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元宇品の植物

2013-05-31 | 日記

画像がたくさんあります。

昔は広島湾に浮かぶ島。今は、明治時代に干拓した市街地と繋がっている。こんもりとした森はクスノキ、スダジイなど。

ハゼノキ。林辺の乾燥地でよく見られる。これはまた、岩の上に着生して生き物のようにたくましい。

タラ 切っても切っても出てくるたくましい木。こちらも林の周辺、乾燥地に。

ノキシノブ

クズ。たくましく擁壁に這い上る。「木を切りたいけど営林署の山なので、勝手に切れない。蚊が多くて困る」と隣接するお宅のご婦人が。

ほらねっ、広島の人は誰とでもすぐ話するでしょ。怖い人はいなくて、みなさん大変フレンドリー。

トキワツユクサ。林の縁の湿った場所を好む。

イタドリ。今はこんなけど、秋には人の背丈ほどに。

ホテルと森

駐車場の縁にはケヤキとヤマモモ。広島ではケヤキは自生しない。ヤマモモも一緒に植えたものと思われます。

キョウチクトウとウバメガシ。キョウチクトウはすぐ大きくなるので、原爆後の緑化に多用されたが、今はだいぶほかの木に替わっている。ウバメガシは海岸の潮風の強いところでも育つが、キョウチクトウにやや押され気味。

バスの転回所。周りはスダジイの森。スダジイのドングリはあく抜きせずに食べられます。実母は子供の頃、地元の鎮守の森でよく拾っていたとか。

右側はオオバヤシャブシ。

早く大きくなるので斜面の土止めに利用される。

子供の頃、香川県直島の親戚によく行ってたが、製錬所の排煙で木が枯れた山にこの木を植えていた。単一の森は生態系のバランスも悪いのか、ある夏、オオミズアオ(水色をした大型の蛾)が無数に夜空を飛んでいるのを見た。

ひらひら、ひらひら、音もなく。あの幻想的な光景は忘れ難い。私は10歳くらい。半世紀以上も前。

左はアラカシ。日のよく当たる場所に多く見られる。

ヤブツバキとベニシダ

カクレミノ ウコギ科。ヤツデなどの仲間。

森の中にはスダジイなど。こちら巨木。

そう言えば40年くらい前、この森の木の上に小屋を作って浮浪者が住んでいたそうな。食べ物は民家から盗み、しばらく自活していたがあえなく逮捕される。当時のテレビ番組「ウィークエンダー」で泉ピン子さんがレポートしていた。

どの辺りだったのだろう。

シロダモ。照葉樹林の定番。イチロー選手のバットは確かアオダモじゃなかったかしら。タモって堅い木なのかしらん?

キリ。 谷合いの昔畑があったところ。キリは箪笥を作るとかで、昔は女の子が生まれたら、植えたりしていた。

ビワ。果樹は子供のおやつに必須でしたよね。

ヤマウルシ? 葉がハゼより大きく見えるけど、個体差かも。

ムクノキ。ちょっとわかりにくいけど、葉の裏がやすりのようにざらざらしていたら確定。

ジャングル。10年くらい前は畑だったところがエライことになっています。

先日読んだ「鎮守の森」によると、木を切ると、森の周辺のマント植物が中にまで入りこみジャングルになるとか。

安定した森は案外歩きやすいそうです。

テイカカヅラ。白い花がちらほら咲いています。

カゴノキ。木肌に特徴が。一目見たら忘れられない。岩国城周辺はなぜかこの木が多い。

クヌギ。太平洋戦争当時、砲台があった場所。今は草木が茂って近寄れない。子供たちが小さい頃はこの付近はよく虫取りに連れてきていた。

ヤブラン。福井県雄島ではちらほら。キノクニスゲが優勢だった。

チヂミザサ。名前はササだけど、草らしい。

ナナミノキ。モチノキ科。庭木にするクロガネモチの仲間。

クロキ。木肌が黒い。

ツユクサ。もう咲いている。夏もそこまで。

ハゼノキ。昔はろうそくの原料を採っていたので、人里近くに結構あります。

アベマキ。これだけがあるだけで深山の趣。

木肌はコルク質がよく発達し、いろいろに利用された。

右、クヌギ。左、アベマキ。薄い毛があるので白く見える。交雑種も多いらしい。

ニワウルシ。手入れをしない庭などにまず生える。自然がいいとは言え、庭に生えると、この木が一本あるだけで、廃墟っぽくなるのでご用心。公園、橋げたのわずかの隙間など、どこにでも生える。

