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6/15 氷河地形、ガヴァルニー圏谷へ

2014-06-29 | 初夏のフランス南西部

観光五日目、連日の真夏日から一転、本日はお天気がよくありません。ホテルの部屋から見える山には低く霧がかかり、どんよりとして今にも雨が降りそう。

私の部屋は5階。下を見る。ホテルばかり。春から秋まで、毎夜行われるローソク行列に大勢の参拝者がやってくる。ルルドは一大門前町。


今にも雨が降りそうなお天気ですが、8:00にはホテル出発。49キロ先のガヴァルニーへむかっていざ。

まだまだお天気悪いです。

川はドウドウと流れています。

途中の何でもない空き地に車が停まっていて、そこへバスを停めるとdriverさんが交替しました。昨日までのセルジュさんも同乗。決まりで連続しては乗務できないそうで、今日一日だけ交替です。別の人はトゥールーズからはるばると運転してきたようです。

ひょうきんなセルジュさんに、柿の種や酢昆布を渡す人がいました。びっくりしながら、それでも食べてもらえたようです。こんなところからも異文化交流ですね。なかなか面白い体験でした。

どんどん山の中へ行きます。

水力発電所

霧が深く風が強い。

45分くらい走って停車します。橋が見えてきました。

ナポレオン橋です。ナポレオン3世によって、5年の歳月をかけ、1864年に完成した橋。深い谷に掛かっています。

殆ど垂直に切り立つ岸。この地の氷河と雪解け水の浸食がいかに凄まじかったか、実感します。

下流を見ます。川底まで数十メートルはある感じ。もしかしたら100メートル?

時々バンジージャンプがあるそうで、したくはないけど、見るのは面白いかも。

セイヨウヤブイチゴかな???

日本のクサイチゴに近い花と思われます。和名は木丈が低いのでそう呼ぶだけで、木本です。クサイチゴの仲間なら、赤く熟した実は食べられずはず。

ヨーロッパナラ。道路の縁の石の間から生えています。ゆくゆくは大木になる木なのにどうするつもりでしょう。

ドイツでは平地に普通に見られますが、南仏では標高の高いところにしかないようです。ちなみに我が家のヨーロッパナラは暑さで新芽を全部落としましたが、そのあとからまた小さな芽が出ています。広島の暑さを乗り切れるか・・・頑張れ。

 

小雨がぽつぽつ降ってます。とても寒いです。

少し空が明るくなったかな?

山の中にも集落があります。どんなお仕事をされているんでしょう。

9:28 やっとガヴァルニーの集落に着きました。登山やハイキングの基地として、ホテルやいろいろな施設があります。

レインコートを着込んで、いざ出発です。まだまだ厚い雲がかかっています。

この道をまっすぐ行きます。

犬がのんびり歩いています。パンダみたいな顔した大型犬です。日本人ツアーに無関心。

わおう、早速花のお出迎え。小さいのはゲンノシヨウコフウロソウの仲間、大きいのはユキワリソウの仲間と思われます。どちらも日本のものより草丈が高い。山野草と木の大好きな私は興味津々、ワクワク、ドキドキ。きょうはどんな花に出会えるのでしょう。

川の横を歩きます。

谷の奥が少しずつ姿を現してきました。

ゴマノハグサ科の、ラテン名はRhinanthus alectorolophusリナントゥス・アレクトロロフス。フランス名はRhinanthe ariste、日本名はオクエゾガラガラというらしい。名前の通りならば北海道のずっと北にはあるかもしれない。極東ではサハリン以北に主に分布しているらしい。

確かにゴマの花に似ていますね。

道は平たんで歩きやすいです。写真撮るので私だけ、どんどん遅れます。

Anthyllis valesiacaアンティリス・バレシアカ。マメ科。

日本で言うとオヤマノエンドウやレブンソウに近い花と思われますが、まったく同じ花は日本にはないようです。

セイヨウマツムシソウ ラテン名Scabiosa lucidaスカビオサ・ルキダ。

日本のマツムシソウに比べて花期が長く暑さにも強いそうで、日本で売られている園芸用のマツムシソウはこちらの花だそうです。

 

ヘラオオバコですね。これは日本の都会地の荒れ地にもよく見られる帰化植物ですが、こんなところにも適応しています。

花がはかなげで、ちょっといい風情。

セリ科は種類が多くて難しい。Heracleum sphondyliumヘラクレウム・スフォンディリウム。日本ではミヤマシシウド、ハナウドが近いらしい。

セリ科のマルバトウキ Ligusticum mutellinaリグスティクム・ムテルリナとしてみました。

クリスマスローズの原種と思われます。草色の花なのでアゥグチフォリウスh.argutifoliusとしてみました。本種はコルシカ島を中心としてヨーロッパに分布するそうです。

マーガレットとして知られる花。

Silene vulgarisシレネ・ブルガリス 日本ではフクロナデシコ、シラタマソウなどと呼ばれるそうですが、私は未だかつて日本の山に似た花が自生するのを見たことがありません。

日本で名前だけ付けたのかもしれません。よく見れば撫子ですが、花の根元が下膨れでユーモラス。

アブラナ科 Biscutella laevigataビスクテラ・ラエビガタ

だいぶ歩いてきました。観光用の馬を飼育しています。ハイキングの代わりに馬に乗って行くこともできます。

自然の中で、元気そうな馬です。

とここまで書いたらもう午前四時。さすがにもう寝ます。

名前は素人の私が調べたので間違いも多々あると思います。お気づきの点があればコメントくだされば幸いです。

かつて見たこともないフランス亜高山帯の植物の数々、この後も続きますが、ひとまず中断。

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「わたくしが旅から学んだこと」 兼高かおる

2014-06-28 | 読書

日曜の朝の定番番組だった「兼高かおる世界の旅」は1959年から31年も続いた長寿番組だったそうで、著者は31歳から62歳までという長い期間。

1959年と言えば我が家が白黒テレビを買ったばかりだったかも。当時16万円だったと子供心にも憶えている。とんでもなく高い買い物で、放送局は少なく、昼間はテストパターンばかり見せられたけれど、その頃からある番組なんですね。

まだ庶民にとっては海外旅行なんて夢のまた夢という時代に、自在に世界を飛び回ってレポートする番組は世界に向けて開かれた唯一と言っていいくらいの窓だったと思う。

で、見てたかというとほとんど見たことあれませんでしたね。日曜の午前中にテレビ見る習慣がなかったし、その頃は遠い将来自分が海外へ旅行するなんて夢にも思ってないので、あまりにも縁遠い話で、彼女のゴージャスなスタイル容姿とはっきりとしたものの言い方にも、いっそうその思いを強くしたので。

今思えば見ておけばよかったとちょっと残念。

この本で意外だったのは、さぞや大取材陣で世界中を移動したのかと思いきや、彼女とカメラマンと担当者の三人だったという。当然彼女は企画の段階からかかわり、現地でのアポイントメント、通訳、レポートなどほとんど八面六臂の活躍。これには驚いた。

平たい靴だと歩きにくいそうで、毎回踵のある靴にスカート姿、うんうんこれならどんな要人に会っても礼を失しない最強の姿。ハードな海外の旅を女らしい柔らかな物腰でこなしていくのも見どころ出たのだと思う。

