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日々のあれこれ
 

京都 名残の紅葉 鹿王院から京都駅へ

2018-12-10 | 旅行

12/5 嵐山から離れた鹿王院もほとんど人がいません。静かに見学できました。

鹿王院は足利義満が建てた宝幢寺の塔頭の一つ、応仁の乱で焼け残った鹿王院だけが今に残っていますが、往時は天竜寺からこの付近まで宝幢寺とその塔頭が立ち並んでいたとのことです。

寺内、お宝色々、でも紅葉に気を取られて全然見ていません。反省。

こちらは女性限定の宿坊があるそうなので、https://shukuken.com/rokuoin

またいつか宿泊できたらいいなあ・・・・

山門からのアプローチ

あざやか。

客殿に上がります。立派なタラヨウが。お寺によく植えられます。

裏庭のモミジもほぼ終わり。

あちら舎利殿。源実朝が宋から取り寄せたお釈迦様の歯が多宝塔に収められている。歯は仏牙舎利と呼ばれ、江戸時代には天皇も参拝に来たそうです。

知らないので、真ん中に大きな厨子みたいなのがあるなあと、それより周りの彫刻は迫力あるなあと、撮影禁止でもなく、誰もいなかったのでぼおーーと見ていたばあちゃん。昔のばあちゃんなら手を合わせて拝むんでしょうが、なかなか今の時代は人間も(私が)未熟で。

うん、これは絶対またおいでとのお釈迦様の導き。いつか宿坊に泊まりましょう。周り住宅街でコンビニもない静かなところですが。

渡り廊下から。

築地とモミジ。日本の秋、古都の秋。

帰ります。もう午後4時、日が陰ってきました。寒い。

さよなら、京都の秋。もう帰ります。

出かけるまでイライラすることもあったけど、一日好きに歩いたので、言いたいことも胸に収めて、機嫌よく帰りましょう。歩ける間にしっかり歩いて旅しましょう。

嵐電の駅へ戻ります。川がむき出しのところ、工務店があったりして、わが地元とはだいぶ違います。

静かないいところでした。


あとはひたすら京都駅へ。帰りは20:24発なのでだいぶ時間があります。

嵐電で終点まで。こちらで降りたのは初めて。

向かいは阪急の駅。ここから大阪、神戸方面へ行けるんですよね。乗ったことないけど。

関西に住んでたらいろいろなところへ遊びに行けていいなあと、昔から羨ましかった。

息子が京都に遊学していた6年間はよく遊びに行った。マンションに泊まらせてくれるわけがないので、宿坊や同窓会の会館や片泊まりの宿などに泊まってはいろいろなところを見て歩いた。

息子は、お小遣いでおびき寄せると夕食一回くらいは付き合ってくれた。長い休みもほとんど帰省しなかったので、こちらから会いに行くしかないのです。

そうそう、ヤフオクか何かで車検切れの車を一万円くらいで買って、自分で陸運局の車検に持ち込むので、夫の実印持って京都まで行ったこともあった。

車は、検査のコースの途中でバッテリー切れでエンスト、当時19歳の息子は近所からバッテリー買ってきて付け替えて、何とか検査終了。

車検場でエンストします?

普通、しないでしょ。つくづく呆れましたが、これ以後もネタ満載の息子の車の数々。

淀川沿いの京都府陸運局、今の季節で、夕方はものすごく寒かった。

変な息子なので、しなくていいこともたくさん体験させてもらって、まあ面白い日々でしたが。

長話、ごめんなさい。

京都駅に着きました。

ちょっと早いけど夕食にしましょうか。

昼のなか卯がボリュームいっぱいで全然お腹空いてないので、ラーメンだけの夕食。

スープは思いっきり和風。でもおいしかった。

それからツリーを見ます。

あそこまで行きましょう。

上へ上がると階段全体が動くイルミネーションになっていました。

刻々と光が変わります。

大人も子供も大喜び。

うちの孫たちもきっと大喜びすることでしょう。

見せてやりたいなあ。

全然見飽きません。時間がいくらでもつぶせるので良かったです。

本物の人のシルエットと、模様として出て来るシルエットが混ざり合って不思議な感覚です。

音楽に合わせて、水紋が広がるように。

一番上まで上がってツリーを見下ろします。左側はガラスに反射したツリーです。

世界は平和に、人々は幸せに。

ツリーを見ているとそんなことを思います。

のぞみは結構空いていました。乗車券は一括仕入れの団体の値段なんでしょうか。

それをばら売り。京都往復14,000円は安いと思います。まあ行かないのが一番の節約なんですが、そうも言っておれないし。

この日は拝観料、交通費、食事代にお土産代で6,000円くらいだったかな。あまり使ってません。

藤田嗣治展、知らない人にチケット貰ったのが大変良かったです。


本日、退職者の源泉票書いて、すぐ終わる予定だったけど、いろいろあってまだ終わってません。

簡単な計算なんだから間違えないように…と偉そうに言うより気長に教えるにも、もう先はあまりありません。

間違えたのは修正に余計手間がかかる。

税務署へ用紙貰いに二往復、途中友達に会って、友達のご実家は7月の土砂災害の被災地域、恐る恐る聞いてみたら、両側の家には土砂が入ったそうですが、奇跡的に無事だったとのこと。

でも一週間、近寄れなかった。とのこと。高齢のお母様は無事で何よりでした。

で、最近は誰とでもまずは介護の話。お互いの情報交換して元気になって別れた。やれやれの毎日でございます。

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京都、名残の紅葉 宝筐院、清凉寺、鹿王院

2018-12-09 | 旅行

さて、12/5の京都弾丸一人旅の続きです。よかったらどうぞ。

宝筐院は紅葉の盛りはやや過ぎていましたが、ものみな盛りばかりを見るものではなく、少し衰え始めたころがなお一層哀れを誘うと、かの吉田兼好も言っております。

やがて来る冬への予感、止め難い時の移ろい・・・時は過ぎに過ぎ、時間を重ねて少女は立派なばあちゃんに。

毎年、花は咲きモミジは散るけれど、同じ年は二度とめぐってこない。これこそものの哀れなりって・・・今日もばあちゃん、変なこと言ってます。

年末が来るのが嫌なので、現実から逃げています。そうじ、片付け、仕事色々、やらないと過ぎて行かない。どうします?

