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友達旅行は10回目

2025-05-10 | 旅行

5/8と5/9は友達と旅行していました。同じ高校からこちらの学校へ来て、付き合いは続いていたけれど、2014年から一緒に旅行するようになり、途中、コロナもあったりで、今年は記念すべき第10回目です。

参加者は4人のこともありましたが、それぞれの事情もあり、最近は二人にまで減りました。来られなくなった人もまたの再会を期待しています。

今年は私が幹事。昨年秋に行った赤穂の宿に再び泊まり、兵庫県を旅しました。


姫路に集合。何はともあれ姫路城に。

姫路城は私は5回目。

小5、叔父と叔母に連れられて。その頃の私は体力が全然なくて、見学で歩くのがとても疲れた。今よりも見学コースが多くて、長い長い廊下を歩いた記憶がかすかに残っている。

次は21歳の時。兵庫県の高校教員の採用試験が姫路であり、試験の後、一緒に受けた人たち7,8人でお城へ行き、歩いて駅まで。天守閣は工事中だったかも。

次は10年くらい前。書写山圓教寺へ行った帰りに。数年前、淡路島と明石の帰りも立ち寄った。

そして今回。友達も大昔の同じ日に試験受けていたことが判明。彼女は現代国語、または古文かな。私は日本史。彼女は合格したけど行かなかったそうで。私も右に同じ。

彼女は東京で就職し、私は実家へ帰る。そこが大きく違う。彼女はおしゃれでセンスがいい。私はなにはともあれ質素倹約。普段は登山服が多く、夏は浴衣をほどいて作ったワンピースの一択。

けどまあこの年齢で、夫がいい子して留守番できるので家を空けられるというもの。感謝しなければ。

天守閣は郷土の資料はなくてシンプル。構造がよく分かる。土器や鎧兜を見ないで済んだので早く終わった。上まで上がってまた降りて、隣接する好古園を見学。


大名庭園・・・と思っていたら大きく予想が外れて、まるでイングリッシュガーデンみたいに雑木と山野草、日本の野山を再現したとても素敵な庭でした。

活水軒で食事した後、庭を巡ります。

池も広い。

回遊式。この他に日本の花いろいろの庭園もありました。連れがいるのであまり写真撮れなかった。次にどこかへ行った帰りにぜひ再訪したいものです。


続いて赤穂へ移動。昨年行けなかった大石神社へ。大石内蔵助の屋敷跡にあります。祭神は大石内蔵助で大願成就の神様とのこと。

この日はとても暑くて、日陰はないし、ヘロヘロに。

クスノキの枝、刈り込み過ぎと思うのは私だけ?神社は大木がたくさんあると有難味が増すように思います。

四十七士に関する史料いろいろ展示。救いのない話のようで、見ていて辛かった。殿様が江戸城で刀さえ抜かなければ、この人たちも死なずに済んだのに。

私は若い男の子が集団で死ぬ話が本当に嫌いです。男の子三人育てた母親としての肌感覚。戦前、忠義の話は軍国主義と馴染みがよかったかもしれませんが、世の中、命と引き換えにしていいものなど何一つありませぬ。70年余りを生きてきた人間のここは譲れぬ一点。


宿に着きました。

家島諸島。手前はグランピングの宿?

