初めは真面目に綾を取っていたけど・・・
途中から面倒になって、糸を手前で適当により分けつつ、二本一度に綜絖の穴に通す。
向こうの方で撚れているのはこちらで強く引いたりして調節、何とか568本、通し終えました。
初めて使うメーカーの糸、柔らかくて扱いやすそう。明日頑張れば本筬にも通せそうだけど、納期のない趣味の機織り、無理しない。
初めは真面目に綾を取っていたけど・・・
途中から面倒になって、糸を手前で適当により分けつつ、二本一度に綜絖の穴に通す。
向こうの方で撚れているのはこちらで強く引いたりして調節、何とか568本、通し終えました。
初めて使うメーカーの糸、柔らかくて扱いやすそう。明日頑張れば本筬にも通せそうだけど、納期のない趣味の機織り、無理しない。
何とかここまでこぎつけました。
あとは綾棒外すだけ。
織り機にセットしました。
向こう側に余裕がないのでいつも苦労していましたが、本日、織り機の中に入ると簡単にできました。
なるほど、これからはこうしましょう。
月末までに織り始めたいけど、いろいろ予定もあり、まあ焦らずに。
綾棒外したら織れないんだった。写真見て今気が付いた。_| ̄|○。
えらそげに書いて、私ったら。さてどうしますか
本日、粗筬まで。
夫の持っていた棒に自分で2cm置きに釘を打つ。
釘と釘の間に糸を通す。
今回は2本取りで70羽/10cmの予定で、糸は600本弱。
糸抜けを防ぐためにメジャーを絡ませてみました。
手前に緒巻をセットして巻き取り、最後に粗筬外せば面倒な綾返しが不要と考えましたが、本当は閉じた粗筬の方が安心で、糸も心置きなく引けそうなので、次からはどうするかなあ~
今日で家のリフォームは終了。あとは風呂のボイラーを元に戻すのと建具の微調整、それは連休明けになるそうです。
工事のある日は毎朝、現場監督さんがあいさつに見えて、本日の工事の説明、最後にはその日の職人さんがあいさつして帰るという一月間。
誰も来なくなると、変な感覚だけど、寂しくなるかも。ばあちゃんらしく、情が移るというあれですね。
去年の今頃から工事が始まり、くい打ちでブロック塀は傾くし、マンションが立ち上がるに連れて、家がマンションに向かって沈下するし、不具合を言っても初めの頃はあまり相手にしてもらえなかったけど、町内会の方たちも話に加わってもらって何度か話すうちに、ある時から急に親切に対応してくれるようになった。会社の方針が変わったのかもしれない。
窓枠が歪んで隙間が空き、鍵も掛けられないのは何度も調整してもらった。
初めはマンション建つのが嫌だったけど、今は建ってしまったものは仕方ないので、気分を変えてここで暮らすと心に決めた。
白いマンションで、裏側から明るくなったのは不幸中の幸い。風通しは分からないけれど、街中なので受忍限度内でしょうか。
リフォームを機に飽きた食器を捨てた。食器が少なくなると食事の支度と片付けが楽になった。その流れで服もだいぶ整理した。きょう夕方お嫁ちゃんが来たのでコートも二枚上げた。
物が少ないと暮らしが楽。そのことに気が付いた。捨ててすっきりした家を目指しましょう。
今年も美術館に展示予定。きょうから機ごしらえ、始めました。
この本の…
左のページです。
午前中は糸を巻いて、午後から整経。今回も出来上がり1mのタペストリーなので、170cmくらい掛ける。
本は二色だけど、展示するので、派手な色を入れることにしました。
整経台は教室やめた後、夫に作ってもらった。5mくらいは充分できるけれど、いまだそんな大作の経験なし。短いので、整経台の下の方でひっそりやっています。
千巻は明日以後ですね。綾返ししなくていい画期的な粗筬を自分で考えたけど、前回は早くに糸を外してもたもたして、結局時間がかかってしまった。
今回こそ、頑張りましよう。
昨夜のうちに台所に家具を運び込み、今朝から最後の片づけです。
今朝は家の前に大きなミキサー車が現れてビックリ仰天。
家の裏の通路にコンクリートを打ったのでした。
