神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

平尾一里塚

2015-10-15 07:03:43 | 千川用水6

 千川上水跡の道路は板橋駅の北で、JR埼京線を越えます。その直後左カーブで旧中山道とほとんど接するところに、平尾一里塚がありました。本郷追分に続く中山道の2番目の一里塚ですが、痕跡も解説プレートもありません。ところで、「小川家文書」中の上水再興時の護岸工事用と思われる絵図には、平尾一里塚と思われるすぐ下流に、滝野川村の2番目の「悪水吐潜樋」があり、次いでやはり2番目の分水口が描かれています。「千川素堀筋普請所積見分」には、一里塚の前に距離の欠落が一か所あるため、終点の巣鴨村境(現明治通り)から距離計算してみると、「潜樋 内法壱尺」のあるのは362間(≒658m)のところで、やはり一里塚のやや江戸よりです。なお、同「見分」には、この潜樋の直後は「土橋」のみで、分水口の記述はありません。

 

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    ・ 「千川上水流末絵図」  小平市教育委員会発行「小平市史料集 第二十七集 玉川上水と分水5」に収録された、上水復興時の護岸工事用と思われる絵図を元に、その流末部分の一部をイラスト化しました。

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    ・ 千川上水跡  JR埼京線を越えて100m弱のところで、左カーブで左手の旧中山道に再接近、両者の間隔はほんの10mあるかないかです。 

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    ・ 旧中山道  旧中山道越しのショットで、小高くなっているのが千川上水跡、奥は板橋駅南口広場、その先の谷端川に向かって低くなっています。なお、一里塚は撮影地点のやや右手にありました。

 <「中山道分間延絵図」>  文化3年(1806年)完成の「中山道分間延絵図」を見ると、一里塚の江戸よりの傍らに石橋が架けられています。この絵図の中山道は1里を7尺2寸とする縮尺を考慮して描かれており、位置関係には信頼がおけることから、今回テーマの悪水吐にかかわるものとして間違いないでしょう。なお、同絵図には一里塚の前後に合計4本の石橋が描かれています。(加賀藩分水とのかかわりが推測される)観明寺前のもの、及び今回の一里塚前のものの間に、もう一本あり、縮尺を考慮して距離計算すると、最初の悪水吐の場所とした板橋駅前公園付近となります。一里塚より江戸に近いところにある、四本目のものは次回のテーマです。