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九州お買い得旅Ⅱ

2016-09-29 | 旅行

宿のロビー

さて、同行者は「イビキかくから」と気にして、手前の三畳の部屋で寝てくれました。私はありがたく十畳一人占めです。ごめんね、ありがとう~

朝は大広間で、折り畳み式の学校の机といすみたいなのを向い合せに並べて、そこでいただきます。

演芸などもするらしく、長崎の出島と南蛮船の豪華な緞帳。ナショナルカークーラー、昭和のいい時代の面影。

朝食もおいしいです。白いお椀は自家製豆腐。

左はフグ。


 

ロビー、廊下の書や色紙いろいろ。

徳富蘇峰は明治のジャーナリスト。蘆花の兄でしたか・・・

角川書店主催の講演旅行でもあったのでしょうか。何を話したのでしょうか?

昔は作家が時代のオピニオンリーダー、本もよく売れ、作家の社会的地位は今より高かったかも。

こちら女流。こちらも講演旅行でしょうか。

こちら団体で。最後余白が足りなくて二段重ねに書いている。

この他にも古伊万里などいろいろ展示。美空ひばりも泊まったそうです。各階の廊下にも展示はあるはずだけど、私が見たのは宿泊した3階だけ。残念。

ちなみに同行者はこういうものに一切興味がなく、私が写真撮っている間。ロビーでじっと待っててくれました。

宿はこちらです。http://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/28126/28126.html

至れり尽くせりのお宿。帰りに、若女将さんと少し話しました。きりりと泥大島着て、さすがの老舗旅館でした。

皆様もよかったらどうぞ。今は復興割引で1万円引きで泊まれます。


 

続いて一軒目の立ち寄り先。

外でタバコ吸う男性たち。

ツアーバス。総勢42人、ぎっしりです。

海辺です。向こうは長崎でしょうか。


10時半頃、長崎到着。

大浦天主堂はパスしてグラバー庭園に向かいます。以前はなかったエスカレーターで、楽に上に上がれます。

旧三菱第二ドックハウス。園内で一番高いところにある。港が一望のもと。

降りて、次へ行きます。

旧リンガー住宅

テラスが開放的。旧リンガー住宅。

旧オルト住宅。石造りの洋風建築。日本人が建築。

旧オルト邸。遠景。

旧グラバー邸。世界遺産。国指定重要文化財。

遠景。

美しいベランダ廻り。確か、コロニアル様式とか言うはず。暑い植民地に適した、庇が深くて風のよく通る開放的な建て方。

天井格子

晩餐が再現されていました。貿易商だったグラバーは日本人と結婚し、子孫は倉場と名乗って日本人としてと暮らしたそうです。

門の外の、元は何かの施設だった建物。売りに出ていました。


 

あまりに暑くて、三つほど建物見逃した。パンフレットしっかり見て要領よく回るべきでしたね。反省です。

入口へ戻ります。入園料は園内全部回って610円と良心的。

神戸の異人館は高いよねーーーと二人の意見が一致。こちらは公園も楽しめます。


 

