ブログ

 

「薄情」 絲山秋子

2016-03-26 | 読書

大学を出で実家のある群馬県に戻り、親戚の神社を手伝いながら、夏は高原野菜の取り入れをする主人公宇佐川静生。

東京から移住してきた木工職人、鹿谷の工房に行くうち、そこに集まる人と言葉を交わすようになる。

高校時代の後輩の女の子は名古屋から帰っているし、温泉のアルバイトで知り合った女性とはいい感じで付き合っている。

深くかかわらず、かといって拒否し合うでもない人間関係が淡々と描かれ、今の時代の空気感というのがよく出ていると思った。

群馬県の地名、道路がよく出てくる。著者は運転上手らしく、会社勤めの時はカローラの営業車に乗っていたと何かのエッセィで読んだけど、この地方の人なら、小説の舞台がくっきりと浮かび上がってより楽しめると思う。

淡々と話が進むように見えて、やがて工房は不審火を出し、部室のようにして集まっていた人たちも散り散りになって行く。恋人と思っていた女性は婚活して、より条件のいい人にあっさり乗り移る。みんな薄情だなあ・・・・と私は思う。

宇佐川は家に帰る気になれずにドライブの途中、高校生のヒッチハイカーを拾い、白河インターまで送って行く。

田舎者ならそれでいいじゃないか、自分を自分が認めずにどうやって前に進んでいけるんだ・・・字にすると固い決意のようになるけれど、小説の中ではもっとソフトな言い方で、主人公の未来が予測される。

一人の心の襞にしっかりと寄り添い、生き方をたどって行く。一見地味に見えるこの作品は、読む人の心を照射し、新たな気付きを与えてくれる。読んで損はなかったです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「京都の歴史を歩く」 小林丈広 高木博志 三枝暁子

2016-03-15 | 読書

岩倉実相院 2005年9月


同志社、京大、立命館の日本歴史の先生方が、京都市内外の15のコースを案内するという体裁の本。

歴史の専門家にかかると、重層的に積み重なった京都の歴史が明らかになり、今、私たちが「京都らしさ」と感じているものよりもずっと複雑らしいことが分かる。いろいろな勢力が、この都市と関わってきた痕跡が、よく見るとあちこちに残っていて、それを訪ねるのは面白いうなと思った。

京都は近代になって整備し直され、また戦後の高度経済成長時代に、観光都市として飛躍的に発展した街。今見えているものは案外浅い歴史だったのが分かって意外だった。

この本で新たに得た知見、花街はおもてなしだけではない歴史があること。明治になって整備された京都御苑は、近代天皇制を知らしめる場所でもあったこと。そして、京都の伝統行事も近代になって多く復活されている。

葵祭が明治になって、復活されたのにはとても驚いた。源氏物語の昔から連綿と続いているとばかり思っていた。

嵯峨野、宇治の観光地としての整備は、物語をあたかも現実にあったことのように錯覚させて観光客を呼び込む試み。なるほど。嵯峨野は野宮神社や直指庵ではなく、何よりも二尊院。信仰の王道。

源氏物語や平家物語に引っ掛けて名所を復活させたり、整備する。人は想像力だけでは観光できないので、分かりやすい目印大切。見て納得する。

それを知ったうえで、騙されまいと歩いてみる。それもまた一興かと。京都を歩くのに必携の書と思われます。

岩倉実相院近く。対岳文庫。岩倉具視の資料を保存展示している。武田五一設計の瀟洒な建物。2005年9月、平日で見学者は私だけでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「母と子のお雛さまめぐり」 藤田順子

2016-03-08 | 読書

1931年生まれの筆者は子供のころ、家でひな祭りを祝ってもらっていたが、1945年3月9日、14歳の誕生日の夜、東京大空襲で、大切な雛人形は焼けてしまう。

戦後、日本と西洋の髪形や風俗の勉強を始め、1960年頃からは、各地の雛人形を見て回り、同時にひな祭りについても研究を始める。

平和な子供時代の、幸せな雛祭り、それが戦争で無残にも断ち切られた哀惜の思いを一生持ち続けた人なのだろう。

ひな祭りの起源は中国の古い時代までさかのぼるそうな。

三月の最初の巳の日、中国の人々は川へ行って禊をしたそうで、それが日本にわたって、紙や草で作った人型で自分の体をなで、厄や禍へ穢れを人型に移して川へ流したのが日本でのひな祭りの始まり。

巳の日は毎年変わるので文武天皇、700年のころ、三月三日と決められたそうな。ということはまだ奈良に都が置かれるそのまだ前、ということになる。

とっても古い時代からの習わしだったんです。知らんかった。

旧暦三月と言えば、いよいよ春も本番、水辺へ行って冬の間の汚れを落としてすっきりしたいところ。誠に理にかなっている。

源氏物語の中にも、光源氏が若紫=後の紫の上と雛遊びをする場面がある。その頃には広く定着していたのだろう。

やがて、女の子の健やかな成長と幸せを願う行事へと変わって行き、江戸時代になると豪華な人形、道具が次々と考え出され、売れていく。写真を見ると、現在の雛人形の形は江戸時代、江戸でほぼ完成しているように思う。

この春先の行事が連綿と続いてきたのは、汚れをはらうことから、女の子の幸せを願うことへと意味が変わってきたからであろう。そうであるなら、この先もずっと変わらずに続いていくと思う。

ひるがえって男の子の行事、端午の節句。こちらは勇ましい元気な子のお祭りだけと、それを顕すのが鎧兜、武器なのがちょっと苦しい。なぜならば、それらすべて、人を殺める道具であるからして。

