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リンゴ狩りほかin三次

2021-10-31 | お出かけ

行きはR37、最後にR54で三次まで。この国道は川とJRに沿ってひなびた景色が広がります。

農家、柿、川、低い山、畑、ときどき古めの喫茶店と、心和むドライブロード。

三次市街へは寄らずに「道の駅ゆめランド布野」で野菜とお弁当購入。

本日の最初の目的地は「フルーツランドふの」、観光リンゴ園です。

採り頃

どれにしようかな・・・

実りの秋。

実を掴んで上に持ち上げると容易に枝から離れます。

故姑様の杖拝借。でもない方が歩きやすい。まだまだ初心者。


続いて紅葉の名所、尾関山公園へ。

色づき始め。

全山紅葉するのは来週くらい?

隣の藩主の菩提寺も拝観。三次浅野藩は広島浅野藩の分家。もう一つの分家が赤穂。

内匠頭の正室は三次浅野藩から嫁ぐ。

四十七士の木造をまつるお堂もあります。


続いて「三次もののけミュージアムへ。

三次市は、江戸時代から知られる妖怪物語、稲生物怪録(いのうもののけろく)の舞台。

妖怪コレクターである湯本豪一氏から5,000点の資料を寄贈されて2年前に開館。

三次の新しい観光スポットです。

広くはないですがたいそう見応えがありました。

一部を除いて展示品の撮影も自由。

さまざまな妖怪の姿を見て、江戸時代の人の想像力の豊かさとユーモアに感心しました。

今は酒呑童子の企画展を開いています。

16世紀の酒呑童子絵巻の写本。

帝に酒呑童子退治を願い出る場面。

大江山は京都府北部にある山。

昔は辺境の地として、鬼が住む伝説があったのでした。

リアルなよくできた絵巻物。

その他には百鬼夜行図とか。車を引いているのはカエル?

ミュージアムショップ、レストラン併設。尾関山から車で5分くらい。

スケボー禁止。

帰りもひなびたR37で帰る。都市高速に乗ると我が家近くまで市内はショートカットで早い。なんで今まで気が付かなかったのかと残念。

16時過ぎ。秋は早めの帰宅。

レンズにゴミが付いてますね。


りんご各種。量り売りで持ち帰り。夜、次男が来たので分ける。

広島県の奥地は寒いのでリンゴ栽培、島は暖かいのでミカン栽培。

次男と、そういえばミカン狩り行ってたよね、と話し、梨狩りも言ったと息子が思い出す。

私のなんちゃって段ボールギブス、ん?と不思議そう。装着した私と次男で写真撮ってもらい、三男に送る。と、本日もバカなことして遊ぶ。

野菜各種。

好天、ドライブ、リンゴ、野菜、里山の風景、、、秋でした。

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リンゴ狩りin三次

2021-10-31 | 日記

いいお天気です。

一個でお腹いっぱい。
 


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「いちまき」 中野翠

2021-10-30 | 読書

1946年生まれの著者は、1990年代、亡くなった父親の遺品の中に、手書きの「大夢 中野みわ自叙伝」を見つける。中野みわが曾祖母、大夢はその父親だそうで。

また同じころ、80代の父親のいとこの叔母から一族の話を聞くこともあり、先祖の来歴を調べたいと思うようになる。

いちまきは一族のこと、血がザワッとする生々しさがあるのは和語の為かと著者は思う。

NHKにファミリーヒストリーという番組があるけれど、それと似た体裁。あれは自分では調べないけれど、こちらは足跡を残した現地に出向き、関係する書籍も読み込んで、著者の探り当てたファミリーヒストリー。

曾祖母は下総関宿藩家老の娘として、江戸、桜田門内の藩上屋敷で生まれる。彼の桜田門外の変の半年ほど前。始まりからしてスリリング。

藩は勤王派と佐幕派に分裂し、やがて戊辰戦争。江戸家老の木村正則(のちの山田大夢)は佐幕派として、若い藩主を連れて戦乱の中を逃げていく。関東をさまよううち、勤王派の藩士と出会い、藩主は奪還され、自らは名を変えて潜伏流浪の生活をする。家族はあちこち転々としながら、最後は佐倉の知り合いの家に厄介になる。

やがて徳川家が移住した静岡に、みわの父親は学校教師としての職を得て家族を呼び寄せ、ようやく落ち着いた暮らしを手に入れる。。。。


戊辰戦争は大きな戦争もなく、日本の明治維新は無血革命、それだけに不十分と若いころは思い込んでいた。

しかしこうして一人の人にスポットを当てて詳しく辿って行けば、血が流されなかったわけではなく、新しい政権が生み出されるには大きな犠牲があったことが実感できる。

その時代に行き合わせる不幸、また幸福は個人には如何ともしがたい側面もあるわけで、もう百年時代が早ければ、家老のお姫様としてみわは一生を終えたはず。動乱の時代に行き合わせて、しなくていい苦労もしたけれど、時代にほんろうされながらたくましく生きてきたのが印象に残った。