続いて有田ポーセリンパークへ行きます。ここで自由に食事します。1600円のバイキングはパスして、和食処で、980円のシチリンライスをいただきます。

それはこちらです。見本ではお皿からあふれるくらいの野菜。でも出てきたのはこんな感じ。

ショボーーーーーン。

一見の客ばかりの観光地とはいえ、これはあんまりです。広島本通りのコーヒーにデザートまでついた、フレンチのランチを見らなってほしい。ブツブツ。

本来はマヨネーズが掛かっています。私はマヨネーズ苦手で断ったら、「マヨネーズないと食べにくいですよ」「いいです」と押し問答に。

出てきた料理は、マヨネーズがご飯にもたっぷりかかっていて、同行者は食べにくそうにしていました。

これから行かれる皆様、マヨネーズは少しにしてくださいとお願いした方がいいかもです。

あとはカレーとかうどんとか・・・しかし、バイキングもなあ・・・・山の中で他に店もないし。

ドイツ、ドレスデンのツヴィンガー宮殿を模した建物の中にはショップと有田焼、古伊万里などの展示があります。

最初に行ったのは25年くらい前の開業直後。宮殿はピカピカで、ショップも高級なのばかり。

二回目は2003年、夫と。コンクリートの建物はすすけてとてもみすぼらしく見えて、店もほとんどなくなっていたし、寂しいものがありました。

今回で3回目。色も安定したのか、そう古い感じはしませんでした。一度表面を洗ったのかもしれませんね。

こちら、ドレスデンのオリジナル。2012年11月、修復中でした。11月のドイツは日暮れも早く、写真はきれいではありません。ヨーロッパは春か夏に限りますね。

ドイツの建物はイタリアと違って砂岩が多く、中の成分が酸化するとかで、とても煤けるそうです。それで、今回はそう古く感じませんでした。よかった、よかった。

この時はスーパー探してお土産買ってたけど、ここへ入って陶磁器の一つでも見学すべきでしたね。またすぐ行こうと思いつつ、たぶんもう行くことはないだろうけど。

もう一度土産物屋に寄り、博多駅から新幹線で広島まで。同行者は四国へ帰りました。

あっという間の二日間、人任せの旅は気楽。お喋り三昧の楽しい旅でした。

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九州お買い得旅Ⅰ

2016-09-27 | 旅行

さて、同行者は我が家に前泊して、日曜朝、広島駅新幹線口集合です。

8:38のぞみ乗車。博多着9:41

さすが、のぞみ、速いです。九州も隣町感覚。

バスに乗り換えて九州道に乗り、柳川へ行きます。

御花について

鰻をいただきます。

場所は以前泊まった建物の二階。

以前の宿泊http://blog.goo.ne.jp/kawashima134/e/e5eb5985b30e8f9b09e398cc50d62560

広い宴会場にずらりと並んだテーブル。たくさんのツアーの人たちの昼食会場です。

食べたら今度は川下りです。今回はお花の周りを巡る30分コース。船で元に戻ります。

中国人のツアーとすれ違います。皆さん、ニコニコしています。ニーハオ!!

今度は一般道を通って熊本港まで行き、有明海を縦断してフェリーで島原港へ向かいます。

16時ころ、雲仙温泉の宿着。

窓から雲仙地獄が見えます。

ウェルカムドリンクです。労働集約的接客業の温泉宿、わけてもこの宿はスタッフがたくさんいました。

夕食まで、散策に行きます。

白い粘土のようなものの真ん中がぼこぼこと吹きだしています。

湯けむり。通るだけで暑く硫黄くさい。30年前の旅行では、息子が鼻をつまんで写真に写っています。

同じツアーの方が親切に写真撮ってくれました。

水色の登山シャツが私です。

続いて温泉街を歩きます。

旅行会社からもらった九州パスポート見せると、お菓子がもらえます。

それだけでは申し訳ないので、お煎餅をいただきます。

手焼きの温泉煎餅。

縁のおこげがおいしい。

続いてこちらへ行きます。

坂道を下りていくと地元の人の共同浴場。料金は200円だそうで。

水色のワンピースの女性90歳、毎日来るそうです。

「あんたたち、どこから来んさったと?」

「広島と四国です。長生きしてくださいね」と言って別れました。

地元の方と触れ合うと遠くへ来たことが実感できます。同行者は九州はほとんど来たことないそうで、喜んでいました。

宿へ戻ります。

ロビーの奥の図書コーナー。雑誌、絵本、単行本いろいろ。


 

温泉に入って、19時から食事です。ツアーには珍しいそうですが、お部屋でいただきます。

国内ツアー、あまり行かないけど、個人で行っても食事処の場合もあるので、ポイント高いかも。

氷入りの梅酒、前菜、お造りなど。

茶碗蒸しとか炊き合わせとか・・・

小なべのすき焼きとか・・・

梅肉のパイ包み焼きとか・・・

この辺りからお腹はいっぱいになるし、ビールの酔いは周るし・・・


 

