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日帰り旅行でした

2016-05-29 | 旅行

県人会の旅行です。

一杯目。JR坂出駅近く、めりけんや。高松駅近くにもあり。

掛け小、揚げとサラダは自分で選ぶ。500円ちょっとだった。JAFカードで割引あり。

お味はすっきり洗練されていて、讃岐うどんのスタンダード。

店のポスター。俳優 要潤(字はこれでよかったでしょうか)氏は香川出身。こんなタイプの人、昔はいなかったと思う。時代は変わった。

続いて元農家のうどん屋。納屋を改造した店。食べられないので、友人と外を散策。

常緑のキスゲの仲間。

続いて製粉所へ。小麦作っています。


 

続いて山の上の札所へ。

曇りで涼しい日でした。

石段

奥のお堂

若葉も緑を増しています。

保元の乱で敗れた崇徳上皇の墓所の遥拝所。この先立ち入り禁止。

西行がこの地を訪れて詠んだ歌と、その謂れ。山家集、所収でしたか。

西行の古い石像。讃岐は都を遠く離れた流刑の地でした。

勢揃い。なんかご利益ありそう。


帰りのSAで。福山近くの八幡だったかな。福山はバラで町おこし。

大輪

小さな花も。

盛りを少し過ぎてるようですが、充分きれい。

こんな花なら作りやすいかも。

アンネのバラのような色あい。


 

お土産各種。買ったのはビニール袋入りのうどん玉だけ。あとは工場見学のお土産に、バスの中でのじゃんけん大会の景品。土産物屋で、私と友達以外の他のみなさん全員がお買いものして、おまけにいただいたのもあります。

団扇は香川県庁秘書課の方が、お休みなのにわざわざ坂出まで来て、くれました。恐るべし、県人会。そして香川県。

今回も友達としゃべり続けて、楽しい一日でした。高校時代のあれこれ、忘れていたこともお互いの記憶をつなぎ合わせるとおぼろげに浮かんできます。あの日からはるばると年月は経ったもの。しみじみ。

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「大世界史 現代を生き抜く最強の教科書」 池上彰・佐藤優

2016-05-11 | 読書

以前の新戦争論に続き、博覧強記なジャーナリストに作家が、現代人が歴史を知る必要性を世界情勢を踏まえ縦横無尽に語りつくす。

複雑な、現代につながる歴史をわかりやすくまとめ、新書ながら濃い内容の本だった。

歴史を知らないと今の自分の立ち位置が分からない。ビジネスマンも、主婦も、危機に遭遇した時、過去から学ぶ代理体験があればそれを乗り越えることができる。誰しも勉強大切、特に世界の歴史を知ることは今の暮らしに大変役に立つというのがこの本の立場。

うんうん、と深くうなづくところがあった。私達の世代で、嫁の愚痴言ったり、被爆者の悪口言ったり、要するに自分と立場の違う人に理解が至らない人は、多分教養が足りないのではなかろうかと思うわけです。

被爆者が恵まれていると悪口言う人がいますが、被爆者の訴えがなかったら、世界のどこかでまた核兵器が使われていたのではないかと愚考するわけです。その心は、被害を言えば言うほど、威力の宣伝になり、仇おろそかには使えない、持っているだけで、持たない国より優位に立てる。そう学んだのではないかと思います。

核廃絶は私の生きている間は無理だと思う。その先でもわからない。がしかし、割と高い確率で使うことはないのではないかと思っている。リスク高すぎ。ただ怖いのはヒューマンエラーのみ。


中東世界はこの本読んでもよく分からない。アラブと言うと、サウジアラビアも、トルコも、イランいっしょくたに日本人は考えるけど、宗派も違うし、言葉も違うし、とても一括りにはできない地域。

利害関係が複雑に絡み合い、強国がこの地域にちょっかい出すけど、やることは支離滅裂。その隙間を縫ってイスラム国などもできてくるわけで、次はアジアで第二のイスラム国ができるかもしれない、イスラム国が核を持つようになるかもという本書の警告は、戦後社会の枠組みが大きく崩れつつあることを改めて認識した。


日中韓の歴史教科書比べ、これは面白かった。日本と中国はそれでも唯物史観の残滓が残っていて、筋が通ってといるけれど、韓国の近現代史は、日本の天皇を狙ったテロリストの記述が延々続くそうな。まるでテロリストが歴史を動かしているような。