レストランもあります。

部屋は布団敷いてます。椅子テーブルは外へ向いて、ベランダもあります。

8畳は一人には広い。友達とは別室です。その方が気兼ねがなくてゆっくりできます。

ロビーも広い。

デッキもあります。

食事は友達と一緒に。この後は写真ありません。量も適当でおいしくいただきました。

宿の露天風呂。公式サイトよりお借りしました。

露天風呂に肩までつかると、目の前の湯と海が一続きに見えて、自然と一体になった不思議な心地よさ。

夜が明けて、少し曇っています。

朝食のとき、友達とレストランで出会ったので、この後、窓際で一緒に食事しました。

そのあと昨年に続いて赤穂緞通の工房へ。

玄関

織り工房の見学 - ブログ

素敵な外構です。

赤穂の緞通は、塩田の女性労働者の雨の日の副業だったそうです。平坦なこの付近は広い塩田だったとのこと。何事にもその土地固有の来歴があります。

10時半ころから小雨が降り始めました。バスで駅へ行き今度は明石へ行きます。

明石は海に面した町で、昔からいい魚の獲れるところ。駅前の魚の棚商店街へ行きます。

鮮魚商を中心に活気があります。

昼は昼網御膳穂の果へ行くつもりが間違えて、隣のお寿司屋さんへ。

明石・魚の棚 昼網のお寿司 【昼網寿司ほのか】

こちらもおいしかったので、次はぜひ和食屋へ。

続いて山陽電鉄で一駅、人丸前から明石の天文台へ行きます。

山陽電鉄は姫路と三宮を結ぶローカル電車。駅がたくさんで地元密着型。阪急、阪神は知っていたけれど、こちらもこれからは利用したいものです。

雨の平日、お客さんはほぼいない。最上階からは明石海峡大橋が目の前に。

今度は好天の日に来たいものです。と言っても私は二度目。友人は初めてだそうで、喜んでもらえました。

明石駅から西明石へ。友人は東へ帰ります。私は新快速にそのまま乗り、姫路でのぞみに乗り換え、無事自宅へ帰りました。

今回はタイムスケジュールをきっちり決めてほぼその通りに動きました。赤穂線と赤穂市内は電車バスの便は少なめ、事前のリサーチ必須です。

とりあえず無事に幹事の御役目が終わり、ほっとしています。来年の再会を約して西明石で別れました。


追加写真。

本日、織り前の布、やっと仕上げが終わりました。縁が裁ちきりの場合、次第にほつれて使いにくいのです。

ジグザグミシンですればよかったのですが、初めに二つ折りにして縫ってしまったので手縫いとしました。

幅は85㎝。心機一転、頑張ります。


息子の車の低い低い運転席。高齢者には乗り降りが難しい。乗らんけど。

孫娘が5歳の頃、息子の巨大な鯉のぼりを背中に括り付けてみたら、「人魚姫ぇーーー」と興奮しながら家中走り回っていた。

上がったり下りたり、大忙し。

今はもちろん、見向きもしません。鯉のぼりもやがて処分する運命。何事も豪胆な実母が店で一番でかいのを買ったそうで、ほぼ飾っていません。

年寄りの家はこんなん多すぎ。

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またまた赤穂温泉

2025-05-08 | 旅行


正面、家島諸島。赤穂の宿は眺めよし。


姫路城、好古園内の料亭でお昼をいただきました。
友達と1年ぶりの旅行。積もる話いろいろ。
明日は明石へ行きます。
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4/18 熱海から京都、そして帰宅

2025-04-25 | 旅行

4/18 熱海の朝です。早く寝たら真夜中過ぎ目が醒めて、持ってきた本はホテルの灯りが暗くて読めないので送り返したばかり。

未明から、スマホでその日の予定の確認。某美術館、いろいろ思うことがあり、結局行くのを止めました。

ちゃんと病院にかかっていれば・・・と、父が嘆いておりました。教義のことを私は知らないので、因果関係は分かりませんが、本部に併設された美術館、行けば叔母が亡くなったことを思い出してしまうので今回はパスとしました。

その代わり、昨年度通っていた大学の先生に進められた京都の川島織物文化館へ行くことにして3時半ころネット予約。すぐに予約を受けた旨のメールが届きます。便利な世の中になったものてす。

夜が明けました。相模湾に日が昇ります。薄曇り。

朝食に行きます。新緑がきれいです。あちら熱海駅方面。

それにしても平地の少ない熱海です。どこからでも眺めは抜群。


送りのバスで駅まで。ひかりで名古屋まで行き、後はのぞみです。

熱海で下り列車を待つとき、目の前を数分おきにのぞみがものすごいスビートで走り抜けていきます。のぞみが止まらないのを初めて見て、すごい技術と今さらながらに関心。のぞみがダイヤ通りに走っている間は、まだまだ日本は大丈夫と妙な安心感がありました。

京都→烏丸今出川→出町柳→市原。約一時間かかりました。

出町柳。下りたのはお寺の前。シダレザクラがいきなり京都!!

電車で11駅目、鞍馬山が近い場所に川島織物の工場、展示施設に織りの学校もあります。

機織りする者にとっては聖地。聖地巡礼です。

市原駅前の案内板。

駅からは南下します。振り向けば山が近い。鞍馬山でしょうか。

古い街道?を小学生が下校しています。

広々としたアプローチ。両脇は畑で春の花がきれい。

受付を済ませて館内に案内されます。ほとんどが写真撮影不可。

今は万国博覧会関連の展示をしてありました。

明治初め、パリ万博参加の大タペストリーは日光東照宮門前の祭り行列の様子。縦3メートル、横6メートル・・・くらいだったかなとにかく巨大な原画が展示してありました。

それを幅の広い織機で継ぎ目なしの一枚に仕立てます。とても細かな模様です。たくさんの織り子さんが並んで座って織っています。製品は売れたのでしょう。原画が展示してあります。

次のシカゴ・・・だったかなでは武具の虫干しの場面。これも細かな柄です。

当時、世界へアピールするには日本的なものが珍しかったのでしょう。驚きの反応も想像できますが、今の時代から見るとあまりに古色蒼然、時代の隔たりを感じました。

写真撮影OKのものもあります。

 