年末嫌い。年初めの事務いろいろも嫌い。冬眠しているうちに早く春が来ないかなあ~

駄言深謝。


宝筐院の続き。奥の方のドウダンツツジ。今が盛り。

小さな葉があまりに鮮やか。赤に夏の緑が隠れている。赤が深い。

しかし、絵の具で混ぜると濁るんですよね。全く同じ色でなくても、原色を使うと、絵の場合、鮮やか。

ドウダンツツジ

こちらもツツジらしい。

静かです。

落葉多数。

モミジに染められた道をたどる。

今日は一人だけど、いつか誰かと歩いてみたい。誰かな・・・

と、いろいろ考えながら次は隣にある清凉寺です。

山門。別名嵯峨釈迦堂。釈迦如来像が有名。嵯峨の立釈迦、讃岐の寝釈迦のあのお釈迦様らしい。

境内広い。嵯峨野めぐりはここに車停めたらいいとある方の情報です。

この付近は余り混んでません。

源氏物語のモデルと言われる源融の別邸跡が10世紀には寺院となり、今に続いている由緒正しい古刹。

紅葉もあります。聖徳太子堂はどこも六角のようですね。

大寺院は、歩くのが大変なので本日は奥まで行きません。奥には紅葉もあるそうですが。

http://kyoto-k.sakura.ne.jp/momiji1112.html

嵐山へ戻ります。振り返るとさっきの山門が。

ここは参道だったらしい。

立派な鳥居の中は野々宮神社と愛宕神社の御旅所だそうで。

祭礼のときの神様の行列がここまで来て休み、また戻る。

愛宕神社は愛宕山山頂の神社ですが、そこから降りるのは大変なので麓にあるのかも。

広島の厳島神社だと地御前神社まで、船に乗って神様がやってきます。広電宮島線を横切るので、そのときだけの踏切があります。普段は閉鎖されているようです。

若いころの二年間、地御前に住んでいたので、あの付近は散歩コース。

ずるずるといろんなこと思い出します。

あちら小倉山?

歩き疲れたので、天竜寺斜め向かいの古民家カフェで一休み。

表通りの喧騒が嘘のような静かな店内です。

向こうは韓国からのお客様。


続いて嵐電で一駅、鹿王院前で降ります。

駅からは10分ほど。もうすぐです。

1380年、足利義満が普明国師に建てさせた禅寺。

門は創建当時のもので、覚雄山の額は義満が書いたそうです。知らなかったので見てこなかった。

貰ったパンフ、現地でよく読むべきでしたね。

モミジにばかり気を取られて、扁額知らず。

中にも宝物いろいろ、気が付かずに庭ばかり見ていた私。反省。

鹿王院はまだ続きますが、本日はこれにて。


昨日は、夫親族の家族三人、赤ちゃん一人が姑様のところに来訪。

お弁当持参で来てくれたので、助かった。私はお茶とお菓子の支度だけした。

10か月の赤ちゃんのしぐさに全員が和んで、二時間後解散。

赤ちゃんの持つ力は偉大なり。姑様が赤ちゃんの紙オシメを不思議そうに見ているので、「小さいですね」と言ったけど、分かったのかしら。

大人用のオシメに見慣れているので、とても小さくてかわいく見えた。

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YouTubeに投稿、京都駅光の階段

2018-12-06 | 旅行

昨夜、京都駅で新幹線に乗る前、素敵なイルミネーションを見てきました。

https://www.youtube.com/watch?v=AhzhvgCoofg&feature=youtu.be

長い階段に、音楽とともに、次々と光で模様が浮かんで流れて消えて、また現れて・・・

大人も子供も大喜びで、人の声と動きも作品の構成要素。

年の終わりにいいものを見せていただきました。

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癒しの讃岐平野

2018-11-25 | 旅行

ずっと長い間、ゆっくりと故郷の田んぼ道を歩きたいと思っていました。実家付近はすっかり都市化して住宅街に。昨日は思いがけずに懐かしい眺めに出会い、癒されました。

高速インターのバス降り場から歩いて行くと、こんな家が見えました。

土壁の二階建て、隣は納屋に車庫。子供の頃の実家に似ています。

二階は風通し悪く暑いです。我が家は物置として利用していました。

別の家を私が20歳のころ建てて、古い家は家全体を物置にしていましたが、22年前、道路などが通ってすべて取り壊し、別の町内へ移転し、今は記憶の中にしかない家。

その家を思い出しました。後ろは高速高松道。

見えてきました。あの漆喰壁のお宅のようです。国の登録有形文化財です。

東側から。クスノキが目印。きょうは見学者、友の会などたくさんの人が来ています。

家は何棟かあります。こちらが新しい方で、庭木なども。

橙?

わが実家にもありました。

続いてバスと電車で、藩主の菩提寺に行きます。高松は生駒家から松平家へ。初代頼重は水戸出身、光圀の兄で幕末に至るまで水戸徳川家との関係の深い家柄でした。

涅槃像を室外から写す。室内は撮影禁止です。

遠足で見学した時は、釈迦の弟子たち、動物が嘆き悲しむ迫力が怖かったです。

よくできた彫刻です。

京都の清凉寺の釈迦像と併せて、嵯峨の立釈迦、讃岐の寝釈迦と呼ばれるそうです。


門前の通り、ケーキ屋さんで一休み。

ちょっと早いけど、駅前、めりけん屋でセルフうどんを食べて、同行者と解散。

右の練り製品はエビが入ってます。昔はご馳走でした。

代金330円くらいだった。感動の安さ。

物価は安く、眺めは広々、日当たり良好、讃岐路の旅でした。


 


