前回の板橋駅前公園から百数十メートルで、JR埼京線の板橋駅前に出ます。同駅は明治18年(1885年)、民間の日本鉄道品川線(品川・赤羽間)の駅として開業、同39年国有化されました。→ 「東京近傍図」に見るように、谷端川の谷筋を越える築堤上に設けられています。(同図の測量、発行は日本鉄道の開業前ですが、再版の際書き加えられたものです。) 千川上水跡の道路は駅前のロータリーに突き当たって中断、左手の旧中山道の踏切でJR線を越え、回り込んで線路際まで戻ったところで再開します。
- ・ 千川上水跡 板橋駅前のロータリーに差し掛かり中断するところです。正面の植込みの中には、千川上水のものと思われる大きな→ マンホールが顔をのぞかせています。
- ・ 千川上水跡 旧中山道の踏切を通り回り込んだところです。こちらの→ マンホールには、千川上水の文字を図案化したマークが入っています。
<板橋放水路> 暗渠化された千川上水をここまで流れてきた水は、本来のルートを離れ、埼京線に沿って数百メートル北上、埼京線橋梁下で石神井川に放流されています。玉川上水から一日1万トンを得たうちの7000トンが青梅街道、水道端で善福寺川に回され、残り3000トンがここまで来た計算です。また、100m強南を流れる谷端川は、現在は暗渠となって谷端川雨水幹線となっていますが、その雨水も同じルートで石神井川に放流されているようです。というより、昭和初期に完成した谷端川板橋放水路を、平成元年(1989年)の清流復活以降、千川上水も利用したということでしょう。(この項の記事と写真は数年前のものですが、平成27年3月現在、青梅街道以降の暗渠に水の流れはなく、また、それ以前にも漏水等で、ここまで到達していなかったといわれています。)
- ・ 埼京線鉄橋下の放水口 「雨水管を利用し、石神井川に戻しています」「流出量 約3000t / 日」などとある解説プレートで、年々延長されていた「放流期限」ですが、今は「平成25年3月末日」のままになっています。