海辺の結婚式場。今度するときはこんなオシャレな場所でしてみたい。

ツワブキ。海に近くなると現れる。海辺はまたがらりと植生が替わります。いつかまたご紹介します。

上はイヌビワ。

船溜まり。

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カンボジア料理

2013-05-30 | クッキング・ランチなど

近所に開店しています。カンボジア人の若いご夫婦二人で頑張っています。←女性はスタッフ、奥様は日本人だそうです。

チャー・クダウ 鶏肉のレモングラス炒め レモングラスの風味でさっぱり食べられます。

チャー・ミースオ 春雨炒め 春雨の歯応え充分。美味。

ビーフンの焼きそば、名前未確認。フィットチーネみたいな幅広の麺。香辛料が効いて美味しい。

これです。

料理いろいろ。楽しそう。

昼はランチも。マスターの、はにかみながらの笑顔がとても素敵でした。我ら仏教徒にして米食文化圏、遠い日本で頑張る人を応援したくなった私です。


月末写真整理。

孫とばあたん。スリッパ替わりのビーサン

なかしまからご丁寧に礼状が届いた。祝・ミシュラン三ツ星。

孫のお気に入りコーナー。いつも猫ちゃんをなでる。ぬいぐるみは絵付けの先生にいただいた。

バラがきれい。子供の頃、実家の庭にこれに似た花が咲いていた。

公園の私的開墾。イングリッシュガーデンの趣。

20年くらい前に整備されたと思う。手入れしないとこのありさま。今はイネ科の植物が繁茂。やがてススキになり、低い木が生え、カシ、シイ、まで行ってしまえばもう見苦しくなくて楽なんだけどね。300年後?

日本の気候風土で、芝生を維持するのは大変のようですね。

 

 

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「ニート」「海の仙人」「ラジ&ピース」 絲山秋子

2013-05-30 | 読書

うーーむ、今月も終わりなのに、感想が間に合わない。来月はまたまた忙しくなりそうで、ブログもなるだけ頑張るけど。

「ニート」のなかの「愛なんていらねえ」はあまりにハードで、人間って何でもやってしまうんだなあとびっくりした。小説だから読めるけど、実体験として書かれたならとてもとても。小説といういれものには何でも盛り込めるのだと改めて思った次第。

「海の仙人」は人との距離の取り方が絶妙。深入りせず、でもずっと見守り続け、思いは続いているという関係を書いている。短い小説の間に時間はけっこう流れるし、癌になって恋人が死んだりして、小説としての山場も各所にあり読みやすい。

「ラジ&ピース」は人との付き合いは苦手だけどアナウンサーになった女性が、高崎の放送局に再就職し、昼のローカル番組を持ち、リスナーの一人と少しずつ心を開く話。脇役の女医さんも立ち入らず、かっこいい。自立した女性。

美人の妹は、姉が有名人になったことが気に入らない。生まれた赤ん坊に「りら」という浮ついた名前を付ける。姉はフン、という感じ。読む方も、あるあるこういうことってと思っている。

名前は親の趣味がもろ出ますよね。できるなら静観したいところだけど、息子は変わり者なので、三年前には孫娘に「剛」なんていう字を入れそうになって、さすがに反対した。その心は剛い子になってほしいとかで。いやはや。

先日、間接的ではあるけれど(息子の知り合い)ある女性のブログを拝見したら、小説を頑張っていて、編集者と打ち合わせをしながらデビューを目指しているとか。30代は一番書ける時代、頑張っていただきたいと思う。出版の暁にはぜひ拝読したいと思う。

人間はみな何かをするためにこの世に生まれてきたもの。私の場合、それがなんだったのだろうと、この歳になって思う。周りの人たちのおかげで、今まで無事これたことを感謝しないとね。


 

http://www.47news.jp/CN/200806/CN2008061901000625.html

またまたハシモトネタ。従軍慰安婦(軍属)⇒敗戦時に看護婦(補助的な業務)に雇いなおした文書発見。これは連合国の目を憚ってのこと。

どこかの掲示板で、慰安婦体験を証言している韓国人女性に対して、「慰安婦の記録はない。終戦時に看護婦をしていたという記録ならある」と、証言の信ぴょう性を疑う指摘を見かけたので、その人の記録ではないけれど、そういう例もあったということで、その答えになっているのではないかと思う。

軍としても、敗戦時に、慰安婦は連合国に知れるとまずいと認識していたということですよね。

漫画家、水木しげる氏の著書にラバウルでの従軍慰安婦の体験談があるそうで、今度リンク貼っておきます。私も読んでみようかな。叔父がニューギニアで餓死したそうなので、読むのはちょっとつらいんだけど。

戦争を肯定するような発言につい反応してしまうのは、子供の頃、祖母からその叔父の話をよく聞かされていたからかも。癒されることのない母の嘆きですよ。戦争のできる国にしようとたくらむイシハラやハシモト、アベも不倶戴天の敵と、私は単純化しています。

 

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「鎮守の森」 宮脇昭

2013-05-29 | 読書

著者は岡山県生まれ、戦後の勉学が困難な時代に、広島文理大学から東大の院に進み、ドイツに留学して植物の生態学を学ぶ。

帰国してからは研究生活の傍ら、各地、各国の自然再生、植林に携わり、その土地に本来生えていた木で自然を再生する活動に取り組んでおられる。短い本だけど、内容には深く納得し、つねづねぼんやりと思っていたことに一本の筋道が付けられたようで、大変にすっきりした。