そうそう、きのうの最後によかったこと。

帰る前に駅から友達♂に電話して、またまたミニ同窓会の相談。次は京都の友達♂にも来てもらうことにした。6月に来られなかったので。

もちろん女子も呼びます。来年かなあ~、楽しみです。

もういつ何があるか分からない年齢なので、したいことして会いたい人にも会いたいというと、激しく同意してくれた。

夫は話が次々進まない人なので、先回りして説明する私。その癖が昨日は出て何度か話遮る場面も。失礼しました。

これでまた来年まで楽しく生きて行けそうです。

ねぇ、愚痴を言っても自分も楽しくなく、周りに害毒まき散らすでしょ。

友達と楽しく話すのはお金かからず、気分も晴れ晴れ。家族はもちろんだけど、友達大切にしないとね。人を大切にしてこそ、人に信頼され、いい関係が結べるって教えてあげようかしら。

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文化財の水車を見に行く

2018-11-25 | 旅行

昨日は日帰りでこちらへ行きました。

場所は香川県高松市六条町です。讃岐平野は条里制の名残りの地名も散見され、古くから開けた土地でした。

知り合いのご実家です。お父様が経営されていた水車小屋を近年復元し、国の登録有形民俗文化財となって、昨日は月に一度の公開日でした。

私は高松中央インターで高速バスを降り、あとは徒歩で。昔は一面の水田、今は家が建て込んだところを10分ほど歩くと着きました。

公開にあたっては、ボランティア団体の方が運営されています。丁寧な説明もあります。

敷地の横のこの水路から水を引きます。

きょうは水量が多い方だそうで。あまりの小さい水路(子供の頃はこの程度でも川と呼んでいた)が意外です。

水は敷地内の暗渠を通って水車小屋の地下へと引き込まれます。

ゴミ受けの網と柵があります。

屋内にある水車は直径5メートルの巨大なもの。地下に水をためて流し、水車を回します。

芯棒は鉄を松で覆ったもの。

木の歯車で力を伝えます。

小麦粉を作る碾き臼。

ベルトコンベアーでふるいのところへ運びます。小さな粉は布を通って落ちます。落ちないのは再び碾き臼に戻ります。

天井まで水力で動くベルトコンベアが廻り、再び碾き臼に戻ります。

これを何度か繰り返して細かな小麦粉にします。

製麺機。うどんを作ります。日本製パスタマシーン。

水、小麦粉、塩を適量混ぜ、こねずに上から落として伸ばし、半分にしてまた伸ばしを4回だったかな?繰り返し、今度は歯のついた道具を通して細く切り、適当な長さで切るとうどんができるそうです。

讃岐うどんがブームになって以来、手打ちが珍重されますが、忙しい農家が日常的に、手間かけてうどん作ることはなかったようです。この機械だと練った小麦粉をすぐに製麺しますが、おいしくできるそうです。

昔は、ここへ小麦を持ち込み、うどんにしてもらったそうです。

こちらそうめんを作る道具。うどんは最近使ったそうですが、そうめんはまだ使ってないそうです。

精米機もあります。動力は水車ですが、田植え時期は水田優先で水車は止まり、代わりに発動機で回していたそうです。

いつごろのものでしょうか?


その他に昔の農機具がたくさん保管されています。

昔はどこの家にもあったものですが、ほとんど廃棄されて建物とともに残っているのは珍しいのではないでしょうか。

鋤、鍬各種。それぞれ名前があり、用途も違います。

昔の農業はすべて手作業。勤勉な当時の人々の様子がしのばれます。

と言っても、まるきり知らない人は何のことやら。

私ですか?昔人間なのでわかりますよう~

田植え定規。縦70センチ、横140センチくらい。これを水の張った田に置き、桟に着けた印の場所に苗を植える。すべて終えると手前を支点に裏返し、後ずさりして続きを植える。

大きさは一人で手の届く範囲。

5年生くらいから手伝って植えていました。中学生になると勉強優先でまったく手伝いませんでしたが。

小さいころ農作業しすぎたので、プランターで野菜や花を作ろうと思わない…と言い訳する私。

手で田植えした世代もやがては消滅の運命?

皇居では毎年、手植えの光景が見られますが、あちらは定規なしですね。

鶏の餌箱。両側から餌を食べる。

草鞋を作る道具。

麦を撒く道具。筒の中に種を入れて押して歩く。

肥桶とひしゃく

七面鳥の出荷用籠。

関西へ出荷していたそうです。

カキ。知り合いはこの下の家で住んでいたそうです。

写真撮ってもらいました。いいお天気。


雨の少ない讃岐平野で、乏しい水を最大限利用して大掛かりな水車を回し、製粉、精米、製麺をする。その技術の高さに驚きました。

水はどこでもいつでも利用できる究極の再生可能エネルギー、昔に戻るのは無理かもしれませんが、限られた条件を最大限生かして、地域で使うものは地域で作る。輸送コストもかかりません。この精神は見直されていいのではないかと思います。