すっかり忘れていた。マンション工事の時、境界のブロック塀とコンクリートの通路を壊し、測量しなおして整備しなおすことになっていたのを。何しろ一年以上前の話なので。
今朝はキッチンセットと壁の間の隙間をコーキングしてもらった。家の中はあとは建具の調整くらいでしょうか。
敷居が上がりすぎて戸がこすれていたのは、夫がサンドペーパーで磨いて直しましたが、昨夜からまたぎっくり腰が復活したそうで、動かしてもらったのは電子レンジと台所のテーブルだけ。
あとは女の細腕で(細くないけど)、動かしています。
この際、なんちゃって暖炉も少し窓際に移動。和風の掃き出し窓が何とも。
しかし、掃き出し窓は便利です。機織り機も、台所の流し台もスイスイと出し入れできます。
もちろん棺桶だって…と縁起でもないけど。
暖炉は、木質チップを固めたボードが本体。その上に合成樹脂のレンガをコンクリートで貼り付けているので、私一人でも何とか動かせました。
手前の部分もはめ込み式。
木と合成樹脂の暖炉なので火災には弱いはず。火も、電球の明かりとその熱で回転する羽で、燃えているように見せかけているだけ。
25年くらい前、アンティーク家具に凝っていて、大阪の大塚家具まで見に行ったこともありましたが、これは神戸で買いました。
セールしていたので、衝動買いしてしまいました。
アメリカのメーカーでしょうか。詳細は知りません。今日動かして、初めてこのシール見ました。
face book発見!! https://www.facebook.com/RusticCrafts
インテリアの小物から大物を作る会社のようです。
どれもおしゃれで、そして紛れもなく、アメリカ的。いいなあ~
同じものを、当時、横浜のダニエルが輸入し、「装飾暖炉」として販売していたのを、インテリア雑誌で見た記憶がありますが、それよりはだいぶ安かったのです。
物理的、金銭的制約は大いにあるものの、好きなものを好きに置けるのは嬉しい。
一休みしたら、片付けの後半、頑張ります。
只今、別の本読んでいるけれど、公民館へ返却に行って目に付いたので借りてきた。
あの「負け犬の遠吠え」で大ブレイクした著者もすでに40代後半。結婚もせず、子供もいない女性の後半生と死後のお墓などについて、いろいろな切り口から考えていて、わかりやすく、面白かった。
私が子供の頃、日本は人口が増え続けてやがて食糧難になる心配があったらしいけど、今や少子高齢化が社会問題、その中で独身でやがて高齢になる女性がどう考え、どう生きたらいいか、ヒントが詰まっている。
とは言え、未婚中年女性とひとくくりにするのにも無理がある。資産や血縁、友人縁に恵まれた人とそうでない人の違いはとても大きい。前向きに人生を充実させる、このことさえ難しい人もいると思う。
いえいえ、そんな個別のケースがあったとしても、この本の価値は損なわれません。
興味深かったのは、沖縄の死者の祀り方。本土のような個人の位牌ではなく、名札のようなのを大きくて、蒔絵などのある立派なケースに入れるらしい。それをトートーメーと言う。離婚して帰って来た女性の位牌はそのケースには入れず、台所の西か来たの隅に小さな棚を作って載せておくという。それがサギブチダン。そういう位牌は家に災いをもたらすものだと。
位牌のケース=トートーメーは男系の子孫が受け継いでいく。娘ばかりの家は預かっている形、その人たちがなくなれば親族の一番近い男系に渡っていく。財産もその習わしだったそうで、それは今の相続の諸法との間に矛盾がある…と著者は断言はせずに(それは習俗への敬意と思うけれど)疑問の形にしていたけど。
未婚で亡くなった女性は実家の墓には入れず、お寺にあずかってもらう。離婚した女性も死後、お骨を元の婚家に引き取ってもらう…と、少数派の女性にはあくまでも厳しい沖縄の習俗のようです。
しかし、今はそれも少しずつ変わっているようですが。
沖縄はたぶん古いやり方が残っていて、昔は日本全国、こんな感じだったのかもしれません。
沖縄で、未婚のまま亡くなった男性はどんな扱いなのでしょうか。それも知りたかった。
