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日々のあれこれ
 

京都、名残の紅葉 落柿舎と宝筐院

2018-12-08 | 京都たびたび

さて常寂光寺至近、落柿舎へ行きます。こちらは二、三度前を通ったことがありますが、今回が初めて。

芭蕉の弟子、去来の住まい。芭蕉も半月ほど滞在したことあり。建物は1770年の再興されたもの。としても古い。

名前の由来は、去来がカキを売る約束をした日の夜、そのカキが全部落ちた故事によるとか。

カキの木があります。家は250年くらい経ってる。修復はしたでしょうが。

この裏手は西行の庵もあったという伝承が。さすがの嵯峨野であります。

夜はライトアップされるようです。その他にも何かのイベント?

邸内はこじんまりと。

カキと藁ぶき屋根を見るのは外からの方がよさそうです。

侘びと寂び、日本文化の神髄ここにあり。が、やや地味なので人も少なめ。

一度見たかったので、見られてよかったです。

続いて宝筐院へ。

平安末期、白河天皇創建、14世紀、足利二代将軍、義詮の保護を受けて整備、死後は菩提寺。楠正行も祀っている古刹。

明治の廃仏毀釈で廃寺となるも、1917年に再興されたとのこと。

境内は全体がもみじで、たいそう見ごたえがありました。平地なので、常寂光寺よりはよく残っていました。

秋から冬へ

一歩ずつ、眺めが変わる。

散るモミジ

本堂

上がらせてもらえるお寺が好きです。

座って休むと心も落ち着く。

美しい眺め

本堂前。

本堂横。縁側から。人が少ないのでゆっくり鑑賞できます。

どちらを見てもモミジ。

縁側一回り。

静かです。

嵐山へ来るツアーのお客さんは自由時間は1時間くらい?

としたら、バス停から片道30分以上の場所が穴場と言うことになります。観光バスのバス停は渡月橋近くなので、次来るときはJR嵯峨嵐山で降りて、裏道通って清凉寺まで行き、今回と逆に歩くと人にはあまり遭遇しないようです。

次からはそうしよっと。間違っても天竜寺の前は通らない。

日本の秋、京都の秋。

どの写真も捨てがたく。

いいカメラ欲しいけど、持ち歩くのが重い。この歳では潔く断念。

また歩きます。

誰もいません。誰もいないので幸せな私。眺め独り占め。

鮮やか。

散るモミジ、残るモミジも散るモミジ。

サクラより長く楽しめるモミジが好きになった私。

さっきの本堂が見えます。

境内の奥を周って・・・

そろそろ戻ります。

モミジのトンネル。

あでやか。

手前の木は何でしょうか。

まだまだ続きますが、今回はここまで。

あまりにも美しい眺めを見て、体の芯まで優雅な気持ちになりましたが、和歌がスルッと出てこない教養のなさ。

うーーーん、残念。


この日は帰宅すると、夫が姑様の摘便したと淡々と言っていた。

偉い。世の中には孝行息子はあまたいるけれど、そこまでするのは稀。つくづく姑様は幸せだと思った。

世の中よくしたもので、不出来な嫁には孝行息子がついている。不出来な嫁は京都で遊びまくってました。

どう育てたらそこまでになるのか聞いてみたいけど、もうまとまったことの言えない姑様。美人で背が高くて、木暮美千代みたいな顔の人だった。嫁の私より背の高い姑様でした。今は縮んだけど。

 

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京都、名残の紅葉 藤田嗣治展と常寂光寺

2018-12-07 | 京都たびたび

12/5 日本旅行の個人プラン、京都のぞみ往復+嵐電嵐山駅内買い物500円分つき、14,000円の旅行に行きました。

この日はとてもいいお天気で、日中は暑いほど、紅葉もまだまだ見られて、ひとりで好きなところを歩いてとてもいい旅になりました。

元々はヨーロッパ行きたいと夫に訴えるも、一日のヨーロッパならいいと言うので、そんなんありえないし、国内にしました。

姑様は在宅でヘルパーさんが二回入る日です。前日からおかず各種作り、どこへ行くか考えていると就寝は26時。

でも頑張って起きて出かけました。一人きりの旅行は久しぶりです。私は、本当に一人で出歩くのが好きなようです。荷物は極少なめにしていざ出発。


先ずは平安神宮手前の藤田嗣治展へ。

京都駅観光案内所でチケット買うつもりだったけど、人が多いので100番系統のバスに飛び乗る。

東山の名所を急行で結ぶバス。一日乗車券が600円に値上がりしていた。

会場は大鳥居の左側。右側は工事中でした。

1,500円のチケット買おうとしていたら、全然知らない人が使ってくださいと招待券くださった。

ありがたや。

開場間もないので人は多くなくてゆっくり見られました。一生の画業を時系列に並べてあり、見ごたえがありました。芸術を愛し、女性を愛し、人生と格闘し、日本人の心で誰にもまねできない独特の画風のフジタ。

芸大の卒業制作から、晩年、フランス人なり、キリスト教徒になってからの、宗教画まで、画家の息遣い、喜怒哀楽、表現欲など、どの作品も迫力がありました。

また最後には同時代のピカソなどの作品もあり、たいそうお買い得な展覧会と思います。

出たところで、これまた知らない人に写真撮ってもらいました。

繊細で装飾的で、日本人の心を最後まで失わなかった人ではなかったでしょうか。

戦争に協力したと言われて故国を離れるのですが、戦争画も戦意高揚というよりは、戦場の阿鼻叫喚を詳細に描いて、ルーブルにある歴史画みたいなのを目指したのではないかと私は思います。

