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「うつ」にならない技術 奥村歩

2016-04-28 | 読書

ストレスの多い世の中である。また、私たちの世代は介護は卒業した人も多いだろうけど、配偶者との別れや老後の不安、病気の不安と考え出したらきりがない。

自分自身の体力も落ちてくる。

この一月あまり、あまりに体調が悪く、友人からはストレスから来るのではと心配もしてもらい、ふとこの本を手に取る気になった。

鬱の症状は不眠に肩こり、食欲不振、意欲の減退など。中ほどに簡単な自己診断のページがある。私の場合、疲れやすいのほかは大丈夫で、鬱ではないとの診断。やれやれ。

でもこの本の中の鬱を防ぐテクニック、参考になった。小さな目標を作り、それをやり遂げて達成感を味わう、周りの人に大切な順に優先順位を付け、何もかもと欲張らないなど。

体を動かしたり、日光を浴びるのもいいそうで。ネットやメールはほどほどに。それは人間の脳の限られた部分しか使わないそうで。

なるほど。と感想を又ここで書いている。。。体に悪いのかも。現在22:21、私的には寝るには早いけど、もう何も考えずに寝てしまおう。

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「海外パックツアーをVIP旅行に変える101の秘訣」 喜多川リュウ

2016-04-27 | 読書

マルセイユ空港 2014年3月 思いがけない飛行機のストに遭遇。思いがけない航空会社の飛行機で、予想もしない空港に降りる。。。。。旅は始まったばかり。。。。


著者は若いころから海外を放浪し、学生時代、既に添乗員を始めたほどの旅のプロ。旅行会社、カナダの観光局、欧州の航空会社に勤務の後、今は外国船クルーズのコーディネーターと、旅行業界の裏の裏まで知り尽くしていそうな人である。

その人の書いた裏技いろいろ、たいそう面白かった。要するにおとなしく萎縮していないで、自分から情報を集め、おかしいと思ったら遠慮せずに申し出て、たとえパックツアーでも自分で旅を作るくらいの気持ちで臨めば、いっそう楽しくなりそうである。

残り三分の一くらいはクルーズ船の旅のあれこれ。今のところ予定ないし、読まなくてもよかったけど、客船の旅がどんなものか分かってよかった。

派手なショーを見たり、カップルで乗り、ドレス着てダンスしたりするイメージで、私には縁がないと思っていたけど、今はカジュアルな船旅もあるし、10日くらいの旅行で、間の4日くらいを地中海沿岸をクルーズするのが人気らしい。それなら退屈もしなさそう。

うんと歳とった時の選択の一つに取っておこう。

うんうん、普段はチョー節約、たまに旅行。元気なうちにいろいろなところへ行きたいものであります。ばあちゃんの好奇心ははてもないようで。

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「人世に疲れたらスペイン巡礼」 小野美由紀

2016-04-25 | 読書

スペイン巡礼者のための宿の跡、目印のホタテ貝の飾り。2014年6月、フランス、ピレネー山中のコンクで。

この村もスペインに向けて、リュックにホタテの貝殻を付けた巡礼者が歩いていました。


1985年生まれの若い著者。就職してしばらくしたころ、パニック障害に陥り、会社に行けなくなったそうで、人世を見つめ直すため、一人でスペイン巡礼の旅に行ったそうで、その体験記ですが、巡礼の歴史や装備、宿のアドバイスなど、過不足なく網羅していて、たいそう面白い読み物になっています。

歩いたのはスペイン国境に近いフランスのサン・ジャン・ピエド・ポーから聖地サンチャゴ・デ・コンポステーラまでの800キロ、三回に分けて歩いたそうです。途中高い山も越え、ハードな旅ですが、道はよく整備され、途中の集落には必ず巡礼宿があり、相部屋の素泊まりだと千円くらいから泊まれるとか。

歩きながらいろいろな人と知り合いになり、夜は食材持ち寄って自炊して、楽しく情報交換、いゃあ本当に楽しそう。そして、各自それぞれの動機で巡礼をしている人から含蓄に富む言葉を聞いたり、ただ歩くことで、自分の心と向き合い、何が必要で、何が要らないのか分かってくるという。いわば心の洗濯ですね。

