神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

滝野川村境

2015-10-05 07:13:08 | 千川用水6

 板橋郵便局裏の千川上水跡の通りを先に進みます。「千川素堀筋普請所積見分」によると、平尾橋と目される「川越道石橋」から先、千川上水は下板橋宿を離れ、(間に金井窪村分の18間を挟んで)滝野川村(字平尾)へと入ります。あとは巣鴨村境にあった巣鴨掘割まで、合計で796間半(≒1450m)にわたって滝野川村に属していました。一方、旧中山道沿いの下板橋宿と滝野川村の境は、板橋駅の東側にあった一里塚でした。現在の板橋区と北区の境は、→ 「東京近傍図に書き込んだように、旧中山道以北は元のままですが、以南は谷端川沿いの豊島区境まで、600mほどズレてJR埼京線になっています。

 

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    ・ 「下板橋宿絵図」  板橋区立郷土資料館「板橋の絵図・絵地図」掲載の、国会図書館蔵、制作年代不詳のものをベースに、該当個所をイラスト化しました。

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    ・ 千川上水跡  板橋郵便局横からワンブロック、100mほどのところで、花月橋が架かっていました。このあたりまでが金井窪村、その先が滝野川村でした。横切っている花月通りは平尾追分と下板橋駅(旧駅)を結び、東上鉄道(現東武東上線)の開通した大正初めの新設です。

 <平尾村>  たびたび登場する地名の平尾ですが、元はこのあたりの村名だったといわれており、「千川上水給水区域」にも「一、滝野川村水口内法五寸四方 此水口より平尾村に相懸り申候」とあります。正確な範囲は不明ですが、中山道沿いの平尾宿やその南側の滝野川村字平尾は、かって平尾村に属していた名残の地名と思われます。明治22年(1889年)に板橋町が成立した際、滝野川村字平尾は、滝野川村を離れて板橋町の一部となり、現在は滝野川でも平尾でもなく、板橋区板橋1丁目となっています。こうして、平尾の地名は現在の住居表示からは消え、平尾追分にある交番などにその名を残すのみです。
 ところで平尾の地名由来ですが、文字通り「平らな尾(尾根)」と解されます。石神井川と谷端川に挟まれた、幅200mほどの狭い尾根筋が平尾で、そこに、街道と上水は尾根筋のお約束通り、旧中山道と千川上水を並行させたわけです。なお、「新編武蔵風土記稿」は下板橋宿のところで、「平尾 江戸の方より入所なり、こゝに西の方に分れ道あり、上板橋への往還(引用注 川越街道)なり、『小田原所領役帳』に元板橋知行平尾分と載しは是なり」と書いています。もっとも、「元板橋知行 江戸桜田内平尾分」が正確な引用で、当地とすることには疑問があり、渋谷区と港区にまたがる広域地名、広尾なのではとの説が有力です。