どうもお昼の鰻のせいろ蒸し、完食したし、全体に食べ過ぎたようで、夫に電話して持参の薬を飲んでいいか聞きます。

「そんなに御馳走でたなら持って帰って」ですって。持って帰れるものなら持って帰りたいけど、とりあえずそれは無理です。

真夜中、あまりのお腹の痛さに目が覚め・・・・朝には治っていましたが。やれやれ、無理は禁物です。

旅行記はまだまだ続きます。

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暑い九州、旅行していました。

2016-09-26 | 旅行

阪急交通社の九州ツアー二日間に、親族の女性と旅行していました。

留守中、お二人の方からコメントいただいてました。ありがとうございます。明日以降、ゆっくりお返事させてください。

国の九州何とか助成金1万円を補助してもらい、博多往復は新幹線。ツアー料金は激安、42人の大所帯ながら変な人もほぼいなくていい旅行でした。

行ったところは柳川、雲仙、長崎、有田ポーセリンパークなどなどです。

宿は期待外れだと悲しいので期待してなかったけど、地獄がよく見える部屋。

地獄って本当の地獄ではなくて、温泉の沸いている場所です。湯けむりに硫黄の匂い、近くへ寄ると熱湯が地面からポコポコ沸いているというこの世でないような場所。

将棋の名人戦をするような老舗旅館で、宿泊した文豪の色紙なども多数展示、徳富蘇峰の揮毫した屏風など、お宝いっぱい。いゃあ、びっくりです。阪急さん、ありがとう~

私は国内の宿泊付きのツアーはほとんど行ったことなくて、何かと珍しかったんですが、結局は海外ツアーも同じ。パスポートが要らないだけ。楽でよかったです。特に人と行くのは二人の考えをすり合わせて旅程組むのも大変だし、費用は掛かるし。

雲仙、グラバー亭などは30年くらい前、息子三人を車に積んではるばる出かけましたが、やはり鉄壁の観光地。今は今で楽しめました。

旅の報告は追々することにして、きょうはとりあえず我が家でゆっくり寝ます。

どこがよかったかと言えば、やはり長崎でしょうか。前はお盆休みの熱い長崎でしたが、今日も30度以上と暑かったです。いったい、秋はいつ来るんでしょうか?

 

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「死に支度」 瀬戸内寂聴

2016-09-23 | 読書

ノカンゾウ・・・かな。昨年広島駅近くの広場で。

 


 

今月初め、本通りフタバ図書で中古本として108円で購入。

内容は嵯峨野の寂庵での毎日を、自分とお手伝いの若い女の子の対話と言う形で、読みやすかった。群像に連載していたらしい。

若いころからの人生のいろいろ、今の思いなどは他の本でも読んだことあるし、以前はテレビにも出てよく発言していたので既視感があるけれど、この本の中に、若き日の今堀誠二先生のことが生き生きと書かれていたので、それにまずびっくりした。

こちらの学校へ来て一年目、今掘先生の東洋史Ⅰを選択。教科書は大部な「毛沢東研究序説」。本は千円くらい。部屋代払って毎月二万円で生活していたので、これは高かった。

だいたい教科書って高いですよね。買うのはそれを選択した学生だけだし、翌年は学校近くの古本屋に出回るので、どういう仕組みか知らないけど、もしかしたら先生の持ち出しだったのかも。

20年くらい前、今掘先生の葬儀に寂聴氏がみえて、弔辞を呼んでいたのでどういうご縁かなあ、北京での知り合いかなと思っていたけれど、破婚のときに先生が出てきた家に行って、立会人を付けて寂聴氏の服を持ちだすあたりは、小説とは言え、ドキドキしながら読んだ。

先生は生涯独身。勉強に忙しくて結婚する暇がなかったそうです。東洋史専攻の友達が言っていた。

教科書は難解でほとんど理解できなかった。講義も内容はすっかり忘れた。時々、アジア情勢を憂うような発言をされていたのを憶えているだけ。

それと先生の服装。地味な服の多い他の先生方に比べて、グリーンのブレザーに明るいグレーのフラノのズボンという軽快な装い。声も高くてよくとおった。

美術部のY村さんと二人で、先生の服装を今堀ルックと命名。偉い先生なのに、私たち、友達みたいに話していました。こちらの能力の範囲でしか人を理解できない例ですね。それにその頃の先生、今の私よりずっと若かったはず。

改めて、ご冥福をお祈りします。

 

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「美の世界旅行」 岡本太郎

2016-09-18 | 読書

コルドバのメスキータ 2016年6月


岡本太郎という人は、私たちの世代だと、あの大阪万博の太陽の塔のデザインをした人として記憶されていると思う。

また晩年、「芸術は爆発だあ」というCMに見られた存在感、天衣無縫のもの言いなど、エネルギッシュな芸術家としての活動も印象に残っている。

この本はまだ海外旅行が大変だった1967年頃、インド、スペイン、メキシコ、韓国などを訪ね、民衆の生活の中に生き生きとした芸術を見つけ出す紀行文である。

親本は1972年、その本が今年夏、文庫本として再版された。その意味を考えてみるに、芸術にはその時々の流行があるけれど、この本の中には普遍的な何かがあるからだと思う。

いわゆる美術史に取り上げられる芸術ではないものに心を動かされる岡本太郎。その視点は独特で、しかし、とても文章力があって、エネルギッシュだけど、説得的なのは今回読んで初めて分かった。