和服からインテリアへ。明治時代からは皇居の壁紙を織ってきたメーカーとのこと。あまり派手には宣伝してなかったけど。

カーテンなどのインテリア。

どこか和風の優しい柄と色合い。

最後にこんなマネキも。

見学は無料です。たいそう見応えがありました。有田の柿右衛門みたいに見学したら柿右衛門の湯のみでお茶、お饅頭付ではありませんが、全体にゆったりとした贅沢感の感じられる場所でした。

行ってよかったです。テキスタイルスクールの生徒さんの作品もあか抜けていて、さすがと思いました。

工芸はデザイン10に技術は5と、会派の先輩によく言われます。2と1でもいいかもしれませんが、とにかく何よりもデザイン。工芸はデザイン命。ないセンスを絞り切って私もこれから精進します。

来たルートを引き返します。

京都のお土産もいろいろありますが、私はいつもこれ。

進々堂の大きな食パンです。烏丸口の高速バスのチケット売り場に店があります。癖がなくてとてもおいしいのです。

本店は京都大学近く、今出川通に面してあります。店の中、20年くらい前に行った時はとても落ち着く空間。建物は近代建築の文化財に指定されているかもしれません。←未確認。

その後、コンビニで掴むようにしてお土産を買い、来たのぞみにとび乗る。

20時頃自宅着。帰宅後、自分でご飯作って食べる。夫は私の買っておいた材料で自炊して、元気にしておりました。

次は来月の友達旅行です。

あんたはいつも旅行の予定があるので、いつどこへ行くか憶えきれんと夫がぼやいております。まあまあそうおっしゃらずに。

旅行できるのも足腰丈夫なればこそ。せいぜい体を動かせて次の遠出に備えましょう。

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4/16 中央展初日と懇親会 翌日は熱海へ

2025-04-24 | 旅行

4/16 10時、中央展始まる。友達と待ち合わせて美術館内で食事、懇談。

美術展を三人で見て写真も撮り、解散。

会期は28日まで。まだ展示しています。

外へ出てみる。いいお天気です。

乃木坂→表参道→上野まで行き、懇親会場へ。

地下鉄降りて延々と歩いてきました。振り返って、帰り道の確認。

公園内に看板があります。

見えてきました。まだ時間があるので近くを歩きます。

上野東照宮近くに飲食店あり。懐かしいたたずまい。

おかしは200円で現金のみ。飲み物各種も200円。

コースではなく6人一組の盛り合わせ。

会場は300人くらい。毎年だけど、挨拶いろいろ。明治時代、会の前身の白馬会まで遡るので話が長い。それもまた伝統。

白馬会展には青木繁も出していたはず。彼も結核で早世する。貧しさと病気に苦しみながら、青春の結晶のような作品を残す。人生は有限、時間の波に洗われても作品は残る。

そんなことを思いながら挨拶を聞いている。多分ここも芸術の生まれる場所だと思いつつ。

19時過ぎには会は終了。二次会いろいろ、これからが本番らしいけど、私はホテルへ戻って早く寝る。


4/17

暑くなるという天気予報なので、ホテル近くの新橋郵便局から服の一部を家に送る。

銀座の柳の歌碑があります。

博品館劇場はビルのようです。

あちら銀座方面らしい。今日は行かない。いつかまた。

新橋駅への途中で。ドレスの専門店。


本日は熱海まで行って街を歩き、明日は美術館へ。

熱海に近づくと富士山が見えてきました。

いよいよ近くなってきます。日差しが強い。


昼前、熱海着。駅で食事して、路線バスで起雲閣まで。

起雲閣

大正八年建築の元は別荘、何回か持ち主が変わり、昭和から平成にかけては旅館だったこともあり、今は熱海市の管理する有形文化財。

旅館だったころは作家がよく訪れたそうです。三島由紀夫の新婚旅行、太宰治は宿泊して20日くらいで人間失格を書き上げたり、文学関係の展示も充実。


素晴らしい建物でした。保養地としての熱海の歴史を感じる場所でした。

続いて歩いてお宮の松を目指します。10分ほどということでしたが、20分以上かかったと思う。

途中の看板。日本でもジャカランダを見せるところがあるようです。

2016年6月、スペインはどこへ行ってもこの花がよく咲いていました。

薄紫のきれいな花です。

6/14 バレンシアの楽しい買い物 - ブログ

プロフィール写真はこちらを利用。

連日気温は40度以上。湿度が低いので汗は出ているはずですが、すぐ乾燥?

