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孫と岩滝山へ登る

2019-11-18 | 山歩き

好天の日曜日、孫二人連れて夫と山歩きをしました。

子供に元気をもらいながら、一緒に歩いて気持ちよく疲れました。

しばらくはこのいい季節を楽しみたいものです。

途中の公園で遊びまくる。

場所はJR海田市駅から北へ、川を渡って旧西国街道沿いの小さな公園。

さらに行くと登山口があります。

急な坂道を岩滝神社まで来ました。

左手の船越観音豊稔寺前の登山道を行きます。

元は同じ宗教施設だったのかもしれません。明治初めに神社と分離?

広島市中心部がよく見えます。ずっと向こうに宮島も。

石段の数を数えています。

頂上までは山道もありながら、四百何段かでした。

標高は163.2mと低い山ですが、海田湾がよく見えます。

おにぎり落としたら海まで行くよ~

お弁当の前に遊びたい~

ソメイヨシノの古い木に登ります。

おかずはね、最初はか、最後がげ、なあんだ?

登りながらクイズです。

唐揚げ!!

ピンポーン!!

デザートはね、最初がか、最後がき、なあんだ?

かき!!私、きらーい!!

かときの間がないじゃんか。

ピンポーン!!

再び木登り。木の上で眠るコアラごっこ。

木の下では四つん這いで歩いて、コアラになりきっています。

頂上からまっすぐおります。
岩肌に急なコンクリート製の段が付いていますが、下は崖。
自分の子供でないので、ケガさせたら大変です。
たいそうスリリングでした。
 
グラウンドは船越小学校。
 

降りてきました。もうすぐ神社です。

山はきれいに紅葉していて、楽しく歩きました。

このあと帰りの車の中で二人は爆睡。家に帰っても夕方まで、ずっと眠っていました。

観察会、茶臼山への縦走に次いで、今回3度目。低いけど眺めがいいです。

皆様もよかったらぜひどうぞ。


来年の孫の卒園式、お嫁ちゃんが招待してくれたので、差し支えなければ張り切って出かけましょう。

何着て行きますかねぇ。ミニのドレスはやめておこう。持ってないけど。

 

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広域公園の紅葉

2019-11-16 | お出かけ

午後から紅葉見に行きます。

花が咲いてる!

花じゃなくて実、ナンキンハゼの実!!

世の中、紅葉しつつ花の咲く木を、我いまだ知らず。

メインスタジアムの上を周ります。

 

 

オオカメノキ

コブシはまだ青い。

あちら広島修道大学。昔は広島商科大学として観音にあった。

移転して女子学生も増えた模様。

 

 

