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「新古今和歌集」 小林大輔編

2014-12-27 | 読書


高校三年の今頃、確か古文で最後に習ったのが新古今だった。だから新古今と聞くと、寒くってストイックな受験直前の季節の感覚が蘇る。

センター試験なんてなかった大昔、国立大学は一期校と二期校に分かれていて、試験日程が違うのでたいていの人は両方に出願していた。地元二期校へ土曜日の午後、友達と願書出しに行ったら、宿直室から職員の方が出てこられて、それまでズボン脱いでコタツに入っていたらしく、ラクダ色の股引姿で出てきて、きまり悪そうに願書を受け付けてくださった。

大学入試、今は郵送の出願が普通と思うけど、昔は股引姿の職員に手渡しということもあったわけで。

いえいえ、新古今ですよね。当時私はクラスの違う男の子と文通していて、その子が理科系の学部志望だったけど、とんでもなく文学少年で、新古今がどうのこうのと言ってくるので、いやそれはああだこうだと返した記憶があります。

西行の歌でしたけど。だから私にとって西行は特別な人。そして新古今の歌人の中でも、私個人の好みだけど、西行は傑出していると思う。彼の歌には実体験が基本にあるのではっきりと分かりやすく、世を捨て漂泊の歌人としての自由な生き方が、歌い方にもよく顕れていると思う。

もちろん西行は托鉢をして歩くような下層僧侶ではなく、荘園の上りで優雅な暮らしのできる恵まれた境遇だった。お金の心配なく、いろいろなところを旅してそれを歌にする。めちゃくちゃ羨ましい。

寂しさにたへたる人のまたもあれな庵ならべむ冬の山里

この歌に私は西行の弱音を見、男の子は寂しさに耐える強い人間だからこそ、人にもたれかかれずに付き合って行けるのだと、何かそんなことだったと思う。うーーむ、これはとても分かりやすいようで、読む人によって解釈色々の歌だと思う。私が弱くて自立できていなかったということだろう。

新古今にはスター歌人がたくさんいるけれど、例えば式子内親王の

桐の葉も踏み分けがたくなりにけり必ず人を待つとはなけれど

などはもっともよく新古今振りを感じさせる歌だと思う。必ず待つのではないけれどもどこかで待っているかもしれない。作者が見ているのは自分の心の奥深く。とっても内省的な歌である

後鳥羽上皇の時代、鎌倉に幕府ができ、上皇自身、承久の乱が失敗して隠岐の島へ流罪になるので、政治的には王朝は落ち目、しかしながら上皇が作らせた新古今和歌集はそれまでの日本文化の一つの達成として、以後の日本人の感性、抒情性に深く影響を与えたのでした。不在を歌う、春夏よりも秋冬を歌う。うーーむ、これが日本文化の神髄かもしれん。

上皇自ら編纂に携わり、二千首の和歌をすべて憶えたという。隠岐でも編集をつづけ、隠岐版の新古今まであるそうだから、なかなか気構えのしっかりした人だったのだろう。

きょうは朝からずっと掃除して、なんとか片付いたので、明日は山へ行くかも。いいお天気だといいんですが。

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「新・戦争論」 池上彰・佐藤優

2014-12-24 | 読書


handyで分かりやすい本、すぐ読めるけど中味はなかなかに濃い。

佐藤氏の話を池上氏が受け、さらに問い返しながら話が進んでいくと言う流れ。

序章から終章まで10の章立てで、日本を取り巻く現在の国際情勢を俯瞰し、これから日本と日本人がどう進むべきかを提言する本。面白かった。

「日本は世界とずれている」から始まり、民族と宗教について、欧州の歴史の闇、イスラム国で中東が大混乱、朝鮮問題、尖閣問題、弱いオバマと分裂するアメリカ、最後に二人の情報収集術など、話題は縦横無尽、多岐にわたる。

私の世界認識は、子供のころの厳しい東西対立と核開発競争、ベルリンの壁の崩壊とEUの成立などを経て、楽観的なものだったが、なかなかどうして強国の縛りが崩れつつある今、必ずしも先行きはいいことばかりではないのだと思った。

最近「拉致は安倍内閣の最重要課題」という話を聞きませんが、交渉不調に終わったので、発言はなかったことにするのかしら。どうもこの問題、うまく行ってないみたいですね。