男の幸せとはなんだろう。戦うことではなく、堅実な仕事。そして、男もまたよき伴侶に恵まれ、つつがなく一生を送ることだと思うけど、それを顕す飾り物が私はちょっと思いつかない。人形の業者さんもいろいろ考えているのかもしれないけど。

人形はどれも古い時代のおっとりとした顔、道具類場とても手が込んでいて、図番も見て楽しい本です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ルポ母子避難-消されゆく原発事故被害者」 吉田千亜

2016-03-02 | 読書

もうすぐ東日本大震災と福島第一原発事故から丸五年、最近は報道もすっかり減り、あたかも復興が着実に進んでいる印象。

しかしながら、子供への放射線の影響を恐れて「自主避難」した人たちの暮らしは厳しく、この語の見通しも立たないばかりか、国と元住んでいてた自治体により、あたかもあってはいけないこと、早期に解消すべき問題として処理されつつあるとのこと。

本書は何人もの個人に取材しながら、その問題点を考えていく。

自主避難とは何か。それは政府が指定した避難地域、これがとても細かく区分けされていてわかりにくいけれど、要するに避難しなくてもいいのに過度に恐れて遠くへ逃げた人、と申し訳ないけれど私も思っていた。

でも国がした線引きにはいそうですかと、素直に信じる気持ちには私もちょっとなれない。騒ぎが大きくならないよう情報を隠すのはあると思うし、怖い、逃げなければとその人が思うなら、それを止めることは酷というもの。

「子供を守りたい」という本能に突き動かされての行動だと思う。

幼い子供を連れてとりあえず避難、その慌ただしさと大変さには涙が出そうになった。そして二重生活の厳しさ、残っている夫や親族への思い、夫の浮気から離婚になったり、避難先へ毎月通っていた夫が交通事故死したりと、原発事故さえなければ避けられたことばかり。

何でこんな目に遇わなければならないのかと、私が当事者なら政府や東電を恨みまくるだろうと思った。

借り上げ住宅の家賃補助がやがて打ち切られ、次にどうするか決めなければならないという。二重生活を続けるのか、家に帰るのか、県内の別の場所に家族で住むのか、それとも福島県を脱出するのか、どれも苦難の道である。

責めて家賃補助だけは続けていただきたいもの。東京オリンピック辞退して、その費用をそちらへ回してもらいたいものです。

先日、高浜原発の再稼働、報道陣に公開して盛り上げるつもりが、早速異常電流が流れて、ダウン。車だって、長く乗ってないと調子悪くなるでしょ。原発の再稼働、止めてもらいたいものです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「中世社会のはじまり」 五味文彦

2016-03-01 | 読書

岩波新書の古代史シリーズはたいそう面白かった。少壮の学者が、アジア史の枠組みの中でとらえ直した日本の古代のようすは、通説を覆す論考に充ち満ちていて、たいそうスリリングだった。

翻って本書である。中世の始まりを九世紀末、貞観の大地震のころから説き起こしているので仮に中世の終焉を徳川幕府開府までとしたなら、ぬあんと七百年の出来事を新書四冊にまとめるという荒業である。

本書では室町幕府ができるところまでなので、約四百年余り、登場人物が多く、出来事は綾織りのように絡まり合い、最近とみに老化の激しい私の頭脳では流れを追って行くのがやっとという、誠に情けない読書体験でした。

さりながら、せっかく苦労して読んだので、切れ切れの印象をしたためます。

まず、中世の始まりを摂関政治の開始に置いたのが目新しかった。隋、唐で整備された律令制度が時代を経て日本的に変容しただけではなく、それこそが中世の始まりとするのは、古代的な権力権威が、求心力を失う過程でもある。とそのことに気が付いた。

やがて、朝廷のコントロールを外れて武力を行使するものが現れ成長する長い時間は、なるほど、古代の社会が次第に景色を替えていくことでもあった。

文化もまたしかり。、国風文化と呼ばれるものは、大陸から取り入れた文化と土着の文化が融合し、我が国独特の文化の別名でもある。

ふんふん、分かった。鎌倉幕府ができたのはその最終段階。そう著者は定義づけているのね。

鎌倉幕府ができて、朝廷は政治的実権を全く失ったわけではないけれど、諸制度を整備し、法令に基づいて政治をするののはやがて、全国に広まってと行く。

二重政権と言うのとも違うのかな。阿仏尼の「十六夜日記」は、土地の訴訟で鎌倉へ出かける女性の日記。方丈記の鴨長明も神官の職を安堵してもらうため鎌倉へ下向しているし、京都文化を体現しているような吉田兼好でさえ、鎌倉へ出かけている。

想像しているより、ずっと鎌倉の権力は強かったのかもしれない。それは生産手段としての土地の上に乗る権力構造を整合性のある法律で秩序立てていく、地道な実務の道である。

京都からは荒夷と見下される武士政権が、実はしっかり実力を蓄えている。田舎者の私はそのあたりがとても痛快でした。

承久の変辺りからはハイスピードで話が展開し、あれよあれよと言う間に足利尊氏まで出てくるので、しっかり読まないと振りとばされそうではあるけれど。

後鳥羽院と定家の歌風の違いとか、武士も職人も芸能に携わる人も、天皇さえ、身体性の自覚と獲得という視点で括るのはちょっとわかりにくかった。

とは言え、なかなか面白く読みました。シリーズ次作も楽しみです。


 

こちらずいぶん前、福山市鞆の浦のひな祭りで。

うつぶせ寝の赤ちゃん。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

手織り

にほんブログ村 ハンドメイドブログ 手織り・機織りへ
にほんブログ村

日本ブログ村・ランキング

PVアクセスランキング にほんブログ村