うーーーん、茶色く枯れて落ちた葉もあり、まだ色づいてないのもあり、夏の暑さと先日までの暑さで木も季節が分からなくなっている印象でした。

まだまだ日差しもきつい。

昨年はこちらhttps://blog.goo.ne.jp/kawashima134/e/688774d7e800dc433417dd50b043fa0a

昨年は11/3、鮮やかな紅葉でした。広い公園に大きな木が多くて見ごたえありました。

今年はあと一週間でアメリカフウやユリノキなどがきれいになりそうです。それに期待しましょう。

明日はメインスタジアムでサッカーの試合があるらしく、チケットを求めて?もう人が行列作っていました。

フジテレビの中継車も数台、準備していました。生で見ると迫力あるでしょうが、明日は別の予定あり。

ナフコで買い物して帰宅。紅葉は残念でした。紅葉はまた別の場所に期待しましょう。

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本日、洋裁の日

2019-11-15 | 縫物いろいろ

家にいる日は少しずつ、作業しています。

作っているのは裏なしの薄いコート。早く縫わないと、ほんとの冬が来ます。

今日は各パーツの縁を、ロックミシンがないのでジグザグミシンで始末して、ポケットを仕付け糸で止めたところでやめる。頑張ればあと二日くらいでできるけど、頑張らない。

もう少しやりたいなあと思うところでやめて、次の日にまた新たな気持ちで縫いたいもの。

いつの間にか生地がたまっている。

まだまだたくさんあります。寿命との競争です。

ロックミシンが欲しいけど、もうものは増やさない。

洋裁もね、なかなか面白い。

機織りは、機ごしらえはやたらと難しいけど、織り始めたらあとは単調な根気のいる作業。

洋裁は工程が複雑で、きれいにできるかどうかの振れ幅も大きいので、うまくできた時には嬉しい。

買えば安いけど、安いものは生地がイマイチ。デパートの洋服は、買いに行くための服がない。頭もぐしゃぐしゃ。気後れして行けない。話しかけられるのも困る。


昨日は友達にこちらへ連れて行ってもらいました。

https://moonlight.co.jp/rest-ushio/

東に向かって湾が見えて、遠くの島が何重にも重なり、瀬戸内独特の風景。

店内は広くて新しく、気持ちがいい。

お料理もしっかりした味付けで、おいしく、リーズナブル。

一日5食限定のお任せランチ、1,800円がおかずいろいろ、見た目もよしでお買い得。

食後、200円のコーヒーも、一杯ずつドリップで淹れたらしいおいしいコーヒー。

お客さん他にいないので、二人で遠慮なく話しました。オーナには筒抜け。ですよね。恥ずかしや。


彼女は私の夫も若い時から知っているので、最近のあれこれを言ってすっきり。みんなそれぞれの人生の中で頑張っている。そう思えたのでよしとしよう。

この半島には親戚があり、結婚するまで、夏は父がよく釣りに連れて行ってくれた場所。

子供の頃は山の中腹に砂利の道しかなく、とても遠かったけど、今はどこも近くなった。

写真撮らずに、お店のホームページから拝借。こちらディナー。すっきりと素敵なお料理でした。


 

仕出し弁当や法事の料理が充実しているのは、矢張り土地柄と思います。

まだまだ話し足りなかったけど、また次の機会を約束して昨日は解散。

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本日、旅行中

2019-11-14 | お出かけ

寒くなりましたが、日帰り旅行へ。友達とたくさん話す予定。

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これが本当なら人権侵害

2019-11-13 | 断想

https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_litera_10106/

お気の毒で涙が出ました。

パレードでの涙も、万感胸に迫るものがあったのでしょう。

いきなり人の家に行って、不妊治療しろなんて、本当にありえない。

制度の外の人間も疎外されてるけど、その内側ではものすごい人権侵害。

女系も男系ももういらない。お気の毒すぎる。

日本人って、こんな制度がなくったって、ちゃんとやれる国民だと私は思います。


 

で、例のお方、パレードの日に車列に参加、窓開けて手を振ってたって。当日は主役はあんたではありません。失礼にもほどがある。

先月の敷居踏み事件と言い、今回の天皇気取りのお手振りといい、あきれて開いた口が塞がりません。

早くやめてください。でないと日本の未来はない。

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好天続き

2019-11-13 | 日記

明日はお天気崩れるらしいけど、最近はずっと好天。いろいろなことがはかどる。

来月から二月終わりまで、経理関係が何かと忙しいので、今は嵐の前の束の間の凪。

久しぶりに洋裁しているけれど、やり方変えて、ゆっくり丁寧に、一つ一つの行程を確実にを心掛けて、やっている。

これは機織りで学んだことかも。

私は何ごとも雑で、早くやりたがる。それがいい場合もあるけど、洋裁や機織りは結局丁寧にした方が仕上がりが断然いい。

一日のうち、疲れるまで、飽きるまでしない。せいぜい、午前、午後に一時間ずつくらい。と言うことで、今朝、やっと接着芯張ったところ。月末までに仕上げる。焦らない。


映画から、昔のあれこれ思い出し、私なりに気が付くことがあった。

それは小さい時はかわいく、年頃には美人の女性は、私のようなその他大勢の一般女性とは発想が違うということ。

何よりも自信家であるということ。

これはずっとかわいいね、きれいねと言われ続け、年頃には周りにわらわらと男の子が寄ってくるんだから、当然の結果と思われる。

世の中の男性は何よりもきれいな女性が好き。頭のいいのはぱっと見分からないけど、美人は人目に立つ。どれだけきれいな女性を連れて歩いているかが、自分のステイタス。

私の女友達、とても美人でした。彼女がなんで私と友達になってくれたかと言うと、無意識のうちに私で安心していたんだと思う。彼女と張り合う程だと、心穏やかでいられないから。

