王子分水の続です。前回、古堀拡張の起点として名前の出た滝野川村平尾水車は、→ 「取調絵図」の上樋と中樋の間にあって、元図では「太郎兵衛水車」と付記された水車小屋で、→ 「近傍図」の左下端にあるものと思われます。平尾水車から高枡跡までの古堀分の延長は474間半(≒863m)とあり、現明治通りの滝野川、巣鴨村境を起点とすれば、ある程度の距離計算は可能です。一方、新規開削部分は幅4~6間、深さ6~18尺、延長は744間(≒1350m)、「芦川家文書」中の「普請出来形帳」にある数字です。結局このプロジェクト、大砲製造にまで至ったかどうかは、幕末の混乱によってよく分かっていませんが、重要なのは千川上水を軍事・工場用水として利用しようとしたことで、明治に入り大砲製造所跡地には紡績工場が稼働、近くに出来た王子製紙の前身の抄紙工場や大蔵省紙幣寮(のち印刷局)の工場も、千川上水を工場用水として利用することになります。
- ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
- 1. 明治通りから分かれた区境の路地の続です。50m弱で中山道に突き当たります。
- 2. 中山道を越えた先で右折します。高架は首都高中央環状線です。
- 3. 今度は中山道と交差したばかりの明治通りを越えます。
- 4. 明治通りの先の道路は、左手を並行していた水路跡を含んで幅広になっています。
- 5. 都電荒川線の西ヶ原4丁目駅前で左折、これまで一緒だった区境と離れます。