kenyのキャンピングカーライフ!

キャンピングカー遍歴からの楽しみ、苦しみ、整備などに付いて思い付くまま綴ります。何かの参考に成れば幸いです。

有田焼

2018-01-06 23:34:25 |  西日本

<有田には良い陶磁器があります>

越年キャラバンに出て、今日で9日目です。

夜にお酒を呑みますと、21時過ぎには眼が瞑りグログどころでは無く成るのです。

そこで、最近は禁酒 3日目で、ブログに精を出しています。

(@_@;)(#^.^#)

 

まぁ~そんな訳で、グログがたまにお休みとも成るのです。

お休みの時は、Kenyはお酒を呑み過ぎたなと思ってくだされ。

 

そんな呼子の朝は、快晴で明けました。

朝は海を見ながら、朝食をと思い、ダイネットのウインドウを海側に停車しました。

お正月の所為か、漁船の出港も無い静かな朝でした。

どうやら、P泊にはもってこいの場所のようです。

 

本日のKeny’s eyeは、このロケーションです。

朝の簡単な朝食ですが、何物にも負けない物が有ります。

岸壁には早朝より釣り人の姿が、2~3人見えるようです。

 

昨日もお話しましたが、ここは地デジは入りません。

そこで、BSが活躍してくれました。

アテナもこの角度ですからね。

しかし、タイヤ、アルミホイールはと見ますと、雨と塩カル、ブレーキダストでギトギトなのです。

(@_@;)

 

前置きが長く成りましたが、今日は有田焼きを目指すのです。

有田と言えば、柿右衛門に代表されますが、ネットで調べますと3日まではお休みのようです。

そうしますと、柿右衛門の大きな看板を通り過ごし、佐賀県立 九州陶磁文化館に行きます。

すんなりと到着し、まずは12代?柿右衛門と御対面です。

因みに入場料は無料です。

この無料の響きは、有り難いものですね。

(#^.^#)

中には、こんな人形も有田焼きなのです。

まぁ~こんな色白のガキは、居ないとのツッコミは御容赦を。

この白磁が有田ですからね。

内部には素晴らしいコレクションが展示されているのです。

金色の金属飾りは、欧州への輸出後に現地で取り付けられた、アンティークなのです。

磁気としましては、里帰りした事に成りますね。

 

どうでしょうか?

このクラシック有田の輝きは?

充分眼力が肥えた事でしょうか?!

 

大きな陶磁器製の時計も有りました。

トイレの壁も有田なのです。

文化館を出ますと、まるで秋の空のようです。

さ~~~て、充分眼力を肥やした後は、いよいよ有田焼きに乗り込みます。

お正月 3日ですから、やはりお休みのお店が多いようです。

その中でも初売りのノボリを吊るしたお店も有りました。

 

入店し分かったのですが、お正月 3が日は3割引きなのです。

当然ながら、除外品も有りますが。。。

 

コルドバンクスで町内一周後、ここぞと見極めた観光客用無料 駐車場に駐車します。

取り敢えず、目の前の昭山堂さんに飛び込みます。

行き成り良いお店に当たったようです。

後で分かるのですが、各お店は得意分野が有るようで、それがお店の個性でもあるようなのです。

従いまして、陶磁器のセンスはお店の主の好みで決まるような。。。。

 

一言お声掛けをし、陳列品を見ていますと、コブ茶を勧められました。

暖房でやられた喉が気持ち良く、つい店主のお話に聞き入ってしまいました。

 

2階に奥さんの実家が以前、窯元で今は廃業されたそうですが、蔵から出して来た物を展示しているから、見てくれとの事です。

所謂、蔵出しですよね!

見ない訳には行きません。

 

階段を上がりますと、立派なトランク? 箪笥が鎮座していました。

さらに上がりますと。アラ~~~~陶磁器の嵐?

中には柿右衛門も有ったり、アンティーク有田の洪水でした。

ホェ~~~!

開いた口が閉じません。

 

てな訳で、お皿を4枚 お買い上げです。

アッ!

それと、ぐいのみ 1個 桐箱付きでした。

まだ包みを解いて居ませんので、写真は後ほどです。

(#^.^#)

 

そして、勢いでつい聞いてしまいました。

「有田で美味しいもの食べさせてくれる処は?」

 

店主曰く

「有田には無いから、佐世保まで行かれては?」

店名、電話番号、予約まで入れて頂き、行かない訳には行きません。

丁重なお見送りを受け、お店を後にします。

 

そして取り敢えず、時間が少々有りますので、もう一軒寄り道をします。

道筋を歩きますと、有田ではバス停も有田焼きなのです。

こんなバス停ですと、朽ちる事も無いでしょうね。

 

そして、さらに歩みを進めますと

やはり、センスの良いお店は店構えからして違います。

藍土(らんど)さんです。

内部はこんな感じで、良さそうな陶磁器が沢山、有るのです。

勿論、お値段も良いのですが。。。

ここでも少々、お買物をしました。

 

外に出て見ますと、雲に夕陽が当たり赤色? 虹色?に輝いているようです。

赤丸内を御覧に成りますと、異様に輝いてますよね。

肉眼で見ますと、もっと色鮮やかなまるで有田の様でしょうか?