口絵に凛とした正面を向いて正座する写真がある。いろいろなものを見た深いまなざし。そして立派な顔つき。昔の日本人って、こんな顔していたんだなあと思った。


謎解きのようにスリリングで、面白く読みました。

膝が痛くてばあちゃん、蟄居。曲げるのはそう痛くないけれど、体重掛けると痛い。

こうなれば空中浮遊するしかない。けどそれは無理なので家にいるときは・・・

じゃじゃーん、これです。

必殺、段ボールギブス。

膝が不意に曲がるのを防ぐ。

初めてした時、夫が面白がってスマホに撮っていた。ったく、人が苦しがっているのに。


司法試験の合格者名簿に名前がなかったそうで、心配ですね。試練はまだまだ続きます。

でも信頼し合っている二人で、どんなことも乗り越えていただきたいものです。だから当然権利のある国庫金、辞退しなければよかったのにと私は思います。

今回のことでは皇室の権威が地に落ちたと嘆く向きもあるようですが、長い目で見ればむしろ逆だと私は思います。

皇室が新しい時代、価値観へと合わせていくための過渡期としての苦しみ、と思います。うまく生まれ変わったら、またしばらくは安泰でしょう。

とは言え、個人が精神的に不調になるまで、国民は何を望むのでしょう。この国民に私は入ってませんが。

余りも生きにくくて、一人ずつ海外逃亡・・・となるまえに、本当に必要な制度なのか考えるてみるのは悪くないと思います。

いざなみいざなぎから始まる国造りの神話、それは奈良時代に国家意識が高まって来た時の作り話。歴史的な史料ではありますが、科学的な歴史ではありません。

それを教科書に入れるよう運動している某団体は、日本を戦前に戻したいのでしょうか。もの言えない国民を作り出して、この国をまた破滅へと導きたいのでしょうか。

とても、倶に天を戴けない人たち。父祖の仇であります。


とは言え、原初の権力が発生する仕組みは興味があります。公民館のグルーブでもよく世話をして事務能力のある人が次第に発言権を増していく。

それが権威にまでバージョンアップするためには、宗教性をまとったり、あと何かな・・・もう二つ三つの段階が必要だと思います。ここらあたりは、吉本隆明(ばななさんのお父さんね)の著作にいろいろありそうですが、どの本のどの辺りか、ばあちゃんはもう忘れた。

ただの権力が現人神になるまでのからくりと長い年月・・・ばあちゃんには永遠に解けない謎であります。立派な御殿に厳かな言動の積み重ねかな。

そしてそんなものに絶対に騙されないぞと、前世紀に外地で、親族に別れを言うこともなく亡くなった多くの若者の為に、きょうもまた固く誓う。

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「読書と日本人」 津野梅太郎

2021-10-29 | 読書

膝が痛くてどこへも行かず、誰とも会わないので最近はカフカの絵葉書と対話中。

2019年、プラハの、カフカが「変身」を書いた部屋で買った。

「変身」は、姑様の介護中により深く胸に落ちた。恐ろしくも残酷な作品。


先日、Eテレに出ていた著者は1938年生まれ。元気そうだった。元は黒テントの人。

ん?黒テントって?

黒テントはね・・・1960年代から70年代にかけてアングラ劇団の一つで・・・何というか・・・あとはそこら辺の年寄りに聞いてみてね。混とんとしてエネルギッシュで、その中から文化のアマルガムが生まれていて時代。懐かしいなあと、ばあちゃんは遠い目。

とはいえ、地方に住む若者には遠い都で、なんか面白そうなことやっているなあと好奇心をそそられるだけで実際見ることはなかったけど。

あとは雑誌の編集者に大学教授、図書館長などを歴任。


この本は日本人がどのように読書してきたかを、平安時代の更級日記からこの本が上梓された2016年の長きにわたって辿る通史の試み。

読書史・・・ありそうでなかったですね。初めて見た。

人は本を読む。読むけれどそのスタイルは様々。それをわざわざ書き残したりしない。当人にとっては当たり前の光景でそれが歴史の中でどう位置付けられるかなど、考えないので。

本は自分の部屋で一人で黙って読む。自分の部屋がない場合は人に邪魔されない場所でと言うことでしょうか。

同じ読書としても、紙が貴重で、自分のものにしてゆっくり読むためには原本を書写するしかなかった時代から、木版印刷へ、16世紀末に伝わった活字印刷(これは結局長続きしなかった)と飛躍的に発展し、一部の人から広く大衆へと読書習慣が広まったのが江戸時代。その流れがよく分かった。

また近代になってからの学校教育の始まり、大正時代の教養の大衆化、震災、戦争のあとの知的好奇心など、過不足なくよくまとめられている。

ところが20世紀も終わりになるころ、雑誌、書籍の売り上げが落ち始める。これは一時的な不況ではなく、社会の大きな構造変化。紙媒体のほかに電子本などが台頭してきた今世紀、読書を巡る環境も大きく変わってきた。

軽い本が大量に売れ、10年単位で少しずつ売れる堅い本は売れなくなって出版社、出版数も減り、図書館ですら知の砦であることを止めて、ベストセラー本をまとめて買って貸し出し、読まれなくなったら廃棄する形に替って行く。

