあえず二月堂の正面にいるので、松明が登ってくれば見えるようになります。
(それでも左手に参籠所、右手に良弁松。
その間のわずかな”正面”だけが私に見える空間なんですけどね)
一日から13日までの松明は一本一本(ひとりひとり)上がって行きますが、
最終日ばかりは前との間隔を詰めて、一気に上がっていくので、
10本勢ぞろいが短い間に完成します。
(それでも先頭の松明は結構燃えてボトボト落ちてましたけど)
十本全部がグルグルまわされて、火の粉を落とすその光景は、
さしずめ花火の「ナイヤガラの滝」状態。
前の人は歓声を上げてますが、あんなかぶりつきで見てたら、
頭萌える、否、燃えるぜぇ~(ははは)
実際、”下界”に帰ってきて、コートがススだらけとか、
アタマに燃えカスが…ってこともありましたし。
久しぶりに見た「おたいまつ」はそれでもなかなか迫力があって、
ああ、修ニ会だなあとしみじみと感動。
松明が撤退して、「おたいまつは終了です」の奈良県警のアナウンス。
「おたいまつ」の見学者はそこで帰宅するようですが、
本当に面白いのはココからだよ~ん。
(オモシロイとかゆうな>仏教行事なのに)
ということで登廊前の規制線手前に並んで待ち、
すべてのお松明が戻ってきたあとで、警戒態勢が解かれていよいよ登檀再開です。
まずは、お参り…ではなく、本堂向かって左手にある茶屋で腹ごしらえです(をい!)
というのもですね。ここ、参詣うどんなるものがあるのですが、
まだ体験したことがないのですよ、アタクシ。
ということで。
何故か今年はこれを体験せねばならんって気になって(何故なんだ?)
いつぞやも入るには入ったことがあるんだけど、すごい行列で。
狭い店内に人があふれていて、並ぶのも席取りもムリそうだったので諦めた。
そのリベンジですから、とりあえず階段を登りきったら、店内へ入るぞ!!おお!!
狙い通り、登檀が再開したばかりの店内は空いていて、座り放題♪
わーい☆ってことで、うどんと助六をゲットして、まずは腹ごしらえです。
ハフハフしていたら、あれよあれよという間に、店内はごった返してきて、
身動きできない状態に。ふふふ、今回はうまく行ったわ(^^)
ってことで、ツルツルいただいた後は、速やかに撤退して次の人に席を譲りました。
それから参拝(をい)
正面にて、この一年の無事を祈りました。
それも無事済んで、さてこれからどうしましょう。
本日は最終日ということで、行を見学するつもりなんだけど。
明け方まで続くので、しばしの間は下界にて待機していようかなと一旦”下山”。
そこで時間つぶしのために書店に入ったところ。
なんと、そこで、『天上の虹』最終巻が並んでいるのに気がついて…。
買う!買う!!絶対に買う!!!
そして、読む!
ってことでコーヒー片手に早速それを読みました。
『天上の虹』とは副題が、”持統天皇物語”。
里中満智子大先生が30年間に渡って書き続けてきたライフワークとなった作品。
奈良時代マンガの三部作の、時代的には一番最初に位置するものなのに、
最後の最後に完結することになったという作品。
最終回では讃良(持統天皇)の崩御が描かれているのだけど、
なんかそれを読んだら号泣してしまいましたわ。
持統天皇が崩御するなんて1300年前にわかっている事実なのに、
とうとうそれが来たかって感じで、マジ、泣いてしまっている自分に驚愕。
サイン会や、講演会に行くたびに、「里中センセ~早く続き書いて~」
とか茶化していたけど、いざ完結してしまったとなるとホントに寂しい。
いや~無事に完結してよかったです。
里中先生、お疲れ様でした。
さあ、泣いてばかりもいられないよー。
二月堂行かなくちゃってことで、気を取り直して再度二月堂へ。
さっき下山した時は人がイッパイいた道も、今では鹿がいるばかりになっていました。
くらーい道をひたすら鹿の監視の中登っていくと、
二月堂の前は煌々と明るく、ヒトもいて、ほっと一安心。
堂に再度上がると、見物のお客さんはたくさんいて。
あんたも好きねえ~状態。(その物好きの一人なんですがね)
とりあえず南の局にもぐりこんで、「走り」と「韃靼」の行を見学しました。
※局の図解はこちらを参考に。
(→http://www.enyatotto.com/fieldnote/narabonchi/syunie/field100.htm)
あまりスケジュールを押さえていかなかったので、
次に何がくるかってのがわかってないの(ダメじゃん)
「走りの行」とは、練行衆が堂内を走り回って行う行。
『二月堂縁起』によれば、
天平勝宝三年に東大寺の実忠和尚が笠置寺の龍穴を覗き、そこから先に進むと、
なんとそこは都率(とそつ)の内院であった。
そこでは、天衆(てんじゅう)たちが集まり、
十一面観音に悔過(けか)を勤修(ごんしゅ)しておった。
その姿に感動した実忠は、人間界でもこの行をやりたいと思ったが、
聖衆たちは「ここの一日は人間界の400年に当たるから、
同じコトをしても、同じようにはおさめられないであろう」とつれない返事。
しかし引き下がらない実忠は、「さすれば走りながら、その行を行うことにしましょう」
といって認められたとか。(どんな俊足?!)
