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志々島を歩く

2015-03-25 | 旅行

乗船客7人は志々島に下り、乗る人は誰もいなくて船は四国本土へと向かいます。

桟橋降りたところの案内板。

診療所の医師は常駐ではないのかも。

あとで知ったけど、フーテンの寅さん寅次郎の縁談はこの島で撮影され、甥の満男がこの診療所の看護師さんと仲良くなるという設定。きょうは看護師さんもいないようです。

崩れた廃屋。

細い路地を歩いていきます。廃屋多数。

お寺もすでに無住。人の気配がほとんどありません。寺の境内に墓石あり。

見晴らしのいいところまで上がってきました。向こうは三豊市詫間町です。

写真で気が付いたけど、小人の国に見える小さな家並みは島独特の詣り墓。家のすぐ近くの墓地です。

山の中腹には埋め墓のよく見る墓石も並んでいます。。

二つの墓地は土葬した時代の名残。すなわち、遺体は人里離れた山や海岸などの場所に埋め、お参りは家の近くの便利な場所に。火葬が一般的になっても、骨壺を入れない墓を別に作る。この両墓性は、瀬戸内の他の島にも一部見られるとか。(2020/9/28追記)

急な山道を登って、また急な坂を少し降りたところの谷あいに、北に向かってクスノキはあります。

お祀りしています。

上から見たところ。周りはウバユリの群落。夏の終わりの花期には見事でしょう。

説明版

奥の道から展望台に上ります。

沖行く船に呼びかけたい。春の海。

再び集落へ戻ります。閉店した店。

港の近くに墓地はあります。

手が込んでます。高さは約50センチ。ガリバーになったような不思議な気分。元々は葬式に使った道具を納めた死者の家とのこと。

簾を懸けて中には湯呑、御飯茶碗が置いてあります。

最近のお墓は、奥のように新建材でできたものも。

港近くでいろいろな写真を展示してありました。これは20年くらい前の島の様子。山を開いて畑があることが分かります。

暖かな気候を利用して花を作り出荷していたようです。

旅で知り合った東京の大学生に、昔は1,000人、今は20人しか住んでいない。誰もいない集落も見てきた。この船便がなくなるのも時間の問題と教えてもらった。すっきりとした顔、長身の知性溢れる学生さんでした。瀬戸内の島に興味があって、今回で三度目の島めぐりの旅をしているとか。今回は姫路から家島諸島、直島、男木島、女木島、塩飽、粟島、志々島、高見島・・・とたくさんの島を廻るそうです。

昔の村祭り、学校の運動会などの写真も展示。共同体が消えていくのを見るのは切ない。ましてや関係者に置いておや。

どこかの家から大きなテレビの音が聞こえてきました。それだけが人の気配。

映画ロケの記念パネル。その他に機関車先生も。島の人たちは宿泊、食事、エキストラ出演と協力したそうです。

20年前にはまだ共同体が機能していたのでしょう。全国津々浦々、こういうところが増えているのでしょう。

ちなみに大学生は志々島がいちばんよかったとのこと。

はまゆう?の根元に海にさらされた木切れが落ちいてます。記念にいただいて帰ります。

志々島の紹介はこちらhttp://setouchikurashi.jp/island/info/shishi/

夕方まで直通の船がないので、再び粟島に戻り、ルポール粟島で遅い昼食。

うどん300円でお茶、水、コーヒー、紅茶飲み放題。コーヒーもスタバよりずっとおいしい。うーーーむ、これに勝るもてなしなし。ちょっとせこいと思いつつ、最後の感動。

サヨナラ、二つの島と島で出会った人たちの笑顔。

I will return as soon as possible。以前京都へよく行っていたように島フリークになりそうな予感。ヨーロッパフリークにはなりたくない。お金が持たん。

前回の島旅http://blog.goo.ne.jp/kawashima134/e/8453ab98244fdfa53f0f3c105c82555e

前々回の島旅http://blog.goo.ne.jp/kawashima134/e/6063518d726229971ddb0834571cda3d 

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「街場の戦争論」 内田樹

2015-03-13 | 読書


読みかけの本があるのについ買って、そして読んでしまった。心の中にわだかまり、うまく言葉にできなくてもどかしく思っている気持ちにうまく道筋を立ててくれる本。何よりも分かりやすい。

でも読後感はさわやかとかすっきりとかではなく、限りなく暗い気持ち。どうしたらいいのだろうという不安と焦燥。この本では分析は納得できることが多々あったけど、これからどうしたらいいのか、その答えは不十分。それは一人一人が自分の置かれた場所で考えるべきことかもしれない。

憲法の九条が、戦後日本の平和と繁栄を支えてきたか改めて思った。これからもこれを守っていくしかないのだと改めて思った。

戦争したいのは、世界で目立って立派な国に見せたいのは、半分はあの方の個人的趣味。あと半分はそうしないと経済が回って行かない日本の現状。

この本のどこをどう読んでも、これからは希望が見えない時代になるのだと思わされる。で、だからこそ私も肝が据わったかもしれない。うーーーむ、どうやってでも生き延びよう。

勇ましいスローガンなんかに騙されないで生きていこう。

この本は昨年の出版、しかし、パレスチナで日本がアメリカに加担すると必ずや日本人はテロの標的になるとある。不幸なことにその予想は当たってしまった。その部分を読んで慄然としてしまった。アメリカに追随するのはそろそろやめてもらいたいもの。それはなにも強国になるということではなく、原爆と原発、二つの災禍をこうむった国として、日本にしかできない平和貢献があるはず。しみじみとそう思った。

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