神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

火薬製造所分水2

2015-10-09 07:00:34 | 千川用水6

 明治38年(1905年)、火薬製造所への分水路が開かれます。同年は日露戦争のただなかにあって、隣接する十条に鉄包製造所が移転してきた年でもあり、水需要の増大に対処するための措置だったのでしょう。一方で、明治31年以降の改良水道の普及に伴い、同41年には千川水道会社は閉鎖されており、千川上水の利用を制限する必要性が減少していた事情もあります。なお、豊島区郷土資料館「千川上水展」の略年表には、「板橋火薬製造所の上水として取水口を新設する」とあり、工業用水ではなく生活用水としてということのようです。同年表には「昭和17年 造兵廠の水不足を補うため、豊島園東方より石神井川の水を千川に用水する」とあり、やはり戦時の需要の拡大に対応してのことと思われます。この分水は戦後都水道局板橋浄水場に引き継がれ、昭和45年(1970年)の取水停止まで続きました。

 

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    ・ 「千川上水使用権利詳細平面図」(部分)  豊島区教育委員会「千川上水展」に掲載された平面図(紙の博物館所蔵)を元に、その一部をイラスト化しました。紙の博物館所蔵で、原図は明治38年頃の作成とされています。書き込まれているのは、高田道・王子新道経由及び今回のものの二つですが、前者は明治21年の申請時も予定されていたルートです。

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    ・ 旧中山道  板橋一丁目児童遊園の北側です。このあたりで旧中山道を越え、→ 「東京近傍図」中央付近から、左カーブで北西に向かう道路を利用したのでしょう。

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    ・ 東板橋体育館前  新旧中山道を越え600mほどのところで、八王子新道と交差します。上掲「平面図」で、ロータリー状に描かれているのはこのあたりと思われます。

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    ・ 加賀二公園  沈殿池のあったところは、フェンスに囲まれ開門時間に制限のある公園となっています。公園の北側の石神井川に面したところは、→ 板橋第二給水所です。