人生がどうこうという話もさることながら、旅行仕度が面白かった。

旅先で持つバッグはポケットがたくさんで高価に見えないことが大切だそうで。それと洋服の上からゴム製の伸びるベルトを。これは何でも落としたり忘れたりするのを防ぐため挟んでおくそうで。

それと部屋履にビーチサンダルを。これいいかもしれない。私は日本のホテルで使ったスリッパをいつも持参しているけど、10日もするとよれよれになるので次回からは持って行こう。

それと宗教的な施設では信者さん以上に礼を尽くすこと、出されたものは何でも食べてみるのも大事だと思った。

謙虚にしたたかに、しなやかに、そして時には大胆に世界のいろんなところへ出かけて行った著者は80台半ばでまだお元気なはず。

淡路島には記念館があり、世界の民芸品を展示したり、ミニ世界旅行のできるモニュメントもあるらしい。今さらだけど、通りがかることがあれば寄ってみようかな。

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フランスのヒナゲシ

2014-06-27 | 初夏のフランス南西部

http://free-photos.gatag.net/2014/05/08/190000.html 

ヒナゲシのいい写真がないので↑からお借りしました。symphony of love様、ありがとうございました。


 

フランスの野に自生する、ヒナゲシは燃えるような赤い色をしておりました。これは麦畑や牧草地の周辺、手入れのしていない植え込みなどにごくふつうに生えていて、ちょっとびっくりしました。

赤いヒナゲシと言えば与謝野晶子の歌を思い出します。

ああ皐月(さつき) 仏蘭西(フランス)の野は火の色す君も雛罌粟(こくりこ)われも雛罌粟(こくりこ)

この歌の半年前、晶子は夫鉄幹をフランス遊学へと送り出しますが、恋しくなってフランスまで追いかけて行きます。

ちようど五月、フランスの野には日本では見たこともない緋色の花が咲き、晶子の心をいやが上にも掻き立てる。

私たちはこの情熱の色に染め上げられてしまったみたいよと、いつまでたっても情熱的な晶子なのでありました。

日本にも同種のヒナゲシが帰化植物として、都会地の空き地などに見られますが、ずっとおとなしいオレンジ色です。

先般フランスに行くまで、このコクリコは広い公園に人工的に植えられたものか、はたまた、オレンジ色を晶子独特の言いまわしで火の色と言ったとばかり思っていました。

違いましたね。ほんとに鮮やかな赤い色が何気に野原にあるので、最初は驚いてそれからじわじわ感動してきました。

サン・シルク・ラポピーの展望台へ上がる石段の途中にこれが一株ありましたが、日差しが強すぎてうまく映ってません。残念でした。

何事も行ってみなければわからないこともある。イギリスの湖水地方で、野原にジキタリスがいっぱい咲いていたのを見た時の感動にも似ているかも。あれもびっくりしましたね。自然に生えているものだとは夢にも思わなかったので、

先日のガヴァルニー圏谷の花の中には、ポット苗として近所のホームセンターで見たような花もありました。明日からしばらく忙しくて更新できませんが、その時の花たちはいずれまた。

いゃあ、楽しかったですよ。イブキジャコウソウに似た花はヨーロッパジャコウソウ、シナノキンバイニ似た花はフランスキンパイとか適当に名前付けて遊んでました。クワガタソウの仲間もありましたね。

あすというか、もう今日だけど、夕方孫が来る予定。それまでにドレス仕上げないといけない。ロングスカートはもうできた。あとはワンピースの部分。頑張ろう。

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6/14 ボルドーからポー、ルルドへ

2014-06-25 | 初夏のフランス南西部

さて今回のツアー、観光もいよいよ四日目、ちょうど中日です。きょうはボルドーを車窓観光して途中のボーで昼ごはん、そのあとルルドの観光をします。

昨日までの暑さも少し納まり、空は雲も出てきました。雨は大丈夫のようです。


 

午前七時前、窓から朝日が見えます。夏時間になると夜明けはけっこう遅いようです。向かいの建物は何でしょうか。

この付近は大型ホテルが多く、昨夜は午後10時過ぎまで、プール脇の屋外カフェに人がいました。フランスの夜は長いです。


クオリティースイーツボルドー、大きなホテルでした。

車窓観光だけということでしたが、一カ所だけ停めてくれました。急いで降りて写真撮ります。

ボルドーのオペラ座。パリのオペラ座はこれを真似したとか。

向かい側はホテル。

ガロンヌ川に沿って大きい建物が続きます。ボルドーはガロンヌ川が大きく蛇行するところに開けた港町で、今回、トゥールーズに次いで大きな都市でした。

でもこのツアーは田舎ばかり目指します。私たちがパリへも行かないと聞いて、アルビのホテルの人はびっくりしたそうです

「皆さん、パリはもう行ってるから。ヴィトンなんて欲しくない人ばかりだから」と添乗員さんが説明したそうです。ヴィトンですか・・・私も欲しくありません。重いバッグはもう持ちたくありません。

4時間かけてポーへ着きます。今からケーブルカーで高台へ上がります。・・・と思ったところで一人がトイレに行くことになり、ついでにみんなが行って結局18分くらいかかりました。

フランスの国鉄はずっとストしていて閑散とした駅のトイレを借ります。無料ですが、慣れないトイレにみなさん戸惑います。

上へ行くとピレネー山脈が見えますよ…という案内版。

乗り込みます。

ぐんぐん高度を稼いで

まあ、歩いて上がれないこともないだろうけど。

さっき手洗いをお借りしたポー駅。緑が多い。きょうはピレネーは見えない。

前菜の寄せハムのようなもの。おいしかったです。

食事のあと、歩いてケーブルカー乗り場まで。

ホテル前のカフェ。屋外カフェの椅子テーブルは濡れてもいい素材。

豪華ホテル。ヤシ?棕櫚?が南仏っぽい。ホテルの前は広い遊歩道になっていて、その名もピレネー大通り。ナポレオン一世がピレネーを見るために作らせたそうです。

国旗いろいろ。日本のもありました。


 

さらに二時間かけてルルドまで。街中を大きな川が流れています。

ホテルに荷物入れて街の観光です。この日は、この後ものすごく歩きました。

賑やかです。土産物、レストランなど。人も多いです。

狭い道をどんどん行って、

今日のルルドの繁栄の素となったのは150年ほど前、ベルニデットという少女がマリア様を見て、その現れたところを掘ると泉がわき出し、水を飲んだ人の病気が治ったことで、彼女は聖人に列せられ、ルルドは奇跡を求めてカトリック信者の集まる聖地となりました。