むしろ北朝鮮の方が、抗日運動→建国と国家の成り立ちを肯定しやすいそうな。

また中国は反日の内容はなく、ただ単に第二次世界大戦はファシズムに対する正義の戦争であるとし、連合国としてそれに勝利した自負を感じさせる内容であるとか。

国際連合は外務省の苦心の訳、United of nationsは第二次大戦の戦勝国の連合のこと。戦勝国が決めた世界の枠組み、それを具体化したのが国際連合。だから日本もドイツも常任理事国にはなれない。なるほど。


アラブは難しいです。言葉がよく分からないし、国がどこにあるかもよく知らない。昔、学校で人様にものを教えていたのに、すっかり忘れてしまってお恥ずかしい限りです。

ヨーロッパー行くと、街に普通にアラブ系の人がいるし、女性で、頭を覆っている人もよく見かける。その人たち、みんなテロリストではなく、2012年秋、私はミュンヘンのスーパーで、アラブ系の年配女性にどうぞと順番譲ってもにらいました。

狭い日本の中で、アラブ怖いと言っているだけでは物事解決しないのかも。アラブの人たちがヨーロッパへ行くのはもう民族大移動みたいになっているらしい。止められませんね。

世界中が新たな秩序に向かって、しばらくは犠牲も出すような試行錯誤が続くのかも。人間どこででも生きていける技術や知識と、その基礎となる語学が必要。どれも私には欠けているものです。

東洋の片隅で、小さな喜怒哀楽の波に漂いながら人生を終わるのがわが運命かとも気が付きました。

願わくば大きな戦争に地震、小さな災厄も遇わずに過ごしたいものでございます。

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上下町へ行く

2016-05-04 | 旅行

今日はこちらへ行きました。広島県府中市上下町です。尾道から北へ、中国縦断道尾道松江線の世羅IC降りて20分くらいです。

山陽山陰を結ぶ交通の要衝にあり、江戸時代は天領として栄えた町。江戸末期金融業者が33もあり、現在も造り酒屋の跡など、古い街並みが残っています。

また明治期、自然主義文学の嚆矢、田山花袋の蒲団のモデルになった女性の出身地でもあります。

娘を、文学の勉強のために東京へ遊学させる。山間の町ですが、裕福で、進歩的な土地柄でもあったようです。

リサイクル

長座布団

アールデコ風

もう廃業したらしい

理髪店

節句飾り。重森本店酒造資料館で。

重森本店酒造資料館。古いものが無造作にたくさんあった。

車の輪、箕各種、モーターなど

ランプ 本日は骨董市でしたが、値段のついてないものもたくさん。言えば売ってくれたかも。

毛糸やさんは昔、お菓子屋だったそうで。

古い文書色々。後ろは行事毎、季節毎の和菓子のデザイン帳。

ナマコ壁はどこの家も七宝柄。華やかな印象。

町並みの外れにある芝居小屋、翁座。のちには映画館としても使われたそうです。

ガイドボランティアの方の案内。

川は山陰へ向かって流れます。町内に分水嶺があるとのことです。

パン屋さん。横でパン製造とレストランをされているようでした。


 

車で町外れの翁山へ登ります。離合のできそうにない狭い道、焦りましたが、幸い出会う車はありません。やれやれ。

頂上の東屋。

展望台から上下の街並みを見下ろす。山に囲まれていることが分かります。

戦国時代、山城があったそうです。


 

同じ広島県でも、この付近は未踏の地でした。世羅高原のチューリップ畑などが今日は賑わっていたようです。こちらは歴史散策。人も多くなく、車はJR福塩線上下駅前に無料で停められました。

のんびりとしたいい街でしたが、人は都会的で、誇り高い土地柄のように思いました。天領ってだいたいそうですよね。

 

本日のお買いもの

膾皿一客1,500円を値切って1,200円に。

デッドストックの子供茶碗はポルシェのスポーツカー柄、50円。三男がポルシェ好きなのでつい買ってしまった。

今度帰省したらご飯これで食べさせましょうか。反応は予測不能。

 