先生の主張は、森というのはさまざまな植物がお互いを支え合って一つの環境を形作っている。自然を再生するのは外来種の見栄えのいい木や花を植えることではなく、その土地本来の気候風土に根差した無理のない植物を多数植えること。潜在自然植生というんだとか。

その考えから、工場やショッピングセンターの周りに森を作り、東南アジアや万里の長城周辺の森の再生事業にも協力している。

その土地に本来生えるべき木は何か?先生はそれをまず見極める。簡単なようだが、伐採されて二次林や荒れ地になっているところも多く、万里の長城から100キロも離れた山奥にモウコナラを見つけ、中国人に頼んで80万個のドングリを集めて苗を作り、地植えしたところ100%根付いたという。

その地に合った植物は初めは少し手がかかるが、成長し始めるとあとは放置しておけば立派な森になるという。それに反して芝生に外来の木を植えた公園のようなところは永遠に管理しなければならず、自然の再生ではないとの意見。

古くからある鎮守の森はその土地にどんな木が適応しているか、よく表しているという。連休に行った福井県の雄島の圧倒的な原始林に感動しまくった私。口コミだと「何もないつまらないところ」とあったけど、何もないどころか植物の宝庫。それも人の手が加わってないので、それぞれ頑張って生えつつ、他とも共存して一つのコロニーをつくっている。その姿に感動した。

まあ、こんなことに感動する私は少数派で、きれいに整えられた公園やバラの数々を愛でるのが普通だと思いますが。

私の意見ですが、公園は公園として整備するのはけっこう。でも山の木を切って桜なんか植えたってうまくいきっこないんです。後々水やりや手入れに通うならわかるけど。それだって、なんで元ある木には価値がなくてクローン桜がいいかという話。それはあなたの価値観でしょうが、とハシモト以来の喧嘩腰。

明治神宮を作るとき、当時の植物学者は自然の森を提唱したけれど、神社の近くなどには見栄えのいいスギやマツを植えたそうな。今はスギもマツも自然に淘汰されて、シイ、タブ、クス、カシの林になっているそうです。よかったよかった。

荒れ地が安定した極相林になるには自然の状態で、日本では200年から300年かかるそうです。それを様々な苗を混植し、しばらく管理するだけで、2~30年後には限りなく自然に近い林になるそうで、これならまあ手軽。

ジャスコが取り組んでいるんだとか。そう言えば、近所のジャスコでいろんな木を植えたのが、10年くらいで立派になってますもんね。

なんかこんな本読んだので山に行きたくなった。それが無理なら社叢を見に行くとか。

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慰安婦体験

2013-05-29 | 日記

探してみたらありました。

http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/05/yuasa_ianhu.htm

さすがにマスコミには生々しくて出せないのでしょう。ネット時代は、名前を出して勇気ある証言をする人も見つけられるんですね。

日本の男全員が意気地なしではないことが分かりました。訂正してお詫びします。

次は漫画家水木茂さんの慰安所の体験談、絵もあります。

http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-167.html

中国の戦場で兵士が村娘を連れてきて、一月も傍に置いていた話。村娘は軍隊が移動するとき「今さら村に帰っても爪はじきになるだけだから連れて行ってくれ」と言い、断ると自殺したそうだが、実は(邪魔になって?)殺したのではないかとの話。これは明らかに犯罪。

http://d.hatena.ne.jp/dj19/20100820/p1

世界各地、どこの軍もやっていたというのは自分たちが反省し謝罪した後に言うことだと思う。誰かが悪いことをしても、それで自分の罪が免れるわけではない。

今回の橋下騒動、いろんなことを考えるきっかけになった。日本政府が悪いことを悪いと謝らないから、アメリカに原爆投下の非人道性も強く言えない。いつまでこの問題を引きずって行くのだろうか。

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橋下の嘘

2013-05-28 | 日記

上品?なのが取り柄のこのブログで人を批判する羽目になるのは誠に残念。でもあいつ、本当に目障り。とっとと消えてほしい。

元々私はテレビをほとんど見ないので、テレビタレント時代の橋下を知らなかった。知ったのは光母子殺人事件弁護士の懲戒請求をテレビで呼びかけた時くらいから。裁判のイロハが分かってないんだろうかと???だったけど、正義感ぶるパフォーマンスだったわけね。結果、橋下が逆に弁護士資格停止三か月とか、そんな処分を受けたはず。それについては反省したんだろうか。

そのあと府知事になったんですよね。ついこの間と思っていたけど、もう五年くらい前になるのかな。テレビでワアワア筋の通らないことをきわめて単純化してまくし立てる、ああいうのを喜ぶ素地が大阪にはあるんでしょうか。横山ノックも嘘つきで選挙中セクハラしたり、めちゃくちゃ。面白い人なら何でも飛びつくのは判断停止状態、テレビの一番嫌な部分が出た感じ。

大阪都構想とか維新十策でしたか、八策でしたか、なんか聞いただけでは分からない変なスローガンを繰り返してましたね。新聞でもじっくり読めばいいんだけど、まず嫌悪感が先に立ち、そんなことで時間を割きたくなかったし、関わりたくなかったし。