彼女の家は貧しく、刑務所だった狭い家に家族で住んでいました。

こちらは奇跡の後、家族が住んでいた家だったかな・・・前より少し広い。オレンジの建物は資料館で、見学者が多いです。

正面から。

再び川を渡り聖域へと向かいます。丘の上は中世の城。きょうは行きません。

ロザリオ大聖堂へ向かいます。

聖堂の右手に2万人・・・だったかな収容できる聖ビオ10世地下大聖堂があります。今から行きます。

体育館のようにとても広いです。ミサの前、聖歌隊が準備しています。

ロザリオ大聖堂へ行きます。

中はとても広いです。150年前の奇跡の後に建てられたので比較的新しい教会です。

キリストの一生を表した壁画が多数。私達で言うと親鸞聖人御一代記みたいなものかな。

外へ出ます。

教会の横へ行くといろいろなサイズのロウソクを売っています。

今から奇跡の泉の方へ行きます。

ロウソクをたくさん立ててある奥にマリア様が現れたそうです。その上に教会が立っています。

泉の上には各国語で聖水を飲むことを勧めているようです。

日本語もあります。

水は、色々なサイズの瓶を買って、詰められます。いちばん小さな1ユーロに汲んで飲み、そのあと水を入れて日本まで持ち帰りました。

冷たくておいしい水でした。ピレネーの山懐、いい水の出る場所のようです。

泉の前は一方通行です。同じツアーの男性が、泉の前で頭を下げていました。異教徒ですが、いえ、異教徒だからこそ、人様の信仰するものを拝ませていただくという謙虚な姿勢が必要だと、思い至りました。

他人様のことをあれこれ言うのは失礼ですが、この人にはこの後もいろいろ教えられることが多かったです。英語も達者でホテルの人ともよくコミニュケーション取り、かつ偉そぶらず、お年寄りの参加者にも親切・・・うーーーん、大学の先生かなと思いましたが、詮索するのは失礼というもの。

袖触れ合うも他生の縁、振り返って我が身の足りないところを反省したところであります。

うーーーん、思い込みが激しいと人が見えないものも見えるし、病気が治ったのはたまたまじゃないのと身も蓋もないことを考えていましたが、大きな教会ができて人がたくさん集まる。このことの意味はいろいろあるだろうけど、結局人は人智を超えた救いを求めずにはおれないのだと思いました。

車椅子の人も多数参拝しています。それも奇跡を願ってのことでしょう。

ホテルに帰って、また食事に行って、またホテルに帰って、希望者はロウソク行列の見学にと、とてもよく歩きました。

午後9時前、まだまだ明るいです。希望者だけ、添乗員さんと一緒に夜間のロウソク行列を見学に行きます。

教会の脇から上へあがってみます。さっきのロウソク売り場のところに人が集まってきました。川は急流です。氾濫したこともあったそうです.

次第に例になります。

聖堂の前へと流れて行きます。午後9時前、まだ明るいです。

車いすの人を先頭に、聖職者に先導されて信者さんが広場へ入場しています。

並んでいます。両翼の回廊にも人がいっぱいです。

だいぶ集まってきました。讃美歌が流れ、その合間に司教のミサが挟まり、信者さんは「アベマリア」と歌いながら、手にしたロウソクを左右に振ります。

宗教的一体感からくる陶酔…とでも言いましょうか。不思議な空間です。一緒に入ったツアーの人と別れていい場所を探すうち、偶然人がいなくなった所へ割り込み、上から拝見しました。

10時近くになっても終わりそうにないので元の場所に戻ったらだあれもいません。わあ~、皆さんもうホテルへ帰ったのでしょうか。

それから貰った絵地図を頼りに、たった一人でホテルまで帰る道の心細かったこと。ホテルの看板が見えた時にはホッとしました。


ルルドは今回のツアーに行くまで聞いたこともない街でした。スペイン国境に近い田舎町ですが、毎夜のロウソク行列のおかげで、街はホテルや飲食店などが多く、一大門前町となっています。

病気を治したい。そう思ってお参りするのは古今東西変わらないのだなあと改めて思いました。

人が多く集まるのでジプシー多数。道端に座って物乞いしています。夜道を一人で歩いて襲われないかと、それだけが心配でした。

そのリスクを避けるためには連れとの別行動は慎むべきですが、いゃあ、この私には無理でした。皆さん、ご心配かけました。

「あの人だから大丈夫とみんなで言ってた」と言われましたが、それは買い被りというもの。しかしまあ、何事もなくてよかったです。

あすはいよいよピレネーの山中深く分け入ります。

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6/13 サルラ散策、サンテミリオンとワインの醸造元へ

2014-06-24 | 初夏のフランス南西部

観光も三日目、だいぶいろんなところへ行きました。場所は私が書き込んだので多少違っているかもしれません。参考になさらないように。


さて、サルラの暑くて寝苦しい夜も明けました。旧市街に近い素敵なホテルでした。初めて日本人ツアーと遭遇。あちらは山をハイキングする長旅のようでした。

朝、ホテルの窓から。山が近いらしく小鳥の声で目が覚めます。ブラインドは電動式、動かなくなって添乗員さんと四苦八苦しているうちに直りました。お世話になりました。

ホテルの庭の花

名前知らず。

キク科の・・・

いろんな花が咲いています。

 

またまた写真撮っていだきました。「今日がいちばん若い日だから、何年か経つと写真見て若かったなと思う」とのこと。女性の多いツアーで、皆さんとても自立した旅の名人。いろいろ教えられました。

一人参加の四人はとても仲良くなって、ずっとおしゃべりしています。フランスの田舎へ一人で来る。それでもう嗜好は似ているというものです。皆さん、ありがとうございました。今までのツアーで一番楽しかったかも。やっぱり私は一人が合ってる。

本日の衣装は半袖登山服、首に濡らした豆絞りの手ぬぐい巻いて、がばっとした白い麻のブラウスを。これはバスの中で寝るとき体に巻いて冷房除けにもなりました。

今日も暑くなる予定です。


部屋に荷物を置いて、歩いて旧市街を観光します。それは添乗員さんが交渉したとのこと。感謝です。

旧市街は歩いてすぐです。サルラはベネディクト派修道院が中心となってできた街で13世紀には最盛期を迎えたそうです。

その後発展からは取り残されますが、街並みを再生したフランス第一号の街として、今は観光地に生まれ変わりました。

古きヨーロッパの面影が色濃く残る街です。

広場に面してラ・ボエシの家があります。16世紀の作家だそうです。これもすすけた外壁を削って修復したそうです。

正面から。

坂道を登ってサンサセルド大聖堂の東側に上がります。

右の道から上がってきました。

死者の灯明塔。何に使っていたかは分からないとのことです。

下りて行きます。いい雰囲気の道です。

街灯はガスでともるとか。レトロ。

アンティークの店。

フランス南西部、バラはそろそろ終わり。

ノウゼンカツラかな?

