<近江の国は歴史絵巻と紅葉>
「道の駅 竜王」は、早朝から出立準備のドアーバタンバタン音で明けました。
当道の駅は大きな国道から1本奥に入っていますから、夜間は静かなものでしたが。
あれほど居ました車達は、我が家が動き始める頃には出払っています。
今日の湖東(琵琶湖の東側)も秋晴れの青空が眩しく輝きます。
今回もしっかりと地場野菜を買い込みました。
まぁ~この辺りは気は心ですからね。
昨夜からの作戦会議結果、今日は湖東三山を巡ろうかと。
朝はゆっくりと日曜の朝テレビを見ながら、朝食を取ります。
この所の暖め物は、電子レンジは使用せずコンロで鍋蒸し器スタイルなのです。
サブバッテリーを温存したく、電子レンジは年間数回の使用かと。
そう言えば、昨日は冷蔵庫ON、シングルサブ充電状態でフロートモード達成し、トリプルサブは満充電なのです。
遅い出立でまず向かいましたのは、昨日見逃しました「道の駅 あいとうマーガレットステーション」のヒマワリからです。
旨い具合に百濟寺(ひゃくさいじ)の入口に位置します。
この時期にヒマワリとは珍しいですよね。
秋の陽射しを浴び咲くヒマワリは、何故か違和感がしますね。
しかし、蜜蜂達は大忙しで蜜を運びます。
百濟寺はコルドバンクスでも入って行け、お寺付近の駐車場に停める事が出来ました。
途中、紅葉の枝が低く垂れ下がっている箇所も有りましたが、割とスンナリと登れ駐車場は無料でした。
後で分かったのですが、平安時代、鎌倉時代の往時には300の伽藍を有する地上の天国と言われたそうです。
その当時の敷地が参道沿いに有り、現代では駐車場とされたようです。
現代にまで通じる御利益は、仏様のお蔭でしょうか?
最下段の駐車場に停め、参道を歩きます。
最近は少々の歩きは大歓迎なのです。
年寄りは歩いて何ぼの者ですからね。
拝観料 600円を支払い入場します。
近江最古の古刹で1400年の歴史が有るようで、聖徳太子の御願により百濟人(くだらじん)の為に創建されたそうです。
喜見院(きけんいん)の庭園は静かに水面と紅葉で迎えてくれました。
巨石と自然に流れる山水と借景が見事に融合しています。
そして、紅葉の天幕には秋の陽射しが降り注ぎます。
ここでも何とか秋色に間に合ったようですね。
庭園の頂上からは、遠く近江平野が見渡せられます。
頂上部は遠望台と呼ばれ、先程のお庭、伽藍を見渡す事が出来ます。
お庭に見晴台を作るのは、後の庭作りに影響を与えているようですね。
更に小さな小道を紅葉を愛でながら、本堂に向け散策します。
百濟寺は初めて来ましたが思いの外、良い紅葉に恵まれました。
出遅れた感が有りましたが、来て良かったと思い直すkenyです。
道は広く成り、更に上に続きます。
往時には周辺の寺院伽藍を合わせますと、1000寺にも成ったそうです。
そんな時代に織田信長が、目と鼻の先に安土城を築いたのです。
やっと仁王門に到着しました。
後で仕入れた歴史ですが、湖西に位置します比叡山に天台宗が開創されると、百濟寺も天台の寺院と成りました。
その後、規模も拡大され湖東の小叡山とも称されるように成ったそうです。
しかし、元亀元年に佐々木義治が織田信長に抗した際、宗徒達が寺内に妻子を預かり兵糧を送り援護した為、それを知った信長の兵火に焼かれました。
安土城の礎石には百濟寺の石垣の石が抜かれたそうで、歴史の面白みが垣間見えました。
どうやら本堂が見えて来ました。
善男善女が多数お参りのようで、行列が出来ていましたが、ここは大人しく並びお願い事をして来ました。
本堂にお参りしますと、下山と成ります。
ここは健脚を示そうとばかりに、敢えて石段を下り仁王門です。
帰り道は参道を真っ直ぐ降りますと、駐車場なのです。
旨い具合に駐車場が点在している理由も良く分かりました。
嘗ての寺院伽藍の後だったのですね。
さ~~て三山の内、一寺は終了しました。
織田信長に思いをはせながら次に向かいましょうか?!
近江の地はまだまだ奥が深いようです。
近場ですが、この辺りに攻め込む価値は充分にありそうですね。
信長と共に?!
今日はこの辺りで。
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