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「妻が椎茸だったころ」 中島京子

2018-07-21 | 読書

実家地方の盆灯篭。8月のお盆の三日間、お墓の前に細い竹で二本の支柱を立て、横に渡した竹に灯篭を吊るす。

中に蝋燭立てがあり、墓参の間だけともす。買って帰ると、先ずは家の仏様にお供えする。その時、火はともさない。

白い大きい灯篭は初盆の時だけ。普段はもっとカラフルで小さいのを買う。

広島地方の盆灯篭は支柱の上に蝋燭を立て、朝顔形の風除けで囲む。ところ変われば品変わる。


5つの話からなる短編集。軽く読めると侮ると、いえ、実際軽く読めるのですが、怪談めいた仕掛けもその奥にあり、なかなかに深いものばかりでした。

泉鏡花賞を受けたそうで、言われてみればどれも「高野聖」っぽいものを感じるのは私だけでしょうか。

主人公は旅をしたり、亡くなった人の家の整理に行ったり、変わった人に変わった頼まれごとをしたりして…そこに異界への入り口がぽっかりと口を開けていて。

なかでもぞくっとしたのは「ハクビシンを飼う」。ひとり者だった叔母には晩年一緒に暮らしていた人がいて、ハクビシンを飼っていたと、たまたま事情を知っていると言う青年に知らされる。意外に思う主人公。そして、不思議ないきさつで、叔母の古い家で一夜の情を交わす。

あとから振り返れば、その話全体が奇譚めいていて、本当にあったのかどうかもあやふやになってくる。この滲ませ方、淡々しいトーンがこの作者特有のもの。読むこちらの肌がちょっと鳥肌立つ。小説の醍醐味。

表題作「妻が椎茸だったころ」はシュールだけど、人は何かしら植物や動物に似たところがあると言う最後への持って行き方がうまいと思った。

「リズ・イエセンカの…」は落ちにちょっと無理があると思った。次々男を替えて、前の男が行方不明になって騒ぎにならないのが、いくらアメリカの田舎でも無理なんじゃなかろうかと、ちょっと白けた。

しかし、ちょっと偏屈なおばあさんがよく書けていた。

と言うことで、楽しく読めました。

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「日本軍兵士-アジア・太平洋戦争の現実」 吉田裕

2018-07-14 | 読書

夏空


アジア太平洋戦争に関する本は無数にあると思うけど、この本では兵士の現実に肉薄し、どのような軍隊生活だったかを具体的に明らかにする。その意図に貫かれている。

今までありそうでなかった本。鳥瞰的ではなく虫瞰的に描く。

先ずは兵士に虫歯が多かったことに触れている。類書にはない新鮮な視点、戦争体験のない若い学者の目の付け所に感心した。

戦争しているから何日も歯も磨かず顔も洗わない。虫歯になっても治療できない。虫歯などと言うなかれ、歯が悪いとしっかり食べられないし、しっかり食べられないと体力も落ちて戦うどころの話ではない。

一事が万事、資源に乏しく国力の劣る日本は不足する分を精神力でカバーすると言っても、先の見通しもなくやたら戦線を広げてそれを維持するだけの力もなく、つくづくと愚かで無謀な戦争をしたものだと思った。

そして最近、ゲーム感覚でミッドウェーで勝っていたらこうなったとか、ありもしない話がもてはやされる傾向に危惧を抱いたことが巻末には触れられている。

日本万歳、日本偉い、日本をけなすものは反日、というレッテルを貼ったりするけれど、私に言わすれば本当の愛国とはこの国に生きる一人一人の人間が大切にされる方法を考えることだと思う。

先の大戦もさっさとやめればよかったのです。投資の世界にも損切と言う言葉があるではありませんか。負けると分かったら、いかに損害少なくやめるか、それが外交力、政治力であります。

統帥権が独立するように制度設計した明治憲法は、時あたかも政党政治の台頭期、天皇の権力を侵害されないようにとの意図があったと言う。初めて知った。

最後の一年で戦死者は急増、つくづく早くやめればよかったですね。

この本の中では兵士の過酷な様子が、繰り返し語られ、胸が詰まる。車を持たない日本軍は兵士一人一人にいろいろなものを分担して運ばせる。何十キロという荷物を背負って行軍する兵士たち。