晩年は浪曲のレコードなど聞いていたそうで、その心を思うと胸が痛いです。

美術展は16日まで。皆様もぜひどうぞ。


続いて下賀茂神社至近、糺の森の中の三井家別邸の見学。近年公開されるようになりました。

賀茂川と高野川の合流地点に深い森が残っています。・・・・三池別邸は休館日でした。

_| ̄|○。

気を取り直して、葵橋渡って・・・

出町柳まで来ました。ここが、小浜まで行く鯖街道の起点。古い時代には鞍馬口から山の中を通っていたようですが。

枡形商店街でちょっと買い物して嵐電の起点まで。

と、ここでお腹が空いてもう歩けなくなりそうなので、とりあえずそこら辺のなか卯で昼ごはん。

京都まで来て、なか卯はないやろと自分で突っ込みながら。、でも何とかエネルギー補給して旅を続けます。

嵐電で嵐山まで。駅でお買物券で漬物ゲット、天竜寺の前通って、野々宮神社へ。

嵯峨嵐山の表通り、人の背中見ながら歩きます。

若い人は二人連れ、年配女性は3~4人が連れだって。一人で歩いている人は、たいていいいカメラ持ってる。どれにも当てはまらない私は一人でふらふら歩いています。

野々宮神社過ぎると、だいぶ歩きやすくなります。

第一モミジ発見。

昼夜の寒暖差が大きい盆地のためか、色鮮やか。

先ずは常寂光寺へ。小倉山のふもとにあり、藤原定家が古今和歌集を編んだ山荘は、この付近と考えられてるそうです。

門前のモミジも由緒ありげで。

仁王門。別の場所から移築したとのことで、造営は14世紀。

本殿は桃山城客殿を移築したもの。

上がって見下ろす。山の斜面に立つお寺。

名残の紅葉。

境内は広い。

竹と紅葉。

シーズン過ぎて、人はそう多くありません。

紅の絨毯

境内は山へと続きます。

竹とモミジ。着物の柄みたい。

どんどん歩きます。

水辺

再び仁王門まで下りてきました。

京都の紅葉で、こんなに人が写り込まないのも珍しい。

ツアー客は、自由時間が長くないのでここまでは来ないようです。

裸木。いつか見頃に来たいのですが、人多そう。

帰ります。山門の額縁。

お疲れさま。

拝観料500円。境内は全体に傾斜があります。

大寺院ではありませんが風情満点。どこを切り取っても日本画の世界。

そして藤原定家にまつわるという、場所の持つ力。

小倉山 峰の紅葉葉心あらば・・・と思い出せば、自分の体も紅葉に染め上げられた気分になって、旅情もしみじみと。

紅葉の盛りは過ぎていましたが、境内広く、とても素晴らしい寺院でした。

続いて落柿舎から宝筐院へと回ります。それはまた次回にご紹介します。

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二条城から寺町通へそして帰宅

2016-12-09 | 京都たびたび

二条城は五回目くらい、以前は大広間に大政奉還のときの人形が置いてあった気もするけど、記憶違いかも。

2002年の時は何かの記念で、和宮が晩年を過ごした本丸御殿(当時は京都御所の中にあり、明治26年に移築)前を通り、天守閣跡、台所へも上がれた記憶があります。その時も一人旅。でも今と違うのは京都に息子がいて、大学の落研の部室で暮らしていて、そこを訪ねて行ったことです。

私が持たせた電気釜に、部屋に吊るすために特注したカーテンなどがあって、なんかいっぱい寄席の道具があって、大学は元尾張徳川家の京都屋敷だった場所にあるとかで、高座名は葵家を名乗る人が多かった。その部室で友達と二人の写真撮ってやりました。

その友達は某県で内科医として働いていて、今も付き合いがあるとか。愉快な仲間たちは息子の結婚式にも花を添えてくれました。

なんか子離れしない母ですね。というか、息子の友達も自分の友達にして一緒に楽しんだ日々。私自身、京都の大学へ行きたかったけど、主に(というかそれが唯一の原因で)学力不足で行けなかったので、息子がそれを果たしてくれてうれしかったのです。わが第二の青春ですね。もちろん息子たちは年寄りに親切にの気持ちでしょうが。

もんのすごく高そうな大島紬のアンサンブル着て高座に上がっていたのもその友達。息子の友達はもう自分の息子みたいなもん、着付けをちょっと直してあげたかったけどそれは遠慮しました。

すみません、話がどんどんずれていきます。

自動車には興味ないけど、今度息子が帰省した時の話のネタに見学しました。いやあ、全然子離れしてないわ。一生できないかも。

いまだに夫と二人、息子たちの小さいときの話で盛り上がる。夫は仕事が忙しくてほとんど子育てに参加していないので、ちょっとしたエピソードでもうれしそうに聞いている。やっぱり、孫よりは自分の子供がかわいい。孫はまずお母さん、お父さんになついているので、それでいいんだけど、ちょっと遠い人。

息子に言わせたら平凡でおとなしい車ということになるんでしょうが。。。。

赤い車とか

青い車とか。ドイツ車?

黄色もあります。

ライトたくさん。

また赤い車

車とお城

車いろいろ。イタリア車?

裏へ回る。昔は建物があったのかも。

あちらが天皇やその使者を迎える門だったようです。

この後二の丸御殿もついでだから見学。大勢の人でした。


地下鉄の京都市役所前で降りて寺町通へ行きます。

地下街。もうすぐクリスマス。

寺町通のアーケードからさらに北へ。道は細い。

和風雑貨の店。

行きたかったのはあちらの書店。先月、某新聞で、京都の名だたる学者先生の御用達書店との紹介があったので。

古書店とばかり思っていたら、ほとんどが新刊本。しかし、店主目利きとみた。取次店から配送されるのを置くのではなく、筋のいい本ばかりがありました。しばし立ち読み、でも買いたいのがなくてそのまま帰りました。

骨董店。

総じて京都では、小さくても売るものに詳しい、または自分で作っている個人商店がとても魅力的で、街の雰囲気を作っていると思いました。

和菓子とパンを買いましたが、とてもおいしかったです。あとは金箔の専門店とか。歩くだけで楽しかったです。

ああ、二条城なんかは軽く流してじっくり歩けばよかった。

本能寺。信長のころとは場所が変わり狭くなっています。

敵は本能寺にあり。ダイエットの敵は本能にあり。

帰ります。京都駅のいつも行くラーメン屋さんで晩御飯食べて、新幹線に乗ります。

一人であちこち歩いた京都、ああ、楽しかった~

毎日、1万8千歩くらい歩いて少しやせました。今度はいつ行くことになるのでしょうか。

できたら一週間くらい民宿借りて暮らすように旅してみたい。

 

 

 

 

 

 

