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日々のあれこれ
 

暑中お見舞い申し上げます

2017-07-29 | 日記

海に近い我が家。チャリンコで本土に隣接した島へ渡る。船溜まりには漁船、貨物船?がいっぱい。


毎日暑いですね。暑くて寝苦しく、最近睡眠不足。昨夜は、というか今朝は全国紙の配達の音を聞いてから、3時過ぎ就寝。

8時には隣接する土地の家屋解体の音で目が醒める。やれやれというか、そんな時刻まで寝ている私が悪いんですが。

昼前、島の先にある大手ホテルのショップへ行ってみる。服なんていらないのですが、15年ぶりに、夏の終わり、同窓会に出るつもりになり、着る服探しに行った。

・・・・ありませんねぇ。私の欲しい服が。どのショップもあまりにきらびやか。笑ってしまうほど豪華(ど派手)。

客層はホテルの宿泊客にランチ客を想定しているらしい。衝動買いしても惜しくない値段だけど、何しろ豪華(ど派手)。

ただでさえ既製服との折り合いの悪い私の体型、クジャクみたいな服着たら同窓会で浮いてしまうこと必至。

同窓会に参加する場合、前もって誰が出るかリサーチするのかもしれないけど、連絡とる人もとくにはおらず、いてもなんかその人に頼っているみたいで自分が情けなくなりそうで。

勉強もそのほかのことも目立たなかったわが高校時代、いったいどれだけの人が憶えてくれてるかな。それでも行く気になったのは、先日の「ガン未遂事件」後、私なりに思うことがあって。

気まずくなった人とでも、もうさすがに大人の会話ができると思う。人様に自慢できるほどの暮らしをしているわけではないけれど。

一番の難題はあと一か月余りで痩せること。無理でしょう。ああ、自分だけ透明人間になって、みんなの傍へ行き、話に耳を傾けていると言うのはどうでしょう。みんなからはこの私は見えないのです。

というか、同じクラスだった人、女子はともかく、男子はほとんど名前忘れてる。みんなおじいちゃんになってることでしょう。この私がおばあちゃんになったんですから。

何着ていくかなあ。。。。買うのもおっくうだし。地元じゃないので、着物で行くのもむつかしいし。。。。悩む

皆様も体に気を付けて、暑さを乗り切ってくださいませ。

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四歳児の言う男女の産み分け法とは・・・

2017-07-28 | 日記

地元花火大会/画像は昨年


来るのは9日ぶり。わずかの間に四歳の下の子が、赤ちゃんから少年っぽい顔になって、言うことがいちいちユニーク。

特に面白かったのが、男女の産み分け法。

四歳児いわく、女の食べ物食べたら女の子が生まれるそうで。

女の食べ物とはトマトとかリンゴとかの赤いもの。

リンゴは赤い皮のところでないとだめだそうです。

男の食べ物とは、こんなものと言ってナスの肉巻きを指さす。

そうなんだ。知らなかった。それ、早く知ってれば女の子も産んだのに。

おばあちゃんはね、赤ちゃん三人産んだんだよ。

ふーーーん。

一番最初は誰だか知ってる?

知らなーーーい。

**君のお父さんだよ。

とっても怪訝な顔している。

お父さんが元は赤ちゃんで、それをこの目の前の年寄りが生んだのがピンとこないらしい。大人は初めから大人、ばあちゃんは初めからばあちゃんと思っているらしい。

そうじゃないんだよ。**君もやがて大人になって、長い時間かけてゆっくり年寄りになるんだよ。という混み入った話は今日はしない。

四歳児の言う、男女の産み分け法。この歳ではもう手遅れだけど、来世でまた人間の女に生まれたら試してみます。

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機織り再開

2017-07-27 | 機織り

一週間ぶりくらいに再開。

再開したのはいいけど、間違いまくって、何度もほどいた。

まだまだ動揺してるらしく、リズムよく踏めない。すぐに踏む順番が分からなくなる。

順番間違えると柄が違ってくるので、一目瞭然。あちゃー😵

だけど、辛抱強く織るうちに次第に調子がつかめてきた。

織るのは息をしたり、歩くのと同じ。心を平常に保って、単調な動作を繰り返す。

やがて副交感神経が働き、心が楽になる。

辛いことや嫌なことがあったら、これからは織り機に座ろう。

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ガンかもしれない・・・と思ってわかったこと

2017-07-26 | 日記

昨年絵付けして、昨年機織りしました。夏になると出します。


今回のいきさつを書いてみます。

自覚症状で、ガンかも…と思ったのが五月末

夫に言うと「ふーーーん」という反応。喜怒哀楽の表現が激しくない人なので、嬉しいはずはないけど、心の中ではどう思ったかはやや不明。

夜だったので、とりあえずネット検索。ふむふむ、2cmまでが一期なのねと初めて知った。でもネット上にはいろんな話があるので、多少動揺し、あまり眠れなかった。

翌日、すぐ診てもらえる乳腺クリニックを受診。触診、マンモグラフィー、超音波検査、最後に患部に針を刺して細胞を取り、一週間後に結果を聞きに来てくださいとのこと。

エッ、その日は友達二人との、年に一度の楽しい楽しい同窓会旅行の初日。一瞬旅行をやめようかと思ったけど、やめても病気治るわけないし、キャンセル料かかるし、ほかの人たちも楽しくないのでとりあえず出かける。