まあ、よくおもてになりましたね。常に複数の男の子をキープ、その中に序列があり、何かのきっかけで一位の人が転落して、控えがステディになる可能性もあるので、男の子は離れない。男の子の特性を生かして、使い分けていたともいえます。

何かずるがしこい女の子みたいに書きましたが、結果としてそうなっていただけで、全然そんなことはありません。人柄かな。

この年になって、今になってやっと気が付いたけど、甘え上手で、うまく男の子を立てる、それができていたように思います。声やしぐさが柔らかく、大人っぽい魅力がありました。私には一番欠けている部分であります。うちの母も、ものすごく色気があると感心していました。

私も一緒にいて楽しいことがたくさんありました。直接彼女に近付くのは意図が丸見えなので、中には私と親しくなり、ついでに彼女とも話をして席が空くのを待つと言う。

放課後の教室で、何をするでもなく、話して笑って、楽しい一年間でした。それから彼女と下校、あちこちの店へ寄ったり、うどん食べたり、そのころは勉強の優先順位は低いので、成績は思い切り下がりましたね。でも楽しかったからよかったと思うことにしよう。

Qくんはそんな緩やかなつながりの中にいた人。彼女とは中学時代からの知り合いで、やがて私も話するように。若い担任は学級活動のカリキュラムを考えるのが面倒になったらしく、三学期になるとクラスを10くらいの藩に分けて、わおう、何という変換、お前ら勝手に遊べという感じになった。

メンバーはくじ引き、たまたま私と彼女が同じ班になると、彼女に思いのある男の子が交渉して変わってもらって入ってきた。最強の布陣でしたねぇ。楽しかったあ、とにかく楽しかった。することないので私の持参した百人一首したり。回覧ノートも。楽しかった。Q君はあとで聞いたら、私と話したくてわが班に来たとのこと。

Qくんは東京の某大学に進み、某大手に勤め、重役になったらしいけど、その頃は文学少年で、いつもエッセィ書いたり、小説書いたりしていた。これなんだけどと手渡されて、読ませてもらったこともある。

Q君が私に声かけて本格的に付き合うようになったのは、私も小説読むのが好きで同じ波長を感じたからだと思う。私は当たりを払うように美人でもないし、実家は農家だし、彼もずっと遠くからバス通学する農家の子だった。

彼女に付き合っているって言わなければよかったんですね。

これも今になって分かるんだけど、誰かと付き合っていることは決して口外しない。人に知れていいことは何もない。親に反対されたり、同性に介入されたり。関係がまだ不安定な時にそんなことがあれば、うまく行かないこともあるわで。

Qくんは彼女にとって控えのまだ外側の知り合い程度の間柄。それでも今風に言うとスペック抜群の人。私がその人と付き合っていることを知り、プライドがいたく傷ついたのでしょう。ちょうどその時は付き合う人がいなかったのかもしれない。簡単に自分の方を振り向いてくれると思ったのか、私の様子が楽しそうで、自分もそうなりたいと思ったのか。

でも、えへん、私は勝者でした。彼氏から、彼女のアプローチの様子と、それを相手にしなかった彼の話を聞くにつけて、正直に言いますが、密かに嬉しかった。

私は「マチネの終わりに」の中の、早苗だろうか。人の恋人を盗る。いえ、私は何の策略もしませんでした。私たちはごく自然に付き合うようになったのです。

世の中、美人にばかり、美男子にばかり異性が群がるなら、私のようなその他大勢には寂しい人生が待っている。でも、人の価値を測る物差しは人それぞれ、それでいいんではないでしょうか。

退潮期には辛かった。女らしい言動は許されなかった。時事、文学、対等に対話する賢い女、それを求められた。男と女がいる。それでいいじゃないの。と今なら言える。でも一通りの言葉を持たないと相手にされない時代。きつかった。スマホも携帯も、自分専用の固定電話もない時代、物理的な距離が結局は一番の原因だったかもしれない。