知の退廃?著者ははっきりとは言ってないけれど、今のままではいけない、この自分も世の中も、という切実なものが日本人の中から失われたのかもしれない。知識を広げて現状を変えるヒントを探したいという気持ちが。

著者は電子媒体と紙媒体は互いを補いつつ、紙媒体自体がなくなることはないと結論付けている。

ネットで切れ切れの、刺激的な情報にさらされていると感性もささくれ立ち、落ち着いて考えられなくなるのでしょうか。ましてや個人が極論を発し続けることがお金になる時代、今回の結婚にまつわるあれこれがそれを象徴している。

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小さい秋、見つけた

2021-10-28 | 日記

とりあえずはリンク

眞子内親王の結婚に際して佳子内親王が勇気あるコメント! 理不尽なバッシングに負けず「人権」をつらぬいた姉妹に拍手|LITERA/リテラ (lite-ra.com)

あちこちのブログ拝見すると、結婚に応援する記事が多いので安心しました。

何度も書きますが、どんな親の元に生まれるかは本人の落ち度でもなく、手柄でもありません。それぞれの人が、一人の人間として大切にされる世の中になってほしいものです。

皇室をありがたがり、人を制度の中に閉じ込めているのと、いろいろな、生まれによる差別は対をなしていると思います。

自分に関係ないことではなく、社会にある差別に無関心でいることは、いつか、あるいは今も、気が付かないうちに自分も差別されていることだと私は思います。

今の天皇制は近代天皇制。儀式も明治に創設されたり、復活されたものも多い。天皇が国民のために祈るというのも新しい傾向。戦前は大元帥の現人神。その時々でどのようにも変わって行く。

何よりも中にいる人の人権が侵害されているのがよくない。私はそう思います。胸が痛いです。

普通の結婚なら皆に祝福されて、一か月もしたら夫と里帰りして、ものすごくもてなされて、幸せいっぱいのはず。会見場に花一つなく、金屏風もなかった。笑顔もなかった。

ご両親も御自分の立場と親の情に引き裂かれて辛かったことと思いますが、妹様がよき理解者でよかったなあと思いました。そして、独身の人の次の結婚が心配です。

何よりも継承の行方。何もせずに絶えるのを待ち、遠くから男系という民間人を引っ張ってくるのでしょうか。そこまでして男を女の上に立たせたいですか。男系を主張する人は、男が女の下につくのが我慢できないのでしょうか。

制度はすぐにはなくせないのなら女系で何が悪いの。y染色体は科学的な装いの迷信。どんどん薄まって行く。それを言うなら女性だけが伝えていく、ミトコンドリアの中の・・・何だったかな、ある物質が確実。

めぐみさんの娘のヘギョンちゃんと横田咲江さんのDNA鑑定して、確かにつながっていると分かったあの物質です。それを言わないのが不思議。


40代で膝を骨折して、その同じ場所が痛いです。

その時はギブスをして、手術なしで2か月くらいで普通に歩けるようになったので、今回も元に戻るのはそのくらいかかるでしょうか。

本日、午後から区役所で期日前投票。当日の小学校は、車を停めるのが難しいので今日にした。投票証明書貰う。どこかで割引になればいいけれど。

ここでようやく本日のタイトルに戻って。

ようこそ

足元

夫実家の山から採って来た。ヤブコウジ。こう見えて木らしい。モチノキ科?