よしんばうまく行ったとして、大勢の日本人が帰る見返りに大金が北朝鮮に渡り、それでアメリカまで届くミサイル開発して安全保障を強化する。そうならないよう日朝交渉が決裂することをアメリカは望んでいるとのこと。とってもシビアな話である。暗澹。

アラブ情勢は私は話についていくのがやっと。中国や北朝鮮よりももっと分かりにくいのがアラブの人たちの考え方。本多勝一も昔、エスキモー人を取材して人間は皆同じと言い、アラブへ行って人間はなんて違うのだろうと言っていた。

大国がアラブに介入して秩序を作り出そうとしても、泥沼はずっと続くのではとこちらも気持ちは晴れない。

本書の結論めいたものは、P249佐藤発言・・・要するに「嫌な時代」になってきたのですよ。個人として生き抜くには歴史を知り、国際情勢を知り、(知識を身に着けて)代理体験をして、耐性を身につけること

さらにP250では、実践的課題としては(日本の)軍事エリートと政治エリートのトップから馬鹿を排除すること。馬鹿が自滅するのはいいけれど、トップの場合部隊、または国家が全滅するからとまさに快刀乱麻。

先の総選挙で自身の不倫問題から(それが本当の理由ではないと思うけれど、人の上に立とうとするものが家の中がグチャグチャではいつそうまずい)落選した某軍事関係の人もさることながら、某号泣した人にも話題が及ぶ。いゃあ、面白かった。

でもあの人、何で県議に当選したの。あの県の人に聞いてみたいもんです。といろいろ考えて楽しい本でした。

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「ニッポン景観論」 アレックス・カー

2014-12-16 | 読書


先週、こたつでうたたねして一週間近く風邪ひいてた。風邪のときは部屋を暖かくして正式に布団で寝るのが私の場合、結局は治りが早い。

寝床での退屈しのぎに、同居人から借りて読んだ本。写真多くて割とすぐに読めます。

著者は若い頃日本に来て、日本文化の継承、景観保護の必要性を訴える評論活動と講演、各地の古民家を宿泊施設として再生し、滞在型の観光客を受け入れるなどの事業をしている。

その著者の目から見た醜悪な日本の景観を、写真とともに見て廻るという趣向の本。

いゃあ、確かにね。日本の観光地、看板多すぎ。国宝の前には必ずある茶色の大きな看板、私は文化庁あたりが建てたとばかり思っていたけど、HITACHIが建てたんですってね。国宝の前でさりげなく自社の宣伝をする。手が込んでいる。企業のイメージ戦略ですね。

しかしまあ、団体バス旅行の人にはあの看板は便利ではなかろうか。限られた時間で確かに行ったという証拠写真の背景として好都合。

地方の自治体が補助金で人を驚かすような奇抜で大きなホールを作っても、あとの維持管理に苦労するのもよく聞く話。

で、私は思ったのだけど、どちらも文化的成熟度がやや足りない現象ではあるまいか。人は人、私は私、自分の好きなもの、行きたいところは自分で決める。

あるいはまた、箱モノを作ったところで産業構造が深いところで変化している時代の流れにはあらがえない。それよりは、本当にこの土地らしいものは何か、それを自信を持って発信していく。その腹の括り方ができていないということではあるまいか。

自分の土地の文化と伝統を大切にする。それが未来につながる人間のとして生き方、そう思うとなんだかすっきりした。

モンタージュ写真でフィレンツェのダビデ像の前に、日本で見かける看板各種をモンタージュしているのには笑えた。

曰く「文化財愛護 ダヴィデ像 ミケランジェロ作 フィレンツェ 火気厳禁 HITACCO」「彫刻付近での集合写真撮影はご遠慮ください」「石段の上に登らないでください PLEASE KEEP OFF」「ここは禁煙 たばこは休憩所で NO SMOKING」「飼主のみなさまへ ボクは自分でウンチを持って帰れませんだからお願い持って帰って京都市」←これは京都市内で撮影したものらしい

いゃあ、看板に埋め尽くされたダビデ像、とっても品がない。それは看板に品がないから。そう注意することで、見物人も幼児化してしまうという構造がよく分かる。

ダビデ像を目の前にして説明は不要であろう。よしんば知らずに来たとしても、虚心に鑑賞すればよろしい。

日本人=私は看板に見慣れているので、同じものをよその国においてみるとどれだけおせっかいで醜悪かよく分かる。看板立てても犬の糞の始末をしない人はしないし、出来る人は看板なくてもするはず。市民一人一人の自覚である。