私なりの掟

何かのきっかけで思い出すのはいくらでもOK

年賀状可。添え書きは一行程度で。お元気ですかなど。自分をアピールするのは不可。相手奥様が不快になるのがダメと言うことです。

手紙、はがき、メール可。相手奥様の批評、悪口は厳禁。

同窓会可。プチ同窓会可。幹事になって事務連絡は可。

いかなる理由があっても個別に二人だけで会わない。

相手を頼らない。

車に二人きりで乗らない。

要するに相手の家庭に波風立つ行いは全てNGです。

世の中にはいろいろな感覚の人がいます。変な誤解受けないためにもこれは大切。


友達の友達、籍はそのままだけど、別居した人がいます。独身の大学時代の後輩から、ご主人によく相談の電話がかかってきて、そのうちお金貸すようになり(貸して欲しいと言って来ただけかも)、揉めたそうです。お金はいけませんね。

人に親切には徳目の一つだけど、できない親切もある。優先順位つけて、きっぱり断るべきでしたね。

うわあ、毎日こんなこと考えている私。

映画の中の早苗さん、あまりにえげつないので、いろんなこと思い出した。そして、平穏な毎日にあらためて感謝。

飛び切りの美人も難儀な人生だなと、最近思う。何ごとも普通が一番。

 

 

 

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孫に疲れる

2019-11-12 | 随想

昨日は夕方、イレギュラーで孫が来た。風邪気味とのこと。

でも元気いっぱい、お母さんは一度帰って上の孫連れて再び来て、と、この辺りから私も限界。

平成の間の仮面ライダーの変身を順送りにして見せてくれたけど、私の動体視力も弱っているのか、見ているだけで疲れる。

鍋していたけど、食べたらまた帰るのが遅くなるので、包んでご飯と一緒に持たせて、昨夜はお引き取り願った。

今日は孫の幼稚園で、夫が仕事。出かけたら、孫が、「**君のおじいちゃんは強い。パンチしても全然弱らない」と自慢していたそうな。

野山を駆け回る、農作業する、自分たちで遊びを考えて遊ぶ、など自主性を尊重した(野放し?)教育の幼稚園、運動会もお遊戯会もないので、孫が活動しているのを見られる今回は最後のチャンスだったけど、昨日の疲れで孫はもうお腹いっぱいになり、他の用事もあったのでついて行かなかった。

帰ってきて、夫がその様子を話してくれたのです。どの子も体幹ががっしりしている。とのこと。中でも孫は大柄。でもピアニカや折り紙、ダンスなど集団で何かする教育受けていないので、小学校がどうなるかなと心配。

親か心配してないので、私が心配するのも変な話だけど。やれやれ。

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「マチネの終わりに」的結末のそのまたあとで

2019-11-12 | 随想

昨日の記事は下書きへ移動。自分で読んで心の整理ついたからもういいって、思い出すから心が乱れる。今さら何を思い出す?と自分に聞いておく。


私は他県の学校に進学して、それでも高校時代の女友達と二年間くらいは会っていた。彼女は御商売されているおうちの跡取り娘、親の意向で進学はせず、地元で就職していた。

帰省した時はよく会っていて、そのときの話で、今付き合っている人の話を彼女にしたのだった。その人も彼女も私も同じクラス、よく話をする間柄だった。

きっかけは高校三年生の秋の遠足。自由時間になって、1時間後の集合時間までの間、二人で歩きながらずっと話していた。1学年千人近い学年、集団の中から私を探し出してくれたのが嬉しかった。大きな池の堤防を片道30分歩いて、また引き返す。季節はちょうど今頃。

どこを受けるん?

私は**と東京の私大も。その人は今年は東京の大学を一校だけ受けると話していた。そのことを何よりも確認したかったのだと思う。

手紙出してもいい、いいよという運びになったんだった。

こんなんでわかるかしら、人に話の流れが。でも続けます。

卒業して二年目の年末に帰省した人と会ってみると、女友達が自分に会いたがっていると聞かされた。私が付き合っていると聞いて焦ったのかな。

会ってもいいけど、三人で会おう、で、その前に二人で一時間くらい話をして、それから待ち合わせの店へ二人で行こうと、その人の提案。ああ、私に気を遣ってくれているのだと嬉しかった。

ところがところが、前日になって彼女から風邪で行けないとの連絡。そうなの、じゃ私から連絡しておく。いい、私が連絡するから。

と、そこで私は分かってしまうのですね。彼女はその人とだけ会いたいのだと。会って…どうするつもりだったのかな。自分の方を振り向かせたかったのかな。

一時間前に約束の場所へ行ってみると、その人は電話を受けてなかった。やっぱり。だから、私は彼女から聞いたことだけを正確に、枝葉もつけずに伝えて、二人で年末の街をデイトした。

