千川上水跡の道路は板橋駅の北で、JR埼京線を越えます。その直後左カーブで旧中山道とほとんど接するところに、平尾一里塚がありました。本郷追分に続く中山道の2番目の一里塚ですが、痕跡も解説プレートもありません。ところで、「小川家文書」中の上水再興時の護岸工事用と思われる絵図には、平尾一里塚と思われるすぐ下流に、滝野川村の2番目の「悪水吐潜樋」があり、次いでやはり2番目の分水口が描かれています。「千川素堀筋普請所積見分」には、一里塚の前に距離の欠落が一か所あるため、終点の巣鴨村境(現明治通り)から距離計算してみると、「潜樋 内法壱尺」のあるのは362間(≒658m)のところで、やはり一里塚のやや江戸よりです。なお、同「見分」には、この潜樋の直後は「土橋」のみで、分水口の記述はありません。
- ・ 「千川上水流末絵図」 小平市教育委員会発行「小平市史料集 第二十七集 玉川上水と分水5」に収録された、上水復興時の護岸工事用と思われる絵図を元に、その流末部分の一部をイラスト化しました。
- ・ 千川上水跡 JR埼京線を越えて100m弱のところで、左カーブで左手の旧中山道に再接近、両者の間隔はほんの10mあるかないかです。
- ・ 旧中山道 旧中山道越しのショットで、小高くなっているのが千川上水跡、奥は板橋駅南口広場、その先の谷端川に向かって低くなっています。なお、一里塚は撮影地点のやや右手にありました。
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