この本ではお墓のことに多くを割いていますが、その前の死に方はいろいろ。子供の育ち方は、みな似ていても、介護が要る人と要らない人と。
著者のご両親は介護の手間を取らせることなくもう亡くなったそうで、もし著者が介護の苦労をされたなら、また違った問題意識を持ったと思う。結婚もせず、子もない女性の、男性の介護は誰がどのように担うのかというシビアな問題。
きれいごとではなく、そんな立場の人も希望が持てるような著作を期待します。
本日、注文した糸が届きました。
今回から糸の注文先を楽天内の「小糸屋」さんに替えました。
今までの「生川」さんが、在庫切れ入荷未定になったので試しに買いましたが、しっかりしたいい糸で、扱いやすそうです。
16番手2本撚り。極細です。安くて細い糸で込み入った柄に織るのが好きな私。次もサマーアンドウィンターの予定です。
糸は次々余るのですが、余り糸で何かを作る能力もなく、その都度、新しい糸を揃えます。残りの糸はいつか使うつもりでも、なかなか使いきれないのが現実。
でも高い買い物じゃないし、これで機嫌よく時間がつぶせるならいい買い物と言うことにしましょう。
今は家の中が狭く、千巻する場所もないけど、何とか頑張って連休までには、織り機に糸を貼りたいものです。ということは平成の間に。頑張れ、私。
夫の誕生日、遅ればせながらケーキ買いました。
イチゴは地元某有名メーカー。チーズケーキは近所の洋菓子屋さんです。
夫はチーズケーキがおいしかったと言います。昔からある洋菓子店で、甘すぎず、お人柄そのままのような食べやすいケーキ。
一方の某メーカーはイチゴがたくさんなので喜んで買ったら、ぬあんと横のはプリントでした。早とちりの私が悪いけど、紛らわしい~
BS3でシチリア島のお菓子を紹介していました。小さなイチゴがぎっしり。
こちらは本物のようです。
食べたいなあ~
シチリア行きたいなあ~
数年前に比べてヨーロッパは高くなっているみたい。
でも行きたいなあ~
7つの短編から成る。前に読んだ「静子の日常」が、元気印のおばあちゃんの話で、元気が出たけれど、こちらは都会を舞台にした、希薄な人間関係の中で起きる事件、出来事の恐ろしさ、奇妙さを題材としている。
いろいろな小説の書ける人だけど、この人の真骨頂は矢張り不安定な人の関係を書いたものだと思う。
私たちの世代だと、都会だろうと田舎だろうと安定した人間関係の経験のある人がほとんどだと思う。特に田舎では何世代も前からの家ぐるみの付き合い。人が何を考え、何をするか前もって予測もできる。
その対極にあるのがこの中の作品。例えば遊園地。一緒に暮らして子供までいるのに、出張の多い相手は家をよく空ける。謎の多い人。それに結婚さえしていない。どうやら他にも家庭があるらしいことを暗示して短い作品は唐突に終わり、読者には不安感と謎が残される。
知っているはずの相手を、今の時代の人間はどこまで知っているのだろう。一歩踏み込むと、そこには思いがけない展開が待っている…
公園に併設した野球のグラウンド、そこの予約管理をする女性と、チームの男たちが深い仲になる。お互い、武勇伝のように語るうちに、女性がいなくなる。事件かもしれない。そして、誰も女性の素顔を知らない。
人間の孤独をよく書いた作品と思った。「静子の日常」よりは深く、面白かった。
日曜日はこちらへ行きました。メンバーは夫友人と私たち夫婦の三人です。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-373526.html
旧大朝町、現在は北広島町の大朝富士と呼ばれる秀麗な独立峰。
形のいい山はだいたい登るのに骨が折れます。今回はスキー場ではなくて、南側からのコース。
上のリンクだとスタート→頂上→来た道を引き返すというコースでした。頂上手前は急で、骨が折れました。
車停めてすぐの場所。
クロモジとアセビ。
クロモジは菓子楊枝にする木。
アベマキ。花が枝に引っかかっている。
アベマキの樹皮は、昔、瓶の蓋やコルク栓に使われていて、県北は一大産地だったそうです。
ヤブコウジ。小さいけど木。