挙句の果てに石原と組んで、嫌悪感二倍増し。えらそげに筋の通らないことばかり言うあの二人、日本の恥部だと私は思う。

おやおや、私としたことが、感情的になってしまって。


で、今回の慰安婦問題である。

なんかねえ、頭の中身のお粗末さが世界中にさらされた感じ。まず、こういう微妙な問題はいったん口にするとどういう反応があるか、前もって読めなかったのが政治家として未熟で致命的。党としての統一見解でもないので、あとで石原に名古屋に呼びつけられて、一人で勝手なこと言うな、ツイッターもやめろと説教される始末。

一つのワードだけが取られて、全く違う政治家像がつくられたと外国人記者の前で言い張ってたけど、「慰安婦、慰安婦」と連呼したのではなく「慰安婦が必要なのは誰でもわかる」とちゃんとした文で言ったのはあんたじゃないの。言っとくけど、その誰でもにこの私は入ってませんからね。代弁を頼んだこともありません。

ああ、だんだん腹立ってきた。なんでいちいちイラつかせるんかね?

主語が「誰でも」って限りなく卑怯な言い方。誰でもって、誰と誰と誰なんだい?はしもっちゃん?「誰でもわかる」と私(=はしもと)は思うということだよね。私がその考えを肯定しているということだよね。

実体のない大多数というイメージを主語にし、時にはそれを言い訳にして自分の意見をを補強する。それは違うと追及されたら、自分はその中に入ってない。私はそう思ってないと、初めから逃げ道を準備している。

そしてアメリカ軍に風俗利用しろと進言したわけである。戦地の慰安婦のように、沖縄の風俗産業を利用して性犯罪を防止してほしいと言ったのは、昔の戦地と現在の沖縄の基地周辺を同じとみなし、隙あらば婦女子を襲いたい男たちに風俗業の女性をあてがうのは当然あるいは必要悪と、わざわざ発言したのが今回の騒動のあらまし。

慰安婦を肯定しているからこそ、引き合いに出して風俗業を活用せよ進言したわけですね。面識のない人に女性を勧めるのを日本語ではポン引きと言います。繁華街のはずれに立っているお兄さんたち、開き直って殺気立って、関係ない私だって怖い。女性からいくらピンハネするかは知らないけれど、あの人たちは運が悪ければ、摘発されることを知っている。

それに引き換え、白昼堂々風俗を勧めるなんて、ポン引きのお兄さんたちが聞いたら一緒にせんでくれと怒りそう。

アメリカには謝罪したけど、どこがどう悪かったか説明していない。慰安婦制度は悪かったけど、(あれっいつの間にそう思うようになったの。問題ないから今の米軍に勧めたんじゃないの)戦争中の女性の利用について、しっかり考えて行かなければならないって、あんた、話を拡散しすぎ。余計なお世話。

まずは日本の慰安婦制度、それを日本人がどう向き合うかという話。

先日の記事で一部私の勘違いがありましたが、元従軍慰安婦の10件の訴えについて、当時は裁く法律がなかったので敗訴、しかし自由を束縛され不特定多数の兵士に連日強姦されたことについては七件まで、日本の裁判で認定されています。こういうことをマスコミは事実として報道すべき。

騙して連れてこられて(時には東南アジア、太平洋の島々)、逃げられない、強要されるって、実態はどう見ても奴隷的境遇でしょう。

昔、一兵卒が慰安婦と心を通わすという短編を読んだ記憶があるけれど、(多分物故した芥川賞作家の作品)、慰安婦だって毎日泣き暮らすわけではないと思う。逃げられないと分かった時、生き延びるために言うこと聞くふりをするんだと思う。そこには心の交流なんて、まして愛なんて初めから成立しない。男の勝手な思い込み。

でも戦場に連れて行かれた男たちも、加害者ではなく一方の被害者だと思う。戦争に駆り出すこと自体がはなはだしい人権侵害。今回の騒動で、未だご存命のはずの旧日本軍の慰安婦利用経験者のおじいちゃまたち、誰一人として世間に顔を出して、利用者の側からの実態を説明しませんよね。少なくとも私は知らない。

本当の勇気とは、悪かったことも明らかにして、もっといい世の中にしようとする姿勢。周りの国に対して優越感持つ年寄りはたくさんいるけど、そんなのは空威張り。日本の男って、つくづく意気地なし。

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きょう梅雨入り

2013-05-27 | 日記

ステラちゃん。磁石でおしゃぶりがくっつくようになっている。おしゃぶりだけよくなくなる。

「あっちにあるんじゃないの」と孫娘が言うのでまさかと思いつつ、二人で行ってみたら確かにあった。恐るべし、三歳児の記憶力。老化まっしぐらの祖母は敗けそうです。

少し前の我が家のブームはチョコレート。夫はお酒も飲むし甘いのも大好き。だけどあまり太らない。悔しい。

お皿は自分で絵付け。

今年も夏が来る。我が家の定番、ベトナム産の蓮茶は麦茶みたいに冷やして飲みます。ウーロン茶とジャスミン茶の間のような風味です。

昨日は次男とデパートまで買い物に。「お茶なんて買わずに作ったら安上がりだからね」と言うと、勤め先で、取引先からの贈答品などを貰うそうで、ほとんど買ったことないとか。それはけっこうでした。