岡本太郎が海外で何を見てどう感じたかがよく分かり、なかなか得難い読書体験でした。


昨夕から、夫体調不良。二階で寝ている。

私が下で動く音も気にするので、夫仕事場へ避難。おかげで本一冊、たちまち読了。

これからは何かするときは、空き部屋で集中するに限るようですね。

夕方には少し良くなったようです。やれやれでした。

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「信濃追分文学譜」 近藤富枝

2016-09-18 | 読書

追分の旧脇本陣、油屋。私が一人で泊まったのは10年前の10月。

今、宿は廃業。交流サロンとして利用。希望すれば、曜日を限って素泊まりで利用できるようです。


 

作者は1922年生まれ、初めNHKアナウンサー、のちに文壇史を書いて世に出たドキュメンタリー作家。

親本は1990年、中央公論社発行。こちらは95年の文庫本で解説を大河内昭爾氏がしている。それからでももう20年以上経つ。作家も解説者もまだご存命だろうか。

この本は著者が思いがけずに追分に別荘を持つことになり、夏、そこで滞在して、まだ同時存命だった、昭和10年代の追分の文学者の交流を知る人からも話を聞いてまとめた、追分の文学史という形になっている。

追分に住んでいたのは堀辰雄。面倒見のいい人で、後輩に雑誌社を紹介したり、夏に尋ねてくる年若い人の話を聞いたりして、夏の追分は文学サロンの様相だったたらしい。

戦後いち早く、小諸で編集された「高原」は第一号で福永武彦、中村真一郎、野村秀男などが作品を載せ、戦後の文学史に足跡を残したのも、こうした交流の成果であった。

それにしても結核である。将来のある若い人が次々となくなっている。日本国中でどれだけの損失だったことか。

迫りくる死と戦争の影におびえながら、追分の短い夏、文学者は生きている時間をいとおしむように水晶のようにきらきらと輝く作品を残した。

時代を超えて、それらの作品はこれからも読み継がれることだろう。

実は避暑に行く代わりにと、夏に読み始めた本。生来の怠け者、やっと九月も半ばで読了。

 

 

 

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「住まいと家族をめぐる物語」 西川祐子

2016-09-14 | 読書

昨日は絵付け教室でした。スペイン旅行の写真見て、白い村の道を描いてみました。


京都文教大学での講義録をもとに、学生とのフィードバックも織り交ぜて、近代以後の日本人の住まい、家族の変遷をコンパクトにまとめている。

扱うのは主に戦後で、復興期から高度経済成長期を経て、この本の書かれた今世紀初めまでをたどっている。

以前、この著者の「借家と持ち家の文学史」も面白く読んだけど、この中では当時の学生が、私たちの世代だと当然と思っていることに驚く様子も興味深かった。

家は家族の容れもので、人の暮らすところ。自分がどう暮らしたいか、家族でどう過ごしたいかが、私自身が想像していた以上に、はっきりとと映し出すものだとの認識を新たにした。

ここで取り上げるのは都市の家との、学生の指摘も面白かった。最後の方で北陸の大きな家の間取り図があり、一階は応接室に茶の間、続き間の座敷(これは仏事などに対応)、二階が家族の個室という家があり、その家のにぎやかな暮らしも想像した。

しかし、この家は女性が働かされる家でもある。親戚、地域の集まりでは男性が、取り仕切り、せきにんしゃとして振る舞う家でもある。そんな家に住みたいかと問われれば、今の私にはノーと答えるしかない。

ややこしい親族や地域社会から離れてなら昔の家も楽しいかも。主に都市部で、古民家に若い人が店を出したり、シェアハウスとして住むのはこの本の出た時点での新しい傾向で、それは今も続いていると思う。

いえいえ、えらそげに言いましたが、私には大家族を維持するだけの家事能力が決定的に欠落しています。

人は時代によって生かされ、時代の制約から逃れることも容易ではない、そんなことも考えました。

私の住んできた家を指折り数えたら、7軒目。若い頃は二年ごとくらいに引っ越ししていたけど、もう38年この家に住んでいます。途中で大規模な増改築や細かな手直ししながら、半日日が当たらないのは不満だけど、いつか日当たりのいい老人ホームへ行くまでは(出来たら行きたくないけれど)ここで住みます。