老人も歩いているとか。荷物だけは次の宿に送ってもらって身軽に歩いたり、ガイド付けたり、それぞれのスタイルで巡礼を楽しんでいる。

で、この巡礼、11世紀からあるけれど、ずっとすたれていて、1980年代から人気が復活したという。

1985年、2491人、2010年にはなんと272,135人がゴールの証明書貰ったそうで。

文明社会に疲れたら一度自分の足で歩いてみる、日本のお四国遍路に通じる魅力がありそうですね。

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「福島の原発事故をめぐって」 山本義隆

2016-04-18 | 読書

震災の年の夏に出された本。著者は科学史家、そしてあとは知る人は知り、知らない人は知らない経歴もある。

物理学の著書で大仏次郎賞を受けたこともある。

震災以後、いろいろな反原発の本が出されたけれど、これもまた専門的な立場から、日本の原子力発電が、国民を棚に上げ、政界、財界、学会が一体となって原子力政策を推し進めた結果の破たんと、立場は明快。

原子力政策の内容は私たち素人には知らされていない。こんなに巨額の事業は国の支援なくては出来ず、政策を決めるのにどのような力が動いたのか、また学者はそれをどのように裏学問的に裏付けたのか、それを知りえる立場にはない著者も豊富とは言えない資料を駆使して、明らかにしていく。

プルトニウムをためる。なんでそんなことするかというと核兵器に使えるからである。それに国産ロケットの技術が加われば、潜在的に核兵器を持つことになるという論。そして政治家は決してそのことを口にしないという種明かし。

まさかと思ったけど、そうかもしれないとも思わされた。

でなければ、未だ水で冷やし続けるだけで原子炉に近付けもできていない、天文学的お金と何万人もが故郷を追われて彷徨っている現状を無視して再稼働しようとする意味が説明できない。

原発の事故までは電力のかなりの部分、原発に依るので必要悪と私も思い込まされていた。

しかし、原発停止後、東京で計画停電ということがわずかな期間あったたげで、(これだって原発ないと大変だあというネガティブキャンペーンかもしれん)、電力は足りてるみたいだし、電気代が二倍、三倍に跳ね上がってもないし、この面からも原発推進の論理は破たんしている。

なあんだ、もともと発電だけなら原発なくてもよかったんじゃないのと思った。

推進したのは、この国を強い国にして再び戦争にも対応できる国にしようという考えの人たち。

アメリカもいつまでも日本の面倒見られん、自分でやれという流れになるだろうし、かといって安易に覇を争う競争をするのではなく、冷静にこの国の生き延びる道を探ってほしいもんです。政治家には。

福一作った技術者の話、そもそも地震でどのくらい揺れるかなんて計算してないそうで。文殊を作った各メーカー、設計時にコンマ以下の数字は切り上げるか切り下げるかまちまち、それで繋いでいる。全体が分かる人間はいないとのこと。

ナトリウム漏れも初歩的ミス。配管に付ける温度計の鞘をつった町工場の職工さんがおかしいと言ったのに、「原子力は普通とは違うからこれでいい」と通ったそうな。怖いですねぇ。

もんじゅ、壊すのも置いておくのもお金かかるけど、古くなった施設、やっぱり壊すしかないのでは。

原発の交付金がないと成り立たない自治体だけがネックだけど、一度事故が起こった時の国民的損失考えたら、その土地を救う方法はいくらでもあると思う。

要するにこの国の指導者は、プルトニウムを持っておきたい。それが再稼働への口には出さない一番大きい理由なんだと。薄い本だけど、分かりやすくかつ深かった。

時節柄申し訳ないですけど、暇ネタで。

先日の夫誕生日、風邪引いてたのであるもので夕ごはん。

カレー皿に卵一つ落としてほぐし、チンして具を載せて挟む。ケチャップで日付入れて出来上がり。うーむ、究極の手抜き。料理に不慣れな新婚さんみたい。と言うよりは、やっぱり年寄りそのものと自分で受けた。

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「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」 内山節

2016-04-15 | 読書

春の里山 2015年4月 広島県庄原市


 

著者の肩書は哲学者。新宿高校卒業後、独学で勉強し、今は東京と群馬県で半分ずつ暮らしながら、大学の教壇に立つ傍ら、田舎では釣りをする生活という。

日本全国、キツネに騙されたという話が残るらしい。たいていはうっかりしていると大事なものを盗られたり、人間に姿を替えたキツネにいたずらされたりというパターン。

それが1965年、昭和40年を境に聞かれなくなるとという。それはなぜか、それを考察したのが本書である。

ざっくり結論を言ってしまえば、産業構造の変化で、人は山や自然に依存した暮らしから、近代化した産業に生活の基盤を移し、山自体も懐の深い原生林、自然林から、二次林、造成林へと変わった結果、人間の方でキツネに騙されることがなくなった。と、私はそう読んだ。