ワインなどの店

フォアグラはサルラの名物

市庁舎前のりベルテ広場。フランスの国旗がかかる。カフェは開店前。

少し坂を上がります。

サント・マリー教会の大きな鉄の扉を開けています。

中はマルシェに。開店前。この後みんなで買い物しました。私はクルミを一袋買いました。

さらに細い路地を歩いていきます。

ガチョウ広場。フォアグラ用のガチョウのモニュメント。

世界的には動物虐待ということで逆風が吹いていますが、この地では伝統産業、伝統的な食習慣として認められているとのこと。

頑張れ、ガチョウたち。

こちらはフジらしい。

聖女の泉。昔は街中の貴重な水源だったことでしょう。

サルラは手編みの籠も名産とのこと。

ツバメのマークは郵便局。この先に泊まったホテルがあります。今からホテルに戻り、出発です。

プールはもう使えるようです。運転手さんは泳いでいたとか。

言葉は通じないけど面白い方で、私がSAでクッキー買っていたら「Non,Non」と首を振り、お腹が膨れるしぐさをします。

太ると言いたいのでしょう。

"No,this is present for my friend"と答えました。私も買うなって言われた・・・と言う人もいました。ひょうきんな人です。

トゥールーズのバス会社のようです。


 

サンテミリオンまでは130キロ、3時間のバスの旅です。どこまでもブドウ畑が広がります。

行けども行けども、ブドウまたブドウ。

畑の横にバラが飢えています。ブドウアブラムシはまずバラに着くとのことで、虫害をいち早く知るための工夫だそうです。

日本のブドウは棚から垂らす、こちらは低く仕立てます。


 

サンテミリオンではまず昼食です。こちら牛肉の赤ワイン煮込み、マッシュポテト添え。ビーフシチューのようでおいしかったです。

デザートはマカロンの粉を振りかけたアップルパイ。温かくて、マカロンはサクサクでとてもおいしく頂きました。サンテミリオンのワインを注文。普通のグラスワインよりおいしいそうですが、比べられないので。

さすがワインの産地、とてもおいしいワインが次々出てきます。

モノリス教会のテラスから、さっきのレストランを見下ろします。屋外のカフェもありますが、レストランは左側です。

白いテントの下もカフェ、暑いので扇風機でミストを撒いています。この炎天下、列を組んで真面目に観光している日本人を「何してるんかなあ????何はともあれごくろうさん」という顔でフランス人は見ているのかも。

むこうはワイン畑が広がっています。

このテラスでフランスの若者が、「あなたたちは日本人ですか」と話しかけてきました。

つい"Why can you speak Japnese?"と聞きましたが、若者ははっきりと「ボルドー大学、日本語学科ですから」と答えてくれました。なんで日本語勉強してるのでしょう。好きだから?

それは聞き洩らしました。

教会の内部。

祭壇。

続いて王の塔へ。さっきの教会がよく見えます。

反対側。ブドウ畑に囲まれるサンテミリオン。

ブドウ畑の中の小高い丘の上の街

今から街外れの駐車場まで。

どこまでも続くブドウ、またブドウ。


 

醸造所に着きました。畑の中の小さなシャトー。

樽は三つ。毎年新調するそうです。

出来上がったワインは小さな樽に詰め替えて冷暗所で寝かせます。いい年もあればおいしくない年もあり、失敗した時には安いテーブルワインとして業者に引き取られるそうです。

その前で、三種のワインを試飲しました。こちらのはどれも新しいワインの味がしました。コクよりもフレッシュさが勝っている気がしました。

別棟のワインセラー。醸造元直営。

庭の花

前庭の百合。日本では見ない色。

一時間ほど走ってボルドーへ着きました。大都会です。川を渡ります。

ホテルは空港近く、アメリカンタイプの広い部屋でした。ソファがすわり心地がよかったです。

巨大な椅子。

空港近くでレストランはないらしく、今夜はホテルで夕食です。ホテルは豪華でしたが、夕食は地味でした。毎日おいしいもの食べてきたので、たまには胃を休めるのもいいでしょう。

やっと観光が三日終わりました。あと四日残っています。駆け足ツアーですが、盛りだくさんで、初めのころのことを忘れそうに。

特に教会はよく似ているので、記憶が混ざってきます。夜、少しずつ旅日記を付けることにしました。

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6/12 サン・シルク・ラポピーとラ・ロック・ガジャックへ行く

2014-06-24 | 初夏のフランス南西部

観光二日目、アルビのホテルの前に8時集合、サン・シルク・ラポピーを目指します。

おっとその前に昨夜の写真。

旧市街。食事から歩いて帰る。午後9時前。まだ充分明るい。入り組んだ旧市街。

人にあらず。でもちょっとドキッとする。

こちらお約束の・・・

翌朝、八時前。一昨夜のような無理はせず、全員そろったら大通りまで出てバスに乗ります。

ホテル前は一方通行。カフェがもう開いています。

不動産屋の物件各種。

アクセサリーはよりどり。まだ開店前。

バスを停めてたのは地下道へ入る車線、道をふさがれて次から次へと怒りつつ地下道へと行く。driverさんもフランス語で応酬。旧市街は道が狭く、大型車の停める場所が限られるので本当に大変です。

このあと、この日はdriverさんにとっては大変な日となりました。


 

目指すは90キロ先のサン・シルク・ラポピー。フランスの美しき村にして、フランス人が好きな村第一位の栄冠に輝く場所。期待が高まります。

途中高速も通りますがほとんどが田舎道、しかもきょうは工事中とかで大きく迂回します。

一面の麦畑。ああー風景モードにすべきでしたね。

この付近はトウモロコシ。なだらかな丘も耕作地。農業国フランス。

牧草地。

途中のSAで。きれいなお菓子。

SAのサクラの実。サクランボではないので苦かったが、まあ食べられないこともない。ヒョウタンボクではありません。

こんなもの食べるのは私以外に少しだけいました。我らcharanger.

さらに行きます。

橋を渡ってようやく目指すサン・シルク・ラポピーが見えてきました。時に11:25。二時間半で来るところが三時間半もかかってしまいました。

どんどん上がって行きます。ボルドー川の上流、ロット川が大きく迂回する丘の上に村はあります。

村の教会です。これもバスの中から。

もうすぐ着きます。

見学時間は11:30~12:15の45分しかありません。はぐれないように気を付けて、公衆トイレのところまで行ってあとは解散です。ああ~忙しい。

屋根は瓦葺き。同じ色をしています。

高台には昔の城跡がありますが、遺構の一部が残るだけです。急な道を上がります。今日も暑いです、、、

丘の上ではベンケイソウの仲間や真っ赤なポピーがありましたが、画像が悪すぎて・・・泣く

与謝野晶子のコクリコとはあの花のことだろうか。途中の道端にも鮮やかに赤い花多数。残念。

さらによく見えます。風景モードに設定すべきでしたね。次行ったときには必ず・・・と心に誓う私。次があるとも思えませんが。世界は広く人生とお金は有限。

下りてきます。こちらホテルかレストラン。なんて可愛らしいのでしょう。

下りてみます。ずっと下り坂。でも行ってしまったら集合時刻に間に合わない。せめて一時間あればなあ。。。

引き返します。さよなら、サン・シルク・ラポピー。また会う日まで。

丘の上の集合場所を目指します。振り返ると美しき村。うーーーん、美しすぎる。

樽はワインを入れていたのでしょうか。

ツアーの仲間の人が親切に写真撮ってくれました。ありがとうございます。

着ているのは白くて丈の長い麻のブラウス。直前に三越のセールで購入。念のために持参したけど、こればかり着用。半袖だと暑くてたまりません。

バッグは軽くて小さいものを。それとペットボトルを入れた買い物袋一つ。残りはバスの中に。中高年には重いバッグは扱えない。

日本だとノカンゾウ。梅雨明けに咲く。フランス南西部はもう夏。暑い。

村の道

バラの影

このバラのところで曲がって集合場所へ。

バラ拡大

レストランだったかな。

集合時間まであと少し、急いで広場脇の郵便局に跳び込み、絵葉書用の切手2枚買う。一枚0.8€くらいだったかな。10€出したら、もっと小さなお金はないかと職員不機嫌。それなら電卓で示してくれればよかったのに、というのは私の我儘。