近いうちに小学生も見学に来るそうです。昔の産業と暮らしの生きた教材ですね。

復元、指定、公開にあたっては大変にご苦労があったようですが、次の世代に残て欲しい遺産でした。

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尾道は暑かった、、、

2018-10-25 | 旅行

春秋一度は尾道へ行く私。個性的な個人商店が頑張っているので、見て歩くだけで楽しい。

でもきょうは定休日だそうで、大半の店が閉まっていました。残念。

林芙美子の像と尾道城。城は昭和に建てられた展望台。今は使用されていない。

海へ抜ける路地。

いつもの店でお昼をいただく。ビストロルーシェ。

右上、紫芋を空揚げしたのがおいしかった。

ロープウェー乗り場横。

艮うしとら神社の巨大なご神木。

それにしても暑い。朝は寒かったのでフリースが邪魔。

千光寺への一本道。暑いので次の機会に。

降ります。山陽本線をくぐるお寺の参道。

降りて海まで歩きます。向こう尾道大橋、新尾道大橋。

尾道渡船。海上五分。向島と結んでいます。

いいお天気です。きょうははここを描くことにしましょう。

前と同じ、風が強い。

10分くらいで仕上げました。下手ですねぇ。太い筆一本で描いたのが悪かった。



きょうは久しぶりにバス往復。3,000円。安い。

車内静かなので、復路は爆睡。

いいお天気で、もう少し時間あればよかったのですが、次また頑張りましょう。

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10/8 ドイツの森を見て帰宅

2018-10-24 | 旅行

10/8 朝は雨も降って肌寒い。姑様が、ショートステイから17時には帰宅するので、早めに帰ります。

城崎温泉は日本海がすぐのところ、でも曇天なのでパス。一路自宅へと。

途中、山陽道瀬戸で降りて「ドイツの森」へ行きます。

とても広い農業公園とのこと。さてどんなドイツが待っているでしょうか。

山陽側は夏みたいに好天。連休最終日、家族連れいっぱい。

入場料は大人1,000円、シニアは500円、コアラは無料でした。

入り口からなだらかな坂を上ります。

ローテンブルクみたいな時計が。

2012年11月 ローテンブルク。市庁舎の時計。うーーーむ、ちょっと無理あるかも。

よく写真で紹介される道の向こうの教会…がよく似ているかな。

広場になっています。周りは飲食と土産物のショップ。

2015年4月、ドイツ、ゲンゲンバッハ。像は15世紀のもの。

手に持つのは、街の自治を認めたローマ教皇からの勅許状…だったかしら?

うろ覚え。

この町はさらに横の路地へ入ると「エンゲルガッセ」という、ドイツそのものみたいな眺めがあるそうですが、事前リサーチ不充分で見逃しました。

またクリスマスシーズンには市庁舎の窓の明かりが一日ずつともされて、アベントカレンダーになるそうです。

フランクフルトからは電車で一時間ほどの田舎町。無人駅だそうです。

クリスマスシーズンのツアーでも行かない場所。行きたいけど、もう行くこともないでしょう。残念。

門をくぐって、中はレストランなど。広場で休みます。

2012年11月。ハイデルベルク。

イギリス風モニュメントは、英国から嫁いだ王妃を慰めるためだったそうです。

向こうにローテンブルク風の時計あり。

日本の日差しの下、バラがきれい。

キバナコスモス。こちら日本。暑さに強く、花期の長い花。

赤い花はサルビア。日差しは強く、まだまだ夏の名残りが。

ゲートをくぐって

城門の外へ。2015年5月、ドイツ、ゲンゲンバッハ。

敵が侵入したら、杭のついた扉を落とす。おーーイタッ!!

くつろぐ人たち。

ケヤキはドイツにもあるのでしょうか。

斜面はブドウ畑。ヨーロッパ風にブドウを低く仕立てている。

10月は収穫が終わり、剪定して冬に備える時期。支柱は木材。

2015年4月、一面のブドウ畑。リューデハイムに向かう車窓から。むこうライン川。

ヨーロッパではコンクリートの支柱のようです。

2015年4月 ドイツ、コブレンツ。山全体がブドウ畑。

2015年4月、ドイツ、ザスバッハバルデン。

ブドウ畑の中の道を歩いていると小さな教会が見えてきました。

タンポポの咲く畑に、作業用の車が置いてあります。

とても広くて伸び伸びできました。ボールなどの遊具持ってきたら、子供連れて一日遊べそうです。

建物がドイツ的。

2012年11月。ドイツ、ニュルンベルクで。

元はワインの醸造所、現在はレストラン。


ドイツ風のお土産もいろいろあり、楽しい場所でした。一度経営破たんしたそうですが、なかなか頑張っている印象でした。建物はどうしても劣化するし、花の手入れも大変、でも広々としたいい場所でした。


不届きな長男嫁、「ああ、また海外旅行行きたいよ~」と言うと、「四国か?」と聞かれました。

違うパスポートのいる海外だよ~。飛行機乗りたいよ~。あの緊張感が好きなんですう。

せめて昔の写真出して、思い出してます。旅行自慢深謝。今は地味でおとなしい暮らしをしています。

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10/7 コウノトリの郷公園から城崎温泉へ

2018-10-23 | 旅行

わずか半月ほど前ですが、ずいぶん昔のような気がします。記憶は指の間から砂が落ちるように、さらさらと消えていきます。

老化とはこのことかと、愕然としますが、いえいえ行ったこと憶えているだけで、まだマシ。先日の実母、三月に姑様のお見舞いに来たこと、すっかり忘れていました。

自分の名前と娘の名前は憶えているそうですが、孫8人の名前と生まれた順になるとあやふや。でも記憶がなくなるのは一方ではいいこと。同居家族の愚痴もほとんどなくなった。一ときはとても激しく、聞かされる私は不整脈に過呼吸で具合悪くなってた。やれやれです。


豊岡市のコウノトリの郷公園。

置物みたいですが、柵の上にはアオサギにコサギ。柵の中はコウノトリ。

ありふれた鳥は中に入るのを遠慮しているのかしら。

水田の中の巣。鶴に似ていますが、鶴より首が短い。

夫、あっ、コウノトリと飛んでる鳥を指さす。

私、あれのどこがコウノトリ?ただのトンビじゃないの。

でもそのあと飛んできました。写せず残念。

コウノトリは数が少なくなったので捕獲して増やし、生育しやすい環境も整えて、40年かけて再び野生に戻したそうです。

とは言え、水田に農薬を使わず、コウノトリのえさ場を作っています。人も他の動物も近寄れないようにしています。

タカなどの猛禽類はどう防ぐのでしょうか。夕方になったので、一路城崎温泉を目指します。


細い温泉街の道路、大渋滞。何とか宿にたどり着いたあとは、何はともあれ温泉街の散策。

城崎温泉は京都発の山陰本線が日本海へ出る直前にあります。鉄道で行ける場所なので、志賀直哉も行ったのでしょう。

 

