神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

新井薬師道

2018-07-26 06:49:36 | 落合・目白崖線

 西ノ橋を通る古道(新井薬師道)と並行する左岸流に戻ります。といっても共に新目白通り下に埋没し、正確にたどることはできません。途中、直進する左岸流に対し、薬師道のほうは左折、右折のクランクで北にシフトし、薬王院前を通り、両者が再び出会うのは氷川神社前です。今回は痕跡のはっきりしない田用水といったん分かれ、新目白通りから北に入り、薬王院前から氷川神社にかけての新井薬師道を歩きます。

 

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    ・ 「江戸名所図会 / 落合惣図」  書き込みは活字に置き換えています。なお、ほぼ同範囲にある「明治42年測図」は→ こちらでどうぞ。

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    ・ 新井薬師道  下落合歩道橋下で新目白通りから離れ、薬王院へと向かいます。正面奥の茂みは薬王院境内で、新井薬師道に面したその山門は→ こちらでどうぞ。  

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    ・ 新井薬師道  薬王院前で右折して東に向きを転じ、氷川神社境内の北側に沿います。右手奥の茂みは氷川神社、手前を左折すると→ 七曲坂です。 

 <七曲坂>  「左右松林の山にて少しの坂あり、屈曲せし所数廻なればかく唱ふ」(「新編武蔵風土記稿」) 七曲はまた中井とともに、村を二分する小名でもありました。ところで、「若葉の梢」の作者、金子直徳には「富士見茶屋」という小文がありますが、以下はその中の七曲坂の由来についての記述です。「頼朝公和田戸山に御在陣の時、敵の軍勢をはかり給はんとて、七まがりに坂を開かせ給へりと也。上は鼠山、西は玉川と猪の頭の落合に行、柏木ゑもん桜へも近し」 もっとも、「若葉の梢」では「いかにも覚束なき説なり後人糺給へ」と、その信憑性に疑問を投げかけています。