ほかの二人も部位は違うけど、がん手術経験者。一応知らせたけど、それはそれ、これはこれで、バカな話もしつつ、楽しく遊びました。

細胞診の結果は良性。このころ長男が来たので、話すとふーーーんという顔。全然動揺していない。

細胞診だけではわからない、組織採らないと。何言ってるの?と私は意味不明。それに細胞診したこの先生、乳腺専門じゃないよ。とあくまでも冷静。

嫁さんに言おうかというので、言わないでほしい。話が増幅されて大げさになり、実家からお見舞い貰ったりしたら申し訳ないので。と言って、長男の線からは結局誰にも漏れなかった。

私は血族に乳がんが多いので、ほかの専門クリニックでMRI検査を受けることに。こちらは8mmの腫瘍があり、別の場所にも病変あり、乳がんの疑いとの診断。

がん?がーーーん!!!

で初めて大病院に紹介されるわけです。今はいきなり大病院へは行けない仕組み。

私は近所の病院希望。歩いて15分、チャリンコで裏道通ると5分、裏口から入るとより近い。26年前、子宮筋腫と卵巣嚢腫の手術したのもそちら。安心感がある。

でも紹介されたのは別の某大病院。遠いなあと思いつつ、二日後の先月15日に初受診。

先生は、なんでもない顔と口調で「まあ、早期の乳がんですね」とさらりと言われる。

エッ、これが有名ながん告知?

昔なら家族だけ別室に呼ばれて、厳かに言われることが多かったらしいけど、今はそんなややこしいことはしないらしい。先生が動揺してないのに私がうろたえるのも変なので、「ああそうですか」と答えるしかない。

まあ今日明日に死ぬわけではないし、周りを心配させまくった実母は手術後40年の長き齢を重ねている。私も多分生き延びるであろうと。

それより心配したのは、今、毎週の水彩サークルの会計していて、手術ならそれに穴が開くこと。その後の抗がん剤の治療で脱毛した場合、昼間なら帽子でごまかすけど、夜、室内でどうしたらいいかと。これが結構プレッシャーだった。

サークル内ではがんになった人も何人かいて、皆さんきちんと話して堂々としていた。でも私は言いたくない。同情されるのが嫌なのである。家業の関係で、病気にならないのも看板と思っているので、地元で知られるのは避けたいところ。うーーーん、どうしたらいいかと、そればかりを悩んだ。

姑様の食事は夫がきちんとしてくれるはず。ポーランド旅行で経験済みです。

先生が続けていわく、組織を採らないと診断は確定しません。検査しましょう。で、生体検査をするのが11日後と決まった。

当日は夫にも来てもらい、手術室へ案内されるので、大げさだなあと思っていたら、手術そっくり。というか、手術そのものでした。26年前の手術は全身麻酔だたので、何も見えなかったけど、今回は丸わかり。いっぱい機械類があって、宇宙船のコックピットみたい。珍しくて見える範囲でしっかり見ましたそして先日の先生が、緑の手術着きてニコニコして立っておられる。

で、局麻のあと腫瘍を取り出し、見せてもらったのですが、2cmくらいの大きさ。アレッ、そんなに採ったら本番はどうするのと一瞬思う。

20分くらい横になって麻酔が醒めてから、服を着て、下へ降りて支払いして、病院出たのが手術開始から2時間後くらい。普通に電車で帰りました。

抜糸は一週間後。元の乳腺クリニックで。分業が進んでいる。

で検査結果を聞きに行くのがそれから一月後。それまで間があるし、八月には手術必至と思っていたので、遊びまくる。

がん封じと称して、六月には夫があちこちの神社仏閣に連れて行ってくれたけど、普段から神仏に何かを頼む習慣のない私、形通り手を合わせてもその瞬間は何もお願いしていない。そんなもんで病気が治るなら医学は不要。心の平安ならばわかるけど、普段から平常心だもんと言い訳する私。

で、昨日、無事、がんの疑いが晴れたのでした。〇〇〇〇〇腫、良性との診断をいただきました。患部は一月前に摘出済み。昨日をもって今回のことは終了。

とはいえ、三か月に一度検診受けなさいと言われて、ちょっと重荷。生検で組織をくりぬいたので、表面にちょっと傷もついたし、まだ時々痛むし。。。

まあ人に見せるところでないし、全摘手術した実母や叔母のこと思ったら、何の治療も受けずに死んだ叔母のことを思ったらなおさら、この程度で済んだと感謝することにします。