遠い遠い思い出です。瀬戸大橋もなく、JRはまだ国鉄で、家に一台固定電話のあるだけの時代。それでも人は連絡を取り合って出会っていた半世紀前。

次の春休み、やっぱり彼女は店で待っていたそうで、一度会うことにしたと事前に断ってくれた。私には、不思議とどんな感情も起きなかった。私たちは故郷の街を歩きながら、最近読んだ小説のことをよく話していた。とても濃密な時間を共有して来たので、流れが変わっていくことはないと思っていた。

彼女は美人で背が高くて、男の子にとても人気があった。だからことは簡単に運ぶと思っていたのかもしれない。でも、もう高校の教室で楽しく話していた時は過ぎ、それぞれの境遇が変わってきていた。彼女には家業を継ぐ役割があり、一緒にそれをしてくれる人でないと将来はない。ないからこそ、いっとき、そうでない人と付き合いたかったのかもしれない。

それからは彼女ともあまり会わなくなったかな。結婚式には呼ばれましたが、それからはほとんど会うこともなくなって今に至る。

何ごとも恐る恐るの始まりがあり、少しずつ盛り上がり、その時期がしばらく続き、それから些細な行き違いが積み重なり、やがて終わっていく。

思い出すのも辛いことの数々。新宿から高田の馬場まで、夜道を歩きながら、何を話していたのか、詳しいことはもう忘れたけど、私は何をいまさらと思っていた。あなたの言葉に私がどれだけ傷つき、何度涙を流したか、口に出して言ったかもしれない。若い時の心は移ろいやすいもの。一番のピークで一緒に人生を歩んでいく約束ができなかったのだから、仕方ない。

長い長い構文はもうどこへ収束するか、ピリオドをどう打つか、わからなくなっていた。

半世紀たった今なら言える。結局は縁がなかったのだと。

二番目でいいから付き合ってくれと言った人と今は暮らしている。時々、相手に猛烈に腹が立つのは私が年取ってこらえ性がなくなったから。自分の感情に忠実で、嫌なことを我慢したくなくなったから。

でも男女二人で暮らすこのスタンダードな制度が、何よりも自分を守ってくれていることも知っている。

健康で、働いていて、正直で、人の心の機微まではなかなか分からないけれど(これは男の特性かも)、制度の外へ出た方が幸せになるとまでは思えないので、しばらくはこのままでいましょう。

相手の顔は自分の鏡と言うらしい。少々のことは見逃して機嫌よく、機嫌のよいばあちゃんになりたいものです。

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「マチネの終わりに」的・・・

2019-11-10 | 随想

本日、夫は姑様の施設訪問、親せきの墓参、別の親せきの施設訪問などと忙しかった模様。

私は行かない。夫の親族のことで私に余計な負担かけない。私も口出しもしない。次第にそういう流れになってきた。こんなことはそれぞれのお宅でいろいろでしょうが、とりあえず我が家はそう。


「マチネの終わりに」が思いのほかアクセス数が多かった。

うーーーん、似たような経験、みなさんおありなんでしょうか。

続き希望のご意見もあったので、その後のあれこれを。

災厄は常に一本の電話から始まる。40歳のころ。

病気の相談。それは名目。ほんとは話したいだけ。携帯のない時代は固定電話に掛けるしかなくて、どの家もたいてい主婦が出る。それが悶着の元。

人の夫を君を付けて呼ぶ軽いノリで。20年以上のブランクがあれば、まず挨拶からでしょう。私は全然懐かしくないので、こちらも必要最小限の対応で夫に取り次ぐ。

それからしばらくして、自分の勤め先の封筒遣って、自分の名前は出さずに手紙が来る。私は探し物していて、見慣れぬ封書をつい開いてみたら、私の悪口を縷々書いていましたね。そんなもの、すぐに捨てるべきなのに、見たのは私の過失だけど、置いておくのも悪い。私信ならもちろん見ませんよ。茶封筒の公的な機関からのもので、処理しないといけない事務的な連絡とばかり思ったので。

悔しいので大喧嘩しましたね。

毎年の年賀状には必ず気を引く一文があるのも気分悪かったけど、正月早々ケンカしたくないので、ずっと我慢。年賀状のやり取りくらいで目くじら立てる必要ないと思って。

年賀状はお正月のこたつの上にあり、家族の目に触れやすいもの。それを見越してアピールしていたのかと、気持ち悪かった。

喧嘩の後、年賀状は出さないと約束したのに、来たからまた出すうちに復活したと言うので、思いっきり頭に来て、ある年の元旦、夫の目の前で破いて石油ストーブで燃やしてやりました。

目の前で立ち昇る焔。メーラメラメラ!!