Non!!と言ったら、しぶしぶ釣銭くれた。花壇の縁に腰かけて急いで知り合いに絵葉書描く。6/23現在、無事着いたらしい。

さらに旅は続きます。途中のきれいな川。


 

道中のカオールというところで昼御飯です。

山羊のチーズ、クルミのサラダなど。割と食べやすかったですが、チーズの癖のある匂いがダメという人もいました。

朝から時間が押しているので添乗員さんは焦っていますが、結局ここでも一時間かかってしまいます。昼ごはんに一時間はフランスでは普通でしょうが、盛りだくさんの日本人ツアーにはちょっと辛い。

セップ茸のオムレツ。セップ茸はこの付近で採れるらしい。わが故郷のイグチンそっくりの茸。イグチンはその他の茸と一緒に醤油汁にしたら、だしが出てとてもおいしいのです。

母が若い頃は母の実家へ行ってよくキノコ狩りをしましたが、今はもう行きません。従兄も伯父も相次いで亡くなって、この私はフランスの片田舎でイグチン食べてます。

ワインはこの地方の黒ワイン。ブドウの品種で黒っぽく見えるらしい。ワインは3€から5€。コーラより安い。コクがあってバランスがよくて、どれもとてもおいしかったです。

あとはプロフイットロールというケーキ。画像なし。ちょっと食べすぎました。


 

さらにバスは走ります。次の予定地、56キロ先のラ・ロック・ガジャックの遊覧船の予定は4時です。

何かの記念碑。糸杉は改まった場所に植えられるらしい。今回分かったことはスギではなくて、日本でいうとカイヅカイブキの仲間。


ローターリーへ来るごとにラ。ロック・ガジャツクの方向へ曲がっていましたが、いつの間にかその表示が見えなくなってきました。

あれれ、と思ううち、農機具会社の敷地へ入ってUターンです。元のロータリーに戻って 別な道へ。それもだいぶ行ってからレストランの駐車場で引き返します。

フランスの田舎町、突如現れる日本人を乗せた観光バス。何事?とフランス人も店から出てきてびっくりしています。

私の席はdriverさんの斜め後ろ。両肩をすくめたり、頭を抱えたり・・・「完全に道に迷ったようですが、私が何か言ってもどうにもならないので」と添乗員さんはあちこちに電話掛けて、船の時間を遅くしてもらっています。

道端の温度計表示は35度。農家の庭先で鶏がトットットッと私たちのバスの方へ寄ってきます。ものすごい田舎らしい。さあ、どうする。。。。。

私達には何もすることはありません。黙って乗っているしかない。フランスのこんな奥地へ一人で来られないなら、黙ってついていくしかありません。まあ、最後は何とかなるでしょう。何と言っても天下のJTBですから。

ハプニングは旅にはつきもの。皆さん、旅の達人なので全然動揺しません。

やれやれ、2時間余りかけてやっとたどり着きました。この集落はドルドニュー川に面した洞窟から発展した村です。川が重要な交通手段だった時代、荷物の廻送、通行料の徴収などで栄えたそうです。

岩にへばりつく集落。

船着き場。5時から一時間のクルーズです。

乗ります。

後ろから岩肌が迫っています。

川は流れが速く、自然がいっぱいです。カヌーしたり、泳いでいる人も。何しろ35℃ですから。

 船は二隻。途中ですれ違います。

後ろの岩が突然崩れて何人か犠牲になったこともあったとか。それでも故郷を離れません。

尾道みたい・・・

岩山なので秋でも暑いと添乗員さん。

遠くのお城。川を行く船から領主が税を徴収しました。

バイカモ梅花藻かも。未確認。

今度は順光で。午後五時過ぎてギラギラと照りつける太陽。フランスは暑いです。スペインからの風がピレネーを超えて、熱風となっているのかも。くらくらするほどの暑さです。

「焚火にあたっているみたい」と私が言ったら少し受けました。

一時間の遊覧を終えて船着き場に着きます。


 

やれやれ、暑くて長い観光2日目が終わりました。今夜は13キロ北のサルラに宿泊です。

投宿後、レストランへ。前菜はサルラ名物、フォアグラのテリーヌです。高級食材のはずが、なぜか砂糖味。甘くておかずにならず、この私としたことが残す。

ポークはあまり味がなくて、私としたことが残す。お皿がきれい。

ホテルへ帰る前、希望者だけスーパーモノプリへ行くがすでに閉店。こちらは途中のお菓子屋さん。ショーウィンドウのきれいなお菓子。

この奥にレストランはありました。昼間暑かったのでワインではなくビール5€飲んだけど、これが間違いの元。(後述)

街は明るいけど、もうひっそりと。

テレビで天気予報やってます。明日も好天のようです。

部屋は二階。窓からプールが見えます。夜間は風呂の蓋みたいなのをしています。これは翌朝6時前の写真。

このホテルは部屋タイプいろいろで、一階の人は部屋に中二階があり、上にダブル、下にシングルのベッドがありました。

二階で寝て、風呂とトイレは下へ行くと言っていました。ヨーロッパのホテルは面白いですね。ちなみに私の部屋はダブルベットとシングルベッドがあったように思う。広くて使いやすかったです。

夜は昼間の暑さにビールの酔いが加わって、暑くて暑くて体も熱くて全然寝られません。冷蔵庫の中から缶入りのジュースなどを出し、「飲んだのではなく両脇に挟んで寝たら冷たくて気持ちよかった」と翌朝、人に言うと受けました。すみません。よく洗いましたので。

旅先で熱中症になるのかと、思いは千々に乱れ。でも何とか大丈夫でした。

旅はやっと二日が終わったばかり。あと五日、フランスの南西部を巡ります。乞、ご期待。ああ、それにしても写真が悪い。悪すぎる。

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6/11 午後からコンクへ、そしてまたアルビに戻る

2014-06-22 | 初夏のフランス南西部

コンクへ行きます。いいお天気です。前日の寝不足でバスの中で熟睡。気が付くとシートベルトがきつくて気分悪くなってます。

コンクは中世の巡礼街道の通る村。昔の建物がそのまま残っています。二つの塔を持つ大きな建物が、世界遺産サント・フォア教会です。

谷あいの村を村はずれの高台から見下ろします。

菩提樹たくさん。

村の説明版。

涼しい木陰をバスまで戻ります。

再びバスで移動、村へ入ってきました。

少し歩きます。

薄い石で屋根を葺いています。

バラの絡む建物

すぐ近くに山があります。

サント・フォア教会。

ロマネスク様式の古い教会。入り口の上には最後の審判のレリーフが。12世紀の製作。昔の字の読めない人のために、キリスト教の教えを分かりやすく顕しています。

右半分は人間の犯したいろいろな罪を顕しています。素朴な造形にはユーモアがあります。

教会前の広場。広場に面したレストランで昼御飯です。暑いけれどエアコンなし。窓から涼しい風が入ります。

砂肝のサラダ、七面鳥だったかほろほろ鳥だったかのもも肉、チョコレート系統のデザート。この私としたことが気分悪くてどれも一口ずつしか食べませんでした。

それにしても・・・暑いです。

古い建物いろいろ。暑いです。

教会の中は涼しい。ステンドグラスは20世紀前半に入れ替えられたシンプルなもの。

教会の庭。改めて山中の村だと気が付きます。

絵葉書各種

ホタテ貝はこの土地のシンボルで、巡礼者の目印。

この日もリュックの後ろにホタテ貝の殻を付けて歩く人を見ました。はるばるとピレネーを超え、スペインの整地まで巡礼に行った人の家はホタテの目印を付け、巡礼者を泊めたり接待したりします。

村の建物

一階は何かの店。でもこの暑さでひっそり。たぶん夕方から賑わうことでしょう。

村の道は狭くて急。花は壁にそって咲かせます。

手すりと壁が一体化した家。たぶんあとから部屋を広げたのでは?