この本は先週、友人と会いに久しぶりに本通りに出かけ、フタバ図書で買ったもの。新本と古本の共存する珍しい本屋です。

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織り、継続中

2016-09-10 | 機織り

本日夕方、ここまで。柄の半分が約30分かかるので、一日二回織り機に座り、一柄ずつ。

集中しないとすぐ間違えるけど、今回は織り目が粗いので目数を数えるのが容易。解くのも早い。

柄はイマイチ切れがないけど、太い糸たくさん持ってるので、なくなるまでは頑張ろう。

昨日、グルグル・・・と言いながら絵を描いていた。

「おばあちゃんちで遊ぶのがなくなるよ」とお母さんに言われたけど、お姉ちゃんはリカちゃんセット、全部持って帰った。

昨夜は夫が外出していたので、お嫁ちゃんと女子トークで盛り上がる。片付けも手伝ってもらって、もう気が付いたら嫁姑の付き合いも七年が過ぎて、八年目。早いものです。


 

午後から、息子がテレビ一台借りに来た。なんでも今夜優勝が決まるかもしれないので、子供とチャンネル権争いたくないそうで。

やれやれ、早く二台目買いましょう。

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機織り、ボチボチと

2016-09-08 | 機織り

織り始めました。

手持ちの太めの糸なので、柄がはっきり出ません。残念!!

7月にできたのはこちら。糸が細くて柄がきれいです。残念!!

今のは310cmしか掛けてないし糸が太くて早く終わりそうなので、今月末をめどに頑張ります。

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2009・久住山・中岳

2016-09-04 | 山歩き

2009・久住山・中岳

久住山・中岳 
                  2009.8.23

 
いつか行こうと思いながら延び延びになっていた九重連山、高速も安くなったし、思い切って出かけました。
前日広島市内の自宅発13:20→廿日市IC14:00→大分道湯布院IC18:00→山並ハイウェイ牧ノ戸温泉着18;25
 



宿を出て、山並みハイウェイ、牧ノ戸登山口着、今から久住山へ登ります。まだ眠いです。 7:57

夏休みなので子供たちも元気に山頂を目指します。がんばれ。 8:03


少し登ると、西方に2007年に登った涌蓋山(わいたさん)の形のよい山容が見えてきます。左端は駐車場。8:17



 最初のピーク、沓掛山を過ぎました。梯子などがあり、登山気分を味わえます。 8:36


久住山の見えるところまで来ました。気持ちのよい道が続きます。9:34
 

火山なので花は少ないです。左イタドリ。平地のより色鮮やかです。右はイヨフウロ。
他に見たもの、イブキトラノオ、ワレモコウ、ノリウツギ、ツリガネニンジンなど



 いよいよ久住山が近づいてきました。少し下った久住分かれから左の稜線に取り付きます9:45


久住分れは天狗が城、中岳方面と久住山への分岐点。広場に有料トイレと避難小屋があります。9:55


久住山山頂1,786.8mに着きました。遠くに見える阿蘇山を釈迦の入滅の姿に見立て、「阿蘇の涅槃像」というそうです。10:24


北を見ると左、三俣山と右、天狗が城の間に遠く由布岳(2004年に登山)、鶴見岳(未踏)などが見えます。10:29


北西方向に「九重夢吊橋」が見えます。風に乗って硫黄の匂いが。。。10:29


久住別れへ戻る途中から向こうに見える中岳を目指します。途中に火口湖があります。栄養分が乏しいのか、生き物の姿はありません。11:18


中岳頂上(1791m)から、久住山、御池などを望む。11:43


 下山は14:00頃。前泊した温泉に立ち寄り、湯布院インターから高速に乗ります。関門海峡九州側「めかりPA」から見た日没。18:56

見ていただいてありがとうございました
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2009・四阿山・黒斑山・小諸宿・小田井宿

2016-09-04 | 山歩き

2009・四阿山・黒斑山・小諸宿・小田井宿

四阿山・黒斑山・小諸宿・小田井宿 その1 

                   旅行けば、信濃路はもう秋・・・
                      
                            2009.9.19~9.22

 

 
九月の四連休、長野県まで出かけました。好天に恵まれ、登山に蕎麦、温泉に宿場町、ローカル線などいろいろと楽しみました。     

 

19午後、広島発。 JR、しなの鉄道と乗り継いで午後七時過ぎ上田着。長旅でした。



上田駅前で長野県歌「信濃の国」を放映中。
信州の風物、偉人を織り込んだ格調高い歌で、画像も秀逸。
六文銭は真田氏の旗印。今、大ブームだそうです。

長野県歌 歌詞

YouTubeより
 

上田駅前の「そば処 よろづや」さんは明治29年創業。
馬刺し、馬肉の時雨煮などもついてます。蕎麦はさすがのお味。今夜は駅前のホテルに泊まります。




翌朝、レンタカーであずまや高原ホテルまで行き、こちらから登ります。
メインルートは菅平高原ですが、こちらが勾配がゆるく、人が少ないとのこと。
ここの標高は1,440m。2,332,9mの山頂まで三時間半の予定。