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11/30 若冲に二条城などを歩く

2016-12-08 | 京都たびたび

さて泉涌寺道でもたもたするうちにバスが出てしまい、約15分のロス。やっと来たバスで東山二条まで行き、京都市美術館へ行きます。

京都メッセの北側。新しくツタヤとカフェのおしゃれな店ができて若い人が大勢います。

建物は古いですが、中はおしゃれでした。昼ご飯、一人では気後れして入れず。残念。

昔、京都には京都市電というものがあり、通勤、通学、観光客の足でした。

その車両が保管されています。

広島電鉄ではその車両を譲り受け、今もほぼ京都時代と同じ姿と色で、現役で走っています。

ほかに大阪、神戸、福岡などからの電車もあります。

美術館前で並びます。ちょっと気恥しい。何がって、流行のものにひっかかってみる自分の心が。

それに今はブームも落ち着いているし。

中は大勢の人で、人の頭越しに鑑賞します。確かに鬼才とは思いますが、材料に画題に、制約の多い時代になかでよくあれだけ自由にかけたなあと感心。

それは京都の経済力に裏打ちされた文化の高さだったのかも。

今まで一番の来場者はツタンカーメン展だそうで。朝日新聞主催、大特集を組んでいた。

私は高校の文化祭さぼってはるばると見に行った。祖母が娘と孫に会いたいというので連れて行った。

そう、祖母は昔の女の常として、一人で旅行できない人でした。

京都タワーの上が遊園地になっていて、そこで遊んでから分かれた。ベレー帽にジャンパースカート、白いタイツの従妹はまだヨチヨチ歩きだった。懐かしき遠き昭和の光景であります。

ミロのヴィーナスは二年前、ルーブルで見る機会がありました。後ろから見ても素晴らしい造形でありました。

ゴヤを見に行ったのは就職してから。今同居している人と京都で待ち合わせて、叔母の家に二人で寄ったんだった。

いや、もしかしたらゴヤは広島で見たのかも。あまりに遠いことで忘れた。

今年の六月、マドリッドのプラド美術館でゴヤをまとめて見たのはさすがにまだ覚えてますが、それもやがて忘れるんだろうなあ。。。。

外観和風。

近道して地下鉄、東山三条へ行きます。

七宝美術館の向かいにある並河家。家は洋風。

川沿いに行って

こちらへ行きました。

オーナーは東北の方の人らしい。

これなら駐車場で隣の車にあたることもない。完璧です。

姿自体にスピード感が。蝉の背中のようでもあり。

言ってみればボディに車輪のついた工業製品、それにデザインを加えると人の心をひきつける文化になるのかな。いやいやおばさんがつまらないこと言わずに、ただ見ていればいいのかも。

座席低いので駐車券取りにくそうとか、いろいろ思う。

このほかにも車たくさん。また紹介します。


このあと、休憩所でコーヒー飲みながら朝のパンの残りを食べる。質素。

 

 

 

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11/30 養源院、鳥戸野陵、今熊野観音寺を歩く

2016-12-06 | 京都たびたび

、11/30 朝、部屋から庭が見えます。

庭に出ます。誰もいません。静かな古都の朝。

チェックアウトしていざ出発。

東山七条角、養源院へ行きます。

七条通りを京都駅方面へ。

フレンチルネッサンス様式の京都国立博物館の向こうに愛宕山が見えています。

清滝が登山口。いつか登りたいものであります。

この付近は西に向かって結構傾斜がきつい坂道になっています。

外資系高級ホテルの前を通って…

以前は京都パークホテルという庶民御用達のホテルでした。

2002年3月、息子の入学手続きで宿泊した時には確か素泊まりでシングル3,500円といううれしいお値段。

朝は近くの喫茶店入ったら、老店主夫妻がとても親切にしてくれました。京都の人は親切。冷たいというのは言いがかりかも。

でも知ったかぶりすると「田舎者」とはねつけられそうな予感。まあ、これはどこの土地へ行っても同じでしょうが。

このあと養源院の入り口がわからず、散歩中の女性に聞きます。丁寧に教えてくれました。

こちらの向かい側でした。

行きます。9時ちょうどくらい。静か。

紅葉のトンネル、古都の秋。

帰ります。

淀君創建、のちに徳川の菩提寺だったそうです。

http://kyoto-higashiyama.jp/shrinestemples/yogenin/

建物内、撮影禁止。俵屋宗達の襖絵に杉戸絵、伏見城遺構の血天井、小堀遠州の庭など、見どころたくさん。

でも人はほとんどいません。住職ご一家で案内などしています。

秀吉さん、浅井長政さん、淀君さんと、歴史上の人物も知り合いみたいに言うのが面白かったです。

血天井は人型に血の跡も残っていて、非業の死を遂げた大勢の人の怨念が漂っているようで、なんかぞくっとしました。

天井を作るにあたり供養してるそうなので、今はもう成仏していると思いますが、戦国というのは死がありふれた時代。命のやり取りをする武士の生き方というのも、なかなか凄まじいものがあります。合掌。

外へ出ます。蓮華王院(三十三間堂)の南大門から塩小路→東大路へと向かいます。

南下して東海道線、奈良線の上を通ります。向こう京都駅方面。

道の両側が今熊野商店街。和菓子、布団、おもちゃなど、地元密着の昔からの商店街。

歩いて楽しいです。

向こうに見えるのが新(いま)熊野神社。熊野詣大好きの後白河法皇が都に勧進。

世阿弥が初めて能を奉納したのがこちらの神社。

クスノキは創建当時のもの?…樹齢850年くらい?

以前から行きたかった鳥戸野陵へ向かいます。

こちらはさだまさしさんの鳥辺野という歌の場所とのこと。寂しいからとそれだけで、来るはずもない鳥辺野であります。

スーパー、フレスコと花屋の間の道を山に向けて登ります。

剣神社の前を通って

山へと向かいます。ここでは右側の谷へ降りていきます。

山道をゆけば散り急ぐように遠近に紅葉の紅道を照らす冬まだき。

風景自身が淋しがってるからひとこまに身を置いただけで自分が救われる

今から定子陵へ行きます。この付近はよく整備されています。

古代の鳥辺野の地名はこの付近から北に広がっていたそうで、南部は身分の高い人の墓、北部は庶民の埋葬地だったとのこと。現在、広い墓地は清水寺南西部にあるそうで、このあたりには泉涌寺の墓所以外には墓地は見かけませんでした。