長々に駄文読んでいただき、ありがとうございました。


最後に私のささやかな経験から、私なりに分かったことを書いておきます。

ガンかもしれないと知ってから二週間くらいは誰でも落ち込むそうで、この私も落ち込みました。

でも人の心は無限には落ち込まない。心にはプールと同じで底があり、そこまで沈んでいくと反動で浮かび上がるようになってるらしいです。初めてわかりました。

二週間の過ごし方は、なるだけネット検索しないと言うことですね。どんどん不安になるから。見るなら、治った人の体験談などがいいです。あまりパソコン、スマホにかじりつかず、普段の生活を普段通りにして、気を紛らわせる。今までできなかった楽しいこともして、買いたかったものも買って自分から元気になる。

二週間くらいすると私もだいぶ落ち着きました。そして当たり前だと思った暮らし、人との交流などをありがたいとしみじみと味わえるようになっていました。


MRIの検査が怖いと、人から散々聞かされていました。検査の場所も違うのでしょうが、結論から言うと全然怖くなかったです。

事前のイメージは真っ暗な狭いところに全身が閉じ込められて、身動きできず、長時間、騒音にさらされると言うもの。これは誰でも恐怖ですよね。

実際は、明るい検査室、覆われるのは患部だけ、伏せた頭の先に魚眼レンズで写した室内が映し出され、閉塞感まったくなし。イヤホン装着して、せせらぎの音や静かな音楽が聞こえる。音も建設工事現場程度。

私は全然怖くなかったです。

それにMRI検査と放射線治療に特化したクリニック、外は普通、中はもんのすごく豪華、家具調度はヨーロッパ直輸入みたいで、着替える部屋は結婚式の支度部屋みたいだし、スタッフはみんなホテルマンみたいな制服だし、部屋にいちいち検査室なんて表示も皆無。

ガンかもしれないという不安を忘れ、まるでヨーロッパの豪華ホテルにいるようでした。リヤドロの置物、人形や動物も飾り棚にたくさんあって、ロビーの豪華な盛花は生花だし、いゃあ、点数高くとれる医療機関はさすがだと感心しました。

あの豪華なロビーだけなら、また行きたい。


それと最近の病院、クリニックの先生、とっても優しいんですね。びっくりです。普段、ほとんど病院など行かないので、時代はここまで進んだのかなとしみじみと思いました。

世の中には人と接する仕事はいろいろあるけど、その中でもぶっちぎりで、私の出会ったお二人の先生は優しかった。特に大病院の先生、不安を鎮めていただきました。医師はすべてこうあるべきですね。

26年前に近くの病院で手術した時には、医師にはまだ下手なことは聞けないと言う雰囲気。

待ち時間の長いのもだいぶ改善されました。今はコンピュータで診察時間を予約するけど、以前は早いもの順。8時の受け付け開始に少しでも遅れると二時間以上待たされて、それも辛かった。いつ呼ばれるかわからずに、いたずらに時間が過ぎるのが疲れるのでした。いい時代になりました。


これから年取って、私もどんな病気になるかもしれず、今回のことは予習としていい経験になりました。

病気になってもすぐ死ぬわけではないので、うろたえない。

動揺している時、人に励ましてもらおうと思わないこと。人は自分の思うような反応してくれるとは限らない。他人事みたいに言われたり、過度に同情されたりと、たいてい外してくるので、甘えないこと。助けてもらいたい人以外には言わないが吉

ガン保険入ってたけど、ガンじゃないので何ももらえない。残念。保険は損するのに意味があるらしいけど、もうやめようかな。。。。

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緑陰散歩

2017-07-25 | 日記

出かけたついでに、縮景園へちょっと寄り道。

誰が休む?

 

カニ

東屋

カニ大小

ガクアジサイ

サルスベリ

ハス

咲き残り

またカニ

ヒオウギアヤメ

オニユリ

ハト

また池

京都的

ユリ

広島地方の田植え定規?

水田で転がしながら、等間隔に苗を植える道具?


本日はさる大病院に検査結果を聞きに行きました。

結果は良性。手術なしです。

約二か月前、ちょっとした自覚症状。いろいろ検査して、最後は生検までしてやっぱりシロ。

生検って簡単に考えてたけど、手術そっくり。というか、手術そのものでした。

手術着に着替えて、ベッド自分で上がり、局所麻酔、患部の取り出し。モニターで血圧、脈拍など計測。全部見えるのでとても珍しく、思わず「ドラマみたい」と口走る私は軽率なばあちゃん。

実質の手術時間は20分、局麻は軽い麻薬らしく、ショパンのピアノ曲聞きながら、とってもリラックスした幸福感に包まれる。そうそう、この曲、先月、ショパンの生家で聞いたとか、楽しかった旅行思い出していた。

採りましたよと先生に見せられたけど、今採ったら手術本番でどこ採るのと思わず突っ込みたくなった私。検査当日は家族の付き添いが必要で、夫には仕事は半日休んでもらった。ねっ、やっぱり手術でしょう?

それが一月前。一月後のきょう検査結果聞きに行って、最終的に良性との診断をいただきました。ありがたや。

ドクターもナースも検査とおっしゃってたけど、することは手術と同じと思う。だって手術の同意書書きましたもん。


もっとも、手放しで喜べるわけではなく、わが家系は乳がんがめちゃくちゃ多いので、検診は続けるようにですって。いつまで続ければいいのでしょう。生きている間ずっと?