それが景観として現れる。そう言うことだと思った。

モノづくりから観光立国へ。これからの日本はそうなるだろうとの著者の予測。昔からの日本的な景観、それこそが日本の宝であると。


疑問点一つ。日本は砂防ダムが多い。それも景観を壊すとこの本にはあるが、日本の川は大陸と違って急流、雨も多い。土石流、洪水を防ぐためにはどうなんだろう。デザインを環境と調和したものにして、必要最小限の土木工事は必要ではなかろうか。

安心したこと一つ。著者の手掛けた古民家の宿泊所、とても居心地いいそうで。

20年くらい前、サライでみた藁ぶき古民家に宿泊して本当に大変だった。朝三時までテレビ付けたまま寝ている部屋があって、眠れず、朝は朝で、洗面所へ行く人が間違えて私達の部屋に入って来たこともあった。食事は庭に生えてる草みたいなのを天ぷらにして、いゃあ何とも。

でも著者の関わる宿は全て、快適に改装し、そういう何もないところにじっと滞在するのは何よりの贅沢かもしれない。

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「異国の客」 池澤夏樹

2014-12-13 | 読書

著者は2004年秋、パリ郊外のフォンテーヌブローに家族で移り住み、そこで見聞きしたこと、考えたことをエッセイとして文芸誌すばるに連載し、本書はそれを単行本としてまとめたもの。

喜怒哀楽、感情表現、価値判断は排除し、あくまでも淡々と、いろんなとこを俯瞰する。見通しはいいけれど、私個人の好みと断った上で、もう少し破たんがあった方が著者本人により親しみが湧くんだけど。

この本は自分の本棚を整理していて発見。読んだこと、とうに忘れていた。いかんですなあ。年寄りになってしまった。とはいえ、10年近くがたち、私もその分だけ変わったので、初めてのように興味深く読んだ。

マルシェでの買い物の楽しさ、食材のおいしさ、ヨーロッパの国々がとても近いこと、ベルリンのユダヤ人の慰霊碑ができたいきさつなど、どこから読んでも新しい知見を得ることができる。

年末年始、時間ができた時に読むつもりで最新作も注文した。どうやら今もフランス在住らしい。居心地いいんだろうなあ。うらやましいなあ

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「ちょっと知りたい雑草学」 日本雑草学会

2014-12-03 | 読書


身近に生えているのに、邪魔者扱いされ、ひとまとめに雑草と言われる植物をいろいろな面から見た入門書。面白かった。

雑草とは、人が耕作地や都市を作り上げた所にそれぞれのやり方で忍び込み、環境に適応しつつ生き延びていくもの。自然と人間のせめぎ合いの最前線にいるのが雑草だと教えられた。

生き延びる智慧、いろいろ。花壇や道端の草なら「見苦しい」で済んでも、田や畑となれば死活問題。人類の農耕の歴史は雑草との闘いでもあったことだろう。戦後、除草剤が開発され、草取りの労力から農家の人たちが解放された功績は大きい。

除草剤は人間の体に悪いとなんとなく思っていたけど、葉緑素の生成を阻害したり、アミノ酸の合成を止めるなどの作用で特定の草に効くメカニズムが、素人向けに分かりやすく解説されている。

雑草と侮ってはいけない。現在広く世界で栽培されている小麦は、わずか一万年前、、二粒系小麦と、雑草の樽穂小麦が交雑してできたものだそうで、環境への広い適応能力は雑草から受け継がれたそうです。それ以後、人類は爆発的に人口を増やすことができたんだそうで。

足元の小さな草一本にも、長い生物進化の歴史が詰まっている。しみじみとそう思いましたね。鮮やかな花を愛でるだけでは分からない自然の奥深さをこの本から教えてもらいましたね。

それにしても、、、、広島の原爆の後、焼け跡に生えてきた雑草を観察して記録に残した人がいたこと、驚きました。自然の修復力にその人もきっと感動したことでしょう。

先日のNHK。イギリスから来たガーデンデザイナー、このお話もなかなか良かったです。

http://www.nhk.or.jp/professional/2014/1201/index.html

植物を過保護にするのではなく、植物の特性を生かして10年後に美しい庭を造る。日本は温暖湿潤で植物の種類は豊富。でも普段はそれを忘れている。外国人にその良さを教えてもらったのかも。

草や木を見て、これからも癒されようと思った私でした。

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