あとは禁断のお菓子、そのほか。

庭のヤマアジサイが今年も咲いた。

玄関脇のカシワバアジサイ。白い花が好き。

ご近所のナンテン。地味な花も季節には忘れず花をつける。

前に何があったのか、忘れてしまった。10階建ワンルームマンションが完成していた。

道端のバラ

バラとトランクルーム。小さな花がたくさん咲くのがきれい。

ヤマアジサイ。花びらがエゾアジサイに似ている。野趣満点。

ヤマボウシ。広島女子大学の紫寮(友達がいた。40以上前で畳敷きの相部屋)⇒県立病院の看護師養成の学校の寮⇒県が売却、宅地分譲してきれいな家が10棟以上建っている。いずれも塀がなくて開放的。

ヤマボウシは山の谷あいに育つ木なので、平地の乾燥気味のところでは葉も花も小さくなるのかも。なんかかわいそうって、木に同情してどうする?


株が下がり始めたそうで。アベノミックスなんて景気いい話は、あとから振り返ったら瞬間的なものだったのかも。国の借金はいつかデノミで解消するのかしら。

なんか気が滅入って、本日外国投信一つ売却。一割儲けたからもういい。よくばりはケガの元。リーマンの前、二倍くらいになってたのに、その時はもっと値上がりすると欲出して売りそびれていた。羹に懲りての類。全然賢くならない。

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忘れがたき故郷

2013-05-27 | 日記

「うさぎ美味し・・・じゃなくて、追いしかのやまあ~」と孫娘がうちわを手に踊っています。保育所で習った?

忘れがたきふるさと・・・って、三歳児にはどこが故郷になるんでしょうか。

お誕生日にお父さんが(息子も最近はパパからお父さんに昇格)赤ちゃんを買ってくれたので、**ちゃんに赤ちゃんが生まれたんだそうで。そのあと、股間から赤ちゃんを逆さに引っ張り出すしぐさをする。誰が教えたんだあ~わが息子かも。

名前はステラちゃん、男の子だそうです。

クレパスで遊んでいます。三男が小さい時に買ったお絵書き用のテーブルです。当時の私は地味好みだったので、カラフルな漫画柄ではなくこんな色を選びました。30年後に役立っています。

ずっと話し続けて、のんびりおっとりのお父さんよりしっかりもの。恐るべし三歳児。

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「エスケープ/アブセント」 絲山秋子

2013-05-25 | 読書

エスケープの中に出てくる京都大学近くの進々堂。中庭もある。2005年9月、(私は)三男とここで食事をした。

再会を喜ぶ母と逃げるように立ち去る息子。escape & absent


1966年生まれ、40歳の俺は過激派から足を洗い、大阪の妹の手伝いをするため東京を離れる。俺は同性愛者で、未だ家庭も持たず、浮草のような暮らし。

途中下車した京都で、にせ牧師と知り合い、泊めてもらううちにいろいろなことを見聞きする。俺には双子の弟がいて、京大に進学、今は音信不通。その消息らしきものにも触れるが、自分から探すわけではない。

取り敢えず比叡山に登り、「暴動なんておきねーよ」と口に出してみる。

あらすじを分かりやすく説明するのは難しく、作品の魅力を説明するのはもっと難しい。過激派なんて今でも生息しているんだろうかと疑問だし、そこでの生活には触れていないので、リアリティがまるでない。ここまで軽く書けるのも一つの手柄。この軽さはにせ牧師の軽さと対応している。意味なんてない、その軽さ。双子の弟は気になる存在として自分の中の錘になるはずだが/

エスケープはその弟の話。双子の弟は京都大学に進学したが、女性問題で博多へ逃げて、そのまま15年もいる。こちらも実家とは没交渉。たまたま再会した友達に別の友達の死を知らされ、大津まで葬式に出向く。琵琶湖の湖畔に立って比叡を見上げる。こちらは不在の物語。兄と弟、山の上と下で、人生半ば、すすむべき道を決めかねている。

語り口はあくまでも軽く、その底に人生のしんとした寂しさが横たわっている魅力ある短編二つでした。

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「殿様の通信簿」 磯田道史

2013-05-25 | 読書

金沢城 2013/5/6

何だかだとしているうち、五月もあと6日、今月も大したことしてないのにあっという間に時間が過ぎる。本もいろいろ読んだけど、感想をまとめる余裕もなく・・・月末に向けてなるだけ頑張ってみます。


著者はNHKのBS歴史館のレギュラーの一人、「武士の家計簿」を書いた少壮歴史学者。そうそう、災害の歴史に関しても造詣が深い。史料の読み方にはアカデミズムの裏打ちがあり、かつ問題の立て方が現代的で解説の語り口も分かりやすい。そのあたりが魅力。歴史は現代と過去との対話というE・Hカーの言葉を思い出した。