今回、私の口から検査受けたと言ったのは夫と長男、友達二人(遠くの人)だけ。遠くの友達から誰に広まろうとかまわないけど、長男には口止めしていた。長男はその約束をよく守ってくれたのに、夫は自分の身内や自分の友達に言ってしまったので、確定診断の出る前に、姑様には心配かけてしまった。

何もしてあげられなくてごめんなさい。私は左だったけど、**さんは右なんですね。寝てなくていいの。ご飯つくってもらわなくてもいいんだけど。

何もしてもらうわけでもないけど、心配してくれたことがとてもありがたかった。お義母様ありがとう。


私は姑や実母を見送る役目があるので、まだ頑張りなさいと言うことなんでしょう。

実母に言うと心配するので、言わなかった。言わずに済んでよかった。

この二か月、手術かな、手術じゃないかなとずっと気にかかっていたけど、とりあえずは一件落着。でも先ではほかのところに見つかるかもしれないし、毎日を大切に、感謝しながら自分の役目を果たすようにとの、何か大いなるものの意思ではなかろうか。

というような殊勝なことを考えた。

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「されど われらが日々━」 柴田翔

2017-07-24 | 読書

統合移転してわが青春の地は、今、フリマ会場などに。

少しずつ建物が立ち、有効利用されている。

高層マンション、スポーツクラブ、丸亀製麺などなど。嗚呼( ;∀;)


読むのは三度目。一度目10代終わり、正門近くの古書店で購入。周りでも読んだ人ちらほら。

一節を引用した手紙を男子からもらったこともある。ご本人は忘れているでしょうが。私も今日思い出した。

二度目は新装の文庫本が出た10年前。そして今回。

10代で読んだ時には、サークルでの男女の組み合わせ、やがて結婚するもの、自殺するもの、出会って別れて、青春群像として読んだ。

私達の世代は団塊世代、全共闘世代と言われますが、そして、アマゾンのレビューで混同しているのもありますが、小説の中の時代設定はもっと古く、血のメーデー事件と、日本共産党の路線変更、六全協以後の青年党員の挫折が大きなモチーフとなっています。

若いときは自分の主義、思いに殉じて、死まで選ぶ、その純粋さを素直に読めたのですが、あれから五十年、齢を重ねたばあちゃんは、何はともあれ死ぬのはよくない。と声を大にして言いたい。行き詰った、もう生きていけない思っても、とりあえず、死ぬのは一日延ばしてみる。その一日を重ねてみましょう。そう言いたい。

一人の若者が形而上の悩みで死んで、その周りでどれだけの人間が嘆き悲しむのか知ってもらいたい。

主人公はおとなしく流されるまま、ストーリーを語る立場なので積極的には何も行動しない。婚約者節子はそれが歯がゆくて別れたのかな。しかし、節子もまた、結婚式を控えて、親にも内緒で、唐突に東北のミッションスクールの英語教師になることを決めてしまい、あまりに抒情に流されすぎてると思った。結婚式場のキャンセル料、親に出させるの?

お嬢さんが家も出ずにそのまま結婚する。その前に冒険したいのかな。まあ、それならわかる。

いえいえ、今の時代の感覚から突っ込むのは簡単。しかし、この本が200万部近く売れ、一時は青春のバイブルになったことの意味は深い。

昔の若者はうんと「うぶ」だったともいえる。

末尾近く、時代の困難となれ合って老いてきた。将来をそう予想する主人公の述懐。いえいえ、困難とは闘うしかない。そうやって生きてきた。私はそう言える

時代の困難から抜け出して新しい生活に踏み出そうとする人がいた。いえいえ、おかれたその場所で少しでも良くなるように努力するしかない。

場所を変えたら自分が変わるのは幻想。自分が戦って行かないと。

この中では東大と東京女子大など、学校名が実名。どちらも行けなかった私はすねる。

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いま生きる「資本論」 佐藤優

2017-07-23 | 読書

なかなか面白かった。

資本論という著作があるのは知っている。大学の門前古書店のどこかで、手に取ってページをめくったこともある。研究室の蔵書の中に、学生のリクエストで入れたけれど、教授は不承不承だった…というようなことを院生が話していた。

とまあ、私と資本論の関わり合いはその程度。少しは読んだかもしれないが、一人で読むにはなかなかに骨の折れる本である。

こういう手の本は、用語の概念、それを厳密にしつつでないと、すぐに筋道が分からなくなるし、その時も、いつも、ほかに面白くて読みたい本はたくさんあるので、経済学徒でもない場合、読む動機もそう強くないはず。

でも、昔は(そして今も少しは)読書界に燦然と輝く、難解にしてメッセージ性の高い大著作ということになっていた。一人で読み通したら、大尊敬されるか、超変わり者として扱われるか、たぶんその両方だったと思うけれど、誰しも、少しは人生も変わったかもしれない。

その150年前の古典を、新潮社が催す講座で読み通そうと言う試みである。講師はスーパー読書家であの博覧強記で知られる佐藤優氏である。全編、知的刺激に満ちた面白い本だった。

資本主義が行き詰まり、歴史の必然として社会主義、共産主義が生まれることを理論として打ち立てたのが資本論。その時は理論だけだったが、ロシア革命がおき、ソ連が瓦解し、ほかの社会主義国も自由主義経済を取り入れたりと、150年後の私たちの世代は、資本論の通りに歴史が進んでこなかったことも知っている。

それなのに、今、読む意味はなにか?