姑様が亡くなったので、今は法的には相続人三人の共有状態。

夫に来るのかなあ。山は管理が大変。

ましてや息子の代になると。。。。

ナツハゼ。

甘酸っぱい実を今日は摘んで食べました。

とても楽しかった観察会グループのことを思い出す木。


したいことはいっぱいあるけど、しばらくはなるだけ安静に。左膝を曲げない。

それで段ボールで簡単なギプスを自作しました。ちょっと楽かな。やれやれ。

歩けなくなると手術対応だそうですが、様子見とのこと。我慢できなくなる前に早めに受診するべきでしたね。少し良くなっては山へ行ったり、街へ行ったりしていました。

自分の年、忘れていた。

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乱れ織り、やっと終わる

2021-10-27 | 機織り

やれやれ。

初めは40センチ幅の平織り、たまに違った織り方入れて、自分で勝手に乱れ織と命名。8月末に終わる予定だった。

8月半ば、機拵え終えてさあスタートと言う日に孫娘が来て「織らせろ」の無理難題。

それならばと、真ん中取って30㎝くらい一日で織って切り、残りはそのまますればいいと簡単に考えてたけれどそうはならず、結局、機拵えは二回分することになった。

その間に姑様を見送り、一つ歳をとり、四十九日も終えて、膝がどんどん痛くなり、今は薬で抑えているのですが、やっと本日、完成の運びとなりました。グダグダ。

茶色のはこの枯葉。観葉植物の名前は知らず。30年くらい我が家にある。

花も咲かず、枯れもせず、そう大きくもならず、いつまであることやら。

織ったもの各種。

通し方は4321の繰り返し。

平織りメインで、綾織り各種に簡単なオーバーショット、1234で踏んだのは米粒みたいな細かな柄になって面白かった。

糸は綿に麻、綿のスラブ糸など。麻とスラブは少ししかないので時々入れる。


余りにも長く持っていて、飽きてしまった。

友達がまた展示会してと言ってくれるけれど、それは嬉しいけど、言うは5秒、織るは今回は足掛け3か月。

しかし、何もしないと黄金の70代、無駄に過ごしてしまいそうで。

次はまた違うもの織りたいですね。すぐ出来るのがいい。

そして秋は草木が枯れる前に色をためて、草木染のシーズンだそうで、身近なもので布や糸も染めてみたいものです。と、自分を追い込む。

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せっかくの好天なのに・・・

2021-10-26 | 日記

引き続き膝痛し。

何をするのも三倍の時間がかかる。

買い物は昨日、クリニックから帰って自転車で近所のスーパーへ行き、一気買いしたのでしばらく持ちそう。

白菜丸ごとが147円。膝痛くて重いものが持てなくても147円を買う私。

小分けにして干し、少しずつ使う。

掃除も、ものすごく時間がかかる。

チェストの敷物を秋色に。

昨年織ったキャンバス織り。まだ縁の始末していない。

左足が曲げられないので、二階への上がり降りが一苦労。

本日は三日ぶりくらいに上がって写経の道具を持って降りた。

午後から写経の会へ。先月も膝が痛くて休んだんだった。

きょうはそうも言っておれず、頑張って参加。阿弥陀経、二回通り書いたので次からは清書の用紙に書く予定。


帰宅してテレビつけたら、どの局も結婚会見を特集していた。

未だに反対の人もいるようですが、何はともあれよかったと、私は思いました。いろいろ大変だったことでしょう。そう思うとほだされてちょっと涙が出た。

今回のことで思ったのは、誰かが火をつけた無責任な言説に、報道の素人が枝葉を付け、ネットで広げていくと、誰にも制御できなくなる。その怖さでした。

過去にはそれで命を絶った人さえいるのに、面白半分に話を楽しむ。言った人は名前も出さず、結果に何の責任も取らない。誰もが手軽に世間に向けて発信できるテクノロジーの発達が、決して人を賢くはしないばかりか、それまで抑えていた負の感情の蓋を外してしまったように思う。

それで一人の人間の人生が狂うこともある。私自身への自戒の意味も込めて、何かを言う時には本当に気を付けないといけないなあと思いました。

 


で、思うことは、つくづく、この国は空気が支配する国だなあと。

誰が言っているか、突き詰めて探し出そうとしても実態にはたどり着けない。

何となく胡散臭い。その線で行こうとと決めると、その雰囲気を作り出すために、わざとそれに見合う写真ばかり、それも盗み撮りしたのを晒す。肖像権も何もあったものでもありません。

親子しておかしいとか、全然知らない人相手に、どうして否定的な感情が持てるのか不思議でたまりません。それも空気でしょう。売り上げを伸ばしたいマスコミと、面白半分に話に加わるネット民が作り出した空気。

今回のいきさつを見ると、天皇制という大昔からある制度も、その空気に逆らうことはできなかったということでしょうか。しかしそれに流されることなく、結婚にこぎつけたことに今の時代の諸相が集約されているように思います。


相手の男の方、どこのどなたかは存じませんが、まず話し合いの代理人に、マスコミの人ではなくて、弁護士を立ててはいかがでしょうか。なぜそうなったかは知りませんが、守秘義務のないマスコミ人、あとで交渉のいきさつなど公表したりしないのでしょうか。

直接会いたいとのことですが、会ってどうしたいのか、真意がわからないだけに怖い。が、私の解釈です。

相手、マスコミが付いているんです。会えます?これからも何書かれるか分からない。

私信のメールを公表するのもルール違反。たぶんマスコミの人にうまく誘導されたのでしょう。普通はこんなことしたら解決からは遠ざかるばかり。それを日本全国で娯楽として消費する。私も消費した口かもしれませんが。


今回のことでは、人間の負の感情のエネルギーを見てしまった後味の悪さと、ネット社会の怖さ強く感じました。

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もはや晩秋の気配

2021-10-25 | 日記

クサギ 近所で2020年11月。


朝から曇り空で肌寒い。

最近、こんな広告が気になる。

家にある薬をあれこれ呑んでましたが、お稽古事でもなんでも自腹を切らないと身に着かない。そこら辺にある薬を呑んだり、呑まなかったりでは、いつまでたってもよくならない。

自分の財布を開けて出してもらった薬なら、この私も真面目に服用する予感。


で思い切って本日受診。近くへは行かない。遠くへ。でも身元がばれた。あわわ。

レントゲンでは異常なし。念のためにMRIも。

MRIって医療機器としては高いんですよね。以前は数千万円?で、県病院にすらなかったけど、今はだいぶ安くなったらしく普通の開業医でも持つところも。

MRIは二回目。目をつぶってうつらうつらしながら、遠い昔のことをあれこれ思い出していると終わった。

次回は二週間後。それまでは対処療法。

原因はやはり加齢ですか?