強い日差しから白い服で身を守る。


海岸を歩いて行きます。

ニースみたい。

モナコみたい。って言うと夫が「またヨーロッパ風を吹かす」と僻むので黙っています。

お宮の松。金色夜叉の場面ですね。女性が心変わりしたからって蹴らんでもいいでしょうに。黙って去って、女性の幸せを願うのが男の矜持。と私は思いますが。

この後、駅まで戻りますが、これがとんでもない急な石段の連続。熱海の市街地は山の麓の急勾配な場所にあるようです。

駅前の商店街。さすが古くからの観光地、活気があります。

お迎えのバスで今夜のホテルへ。

一人一部屋、二食付きです。

本館と別館があります。別館は一人一部屋の設定がお買い得でした。

最近はおひとり様も増えたので、泊まりやすくて助かります。

窓からの眺め。右下が本館。

夕食はレストランで。一人席は窓際にあり、他のお客さんと離れています。居心地悪いこともなく、ゆっくり食事しました。

前菜。

後は写真がありません。食べるうちに日も暮れて街の明かりがきれいです。

一日よく歩きました。明日も頑張ります。おやすみなさ~い。と早々に寝ることにしました。

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4/15 小石川植物園と啄木記念館

2025-04-21 | 旅行

4/15

久しぶりの小石川植物園です。前に行ったときのことはほぼ忘れていますが、もう少し整備されていた記憶が・・・六義園や古河庭園と混同しているのかも。

東京都心部にも緑地がたくさんありそうです。広島は平和公園は別にして昔からの緑地はほぼ皆無。平和公園も戦後、各地からの樹木の寄付などで整備された場所なので、公園の緑は落ち着きます。

関東なので、見たことないものもたくさんあり、有意義な見学でした。

人の背より高いワラビ。出始めの新芽も大きい?

 

ヌマミズキ

オオリキュウバイ。大木でした。利休宗匠もびっくり。

 

八重桜が盛りでした。指導票にはサトザクラ系の・・・とありますが、我が地元では里桜の言い方はしないようです。

これは山桜に対しての里桜。園芸が盛んで桜の品種も数多かった江戸時代の名残かなと思ったのですが。

いちばん奥の建物は旧東京医学館本館。今は博物館の分館。

大震火災記念石。関東大震災では3万人がここへ避難し、後に仮設住宅も建てられたそうです。

小石川植物園 大震火災記念石

ウスバヒメツバキ

葉も花も小さい椿です。中国台湾にあるそうです。珍しい。

大木になるカナメモチ。

花も大きい。初見。

大カナメモチの大木。別の場所で。

 

ツキヌキニンドウ。

二枚の葉が合わさっているのがユニーク。

初めて見たのはドイツのローテンブルク。

2012年11月 赤い実になっています。葉は寒冷地では落葉します。

確か、市庁舎前の広場で。日本のツキヌキニンドウは落葉するのかどうか・・・未確認。

初め緑のサクラ。五月ころ、誰もサクラを忘れたころに鮮やかなピンクになります。

こんな名前がついていました。御衣黄によく似ています。もしかしたら同じ花の別名?


一時間半ほど園内を歩き、また茗荷谷駅へ引き返します。

播磨坂の近くに石川啄木終焉の地の記念碑と記念館。

資料色々。

啄木は26歳で結核で死亡します。これはその前、母親も結核にかかり、窮状を知人に知らせる哀切な手紙。

介護施設の建物の一角を記念館にしています。

素直にありのままを。

最後の仕事は確か、朝日新聞の校正だったと思います。夜中に帰ることもあったのでしょう。

それにしても結核です。優秀な若者が夢半ばにして病に倒れる。

啄木、滝廉太郎、立原道造・・・みんなもっともっと生きたかったことでしょう。

地下鉄丸ノ内線にそのまま乗り、銀座で銀座線に乗り換えて新橋まで行きます。

赤い看板が今夜のホテル。

銀座も近いことをこの時は知らず。柳並木が銀座風。この先に博品館劇場があり、そこはもう銀座の入り口?

昔なら銀ブラしたかもしれないけど、ホテルで横になってひたすら休み、東京の一日目は終わりました。

翌日はいよいよ展覧会初日で、友人にも会います。ワクワク~

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東京から帰宅

2025-04-20 | 旅行

4/16 広島発。朝の気温は8度。寒い。薄い服をたくさん重ね着、それでもまだ寒い。

京都通過。

琵琶湖の向こうに武奈ヶ岳。

頂上残雪。20年くらい前のGWに登ったら雪が残っていた。

伊吹山。

名古屋通過。

昼過ぎ、東京着。

地下鉄で茗荷谷まで行き、小石川植物園へ行く。

前は東京ドームの横を通った記憶がある。どこの駅で降りたのか、その記憶はないのですが。

途中、播磨坂という素敵な道が。

きれいな桜が咲いています。ウコンかなと思いましたが・・・

歩いて10分ほどで着きました。

園内は自然がいっぱい。詳しくは追々まとめます。この日は早めにホテルへ行き、後は外出せずにじっとしていました。

被爆体験のブログのメンテナンスで連日の寝不足。体調悪し。


翌日は開会式その他。友達とも会う。

上野公園の売店の懐かしきたたずまい。

飲み物の自販機を探してずっと歩いてきて、こちらで買う。

カレーライス、親子丼、焼き鳥、おでん、甘酒、ところてん・・・いろいろあるようです。

途中は省略して。

天気予報が暑くなるとばかり言うので、服のほとんどをホテル近くの郵便局から家に送った。けど寒くなったのでホテルのロビーでブラウスを買う。

家に帰ってから手持ちのものと合わせてみました。

ホテルロビーの服は、旅先で何か一枚欲しい時に買う。だからそんなに高くない。連れとわいわい言いながらノリで買う。だからそんなに高くできない。

しばらくはこれを着ます。

熱海では某美術館へ行くつもりで宿でリサーチしていたら、同じ場所に某宗教団体の本部があることを知りました。それで急に行き気がしなくなり、真夜中過ぎ、京都のこちらにネット予約しました。