それは労働者の暮らしが19世紀よりはよくなったとしても、疎外されている状況は基本的には変わらないから。人は目の前にある現象だけが絶対で、変えられないと思いがちだけど、ちょっと視点をずらし、古典を自分の暮らしの実感に引き付けて読み直すと、これからを生きるヒントがいっぱい詰まっている。そういう結論だと思う。

著者のほかの著作の中でも繰り返し言われることだけど、どんな時代にも生き延びる広い知識を身に着ける、その大切さを言っていると思った。

先週の旅行に持って行って、夜、宿で読むつもりだったけど、疲れてすぐ寝てしまい、帰りの新幹線が激混で立っている間にだいぶ読んだ。

列車に乗って立ってるのは本当に退屈だけど、本があって助かった。

どこへでも軽く持ち運べるよう、最近は文庫本が多い。私の場合、隙間読書ですね。

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古い写真

2017-07-23 | 断想

昨夜は地元の花火大会、夫の友達ご夫婦を招待して、夫仕事場の屋上のそのまた上、昔、水をためていたタンク(すでに撤去)の場所から鑑賞。

私はもう44年間も見続けているので特に感動はないけれど、お客様は迫力に感動してよかったです。

午後から息子の電話。今年こそ花火を実家で見たいと。しかしながら車は乗り入れ禁止。急きょ四人分の食事も準備するのは難しいので、ご飯食べてから来なさい、子供は塔屋には登れないので、近所の開けた場所で見なさいといたら、結局来ずに江波山で見たらしい。


で、もう一人の息子ですが、いったいどうしているのやら。部署が移動になり、元の超忙しい仕事に復帰したらしい。通勤も車で一時間、お盆はゆっくり骨休めでしょうか。

8か月頃でしょうか。すでに車好きの片鱗が。しかもレーシングカー(^^;)

23歳、院生のころ。車に乗せてもらって高雄の高山寺へ。

この場所はよくいろんな媒体に利用されている。

高校生のころ、紅葉したこの場所の写真が表紙になった便箋持っていた。

紅葉シーズンはものすごく道が混むらしい。この時はまだ青紅葉。


帰省はお盆外して秋かな。とりあえず待ち遠しい母でした。

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暑さ除けいろいろ

2017-07-22 | インテリア

梅雨が明けて好天が続きます。

湿度も下がり、家中の窓を開け放つといい風が吹きます。

夏のこの感じ、好きです。

昨日描いた絵、飾りましょう。季節は春…ちょっと合わないけど。

夏はなるだけ物を置かない。風通しが悪く、物と物の間に熱い空気がたまる。

孫に障子を破られ、貼ってもまた破られ、以後、素通しの障子。明るくてよろしい。

風がよく入るけど、外は暑そう。

ガラスの器が好きです。色がついているとなおよし。

一番好きなグラス。見当たらないのでワイングラス出してみた。

開けていると風が通る。それを見ていると涼しく感じる…という負け惜しみ。

夜は来客の予定。荷物置き場に古い椅子を出してみました。


服は自分で縫ったノースリーブ、ノーカラーのワンピース一枚。体にまつわりつかない厚めの木綿地。

夜は窓を開けて、浴衣着て寝る。

暑いでしょうって?だからいろいろ工夫して。

ばあちゃんの寝姿など誰も知りたくないので詳細省略。

同居人はクーラー大好き、昼間もつけて、夜も一晩中つけて寝ている。当然別室。私はいっぺんで風邪ひきそう。

同じ気温なのに、かくも感じ方が違うのはなぜ?

ズボンはいてるから暑いのかな。男用Lサイズのワンピース、縫ってあげようかしら?