何するん!!火事になるーーー!!とうろたえる夫。まあ、火事にはならずすぐ消えましたけどね。ふん。

で、私は気が済んだので、兼ねて欲しがっていたアンプ15万円を買ってやりました。お金は本人のだけど。

昔の彼女は、誰の付き合いにでも必ず首突っ込んで壊しにかかる、自分の方を振り向かせたがる困ったちゃん。でも、自分も結婚してるのにもうそれはないんじゃないの。昔のサークルの友達としての付き合いとの線引きは難しいけど、夫にはもう少し毅然としてほしかった。

男は(夫は)だいたいこういうところは緩いですね。ちやほやされて悪い気しないのが男。でもこちらは思い切り気分悪い。気分悪いことはやめてもらわないと。あまりしつこく言うと嫌がられるので、単純明快、単刀直入、自分の言いたいことだけ伝える。これは本気だと相手に伝わる迫力で。


前に付き合っていた友達が、一時、とても悩んでいることがあった。何時間も打ち明けられたことも。

高校の同窓生でグループ作って毎日曜日、ゴルフに行っている。男性数人に女性が一人。彼女は未亡人でとても人気がある。車を出す友達の夫が最後に彼女を家まで送っていく。それがとても嫌だと。嫌だと言うと、付き合いに口出しするなと怒られると。

気の毒だった。

そりゃ、女性は楽しいでしょう。複数の男たちにちやほやされて。でも家にいる奥さんたちがどんな気持ちか、ちょっと考えてもいいのでは。

その後どうなったか、知りませんが、うまく解決したでしょうか。

映画から広がるお恥ずかしい話いろいろ、失礼しました。

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映画「マチネの終わりに」を観る

2019-11-10 | 日記

昨日午後から八丁座で。イオンシネマなら車停められるけど、あえて繁華街へ出かけて街の喧騒に触れてから映画館へ。

連れ合いは家から徒歩で。映画館のロビーで待ち合わせると言うのがレトロ。観る私たちもすでにレトロの領域。

私は本を三年前に読み、夫は予習で二日前に読了。小説は心理描写、女同士の駆け引きなどもっと複雑だそうですが、私は記憶の容量に限界があり、詳細忘れている。

読んだ時も、映画見ても特に強烈な印象だったのは、別れの偽メール送ってその携帯をわざと水没させ、恋人の仲を裂いて、ギタリストの妻になるマネージャー女性。

そんなにまでして人の恋人を取って結婚して子供まで産んで…現実にこんなことしても、私なら罪悪感に押しつぶされそう。そういう悪事はえてしてばれるものです。

人の旦那さんや恋人を取っても、必ずどこかでしっぺ返しがあるもの。人生、いいことも悪いことも自分のしたことだけが自分に返ってくるって言うじゃありませんか。

いい循環を心掛けたいものです。

とは言え、本当に好きならどんなことをしても自分のものにする。一途なその気持ちも大切とは思いますが、卑怯な手段はどうでしょうか。よくないと思います。

何を隠しましょう、この私、昔、付き合ってた子を取られそうになりました。20歳の頃。こんなくだらないこと、ここで書いていいかどうかわかりませんが、まあ一つの話として。

その人は高校時代、私の親友だった人。彼氏はこういうことがあったと正直に(たぶん)話してくれたので、私は怒るよりも、そうなんだあと思うだけ。それは私が優位に立った余裕の心。彼女は自分のしたことが私に知れていることを知らないと思う。いまだに。今は同窓会で会うだけのお付き合い。でも楽しく話します。この年になればね、いいこと悪いこと恩讐の彼方へ。

そう言えば、今の同居人(=通称夫)と付き合い始めたころ、またまた別の女の子に取られそうになった。私はよくこういうことがある方かも。なんでかな。その方、女として自分の方が格上と思っていたのかな。そうかもしれんけど、知らんがな。