 登山届けをポストに入れていざ出発



麓は広い牧場で、その横を通らせてもらいます。牛がこちらを見ています。

 

しばらく行くと右手に浅間山が見えてきます。(左端の山)


 はじめ草原、次に笹原、この付近でようやく歩きやすくなりました。頂上まであと少し。



浅間山がよく見えます。噴煙を吐く山はとても立派に見えます。
明日は外輪山の黒斑山(中央やや左のピーク)へ登ります。




頂上付近が見えてきました。本当の頂上はあの先でまだ見えていません。



やっと着きました。



たくさんの人が雄大な景色に見とれています。女性、子供も多いです。


遠くに富士山も見えます。明日は車坂峠から黒斑山へ登る予定です。



根子岳の向こうに白馬岳、唐松岳、五竜岳などの後ろ立山連峰が見えます。



下るときには中央アルプスや御嶽山がよく見えます。足元は菅平の牧場です。



 二日目は小諸に泊まり、翌朝軽井沢寄りの平原下車。18号線沿いの日産レンタカー小諸店まで歩きます。
平原は車両を利用した無人駅です。





レタスの取入れをしています。向こうはしなの鉄道の線路



下仁田?ネギもあります。よく肥えた黒い土です。牛肉、糸ゴンニャクで甘辛く煮るとおいしいおかずになりそう~♪



 稲が黄色く色づいています。赤い車両が稲田によく映えます





 一つ丘を越えないとたどり着きません。遠いです。これもそれも高速が千円になったばっかりに・・・うしろすがたのしぐれてゆくか・・・




丘を下りるときょう登る山が見えます。左が黒斑山、右浅間山



チェリーパークラインで車坂峠まで。そこから登ります。
表コースは時間がかかりますがアップダウンの変化があって、時々見える遠くの山に励まされつつ登ります。
中コースは樹林帯の一本道、単調ですが早いです。中コースは下山ルートに。




 一時間半くらいで、外輪山の縁へ出ます。左上「トーミの頭」へ今から行きます。トーミは「遠見」でしょうか?



トーミの頭から頂上を目指します。あと一息が辛い。



黒斑山に着きました頂上手前に監視カメラがあります。


頂上から北方面。手前から、蛇骨岳、仙人岳、鋸岳。いずれも外輪山です。
外輪山は東側、軽井沢方向にはありません。
数万年前にできた黒斑山はその後水蒸気爆発で山頂部と東半分が吹っ飛び、
現在の浅間山は、東寄りの新しい噴火口からの噴火で成長したものです。




翌日、中軽井沢からバスで「鬼押し出し園」へ行きます。1783年(天明3)の噴火で流れ出た溶岩が固まったものです。
荒涼とした奇岩が続きます。岩の間から昨日登った黒斑山も見えます。

このあと歩いて浅間火山博物館まで。浅間山の成り立ちや動植物について展示しています。

続いて、信濃路の宿場町、北国街道小諸宿と中山道小田井宿をどうぞ
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2009・四阿山・黒斑山・小諸宿・小田井宿

2016-09-04 | 山歩き

2009・四阿山・黒斑山・小諸宿・小田井宿

四阿山・黒斑山・小諸宿・小田井宿 その2

                   旅行けば、信濃路はもう秋・・・
                      
                            2009.9.19~9.22

 

 
山歩きもいいけれど、街歩きも楽しい。同行人は所用で先に帰宅。私一人で今度は平地を巡ります。    

 

北国街道は小諸市内でほぼ90度に曲がっています。その角に道路原票が。ここが明治時代、町の中心だったのでしょうか。
写真はリュックと、今から家に送る登山靴その他。



反対側には光岳寺があります。惣門は小諸城の足柄門を移築



小諸といえば島崎藤村。小諸なる古城のほとり・・・で始まる「千曲川旅情の歌」の詩碑が小諸城址にあります。
こちらは藤村の旧居跡。小諸義塾で教える傍ら、ここで「千曲川のスケッチ」などを書きます。

・・・暮れ行けば浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛・・・
日々刻々表情を変える浅間山を、百年前の藤村も小諸の町から見上げていたことでしょう。