なぜ1965年なんだろう。東京オリンピックの翌年、戦後復興も完成し、日本経済が高度成長期へと突き進み始める年。人の意識も大きく変わったということだろう。

私の祖母は明治生まれで、田舎の学問のない年寄りだったので、たいそう臆病な人でした。自分の狭い経験則の中でだけ生きていると、新しいことに対処できない。対処するのは言葉で考える力が基本。応用力のある知識を溜めておかないと、どうしていいか分からずにお手上げ状態。

曲がりなりにも近代的自我を身に付けた孫娘は、素朴で幼い人に見えました。「タヌキに追わえられて(われて)恐ろしかった夢を見た」とたまに言っていた。四国はキツネがいないので、本書によるとタヌキが化かすそうです。

でも今思えば、キツネやタヌキに騙されるのが、そういうこともあると信じているのが昔の人間は普通だったのでしょう。その時代は、自然に対する畏怖と同時に、自然をうまく利用してたくましく生きていく方法も人々は知っていたのでした。

面白かったのは群馬県の上野村では昭和20年代まで「山上がり」という相互扶助の仕組みがあったそうです。養蚕が主産業の村、生糸相場によっては生活が立ちいかなくなるものも出てくる。

そうするとその一家は村人に「山上がり」を宣言し、文字通り山に上がって生活する。味噌だけはたくさん持ち、山の中で自給自足の生活。他人の山菜、木の実、薪はとってもよく、川で魚も自由に採れる。一家の中で若い男性が都会地に出稼ぎに行ってお金を儲け、借金が返せたらまた再び村の生活に戻る。

とてもうまくできた制度だと思った。みんなが少しずつ、自分の懐のいたまない程度に助ける。そして、何よりも山の中で生きていける技術を誰もが持っていた。

また山入りという制度もあり、歳とって一人で山の中で暮らす。これも自然を友とし、緩やかな死に向かって自然と一体化する。

建築家藤森照信氏の「たんぽぽの綿毛」の中にも似た話があり、友人のおじいさんが山の中で仙人になって時々村へ下りてくる・・・昭和三十年前後の諏訪地方です。

歴史の針は逆には廻せないけど、自然に生き、自然の中で死んだ昔の日本人の姿も悪くないのかなと思った。

そうそう、私の母90歳によると、母の実家近くの山の中にも一人暮らしするおじいさんがいたそうです。なんかいいなあ・・・・

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「空き家問題ー1000万戸の衝撃」 牧野知宏

2016-04-12 | 読書

昨年四月、ドイツ、ザスバッハバルデンで。暮らすには快適な家に見えました。


 

空き家が増えている。我が町内にもちらほら、賃貸ビルも古いのは埋まってない。

日本全体が人口減少する時代に向かい、それでもマンション、戸建ては増え続けているので単純に考えても、古い、人が住まなくなった家から空き家になって行く。売れないし、借り手もない。

昔なら三世代同居は当たり前、家が余ることはなかった。国の政策が高度成長期以後、住宅を増やして景気を刺激するものだったので、ついにその付けが回ってきたのかなと私は思う。

この本を読んで思ったのは、個人的には不要な資産を整理し、身軽になること。制度としては、都市や市町村の機能をコンパクトにまとめ、社会インフラの負担を少なくし、都会も地方も快適な暮らしができて、若い人が安心して仕事をし、子育てのできる社会にすること。

著者は三井不動産に勤務し、都市の再開発に携わってきた経験から、ある程度は私権も制限しつつ、大胆に使えない不動産を価値あるものへと組み替える必要があると説く。

一部はうなずけるし、そうできる地区も確かにあるだろうけど、個人の家もまとめて、一人暮らしの老人達が一つの家で助け合って暮らすという提言はちょっと首をかしげた。歳とると自分の気持ちをコントロールすることも難しく、性格は純化されます。いい人はそれなりに、我儘な人はいっそう我儘にグレードアップして、そこで上下関係もないとしたらうまくいくはずがない。

お互い家事能力のある姉妹が連れ合い亡き後一緒に住む・・・くらいしか想像できない。

空き家は今後も増えると思う。自治体に無償で寄付、私なら要らない不動産はそれでもいいけど・・・無理だろうし。

ことほど左様に空き家問題は解決が難しそうなのでした。

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「私の1960年代」 山本義隆

2016-04-10 | 読書

久しぶりに300ページ以上の本を読んだ。

著者は約50年前の東大闘争時、全共闘議長だった人。当時、理学部物理科博士課程在学中だったが、活動が終息した後、東大から去り、長く駿台予備校の講師をしてきた。

また哲学や科学史の著書も多く出してきたが、回顧談のようなものはあえて避けて来たとのこと。この本を出すきっかけは2014年に山プロジェクトでの講演録を出版しないかと持ちかけられ、二つの安保闘争の十年間、大学管理法反対闘争から東大闘争までの一学生の歩みと経験を文字にするのはそれなりに意味があるのではと考えたからとのこと。

