父 綴ります。
地元公民館の文化部(副部長は同級生の古藤君です)主催の、
「朝酌・大井の須恵器窯跡郡について」講座を学びました。
わが家の茶畑も、窯跡史跡になってますし。
H13年~14年の、県道拡幅事業で、窯跡発掘調査の報告会も記憶してますし。
去年、孫娘が”夏休みの自由研究”で「土器の再現」をやって、松江市の「科学作品展で」
”銀賞”をもらった経緯もあって!。
(お爺ぃも、赤粘土の層をバックフォーで掘り出して→乾かして→砕いて→ふるいにかけて
→細かくして→土器の材料作りをそれなりに協力してやりましたので)
今日の講師さんは、松江市歴史まちづくり部の”丹羽野 裕さん”でした。
今から約1500年前の、5世紀末~9世紀の約300年間作り続けられた歴史にビックリ!。
朝鮮半島からの工人達の技術を得て「高温で焼くための”窯作り”」や、
「上質粘土を得られる」、「沢山の薪材料を集められる」、「製品を販売できる」、海運の便。
数キロ離れたところ場所にあった「出雲国府」の、祭祀や治政上からの支援。 フムフム
1時間15分の講演時間の後の質問タイム。参加者から次から次へと手が挙がって、、。
(コロナで、参加者が30名に限定されてましたけど。)
私も、何で1000年ちょっと前に、廃れていったのか?。
令和になった今も、松江市の「楽山焼窯」さんや「袖師焼窯」さんは陶業を続けておられますけど?
私の住む70数戸の”大井町”。
昔は、水運の要所でもあり、匠人の活躍してた土地であったようです。
この文化と、景勝の地をどうしたらいいのか?少し考える時間となりました。
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