こちら藤村一家の使っていた共同井戸。地元の人が島崎藤村を誇りに思っていることがよく分かるたたずまい。



 本町通のギャラリーつたやは約百年前の旅館の建物。現在は骨董店が6つ入っています。中はレトロ感いっぱい。
向こうは素泊まりで連泊した宿。昔は街道に面した旅籠だったそうです。駅から歩いて七分くらい。



つたやの横へ周ると広くて立派な宿だった頃の面影が。






駅に近い本町は観光用に再開発された建物が多いです。こちらは何の店だったのでしょうか。立派な入り口です。現在は蕎麦屋



明治初期の旧小諸銀行の建物。こちらも骨董店


 

南北方向の荒町は大正~昭和初期、店の正面を洋風にするのがはやったそうです。
山崎長兵衛商店はセセッション(分離派)風の美しい外観です。隣の自宅?もとても素敵な洋館でした。
当時の文化の高さがしのばれます。



 こちら老舗の味噌製造会社。立派な看板は街道の遠くからもよく目立ったことでしょう。会社ウェブページ

小諸市内北国街道のうち、本町は観光地として、荒町は商店街として頑張っている印象でした。
私個人としては荒町筋が好みですが、個人の力で昔のたたずまいを残すのも大変なこと。今後のことが心配です。




午後は中山道小田井宿へ。観光客は殆どいません。
品川ナンバーのクラウンで来た老夫婦、タクシーで来た老夫婦のみ見かけました。
私は御代田駅から徒歩で。約20分かかります。

ちなみに上田、小諸、御代田、どの町も北に高く南に低くてかなりの勾配があります。浅間山の裾野になるのでしょうか。
御代田へ引き返す道は長いだらだら坂に息切れします。昔の旅人もさぞ大変だったことでしょう。




本陣を勤めていたお宅。和宮も江戸へ向かう途中、ここで昼ごはんを食べたそうです。
ここは隣の追分に比べて静かで、女性が安心して泊まれる宿場として人気があったそうです。



信濃路の秋 小田井宿



小田井宿は静かに普通の町並みへと還っていくようでした。
長生きして、その行く末を見届けるのも面白いかもしれませんね。



その1へ
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三次・名残の紅葉2009年

2016-09-04 | 旅行



急に思い立って三次へ行きました。
高速バスで行くのは初めて。80分とこんなに近いなんて。。。




三次は川の町。左の西城川と右の馬洗川が、この下流で江の川と合流して日本海へと。霧がよく出ることでも有名。巴橋から



巴橋手前に古い町並みが。向こう側の家に住んでみたい。着物着て旧家の奥さんやりたい。



巴橋渡ると昔の町並みが。「うだつ」のある家が続きます。電柱がないので見た目すっきり。道が広く感じます。観光客少な目。


旧三次銀行の建物で、辻村寿三郎氏の人形展開催中。この地で育ったそうです。どの人形もいい着物を着ています。生地を集めるのも大変だろうなあと。。。


こちら旧広島銀行の建物。現在は洋菓子店。広島で言うとアンデルセン本店というところ?


こちらJR三江線、尾関山駅。無人駅で、乗車券は近くの商店で買います。


尾関山公園は紅葉シーズンも終わり。みごとにだあれもいません。静かで快適。


公園展望台から南方向の眺め。江の川と三江線。線路左の空き地に駅が見えます。修理中の大屋根は常順寺本堂。



三次浅野家の菩提寺、鳳源寺の本堂。屋根に家紋があります。手前の枝垂桜は、大石内蔵助が赤穂へ輿入れする阿久利姫を迎えに来たとき植えたんだとか。


境内には四十七士の木造を納める「義士堂」があります。みんな若くして死んでいます。殿様が短気なばっかりに。。。


出雲大社はどっちだ?!




街角で。取り外した看板と使わないレジスター


街角で。民芸品の三次人形もお出迎え


旭堤(浅野堤)遺構 三つの川の合流する三次は昔から治水に苦心しました。(最近では1972年の大洪水など)これは江戸期の堤防あとです。現代の堤防はさらに高く、向こうは巴橋。




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下関市・長府2010年

2016-09-04 | 旅行

2010・城下町長府/港町下関

 城下町長府/港町下関  

 長府の裏山、四王司山へ登るつもりが街歩き。
 いつも通り過ぎるだけの下関は見所いっぱいの楽しい町でした

                       
                            2010/1/10   
 


下関からJR山陽本線で東へ四つ目、長府は毛利家の支藩のあった城下町。
観光案内所に車を止めて壇具川沿いに歩きます。カモも寒そう)))))


 鯉も寒いはずだけど、餌を求めて寄ってきます


 立派な塀が続きます。こちらのお宅は松も立派!!


