下落合村の用水に関する明治17年(1884年)に行われた「田用水に関する調査」を引用します。「(用水ノ名称)神田上水助水下井草村妙正寺流 (水源)東多摩郡下井草村妙正寺池 (川幅)平均壹間 ・・・・ (用水組合村名) 葛ヶ谷村ヨリ流出の一線ハ下落合村組合、上落合村内ヨリ流出ノ一線ト下落合村ヨリ流出ノ一線ハ其村限ニテ組合無之 (水掛反別)弐拾四町弐反四畝拾弐歩 内葛ヶ谷村弐町弐反七畝歩 下落合村拾四町弐反九畝弐拾八歩 上落合村七町六反七畝拾四歩 ・・・・ (配水方法) 別ニ無之。但 葛ヶ谷村板定堰壱ヶ所 下落合村同壱ヶ所 上落合村同壱ヶ所」
- ・ 「下落合村絵図」(首都大学東京蔵「堀江家文書」)をもとに、イラスト化したものです。(上落合村の用水に関しては、同じ「堀江家文書」の「上落合村絵図」を参考に、左下に堰一ヶ所を書き加えています。)
葛ヶ谷、上下落合三村にかかわる堰は三ケ所あり、うち葛ヶ谷村にあった堰で分岐した用水は、下落合村の灌漑にも利用されていたこと、上下落合村の堰は各々の村の用にのみ供されていたこと、これらは引用した「田用水に関する調査」の記述とも一致します。なお、葛ヶ谷村にあった堰の場所ですが、文化3年(1806年)の日付のある→ 「葛ヶ谷村絵図」(首都大学東京蔵「堀江家文書」)では、葛ヶ谷村分水が妙正寺川に合流した直後となっています。
- ・ 御霊(ごれい)橋 葛ヶ谷村の堰のあったあたりで、正面の段丘上に中井御霊神社が祀られています。段丘下は葛ヶ谷村に属しており、明治に入り、落合村大字葛ヶ谷字御霊下となったところです。
- ・ 中井通り 左岸段丘下の通りは中井通りと通称されていますが、葛が谷村の堰で分岐した用水は左手を並行していました。なお写真は五の坂下の中井通りで、このあたりから大字下落合です。