皆様も暑さに気を付けて、無理なくお過ごしくださいませ。

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セーヌ川を描く

2017-07-21 | 水彩画

透明水彩絵の具で。

パリ、コンコルド橋の上から。

反省点はいろいろあるけど、落款の場所がまずかった。Parisの右に押すべきでしたね。

あつらえると高いので、昨年京都へ行ったとき、寺町通のはんこ屋さんで出来合いを買った。

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宇治で源氏物語の心に触れる

2017-07-20 | 旅行

7/16

近江八幡から宇治へ移動します。

奈良街道沿いの茶問屋

宇治橋袂

平等院参道で

続いて川土手の緑陰を歩きます。涼しい。

駅前観光案内所では歩くと大変と言われる。でもせっかくの観光地、歩きます。

着きました。JR駅からは20分くらい。雨も上がっていい散歩ができました。


食事は一階の部屋で。

小さなテラスの先の庭。その向こうはもう宇治川です。川へ降りる石段も見えます。

きれいな前菜。なんでも一口ずつ。器の中は冷えた湯葉。

あといろいろ来たけれど、どれも繊細な京料理。おいしくいただきました。

私達の年齢にかんがみてかどうか、和室に椅子席でしたが、またまだ座卓でも大丈夫です。

とはいえ、そろそろ労われる年齢になったようで。

それはそれで心地いいのですが、それに甘えず、なるだけ体を動かしたいものです。

水流無限。毛脛深謝。

日も暮れてきました。

急に決めてネット予約した宿。お客さんは他に若い女性二人連れだけ、ほぼ貸し切りの宿。

連休なのにこれでいいのかしらと心配になりましたが、私が心配することでもなく。

今のお客さんは要求水準が高くなって、それにこたえていくのも大変。

支配人他スタッフはとてもいい感じの方でした。

「京都では祇園祭に雨が降って梅雨が明けます」とのことでした。


7/17朝、部屋のベランダから宇治川を見る。水音が絶え間なく聞こえて、涼しい。

宇治平等院。

元々は藤原氏の別荘内の私的な阿弥陀堂。寺院ではないので、五重塔などの設備はなく敷地はこじんまりしています。

300円でお堂内も見学。定朝作の阿弥陀如来、日本の仏像の完成された形と思いました。

穏やかで破たんがない。極楽へ行けば、きっとこんな仏様が迎えてくれるに違いない。

ハスと平等院。

川の中州から宇治神社へ

一段上の宇治上神社へ。世界文化遺産らしい。

緑の中の赤い鳥居。

独特なつくりの本殿。

与謝野晶子の句碑。この付近は源氏物語にちなんでさわらびの道と呼ばれているようです。

源氏物語ミュージアム

展示

みやびであでやか。

牛車は国産5千万円、中国に発注して1千万と、15年くらい前、京都文化博物館の学芸員の方に教えてもらいました。

今はもっと高くなってるかも。そんなに作るものではないので、技術の伝承という面では厳しいかも。

装束に調度。

薫大将が宇治の大君と中君をのぞき見する場面らしい。

少ししか見えないので物語が生まれる。


続いて三室戸寺に行きます。歩いて20分くらいです。

西国十番札所。境内、サツキ、アジサイなど、花の寺。

今はハスが満開。人も多い。


さらに歩いて茶商、伊藤久右衛門のショップへ。いつも混んでいて、この前は時間がなくて断念。

きょうこそは。

待つこと30分。念願の抹茶パフェをいただきます。抹茶をかけていただきます。

看板と一緒に記念撮影。

この日は祇園祭のハイライト、山鉾巡行の日。京都駅の掲示。

京都町衆の底力。これは辻まわしの場面でしょうか。

秋田の竿灯?

祇園祭は近寄るのも大変そうで、当然パス。


21歳のころ、祇園祭の夜、四条通を歩いていた記憶がある。

山鉾巡行は終わっていたのに、満員電車のような人混み。自分の行きたい方向へ全然いけない。

東京の人と待ち合わせて歩いてたのだけど、携帯のない時代、どうやって連絡とってたのか、今となっては不思議。

昔は会えなかったときは一時間くらい待って、帰るとか。逆にフェイドアウトしたいときはわざといかない。それを繰り返して終わりにするとか。

はい、ばあちゃんが昔話をしています。

伏見稲荷へ行く夫とは途中で解散。一人で帰宅。新幹線の自由席は激混み、岡山まで立っていた。

混む列車に乗るのも久しぶり。

と、夏の旅行も無事終わりました。二日間よく歩きました。心地よい疲れです。

次はいつ、どこへ行けるかな~

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近江八幡・水郷巡りと街歩き

2017-07-19 | 旅行

琵琶湖東岸の風光明媚な地、見どころがコンパクトにまとまり、中心部は歩いて観光。

京都の人が別壮を構えた土地だったそうで、風情ある落ち着いた街のようでした。

7:00広島発。京都で新幹線から新快速に乗り換え。9:35に近江八幡着。

駅前観光案内所で手漕ぎ船「丸山」の割引券貰って、9:40 長命寺行きのバスに乗ります。

「丸山」へ今向かっていると電話したら「キャンセルじゃなかったですか~?」って。

バスは360円、手前の和船乗り場より100円高いのでその分割引してくれました。

あちら別の事業者。近江八幡は全国でも珍しい手漕ぎ船が残っています。

橋の下を通ります。


バスで再び引き返し、大杉町で下ります。

六月の杜若はもう終わっていました。

水辺のアジサイ。

鳥居の中の「たねや」さんで食事します。これも先月と同じです。

きょうは屋内。山野草の盆栽。ウツギ、ヒメジヨン、チガヤなど。涼味満点。

こちらギボウシにチダケサシ?