尚、この雲は連合い様の発見でした。

う~~ん! これは何か良い事が有る証しのような。

 

駐車場から見ました、昭山堂さんです。

良い買い物、巡り合わせが出来たと、西九州自動車道で佐世保に向かいます。

空は綺麗な夕焼け雲です。

さ~~て、佐世保の夜はどうなるのでしょうか?

今日の所は、ここまでとします。

明日は、またまた地獄と天国なのです。

 

少々、お待ちあれ。

つづく


名護屋城跡と呼子

2018-01-06 00:10:55 |  西日本

<豊臣秀吉の夢の跡>

唐津で活アジ御膳を頂きました、Kenyは元気を取り戻し、次の目的地に向けステアリングを切るのです。

国道204号線 唐津街道を走り、東松浦半島を目指します。

 

ここの小さな岬に大公秀吉の夢の跡、名護屋城が有るのです。

愛知県の名古屋城ではありませんから、念の為。

草むす橋をくぐり進みますと、駐車場がありました。

ここは、無料駐車場なのです。

 

石畳みの道を登って後ろを振り返りますと、コルドバンクスが大人しく御留守番してくれています。

右手方向に坂を登りますと、出ました!

名護屋城跡です!

 

この名護屋城は、豊臣秀吉が朝鮮征伐の為、作らせた出城です。

城作りは三人の武将を競わせ、僅か4ヶ月で完成させたそうです。

この場所に秀吉の御殿が有ったそうで、茶々を呼び寄せたのは有名なお話ですね。

今は、お城、櫓等の建造物は有りません。

石垣と建物の礎石のみが残されています。

 

本丸を目指し坂道を登ります。

途中、秀吉御殿跡を望みます。

二の丸の林を抜け、いよいよ本丸です。

思ったより広い、広大な本丸です。

中央には石碑が建っており、名護屋城 跡との文字が見えます。

この文字の書家は、あの東郷平八郎なのです。

石垣近くには、往時の各武将達の陣立てが陶器で示されています。

この狭い岬に、16万もの武者が勢揃いしたのですから驚きます。

当時の地元の人々の驚き、いや怖かった事でしょう。

 

名護屋城を中心とし、この緑色部分が各武将の陣を示しています。

岬を埋め尽くす、勢いですね。

徳川家康はと見ますと、名護屋城に付かず、離れずの位置に陣立てです。

遠くには、呼子大橋が見えます。

この海を渡り、朝鮮に攻め込んだのですね。

戦いは秀吉が亡く成るまでの、4年間続いたそうです。

平和な静かな、この海を越え、攻め込んだとは思えない景色なのです。

 

本丸の片隅の石近くには、輻射熱効果かスイセンが花開いていました。

そんな物思いに浸りながら、名護屋城博物館に向かいます。

 

ここは入館料は、無料でした。

展示物は秀吉の朝鮮出兵が主な内容で、往時の状況が良く分かる展示でした。

内部の展示物は撮影禁止に付き、有りません。

 

その後、呼子大橋を渡り、「風の丘展望公園」に向かいました。

名護屋城 本丸から見ました、あの橋を渡り行くのです。

展望公園からは、先程渡りました呼子大橋が見えるのです。

尚、橋の袂にはパトカーが停車して居ましたから、橋上では駐停止禁止ですぞ。

(@_@;)

夕暮れ時でしたが、夕陽を待つ訳にも行かず、温泉に直行します。

 

この日も唐津城、名護屋城と歩きましたから、5Km徒歩走破!

どうりで疲れるハズです。

(@_@;)

 

温泉は、「玄海海上温泉パレア」です。

この温泉は町営のようで、山一つ向こうには玄海原発が有るのです。

設備も整っており、外の公園駐車場には綺麗な水洗トイレも有りました。

温泉で聞きますと、トイレは町の管理だそうです。

釣りの人達も良く車中泊されていますとの事でした。

本日は流石に疲れましたので、ここでP泊です。

尚、当地では地デジは入りません。

当然ながらBSが活躍してくれました。

 

静かな静かな夜は、こうして更けて行きました。

 

明日につづく