しばらくは杉林が続く。
アカマツはキツツキの仲間が穴をあけている。
ミヤマシキミ。実が落ちて、次の花が咲いている。有毒。
上の方は自然林。
広葉杉こうようざんは中国南部原産。
今は各地に自生。
フユイチゴのようです。実は終わり。
頂上に着きました。75分かかりました。
頂上のすぐ下はスキー場のリフトがあります。
楽なスキー場を降りたいけれど、降りてから車に戻るまでが大回りになるので、見晴らしのいいところへ移動してお弁当、来た道を引き返します。
半分くらい降りたところの仙人岩。下は水場。冷たい水が出ています。
立派な岩です。
ほらね、ちゃんと歩いてるでしょ。
冬用の登山ズボンがないので、そこら辺のものをテキトーに。
きょうは登山者は他にいませんでした。スキー場の整備するらしき人を見かけただけ。
続いて麓の圓立寺へ行きます。
山門手前で今登った山を振り返る。
枝垂れ桜が石段に着くくらいに。
立派です。
古刹
静かな境内。
あでやか。
もう帰ります。あまりにきれいだったので、お賽銭を少し上げました。
続いて、夫友人の勧めで、新庄学園へ行きます。昔からある私立の学校で、野球部は甲子園へ出たこともあります。
また県北の進学校でもあります。
昔からの校舎が素晴らしい。
建物大切。生徒さんはきっと誇りをもって勉強していることでしょう。
続いて、隣接する町立図書館内の郷土資料コーナーへ。
三男の反応しそうな狛犬
短刀はこの地を納めていた小早川氏が神社に奉納たもので、今は新庄学園の所有。
朝鮮出兵のときの馬印など、コンパクトな展示でしたが、山陰、山陽を結ぶ重要な場所で、栄えた場所だったことが分かりました。
神社へ行きます。
16世紀の社殿は入母屋造りで、京都の大寺院の庫裡のようでもあります。
蟇股が室町時代の様式をよく伝えているとか。
県北に文化あり。行ってみないと分からないことだらけでした。
車を二か所に置いて縦走すればよかったけど、まあもうこの年なので無理しないように。
急なところは誰かが土を固めて階段作っていたけれど、土なので、もう崩れました。ご免なさい。
夫友人は山らしくてよかったとの感想でした。
早くに下山できたので、市内まで戻り、夫友人宅でコーヒーいただいて次の山行きの計画練って帰ってきました。
友人宅は初めに行ったのが結婚直後。お母さまがご存命で、こちらに親戚ないでしょうからと、ごちそうしてくれてとても嬉しかった記憶があります。
家は同じ敷地内の別棟、街はずれで盆栽農家だったお宅の周りはすっかり都市化して、様子は一変しています。
夫友人夫妻はどちらも農家出身。波長が合います。奥様の実家も宮島線沿線で、イチジク畑がすっかり住宅地になっているそうで、はるばると長く生きてきたものです。
80歳までは山を歩きたいと言うと、夫友人は85歳までと訂正。そうですね。80まで頑張れば85歳も見えて来るでしょう。
次回は近場の山→どこかで食事→我が家へ寄るという段取りに。楽しみです。
最近、夫友人宅へよく遊びに行きます。人の家に行くのは何かと楽しいです。私も部屋の掃除してお迎えいたしましよう。
楽に読めました。
この中には悪い人は出てこない。というか類型的な善人や悪人というのは現実世界ではなかなか出会わないもの。
たいていの人は毎日の些細なことに喜んだり悲しんだり、つまずいたり、また立ち上がったりするその日暮らし。
そこのところがうまく書けている。
主人公、宇陀川静子75歳は、夫の死後、息子一家と同居。くよくよせず、人を悪く言わず、水泳のレッスンに通い、昔の馴染みの男性を施設に訪ねて行き、町内会のバス旅行でひとり者のじいちゃんにちょっかい出されるのをうまくかわしたり、といかにもありそうなことを、めげずに流していく。
誠に小気味よいお年寄り。
家族には小さな波が立つ。出会い系サイトにはまる息子、孫の恋愛…静子も昔、夫に女友達がいたことを思い出す。が、それも遠い景色。
体が丈夫で、暮らすに困らないお金があり、好奇心があれば、老いもまた楽し。しがらみから自由な分だけ、好きに生きていける。
勇気を貰えた小説でした。