職員らいい人が掃除していました。「(おばあちゃんだから)滑らないように気を付けてくださいね」とのことでした。

あの先で右へ。

着きました。共同墓地のようです。掃除が行き届いていたのはさすがです。

定子は清少納言が仕えた皇后。天皇とは仲良かったけど、若死にします。

中宮彰子はその時にはもう入内していたはず。この人の生んだ皇子は何人も天皇になり、藤原道長の繁栄を支えます。しかも90歳くらいまで生きた長寿の人でした。

定子が若死にしなければ、彰子の方が若死にだったら、あるいは道長の運命も変わっていたかも。

清少納言は晩年、泉涌寺付近で過ごしたそうですが、定子の墓所の近くにいることで、華やかな若いころを追憶していたのかも。

光が明るい分、影は深い。そしてそれは人の世の常でもあります。

木立の間から京都駅方面が見えます。

切通しの道を南へと向かいます。

人の心移ろいやすく、その傷癒え難く、立ち止まってうろたえるは愛と同じ重さの悲しみ

私は一人で気ままに京都をうろうろして全然悲しくないのですが、日常生活を離れると普段忘れているいろなことを思い出します。

京都を一緒に歩いたあの人、この人。あの笑顔にあの言葉。もう会わなくなったけど、会えなくなったけど、お元気でしょうか。

いえいえ、同居人とは毎日会っています。昔一緒に行ったのは詩仙堂くらいだけど。

風はさや 風はさやさや、竹はゆら竹はゆらゆら、振り返るより早くあなたは立ち去っていた

すみません、どこのどなたかは存じませんが、ブログの流れの都合上、後姿お借りしました。

泉涌寺への抜け道は、地元の人の散歩道になっているらしい。

赤い橋は今熊野観音寺の入り口。

下から見ると新しい橋。散歩の男性が前を行きます。

橋を渡ります。朝日の木漏れ日が気持ちいいです。

今来た道を見下ろす。

山門は特になく、境内出入り自由。

真言宗の寺院。空海像も。

お手洗いお借りしたのでお礼のお賽銭を納めます。拝観終わって車道ではなく、わき道を通ります。泉涌寺の塔頭いろいろ。

総門と言えば遊郭みたいだけど、全体の門をどういえばいいのかしら。山門でいいのかな。

広いお寺であります。泉涌寺はまだ一度も行ったことありません。また次の機会に。


このあと京都市美術館の若冲に行きます。人がたくさんいました。

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11/29 曼殊院から宿まで

2016-12-05 | 京都たびたび

さて洛北金福寺でしばし追憶に浸った後は徒歩で曼殊院に向かいます。

約20分の予定です。道はあまり高低なく、ほぼ真北へ向かいます。昔は農村だったらしい静かな住宅地の中を歩きます。

曼殊院手前に、某製薬会社の研究所と植物園があります。大昔、ここへも案内されてきたことがあります。

珍しい植物がたくさん、作物の害虫も飼育、農薬で駆除する研究で、年に一度、虫供養があるとのことでした。

やっと着きました。

江戸時代、皇族の開いたお寺。塀の五本筋が門跡寺院のしるし。一般人は裏から入ります。

花も月も紅葉も、盛りにばかり見るのもかは。

裏から入り、室内は撮影禁止です。

親王の住まいを再建するようです。寄付を募っていました。

名残の紅葉

夕日でいっそう鮮やか。市街地の東側は、紅葉は午後からがきれいです。

縁側から庭を見ます。庭を見ながら、時間の流れや、無限に広がる自然の姿を思います。

帰ります。そろそろ夕刻です。

このあと一乗寺清水町から市バスで京都駅へ向かいますが、途中の五条坂でものすごく人が乗ってきます。バス停には50メートルくらいの人の列。

後でわかったのは、清水寺のライトアップのお客さんのようです。

清水寺…50年以上行ってませんが、京都観光の定番。でも後ろは山で、バスも車も東大路を通るしかない。ものすごく渋滞していました。

押すなとか、痛いとか、けが人が出る!!とか大変な騒ぎです。いゃあ大変でした。これからも清水寺へ行くことはないように思います。

40分以上かけて東山七条まで。宿はそこから歩いてすぐです。

やれやれ、さすがに歩き続けて疲れました。

一人一部屋は朝食のみのプランですが、近くに食べ物屋さんが一切ありません。

あるのは智積院や養源院、豊国神社というそうそうたる寺社に京都国立博物館。道も暗くて人も全然通っていません。

結局宿の小さな食堂に。お客さんは団体客も多くて、どっかで宴会やってるらしい。

食堂はかつ丼とか卵うどんとか、焼肉定食とか。お客さんも長野県の農村の人とかそんな感じ。

私も農村育ちなので、ものすごく馴染みます。一人なので誰とも話さなかったけど、雰囲気に落ち着く。生ビール小も激安。

うんうん、私の祖父、お寺で募集かけて京都への旅を企画。バスの手配から参拝先の選定まで、自分でやってましたね。旅行会社に勤めてるわけではなく、ただの世話好きな老人。

どこへ行ってたのかな。。。。おしゃれでもなく、トレンドでもなく、古くからの京都観光の雰囲気、とても懐かしく楽しめました。

部屋に戻ると民宿ではないので布団も敷いてくれてました。

10畳で縁側のついた部屋で一人で寝ます。楽天のポイント使って、とっても安く泊まれました。ささやかなぜいたく。おやすみなさい~

歩きの旅行は一番軽いショルダーバッグにファスナー付きエコバッグ。足元スニーカー。いつもこれ。

いまさら嫁にも行かない(はず)なので、楽が一番。

 

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詩仙堂と金福寺へ行く

2016-12-04 | 京都たびたび

11/29午後、嵐山から嵐電に乗り、帷子ノ辻で乗り換えて終点まで。交差点斜め向かいから市バスに乗り、銀閣寺道で岩倉操車場行きに乗り換え。

北山通りの一乗寺下がり松で降ります。

宮本武蔵と吉岡一門の決闘の地です。武蔵は松の木の上に隠れていて、後から来た吉岡一門の総大将(子供)の後ろから襲って首をはね、戦わずして勝利したとか、そんな話でしたよね。

吉川英治の小説で有名になった場所です。松は何代目かと思いますが。

巌流島もそうですが、武蔵は知略にもたけていたようで。

坂道を上がっていきます。

着きました。江戸時代、石川丈山という人が隠棲した庵。お寺ではないので簡素な入口です。

一時、広島浅野藩にも仕えた武士だったとのこと。

アプローチ

竹はゆら、竹はゆらゆら、振り返るより早くあなたは立ち去っていた…鳥辺野より

建物

庭。鹿威しが有名ですが、動画しかとってません。残念。

山に近く、創建当時はイノシシが出ていたのでしょう。

人はそう多くなくて静かでした。


続いて少し南に下がった金福寺へ行きます。

北山別院の前を通ります。

昔、親鸞が比叡山から洛内の六角堂まで毎日お参りに通っていた時、この場所にある井戸で水飲んでいたそうで、そのあとが別院として整備されています。

昔、従妹がこの中の保育園に通っていて、祖父はことのほか喜んでおりました。

金福寺へ着きました。詩仙堂からは15分くらい。

山門

庭。今から向こうに少し屋根の見える芭蕉庵に行きます。

昔、芭蕉がこの寺を訪れ、庵で住職と歓談、以後芭蕉庵と名付けられたそうです。途中荒廃したのを蕪村が再興して、今の建物はそのあと何代目かになると思いますが、あるいは修復を繰り返しているのかも。

