kenyのキャンピングカーライフ!

キャンピングカー遍歴からの楽しみ、苦しみ、整備などに付いて思い付くまま綴ります。何かの参考に成れば幸いです。

湖東三山の紅葉

2018-11-27 13:31:39 | 花紀行 秋

<近江の国は歴史絵巻と紅葉>

「道の駅 竜王」は、早朝から出立準備のドアーバタンバタン音で明けました。

当道の駅は大きな国道から1本奥に入っていますから、夜間は静かなものでしたが。

あれほど居ました車達は、我が家が動き始める頃には出払っています。

今日の湖東(琵琶湖の東側)も秋晴れの青空が眩しく輝きます。

 

今回もしっかりと地場野菜を買い込みました。

まぁ~この辺りは気は心ですからね。

昨夜からの作戦会議結果、今日は湖東三山を巡ろうかと。

朝はゆっくりと日曜の朝テレビを見ながら、朝食を取ります。

この所の暖め物は、電子レンジは使用せずコンロで鍋蒸し器スタイルなのです。

サブバッテリーを温存したく、電子レンジは年間数回の使用かと。

そう言えば、昨日は冷蔵庫ON、シングルサブ充電状態でフロートモード達成し、トリプルサブは満充電なのです。

 

遅い出立でまず向かいましたのは、昨日見逃しました「道の駅 あいとうマーガレットステーション」のヒマワリからです。

旨い具合に百濟寺(ひゃくさいじ)の入口に位置します。

この時期にヒマワリとは珍しいですよね。

秋の陽射しを浴び咲くヒマワリは、何故か違和感がしますね。

しかし、蜜蜂達は大忙しで蜜を運びます。

百濟寺はコルドバンクスでも入って行け、お寺付近の駐車場に停める事が出来ました。

途中、紅葉の枝が低く垂れ下がっている箇所も有りましたが、割とスンナリと登れ駐車場は無料でした。

後で分かったのですが、平安時代、鎌倉時代の往時には300の伽藍を有する地上の天国と言われたそうです。

その当時の敷地が参道沿いに有り、現代では駐車場とされたようです。

現代にまで通じる御利益は、仏様のお蔭でしょうか?

最下段の駐車場に停め、参道を歩きます。

最近は少々の歩きは大歓迎なのです。

年寄りは歩いて何ぼの者ですからね。

 

拝観料 600円を支払い入場します。

近江最古の古刹で1400年の歴史が有るようで、聖徳太子の御願により百濟人(くだらじん)の為に創建されたそうです。

喜見院(きけんいん)の庭園は静かに水面と紅葉で迎えてくれました。

巨石と自然に流れる山水と借景が見事に融合しています。

そして、紅葉の天幕には秋の陽射しが降り注ぎます。

ここでも何とか秋色に間に合ったようですね。

庭園の頂上からは、遠く近江平野が見渡せられます。

頂上部は遠望台と呼ばれ、先程のお庭、伽藍を見渡す事が出来ます。

お庭に見晴台を作るのは、後の庭作りに影響を与えているようですね。

更に小さな小道を紅葉を愛でながら、本堂に向け散策します。

百濟寺は初めて来ましたが思いの外、良い紅葉に恵まれました。

出遅れた感が有りましたが、来て良かったと思い直すkenyです。

道は広く成り、更に上に続きます。

往時には周辺の寺院伽藍を合わせますと、1000寺にも成ったそうです。

そんな時代に織田信長が、目と鼻の先に安土城を築いたのです。

やっと仁王門に到着しました。

 

後で仕入れた歴史ですが、湖西に位置します比叡山に天台宗が開創されると、百濟寺も天台の寺院と成りました。

その後、規模も拡大され湖東の小叡山とも称されるように成ったそうです。

しかし、元亀元年に佐々木義治が織田信長に抗した際、宗徒達が寺内に妻子を預かり兵糧を送り援護した為、それを知った信長の兵火に焼かれました。

安土城の礎石には百濟寺の石垣の石が抜かれたそうで、歴史の面白みが垣間見えました。

 

どうやら本堂が見えて来ました。

善男善女が多数お参りのようで、行列が出来ていましたが、ここは大人しく並びお願い事をして来ました。

本堂にお参りしますと、下山と成ります。

ここは健脚を示そうとばかりに、敢えて石段を下り仁王門です。

帰り道は参道を真っ直ぐ降りますと、駐車場なのです。

旨い具合に駐車場が点在している理由も良く分かりました。

嘗ての寺院伽藍の後だったのですね。

さ~~て三山の内、一寺は終了しました。

織田信長に思いをはせながら次に向かいましょうか?!

近江の地はまだまだ奥が深いようです。

近場ですが、この辺りに攻め込む価値は充分にありそうですね。

信長と共に?!

 

今日はこの辺りで。



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