神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

聖母坂3

2018-07-25 06:27:55 | 落合・目白崖線

 「諏訪谷流 大字下落合本村旧諏訪神社社地付属山林より清水湧出し、流れて田用水となりまた農作場の洗場となり、流れて妙正寺川に入る。」(「豊多摩郡誌」) この「農作場の洗場」は前回UPの→ 「大正10年第二回修正」には描かれていませんが、東向きにカーブした谷頭付近にあったようです。その後、大正末から昭和の初めにかけて、宅地造成の過程でカーブ手前へと場所を変え、コンクリート製の洗い場兼プールとなりました。「十メートル四方ぐらいのコンクリート製の溜め池があった。近所の農家の野菜の洗い場であった。夏、子供達の水遊び場でもあり、湧き水なので水温が低く、唇を紫色にして、ふるえながら泳いだ。」(「おちあい見聞録」 平成元年 コミュニティ「おちあいあれこれ」)

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。) 

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    ・ 「昭和22年米軍撮影の空中写真」  上掲地図のグレー枠の部分です。同一個所に同一番号を振っています。画面中央に写っているのが洗い場兼プールです。

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    1. 聖母坂の中腹から坂上にかけてのショットで、左手は聖母病院の建物です。諏訪谷の水路は通りの右手にありました。

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    2. 聖母坂通りの一つ東側の路地で、プールのあったのはこの左手です。右写真は右手崖上から見下ろしています。

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    3. 谷頭はこの右手にあり、そのほぼ中央に最初の洗い場が設けられていました。 

 <聖母病院>  聖母坂、聖母坂通りの名前の由来となった聖母病院は、昭和4年(1929)年にマリア奉仕会(のち聖母会)によって建設着工され、同6年に開院しました。二つの谷頭に挟まれた小高い丘を造成、開院当時の診療科目は内科、小児科、外科など5科目で、病床数は72床でした。(現在は15科目154床に拡大しています。)二つの尖塔が特徴の→ 旧館は、開院当時からのもので、東京都選定歴史的建造物に指定されています。なお、目白通りまで坂が切り通されたのは、聖母病院の開院直後のことです。