宿近くの立ち寄り温泉。宿でもらった入浴証で入れるけど、まだ早いのでパス。

お寺のようなこちらへ行きました。こちらも温泉。連休で、人がとても多かった。

ちなみに私は服にスニーカー。夫、服に下駄。

この私には、浴衣は身幅が足りず、丈が長い。下駄は転倒骨折が怖い。

色浴衣着て楽しいのは若い人だけ。年寄りはまずは安全第一。

泊ったのはこちら。

温泉情緒

柳が旅情をそそります。

土産物店、射的場など温泉らしい店がいっぱい。


わーい、わーい。食事です。部屋で食べます。

床の間全体を装飾。これなら壁のシミなども目立ちません。いいアイデア。

高価そうな置物。

古備前かも。割ったら大変。

ロビーに展示していた掛け軸。南洲とは西郷隆盛のこと。直筆らしい。

幕末、禁門の変(蛤御門の変)で焼失した範囲を報せる瓦版。

上が東のようです。賀茂川の際まで焼け、焼死者多数とのこと。

この戦いで長州藩は京都から追い落とされますが、のちに武力を蓄えて再び攻め上がります。

京都へ行き、天皇をいただいて正当性の根拠とする。京都を中心にして政治の激変の時代、明治維新まではもうすぐです。

蛤御門の変の後、桂小五郎(のちの木戸孝允)が隠れていたのが、私たちの泊まった「つたや」さん。建物は建て変わっていますが、のちに司馬遼太郎が訪れ、投宿したそうで、由緒あるお宿です。

木造三階建て。その三階まで食事が届きます。恐れ入ります。

右は木戸夫人。祇園芸者だった美女で、のちに鹿鳴館の華と呼ばれたのではなかったかしら…うろ覚え。

おとなしく隠れていたわけではなく、地元の芸者さんたちと楽しく過ごしていたそうで、木戸夫人は心配してここまで様子見に来たそうです。

松菊とは孝允の雅号らしい。宿の玄関横にあります。

維新史跡 木戸松菊公遺蹟 揮毫は松木屋…。

隣は志賀直哉の泊まった三木屋さん。いつか行くことがあれば泊まってみたいものです。

 

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10/7 兵庫県朝来あさご市は日本のふるさと

2018-10-22 | 旅行

ずいぶん前になります。なかなかまとめられなくて今日になりました。

10/7 宿を出て一路、播但道から朝来市竹田町へ。ここは、中世から近世初めまで、竹田城のあった町。

秋の終わりから冬にかけて、向かいの山から霧の中に浮かぶ石垣の眺めが「天空の城」として有名になった場所です。

夫はいつか行きたいと言っていましたが、わが家から日帰りはちときつい、今回やっと念願叶いました。

城へは30分くらいの登山。いい汗かきました。

https://blog.goo.ne.jp/kawashima134/e/f54c99b38b83f9d7978c1df20f45d688

城から降りて

竹田の町はちょうど秋祭りの日でした。

豪華なおみこしです。担ぐのではなく、下にタイヤがついてます。

お寺の前を通ります。

お寺の奥様が、ご祝儀渡そうと待っています。

本堂からご住職が見ておられます。

地元の人が子供たちと川の鯉を見ています。

お寺は竹田城最後の城主、赤松氏の墓所のある古刹です。

いいなあ、こういうsituation、お寺の奥さんなら御仏のすぐ近くで心安らかに過ごせそうです。

がしかし、お寺に嫁いだ母の叔母の話では、なかなか大変だったそうで。

境内、本堂、庫裡は広いし、常にだれか来るし、葬式は待ったなしだし、この私では到底務まりません。ちょっと想像してみるだけにしておきましょう。

通り過ぎます。

この先もずっと続いて欲しいこの眺め。

地元の皆様、いいもの見せていただいてありがとうございました。

JR線路の先が姫路と豊岡を結ぶ旧但馬街道。街道筋の面影が残っています。

各町内ごとのおみこしが出るようです。法被も色違い。

立派なお祭りです。

こちら白い法被。お神輿二台。後ろは太鼓を乗せて叩いています。太鼓台というのでしょうか。

行ったのがたまたまお祭りの日、私たちはラッキーでした。駅に近い観光駐車場は無料。これも嬉しい。このあと豊岡市のこうのとりの郷公園へ行きますが、それは又次回に。

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10/6 旧閑谷学校から山上の宿へ

2018-10-09 | 旅行

土曜日、午前中の仕事終えて出発。まず私が運転し、助手席の夫はお弁当食べます。

小谷SAで交替、今度は私がおにぎり二個食べて時間の節約。

久しぶりのドライブ旅行です。たぶん二年近く行ってない。ショートステイのおかげです。

 

岡山JCT付近。米子道が分岐します。

15時半ころ、備前市の旧閑谷学校到着。岡山藩が江戸時代初め、庶民教育のために作った学校。 

講堂は1973年完成。国宝。学問の場らしく、簡素で力強い形をしています。

中はとても丁寧に使われています。

建具、火頭窓の窓枠などは拭き漆仕上げです。

 

塀は中国式の上部が丸くなった形。

なぜか居住まいただしたくなります。不思議。

明治になって、私立閑谷中学校として再興されます。

こちら1905年建設の本館。現在は資料館。

瀟洒な洋風建築。

もうコアラは余計だわ~ 

正面玄関

建物は文化財

学校の階段と踊り場の好きな私。

学校がいちばん学校らしい場所。

公園でもなく、塀のたたずまいはやっぱり学校。

イタリアコアラ、何思う。 

川をさかのぼると来客用の茶室あり。

この付近まで来ると山も深い。

帰ります。左、講堂。右は孔子廟、さらに右に創設者の池田光政をまつった閑谷神社があります。 


国道二号まで南下してしばらく行くともう兵庫県赤穂市郡。

今夜の宿は車で利用しやすいこちらにしました。

 

