ブログ

 

「戦後史の正体」 孫崎 享

2015-02-25 | 読書

縮景園で。2013年2月。


2012年発行の本書は大変よく売れたらしい。最初の100ページが無料で読めます。

http://www.sogensha.co.jp/pdf/preview_sengoshi_ust.pdf

高校生にでもわかる戦後史の謳い文句通り、言葉は平易、説明も分かりやすい。この本が問うのは日本には日本独自の歴史と社会があり、価値観がある。対米従属だけでいいのか、ということに尽きると思う。

米国に楯突いたこの国の指導者はいずれも米国の力で失脚の憂き目にあってきたと一刀両断。なるほどそうかもしれない。がしかし、すべてそれで説明してしまうのはどうだろうかと一方では思う私もいる。

民主党政権ができたとき、アメリカ軍の削減とアジア重視の外交を鳩山首相が謳い、この私も期待したのだけど、本書ではそれもアメリカの陰謀で潰されたとのこと。それが本当なら、なんか落ち込んでしまった。

がしかしアメリカの方針も時代によって変わるし、必ずしも一枚岩でもない。無条件にアメリカに追随するよりは、日本の将来を見据えて本当に国益になる立ち位置を探ってもらいたいと思う。

アメリカの世界戦略も最近では国連憲章を無視し、経済的なことでも無理難題を日本に言ってくる。TPPや最近急に言い出した農協改革、日本の産業をずたずたにしてアメリカの利益に従属させる。それが本当なら本当にまずいと思う。

気骨ある政治家、賢い国民、それこそがいま最も必要だと思った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「手織りの実技工房」 吉田紘三

2015-02-18 | 読書

手織り本各種。右だけ自前。手織りの本はあまり売ってないし、あっても高いし、用具の名前もまちまち、本だけではなかなか身につきません。

実際にやってみて、疑問があるとき、行き詰まった時に本に戻って確かめてみる。が理想ですが、本来のいい加減な性格、なかなか上達いたしません。


真中の本は市の中央図書館から借りてきたもの。

著者は京都で着物地を手織りしているプロ中のプロ。でも初めに、織りたい気持ちさえあればどんなものでも織れると励ましてくれるので心強い。この本では織り地のデザインなどよりは、糸の必要量の見積もり方や、整経、綜絖通し、筬通しの合理的なやり方など、基礎的な部分の解説に多くを費やしている。

一番手前の綜絖の穴の少し下に横に蛸糸を貼り、そこへ引き出した糸を懸けておくとか、綜絖が右からなら、筬は左から入れると間違えないとか。間違えた時の対処の仕方もさすがと思わせる裏技がいろいろあり、大変参考になった。

さらには、織り間違えて解くのは大変、両端で緯糸を切り、真中を引いて抜いていく。なるほど。その糸は繋いでひげ紬として利用するとか、糸を愛し、糸を大切にする気持ちが読んでいてよく分かった。

著者のお母様も織りをなさっていたそうで、織り間違えても決して慌てず、淡々と修復していたとのこと。長くモノづくりにかかわってきた人だけの胆力とでも言うべきか。


 

私自身について、いつまでも今の状態が続くとは限らない。というか、必ずや老いに向かって加速度的に体力、気力がなくなって行く可能性の方が高い。

遊びはまあ、体力あれば何とかなりそう。しかし、新しいことはなかなか頭に入らないので、せめて70歳までには織りも一通り織れるように、陶磁器絵付けも少しは後に残るものを、水彩画は部屋に飾って恥ずかしくないものを描けるよう頑張りたい。

全て素人芸だけど、気持ちはそれでお金を頂くくらいの気持ちで精進しないと、その技術の入り口までもたどり着けないのではと、人生も先が見えるようになった今、つくづく思う。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「村上ラヂオ」 村上春樹 絵・大橋歩

2015-02-15 | 読書

15年くらい前、雑誌クロワッサンに連載していたのを一冊にまとめたもの。挿絵はイラストレーターの大橋歩。

お洒落提案系の雑誌のエッセィなので、軽く読めてちょっと考えさせられて、全体としてちょっとものの見方が深くなって心すっきりというのを読者は期待していると思う。

村上春樹氏はそういう書き方がとてもうまく、挿絵と相まって独特の村上ワードが出来上がっていると思う。

この時代にも深刻なことはいろいろあったはずだけど、あえてそれに触れないことで、今でも読むに堪える。不思議な感覚を味わった。ユニクロでは寂しすぎる。無印良品のようなニュートラルな世界。