最初は木沓(差懸・さしかけ)の音が「ガタンガタン」聞こえていたのが、
そのうち沓をぬいで走り出すと、バタバタという音が聞こえてきて、
堂正面(西の局)では五体投地が行われている様子。
体を踏み切り板のような板に打ちつけている
「ダン!ダンダン!!」というリズムが聞こえてきます。
韃靼の前には「後夜」の勤行として、大導師作法、咒師作法などがあったようです(をい)
※だって、「これから○○の行です」とかってアナウンスがあるわけじゃないんだもの★
この時、途中「内閣総理大臣安倍晋三~」の声が聞こえてきて、慌てて耳を澄ますと、
各大臣の名前も読み上げられてました。
(ころころ大臣変わっているから、突然の辞任とかにも対応しなくちゃいけないんだよね、
とかとかくだらないことも考えたりして)
ってことは、これは過去帳読み上げか?
(後鳥羽天皇…という名を聞いたような気もする)
日本語で読まれているんだけど、走りの行のその通り、
とくかく急いでいる様子ってのが、その早口からもうかがい知れます。
ほとんど最後の方は「読み飛ばし」のように早すぎて聞き取れません。
そして「韃靼」
木造建築物の中で、火がついた松明を振り回して歩くという暴挙。
薄暗い堂内が火の明かりで明るくなり、その光が内陣を照らしてゆきます。
いやー、これで火事にならんほうがおかしいでしょ。
(て、毎回これで火事が起こっていたら困るけど)
実際、寛文7年(1667)2月14日未明の「達陀」の残り火で二月堂は全焼。
現在の建物は、寛文9年(1669)に再建されたものだとか。
ほら貝が鳴り響いていたり、焔の明かりで堂内が明るくなったりと、
あまり体験したことがない感じに、行のクライマックスを感じました。
それが終わると練行衆のみなさまは一旦下堂されるので、
私も堂を出てコーヒーなど飲んで暖を取り、再度上堂されるのを待ちます。
例の茶屋はまだまだ営業していて、「お寿司半額です~どうぞぉ」と呼び込みをしていました。
そして、お茶屋の方の内陣入り口で上堂を待っている人が多いので、それにつられて立っていたら、
上堂してきた練行衆が再度堂内へ入るのが見られました。
それから西の局へ行ったんだけど、ここは満員で入れなさそう。
しょうがないので舞台で立っていたら、近くにいたお嬢さんが
「もうすぐ出てくるから、そうしたら南天もらってかえれって(意訳)」
なる謎の言葉を発していたので、とりあえず北の局の前で待っていたら…。
中では行が続いているのでしょうが、
もうそろそろ「お片づけ」の時間なのか、北の扉が開いて、
いろんなものを運び出す東大寺法被のひとたち。
これが「破檀」というものか?
お供えされていたであろうお餅や、法要の道具、そして紙で作った椿>糊こぼしが
法被姿の人によって堂内から取り出され、運び出されています。
おおう、あれ?もう終わりなの?と思いつつ、坊様たちは誰も出てこなくて。
その間もお片づけは着々と進んでいるようで、
韃靼で使用したのか焼け焦げた竹(?)の束を、
法被姿の人が水のはった入れ物にいれた途端、
周囲にいた人たちが群がってそれの争奪戦が開始!