この本は元禄期に書かれたと推定され、幕府隠密が各藩の内情を調べたもので当時としても極秘資料「土芥寇讎記」が基になっている。。書写本は東京大学史料編纂所と旧広島藩主浅野家にあったが、浅野家本は原爆で焼失したとのこと。(残念ですねぇ。浅野家は伝来の文書を疎開してなかったんだろうか。市内の商家でさえそうした家があったのに)

幕府隠密・・・なんかぞくぞくしますね。ということで読み進めていきましょう。

取り上げられた大名、武士10人、内訳は徳川光圀、浅野匠頭と大石蔵之助、池田綱政(岡山)、前田利家、前田利常(加賀藩三代目)、内藤家長(家康近臣、のちに譜代大名)、本多作左衛門(家康家臣、息子が大名になる)。

この中で特に有名なのが、徳川光圀(水戸黄門)と忠臣蔵の二人だろうか。昔からいろんな娯楽メディアで取り上げられた超有名人物。しかし史料を基に造形された人物は世情流布されているイメージとは異なるもので、それを知るだけでもこの本を読む価値はあると思う。

特に浅野匠頭、私は常々「気の短い愚かな殿様」と思い、忠義かなんか知らないけれど、その家臣が「殿の恨みを晴らす」と集団で人の屋敷に押し入り、殺人を犯すのが何で賞揚されるのか訳わからんかったけど(多分閉塞感のガス抜きという意味があったのだろう)、この本でその思いを強くした。

浅野の殿様、無能すぎ。政務はほったらかして家臣任せ、昼間から女性とイチャイチャ。大石家は、祖先が関ヶ原で、相手方の首を獲った軍功で筆頭家老に取り立てられたいきさつがある。なんか起こるべくして起こった事件じゃないだろうか。

四十七士の中には十代の若者もいたはず。殿様が無能なばっかりに落とした命。かわいそうである。平和な時代の殿様は、領民が困らぬように領国経営に心を砕き、跡継ぎを残して家を続かせることが本務、かっとなってはいけません。まあこれはどんな家にも、時代が変わっても大切なことかもしれませんけどね。

読みやすくてなかなかが面白い本でした。


きょうは孫娘の三歳の誕生日。本当ならみんなで集まってお祝いしようと言いたいけれど、きのうと一昨日、遊びに来てくれたので もういいかな。家で親子水入らずでお祝いするらしい。

近くにいるのでいつでも会える。お嫁さんが全然構えずにやってくる。遠くに孫の入る人は半年に一度くらいしか会えないと言っているので、ありがたいと思わないと。ありがたいと思えないほど普通になっている、これが何よりありがたいとことだと思う。

子供の育て方も人それぞれ。私は口出しは一切しない。

自分の子供たちに比べて孫娘のいいところ。活発で運動能力に優れ、社交性があり物怖じしない。歩く前から階段を上り下り、滑り台も怖がらないのでびっくりした。体も大きい。オシメも二歳三か月くらいで取れた。

でも根気がありません。「本を読んで」とせがむのに、途中で飽きてほかの遊びを始める。お絵かきもすぐ止めてウロウロ歩きまわっている。総じて知的なことに興味なし。うーーーむ、勉強得意だといいんだけど、祖母は限りなく不安。

人間って、生まれた時からもう決まっているんですね。周りがいいところを見つけて伸ばしてやれる部分はあるけれど、人はそれぞれどうしようもなくその人自身。その人らしさに向けて成長していくもの。孫の行く末は見届けられないけれど、幸せな人生を歩んでほしいと思う。

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緑陰

2013-05-24 | 日記

木々の緑が日増しに濃くなり、日陰を選んで歩いたりする今日この頃、そろそろ夏ですね、

京橋川の川土手はケヤキなどの木が茂り、歩いて楽しい遊歩道。ベンチには本を読んでいる人が多い。散歩に来て、少し休みながら本を読んで、しばし休む。いいなあ、公園でないので、大人がベンチに座っていても様になる。


夕方お嫁さんと孫が遊びに来た。孫だけ泊まることになっていよいよ寝ようとしたらシクシク泣き出して、おうちに帰るというので車に乗せて送って行った。家までは車で10分ほど。夫はお酒飲んでたので私が運転。

やっぱりねぇ、今度は泣かずに泊まってほしいもの。

楽しくてやがて疲れる孫守りかな(字余り季語なし)

 

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広島街歩き

2013-05-22 | 日記

きょうは午後から支払いと買い物に外出、お天気がいいので遠回りして帰りました。

住吉橋。特徴のある赤い欄干?というのかな。今のR2ができるまではこちらが国道だった。

舟入橋と本川。向こうは市の中心部。只今干潮のようです。

川土手の草むらに姫小判草見っけ~三男が小学一年生の今頃、小さな手にこの草を握って帰って「お母さんのお土産!!」と渡してくれた。三人とも優しい息子だけど、特に末っ子は、それを言葉や態度に顕す子だった。みんな家を出て行ったけど、きょうはこの草を見て思い出した。

歳とると時間は流れ去るんではなく、積み重なるということがよく分かる。連休以来連絡取ってないけど、仕事が忙しいのかな。

楠にも花は咲く。地味な花もまたよし。

誰かが土手にかんきつ類を植えています。ミカン?