一読して思ったのは、この五十年間全然軸足のぶれていないひとだということ。若気の過ちとして忘れるのではなく、それが自分と世間にとってどんな意味があったのか、ずっと考えて来た人であったこと。

そして闘争にかかわった者の責任として、膨大な資料集を作り、国会図書館に寄贈して、歴史として残るようにしたこと。これはほとんど自腹だったそうです。

内容は1960年の安保闘争から始まるが、多くを割いているのはやはり1968年、夏前の医学部不当処分から始まる東大闘争のこと。それと東大の理科系学部が明治以来一貫して、国策に協力し、そのもとで学問してきたことを批判を込めて辿っている。

医学部不当処分は私もリアルタイムで記憶にあるけど、研修医制度の矛盾点を教授と話し合おうとして小競り合いになり、学生側の事情聴取なしに退学処分にしたこと。その中には当時旅行中でその場にいなかったものまで含まれていた。

東大医学部の教授会はその処分を撤回しなかった。それがきっかけである。

「疑わしきは罰せずは法の常識ではあっても、わが東大医学部では通用しない」と医学部長は言ったそうな。

ずいぶん後で、自分たちの過ちを認めたら責任をとらないといけないのでそのままにしたと処分を下した教授会の関係者が言ったそうである。

当時19歳だった私は、東大の教授って、ものすごく権威主義なんだなあと思ったのを憶えている。

この本で意外だったのは、山本氏は過激な闘争家というよりは、気長に調整をするバランス感覚の持ち主だということ。そうでなければ寄り合い所帯の全共闘の代表は務まらないだろう。

知らんふりして嵐の治まるのを待ち、静かになった大学に戻って勉強する・・・大部分の学生はそうしたのだけど、深くかかわり、矛盾と退廃を見てしまったあとでは、自分の戦いを自分で決着つけるために、それがどういう意味があったのか、考えずにはいられない。

闘争は短い期間だったけど、その後の著者の生き方はやはり、科学と政治のかかわりとか、在野で研究した成果を世に問うとか、自分で自分のしたことに責任を取っていると思う。

東大闘争というと半世紀も前のことで、私の学生時代だと第一次大戦のころ、完全に歴史に属することである。

しかし最近はこの国は、再び戦争をする国へ逆行しているので、昔こういうことをした人がいたのを知るのも意味のあることだと思う。

当時の本各種、殆ど捨てた。今回読んで思い出したこともあった。朝日ジャーナル、現代の眼も廃刊になって久しい。

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瀬戸内国際芸術祭始まる

2016-04-06 | 旅行

 

http://setouchi-artfest.jp/

二年に一度、香川県の島々で行われるようです。

新進の作家による前衛芸術を展示、無料で見て、人を呼び込み、島を活性化させようという試み・・・と私は理解しています。

島の暮らしはそれぞれ個性的で、閉じられたコミニュケーションの中には古き良き時代の俤がしっかり残っている。そして海に面しているだけに、外来者には元々開放的で友好的。各地で新しい出会いがたくさん生まれることでしょう。

こちら高松港の広場に展示。木造船の廃材で、船のカーヴを生かして巣穴のような閉鎖空間を作っています。

中にはドラが一つ、打つといい音が響きます。

台湾の作家の作品。同行者がいて、タイトル見損ねました。残念。

昨日の会話。いろいろ身辺の重い話もするうちに、

「クリシチャンなのに信じられん」

「そりゃ、クリシチャンでもいろいろいるでしょ。仏教徒もいろいろいるように。ヨーロッパ行ったらみんなクリシチャンだし」

などと。

クリシチャ=清廉潔白

仏教徒=慈悲深い

イスラム教徒=テロリスト

などと思い込むのは短絡過ぎて危険ということです。人様のことはともかく、仏教徒的習俗に馴染んでいる私は決して慈悲深くないですもの。

たいていのことは受け入れるけど、我が家のガレージでフンする野良猫にまで優しくなれない。先日ウッカリ踏んだようーーーー 


 

きょうは朝から断続的に寝るばかりしている。いつのころからの疲れがたまっているらしく、いくらでも寝られる。

先月半ばからひどい肩こりに悩まされているけど、ぐっすり寝てきょうは少し良くなった。

遊びもほどほどに、というサインなのかもしれない。自分の体の存在を疲れで意識するってことも初めての経験。あの若かった私も、ようようにして歳をとるという未知の領域へ。