鞍馬山へ向かう途中にあります。

微妙に曲がった道は旧街道でしょうか。

今は万国博覧会の企画展。

展示いろいろ。

最後にはこんなマネキもありました。


行かなかった理由は叔母の一人が熱心な信者だったからです。思い出してやり切れない気持ちになりました。

今の時代、信教の自由は大前提。何を信じるか、信じないかは個人の責任。

叔母の場合は入信してから急に医者嫌いになり、乳がんになっても医療に全くアクセスせずに25年くらい前に72歳で亡くなりました。

その宗教が医師にはかかるなという教えなのかどうかは私は知りませんが、というかそんな極端なことが今の時代に通用するとも思えないのですが、とにかく当時の叔母は医者や医療を毛嫌いしていました。

亡くなる20日くらい前に私の実家へ来て「姉さん、モロヘイヤの粉が体にええいうけん分けて」と母に言ったそうです。

「ものすごく痩せて顔色も悪くて歩きかねとった」と後で母の話。

どうしてそんなことになるのか、私は本当に残念で悔しい思いです。

(ちなみに我が母は乳がんを51歳で手術、96歳の天寿を全うしました)

ビックリするほど高い美術館の入場券を父に売りに来て、「行くことはないけど買うてやった」との父の話。それが今回の美術館でした。

ホテルで前売り券が手に入るとの話でしたが、フロントで聞くと今は扱ってないとの話。それもあって行くのを止めました。

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熱海の宿

2025-04-17 | 旅行


熱海では、起雲閣とお宮の松を見て宿に来ました。
一泊二食付、和室を一人で利用します。
最近の温泉宿はおひとり様も利用しやすくて助かります。

窓からは相模湾が一望。小さなモナコみたい、と言うと夫がひがむので、ここだけの話にしておきます。

いろいろ忙しかったので、ゆっくり休んで帰ったらまた頑張ります。

追記、読み返したら別符湾って書いてた。
もうお、私って👹😵‍💫
いくら首伸ばしたって見えるわけない。しかも符ですって。
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楽し鉄道旅

2025-04-17 | 旅行


新橋発、品川乗換、普通列車で熱海に向かいます。
いろいろな駅名が次々と過ぎていきます。
ばあちゃんの一人旅、また楽しからずや。
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懇親会

2025-04-17 | 旅行


昨年と同じく上野の精養軒で。
大勢の会場で、広島の工芸の人で集まって着席。
挨拶、講評、表彰に続いて懇親会でした。


私はJRで帰るので、帰り道の確認です。この先でパンダ橋から改札へ行くのが早そうです。振り返って写真撮っておく。
上野東照宮鳥居脇の茶店がレトロでいい雰囲気でした。

精養軒の料理はとても美味しくて、ワインはオリジナルだとか。
私はビールはほぼ飲みません。日本全国同じ味。ワインはいろいろ、当たりも外れもあるけれど、昨夜は赤白ともに当たりでした。

遠くへ帰る人もいるので、会は早めに終了。その後2つの二次会誘われたけどちらへも不参加、ホテルまで帰る。
盛り上がった後の二次会は、終るといっそう名残惜しくて
寂しくなるので、腹8分目で留めておく。
皆様、また、来年〜
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東京、宿泊中

2025-04-15 | 旅行


昼過ぎ、東京着。
小石川植物園へ行く。
35年振りくらい。
新橋駅近くのホテルに投宿。
部屋で買ったもの食べる。

明日は友達に会う。一緒に私の作品見てくれるそうで。
ありがたいことです。

東京は暑いくらいのいいお天気。
小石川の石川啄木終焉の地に小さな記念館があった。

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ザスバッハバルデン…ドイツの村

2025-02-15 | 旅行

ザスバッハバルデン・ドイツの美しい村 - ブログ

昨夜の続き、今朝から写真探しています。

やっぱりドイツが好きかな。景色に要らんものがない、店の商品も食べ物もドイツ的でシンプル。絵に描きやすい。

絵葉書的。うーーむ、前にも描いたけど少しはうまくなっている?

