奈良大好き☆お勉強日記

奈良大学文学部文化財歴史学科(通信教育部)卒&奈良まほろばソムリエ検定のソムリエを取得したヒトの色々な勉強の日記です♪

美筆は身を助ける

2007年12月03日 | 奈良大学お勉強日記
なぎさんが、旅行記の中のレスで、
『正倉院文書を見ても思うんだけど、昔の人って、字が上手だわ』
って書いていたけど。

そうそう、昔の人は字、キレイだったよねえ。
写経生も「字がきれいな人」ってのが採用の基準だったらしいし。
でもその基準点ってのは、イマイチよくわからん。
(某科目の合否ラインくらいわからん(をい))

何処で見たか忘れたけど、写経生の職を得るための試験では、
こっちが合格で、こっちが不合格、ってののの二つの書が並べてあって、
ええ?何でこっちが合格で、こっちは不合格なの?ってのがありました。
どちらも字はきれいなんですけどね。
アレだけの字を書いていて、不合格とはお気の毒。

写経の字はホントキレイだけど、戸籍の字もまたなかなかキレイ。
毛筆で書いて、アレでしょ。すごいよなあ。

で。
最近わたしの周囲には「現代の戸籍」がたくさんありまして。
というのも、秋口に義母が亡くなり、その手続き関係で
「除籍」だの「改製原戸籍」だの「母誕生時の戸籍」だのが
あふれております。

義母が生まれた当時はまだ「戸主」というものが幅をきかせていて、
「嫡男」だの「家督」だの「隠居」だのって言葉が生きていたようです。

で。なんでそんなハナシを持ち出したかといえば、
その戸籍たちの字を書いた人もキレイだっていうこと。
さすがに、明治のはじめに整備された戸籍では残念ながら、
流麗という程の腕の人が書いたものではないのだけど。
義母婚姻時に作成された戸籍あたりの筆跡はかなりキレイ。

ちゅうことはですよ。
やっぱ、役所に勤めて、しかも人前にさらす危険性(?)のあった
戸籍係の人ってのは、試験で「字がキレイな人であること」
ってのが採用条件であったんでしょうか。

義父が亡くなった時にも、義父関係の戸籍を集めていて
「どれもこれも字ぃ~キレイだなあ」って思ったし。
全国的に美筆じゃないと戸籍係りにはなれなかったのかな~って。

そして、この戸籍の字体。
なんだか、字がキレイという以前に、すごく整っている。
まるで活字のように整っている。
それは、義父の戸籍でも、義母の戸籍でも同じような字体で書かれているので、
もしかして戸籍に記入する「字体」ってのはあったのかなって。

でもって、連想ゲーム的にハナシを広げていけば。
先日、奈良大博物館で見た「歓古雑帖」ってもの。
あの広げられていたページ部分の絵と字に関して、
その字ってのが、戸籍の字体にすごく似ていたのでした。
なんかに似てるな、似てるなって思って、相続手続きなんかしていたと。
すると、手元にある戸籍の字体と、アレがとっても似通っていたんだな。
漢字片仮名交じりの文面は、戸籍によく見る字体で書かれていたようでした。
「歓古雑帖」の、あの部分が読みやすかったのは、
大正~昭和にかけての手書きの頃の字に似ているからだったんだ。

その後、コンピュータ管理されることとなった戸籍は、
手書きのものは姿を消しちゃいましたので、
「戸籍字体」ともいうべき、あのキレイな字体は消えちゃいましたけど。
(私がダンナと作った戸籍は最初っからコンピュータ管理だったので、
うつくし文字による戸籍謄本はありません)

こうしてみると、文字を書いて身を立てている人はやはり、
それなりの文字を書いていたんだな~と感心。
私なんて、悪筆なのでとてもじゃないけど、
手書きでなんかするのはご勘弁なのですが。
(硬筆検定○級持っているなんて今更云えない内緒の話だ)

字がキレイじゃないと付けない仕事なんて、
アタシにゃ無理無理。
最近じゃ、手書きでものを書かなくなってきているから尚更。
レポートも、卒論も、ワープロがあってこそできたこと。
それすら手書きだったら、学成り難し、だったなあ~と。

たまに薬師寺に「お布施」(使い方間違ってないよな)しに、
「写経」しにいくと、自分の字ながら憤死しそうな字で、
お写経をして、いけしゃーしゃーと奉納してくるもんなあ(冷や汗)

ま、字が下手とか、上手いとか、アノ人と比べてどうだとか
そういう雑念も払って、書けば良いのらしいけど。
汚い字には変わりない。

今年の大晦日も写経に行くべか。
コメント
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