ストロング小林
国際プロレスのエースとして、また新日本プロレスに入団し坂口征二と北米タッグのベルトも腰に巻きました
なんと言っても昭和49年3月19日に蔵前国技館で行われたアントニオ猪木vsストロング小林戦は昭和の巌流島の決闘と言われる名勝負となりました
今思えばこの試合がストロング小林さんのレスラー人生で最大のピークだったんではないでしょうかね
それ程インパクトのある名勝負だと思います
私は対戦決まってからの猪木のトレーニングやインタビューなどの戦前の対戦煽り映像は見た記憶あるんですが、肝心の本番の試合はリアルタイムでは見てないんですよね
大人になって発売されたビデオでやっと見た感じです
10年くらい経っていてもやはりいい試合だなと思いましたね
新日本プロレスに入ってからは扱いがあまり良く無く、国際プロレスの本エースもどこいやらでシンにも2分くらいでコブラクローで簡単に負けたり、ハンセンにもボコボコにされたりとやられ役が多かった
余談ですが有名な猪木のテーマ曲「炎のファイター」を初めて聞いたのがある日のテレビ中継でタッグマッチで猪木小林組が入場してきた時なんですが、これが曲始まりのイノキボンバイエ!イノキボンバイエ!の掛け声がイノキコバヤシ!イノキコバヤシ!に聞こえて(笑)
暫くは猪木小林組のテーマ曲と思ってました
(爆笑)
初めて私がプロレス生観戦した時のセミファイナルがMSGシリーズリーグ戦の猪木vs小林戦でした
あの名勝負を繰り広げた攻防は見る影もなく、11分くらいに延髄切り一発で猪木の勝利で終わりました
「あーストロングもこんなもんなんやなー」
と寂しく感じました
第一線から外れてからは国際軍団に加担したりしてましたが晩年はストロング金剛としてタレント、役者として悪役専門で活躍してました
「伊賀忍法帖」では金剛坊と言う妖怪で登場し美保純の乳を揉み倒してました
この役名がストロング金剛の芸名になりましたね
昭和の黄金期を作ったレスラーがまた居なくなり後は、猪木さんや坂口さんぐらいになってきた(藤波や長州はまだまだやんね)
御冥福をお祈りします
あの猪木ー小林戦はDVD化されていませんね。ゴングが鳴る前に猪木が放ったナックルパートで、勝負は決まってしまいました。
でも、小林は第二回MSGシリーズで、藤波と延長でも勝負がつかずに決勝リーグ出場を藤波に譲った時、第一線を退いたと思っていました。人が良いけれどハングリーではなかった。
僕も昨日ブログで書きましたが、去年出た本「昭和プロレス禁断の闘い」で、ぜひ小林の最後のインタビューを読んでみて下さい。とても良い本です。
あの日は会場着いて猪木v小林戦を知ったので(当時はまだ大スポを買って無かったからリーグ戦の進行状況を知らなかった)ボブvsローデス、ハンセンvsアンドレ以外にもこんな好カードが!と現地で大喜びしましたが、内容は伝説の再再戦には程遠い結果でした
でも生で猪木vs小林戦見れたのは貴重ではありました
そちらの本は興味そそりますねー
昭和プロレスと言うだけで心踊ります
国際時代の小林選手はあまり見てないのですが、ラッシャー木村選手との対戦も有名ですよね
プロレスオールスター戦でも実現してました
全日本にもし行ってたらまた小林選手のレスラー人生ももう少し華やかだったかも知れませんね