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母もうすぐ93歳、と温泉宿に泊まる

2019-01-31 | 旅行

1/29 母と待ち合わせて温泉宿に泊まります。

私は駅から送迎バスに乗り、母は自宅から直接タクシーで来ました。

宿はこちら、香川県高松市内の山の中腹にあり、市内と瀬戸内海の眺めよし。

https://www.hanajyukai.jp/

16時チェックイン、まだまだ明るい。

右奥、源平合戦の古戦場、屋島。溶岩台地の独特の地形。上は平らで観光地になってます。札所もあり。

大分県にもそっくりな山があります。

右の茶色の高い建物付近がJR高松駅。駅から宿までは送迎バスで10分くらい。

宿で母と合流。

ええ眺めやのう。

お母さん、前に**さんや==さん(叔父、叔母)とここへ来たのと違う?

いいや、初めてや。来とらんぜ。

(前に、確かそう聞いたけど、私もすでに高齢者。記憶に絶対的自信があるわけではありません)

これ、自分で編んだんや。温いんぜ。

すごいね。棒針編み?

いいや、かぎ針や。

いや、この辺りがゴム編みでしょ。棒針だと思うよ。

そやのう。こっちから編んで目を増やして行ったんかのう。

と話は茫洋としています。40年位前、手編みを習っていたので、その頃のものでしょうか。

私もその頃、いろいろ貰いました。

女の人がゆっくり手編みをしていた時代、きっといい時代だったに違いない。


朝食は受付ロビーのある8階で。

 

左の川は郷東(香東)川、香川県一の大河。

近世はじめに市内を流れていたのを紫雲山の西へ流路を替えた。

土木工事をしたのは西島八兵衛率いる土木集団、と小学校で習った。

重機のない時代、それはそれは大変な工事だったことでしょう。

朝食はバイキング。種類が多くて私が体験したホテル朝食では二番目によかった。

一番目はどこかって?

それは2017年、ポーランドの首都ワルシャワのインターコンチネンタルワルシャワです。

ああ、また遠くへ行きたいよう~

https://blog.goo.ne.jp/kawashima134/c/51ae451fe11f30f321a30083abd33bea

豆各種にレンコンの素揚げ、蒸し鶏などをゴマ入りドレッシングで和えた一品。

今度、我が家に友達が来るのでこれなどはいいでしょう。作っておいて直前に和える。

国分寺トマトとオリーブのプロバンサル。

国分寺はたぶん坂出市国分寺の契約農家から。真冬なのに甘いトマトでした。

オリーブは塩漬けではなく、苦くも無く、新鮮な味でした。

オリーブオイルとかすかに酢の味、緑の粉は何かのハーブ。

この他にもとてもおしゃれな品の数々。

おいしくいただきました。

宿のホームページから予約すると特別プランで、女二人で、いろいろ特典ついて、オフシーズンの平日だし、とても安く泊まれました。

母の分も出すつもりだったけど、母は年金貰いすぎて余るとのことで割り勘に。ついでに私の古希の祝いも1万円もらいました。おっとウッカリ年がばれた。

70まで生きる人は稀ではありませんが、親に古希の祝いを貰う人はまだ稀でありましょう。

ありがたや。古希の意味も長寿社会になって変わっていくかもしれませんね。

とはいえ、今回は親の衰えを強く感じた旅でもありました。こうして少しずつ別れの時に向かっているのだと思うとしみじみと寂しくなりました。

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「あの人」傑作随想41選 新潮文庫編集部

2019-01-17 | 読書

8年前の今頃、孫娘にウールの着物買ってあげた(やった)。帯は私の振袖用で代用。

これで法事に出て、親族デビューしたのでした。


森茉莉(鴎外の娘)から谷川俊太郎まで、文筆界の有名人の忘れられない人を描いたエッセィを集める。

どれも短くて読みやすいかなと思ったけど、扱うのが個人的な体験に傾くので、よほどうまく書かないと、字数も限られているし単なる世間話になってしまう。それはどんな高名な作家も同じことで、また一世を風靡したサブカル系の人は、古びるのも早く、その文章は今では古色蒼然。読みにくかった。

意外だったのはこの中で唯一、画家の岡本太郎の達意の文章。晩年の奇行、それだって戦略的なものだったかもしれないけど、の印象ばかりが強い人だけど、母岡本かの子を適度な距離感で描き、読ませる。一芸に秀でる人は何でも秀でているのでしょうか。

そして、この母にしてこの子あり、常識にとらわれない自由な生き方は親譲りのようです。

中原中也もよかった。詩人ですが、散文もピカイチ。弱々しい頼りない人との印象は一変した。死にゆく弟の往診に毎日来る医者、さじを投げているので、諦めると一日でも長く生きられると話しているらしい。兄は憤慨し、死後、挨拶を兼ねて、そのことを抗議しに行く。死ぬと分かっていれば、わずかな日数でも結婚させたかった、と。

中也の実家は山口県湯田温泉の名家、そのくらいの財力はあるのでそう言ったのだろうが、医師との心理的駆け引きが読みどころかと思う。

その他に松本清張が、清張少年の家が貧しくても差別しなかった小学校の先生のことを取り上げていて、素直に感動した。

某自治体の長にして作家のある人が、映画スターだった弟の最後を書いたものは、芸能人が好きな人には興味深いはずだけど、身内に作家がいるのも大変である。奥さんにしたら書かれたくないこともあったのでは。それともスターにプライバシーはないと、初めから腹をくくっていたのでしょうか。

奥さんの家系が半島出身なので兄はほとんど付き合ってなかったと、誰かから聞いたことがあります。そのせいか、ここでも一回出て来るだけ。

しかし日本列島に住んでる私たちは、大陸、半島、はたまた南西諸島からとルートはいろいろあったかもしれないけど、渡来人。早く来るか遅く来るの違いだけ。あまりきっちり分けてどうこう言うのもね。

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