さらに上がります。

小さな窓

バラと建物

教会へと降りる道

どこからでも見える教会の塔

向こうには山

ひっそりとした村。

暑いです、、、

村はずれの革細工の店。ホタテガイのペンダント。

観光客ばかりが歩いています。

同じく村はずれのキリストの像。

 

 


 

再びアルビに戻り夕食です。

普段は清涼飲料水など買うことはないのですが、あまりの暑さに。

午後8時ころ、まだ宵の口という感じ。中庭で食事。蚊も居なくて快適。

美食家ロートレックにちなんだメニューだそうです。

暑くて長い観光一日目が終わりました。今夜はアルビにもう一泊して、明日はフランス人が一番好きな「フランスの美しき村」サン・シルク・ラポピーへ向かいます。

 

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6/11 午前、アルビの街の散策

2014-06-21 | 初夏のフランス南西部

 

アルビはフランス南部、ミディ=ピレネー地方の都市で、タルヌ県の県庁所在地。ローマ時代に開かれたと言われ、中世にはローマカトリックから異端とみなされたアルビジョワ派の中心都市でした。現在人口は約5万人。

十字軍の後、ローマ教会はアルビを攻略してこの地に二世紀の長い時間をかけ、サン、セシル大聖堂を建設。石材の乏しい土地柄、煉瓦造りの世界最大級の要塞のような教会が残っています。

市の中心部は中世の面影がよく残り、2010年に世界遺産になっています。


 

朝食の後、一人で散歩することにしました。7時半くらいです。広い通りに出ます。人通りはまだ多くありません。

BARは居酒屋のようなもの?歩道が広くプラタナスの木陰が気持ちいい。とりあえず川まで行くことにしました。

あちらは開店の準備。

どんどん歩いていきます。一人で歩くこの解放感!!

こちら県庁。フランス人は自転車好きらしく、このあとよく見かけました。

路線バスがたくさん走っています。

タルヌ川まで来ました。

わあ、きれいと思わず口にしていました。川を挟んでレンガ色の街が広がっています。2010年、アルビの司教都市として世界遺産に指定されました。

中世にできた橋はこの街の交易を支え、繁栄をもたらしました。

クリックで拡大。パノラマ画像でどうぞ。左手にサント・セシル大聖堂とロートレック美術館はあります。

この後、急いでホテルまで戻り、市内の見学の準備をします。


 

ホテル玄関に8:20集合。徒歩で旧市街へ向かいます。

 

古い街並みが残っています。

チューダー様式の建物。建坪に税金がかかるので、上へ行くほど床面積を広くしています。

広場

さらに奥へと歩きます。

入り組んだ建物を中庭から見上げます。

通りへ出て行きます。

サンサルヴィ教会回廊

屋内のマルシェ。桃が平たくて珍しい。このあと別な場所で0.1€で買って食べました。甘かったけど、硬いモモでした。

フランス人はモモを柔らかくして食べないようです。

サント・セシル大聖堂は写真の露出に失敗。残念。只今外壁工事中。

サント・セシル大聖堂内部。

要塞のような巨大な聖堂。入り口の彫刻が複雑で凝った造りです。

 

続いてロートレック美術館へ行きます。ロートレックはこの地の生まれ、36歳で早世した後、母親がこの地に絵を寄付してそれをもとにして美術館ができました。

建物は昔の司教の館を利用しています。

美術界内部は撮影禁止。ロートレックの作品約1,000点を収蔵しているそうです。ロートレックは20世紀末のパリの退廃的、享楽的な版画などで知られますが、初期の作品もなかなかに見応えがありました。

何かを断念した後に咲く花…とでも言いましょうか。母親を描いたのは抑えた色調で、寂しそうな絵ですが、とても雰囲気のある絵でした。もっともっとゆっくり見たかったけど、時間に追われるのはツアーの宿命、走るように見学して、庭に出て、手洗いも済ませて集合です。ああ忙しい。

ミュージアムショップで絵葉書三枚買う。一枚0.4€。春の有名観光地は1€が多かったので、ちょっと嬉しい私でした。

庭に出ます。フランス式庭園。

庭の南端は遊歩道に。ブドウが植わっています。

川が見えます。朝見た方向を写します。

館を振り返ります。

遊歩道のモニュメント。

南仏の明るく強い日差しの下、ブドウがよく育っています。

川の反対側、自然がいっぱい。

煉瓦に生える草。

美術館を後にして、これから110キロ離れたコンクへ。二時間のバスの旅です。昼ごはんはコンクで。

私たちが出るころ、人が増えてきました。とても暑いです。いやあ、こんなに暑くなるとは。

 

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大阪→パリ→トゥールーズ 17時間の長旅

2014-06-20 | 初夏のフランス南西部

6/10~6/19までフランス南西部、ピレネーと美しい村を巡るツアーに一人で参加しました。ヨーロッパは五回目、フランスは春に次いで二回目です。

今回はアルビ/コンク/サン・シルク・ラポピー/ラ・ロック・ガジャツク/サルラ/サン・テ・ミリオン/ボルドー/ルルド/ガヴァルニー圏谷/ゴーブ湖とポン・デ・エスパーニャ(スペイン橋)/ピック・デュ・ミディ/トゥールーズ/カルカソンヌ/ミディ河運河と盛りだくさんです。

聞いたことあるのはボルドーだけ、どこもまだ日本では馴染の少ない場所、観光7日に往復3日、合計10日の長旅、果たしてどうなりますやら。

関空内のホテル日航関西空港に前泊。今回は第二滑走路に面した部屋。もう目が覚めた。時に6:25。

はてさてどんな旅が待っていることでしょう。期待半分、疲れなければいいけどと不安半分。でも行くしかないんですよね。旅の始まりはいつもこんな気分。

ちなみにKIXは関西空港の略称。

チケット貰いました。11:30発AF0291便、パリのシャルル・ドゴール空港で国内線に乗り換え、トゥールーズというところまで行きます。トゥールーズはエアバス社もあるフランス四番目の大都市、フランス南西部の中心都市です。

搭乗口は南ウィング34番ゲート、10:50搭乗開始です。同じツアーの人も三々五々集まり、行く気分が次第に盛り上がってきます。

10分早く、搭乗開始。今回も通路側の席でラッキーでした。席の確約は出来ないとことですが、一人参加の場合、通路側を取ってくれることが多いようです。

個人で旅行するときはaisle seat please(アイルシートプリーズ)と叫べばいいらしい。ついでにbaggage is to どこそこと最終地を叫んで念押し。構文などどうでもよろしい。簡単、明瞭、単語の羅列。これ最強。

