神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

不動谷3

2018-07-20 06:06:59 | 落合・目白崖線

 不動谷の谷頭には二つの湧水池がありました。前回UPの→ 「第二回修正」に描かれた、箱根土地の敷地内にあったのが一つ、もう一つは、その先にあった弁天(→ 厳島神社)の祀られた池で、いずれも不動谷に注ぐ小川の水源となっていました。前者は昭和10年代に始まった山手通りの工事で埋め立てられ、その痕跡は失われました。弁天池の方はさらに早く、大正末の第一文化村の分譲に際し、宅地造成されましたが、規模を縮小して昭和30年頃まで存続していたとの情報もあります。いずれにしても、弁天池の跡地は特異なすり鉢状の造形となっていて、今日でも見ることができます。

 

Hudodani3

    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)  

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    1. 直線的に見通せる道路の先に、突然車止めと下り階段が出現、行く手を遮ります。  

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    2. 右手(左岸)から窪地の横を見通しています。幅25~30mはあるでしょうか。 

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    3. 窪地の底の道路です。左右とも普通の住宅が並び、この写真からは特異な地形は見て取れません。 

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    4. 70mほどで上り坂に差し掛かります。右写真は坂上から振り返っています。 

 <目白文化村>  箱根土地株式会社といってもピンときませんが、創業者は堤康次郎、西武グループを立ち上げた人で、箱根土地はのちグループの中核企業、国土計画(コクド)となります。1920年代前半、この地に本社を構え、一帯を目白文化村(当初は目白不動園)と称して、昭和の初めにかけ4次(5次とも)にわたって分譲しました。本社裏の今回の対象区域は、大正11年(1922年)に分譲を開始した第一文化村にあたり、地下電気、ガス、水道、下水道完備で、一区画標準100坪、区画数39区画が分譲されました。なお、この「目白文化村」のネーミングは、(本当は目白ではなく)落合に多くの文化人が居住するのに、大いに寄与したものと思われます。当初の「不動園」ではこうはいかなかったでしょう。