そうですね。とのこと。_| ̄|○

帰宅後はなるだけ安静にしていたらだいぶ良くなった。やれやれ。


本日の小ネタ。

掃除用のワイパーに不織布のマスクをかぶせる。使ったものでOK。

 

スイスイと拭きます。ゴミがよく取れます。

汚れたら捨てます。

流し台もピカピカに。

汚れたら捨てます。

こちらは衛生面で問題ある?

外ではしないのでお見逃しを。


昨日の友達から電話があり。

昨日は、高校時代のあれこれ話したら、その続きが聞きたいのか、また近々うちへ来てという流れに。

いやあ、自分では面白おかしく脚色はしてないつもりだけど、共学校の多士済々の人たちのエピソード、女子校の人には珍しいのかな。

人生はこの先無限に続くように錯覚していましたね。その貴重な人生、むざむざと浪費してしまったのではないかと思うことも。

大した不幸に合わずに来たことを、まず喜ばないといけないけれど。

ああ、それにつけても膝の痛さよ。一つ痛いところがあるので、私、謙虚な人間になったでしょうと夫に確認。

夫、全然。いつもと変わらんですと。いえいえ、少なくとも膝の痛い人の気持ちが少しはわかるようになったと思う。

掃除、片付けが不十分だった実母、板買った(何という変換)だろうなとやっとわかった。

 

 

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コロナ明け女子会第二弾

2021-10-24 | 日記

本日午後、我が家に四人で集まり、昼食。

その後お茶会に移り、夕方まで。

話題は介護、相続、認知症、家族問題など多岐にわたり、夕方解散。

皆さん私より年上。しかし10年くらいの年齢幅はため口。

解散後、テーブルの上を写す。

コロナがこのまま収まってくれれば言うことないけど、引き続き用心して暮らしましょう。

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果物を描く

2021-10-23 | 水彩画

21日木曜日は久しぶりの水彩教室でした。

こちらもフルメンバーは久しぶり、私の運転で先生のお宅まで。

楽しく話して、コーヒーいただいて夕方解散。

休みの間さぼっていたので下手。写真もイマイチ。

来月からまた頑張ります。

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ああ、膝が痛い

2021-10-23 | #やれやれ

先月の7日か14日、底の薄い靴で歩いて、それ以来膝が痛い。

なかなか治らない。

それで秋晴れの本日は、家にいて整理片づけいろいろ。

スカーフ洗う。

左2本は模紗織り、自分で織った。

右は15年前に、伊勢のおかげ横丁の帯締め屋で購入。組み紐の技法で作るマフラー。

いずれも洗剤で洗ってすっきりした。

スカーフぞろぞろ。

カルダンの正方形のスカーフは、勤め始めた年の年末ボーナスで、買った。

給料が2万円ちょっとのころに3千円消費税なし。いかにも高い。

翌年の結婚式の前日買ったスカーフとつないで、海外旅行でよく使った。

山小屋泊まりの北アルプスの登山にも。でも、ヨーロッパも山もこれからは行かない予感。

でも首に巻いてみたら、しっかりした生地でおさまりがいい。かさばらないし。

これからたまには使いましょう。

最近使ったの以外は捨てるつもりで洗濯ネットに入れ、・・・結局しまう場所を変えただけ。

芸州皿屋敷。

本日追加。15年くらい前、転写紙(シール)を貼り、周りに絵の具で木や草を描き足し、窯で焼く。今年初めまで延々19年近く習っていた。


骨折したのかなあ・・・と夫に訴える。全然覚えがないけれど。

痛いのは18年前、息子の自転車に乗って足がつかずに転倒、膝蓋骨を骨折した場所。

先月の高知旅行で難儀して、だいぶ治ったので駅裏の二葉山へ行ってぶり返し、今週は毎日くらい出かけていたので、また悪くなった。

しばらくは遠くへの外出は見合わせましょう。

やれやれ、加齢のスピード、かくのごとく疾く。


最近、コメント規約に同意するチェックが必要になった?

前にはなかった気もするけど。ネットの書き込みは慎重にしたいものです。

暇な人が遊びでするのではなくて、時間あるなしに関係なく、依存症だそうで。

せっかくのツール、人を不幸にしてはいけませんね。言われる方はもちろん、書く方もそう幸せではないと思う。そこで自己表現せずにもっと楽しいことを見つけましょう。

明日は友達が遊びに来る。長話の予定。

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家を継ぐ・・・友達の場合

2021-10-22 | 断想

今年も柿の季節。3年前、描く。


彼女とは一年間、とても仲良しだった。同じクラスで出席番号も近く、家もまあまあ近く、一年生の時は同じサークルだった。

学校ではいつも一緒、放課後も勉強する名目で教室に残っておしゃべり、下校も途中まで一緒、たまにはうどん屋へ寄ったり、ソフトクリーム食べたり、県庁のピロティや屋上の喫茶室で長話したり。

何を話していたかって。

他愛ないことです。女の子、男の子、若い先生のうわさ話、それから中学時代のこと、お互いの家族のこと。よくもあんなに話ができていたと、呆れるばかり。

違っていたのは彼女はすらりと背が高くて辺りを払う美人、私はすらりと背が高くなくて容姿は並み、何で仲良くなったかと言うと、彼女は新しいクラスで友達作り損ねて、フリーだった私に声かけてくれたとのこと。