スーツケースの引換券はチケットの裏に貼ってくれるので、大切に保管。なんてことは旅慣れた方には当たり前でしょうが私自身の備忘のため。

12:17 水平飛行になったらスナックが出ます。冷たい飲み物はいろいろありますが、私はいつもワインをチョイス。一度に飲まなくていいので楽。なかなかに深みのあるおいしい赤ワインです。

この後だいぶ経ってから「お客様の中にご気分の悪くなった方がいらっしゃいます。お客様の中でお医者様はおられませんでしょうか」と日本語の機内放送あり。

あれれ、映画かドラマの中みたい。docterいるのかなあ・・・・下手に手を上げても薬も何もない空の上、いくら医者でもすることに限りあり。通りかがりのスッチーにそれとなく聞いて、関わらない方がよさそうだと思ったら、「あっ、そう、大変だね」と軽く流すのが賢明と業界の雑誌にあった。

乗継だと途中の空港で下りるのに付き添い、病院まで一緒に行き、自分の予定は狂うわ、ご本人からも航空会社からも事後、何の挨拶もなかったとボヤキの投稿をこれも昔、業界の雑誌で見た。今はたぶんこんなことはないと思いますが。

聖職者とは無限の奉仕を期待されるもの。見返りを求めてはいけない。見返りは奉仕に見合うだけの尊敬だけ。だなんて、今の時代には無理かも。

患者さんも千差万別、何の情報もない人を飛行機の中でいきなり診るのは無理というものです。簡単に言ってしまえば、助かる人は時間が経てば快復して助かるもの。そうでない場合には何もできない機内では要するに何もできない。

トイレ行った時「おかげさまでよくなりました」「よかったです。先生にご挨拶されましたか」という会話を聞いた。大したことなかったらしい。よかったよかった。

昔、飛行機の中で具合が悪くなって輸血するドラマがありましたね。山口百恵、三浦友和主演の「赤い疑惑」だったかな。輸血なんて、飛行機の中でしますか。いゃあ、びっくりです。それで二人がきょうだいと分かるんですが、血液型だけでなんでわかる?と突っ込みどころたくさんのドラマでした。

おやおや、こんなことまで書いてたら、この旅行記、無事関空まで何時になったら帰れることやら。

13:02 ランチが出ます。ご飯の横は肉と野菜の炊き合わせのようなもの、他にサラダ、デザート、パン、クッキーなど量は充分です。

20:54 二度目の食事。パスタとチキンのグラタンがメイン、パン、チーズ、サラダ、フルーツなども。水もついてます。

それでもお腹すく人のために、最後尾にサンドイッチやスナック、飲み物各種があり、自由に飲食できます。ってこんな調子で旅日記アップしていたらいつまでたっても終わらないかも。。。。。

フランス夏時間6/10 17:01 日本時間6/11 0:01 パリのシャルル・ドゴール空港です。この先から次の飛行機に乗ります。

添乗員さんに連れられて広い広い空港内をここまでやって来ました。もうすぐ搭乗です。

19:04 トゥールーズへ向かう国内線で、コーヒーとお菓子を戴きます。ギャレットというフランスのクッキー、モンサンミッシェルの模様入り。懐かしや。

 

フランス時間20:02 トゥールーズ空港で。入国審査の後、外へ出ます。フランスらしいガラス窓のペインティング。

外へ出ます

ツゥールーズ・ブラニャック空港、今からアルビまで84キロを一時間余りバスに乗ります。午後8時過ぎ、まだまだ明るいです。

ピンボケ深謝。日本時間6/11 午前4:28 現地時間6/10 21:28

今夜のホテルは街中のヨーロッパタイプの宿です。幅4mくらいの道を親切に連れて行ってくれようとして、曲がりきれません。添乗員さんが誘導し、ホテルからもスタッフが駆けつけてきます。道行く人もん?何事・という顔で通り過ぎて行きます。

切り返すこと10数回、無事通り抜けられました。思わず湧き起こる拍手。やれやれ、皆様お疲れ様でした。

ヨーロッパへ来るときは一日がとても長いので、またお腹すきました。関空で買った赤飯にぎり一個、オカキその他で空腹を満たして寝る。

6/11 6:04 目が覚めたのでテレビをつけてみます。当然フランス語、何言ってるか分からない。しかし、しばらくつけておく。7時の食事までまだ間がある。このホテルは連泊、ゆっくりのんびり過ごす。

6:29 部屋は4階だったかな。隣のお宅に朝日が当たる。窓は日中は鎧戸を閉じて暑さを防ぐとか。

部屋の水回りリフォームしてたけど、風呂に問題あり。初日は鉄さび色の湯が出て、排水がとても時間かかった。二日目は水はきれいになったけど、翌朝まで全く排水せず。ツアー客をあまり受けないホテルらしく、いつもは使わない部屋なのかも。

ちなみに皆さんは枕チップ1€ずつ置いていたらしいけど、私は今回のツアーから止めた。いつも1€キープするのも小さなストレス。旅行中はストレスフリーで行きたい。ちなみに小銭をジャラジャラ置くのは失礼になるらしい。

6:46 少し早いけど螺旋階段を下りて朝食のレストランへ。ヨーロッパの数え方は0階、1階、2階となる。エレベーターは狭いし遅いし、自分の脚で下りるに限る。

HOTEL SHIFRE 電話はフランス(0536)485848。アルビの街中の小さなホテル。スタッフはみな丁寧。

ツアー客が珍しいのか、ずらりと並んだスーツケースをスタッフがスマホかアイパッドで写していたとか。 

今回はご夫婦5組、あとは一人参加の男性2人、残りは友人、姉妹、一人参加の女性など総勢24人の参加者。皆さんいろいろなところを旅行していて、要領よく動かれる。変な人もいないし、大変結構でした。皆さんによくしていただき、本当に楽しい旅になりました。深謝。旅行記はしばらく続きます。また見た下さいね。 

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帰って来ました。

2014-06-19 | 初夏のフランス南西部

今朝8:30頃、関空着。機内では旅行中に仲良くなった複数の人達と断続的に話をして、殆ど寝ていません。

詳細は追々まとめますが、とりあえず。

コンク。ピレネー山中にある。スペインの巡礼地サンチャゴ・コンポステーラへ向かうコースがこの村で一つになっている。教会を中心にした中世風の町並みが美しい。

ものすごい山の中、この先家なんかあるのかと思っていたら突如現れる桃源郷。

この日道路脇の温度計は35度。フェーン現象かも。

こちらは標高2,887mのピック、デュウ。ミディの展望台。-3.6度。少し霧が晴れたところ。当然ダウンのジャンパー着用。

この後色々な写真掲載予定です。よかったら見てください。

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「フランスものしり紀行」 紅山雪夫

2014-06-03 | 読書


以前、この人のドイツものしり紀行を呼んで面白かったので購入。でも何か読みにくかった。なぜかと私なりに考えて出た結論は、フランスはドイツと違って観光地が多く、自分と縁のなさそうな土地の説明は身を入れて読みたくないからだと思う。