部屋は四階、上郡の町がよく見えます。山陽本線の列車がとことこと走っています。

食事はレストランで。

いただきます。

この他に名残の鱧鍋…ここは最西端とはいえ関西。

但馬牛の焼き物、てんぷら、ホタテの真薯とマツタケの椀物、アサリご飯、味噌汁なども。

とてもおいしかったです。

公共施設で職員の方も親切丁寧、お勧めのお宿です。備前インターから車で20分くらい。


すぐ下に池が。農業用水でしょうか。

カヌーの練習もするそうです。

きょうからはお得なプラン。お得すぎるプラン。

これなら家にいるより安くつくかも。布団もあるはずです。

私達はなんかのキャンペーンで二人で20,012円でした。

隣は古墳。

古墳時代末期の石棺がいくつか発見されたそうです。

埋葬されたのは、当地の有力者と考えられるそうです。

周りは私の好きな雑木林。

桐に絡みつくボタンヅル。

山里の秋。むこうは寺院。

朝食です。いただきます。

朝食後は姫路東JCTから播但道で北上するはずが南下してしまいます。

最初のランプで引き返します。やれやれ。

運転する夫が悪いか、道案内の私の落ち度か、深く追及しない。

年寄りの旅はあわてず騒がす。のんびりと行きましょう。

このあと竹田城に。城もさることながら、城下の竹田の町が、信じられないくらいいいところでした。

行ってみれば太宰治の「津軽」の世界。どんなことがあっても変わらない良き日本。

人々は親切で勤勉で、仲良くて、そんな場所でお寺の奥さんやってみたい。

それは又次回に紹介いたします。

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コアラと旅する備前、但馬地方

2018-10-09 | 旅行

さて、連休の老夫婦二人旅に、ついぬいぐるみを持参。

ただ写真撮るだけでは飽きたので。

いい歳してお恥ずかしい。

ぬいぐるみは、三男への旅行土産。昔、ローマ三越で買った。イタリア製?

手足が短いのが何とも。。。。

岡山県備前市閑谷しずたににある閑谷学校。

江戸時代初め、岡山藩が庶民のための学校として建てる。

世界最古の庶民のための公立学校で、備前焼の瓦葺き、立派な講堂は国宝だそうです。

わーーーい。

丸く石をついた塀は中国風。学問の場という雰囲気。

講堂の奥には、明治時代、私立閑谷学校へと受け継がれたときの建物あり。

瀟洒な洋風建築は現在、資料館に。

今から帰ります。

季節には紅葉の名所で多くの人を集めます。

わあーーきれい。

宿は兵庫県に入ってすぐの上郡町で。山の上の一軒宿。

いただきまーーーす~♪

翌日は竹田城へ登り、午後から豊岡市のこうのとりの郷公園へ。

水田の中に巣があります。

二羽います。

奥には餌場があります。

塀の上に並んでいるのはアオサギとコサギ。下にいるのがコウノトリです。

個体数が少なくなって保護し、40年かかってまた放鳥できるまでに増やしたそうで、周りは農薬や化学肥料を使わない環境を作っているそうです。


二泊目は城崎温泉へ

古備前? 

わーいわーい。

宿は木戸孝允、司馬遼太郎が宿泊したつたや。

隣の三木屋は志賀直哉の滞在した宿だそうで。あっちにすればよかったかなあ~

こちら翌朝、雨に煙る温泉街。まだ店は開いてません。

寒い)))

瀬戸内へ来ると快晴。夏のように暑い。

山陽インター下りて30分くらい、車で行くドイツ。

家族連れ多し。入園料は大人1,000円。シニア割引は半額。

ゆっくり見たかったけど姑様がショートステイから帰るので早めに帰宅。

久しぶりに車で旅行しました。たぶん一年半ぶりくらい。

わがまま言わず、素直にショートステイに行ってくれるので有難いことでした。

きょうからまた介護に頑張ります。といっても主に夫ですが。

10月は遊びの予定もいろいろと。いつまでも遊びたい老嫁です。

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岐阜、高山、下呂温泉の旅2

2018-08-12 | 旅行

8/8 

二方向の窓を開けていたら寒くて目が醒めたのが6時前。

同室者は熟睡、一人で街を歩くことにしました。

高山は1970年、1995年に次いで三度目。だいたい四半世紀ごとに訪ねていることになりますが、次はあるかどうか。。。。

最近、そう思うとなんでも深く味わいたいのですが、忘れることも多く。

出かける前にロビーでコーヒーいただきます。

キツツキマークの飛騨家具がレトロ。すごく流行りましたよね。我が家も最初のダイニングセットはキツツキマークでした。椅子はまだあります。

コーヒーはセルフサービスです。

古い町並みとは反対側の飛騨国分寺へ行きます。

本日フリマです。たまたま出会って嬉しい私。6時過ぎ、もう準備していました。

樹齢1200年の大イチョウあり。

庚申堂、さるぼぼは子供の成長をお願いする人形でしたか…

夫はもう起きたでしょうか。そろそろ引き返します。

飛騨高校が和牛を育てる大会で優勝したようです。

学校で牛飼ってるんですね。宮城県まで連れて行ったのでしょうか。

旅館の前の家。家に蔵がついているのではなく、蔵に家がついている・・・と思ったら左隣もつながっていました。


朝ご飯をいただいて

再び国分寺のフリマへ。小2の女の子が作ったヒノキの箸を買いました。

 