もともと同じサークルだった人。私と同居人が話していると、必ず割り込んできて、強引に話を持って行く人。女として格下の私が付き合ってるのが許せなかったのか、ある時わが同居人を呼び出して、夜道を歩くとき、どんどん寄ってきて歩きにくかったと、これまた正直(たぶん)に話しておりました。ふーーーん、なるほど。

こんな話膨らませると小説になるのかな。

映画見て、久しぶりにいろんなこと思い出した。長い一生、出会える人はどの人も大切に。嫌なことされても、それも懐かしいエピソード。そう思わないとやっていけない。そう思えるよう、頑張ります。

夜道の彼女ですか…結婚後も電話で病気の相談してきたり、私の悪口書いた手紙を夫の仕事場へ送ったりと(紙に書いたものは必ずばれる)、その後もしばらくご縁が続きましたが、それも今となっては遠い景色。もてたい人は自分に夫がいても、人に奥さんいても関係ないようですよ。今思い出してまたちょっとむかついた。生きてますか~。


映画の後、デパートで夕食の追加にいろいろ買って、昨日は帰宅。宵の口寝てしまって、夜中にパソコン立ち上げたら不調だったけど、サインアウトしたら元に戻った。よかった、よかった。

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洋裁始めました

2019-11-10 | 縫物いろいろ

先月、酒まつりで買った生地、昨日から縫い始める。コートの予定。

今月中完成目処に頑張ります。

パソコン不調、スマホ投稿。

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イルミネーション始めました

2019-11-08 | 日記

玄関わきでささやかに。

久しぶりに画像加工して、えらく時間かかる。


 

昨日の疲れで、午後は三時間爆睡。

昨日は孫とかけっこして、前のめりに、もう少しで転ぶところだった。

当然ばあちゃんの負け。

寄る年波はひたひたと。

でもまあ、80まではとりあえず元気でいたいもの。

うちの姑様、92歳までは全然手もかからず、一人で生活していたのです。

私もそのくらいまで自立した暮らしができたらいうことないけど、今まであまり善行積んでないので無理かも。

10月は心配ごといろいろあったけど、それを過ぎてリバウンド気味。

夜、頑張って一万歩になるまで歩いた。最近、信号渡らずに行けるところにファミマ開店。そこの角を二往復。

コンビニ2、銀行2、郵便局、スーパー、ホームセンター、コインランドリー、路面電車3系統の停まる電停、すべて徒歩数分以内にあるので、住まいはいろいろ不満もあるけれど…もう少し庭が広いといいとか、午後は日当たりが悪いとか、家の裏がマンションだとか…年取ると便利な場所が何より。

もうここで骨をうずめましょう。

姑様もこの場所でなかったら一人暮らしは無理だったかも。

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孫と遊ぶ

2019-11-07 | 日記

夕方、孫とお嫁ちゃんが来ました。

夕食前、寄港中の大型クルーズ船、見に行きます。

見えてきました。

近寄ります。

人は少なめ。

大きいねぇ。

船首

上の子は10月末にも見に行って、知り合った方から今日はキィーホルダーを頂きました。

船の寄港時には歓迎、歓送の旗を振ることを趣味にしているそうで、船に招待されて食事をふるまわれたり、いろいろなグッズを貰うそうです。

小さいけど、ちゃんとした革靴。よかったねぇ。


 