本堂。中には村山たか、長野主膳の史料を展示しています。村山たかというのは井伊直弼の愛人、幕末、幕府方の隠密で京都で活動したそうです。

大河ドラマ「花の生涯」では故淡島千景が好演していました。何年前?はい、50年以上前ですね。淡島千景は「東京物語」で原節子と共演もしている。はい、はるか昔のことであります。

晩年はこの寺で過ごしていたそうで、墓は近くの圓光寺にあるとのこと。

長野主膳役は林与一、朝ドラ「あさがきた」の、大店のおじいちゃん役でした。美形はいまだ健在。

芭蕉庵。

1967年の7月、私、18歳。油絵道具一式を持ち込み、この前で数日間絵を描いていましたね。

蚊にものすごく刺されて、大変でした。筆洗液を忘れて、北山通りまで下りてガソリンスタンドで少しガソリンもらいました。いくらですかと聞くと、「(メーターが)回ってへんさかい、(お金は)要らへん」とのお返事。その節はありがとうございました。

その話を高校の同級生だった男の子に話したら、いたく受けた。うん、京都弁が面白かったのかも。

毎日拝観料払っていたのだろうか。たぶん100円とかそんな感じ。

人が少なくて静かでいい感じです。裏山の蕪村墓所から、昔は京都市内が見えた記憶がありますが、今は木が茂ってほとんど見えません。

すみません、年寄りがいろいろと昔のことを思い出しています。

帰ります。

続いて曼殊院へ徒歩で向かいます。

圓光寺の前を通ります。先を急ぐので通り過ぎただけですが、行けばよかったかも。

曼殊院は三度目くらいで、感動があまりなかったので。

また次の機会にと、京都へのご縁はなかなか切れないのでした。

曼殊院の紹介はまた日を改めて。

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清滝、嵯峨野を歩く

2016-12-02 | 京都たびたび

一人でふらふらと出歩くのが好きな私。本人は一人旅のつもりが、人から見たら徘徊老人かもしれず。

せめてさっさと歩いて怪しまれないように。さっさと歩いたせいで道間違えたりもしますが。

最近はまずJRで嵯峨嵐山まで行くことが多い。広島から京都市内行きの乗車券でここまで来られるので。京都からは20分くらいとさすがの速さ。

ふらふらと商店街歩いているとこんな看板が。

おっと、いきなりのビッグネーム。

目立たない小さな橋ですが、いちいち謂れがあるのが京都。

どこにでも出没する西行と弘法大師。

その川沿いに歩きます。静かな住宅地。

バスで清滝に行きます。道路が込んでいてバスは結局30分遅れ。

尼崎から来たご夫婦と話しながら待ちます。

終点、清滝です。ここは愛宕山の登山口になっていますが、私はこの付近を散策してまた引き返します。

ご夫婦が、私が広島から一人で来たと知ると、のけぞって驚かれます。まあ、そんなに驚かなくても。

清滝川です。一時間くらい歩くと高雄へ行きます。高雄の紅葉ももう散っていることでしょう。

川は大堰川、桂川、淀川へと続き瀬戸内海に流れていきます。

バスで再び引き返し、こちら愛宕念仏寺。一度行ったと思うのでパス。

嵯峨鳥居本まで下りてきました。

愛宕山山頂の愛宕神社の一の鳥居ということになるんでしょうか。

昔からの門前町で、昔から茶店だったそうです。

茅葺屋根の家が続きます。

国の重要伝統的建造物群保存地区だそうです。

平日なので人もちらほら。

名残の紅葉。

化野念仏寺。一度行ったので、入り口付近だけでパス。

少し早いですがご飯食べることにしました。

庭の見える座敷の席です。

おひとりさまは奥の席。

庭に出られます。

湯葉と豆腐の鍋仕立て、生麩の田楽、だし巻き卵、黒豆のおこわなどなど。

観光地を外れるとこんな家もあります。

昔は農家が多かったことでしょう。井上章一著「京都嫌い」という本の中で、嵯峨は京都ではないと差別されたことが書いてありました。

私から見たら京都に見えますが。。。。

このあと歩いて嵐山まで戻って嵐電で北野白梅町まで、バスに乗り換えて一乗寺下がり松まで。

それはまた次の機会に。


本日の教訓。

嵯峨野では、いつ来るかわからないバスを待たずに自分で歩くこと。

市営バスも京都バスも一日券で乗れるようになっていた。広島へ帰ってから気がついて後の祭り。

何度乗っても500円で済むのでかなりのお買い得。

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またまた京都へ

2016-12-02 | 京都たびたび

急に思い立って京都へ行きました。

まだまだ紅葉がきれいでした。

養源院で。淀君が父母の供養のために建てた養源院。のちに妹のお江が再建し、今は徳川家の菩提寺に。門から入り口までの紅葉のトンネルが見事でした。

こちら嵯峨の奥、嵯峨鳥居本の鮎料理屋。この付近まで観光客はほとんど来ません。

嵐山からはゆっくり歩いて30分くらい。

宿は今回、東山七条の東山閣さんにお世話になりました。

一人一部屋、十畳和室の商品があり、私のような一人旅にはありがたいことです。

歳とってホテルのシングル部屋がとても苦手になった私。高層階で窓も開けなれない部屋に泊まるのがとても怖い。地震、火災、どう逃げる?

ここなら小さな縁側に小さな土間、すぐに庭に出られます。

庭を少し歩いてみます。向こうはレストランのある建物、宿は豊国神社と背中合わせの奥に深い敷地で、入り口の東大路から鴨川に向けてかなりの傾斜です。

フロントは3階、部屋は1階でした。

値段もとってもリーズナブル。修学旅行や中国のツアーのお客さんも多い宿と聞きましたが、広くてどこでも会いませんでした。大浴場もなぜか私ともう一人だけ。静かないいお宿でした。

で、紅葉はいろいろ見たのですが、一番赤かったのはこちらです。

二条城で。車の展示しています。売り物ではなく、オーナーから借りてきて各種展示しているらしい。横スクロールでお願いします。

横から

後ろから。


京都の写真は明日以降、少しずつアップして行きますので見てください。

 

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たびたび京都1 2005年

2016-09-03 | 京都たびたび

たびたび京都1                          素材は水の宮和風素材さん

    たびたび京都1   2005/9/9~11 
 今回の旅行の目的
 ①全然帰省しない息子のようすを見に行く  ②京都の近代建築をなるだけたくさん見る
 ③息子の落語を見る。 あわせて被爆証言集作成に支援を頂いている方にお会いして、お礼を言う。
 ④年内帰省の予定を訊く・・・はたしてどうなりますことやら・・・・










