こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

なぜ死ぬことが怖いのかそして嫌なのか(上)・・・老衰が望ましい

2023年01月31日 | 生き方について考える
慌しかった1月が早くも終わる。
厳しかった寒さも少しずつほころびはじめ、立春ももうすぐだ。
道路を挟んで向かいのお宅が家を引き払ってからひと月あまり、不動産屋ののぼりの後ろでは解体工事が始まっている。
今は、リサイクルできる廃材をはずしているところらしく、今朝見たらアンテナが取り外されていた。
この家も思っていたより土地が広く、二筆に分けて売り出されているが、どんな人がやってくるだろう。

さて、昨日の話の続きになるが、人間どうせ死ぬとわかっているのにではなぜ死ぬことが怖いのかそして嫌なのかと、書きながら考えていたが、どうしてなのかなかなかわからなかった。

人が死ぬ時のパターンはいくつもあるが、大まかに5つに分けられるのではないだろうか。
老衰、病死、事故、他人に殺されるそして自殺。
老衰、これは最も理想的な死に方で、加齢とともに年老い、やがては生きる気力を失い命の灯が消える。
病死、人は死に至る様な病気に侵されるが、ひと昔前だったらすぐに亡くなってしまうような病気でも近年は大幅な延命を得られるような治療法が出てきて、ここから、死ぬまでの準備時間を得ることができるようになり、老衰のような死に方ができるようになってきたのではないだろうか。
現代医学が向かっている方向はこの辺りだろうか。

老衰にしても病死にしても、最期に自らの死を受け入れることができるという点で、主体性のある死と言えるだろう。

これに対し、事故死、他人に殺されるというのは、いずれも理不尽な死で、準備がほとんどできないという点で、このような目には遭いたくない。
そういう意味で、他人との諍いも時として死に発展しうるので、日常生活でもトラブルを避けたい。
自殺は自分の意思で選ぶ死のようだが、実際は社会的な要因によって追い込まれたもので、主体性は乏しい。
これら3つの死は、一生に一度しかない機会を自分以外の事によって奪われるという点で歓迎されるものではない。

こうして整理してみると、なぜ死ぬことが怖く、そして嫌なのかが見えてくるのではないだろうか。
どうしたらそこに至ることができるか

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