私は昔も今も一人でも平気なので、そういう発想がなかったけど、確かにクラスに一人は親しい人がいた方が何かと便利。そして結局は楽しい。楽しい一年間だった。


私の通った高校は一学年千人近いマンモス校。第一次ベビーブーム世代。旧制女学校時代からの三階の校舎の上に継ぎ足して急遽四階建てに。高い建物のない時代、その四階の教室から北を見ると、海と本土と行き来する船がたくさん見えていた。

美人の常として、周りに男の子がわらわらと寄ってくる。中にはスペック高い子も。修学旅行ではいっぱい写真撮ってもらった。友達が目当てだけど、私も写り込んでいるという。。。あの時の男の子たち、どうもすみませんでした。

Q君は、最初は彼女の男友達の一人だったかな。いつの間にか私とも話をするようになり、学年の後半では結構気が合ってよく話をした。その頃の彼女はステディな彼氏がいて、一緒によく下校していたから、今思えば私と下校していたのは前半だったかもしれない。

高校生のデート、ささやかなものです。一緒に帰るのがせいぜい。私も雨の日は電車で通学していたので、バス通学のQ君とバス停まで歩いて帰ったこともあるけど、うーーーむ、詳細は失念。

それより、教室で、自分が書いたエッセィなど見せてもらった。小説も、短編だけど書いていたらしい。そんな話をしているととても大人になった気がした。


楽しい時期は長くは続かない。最終学年では進路別にクラス分けがあり、彼女は家業を継ぐ立場だったのでお父さんから県外の進学はまかりならん、婿を取って家を継ぐべしと言明されていて、就職クラスに。

Q君は理系に、数学、物理との相性が極めて悪い私は文系に。最後のころはQ君に数学をたまに教えてもらった。とても頭のいい人だった。何でもスッキリとわかるらしいのがうらやましかった。

友達はとても進学したそうだった。県内の短大でもいいから行きたいと、クラス分けが決まった後で変更したいと先生に言いに行ったけれど、結局は就職クラスになった。

私はQ君とたまに手紙をやり取りしたり、校内で会うとちょっと話したりという緩やかな関係。同級生の中には二人で相談して、東京なら東京、京都なら京都と同じ場所へ進学する人もいたけれど、私はそこまでの仲ではなく、いろいろな事情で今の地に。Q君は東京のさる大学に現役合格して、進学後も、帰省の時は会ったりする関係が続いていた。

地元銀行に就職した友達に、Q君と付き合っていると話のついでに軽い気持ちで言ったら、その後、その友達から会わないかと誘われたとQ君の話。

私はああそう、という感じ。その頃は、進学した私と地元にいる友達、次第に話が合わなくなっていた。Q君は一度会ったと後で話してくれた。やはりああそう、という感じ。


私は高をくくっていた。流れが逆に向くことはないというのが一つ、それと彼女の立場。婿を取って、その人に自分の姓を名乗ってもらって、家業を継いでもらう。初めは親の見習い。相手への要求がめちゃくちゃ高い。

私は男の兄弟がいるし、先祖から受け継いだのは広い農地だけ、親はその頃会社勤めもしていたけれど、大変に身軽。どこへでも嫁に行ける。

若いのでそこまで意識していたわけではないけれど、Q君は友達の相手としては不適格だったのでしよう。結局彼は大手企業の偉い人になって定年まで勤めあげ(これはまた聞きとネット検索)、都会の人になっているらしい。きっと元気で生きているはず。


最近、皇族の結婚から始まって、庶民でも家を継ぐってどういうことかなと考える機会が多くなった。友達は、高校の時から男友達からの手紙は父親が開封して中身を読み、娘が恋愛していないか監視していた。と聞かされた。

それは家業を続けるために。娘の人生よりは続いてきた家が大切。そう考えるお父さんだった。どう考えても人権侵害。でもそういうことがまかり通る時代でもあった。

結局、彼女は勤め先で条件に合う人に出会い、早々と結婚し、子供に恵まれ、仕事も広げ、ご両親も見送って・・・と言う顛末を前の同窓会で再会して聞かされた。

仲良くしてもらって有難うと私はお礼を言ったけれど、次に少人数で会うからと誘った時には彼女はとうとう来なかった。彼女なりに何か鬱屈するものがあったのかもしれない。

きょう電車に乗ってぼんやりそのことを思い出すうち、もし立場が逆だったらどうしたかなあとふと思った。

私が好きな人をあきらめて、家を継いでくれる人と一緒になり、友達が自由に生きているのを見る立場なら。

Q君を呼び出して会った彼女。大学の話を聞かされたと後で私に話してくれた。ありがとう。でも彼女の立場でそれ以上の仲には進めなかったのでしょう。彼女には親も家業も大切と言う長女の責任感があり、誰とでも付き合ってその人と結婚して地元を離れるというわけにはいかなかったのでしょう。