コメント (2)
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「読書の技法」 佐藤優

2016-05-01 | 読書

筆者は元外務省主任分析官、2002年、背任と偽計業務妨害で逮捕され、2009年最高裁で執行猶予つきの刑が確定して失職、以後は著述業に転身し、現在まで著作をたくさん出している人。

鈴木宗男氏の事件に絡んで逮捕されたと私は記憶している。外務省ではノンキャリ、どういういきさつでそうなったかは別の本に詳しいと思うけど、今はその気力がない。

この本の持つパワーと毒に当てられ、ここまで人は勉強しなくてはならないのかと息苦しい。

ということは基本に踏まえたうえで、この人のまっすぐ突き進む姿勢は立派だと思う。分析官と言う仕事はものすごくたくさんの情報を処理し、瞬時に判断しないといけない場面も多々あったと思うので、能率的な本の読み方は大変参考になった。

歴史は高校の教科書と参考書が大変よくできているそうで、日本史も世界史も過不足なく書かれている。補助としてよく売れている学習参考書を読めばいいそうで。よく売れているのは市場に淘汰されている証拠、この二つがあれば今の世界情勢も理解が深まるとか。

私の立場からすれば今さら仕事はしないけれど、これからどう生きていくかということを深いところで支える自分の立ち位置の確認ということでは無駄ではないと思う。

それから、歴史小説で歴史を学んではいけないというところは大いに腑に落ちた。例えば司馬遼太郎。読み物としては面白いけどと言うか面白くするために作り話を入れることもあるので、娯楽として読むにとどめるべしと。

そうか、昔、司馬遼太郎を一冊読んで、たぶん街道のシリーズだったと思うけど、何とも言えない違和感はこれだったのかと、やっと腑に落ちた。小説ならそうと断ればいいのに、限りなく史実と紛らわしい書き方。これからも私は読まなくていいのだと思った。だいぶ前の「坂の上の雲」ブーム、ブームが過ぎるのをひたすら待っていた私。

このほかこの本の決め台詞色々。「」内が引用

「本はまず真中を読んでみる。」真ん中付近が一番弱い部分だからとのこと。

「経済的に許す範囲で、書籍雑誌は迷ったら買う。」その方が自分の中に定着して結局は得であるとか。

「どんな優秀な人も学力に欠損部分がある。」それを自覚し、高校程度の学力をまんべんなくつけると、「教養書はもとより、標準的な学術書も消化できる」とのこと。

「歴史小説は対象を客観的に理解することを妨げるステレオタイプな偏見が身につく危険性が高い。」

5.15事件はテロ、2.26事件はクーデター。「クーデターは国家機関が(それに属する人間が=私の解釈)権限を越えて暴力を行使する。いずれも最大の暴力機関である国家によって封じ込められる。そして、国家の暴力によって社会が窒息させられてしまう。」

1930年代の歴史を振り返ることで、「官僚による世直し」の危険性を再認識できることができる。

その例として、某航空幕僚長の論文問題、海上保安庁の職員の、尖閣列島衝突事件のビデオ投稿を上げている。そうですよね。いずれも公務員としての服務規定を逸脱して、主観で動いている。日本の閉塞性を打破するのは実力行使しかないという意識がたかまってくるのを筆者は恐れる。

広島のことで言えば、原爆記念日当日、平和公園至近で過去に何回も、その人を呼んだ集会があった。他の論者もみな、日本は核武装すべしという内容。

講演会は呼ぶ人がいるから開けるわけで、主催したのは広島と近辺在住の人のある集まり。

演者は後に愛人問題が明らかになり、選挙違反で逮捕され、現在は公判を待つ身。呼んだ側がどう自己批判したのか、寡聞にして知らない。

おまいら、頬っ被りしてないで自己批判しろ。その検証なしに、これから世間に向かって偉そげに言うな!!と私は言いたいです。あの方たちは偏った、科学的でない歴史認識に凝り固まり、それにしがみつくことでしか、自分の存在感が確認できないかわいそうな人達だとしても、悔い改めるにいつだって遅いということはない。

話それましたが、まんべんなく知識を付けることの大切さを再認識した本でした。そして何よりも時間が最も大切な資源であり、有限であると。若い人ならいざ知らず、この私、のんべんだらりと過ごしている場合ではないと思い知りました。

 

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