神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

代田村境

2018-07-04 06:48:04 | 幡ヶ谷支流

 甲州街道を越えた先にもコンクリート蓋の水路跡があります。渋谷、世田谷の区境にあり、江戸時代は幡ヶ谷村と代田村の境だったところです。京王線を越えた先で東に向かう区境と別れ、ほぼ直線で南に向かいます。先端は玉川上水が環七通りと交差する北東角にあたりますが、→ 「段彩陰影図」にあるように、玉川上水が代田橋を過ぎて南に迂回するのは、この谷筋を避けるためだと知れます。なお、「幡ヶ谷郷土誌」(昭和53年 堀切森之助編)は、今回の水路に関し「代田大原から流れて来る野水川」と書いています。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. 京王線手前で中断しますが、越えた先で左折、右折のクランクがあり、一部→  開渠も残っています。

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    2. ワンブロック先で再開します。右写真は環七通り方向のショットです。 

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    3. コンクリート蓋の古典的な水路跡ですが、「下水道台帳」には「公共溝渠・蓋掛」となっていて、現役なのかもしれません。

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    4. 玉川上水の築堤に突き当たって終了です。この区画の玉川上水は、暗渠の上が玉川上水緑道となっています。 

 <玉川上水と幡ヶ谷支流>  玉川上水にここまで接していることから、その助水を得ていた可能性も考えられます。「渋谷の水車業史」(昭和61年 渋谷区教育委員会)は、幡ヶ谷支流に設けられた水車に関し、明治22年(1889年)の「継年期願」などを引用していますが、そこには「玉川上水樋口代田村ヨリ掛ル用水路」との記述があります。一般に考えられている幡ヶ谷村分水の樋口は、「上水記」のいう「同村地先」(現笹塚駅前)なので、この「樋口代田村」には強い違和感を覚えますが、今回の水路を念頭に置いていたとすれば納得できるところではあります。