2015年4月。

ライン川中洲の何とか城。航行する船から税金取ってたそうで、上流に向かって流線型の城壁がユニーク。2012年11月。

ライン下りの船。乗っているのはほぼ日本人。

修学旅行生多数。きっといい思い出になったことでしょう。

昨夜のファミリーヒストリー、広島の一般人の応募の中から、最後は被爆して15歳で亡くなった少女の話。

途中でつい眠ってしまい、目が醒めたらテレビの中では皆さんしんみり。

エッ何?何があったの!!と、うろたえる私。

あれから何十年とたち、同世代の少女たちはライン川を川下りしながら岸辺のドイツ人に手を振っている。この平穏がいつまでも。

学校にも行けず、戦禍にさらされている子供たちを思うと胸が痛い。痛いばかりでほぼ何もできないのが悔しい。

これも前に描いた。

モーゼル川沿い、ベルンカステルクース。

山の斜面はすべて葡萄畑。手前に目の周りの黒い、大きな鴨?がエサを探していました。夫婦でしょうか?

先生は何も言わず・・・いかにもな構図に頼らないようにとのことでしょうか。

雨のミュンヘン。却ってこんなのがいいのかも。うーーむ。

この大きさのパンで1€ちょっと。ミュンヘンのスーパー、リドルで。

余計なオプションがついてない素朴なパン。日本人のご飯に当たるのでしょうか。

おやまあ、こんなことしていたらいつまで経っても絵が描けません。残りはまたの機会に。

機織りは昨夜、一枚目を終える。残り三枚、そして仕上げ。来月半ばまで、頑張れ、私。

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岡山日帰り旅

2025-01-27 | 旅行


昨日は、四国の親族と落ち合って日帰り温泉旅。
瀬戸大橋線、本土側の最後の駅児島から51系統バスで20分くらい、金池下車でホテル瀬戸大橋へ行きました。
 
駅のホームから海が見えます。島は直島?
 
 
建物はやや古いけど、温泉の方は人も多く、何よりも全然期待してなかったのに食事のレベルが高くてよかったです。休憩所にはコミックに週刊誌が充実。
つい今話題になっている記事を読んでいると、「私の友達の娘さんがアナウンサーしてて昔付き合ってた」というびっくり情報が。
 
今は別の人と結婚して幸せに暮らしているそうで、よかった、よかった。
 
今回のことは、天網恢恢疎にして漏らさず・・・という世の中であってほしいものです。そして次の世代の女性が嫌な思いをしないよう、自分一人のことと思いを納めず、勇気をもって発言し続けること。それが大切と思いました。
 
私も昨秋、セクハラ発言をする同窓生♂を思い切って撃退してすっきりしました。そのときに反省と謝罪の言葉がなかったけど、そんなことできる男なら初めから人の容姿体形を揶揄したりしない。同窓生と油断してましたね。

同行者は天丼定食、私はカキフライ定食、ゆっくり食べて話もしっかりして再び駅に戻り解散。
 
忙中閑あり、忙しい時になるとわざと遊ぶ私。帰ればまた本日から忙しくて苛酷な毎日が待っているのでした。
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1/13 京都を歩く

2025-01-24 | 旅行

1/13 彦根は雪でしたが、南下するとすぐに冬晴れのいいお天気。山科から京阪に乗り換え、三条京阪経由出町柳まで。昔、三男とよく待ち合わせたコンビニは健在でした。

橋渡って、下賀茂神社手前の三井家下鴨別邸へ。元は木屋町三条にあった隠居所を、神社へお参りするときの休憩所として移築したそうです。

瀟洒で凝った造りの建物は近年公開されるようになりました。

瀟洒な建具。波ガラスは再現できないので、近寄って破損したら大変です。

庭に廻る。望楼あり。

二階は貸室として営業しています。茶の間3時間1,300円から。お茶会にも使えます。京都で歩いて疲れて、少し足を伸ばして休むのに如何でしょうか?

なんて営業する私。

本宮までは遠いので河合神社へ。確か鴨長明がこちらの神社の神官だったはず。

20年くらい前、方丈の庵を再現していました。

こちらは美貌の願いが叶う神様。丸い絵馬になりたい顔を描いて奉納します。

桝形商店街に行きます。

前を行く同行者。この後疲れたとベンチに座り込むので、私だけ向こうの端まで行って引き返し、右手の和菓子屋で買い物して解散。もう帰りたいそうで。

私は一人で食事。

美味しかった。

コーヒー付。

こちらのお店。お勧めです。

再び引き返して、結局バスで京都駅まで。後は歩いて西本願寺向かいの龍谷ミュージアムまで。

2/16まで「誓願と願い」展。各地の仏像多数。多くの人が手を合わせてたのかと思うと、その思いがこもっているようなさまざまな様式の仏たち。ヘレニズム文明の影響を受けたバタ臭い仏様多数。中国の仏典は今の日本人が使う漢字。意味はともかくすんなりと読める。改めて、日本が中国文化圏の端に位置することを実感する。

西域仏は本願寺の所有でしょうか。普通のお寺がそんなもの持つわけないので、戦前の大谷探検隊が持ち帰ったのでしょうか。そこのところは見落としました。

ヨーロッパ人がエジプトや西アジアから遺跡の文物を持ち帰ったように、日本でも仏教のルーツを求めて中国奥地、インドへ出かけます。

これは撮影可。トルファン・・・だったかな郊外の石窟寺院の壁画は各国によって持ち去られ、近年復元されたそうです。

鮮やかな素晴らしい壁画でした。と、感動しまくり。仏教文化は幅が広くかつ奥深い。そして肌感覚に馴染むのは私が日本人だから?