何があるのか、そこで何を思うのか、見たくもあり、見たくもなし。

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十二単を着た

2016-04-05 | 日記

十二単を着られる施設、こちらです。

http://www.pref.kagawa.jp/kmuseum/shoukai/floorguide/taiken.html

長袴は省略、小袖は上半身だけ。あとは正式です。

着物はあらかじめ表着と打衣、五衣と単を別々にセットしていて、二回に分けて羽織り、あとで唐衣、裳と着ける着方です。

職員の方が着せてくれます。

 

裳を着けます。

これから裳を広げます。

長いです。波に松の模様と決まっているようです。

出来上がり。これは四月からの春の組み合わせだそうです。季節ごとに色目の違うセットを準備しているとかで、広島から長袴持参で何度も着に来る若い人が入るそうです。

その人は自前の十二単を持っている・・・・って、どこのどなたでしょう?会ってお話色々聞きたいものです。

その他にはお花見と美術展鑑賞、夕方解散。楽しい一日でした。

引き腰の一枚が裏返しで残念、今度また着てみたいものです。

 

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「古都」 川端康成

2016-04-02 | 読書

2007年10月、息子の車で高雄に向かう。まだ青紅葉。


この作品は1961年から62年にかけて朝日新聞に連載され、新潮社から単行本として刊行されたもの。

京都中京の呉服問屋の一人娘千重子は、店の前に捨てられていた子供で、双子のもう一方の娘苗子は両親ともに既に亡くし、高雄で、山林地主の家に住み込み、北山杉の丸太磨きの仕事をしている。

ひょんなことからその二人が出会い、姉妹としてお互いに認め合い、千重子の店の下請けの帯職人から苗子は求婚されたりするが、身代わりではないと断り、一緒に暮らそうという千重子の申し出も断って、苗子は早朝の京都の街を高雄へと帰って行く。。。。

先日読んだ「京都の歴史を歩く」に、この本で京都の暮らしや行事が分かると紹介されていて読む気になった。

さすが大文豪にしてノーベル賞作家、文章はあくまでも流麗でかつ無駄がなく、それぞれの人物がくっくりとよく造形されている。京都言葉も心地よく、京都の観光案内にもなっている。

作家は京都に逗留して、周りの山や空の色、冬の寒さや夏の暑さを肌で感じながら、この作品を描いたのかもしれない。

古都の題名通り、古き良き京都をよく定着していると思った。

しかしながら、今の時代から見たら首をかしげる場面もいくつか。

まず千重子は高校卒業して、店を手伝うでもなく、仕事に行くでもなく、たまに家事の手伝いしたり親のお使いしながら、学校時代の友達と高雄に遊びに行ったりして生活している。

当時のお嬢さんはこんな感じだったのかもしれないが、半世紀過ぎた今から見たら、ものすごく退屈そう。

千重子の父親が、下請けの帯を織る職人を殴る場面も、もうびっくり。理由は帯の下絵を褒めなかったというそれだけの理由。親の居る前で殴って、親も本人も抗議しないばかりか、千恵子の父親も口先では謝るけど、歳とったので手が痛いとぼやいたりする。

いきなり他人を殴るって・・・ありえんやろ。

それとも昔の京都の問屋ってそのくらい威張ってた証。職人とは主従関係。今となれば貴重な場面。

それに捨て子。赤ちゃんだろうと何だろうと、持ち主不明のものはすぐに警察に届けないと。何か事件がらみかも知れないし。

嫡出子として届けたってあるけど、戸籍上は実子にしたということかしら。それはいくらなんでもまずいのでは。

なんかもう、日本昔話みたい。

とまあ、今の時代には違和感抱く場面も少しあったけど、古き京都の、宿命に翻弄される川端好みの女二人、よく書けていると思った。


高雄へ行くのに乗ったのは、小説の中では国鉄のバス。私はこれ。中出しインタークーラー撤去跡????

通りがかった若い二人連れ、男性の方が思わず吹き出し、見なかったことにして通り過ぎた。

えっ、これに乗るのと思わず後ずさりする母=私。

古都とは何の関係もない話で失礼しました。車が京都ナンバーというただそれだけのつながり。平にご容赦を。

下品な画像、平にお許しを。昨年この車がヤフオクで120万で売れたと喜んでおりました。

神戸の会社社長さんが、キャッシュ持ってはるばると自宅まで買いに来たそうです。もう、びっくりです。

川端康成先生とは何の関係もない話となりましたが、この作品は山口百恵主演で昔映画になりましたよね。

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