辛かっただろうなと、50年も経ってやっとそのことに気が付く私。若い時はそのことに気が付かず、休みに帰って会っても大学の話を無邪気にして、相手がどう思うかにまで気が回らなかった。ごめんなさい。

それでも付き合ってくれていた彼女の気持ちを思って、ちょっと泣けてきた。最近涙腺が緩んでばかり。


男も女も家を継ぐというのは辛い。分けても辛いのは、女ばかりの長女の場合。私たちが若いころはまだ姓を変えて養子に来てもらうという感覚。

家を継ぐという感覚がなくなった今は、男も女も生きやすくはなったと思う。それは社会の大半の人が勤め人になったことと対をなしているのかな。

名字を継いで親を見送って墓を守って。それがもはや形骸化した「家」の最後の機能。それもまたやがて解体していくのかもしれない。社会の変化に合わせて。

社会の流れに逆らえる人は稀。流れの中でいかに自分らしく生きるか、それがまあ順当かと思われます。結局は個人の幸せではないでしょうか。幸せになるために人は生まれ、幸せになるために泣いたり笑ったりしながら生きていくのではないでしようか。

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皇室関係、もひとつリンク

2021-10-21 | 断想

落ち葉いろいろ。二年前に描く。


「なぜそこまで怒り続けるのか」"眞子さま結婚肯定派"の私がネットに抱いた深い失望 最後まで溝が埋まらない本当の理由 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

皇室が好きか嫌いかどちらでもないか、これは個人の感覚の問題。

しかし私の周りの好きだと表明する人は、考えが古く、物事を杓子定規に考える人が多いように思います。

また日本の近現代史にもほとんど無知、分かりやすい、テレビや週刊誌の見出しなどの言説になびく傾向があるように思います。

上のリンクの中で、結局は自分のアイデンティティを「皇族」という遠い他人に預けられるかどうかの違いとありました。

はたと膝を打つ。全くその通り。好きな人はその価値にあやかりたいと思っているのでしょう。

私ですか?

制度の中の人たちには、好き嫌いの感情は持っていません。だって、直接知らない人だもの。好き嫌いの感情の持ちようがありません。

中の人、特に女性が批判されるのは昔からよくないと思っていました。批判はすべて男性目線。昭和天皇の植えた木を切らせたと言われた人、男の子を産めと追い詰められた人、「いかがわしい人との」結婚に口出しされ批判された人。

この国の人権意識がこの程度かととても残念に思って来ました。

私の嫌いなのは制度を持ち上げて、自分は偉いと錯覚して、敬わない人間を責める人。敬う心を利用して、自分の考えを押し付けたり、商売に利用する人。

私の祖母は息子が戦死したので、「産めよ増やせよ、みんな天皇陛下の子や言うてもオシメの一枚もくれずに、大きくなったら戦争にとって殺した」と心底恨んでいました。

軍部に利用されただけ・・・戦後ずっとその説がまかり通ってきました。これはまた話が広がってしまうけれど、昭和40年代終わり、アメリカ訪問前の記者会見のことを私はよく覚えています。

中国新聞の記者の、(原爆被害者をどう思うかという趣旨の質問だったと思うのですがの)問いに、気の毒だったけれど戦争中のことで仕方なかった。私はそういう方面は研究していないのでわかりませんという答えだったと思います。

政治的発言を避ける、戦争責任に言及しないための慎重な言い回しだったと思いますが、戦後の天皇制の断面が見えた一瞬でした。

制度は形を変えて生き残る。しかし、軍国主義教育で大きくなり、建物疎開中に死んだ10代の子供たちはあの時、もう一度死んだと思いました。もう少し言い方変えると慰められた人もいたでしょうが、あれでは全然救いようがない。

私が感じたのは深い空しさでした。何かを信じ、それに入れ上げるのはやめよう。その思いを深くしました。

あなたが好きなのは止めません。しかし、好意は一方的。制度が残って行くためなら、それに応えてもらえないばかりか初めから無視されることもあります。そのことに早く気が付いてください。一庶民なんて、それだけの存在です。


無条件降伏を内容としたポツダム宣言の受諾がなぜ遅れたか。

それは国体の護持にこだわったからではないですか。天皇制がなくなる・・・それは当時の為政者にとって思っても見ない状況だったのでしょう。

もたもたするうちにヒロシマ、ソ連の参戦、ナガサキがあり、死ななくてもいい人がたくさん死にました。

ポツダム宣言の国体条項の英文をどう解釈するか、外務省と軍部でのやり取り・・・なんかの本で読んだ気もするけど、ばあちゃんの記憶は茫々と。何の本だったかなあ・・・

今朝は、祖母の嘆きの声を思い出して、また涙が出た。男の子三人を産んで育てた私は若い男の子が死ぬ話が本当に嫌い。それが私の天皇制の原体験です。

 

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リンク付けときます

2021-10-21 | 日記

昨年10月に泊った山の宿 阿讃琴南。今年もそろそろ紅葉?