その後、朝市へ。珍しいカボチャ。朝市の写真、撮り忘れました。

続いて桜山八幡宮へ。

隣に高山祭の山車を展示しています。

900円と高額なのでパス、夫だけ見学に。

私はからくりミュージアムへ行きます。一人からでも人形を動かして見せてくれます。

弁慶と牛若丸の戦い。

牛若丸が杭の上を移動します。

天神様が字を書きます。

唐子が空中ブランコをします。

お茶を運びます。

なかなか面白かったです。夫もあとから来て一緒に見ました。

さらに歩きます。

チゴユリを玄関先に植えているお宅。涼しい土地のようです。

続いて造り酒屋だった吉島家住宅へ。

中庭。こんな中庭のある家に住みたいものです。

生活用具を展示

日下部民藝館へ。

蔵にも民芸品などを展示しています。

町を歩きます。

 涼しげです。

日差しはきつく

影は少なく、町歩きもなかなかに大変でした。

明治時代に建てられた高山郡役所跡

中庭

渡り廊下

和室。和洋折衷の建物でした。

昼ご飯食べて、続いて高山陣屋跡へ。ここも三度目のはずですが、前の二回、ほとんど記憶にありません。

天領だった高山の代官所です。

広い建物で蔵もたくさん。年貢米を収納していたのでしょう。

高山は大変豊かな土地だったようです。

15:05発路線バスで下呂温泉に向かいます。

路線バスは飛騨川沿いの集落をたどりながら、90分かけて下呂温泉へ向かいます。

高山本線と並走して走ります。

途中、老健施設のようなところに土砂が入っているのが見えました。

先月の土砂災害では岐阜県でも死者が出て、高山本線はこの時はまだ一部不通でした。

 いよいよ到着です。駅前まで、宿からのお迎えをお願いしました。

さて、今夜の宿はどうでしょうか。

草津、有馬と並ぶ三大温泉だそうですが、別府とか白浜とか熱海は…三つに絞るのは無理があるかも。

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岐阜、高山、下呂温泉の旅1

2018-08-11 | 旅行

8/6 仕事終えて新幹線で名古屋まで。在来線に乗り換えて岐阜駅前のホテルに投宿。

朝、窓から見る駅前。山がなくて広々。

右方向、金華山。きょうはあそこへ行きます。

駅前から路線バスで岐阜公園前まで。

モーニングサービス~素晴らしい~

天守閣見えてます。

斎藤氏のあと、信長が支配したこともあったそうで。

 

板垣伊助遭難の地。「板垣死すとも自由は死せず」の言葉を残したそうです。

まず歩いて岐阜大仏へ。正法寺大仏殿が見えてきました。

イチョウを心柱に、竹を組んで粘土で形を作り、お経を貼り付けて漆、金箔と重ねる乾漆像。13.7mと乾漆像としては日本最大だそうです。

女性的な笑顔の仏さまでした。

ロープウェーで山へ上がります。

信長居館跡が見えます。

ぐんぐん上がります。長良川が見えてきました。

ロープウェーで山頂につき、10分くらい山道を上がると天守閣が見えてきました。

観光用に近年再建されたそうです。

この日は35度くらいの気温。岐阜的には涼しいかもしれませんが、山道歩いているとめちゃくちゃ暑い。帽子に日傘の二重防御体制です。

暑いので何も観ずに降りるロープウェーの中で、天守閣下のトイレにデジカメ忘れたことに気が付きます。

再びロープウェー往復券を買って引き返す私。

夫はというと「わし、ちょっとアイス買ってくる」と姿を消し、荷物預かってくれません。

なかなか戻らないので、もうおーーーーーと激怒して携帯で呼び出すも夫は出発時間に間に合わず、ショルダーバッグに荷物入れたバッグの二つを抱えて、ロープウェー下りた後、再び山道を引き返します。

忘れた私が悪いけど、悪いんですけどね、初日からこれではこの先が思いやられます。

トイレにはカメラはありません。資料館にも届いてません。最後に天守閣の入り口に駆け込み、

あのおーーー!!!、カメラにトイレ忘れてませんでしたかあーーー!!!!

と聞くと、出て来たのはトイレではなくて私のカメラ。誰か親切な方が届けてくれていました。

いゃあ、良かった良かった。でもここで45分のロス。

下へ降りると、好きなアイス、売ってなかったと夫は言ってます。

まだアイスかよ_| ̄|○


山のふもとはいろいろ観光施設があるのですが、とりあえず古い町並みという川原町へ行きます。

長良川に沿って川港=荷物の中継地点として栄えた町ですが、水運の途絶えた今、少しの街並だけが残っていました。

食事処もあまりなく、暑い中をさまよいます。

影がなくて木もなくて暑い。平日、ほとんど人通りなし。

レトロな看板だとか

名古屋によくみられる屋根神様だとか。

裏通りは少し涼しい。

長良川から水を引いたらしい運河沿いは公園になっています。

でも平日の昼間、人影はありません。

フラフラと彷徨ううち、岐阜駅行きが通るバス停まで。

信長バス。信長はどこへ行っても人気があり、ゆるキャラよりもずっと集客できるのかも。

こんなとこなら早く高山へ行こうと提案するも、ネット予約したバスはネットでしかキャンセルできないそうで、スマホ持たない悲しさ、15時過ぎまで岐阜で過ごすことにしました。