と、山野草に癒されまくっていたらお料理が来ました。

六月と同じものを注文。おいしくいただきました。このほかに食前、食後に和菓子が付きます。

元々は種苗業、現在は和菓子の製造販売と和食どころ。

自在鉤に向こうは竈。


日牟禮八幡宮の前を通ってロープウェー乗り場へ向かいます。

八幡山頂上は標高300メートル余り。ロープウェーでぐんぐん上ります。

頂上には豊臣秀次の築いた城があったそうです。

下りて少し上ると瑞龍寺。豊臣秀次の菩提寺。京都にあったのを移築したそうです。

山頂は豊臣秀次の築いた城があり、西の丸あとから琵琶湖がよく見えます。近江八幡の発展の基礎は秀次にあり。悲劇の人ですが、地元では大切に思われているようでした。

ブラタモリ、取り上げると面白そうです。

一時半予約のヴォーリズ記念館。30分も早く着いてしまいました。門はしっかり閉まっています。

暑くて、どこにも飲み物の自販機ないし、頭は痛いし、気分が悪いです。

やっと入れます。素敵な建物、素敵なアプローチ。

暖炉のある広いリビングでビデオ見て、室内の資料を見ます。

ビデオの途中で寝てしまい、目が醒めたらだいぶ気分良くなっていました。

室内撮影禁止。窓辺のみOKです。

続いて近くのハイド館へ。ヴォ―リズ学院の付属施設です。

初めてなのにとても懐かしい眺め。

階段途中の踊り場。ニス塗りの腰板。観音開きの窓フランス窓。日曜日の学校。遠くで楽器の練習をする音。

時間は過ぎ、人は集まり去っていくけれど、変わらないものがある。ここにもあるし、それを見る自分の中にもある。忘れていたものが呼び覚まされる。

信頼とか愛とか、真理を求める心とか。

ものごころがついて社会に出ていくまでの、凪のように至福の時間。その短い時間をどう過ごすかで、きっと自分が形作られてきたのだと。その静かな確信。

私はクリスチャンでもないし、信仰心も持ち合わせないガサツな人間。

でもここにいると心が落ち着く。その不思議なご縁。ヴォーリズ師、ありがとうございました。

幼児教育をしていた部屋。ハイカラ。

24歳、初来日のときのトランク。木製。1905年なら船で来たのでしょうか。

この人と一緒に旅行しました。もう50年の知り合いでごさいます。


さらに歩く。もうとっても暑い。自販機のポカリだけ売り切れ。もうーーー気分悪いーーー

蔵元の中の喫茶店で休む。

即席の保冷襟巻。

氷を二個入れて、落ちないようにクルクルねじり、両側の頸動脈に当てて首の前で結ぶ。

血液を冷やすと体も冷える。内側から冷える。

というようなことを説明するも、笑って相手にされず。悔しい。

ヴォーリズ建築。旧八幡郵便局。今は骨董店など、ショップがいろいろ入っています。

新町通りの古い町並み。この付近まで来るといきなりの豪雨。

急に人影が見えなくなりました。私は晴雨兼用傘さしてますが、夫は傘がなくてずぶ濡れです。

まさか雨が降ると思わなかったそうで。

銀行の軒先に待たせて、傘を売る店を探しますが、小さな町で日曜日は何処も閉まっています。

でも、しばらく行くと靴屋さんがあり、折り畳み傘も売っていたので助かりました。やれやれです。

最後は池田町の洋館街へ行きます。食事前からずっと歩いて、もう15,000歩は歩いている感じ。でもまだまだ歩きます。

池田町の一角は立派な洋館が並んでいます。

建築は専門に勉強した人ではなかったそうですが、各地にいい建物が残っています。確か福岡市内の牧師館もそうだったような。

京都市内にもたくさんあるようです。

こちらは家は新しいようです。イメージは踏襲しているのでしょうか。

八幡小学校。瀟洒な西洋建築。

最後は小幡上筋からバスに乗って駅へ行き、16時過ぎの新快速に乗り、京都乗り換え宇治まで。約一時間で着きます。それはまた次の機会に。

落ち着いた町、西洋建築たくさん、景色もよくて、歩いて回れる観光施設いろいろ。最近、特に人が増えたそうです。

いい町でした。  

 

 

 

 

 

 

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近江八幡と宇治へ

2017-07-18 | 旅行

先月行ったばかりですが、近江八幡は小さくて魅力的な市、もう一度行くことにしました。

今回はヴォーリズの建築をいくつか見ました。彼はもともと、英語教師として赴任、キリスト教の伝道をするので二年で職を解かれるも、帰国せずに一生を日本で過ごします。

学校教育、キリスト教伝道、そして西洋建築と、彼の足跡はそのまま、日本近代が西洋文化を受け入れこなしていく過程でもありました。

今、目にするのは近江八幡を中心にして残る建築群ですが、その時代の新しいものもなぜか今となっては懐かしく感じてしまうのは、質実なアメリカ開拓時代の面影があるからでしょうか。

日本人を妻とし、日本を愛し、日本に帰化し、晩年には両親も日本へ呼び寄せたヴォーリズ。

昨今の日本大好き外国人ブームの走りのような人。近江八幡を中心として、関西にたくさん残されたヴォーリズ建築。まだまだ全部は見きれてないので、また行くかも。遊ぶことなら頑張る私。。。。