今さらですが。

「眞子さまは海外脱出を選ぶしかなかった」皇室批判を繰り返す人たちが誤解していること 反論できない相手への誹謗中傷合戦 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

しみじみと胸が痛い。なんでこんなことになってしまったのか。

日本は先進国の中では給料が上がらず、ついに一部の人が見下す韓国にも抜かれてしまった。非正規雇用も増えて、社会に広く蔓延する閉塞感がゆがんだ形で出たのでしょうか。

誰かを非難せずにはおれない、それで憂さ晴らしをしたい歪んだ感情。

今は、子供の結婚でも、よほどのことがな限り反対しない時代。

反対してその後結婚しなかったら、一生子供からは恨まれるはず。自分が死んだ後も子供の人生は続く。死後のことにまで誰も責任取れない。

ましてや人さまの結婚に於いておや。

家柄がいいから尊敬するのは、家柄で人を判断することになりませんか。家柄のつり合う人と結婚しないと尊敬の念が薄れる・・・その感覚が私には全く分かりません。

家柄とは何?自分が努力して手に入れたものの方が価値があるのでは?

社会のためになる立派なことをする人、いえいえ、自分の持ち場で毎日の仕事や家事子育てを頑張る有名、無名の人達。そういう人が社会を支えていると私は思います。

今回のことでは、この国の人権意識がまだまだ未熟だと思い知らされました。憲法の人権条項、久しぶりに読んでみましょうか。この国の進むべき道、個人の生き方など、読み取れるものは多いはず。

おやおや、ばあちゃんがまたまた語ってしまいました。昨日は宵の口に寝てしまい、まだ起きています。明日は車運転して出かけるところがあるので、もう寝ることにしましょう。

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夫に伝えたいけど黙っていること

2021-10-20 | 日記

もうすぐハロウィーン、数年前、孫に貰った。

姑様が染色したとても素敵なテーブルクロスは、夫がゴミに出してしまった・・・・


相手の言い分を最後までしっかり聞く。

気に入らないこと言われても、大きい声で威嚇しない。特に女性に。

長男が家を継ぐ、だからたくさん貰うと言わない。

諸法に照らし合わせ、日本国憲法の平等の精神に基づいて考えてほしい。

損をして得を取れと言います。損得も振り返ればわずかの差。勝ったつもりでも失うもの多し。

100%は言うまでもなく、60%でも勝ちすぎ。半分で上出来。全員の納得が何よりも大切。

話し合いはじっくりと。手続きは迅速に。10か月はあっという間。

行き来ができなくなるのと、自然に行き来しなくなるのは大違い。いつでも連絡取れる仲をキープ。

と、まあそんなことでしょうか。

亡くなった姑様も諍いは望んでない筈。

一度、夫が遺言書書いてほしいと頼んだら、とても嫌そうな顔をして黙っていたとか。

それでよかったと思います。素人が書いたものは法律の要件を満たしていないこともしばしばで、話が複雑になりがち。

何もない方が、白紙の状態で話をスタートできるので。


今年の春、姑様が脳出血を起こして入院中、姑様の弟(夫の叔父)がきて面会、九州の姑様の家を買い取る話になっていました。

その家は、もう一人の叔父の娘婿が商売に失敗して家を手放した時に、姑実家の更地に姑様が自分のお金で新しく家を建て、叔父夫婦を住まわせていたそうです。

夫も詳しくは知らなかった模様。いつ頃建てたのかなあ。舅様が亡くなった後と思うけれど、家一軒の提供、なかなかできることではありません。優しい人だなあと改めて思いました。

しかし、本人が意思表示できないなら売買は出来ないと言われ、そのままになっています。

それは叔父が買うらしく、こちらへは来ないようです。やれやれ、九州の遠隔地の不動産、管理できないのでその話にやや安心。

墓地と隣の山は、舅様が大姑の死後受け継いだのですが、今度は夫が受け継ぐのでしょうか。管理が大変です。

しかしまあ、我が実家に比べたら簡単に済みそうです。

私の実家は・・・市街化調整区域で農地たくさん、聞いたこともない額の相続税・・・人間関係もズタズタ・・・以下略。

今思い出しても胸がバクバク。複雑性PTSDだあ~。

で、私はいまだに金銭トラブル抱えています。もう一度やり直しする。やりすぎたもの返せって。

金銭トラブルは、専門家に頼んで筋を通して秘密裏に解決する。それが鉄則です。

あちらから言ってくるのを待つうちに、もうずいぶんの時間が経ちました。

今回の皇室関係の騒ぎでもわかるように、争いごとは、関係ない人に言いふらしても娯楽として消費されるだけ、解決からは遠ざかるばかり。

関係ない人間は面白おかしく話を大きくして、自分の考え方に正義があると思い込み、人を責める、噂をする、言いふらす。まあ私の場合は日本全国ではなく、親戚内に収まっていたのが幸いでした。

私は身内のことは、それより遠い人には言わない。面白がられるだけ。夫の親族の愚痴も、実家では一度も言わない。それが自分の体質だと気が付いた。


どんなことでも感情的になるのが一番よくない。人の言い分をしっかり聞いて、自分の言い分も落ち着いて話し、しっかり妥協して着地点を探る。

夫にはそうしてもらいたいと思っています。

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