よよよ。
どうやら、檀を飾っていたものは撤去された後は、ゴミ置き場としての
手水の脇のスペースに置かれて、それは自由に持ち帰れるようです。
しかし、黒こげになったのをもらって帰ってもなあ…。
とか思っていたら、登場しました>先ほど話題にしていた南天の枝。
南天と焼けてない竹の束を持った人が出てきたので、
これはねらい目ってことで、これだけもらってきました。
争奪戦の戦利品(^^)
南天はもっと実がついていたけど、持ち帰る際にボロボロ落ちてしまいました
この時ですでに深夜2時をまわっています。
今年はあったかいななんて、思っていたものの、
奈良の深夜をなめるなよって感じで。
この頃から猛然と寒くなってきて、
立って出待ちをしていたら膝がカクカクするようになってきました。
おおお、震えが止まらない。
しゃーないから、待ち時間の間に、足とおなかにカイロを貼ったり、
足にユニクロダウンを巻いたりして対処。
オーバーパンツでもはいてくればよかったかなあとか後悔。
その後、南側で結構人がはっていた(?)ので私もそちら側で待っていたら、
扉が開いて、なにやら法被姿の人が松明を用意し始めまして。
おお、こちら側から出てくるのか…。
(何も判ってないワタクシ★)
そうしたら私が立っていたすぐ前で、松明を持った人たちが横並びになって生垣(?)を作り、
中から出てきた練行衆さんたちを迎えました。
おお、何も考えてなかった割に、いい場所ゲットしたんだわ☆
と思ったら、松明を手にした人と練行衆さんがペアになり、
本堂向かって右側の階段を下りてゆきます。
慌てて階段下が見える舞台まで走り、
見てみると、本堂下にある社に詣出てお参りしておりました。
このお参りは「惣神所」(そうのじんしょ)と呼ばれるそうで、
本堂下の東大寺地主神である興成(こうじょう)神社、
二月堂南の高い場所にある実忠ゆかりの飯道(いいみち)神社、
本堂北側・手水舎の脇にある遠敷(おにゅう)明神、
の三社に詣でて、修ニ会の満行の報告を行うもの。
これで修ニ会が終わりましたよ、ありがとうございましたという報告のようです。
ああ、これで終わったのね。
ほっ。
これが終わると堂をおりてゆく練行衆のみなさま。
どうやらこれで終了らしい。
私の体も限界が来たようなので、そそくさとおいとますることに。
サムサム…と唱えながら、お宿まで戻ってきました。
お宿入ったら、あったかくてほっとした~☆
しかし顔洗って、鼻をかんだら、鼻水が真っ黒だったことにびっくり!
そういえば、鎮守三社に付き添う人のお松明の真後ろ立っていたっけ。
たったあれだけで、鼻水が黒くなるなんて、
ずっと松明持っている人にいたっては…(以下略)あはははは。
眠さと、寒さで限界だったので、もうその後は泥のように眠りました。
(つづく)
I think the cat was enjoying itself in the sweet breeze of spring when you came.
But, no picture of the cat to show !? (¬‿¬)
I’ve just known that the fire in itself is not the main thing of the festival. I used to think there are two kinds of ceremonies in the same event – fire and water ceremonies.
I'm a big fan of your blog!
こんにちは どら焼きです(^^)
わたしも今年のおたいまつ、見に行きました!
行ったのは13日で、
ちょうど、奈良大学のスクーリングと日程が重なり、
宿もとってあったのでラッキーでした。
でも「おたいまつは終了です」アナウンスで帰って
来ちゃいました(T_T)
最終日だと深夜まで行事があるんですね!
詳しいお話と写真、ありがとうございます。
臨場感がスゴイです!
なんだか私もその場に立ち会えたような
感じで、とても楽しくなりました。
ありがとうございました(^^)
There was no light before, so while it was an event at night,
a torch was used as the light which lights up a foot.
The light became very famous, and many people could see now in now.
But originally, a festival as a water-drawing ceremony is the event
from which the water offered at the Budda is drawn.
You can't take a picture of the inside in a building in a temple.
So I couldn't take a picture of the cat.
Next when visiting, I think I should be able to meet that cat again.
I was glad about your comment.
Thank you!!
13日だったら、オモロイイべント(とかいうな)たくさんありますから、
ちょこっと残ってみたら、体験できましたね~。
ってことで、また来年(^^)/~
ラスト三日は、
12日~深夜(13日早朝)にかけては文字通り「お水取り」の見学もできますし、
最終日は夜明け近くまで行事が目白押しですね。
まあ、スクーリングででかけたんだから、
お水取りに夢中になったら、日中眠気が大変だろうし、
今年はちょっとムリだったでしょうね。
私も12日の行事はかつて二回ほど体験したのですが、
最終日は初めてで、しかも予習が不十分なまま出かけちゃったので、
「今どこまですすんだの?」「次は何?」「これで終わり?」とか
疑問符飛んだまま釈然としないまま帰ってきちゃったので(ははは)
もう一度スケジュールをアタマに叩き込んでいかなくちゃなあって思っています。
ただし、ものすごーく寒くなりますので、厚着必須!!
お水取りの日は下で焚き火をたいていたのでそこにあたって暖を取りましたが、
最終日ってそれも無いのね?(それとも今は焚き火は禁止になったのか?)
将来はもっと完璧なレポートをお届けできたらいいなと思います。
(いつになるかはわかんないけど)