再び歩いて京都駅まで。後はのぞみで帰るだけ。昔みたいにハードな旅も難しいので、年相応な旅程にしなければと思い知らされた旅行でした。

ホテルのお菓子と「たねや」のお菓子。

桝形商店街で。おはぎとういろう。

土産物の漬物は高い。地元商店街の小さなスーパーで、住民に混じって、その土地特有の食品を買う。旅の醍醐味はこんなところにありそうです。

海外でも教会などはほぼ忘れているのに、リドルやカルフールなどのスーパーで買ったものは意外と憶えている。ちょっとした買い物が好きな私です。

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京都、山科、彦根、冬の旅

2025-01-18 | 旅行

祇園歌舞練場から少し南下すると小さな神社が。人が多いです。

悪縁を断ち切り良縁を得るご利益のある神社。

願い事を書いて・・・元は何でしょうか・・・結びつけて願掛けをします。

くぐるとご利益に預かるそうで、順番待ちをしています。

20年くらい前にくぐった記憶があるので今回はパスです。もうこの年なので、悪縁にも慣れてきました。相手もそう思っていることでしょう。もうこのまま行くしかなさそうです。

京都駅行きのバスがなかなか来ないので、反対側のバス停から三条京阪へ行くことにしました。

地下鉄東西線と途中まで相互乗り入れ。そのまま京阪電車で行けたのに、御陵で地下鉄に乗り換える。山科で降りて改札口出てすぐにホテル。JRも京阪も地下鉄も駅は並んでいるくらい近い?

途中で「山科へは乗り換えて・・・」と車内放送が聞こえた気がしたけど、ちがったかしら?

何はともあれホテルに着きました。

ロビーの記念撮影用のセット。

部屋は7階。

JRに阪急の駅がよく見える。

少ししたら部屋に今回の同行者がやってきました。もう16時近いので私はホテルの温泉に入り、ゆっくりしたかったのですが、「古い町並みがあるので見に行こう」と誘われます。

はて、あまり聞いたことないけど、と出かけます。

山科は駅前こそ都会風ですが、少し外れるとついこの間まで農村だったのではと思われる、自然の地形に沿った道が続きます。スマホの案内を頼りにたどり着いたのは、何か古そうなお宅の横。

これのどこが街並み?と突っ込みたかったけど、旅先で喧嘩は厳禁。

しばし思案顔の同行者。

再び引き返します。急速に夕暮れが迫ってきます。行きとは違う道を帰るとき、川の横に「志賀直哉住居跡」の案内板が。志賀直哉はあちこちへ引っ越しますが、一時、山科に居住。「山科の記憶」の作品があります。昔は新潮文庫にありましたが、今は?

高校生の時読みましたが、詳細失念。はっきりした筋はなく、エッセイ風だったのかな・・・????

ホテルに戻る前に駅前で食事。とても疲れたのは朝昼あまり食べていないからでした。食事の後、おやつ色々を部屋で食べてやっと元気が出ます。

このホテルは大浴場は女子のみ。男風呂はありません。女性には優しいホテルです。

京都山科・ホテル山楽でくつろぐ - ブログ

前に泊まったのは2021年年末。人気のホテルで予約の取れないこともあります。

翌朝、山は雪が降っています。朝食後、彦根へ。約1時間の旅です。


彦根の観光地はお城とその周辺に集まっています。

観光地を巡るルートバスは冬季は運休。路線バスで向かいます。

食事に土産物などの店が並んでいます。

人は少なめ。この連休はどこも人は多くありませんでした。京都でさえ、バスに乗って座れたので、お正月休みの長かったお蔭かもしれません。

雪が残っています。

夢京橋キャッスルロードという観光客向け商店街。

庇の雪が解けて落ち掛けています。積雪を見るのも何年かに一度の私には珍しい眺めです。

13時からは琵琶湖のミニクルーズに出発です。

雪を被る伊吹山が見えます。

西岸の向こうには20年以上前に登った武奈ヶ岳が。あの頃は若かった。

竹生島は片道40分、島では坂道が多いとのことなので次の機会にって、その機会があるとも思えませんが。

波はとても静かです。

夕方、宿につきました。

そろそろ日没。

ロビーでは17歳の高校生が弾く津軽三味線を聞きます。

写真OK、拡散希望とのことでした。

多田智大(@tada_chihiro98) • Instagram写真と動画

素晴らしい。若い力が伸びていくのを見ると元気が出ます。有難う~。


1/13朝、雪だあ~しばしの雪国気分を味わいつつ、彦根と別れました。

お城は20年くらい前に行った記憶があります。夫は行く予定でしたが、疲れたとかで結局行きませんでした。こんなことなら、早めにホテルへ行くべきでしたね。年寄りの旅はあまり欲張らずに、宿で疲れを取るのも大切。