ときどき、なるほどと思わされる指摘がある。たとえば16歳から21歳までにたくさんの恋愛をすると、みずみずしい原風景が心の中に残り、体内に暖炉を持っているようなもので、それからの人生を内側から温めてくれるという作家の指摘。

直接小説の材料にならないとしても、若い時の心の振幅が大きいほど、人生のいろんな場面で何とかやり過ごしていける耐性もつくのではと私は思う。

だからどうだっていうのか、と聞かれれば、ちょっとあれだけど。って、こんなはぐらかした言い方が、村上氏の真骨頂。おやおや、うつったのかな、やれやれとますます村上調。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「55歳からのハローライフ」 村上龍

2015-02-14 | 読書

NHKのドラマで昨年、一話だけ見た、その原作本。地方紙に連載した中編が五話、いずれも60歳前後に自分の人生と改めて向き合わなければならなくなった人の悩み、戸惑い、葛藤と再生へのかすかな希望の物語。読みごたえがあった。

あとがきで著者曰く

「定年後、老後に訪れる困難さは一様ではない。・・・・・(中略)・・・・それまでの人生で、誰と、どんな信頼関係を築いてきたかということだ」

それによって老後の幸福が左右されるということだと思う。お金はあるに越したことはないけれど、自分でcontrol出来ないほどの財産は必ずや不幸を引き起こす。それよりは信頼できる少しの人と心配ごとなく、ゆっくりと人生の下り坂を楽しめれば充分・・・ということに私は気が付いた。

そのためには人に親切に、身内の自慢話と受け取られることは控え、健康第一、いるだけで周りを楽しく明るい気持ちにできる人間を目指そう。なかなかそうはいきませんが。

自分の生き方を振り返り、これからの生き方の指針となる疑似体験ができる。そんな話。これぞ小説の王道。限りなく透明なブルーの村上龍氏も成熟してきたなと思った。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雛人形で遊んだ

2015-02-10 | 日記

雛人形に二人の孫は大喜びです。

一つずつ運んで並び替えます。お寿司屋さんで貰ったティアラに指輪、ばあちゃんと一緒に作ったネックレスに、クリスマスのプレゼントのドレス着て、お姫様になっています。

丁寧に並べます。

この後、机の上、こたつの上、カーペットの上とお雛様は転々と場所を移動します。

「すみません、大事なものを」

「いいのよ、これは触ってもいい雛人形だからいくらでも遊んでね」

刀を抜く、屏風を閉じたり開いたりする。菱餅を重ね直す。橘と桜は一人一つずつ持って遊ぶ。と、二人はしっかり遊んでいました。

こんなに遊んでもらってお雛様も本望でしょう。触っちゃだめよと叱る種になる人形でなくてよかったなあと、きょうは思いました。


そのあとアンパンマンカルタをしました。

今度は小さくなった着物着て「パワー!全開!!」とやる気満々

いつの間にか平仮名を覚えて、数もちゃんと数えられるようになりました。そして初めてなのに孫娘の圧勝。ばあちゃんはたじたじです。

何度やってもばあちゃんはびりです。メガネかけてもできません。いゃあ、こんなに能力落ちているとは。

お嫁さん曰く、平仮名は教えなくても急に読むようになったとのこと。でももう四歳と8か月ですからね。息子は2歳と3か月くらいで、テレビの天気予報見て県名の漢字をまず憶え、3歳になったころには絵本も一人で読んでいたので、どんな偉い人になるのかと期待していたら・・・・・結局、あんな大人になりました。瓜のツルからと言うやつです。

子供の伸びる力って本当にすごいなあと、きょうは感動した次第

お母さんが全然教育ママでないので子供たちは伸び伸び。いいんだよそれで。字が読めなかったら勉強も遅れるし、どうしようと心配していたばあちゃんでした。心配するのがばあちゃんの務めなので許してね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雛人形を出した