塀にからみつく「イタビカズラ」。いまや土にしっかりと食い込み、木まで生えています。
イタビはイチヂクの別名。イチヂクの仲間らしいです。

山口県はイタビカズラを生け垣などにします。オオイタビが茂っているのを見たこともあります。

広島県ではまず見ませんが。



  西洋アンティークの店がよく似合う町並み。スージークーパーの器など、本格的な品揃えでした。(買わなかったけど)  


 下関といえばふぐ、ふぐといえば下関。下水の蓋にもふぐ見っけ~♪


毛利氏の菩提寺、功山寺。鎌倉時代の本堂は国宝です。(このお堂ではありません)
太鼓の音に人の声、何ごとかと近寄ってみると…



高杉晋作の奇兵隊を思わせるスタイルで、ガイドボランティアの方が、幕末の歴史を説明していました。
わかりやすい語り口、なによりも郷土に誇りを持てるのがうらやましい。境内には高杉晋作の銅像もあり。

 長府毛利屋敷。明治時代の建物です。柳川名物の「さげもん」をここで教えているらしく、生徒さんの作品が飾られています。

そぞろ歩き中に見つけた武家屋敷風の喫茶店です。


室内はビクトリア調。手作りパンとクッキーも販売しています。庭も広いです。
コーヒーは450円、クッキー一枚付き。
お腹がすいてきたので、車で下関まで移動。デオデオの駐車場に車を入れて「やぶれかぶれ」というふぐ料理の店へ行きます。
写真はふぐ鍋一人前。夫は名前を「行き倒れ」と言い間違え。が、しかし、食べ物屋にその名前はないんとちやう????



唐戸魚市場のあたりは再開発されたらしく、買物やレジャーが楽しめます。
大道芸を披露する人も。



 注連飾りツリー。ここにもかわいいふぐが。




赤間神宮は壇ノ浦の戦いで、海に沈んだい安徳天皇を祭っています。 
本殿の隣には耳なし芳一を祀る「芳一堂」が。1962年建立。像は山口出身の彫刻家の作。

陸地にありながら、海底を思わせる赤間神宮の門のすぐ先には海が。
細い海峡を挟んで向こうはもう九州です。
二位の尼が 「波の底にも都の候ぞ」と幼い天皇を抱き、入水したのはどのあたりでしょうか。
先月、京都の寂光院へ行ったばかり。母親に代わってお参りしたような不思議な縁を感じました。 



車で火の山展望台まで。昔はのろし台でもあったような名前。
旧軍の見張り小屋のようなものもあり。向こうは展望台。



夕方になりました。関門海峡大橋、右手の島の手前、長い小さな島が巌流島だそうで。
本州西端、端へくると人はどうも雌雄を決したくなるようですね。
今度はゆっくり長府だけを歩いてみたい・・・そう思いました。
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岩国城山2010年

2016-09-04 | 山歩き
 岩国  

 城山(じょうやま)へ登りました。いいお天気で、眺めよし。
 冬の陽だまり登山でした。
                       
                            2010/1/24   
 


車を停めて今から向こうの山へ登りますいい天気!




 骨董店の店先で




凍ってます




藩主吉川家では、正室も同じ大きさの墓石




 紅葉谷公園で。帽子が暖かそうかぶるとでかかった




ユースホステル横から車道を40分くらい。ロープウェーの頂上駅へ。体操するのは知らない方




城跡にはカゴノキ多し。モチノキ科。鼓の胴にもするそうで。




尾根伝いに30分ほどで、護館神という社へ。役行者を祀る洞穴。ちょいと不気味。




さらに西へ。展望台からは市街地がよく見えます




展望台から降りようとしたら通りかがつた人に「危ない」と言われるので、さらに尾根を西に。
清水谷へと降りる。こちらもとても急。やっと降りた下山口は住宅街の奥。標識なし。宇野千代生家の西方向





宇野千代生家で




 臥流橋から錦帯橋を見る


盆栽




タイル





元は風呂屋




元へ戻ってきました




よく歩きました。正面ロープウェイ駅。左のピークが頂上。そのまだ左から下山。
きょうの歩行は19,000歩あまり。私の場合、431キロカロリー消費です。


見ていただいてありがとうございました。管理人敬白

本日の反省:岩国は山口県、うっかり広島県の登山案内を持っていったのは大失策。
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