とは言え、あまり深く立ち入るでもなく、各都市の歴史などにも触れてその町の魅力、特徴をコンパクトにまとめているのはガイドブックに飽き足らない人の次の情報としてはとてもいいと思う。

ただ、男性の旅行者の視点なので、実際にパリに暮らした女性のような内側から見たフランスの話を期待する向きには少し物足りないかも。

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「フランスの美しき村」 菊間潤吾監修

2014-06-03 | 読書


パリだけがフランスではない。フランスの魅力は田舎にあるそうで。フランスは日本より国土が広く、人口は少ない。高い山もそうたくさんはなくて、国土のほとんどが農地。各地方の自然条件に応じて様々な農業が営まれる。

農業は自然を相手とするので、建物、街並みなどもそう奇抜ではなく、用の美、必要にして最少の伝統的な景観ががおのずから守られてきたのだと思う。

時間の流れに耐えるものこそ美しい。これは古今東西、洋の東西を問わず真実だと思う。流行るものはすたれていく。時間の流れに洗われてそれでも残っているものが人を感動させる。人の長い歴史がそこに詰まっているから、何が大切かを教えてくれるからだと思う。

「美しい村」というのはフランス独特の制度。わが国で言うと重要伝統的建物保存群とか言う制度と似ているのかも。日本では観光地として生き残っているけれど、不便なままの昔の文化を残した村であってほしい。

といいつつ、ツアーバスを仕立てて、東洋の果てからぞろぞろと見物に行く物見高い日本人。はい、私もその一人です。お許しを。

紹介された街がたくさん。どれも魅力的。フランス人でも全部は廻りきれないだろう。増して日本人に置いておや。

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「フランス流お金をかけずに豊かに暮らす方法」 吉村葉子

2014-06-03 | 読書


今年、3月27日朝、関西空港内書店で購入。飛行機の中で、またはホテルでと旅先で軽く読めるエッセイ。一つ前の「それでも・・・」を分かりやすく噛み砕いたような内容。

この人も若くしてフランスへ行き、20年住んでから帰国。フランスと日本を比較しながら、どうしたらよりよく生きられるかを考えるエッセィを多数発表。

フランスへの基礎知識がなくてもよく分かるし、読みやすかった。読みやすかったけど、この本でもフランス人のしたたかさ、芸術と食文化の豊かさなどなど、著者のフランスへの愛が全編にあふれていて、興味ない人でもそんないいところならパリへ行ってみようじゃないのと思わせられる一冊。

少し長く滞在するならホテルではなく、アバルトマンを借り、地図を買って、住むように旅をするのがお勧めだそうで。言葉は五つ、ボンジュール、メルシィ、パルドン、ウィイ、ア・ボンだけでいいそうで。うんうん、何かか簡単そう。

乗り継ぎ大変なので一番安い時期の直行便のチケットを買い、(この間見たら片道35,000円があった。本当かと目を疑った。)パスポート見せて入国、電車に乗ってパリ市内まで。うんうん、三男のところへ行くより乗換回数少ないかも。行けそうな気がする。望みは強く思うと叶うそうで。

今年はもうさすがに行かないけど、いつかと言うことで、楽しみを先にたくさん作っておこう。

結婚しててもボーイフレンドを持つのも勧めている。日本ではまだまだその段階ではないでしょう。仕事以外の話のできる男性はあまりいないし、私たちの歳だとボーイフレンドにヤラシイことはされなくても、介護を期待されても困る。まだまだ家族中心の日本では婚外の異性付き合いはうまく浮遊して続けるのは無理。均衡を崩していろんなものを破壊するだけ。無理と言うものです。

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「それでも住みたいフランス」 飛幡祐規

2014-06-03 | 読書


ペンネームはたかはたゆきと読む。女性。1956年東京生まれ。18歳でパリへ留学、二つの大学で文化人類学、タイ語、東南アジア学などを修め、エッセィ、翻訳などを手掛ける。

フランス人と結婚し、子供ももうけてパリの生活も長く、フランスの内側から見たフランス社会を紹介している。旅行するだけでは分からない等身大のフランス人とフランス社会が興味深かった。

一読後の感想はフランス人はしなやかでしたたか・・・というもの。狭い地域に多数の民族が混在し、国も消長を繰り返したヨーロッパではそうでないと生きて行けなかったのだろう。自分のスタイルを持ち、人との議論はいとわない。コマーシャリズムに流されない。大型スーパーでもなく、個人商店でもないマルシェの魅力。バカンスは何よりも大切。などなど、人と同じでないと落ち着けないわが民族と比べてずいぶん違うなと思った。

色々な価値観に子供の時からふれるのはとても大切なこと。そうでないと物事を単純化して脅しに掛かる為政者に簡単に屈服してしまうから。

なにしろあちらはベルサイユになだれ込み、王族をつかまえて、公開で首をはねた民族である。一筋縄ではいかない。ケンカを嫌い事を荒立てるのを良しとしないわが民族とは真反対。日本人にももちろんいいところはたくさんあるけれど、消費から教育、政治まで自立した市民でいる大切さをこの本は教えてくれたように思う。

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「地震と独身」 酒井順子

2014-06-02 | 読書


「負け犬の遠吠え」で世に出たエッセィスト、酒井順子さんの震災後の独身者を取材したルポルタージュ。

まず問題の立て方が面白いと思った。東北の大震災以来、絆ということがよく言われ、家族愛がクローズアップされることも多かったけど、じゃ、独身者は地震の時とそれ以後、どうしていたかと考えるのが酒井さんらしい。

医療機関のような職場では、家族のいない身軽な独身者は、職場に出てこない家庭持ちの人の分まで働くことが多かった。家族持ちは家族第一の人と仕事優先の人に分かれるらしい。未曾有の災害の時は、その人となりがよく顕れる。出てこない人を責めることは出来ないけど、出てきた人同士は連帯感を持って仕事をしたとある。なるほど、そういうこともあっただろうと思う。

家族はいないけれど、親は大切、故郷へ帰って家業を継ぐ決心をする人。東北と全然関係ない独身者もたくさんボランティアに参加して、自分たちの考えで柔軟に動いているのが頼もしかった。

ここにあるのは既成の価値観、権威にとらわれず、己の欲するところに従って動いた人たちである。非日常はその人の本質をあぶりだす。何かと否定的にとらえられがちな独身者だけど、自由に動ける利点がボランティアなどでよく発揮されたと思う。まだまだ日本人も捨てたものではないと思った。自分の頭で考え、体で行動する。ここに新しい日本人を見る気がする。

他の本と違って真面目な語り口に好感を持った。また、地道に話を聞いて相手のことも理解しようと努めている。読んで何だか気持ちがすっきりした。人に親切にするのはとても気持ちがいいのだと教えられた。

引きこもっていても何も始まらない。人は人のつながりの中でこそ生きられる。困った時こそ知恵を出し合って助け合う。災害は起きない越したことはないけれど、人と人がダイレクトに向かい合う、ユートピアが一瞬出来たのだと思った。

鎧を捨てて真心こめて人に向かい合う。人との付き合いはこれに尽きると、地震とは関係ない話になりましたが、そう思った。

 

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