2015-02-10 | 日記

内裏雛だけのセット。屏風などは気に入ったものに替えた。

店で一番小さいものを、もう女の子が産まれないとあきらめた時に自分用に買った。三男10歳ころ。男の子も大喜びでぬいぐるみ並べて毎年お祝いした。

骨董市で買った民芸品。

右は山口県の大内人形。山口の御実家へ帰る外科の先生に記念にいただいた。38年くらい経つけどさすがに全然劣化していない。

布を使ったものはどうしても紫外線で傷んでしまうので一代限りかと。

昨年、母が縫い直してくれた子供用着物。私の初着だったとのこと。

長襦袢。

昨年は孫が着て「着物マン!!」などとはしゃいでいたけど、今年はもう無理と思う。

今日は夕方来ることになっている。早くおいで!!!!!ーーーーー祖母絶叫

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「黒川温泉 観光経営講座」 後藤哲也 松田忠雄

2015-02-09 | 読書

著者後藤哲也氏が経営する黒川温泉新明館 先月


先月黒川温泉へ旅行したきっかけは、夫が10年前、この本を読んでいたく感動したからでした。先日本棚整理して発見。読んでみました。大変面白く、接客業の基本を踏まえた経営方針はなるほどと大変参考になりました。私は旅館経営はしてませんが、生きる姿勢というか、どうすればお客さんに喜んでもらえるかはすべての業種に共通することだと思います。

田舎の無名の温泉が全国的に有名になったのは、新明館の三代目、著者の温泉哲学、経営哲学のたまものだろうと思います。

団体客を受けない、庭木でなくて自然の山に生えている木を植えて自然の感じを出す、温泉の質を大切にする、温泉街街全体で景色や雰囲気を演出するなどなど、今の時代のお客さんの好みを的確につかんでいる。

豪華なもの、大きなもの、立派な者には今の時代、誰も癒されない。と私も思う。静かで素朴で煩わしいことを忘れてぼーっとできる宿を求めていると思う。

後藤氏は頑固な父親のもとで働き、経営者になったのは55歳だと言う。その間ずっと、お客さんの声を聴き、一人でコツコツ宿の内外を自力で整備してきた。温泉組合全体でお客さんを呼ぶにはどうしたらいいかを考えてきた。偉いなと思う。

全国各地の温泉からアドバイスも頼まれるそうで、何がよくて何がダメか、答えは明快である。

読んでる途中で、癒しの宿がどこかにないかとネット検索始めた私。私の癒される場所は子供のころの田舎の親戚へ行ったような懐かしさと楽しさのある場所。豪華なホテルや煌びやかな場所は好みません。

ああ、また本当に静かな宿へ行きたくなった。。。。。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「父の形見草」 堀口すみれ子

2015-02-08 | 読書

詩人堀口大學の長女、堀口すみれ子氏の父の思い出が中心のエッセィ。四半世紀以上前、詩人の没後しばらくして婦人雑誌「ミセス」に連載したものを一冊にまとめている。

なかなか読みごたえがあった。娘の目から見た晩年の詩人の生活、娘や孫とのかかわり合いが愛情込めて回想されている。

優雅で文化的な詩人の暮らし。毎回挟まれる写真もオシャレ。著者は詩人が50を過ぎて生まれたので、愛情いっぱいに可愛がられて育てられる。言葉の魔術師は虹を見てきた娘に「よかったね。虹を見るときれいになれるよ」と言葉をかけ、人にはいい子でしょう、きれいでしょうと自慢する。

若い頃外国暮らしが長かったので、こういう言い方をするのかなとも思ったが、これって大切なこと。親に褒められるのがその子の何よりの心の栄養になると私は思う。

堀口大學は「努力もしたけど恵まれていた」と親への感謝を忘れないし、歳とって生まれた子をとても大切にしている。優しい人だと思う。

成人を迎えるに当たり、両親は京都に注文して二年がかりで振袖を作る。鳳凰の柄の豪華なもの。でも目が怖くて、自分の披露宴のお色直しに一度着たきりだとか。親の愛情のこもったその写真も見たかったけど、この本には写真がない。残念だけど、それしてしまうとこの本全体に漂う上品な雰囲気が損なわれ、単なる持ち物自慢になってしまう。

