神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

下落合左岸2

2018-07-21 06:58:45 | 落合・目白崖線

 妙正寺川本流に戻り、昭和橋と氷川橋の間で左岸に分岐していた用水を追います。本流の改修もあって、分岐直後の痕跡は残されていませんが、途中西ノ橋から氷川神社に向かう古道(「豊多摩郡誌」では新井薬師道)と沿うところは、ある程度の流路が想像できます。→ 「落合惣図」の中で、薬王院のある台地の裾をめぐり、氷川神社境内の南縁から東へ回り込んでいるのがそれですが、ただ、薬王院から氷川神社にかけては新目白通りの一部となってなくなりました。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)  

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    ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(明治42年測図) / 新井」  上掲地図と同一場所、同一縮尺です。

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    1. 分岐直後の左岸流は本流とほとんどで接して流れていました。右手は下落合駅前に架かる落合橋です。

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    2. 西ノ橋の北側で孤を描いている新井薬師道です。この右手を並行していたことになります。

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    3. 新目白通りに突き当たって右折ですが、ここから先はしばらく、新井薬師道も田用水も新目白通りの下に埋没してしまいました。

 <西橋>  → 「下落合村絵図」に描かれた本流に架かる橋は三つで、(上流から)寺斉橋、西橋、そして田島橋です。うち西橋(現西ノ橋)は比丘尼橋とも呼ばれていました。「井草川 ・・・・土橋を架す、比丘尼橋と号す長五間余」(「新編武蔵風土記稿」)  → 「上落合村絵図」には「西橋」と「ビクニ橋」が併記されています。比丘尼というのは尼僧のことで、美貌ゆえに出家を断られ、自ら顔を焼いて尼になったと伝えられる、泰雲寺の了然尼とのかかわりがいわれており、この故事は「江戸名所図会」にも取り上げられています。なお、「落合惣図」の中で、泰雲寺の北に描かれているのが西橋ですが、「図会」本文では「落合土橋 同所坤(ひつじさる)の方、上落合より下落合へ行道に架す」となっています。