孫が新聞に載りました。

著作権的にはこの程度ならOKでしょうか。

アスレチック大好き。よく考えました💮

社長さんになったら、おばあちゃんをアシスタントに雇ってくれるそうなので、体に気を付けて長生きしたいものです。


八月頃からずっと、心配事、夫身内の不幸、イライラすること、落ち込むことなどいろいろありましたが、本日、何とか道筋のつくきっかけになることがありました。

又元気出して、毎日を有意義に過ごしたいものです。

船を見た後、孫二人、お嫁ちゃん、夫、私、みんなで歩いて帰りながら、人生ってたぶんこんな時間のためにある…と思っていました。

仕事で忙しい長男がいないのは残念だけど、お正月にはまたみんなで集まれるといいなと。

めげずに頑張って、まだまだ残りの人生を楽しく過ごしたいものです。

六歳児いわく「**くんは長生きしたい」生きていたら楽しいこともたくさんできるからって、達観しています。

お嫁ちゃんのお父様が入院中で、子供なりにいろいろ思うことがあるようです。

賑やかで、この私の心と体も活性化して、気が付くと体重も少し落ちていた。あら、嬉しや。

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大型クルーズ船の寄港

2019-11-06 | 日記

昼休みの散歩中、港に船が見えました。

急いで帰ってカメラ持って、今度はチャリンコで写真撮りに行きます。

ホテルかマンションみたい。

避難用ボートも。タイタニックみたい。

今からバスに分乗して観光です。

次は別府に行くようです。

船尾はラウンジやプール、レストランなどがあるようです。

こちら船首。

大きな窓のあるのが操舵室らしい。

いいお天気で、いいクルーズになることでしょう。

明日22時に出港。遅いので見に行かないかも。

夜の出港がまたきれいなんですけどね。

大型船、一週間に一度くらいのペースで来るので、散歩の途中で見る人が10人程度、いつも閑散としています。

 

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最近の姑様

2019-11-05 | 日記

テングシデ 北広島町 2018年11月


昨年はよくこのブログの登場していた姑様、今年の一月初めに施設に入り、夫も私もおかげさまでとても楽になりました。

初めは、どうしているかなあと気になっていましたが、幸い、施設にも慣れ、よくしていただいて穏やかな毎日を送っています。

施設では四番目の高齢者。耳はほとんど聞こえず、ものも言えず、立ち上がることも歩くこともできませんが、食事はゆっくりと自分で食べ、色つやもいいです。

最近はベッドの柵を閉めるのも抑制(=虐待)という解釈だそうで、ベッドからたまに降りて(=落ちて)いるそうで、詰所の一番近い相部屋になっています。

家にいる日々は、夫も私もまとまった時間が取れず、土日も遠出はできませんでしたが、さっき何の気なしに去年の今頃の自分のブログ見たら、先の見えない日々だったけど、一日の中に楽しいことも見つけて、全然暗黒な日々ではなかったことが分かりました。

というか、何よりも目の前のお世話が優先で、ショート預けてたまに旅行するときはしみじみと楽しく、夫とケンカする暇もありませんでしたね。

今は自由になったありがたみも忘れて、小さなことに不満を募らせたりと、なかなか人間は(=私は)足るを知ることのない生き物のようです。

先日書いたでしょうか、結婚以来、たぶん10回くらいしか会ってない私より年上の夫親族のことを。

8月、その娘(夫にとっては従妹)が、姑様の施設に見舞いに来て、そのお返しのつもりで、夫がその親族の施設に訪ねて行く運びとなりました。

私はついて行きません。

なぜって、その人、私はチョー苦手だからです。何が苦手って、ここで書くと下品になるので書きません。その娘も苦手です。

娘については、結婚以来全然お付き合いがなかったのに、そんな人がいるのは知っている程度だったのに、10年くらい前のある日の9時半ころ、電話かかってきて今から遊びに行くと言うのでびっくり。何時に来るんですかと聞くと、今から電車乗るので電話切りますって。。。。

よその家に訪ねるのに、これはどうでしょうか。だいいち呼んでもないのに。電話の後、さっさと出かけました。居留守ではなくて、本当の留守に。強引に押し掛ける人にはこんな対応で充分。人をバカにしています。

ですから、この娘とも関わらないようにしています。

どんな人ともなかよく、分け隔てなくって、大昔、小学校で習った気がするけど、もう私も年なのでしないことにしました。

夫は嫌なこと言われないし嫌な目にもそんなには遭ってないらしく、今まで通り、親戚づきあいするそうです。それがまた私の腹立ちの原因だけど、人を束縛することはできません。一度うーーーーんと嫌な目に遭うと懲りるでしょう。

その娘と兄(挨拶抜きに、面と向かって年寄せましたねと言われたことあり。絶対許さん)に絶対に我が家に来てほしくない、家の中を見られたくないと夫に言ってあります。私より年下なのに、二人ともものすごく上から目線。

夫に言ってもケンカになるだけなので、ここにこうして書いて、ああ、また余計イライラしてきた。

穏やかな老後の道は遠いようです。姑様とは全然関係ない話になるし。ああ、恥ずかしい。

 

 

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