 深泥池(みどろいけ)

「名を聞けば影だに見えじみどろ池にすむ水鳥のあるぞあやしき」 和泉式部 

北山で地下鉄を降り、岩倉へ向かう途中にある。都市近郊の低地に珍しい高層湿原。
水面の3分の1が浮島で固有の動植物が多い。浮島は夏浮かび冬沈むとか。
ここにもブラックバスやブルーギルを放して釣りをする人がいて、注意すると逆切れする(2005/9/9 京都新聞)って・・・おいおい。
   









岩倉実相院

地下鉄終点で降りたほうが近い。京都バスで岩倉実相院行き終点下車。約10分。

1229年開基。応仁の乱を避けてこの地に移ったらしい。
皇族が門跡になったことのある門跡寺院で、今の建物は江戸時代、大宮御所を移築したとか。
延々と書き綴られた「実相院日記」は日本史の重要な史料。
   











実相院庭園

最近は寺院に花が多い。女性の参詣客のため?しかし本堂には私のほかには男性一人。静か。古都の水に映る古都の空。

秋海棠(シュウカイドウ)とオオバギボウシ
   





対岳文庫(岩倉具視資料館)

1928(昭和3) 設計 武田五一

和宮降嫁なと゜公武合体をはかる岩倉具視が、急進派から逃れるため実相院に助けを求め、この地に1862年から5年間住んだ。大久保利通、坂本竜馬なども訪れたという。その家の隣につくられた記念館。

実相院近くのここは見学者皆無。300円で岩倉具視の住んだ古い家とこの記念館を見る。
中には岩倉具視の衣服や、東京へ出て明治の元勲として活躍した史料などを展示。

80年前の建物ながら傷みは殆ど見られない。メンテナンスがいいのかも。
小振りで軽快な印象の建物。
   













対岳文庫 玄関アーチ

大きな擦りガラスの上の格子と楔形の飾りが、リズミカルで軽快。
昭和という時代の気分だろうか。












同志社大学・彰栄館


1884(明治17) 設計D・C・グリーン

京都市内に残るレンガ造りの建物で最古のもの。設計したのは当時の同志社の教員で宣教師だった人と説明にあった。
見た目はゴシック調だが日本瓦を葺き、内部は純和風らしい。(見学できません)
上の煙突のような部分はレンガの角がかなり磨り減っている。現在は大学と同じ敷地にある同志社中学のもの。
 


同志社大学アーモスト館

1932(昭和7)  ヴォーリーズ

アメリカ開拓期のスタイルをそっくりなぞった建物だそうです。ドーマ、よろい戸、ベランダとどれも可愛くてお洒落。
京都御所今出川門より北へまっすぐ、相国寺の手前左側にあります。
学生寮として建てられ、今も学生が住んでいる。
こじんまりと綺麗。京都大学の吉田寮と雰囲気が違うのは、やはり学風の違いか。










大丸ヴィラ


1932(昭和7)  ヴォーリーズ

大丸(デパート)オーナーの家として建てられ、今も人が住む。見学不可。イギリスのチューダー様式の家らしい。(未確認)

地下鉄丸太町駅至近。京都御所とは烏丸通を挟んで隣り合わせの好立地。
邸内には警備の男性が。文化財の家を守るのも大変である。


このあと突然の夕立。豪雨。近くの京都府庁は今回はパス。今夜泊まる妙心寺へ向かう






妙心寺

花園天皇の離宮の場所に、1237年、寺を開いたとのこと。
右京区花園、臨済宗妙心寺派本山の寺は約10万坪の広大な敷地。境内には47の塔頭(たっちゅう)が。行けども行けども寺ばかり
さながらお寺の団地、その境内を近道する高校生、ウォーキングする老人・・・ひろ~~い。

来たついでなので、手前法堂内の狩野探幽作「八方にらみの竜」の天井画、離れた場所にある明智風呂などを見学。脱いだ衣服をまとめる大きな布を風呂敷と言うようになったとの説明が。

近くには花園幼稚園から花園大学まで。ホテル形式の立派な花園会館など、一大宗教地区である。
   















妙心寺大心院

やっと目当ての塔頭が。う~む、いい雰囲気。
今夜はここの宿坊でお世話になります。


室町時代、細川政元創建。
   


                
大心院宿坊 
本堂から見る。 
竜が泳ぐのに見立てた阿吽の庭は見学だけも出来ます。
中庭と渡り廊下 
中は広いです。右の部屋で食事をいただき、左は本堂へ。








宿坊の精進料理


夕食は息子と近くの花園会館で済ませ、これは朝食。

宿坊はテレビなし、自販機なし、外へ行くにも人気のない境内が怖くて・・・。宿泊客はいるのかいないのか、極めて静か。聞こえるのは虫の音だけ。おのずといろいろなことを考える。今までのこと、これからのこと。まさに一人旅の醍醐味?

部屋からは見事な庭の眺めを独り占め。贅沢ではないが、清潔な部屋。エアコン、蚊取りなど備え付け。泊まるのには何の支障もない。

翌朝6時、読経の声が本堂から。お勤めは自由参加。そのあと食事。宿泊客が七人もいて驚いた。


その席で、ものや情報に振り回される生活を反省する複数の声。同感。
一年に一度くらいは心の垢を落とすために宿坊体験もいいかな。
朝食つき一泊4,700円、Pあり(花園会館)
一人旅だがビジネスホテルは嫌、和風好みの方にお勧め。
075-461-5714
近くの花園会館に行けば食事からお土産まで間に合います。


 

 

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たびたび京都2 2005年

2016-09-03 | 京都たびたび

 たびたび京都2                                  素材は薫風館さん

 

  たびたび京都2

 午後から落語を見る予定のこの日は午前中だけの見学。
 大急ぎであちこち飛び回る。好きなときに好きなものを見て、一人旅は気楽。


 紫織庵(しおりあん) 旧川崎家住宅    左、門からのアプローチ    右、1階洋間
 
 元は寛政、享和の時代の町医者荻野元凱の屋敷。
 1925年(大正15)、井上利助の所有のとき、武田五一の設計でライト様式の洋間を増築。
 のち川崎家へ所有が移り、現在は建物を利用した美術館兼呉服店。
 大正モダンの柄の和服、小物などを扱う。商品こちら 新町通六角上ル 地下鉄烏丸御池より徒歩10分くらい


 









