こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

私はなぜ仕事をするのだろう

2023年01月13日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
週末は暖かくなると言っていた割には今朝も冷え込みは厳しかった。
明日はせっかくの休みだが、天気が崩れるようでちょっと残念。
でもまあ、少しは休めるのでよしとしよう。

このところのエントリーは仕事関係のものばかりとなってしまっている。
どうしたことかと考えてみると、岸田首相はG7サミットのための欧米歴訪で、目立った失言はなく、ロシアによるウクライナ侵攻もロクな情報が出てこないのでよくわからないし、中国はコロナ対応で多分迷走中、というようなことがあって、私が口を挟める様なことが何も無いからだろう。

今日も仕事のことになりそうだったが、周りの人への不平になりそうだったのでやめた。

では、そもそも仕事とはなんぞや。
仕事というか労働というのは元来つらいものであって、だからそれに対する対価としての給料がある。
楽しく仕事をする、という言い方があるが、そんなことは無理で、楽してお金を稼ぐことはできない。
まあ、つらいことを充実感とか達成感というものに置き換えてモチベーションを保っているのが一般的だろう。
ゲーム感覚で仕事をする、なんて人もいるが、そのゲームに負けたらはいそれまでよというリスクを負っているわけで、それはそれでつらいものがある。

一人で完結する仕事とそうでない仕事というのがある。
画家や作曲家、作家のような創作家や投資家などはほとんどが一人で仕事を行っているだろうが、それ以外の人の仕事は他人との協力なくしては立ち行かない。
上にあげた職業の人たちも、全てをいちから始めたなんてことはなく、それなりの家庭環境があり、ひとかどの人物について学んだという様なことが必ずあるはずだ。
そんななかから仕事への取り組み方、仕事への喜びというものを見出してきているはずで、それを喜びにつなげているのかも知れない。

人はなぜ仕事をするのか、というのは考えてみると謎だ。
そうしてみると私自身、なぜ働いているのかよくわからなくなってくる。
今ある私は、仕事をした結果なのか、仕事をさせてもらった結果なのかも知れない。
仕事というのが人生の一部であることは、それに費やしてきた時間を考えたら間違いないと思われるが、ではその種類によって結果が異なる可能性を考えると、どこまで人生の一部であるのかはよくわからなくなってくる。
手を見たらわかるか

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