今の私の息子たちよりもまだ若い命の一つ一つが本当に可愛そうで、涙が出る。もっともっと、私たちは過去から学ばねばとつくづくと思った。

 

 

 

 


 

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「冠・婚・葬・祭」 中島京子

2018-07-08 | 読書

人生の節目、成人式、結婚式、葬式、お盆の行事を四つの短編としてまとめたもの。

どれも洒落ていて、深く、ほろりとさせられたけど、私の好きな順番は祭、婚、葬、冠の順番。

三年前に亡くなった母親が住んでいた田舎の家、いよいよ売れることになり、最後のお盆を姉妹三人ですることにした。

母親もそこに長く住んでいたのではなく、義兄夫婦が亡くなった後、自分も未亡人になって、最後の日々をそこで過ごしたのである。

次女皐月が一足先に行って家を掃除し、準備していると、街へ出て何年かぶりにたまたま帰って来た幼馴染が、灯りが付いていたからと尋ねてくる。

あとから来た夫に道を教えてくれたのは、叔父と昔、結婚話もあった人で、その叔父は昔ブラジルに行き、今は音信不通になっている。

母の義兄夫婦には子供がないと聞いていたが、小さいとき水死した女の子がいたことを。あまりに悲しい出来事だったので、誰もがそのことを封印していたのである。

三女香代の子供たちもやってきて、田舎のお盆の行事を夏休みの自由研究の題材にすると言う。近所の子供たちとも川遊びをしてすっかり田舎が気に入った勉は「来年も来る?」と聞く。

もう家がなくなるのでこれが最後と皐月が言うと、ヨウコちゃんと来年も会おうと約束したのだと言う。ヨウコちゃん?ヨウコちゃんって誰?そんな子いたかしら?でもそれ以上聞いては行けない気がしたまま、車で帰る香代一家を見送る・・・

末尾の解説には、昔から続くお盆の行事をしていると、亡くなった人と過ごしたその時々のお盆を思い出し、傍にいるような気になる。それがご先祖が帰ってくるという意味だとあり、なるほどと思った。

家族が一人減り、新しい家族が一人加わり、それでも連綿と続くお盆の行事。

子供の時、若いときはダサいなあと特に気にもしていなかったことが、この歳になると懐かしい。一緒にお盆を過ごした人はあらかた向こうへ行ったけど、またお盆には思い出してみよう。最近とみに老化激しく物忘れもひどいけど、いろいろな事を頑張って思い出してみよう。


土曜日、引き続き(勝手に)姑様の不用品置き場の整理。趣旨は今使えるものをよりだし、使えないものはゴミに出す準備。

天袋にぎっしり詰まった箱をいくつか開けてみる。タオル類各種、シーツ、タオルケット、毛布に電気毛布などなど、進物でしょうか。いつかは使おうと大切にしていたのでしょう。私が10年位前に母の日にプレゼントしたタオルセットも包装紙さえ開けずに仕舞っていた。シーツは何十年もすると、茶色のシミが出ている。

早く使うなり、人に上げるなりすればよかったのに、何という物持ちのよさ。昔の人はものを大切にするんだけど、大切の意味はため込まずに使うことではないかしら。

で、サーッカー地のような凝った織りのバスタオル二枚発見。水色と白で夏向き。持ち出して姑様の枕カバーにした。毛布カバーもさっそくかけた。

枕カバーはミシンを持ち出すまでもなく、現場で大体の寸法確かめて手縫い。ポリ混紡の枕カバー外して、さわやかな色と手触りの枕カバーに交換。開きは安全ピンでとめる。

姑様はもうものがほとんど言えないけど、泣きださんばかりに喜んで、何度も何度も私に手を合わす。私は人間、仏様ではないので、人に手を合わされて戸惑ったけど、ジーンとというかぐっと胸に迫るものがあった。

今の姑様は体も自由にならず、思うことも言えず、本当に寂しいのだと思った。この歳になってもまだ不出来な嫁が、テキトーにチクチク縫ったのでも感謝されるなんて、このくらいならお易い御用です。

この土、日は夫弟妹が来ることになっていたけど、大雨と土砂災害で交通がマヒ、来週以降になりそうです。

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