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1/11 冬の京都と山科

2025-01-17 | 旅行

恒例、一月連休の旅行です。

いつもは暖かい九州へ行くのですが、昨秋の亀の井ホテル赤穂がよかったので、系列の彦根の方へ予約しました。

赤穂は事前決済のみでキャンセル料は即100%と強気の設定、人気のお宿のようです。

彦根は行くのに半日かかるので、山科前泊、結局、結構な旅行になりました。昔みたいに車で行かないので、歩きまくって疲れたけど、却ってよかったかも。

午前中仕事の夫を残して、朝から出かけます。10時半ころ、京都着。

京都は快晴。そう寒くありません。

伊勢丹の上の方に美術館あり。大階段から行きました。

学割で700円。

これだけは撮影可。

京都大原で農業をしながら、周りの風物を水墨画に描いた画家。

弟子もたくさんいて、みんなで共同生活。楽しそうです。

生活に根差した力強い絵のどれもが見ごたえありました。

人は少なめ。

続いて206系統バスで東山安井まで。混雑を予想していたけれど、清水寺、平安神宮、銀閣寺などは特急バス?ができて、観光客はそちらに乗るらしい。

こちらへ行きます。こちらも学割で700円。

入るとすぐ、前回の都をどりの衣装が。

着物。袖上げは可愛さの演出?

帯。作り帯のようです。一度に大勢の帯を結ぶのは大変。

かんざし。桜に菜の花。

舞扇に手拭い。


舞妓さんの月ごとのかんざし。

豪華。

一月は羽子板、二月は梅。

十二月は南座の看板。

履物。

京舞家元、井上八千代氏。

裾を引く着物なので長い。


二階も着物をたくさん展示。奥の芸妓さんの踊りは見学省略。

朝顔に源氏車。

光悦垣と花。

こちらは秋草?

これが好きです。

茶屋辻模様。水辺の景色を描く。

はっきりした柄が多い。色は派手過ず、地味過ぎず。

庭を散策。

左が資料館。右は歌舞練場。四月の都をどりの公演はこちらでします。

舞台の奥で物音が。四月の準備をしているそうです。

その奥は休憩所で、公演の録画の放映とパネル展示。

こちらは「葵」の場面のようです。

廊下を曲がって帰ります。提灯が花街らしいなめまかしさ。

春にはこちらも人が多いことでしょう。

2002年4月、三男の大学入学式に母を誘ったら、前日に高速バスでやって来て京都で待ち合わせ。式の後、本山の納骨所へ連れて行く。3年前、父の納骨をした場所。あいにくの花まつり準備で境内には入れず、母は門の手前で拝んでいた。

その後、納骨のあと3年前にみんなで食事した都ホテルへ行くと、その中華料理店は既に撤退、一人3千円のランチビュッフェをいただきました。海苔巻き3個にあと何食べたでしょうか。きっちり10%のサービス料も加算。ビュッフェのサービス料って?自分で料理取ったんですけど???

田舎者はびっくりしましたが、これもまた京都代、都ホテル代と納得。母がお金は払いました。客は私たち以外は皆無。

こんなことなら、そこらへんの店で、母の好きなラーメン一緒に食べればよかった。と、後悔は先に立たず。

その後、引き返して都をどりの見物、16時ころ、京都駅で解散。今、ずるずるといろんなこと思い出した。

変わらない京都があって、変わる人の身の上があり、歩いているうちにその時にワープして癒される。

この年の三月、入学手続きに上洛し、三男と一緒に大学の長い塀に沿って歩いていると、大昔、尋ねて行った友達と一緒に歩いた記憶がよみがえり、自分がずいぶん若くなった気がした。一瞬の錯覚ですが。

時は過ぎに過ぎ、人は来ては去っていくけれど、変わらないものを見てしばし癒されるのでした。自分が人の記憶にどれだけ残っているかは分からないけれど、とりあえず私はこうして元気でいます。

京都の冬空の下で、そんなこと考えながら歩いていました。


この後、安井金毘羅→三条京阪→山科のホテル→夫と合流して街歩きと続きますが、長くなるので次の機会に。

つまらない話に長々とお付き合いくださってありがとうございました。

コメント (2)
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