ヴォーリズ記念館。後半生を過ごした家。

資料を展示しています。見学無料ですが、予約制。ビデオを見て展示を見ます。

予約時間より早く着きすぎて近所の公園の木陰で待った。とても暑い日で、気分悪くなったけど、建物の中で休むうち治った。よかった。

ヴォーリズ学園、ハイド記念館。ハイドはメンソレータムの発明者。その日本での販売権をヴォーリズは得て、利益を学校教育やキリスト教伝道、慈善事業に活用したとのことです。

中は教室などがあり、何かの行事には使われているようでした。また小さな体育館とつながっていて、内装材の古い木が音響効果抜群。高校生が管楽器の練習をしていました。お邪魔してごめんなさい。


その日のうちに宇治へ移動。朝、部屋のベランダに出て宇治川を見下ろす。

左、宇治平等院へ。右は宇治神社など。源氏物語の浮舟が川に飛び込んだのはあのあたりでしょうか。結構急流です。

宇治へははじめての夫。三度目くらいの私。でも泊まるのは初めて。

京都市内に比べて、ひなびた感じで涼しく、宿泊料も安い。

窓を開けて寝ると寒いくらいだったのですが、夫はそれでも暑くて川の音がうるさかったとのこと。

気温と音の感じ方は人それぞれ。やれやれです。

10円硬貨でおなじみの宇治平等院。一度も焼けたことのないオリジナルだそうです。

ハスを入れて極楽っぽく。

宇治川近辺を歩いて、最後は三室戸寺へ。西国三十三か所十番目の寺。私は四度目くらい。

夫初めて。ハスが盛りでした。

午後からは伏見稲荷へ行く夫と別れ、各自で帰宅。暑くて雨も降った七月の旅でした。

詳細は次回以降に。

 

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広島・川べりのカフェ巡り

2017-07-15 | 日記

 

京橋川を川下へ。川べりの散歩道をゆっくり歩きます。

 

堤防の上は緑地帯と遊歩道になっています。

ホテルJALCITYのレストラン。屋外の席。開店前のようです。

雁木=小さな船着き場が残っています。

反射するので斜めから。川べりの個人の家の裏口は直接川に面していて、荷物の配達などに利用されたとのことです。

戦後、堤防が整備されて家は立ち退き、雁木だけが残っているようです。

こちらもカフェ。白い日除けと椅子カバーがおしゃれ。

さらに歩きます。涼しい~

えっと、これなんでしたっけ。

昨年六月、スペインのアルハンブラ宮殿にたくさん植わっていた。

稲荷橋のところまで来ました。

こちらはホテルなどではなく、いくつかの店が出店しています。

赤い色が人目を惹きます。

振り返ったところ。影が濃い。やがて真夏。

向こう京橋。左へ行くと、広島城の京口門に続く。

こちらはケーキショップ。ケーキを選んでお茶します。

ヨーロッパオーク(オウシュウナラ)がおしゃれです。

葉の切込みが深いのがフリルのようで。

私の知っているのは、ここと平和公園だけ。平和公園のはドイツから贈られたらしい。

涼しいところの木ですが、良く育っています。午後から日陰になるのがいいのかもしれません。

比治山が見えてきました。

川、遊歩道、ビル、街中の小さな丘…広島的光景。

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都会の中の深い森、栄橋ふれあい広場

2017-07-14 | 日記

暑くなりました。涼しい緑陰の恋しい今日この頃、広島駅から歩いて10分くらい、秘密の森へ行きました。

行き方、広島駅南口へ出て右へ。東郵便局の角をさらに右へ。最初の橋渡ってすぐ。

列車の待ち合わせで時間余った時にもどうぞ。木陰のベンチで川を見ながらなごんでください。

前行ったのはこちら。

http://blog.goo.ne.jp/kawashima134/e/7221141dde1890b93df18049ba0f8b72

ミズヒキソウ。はじめは白一色のようです。

クスノキと子供たち

ムラサキツユクサ。昔は校庭でよく見た。放射能に感受性が強いらしい。

漢字だと桔梗。高2のころペンネームにしていた。高校生のペンネームって…(^^;)

木陰が涼しい。

ホタルブクロ。これもキキョウに仲間だったと思いますが…

さらに奥へと広場は続きます。

振り返ると駅方面が。あの橋を渡ってきました。

シティタワー広島。超高層マンションです。

白いのは小さなソーラー設備付きの雨量計?

ヤブカンゾウ

好きな花です。我が家のは六月に雨が降らず、つぼみが日焼けして枯れてしまいました。

残念。来年こそ。

ヌスビトハギに囲まれて、頑張れ。

突き当りは縮景園のフェンス。向こうを入園者が歩いています。

整備された庭もいいけれど、きょうはこちらが嬉しい気分。

キリはひこばえでしょうか。元気いっぱいに育っています。

人もちらほら。とても涼しくて、元気が出ました。


本日のおまけ。

おや?!

人が平らな浮き輪の上に立ち、オールで漕いで川上へ向かっています。京橋上流で。

今は満ち潮らしく、結構な速さです。なんか楽しそう~

川の都市、広島。喜びも悲しみも水に流れとともに。

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