 紫織庵 2階洋間  ステンドグラス、マントルピース、ライトなど。


 京都文化博物館・別館
 
元は日本銀行京都支店。1906(明治39) 
  設計 辰野金吾・長野宇平治
  デコラティブ。レンガと花崗岩で出来ている
 中京区郵便局
 1902(明治35)
  中は使いやすいように改装し、外観を保存
   
   
  灯りいろいろ いずれも京都文化博物館・別館で
 



 
 
京都文化博物の催し

 源氏物語の場面を人形で再現。
 京都の旧家に伝わる衣類、道具などの展示

 十二単を着る催しも。綺麗なものを着ると、みんな嬉しそう。
 展示の衣裳は本物。着るのは初めから重ねてあって
 バサッと羽織るだけ。こちらは軽そう。



 うさぎ寄席
 今回は京都女子大とのコラボレーション。落語あり、コントあり、紙切りあり。面白かったです。

 笑えるコント  芸達者
    白絣                          即興で紙を切ります

 
 東福寺
 
 広大な境内には深い谷川が。
 その周辺にもみじ多数。
 紅葉の季節はさぞ素晴らしい眺めと思う。

 

 JR奈良線、京阪電鉄で東福寺下車。徒歩10分












 高低差があるので深山の趣き
 

 この日の宿は京大会館 清潔で部屋も広く何よりリーズナブル。こじんまりとして周りも静かです。
 大学関係者でなくとも電話 一本で予約可。朝食なし。受験、学会などに如何でしょう・・・となんで私が営業を?

現在、宿泊は止めているようです。2016年9月3日

 
 
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たびたび京都3 2005年

2016-09-03 | 京都たびたび

広島 花と絵付けのページ  たびたび京都3                                    素材は奇陽堂さん


    たびたび京都3

 三日目は京都大学と周辺の古い建物を見学。 タイプはいろいろ、好きな順番に並べてみました。
 待ち合わせた息子と大学近くの進々堂というパン屋で食事。
  もうすぐ帰省するって・・・やれやれ、それを早く言わんかい。
しかしまあ、まずはめでたし。










 農学部付属演習林旧本部事務室

 1931(昭和6)   設計 大倉三郎

 柵に囲まれて近寄れず。
 二方向のテラスがリゾートっぽいいい感じ。
 玄関の明かりもレトロ。 営繕課の職員が設計。


 












 旧京都帝国大学YMCA会館

 1913(大正2) 設計 ヴォーリーズ

 最近修復した。茶色とグレーのコントラストがきれい。


 










 東南アジア研究センター

 1889(明治22)

 建物に「明治廿年創立」、「京都織物会社」の字が。
 現在は図書館になっている。
 
 殖産興業の時代を思わせるシンプルで力強い造り。


 
 









 農学部表門及び門衛所


 1924(大正13)  設計 森田慶一

 左は人、右は車が通ります。
 近寄るとかなり大きい。
 尖塔型のアーチを潜って学問の府へと・・・。


 
  
 楽友会館

 
 1925(大正14) 設計 森田慶一

 スペイン瓦、人が両手を広げたようなポーチの柱、
 行儀よく並ぶ縦長の窓と、印象的な外観。
 権威よりも親しみを感じる建物。中のインテリアも明るく
 軽快。

     


 











 尊攘堂
 
 1903(明治36) 

 品川弥次郎の寄付で出来た建物。
 「奇兵隊日記」など明治維新の資料を収蔵
。 


 




 進々堂

 1930(昭和5)

 ステンドグラスは松の意匠。
 カルチェラタンに感動したオーナーが日本にも同じよ
 うな空間が欲しいとオープンさせた老舗パン屋。
 京都で初めてフランスパンを提供した店

 湯川秀樹も立ち寄ったらしい。

 
 今は京都市内のあちこちに支店があります。
  お値段良心的、味はgoodです。








 進々堂店内

 樫の一枚板の、10数人で取り囲むような大型テ
 ーブル。 シンプルなベンチ。
  本を読む人、レポートを書く人、話をする人・・・
 
 同じテーブルの向こう端には、一言も喋らない若い
 男女。どうしたのかな?
 長い長~い時間がたって、いつかまたここへ戻って
 来た時には、きょうのことをきっと懐かしく思い出す
 はず。
 いろんなことがあってこその人生。人は還らなくとも
 場所さえ残っていれば思いはいつもあの日に・・・
 おばさんになればそのことが分かる。
 
 だからね、年をとるのって面白いのよ。




                             



                
         



 
 中庭のテラス 木陰が涼しげ





            
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京都(激安)感動旅行2006年

2016-09-03 | 京都たびたび

京都(激安)感動旅行


 美山町萱葺き集落/トロッコ列車/嵐山日帰りの旅 
                             10/3


 ホームページを始めた頃、京都の奥、美山町萱葺き集落を知った。
 よさげなところである。行きたい、でも遠い。でも行きたい。
 京都の息子に頼むが、「遠いよ」とあっさり却下される。
 普通に走って90分、夜中にぶっ飛ばして45分くらいだそうな。(ぶっとばすなよ)  
 京都からのバスは途中乗り換えて二時間半くらい。どうやら桃源境のようなところらしい。

 ならばと盛りだくさんのバスツアーに。昼食つきで
広島から5,980円と激安
 ありがたや。



蕎麦畑、ポスト、お地蔵さん、そして立ち並ぶ萱葺民家。伊勢神宮のような古式ゆかしい千木が格調高い。






まるで「にっぽん昔話」のような眺め





葺き替え工事中。萱を積み重ねて切りそろえて、全部手作業らしい。





こちら民族資料館。内部を公開し、昔の暮らしの道具を展示しています。077-77-0578 月曜休み


長い間の念願が叶い嬉しかった。集落は思ったより小さく、映画のロケセットのようにも見えた。
今の時代にこんなものが残っているなんて、殆ど奇跡。


これらの民家の木材や屋根材は村の共有地から調達、手間はお互いの助け合い、とお金をかけず家を建ててきた伝統があるとのこと。
かってはどこでもしていたことだが、今では希少。周りの景観と無理なく溶け合い、豊かな暮らしぶりが印象的だった。

嵐山では、各自で観光。私は俳優大河内伝次郎の別荘、大河内山荘へ行った。
30年間の映画の出演料の殆どを注ぎ込んだという。

手入れの行き届いた二万平米の庭園、屋根の形がそれぞれ違う日本家屋、
京都市内や保津川を眺められる好立地。入園料は抹茶つきで1.000円と激高。
しかしそれだけの価値はあると思う。贅沢な気分に浸れます。園内には料亭もあり。