バス停前の八百屋でアイス買って店先で食べていたら、店から出て来た同年輩の女性にどこから来たのかと聞かれます。

土砂災害、大丈夫でしたか?と心配してくれました。

うちは山の近くでないので。

原爆は大丈夫でしたか?とまた心配してくれます。

その時はまだ生まれてなかったので。

と、旅先ならではの楽しいやり取り。


いゃあ、なかなか話が進みません。

駅前のバスターミナルで遅い昼食を。

菜飯定食。味噌田楽がおいしかった。ちなみに左からお豆腐、小芋、こんにゃくです。

バスは二時間待ちます。

夫はどこかへ行きましたが、私はバスの待合室で寝ていました。

痛恨の。。。。一枚目はホテルでもらった割引券で購入。二枚目は正価で。

でもすぐ出て来てよかったです。旅行中、なるだけ荷物の数は減らし、その場を離れるときは確認必須。

高速通って2時間で高山まで。いいお天気です。

宿に着きました。バス降りて徒歩で10分くらい。街中の小さな宿です。

荷物置いて街へ出ます。古い町並みは明日の楽しみに敢えて行きません。

レストラン

家具

八百屋

宮川

パティオのあるレストラン

カフェ


宿に戻ります。

浴衣が選べます。普段着ない派手なのを。身丈が長く、身幅狭く、途中で脱ぐ。

風呂の後、部屋に食事を運んでもらいました。

鱧に冬瓜、トマトなど。

鱧は京都つながり?飛騨の小京都の矜持?まるで謎かけのよう。

飛騨牛饅。

デザートとか。

暑い中をよく歩いたので、あとは寝るだけ。

高山は標高が900メートルくらいあるそうで、夕方の気温は27度、風が吹いて、クーラーにあたってるみたいでした。

夜は二方向の窓を開けていたらあまりの寒さに、明け方、目が醒めました。

昼間は暑いけど、朝夕と夜は涼しい高山でした。

ここまで読んでいただいて有難うございました。旅行記は明日も続きます。

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下呂温泉、湯乃島館

2018-08-10 | 旅行

下呂温泉、湯乃島館は落ち着いたたたずまいの風格あるお宿、随所に遊び心もあり。

高山本線が開通した後、名古屋の実業家が作ったそうで、当時は日本に新名所ができたと話題になったとか。

昭和の温泉リゾート、娯楽設備いろいろ、楽しめました。

最上階の洋風建築と足湯、テラスは見損ねました。残念です。

こちらなどをご覧ください。

https://hakudakuyu-2.blog.so-net.ne.jp/2013-02-03


濃飛バス、高山発15:05の下呂温泉行に乗ります。

ローカル路線バスの旅、飛騨川沿いの小さな集落に停まりながら1時間半かけて下呂温泉まで。

乗客は地元の人ばかり、観光客は私達だけでした。

お迎えをお願いしてワゴン車で宿まで。

館内探訪。3階展望室。

飛騨川と温泉街

家族風呂の廊下。

左に広い脱衣室がついた四室あり。タイルがレトロ。

山の斜面に沿って建物いろいろ

9階まで上がると山の斜面の遊歩道へ出られます。あとは坂道を下って玄関まで。

深い木立の中をゆるゆると。

戻りました。

フロント横のロビー。この付近も登録有形文化財らしい。

創業当時は畳敷きだったのかも。

奥の喫茶コーナー。新聞雑誌、コーヒーのセルフサービスなど。

向こうの★印が私たちの泊まった部屋です。二階ですが、庭下駄で外へ出て散策できます。

親戚の家みたいでくつろげます。

廊下。こちらも登録有形文化財だそうで、地形に沿って建築してこんな形になったのでしょうか。

 

エレベーター横の展示

おなじく。

部屋に戻ります。先ほどの喫茶室が見えています。


食事は18:30に部屋に持ってきてもらいました。全部は写真撮ってません。

 前菜など

朴葉寿司。焙烙にのせて保温している。

飛騨牛の小さなカツを芯にしています。

飛騨牛のしゃぶしゃぶや焼き物、アユの塩焼きなどもあって

酢のものとか、中休みのシャーベットとか。このあとデザートまでおいしくいただきました。

どれも少しずつですが、終わってみればお腹いっぱい。

このお部屋も昭和六年建築。細部は手直ししているはずですが、あくまでも古き良きたたずまい。

夏用建具

フラシュなしで。ヨシの茂みに隠れているみたい。

展望室からの夜景。手筒花火大会があったようで、花火も見えました。

広すぎて迷います。全部は回りきれません。回ると特典があります。

器各種

器各種


翌朝

朝食の前に、玄関から出て庭に出ます。

下から見上げます。

庭はかなりの勾配、下駄で歩きにくいけど頑張って部屋の外まで登ります。

連れ合いは起きたようで、荷物の整理しています。


朝ごはんは眺めのいい8階大広間でいただいて、10時に宿から駅まで送っていただきました。

只今高山本線は先日の土砂災害で一部不通、名古屋までJR代替バスで二時間半、バスは中国、韓国の観光客の人たちもいて満席でした。


いつかまた行ってみたい湯乃島館~♪

サービスも過不足なく、お料理もおいしく、何よりもリーズナブル。部屋もいろいろなタイプがあり、平日限定のお得プランもあるようなので、皆様もよかったらどうぞ。

広いお宿で、他の人とほとんど出会いません。団体ツアーもこの日はいませんでした。

静かで涼しくてよかったあ~

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岐阜を旅行していました

2018-08-10 | 旅行

8/9 岐阜県内の某所で見た大変珍しい花…と思う。

もう一枚 

シチダンカ 七段花

江戸時代には知られていた八重咲のヤマアジサイ。

シーボールトの「日本植物誌」でヨーロッパに紹介されるも、その後、見つかることはなかったそうですが、戦後、六甲山中で発見され、絶滅していないことが分かりました。

今では園芸種もいろいろありますが、これは咲いていた状況から野生種のようでした。

この花は特に花びら(花額)が多く、縦長につくところなど、シチダンカの特徴がよく出ていると思います。

場所を言いたいのですが、貴重な花なので内緒ということにさせてください。

広島空港横、三景園のシチダンカは今年は見られなかったので、思いがけずに出会えて感激!!


 三泊目の宿は下呂温泉の湯乃島館。

昭和6年創業の山の中腹の一軒宿。

玄関周り、廊下、本館は創業当時のもので、国の登録有形文化財に指定されています。

たまたまネットで見つけて、これは泊まるしかないと予約しました。

宿のサイト

http://www.yunoshimakan.co.jp/

本館に宿泊しました。

山の斜面にいろいろなタイプの木造の建物があり、上の方は新しいのもありますが、すべてが渡り廊下やエレベーターでつながり、迷路のように複雑。

がしかし、どの建物も裏は山の斜面になっていて、万一の時も脱出は容易と思いました。

私は古いものが好きなので本館に宿泊。玄関からは二階、でも部屋の縁側からは庭にそのまま出られる部屋。

16時過ぎチェックイン、翌朝は10時までいてのんびりしました。

古いタイプの風呂のついてない部屋なので大浴場へ。一番近い部屋だったのもラッキーでした。

宿泊客はいるようですが、大浴場には誰もいません。翌朝、男女の風呂が入れ替えになったのでまた行きましたが、誰とも出会いません。

風呂、独り占めです。ありがたいことです。

露天風呂。宿のサイトからお借りしました。

大浴場からは川を挟んだ下呂温泉の街並みと向かいの山がよく見えます。

宿全体がとても静かで、癒されました。

露天風呂付の部屋もあるようですが、それって自分で湯をためる?

そんな立派な部屋の経験がないのでわかりませんが、私は大浴場で充分な女、と負け惜しみ。

昭和天皇と、皇太子時代の現天皇も宿泊したそうで、館内に写真と食器を飾ってありました。

館内のことは追々、ご紹介します。

先日のエントリーは読んでいただいたと思うので、下書きに入れました。悪しからず、ごめんなさい。

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