バラもあります。原種に近い素朴な花です。

桑の実。黒くなると食べられます。

老人ホームの前の植え込み。姫空木?

さらに歩くと古びた洋館が。

入り口はこんな感じ。洋菓子屋さんです。

一休みしてアイスコーヒーを飲みました。窓の外、植え込みの木陰が涼しそう。

このお店は、若きマスターがパリに修業に行き、フランス人の奥さんを連れて帰国。確か鷹野橋の房州の息子さんだったと思う。本日、店にはマダムとマダムによく似た若い女性(娘さん?)のほかにフランス人のお客さんが一組。なんでフランス人ってわかるかって、そりゃコテコテのフランス語で話していたから。

なんかとてもくつろぐお店。ぼんやりして心がほぐれた。

当地在住のフランス人にとっては、この店は実家のような存在なのかもしれない。先月からできるだけお菓子は食べないようにしているので、きようも買いませんでした。いずれまた。

店先に花がたくさん。

ビオラというんでしたっけ。園芸種にとんと疎い私。

帰りは50号線のバスに乗ろうと思ったけど、ついでに歩いて御幸橋まで。

バス停にいた70くらいの女性が「このバスはいつも遅れてくるからね」と親切に教えてくれた。そう言えば川土手のベンチで涼んでいた人たちもこちらから挨拶すると皆さん、笑顔でこんにちわと挨拶を返してくれた。

世間では広島の人は怖いということになってるらしいけど、それはやくざ映画の悪しき影響、怖い人はいません。みなさん大変フレンドリーで、家柄がどうのこうのとめんどくさいこと言う人も皆無、いつでもどこでも笑顔で話ができます。

山も海も近いし、適度に都会だし、街中を川が何本も流れて自然もいっぱいだし、川沿いは涼しいし、船に乗れば島にも行けるし、冬は車で一時間も行けばスキー場がいっぱいあるし、世界遺産が二つもあるし・・・と、きょうは広島に住む幸せをしみじみと感じたのでした。

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慰安婦発言、橋下氏の懲戒請求へ

2013-05-22 | 日記

日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長による旧日本軍の従軍慰安婦をめぐる発言で、大阪弁護士会所属の複数の弁護士が今月中にも、橋下氏の懲戒を同弁護士会に請求することが22日、分かった。

準備を進める弁護士によると、橋下氏が慰安婦を「当時は必要だった」と発言し、在日米軍に風俗業活用を求めたことについて、基本的人権を無視し、女性を差別しているなどと指摘する。橋下氏は1997年に同弁護士会に所属。

                                                                   共同通信のネット配信より拝借

以前光母子殺人事件の弁護士に懲戒請求を掛けるよう、テレビを使って呼びかけたのが橋下、弁護士なのだから弁護人制度がどういうものか知らないわけはあるまい。

今回の懲戒請求、真摯に受け止めてほしい。

庶民の素朴な処罰感情におもね、自分を正義の代弁者に見せるスタンドプレー、それが橋下という人間の本質。

桜ノ宮高校の体罰自殺事件も、管理者たる自分がまず遺族に謝罪すべきなのに、現場に責任転嫁、すぐに入試中止決定をし、あとで訂正するという無責任と迷走。

テレビ局に言いたい。面白ければ、どんな人でも出すのは報道機関としての自殺行為。過去には、女やくざのH木和子に人生相談の回答者をさせたり(それを追いかけて見る人もいましたね。バカじゃなかろか。あの人、述語が主語を受けていない変な日本語、胡散臭さ全開)、古くはオウムの幹部の言い分を垂れ流してファンクラブまでできた。自分たちがどれだけの影響力を持っているか自覚すべき。

嘘も百回言うと真実になります。「従軍慰安婦」問題も、自ら調べたり、人の話を聞いたりする時間は普通に生活している人には取りにくい。テレビで大きな声でワアワアいつている意見に引きずられがち。テレビで発言の場を与えられるということはものすごい権力です。それを橋下はよく知っている。いつも自分に注目が集まるよう仕掛ける。

ヒットラーもこの手法でのし上がってきました。一度権力を手にすると、大量虐殺さえ止められない。恐ろしいことです。

橋下のように、その時その時で嘘と言い逃ればかりする不誠実な男は、政治家にはなってはいけない人。市長も早くやめて、これ以上害毒を垂れ流さないでほしい。テレビ局も彼の言い分は一切報道しないでほしい。