そうしないのがこの本の持ち味。著者はもう70歳になられると思うが、父の思い出の詰まった葉山の家で暮らしているのだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「黄昏の詩人 堀口大學とその父のこと」 工藤美代子

2015-02-03 | 読書

ミラボー橋 2014/4/2 午後3時頃 ツアーバスの中から、一瞬に過ぎ去るミラボー橋。


 

ミラボー橋   ギョーム・アポリネール

詩集「アルコ ール」(1913)収録  堀口大學訳   
   

ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
      われらの恋が流れる
     わたしは思い出す
   悩みのあとには楽しみが来ると

      日も暮れよ、鐘も鳴れ
      月日は流れ、わたしは残る

   手に手をつなぎ顔と顔を向け合はう
       かうしていると 
     われ等の腕の橋の下を
  疲れたまなざしの無窮の時が流れる

      日も暮れよ、鐘も鳴れ
      月日は流れ、わたしは残る

   流れる水のように恋もまた死んでいく
      恋もまた死んでゆく
     生命ばかりが長く
   希望ばかりが大きい
                                    

      日も暮れよ、鐘も鳴れ
      月日は流れ、わたしは残る

   日が去り、月がゆき
       過ぎた時も
     昔の恋も 二度とまた帰って来ない
   ミラボーー橋の下をセーヌ河が流れる
 
      日も暮れよ、鐘も鳴れ
      月日は流れ、わたしは残る

https://www.youtube.com/watch?v=E_NvpzZsAl0


今年になってからだったかな、BSアーカイブスで堀口大學の再放送があった。初回は見ていない。堀口大學は私が若い頃はまだ生きていて、とても偉い人という印象。詩を読んだり語るのは軟弱と思い込んでいたのは私自身の若さの過ち、とは言え、その時は読みたい本、読むべき本がたくさんあってご縁がなかったのが今になれば残念である。

若い時に堀口大學を読んでおけば、私の人生ももう少し豊かになっていたのではないかと思う。人との付き合いももっと丁寧に、別れた後もいい印象を残したのではと、多分それはないけれど。

堀口大学の祖父は越後長岡藩の足軽、戊辰の役で戦死し、祖母は貧しい中、息子九萬一に学問を付け、息子は期待に違わず東京に出て外交官になる。大使として海外に在駐し、息子大學を同じ道に進ませたいと思うが、大學は結核を発病し、以後30歳まで父の庇護の下、フランス語やフランス文学の勉強をしながら海外生活を送る。

庶民にとっては海外旅行なんて、夢に見ることさえない1910年代、詩人はスペインで、画家マリーローランサンと知り合い、憧れる。その出会いは詩人の感性を一層磨いたことと思う。

詩は男子一生の仕事にあらず、と言われるのは今の時代も同じだと思うが、当時はいっそうそうだったと思う。しかし父は大學の才能を見抜いて尊重し、経済的に庇護している。これはなかなかできることではないと思う。

一人の詩人が生まれるにはいろいろな条件が揃わなければならないのだと思う。

大學の詩は定型詩から自由で、その感性もまた日本的湿っぽさがない。言葉は軽いようで、他のどの言葉にも置き換えられない硬質な構造をしているのではないだろうか。

彼の詩で日本語の表現の幅はうんと広がったと思う。と言いつつ、真面目に体系立てて読んだことないので、次は堀口大學の詩も読みたいと思う。


余談ながら大學の祖母、千代は偉いと思う。武士という身分がなくなった時代の未亡人、授産施設で織物を教わり、必死で身に着けたという。織りの教室で遊びまくって全然覚えない私とは心構えからして違う。反省した。同じ時間を過ごしても何もできないなら、人生の時間の無駄。これからはまじめにやろう。

大學は17歳まで、海外生活をする父と離れて、その千代に育てられる。武家の妻として一本筋の通った人だったのだと私は思う。昔の人は苦労もたくさん、そして偉いなあと感心した次第。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

手織り

にほんブログ村 ハンドメイドブログ 手織り・機織りへ
にほんブログ村

日本ブログ村・ランキング

PVアクセスランキング にほんブログ村