屋根の形に変化があって面白いと思う。大河内伝次郎自ら設計したという。洗練の極み



緑陰の小径をたどる。心も和風に。




久し振りの薄茶、おいしかった



山荘内で昼だけ食事が出来ます。う~~む(汗)



山荘からの眺め
左から衣笠山、双が丘、奥は比叡山と大文字山


 京都の街中は観光せず、西大路からR1、京都南IC経由で広島まで。 
  コンパクトで盛りだくさんな旅行だった。
いやはや



 

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京都近代建築/最終章

2016-09-03 | 京都たびたび

  京都近代建築/最終章

 京都 近代建築の旅 最終章
 
子供が京都の学校へ入り、上洛する機会が多くなった。

戦災で焼かれた広島に比べ、京都は古いものがよく残っていると思う。
が、寺社にしても近世のもの。街の建物は明治以後、西洋文化を取り入れた時代の遺産であるらしい。

震災にも戦災にも遭わず、戦後の経済成長とも違う道を歩んだ京都。
伝統的日本がどのように西洋近代を取り入れたか、街はさながらその博物館のようでこの四年間、街を歩いて面白かった。

男の子は母親とは遊ばない。いつも電車とバスを乗り継ぎ、自分ひとりの修学旅行。
                          写真は全て2006/3/24撮影

 

  京都大学本部本館 1925(大14)   
・・・彼(武田五一)は、様式による装飾的要素を直線や幾何学で省略していくセセッションのデザインを得意としたが、まさに、この建物もセセッションの傑作として、簡素ながら大学の威厳を表現したものになっている。
                        
      (京都モダン建築の発見 淡交社より)




  志賀越道
荒神口から比叡山を越えて滋賀県にいたる街道は、大学の構内で一度消滅。再び本部の東側で現れる。
左右に振れる細い道、向こうは比叡山。いつの頃から人が往来していたのだろうか。


百石斎(旧・田邊朔朗書斎)   1917(大正6)頃
わずか21歳で琵琶湖疎水を設計した田邊朔朗は、のちに京都帝国大学で教鞭をとる。
これは彼の書斎として建てられた。最古の鉄筋コンクリート造りの個人住宅といわれている。
デザインは日本風、技法は西洋のもの。
吉田山の東側。彼は毎日吉田山の坂を越えて大学に通っていたのだろう。
歩いていける距離。木陰の気持ちいい道だが、彼は京都で埋もれてしまうことに鬱屈していたと子孫が書いている。

富田歯科医院          建築年代未確認
三条通寺町西入 現役の歯科医院。一階応接室をギャラリーとして開放。 
マントルピース、照明、鉛(?)枠のステンドグラス、ゴブラン織り造り付けのソファーなど。日本家屋に洋室を取り入れた古い時代の面影いっぱい。
玄関にはベンチが造りつけなのも医院建築らしい工夫。

    1928ビル(旧・毎日新聞京都支局)        昭和3(1928)年
昭和3(1928)年 毎日新聞京都支局として武田五一が設計。星は社章だそうで
それに合わせたリズミカルなベランダが人目を引く。
今はレストランやギャラリーになっているらしい。

             富士ラビット(旧・日光社)      大正14(1925)年
元は自動車の販売会社。今は牛丼屋のようだ。小さいが随所に工夫と遊び心のある建物。






ステンドグラスは車にタイヤ。花鳥風月でないところが面白い



セカンドハウス西洞院店(旧・村井銀行七条支店)  大正3(1914)年
だいぶ日も傾いてきました。重厚な柱はレンガの上から石を貼ったりしているらしい。柱もちゃんとエンタシスになっている。こちらもファストフード店に。

銀行は、丸山公園内の長楽館を建てた「たばこ王」村井吉兵衛の創設したもの。彼はどうもデコラティブなデザインが好みだったらしい。


西本願寺伝道院    1912(明45)
東洋風の意匠を凝らしたレンガ建築だそうで。
工事中ならいかんともしがたし。

番外 京都タワー、      懐かしき昭和の面影
町屋のカフェでほつこり癒されて京都観光したつもりになってはいけません。
京都駅前に異様な存在感を誇りながら、気がつけば長い間行かなかった京都タワー
ビルは少し古いですが、中には懐かしい京都があちこちに。

この前行ったのは約40年前、屋上で祖母や従妹と遊んだ記憶が。
旅行が苦手だった祖母を私が連れて行ったのだった。
町が変わらないことはとても大切。その場所へ帰ればいつでも昔がよみがえる。

  

     










京みやげ

卒業式限定の生八ッ橋(中味は普通の生八ッ橋です)


 
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新緑の古刹 2006年

2016-09-03 | 京都たびたび

 新緑の古刹 

こちらも10年前の記事。この年は特にあちこちで歩いたようで、山も登るし、まだまだ元気でした。

 

     新緑古刹

 お寺かあ。。。若い頃は大好きだったけど。。。。
 歳取ると、お寺のさまざまな営業努力が目に付いて興ざめである。
 寺の一つ、弟子の一人も持たないと言ったのは、現在の京洛に大伽藍を誇る浄土真宗開祖親鸞の言葉。
 しかし、お寺さんも霞を食べているわけではなく、広い境内の掃除だって大変である。

 悩みを抱えて寺の門を潜り、広い境内で考えるうちに行く方向が見えるとしたらそれも仏の縁。
 新緑の古刹を歩きながらそんなことを考えた。

                                                               2006/5/3~5/5







曼殊院の朝 5/5




曼殊院・庭のツツジ





関西セミナーハウス・裏庭 5/5




能舞台





茶室





石山寺  5/5





紫式部像・石山寺金堂 5/5




石山寺より見る瀬田川と琵琶湖  5/5



 

三井寺  5/5


琵琶湖と大津・比叡山より  5/4





 感想

近畿の有名寺院をまわり、庭の美しさを堪能した。昔の人もレジャーを兼ねてお参りしていたと思う。

初日、渋滞に巻き込まれ湖東三山は一つしか回れず。

また三日目、三井寺から出たところで地元のお祭りの車列に紛れ込んだ。飾り付けをした軽トラに仮装した人が乗り沿道に手を振る、住民も手を振ったり、写真を撮ったり。つられてつい手を振りそうになった私。

トラックには「大津mary」の額が・・・・大津mary?大津mary?大津maryって何だ?

どうやら大津maryという高層マンションの住民自治会が、地元住民とお祭りで交流しているらしい。お金をかけず手作りのイベントで楽しそうだった。上の写真の大きなマンションかもしれない。

                                            自治会のホームページ

           
          
 
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