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「慰安婦」問題で日本政府が国連から注意を受ける

2013-05-22 | 日記

今朝の新聞から抜粋

ヘイトスピーチで要望

国連の社会権規約委員会は21日、日本に対して、従軍慰安婦をおとしめるような行為をやめるよう求めた。

一部の排外主義的グループが「従軍慰安婦は売春婦だった」という趣旨のヘイトスピーチ(憎悪表現)を繰り返しているのを受けたもので、政府に改善を求めている。

今回の見解では、朝鮮学校が国の無償化対象制度の対象外になったことについても、「差別に当たる」と批判している。


 

日本に対してというのは、政府にというだけでなく、それを許している日本国民一人一人の人権意識に対する警告だと私は思う。

従軍慰安婦が、強制的に性的なサービスをさせられた性奴隷であったことは、元従軍慰安婦の人たちが原告となった日本国内の裁判で、10件すべてで認定されている。

朝鮮学校の高校無償化は抵抗がある人もいると思うけれど、日本国内で働き税金を納めた外国人の子弟、税率も日本人と同じなら、日本人に与えるサービスを提供してもいいのではと私は思う。

いろんな場面で線引きをして、弱いもの、少数者を除外する社会は、いずれその原理が自分にも向いてくるのではないだろうか。私たちのように人口の多い世代は歳とってからの社会福祉も細かく区分けされて自助努力が求められそう。

よその国では、といういい方は好きではないけれど、イギリスでは各地区に差別を監視する委員会があり、移民、外国人は差別を受けたことを訴えることができて、事実なら改善をするよう指導する・・・というようなテレビ番組を以前見た。

未婚の母親、歳とって一人になった人への福祉も手厚く、安心して暮らせるので日本には帰らないという人もいる。

人に優しい日本になってほしいとつくづく思う。

政府は今回の注意を真摯に受け止め、改善策を考えて国連に提出し、「慰安婦制度」の実態を調査し、謝罪と補償をするべきと思う。

それとも元売春婦が金目当てに証拠もないことを騒ぎ立ててると、この意見も無視して、この際国連を脱退しますか?

追加

読みやすくわかりやすいブログがあったのでリンク付けときます。

http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/

慰安婦は強制的な性奴隷だったと、日本国内の裁判所で結審しているのに、橋下とそれに追随する人間は何を言っているのでしょうか。

 

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「北緯14度」 絲山秋子

2013-05-21 | 読書

 

講談社百周年の記念企画として、二か月アフリカのセネガルで暮らし、それを紀行文としてまとめたもの。

面白かった。現在、海外旅行は容易だけど、まだまだアフリカはエジプトくらいで、セネガルは日本人にはなじみが薄い。

行く理由は二つ、昔習ったフランス語を母国語でないところで話したい、セネガル人で世界的に有名な太鼓の奏者に会いたい。

2007年、成田からミラノ乗継で首都ダカールまで行く。初めの一週間は担当編集者が付き添うが、この人が「使えない人」でイライラさせられる。読者はそれはないだろう、と可笑しい。迷彩服で空港に現れ、トランジットのミラノのホテルを予約してないと、早くも珍道中の予感。

セネガルは外務省の現地情報だと、できれば行くべきでない危険な国。そこでホテル暮らしをしつつ、ガードマンと運転手を雇う。現地の日本人コーデネーターに行く先などを組んでもらう。初めは食べ物や水のためか体を壊し、ホームシックにもなるけれど、旺盛な好奇心で誰とでも分け隔てなく付き合ううち、現地の人も心を開き友情が芽生える。

セネガルの人はあけっぴろげで、だれとでも友達になり、友達の友達はみな友達、一人友達ができると十人の友達ができるという社会。友達の家にはアポイントなしで尋ねてもよく、来た友達には食事を出したり、泊めたりするのが当たり前、作者も慣れるとボディガードの故郷へ一緒に帰省したり、JICAで来ている人を訪ねたり、最後は日本人コーデネーターの家で生活する。そこには昔の恋人(同性愛者)、今の同居人とその弟などいろいろな人がいてにぎやか。コメを主体とした現地料理は、どれもおいしい。と、二か月の間にすっかり馴染んでいくのである。その楽しさが伝わってくる。

その対極にあるのが、日本大使館を中心とした日本人社会。現地になじもうとせず、せっかく遠い所へ来ているのに言葉の一つも覚えようとしない大使夫人などはきっちり観察されている。外務省系の人は振る舞いが「現地の人なんて」という感じ。パーティに呼ばれて、いやいや出かけ、その場でも現地人と仲良くするので、日本人からは奇異な目で見られる。

でも旅人はいつかは帰らないといけない。みんなにお別れパーティをしてもらい、出国のとき「素晴らしい友達がたくさんいるんです。ここには」と泣くと係官から「地球は狭いよ」と慰められる。

悲しいとことというのは、失われた習慣だ。トッカリさんの家で、いつも私が座っていた席が空席になっていること。みんな集まっているのに私がいつまでたつても来ないこと。


出会ったひとりひとりがよく書き分けられ、冗談を言い合う仲になっていくところが読みどころ。既成概念にとらわれず、相手の懐に入って、現地と日本の違いを考えたり、この体験は作者にとってとても大きな財産になったことと思う。などとえらそげですみません。凡百の紀行文よりうんと面白いです。

 

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