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「ヤマザキ、天皇を撃て」 奥村謙三

2013-08-31 | 読書

最近読んだわけではありません。読んだのは四半世紀くらい前。今朝の土曜版に映画「ゆきゆきて、神軍」の記事が。この本は既に絶版になってるとかで、本棚の中から探してきました。

私事ですが、会ったことのない叔父がなくなったのも(餓死した)のもニューギニア。今日の記事で、陸軍参謀本部にはイギリスからもらったニューギニアの地図が一枚しかなかったという。それで兵を送るなんて、何と言う無謀と、改めてそのいい加減さに腹が立った。

私事ですが、私は祖母と父の嘆きを繰り返し聞かされて大きくなったので、涙なしには読み切れなかった。今朝はたまたま早く起きて一人で新聞読んでたので鬼嫁の目の涙を見られずに済んでよかった。

同じ部隊が復員するとラジオで聞き、港まで訪ねて行って最後の様子を聞いた祖父に、「確かにこの目で死ぬのを見たので生きていると思わないように」と戦友の方が言ってくれたと、それは父から聞きました。

ずっと、叔父は自分より年上と思っていて、ある時、自分よりもずっと若かったのだと気が付き、きょうはまた自分の息子たちよりもまだ若かったのだと気が付きました。

たった一枚の地図で戦線を拡大する無謀、というか狂気。

シリアの内戦にまたアメリカが介入しようとしています。解決できるのでしょうか。イラクの時のように余計に混乱するのではないでしょうか。

ついでに戦争関係の本、少し引っ張り出してきた。アーロン収容所の元は中公新書か何かだったと思う。高校生のころ、なぜか家にあって面白かったので、友達♂に無理やり貸して読んでもらった。面白かったという感想だった。これはあまり悲惨ではない。

あれからかれこれ…年、会田雄次先生は当時立命館の教授、でもそのあと自分から大学辞めたんですよね。

今は気持ちが軟弱になっているので、奥崎謙三のような人の著書を読み返す心の余裕がない。

しかし、なぜきょう「ゆきゆきて、神軍」?もちろん映画も当時見ましたけど。今見たらまた違った感想かもしれない。

 

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「明治人ものがたり」 森田誠吾

2013-08-29 | 読書

やっと涼しくなって、街歩き復活。川沿いの木陰を歩く。まだまだ木陰が嬉しい季節。


直木賞作家が交通事後で入院し、退屈な時間を読書で過ごして、興味を持った明治人を造形している。

明治天皇、森銑三、森茉莉と幸田文の四人を選び、資料の間を無理のない想像力でつなぎ、近代初めの頃のそれぞれの生き方が活写され、小説のように面白かった。

明治天皇が侍女と仲良くなって、皇后が機嫌悪くした・・・それを岩倉具視がとりなして、何とか収まり祝宴を上げた。というようなことが新聞に出ていたという。探し出したのはあの星新一、「夜明けあと」という新聞記事を集めた著書にあるそうです。

当時はもちろん天皇は皇后一筋でなくてもよくて、典侍、権典侍という身分の女官たちが侍っていたわけだけど(うわあ、源氏物語みたい)それ以外の女官たちと仲良くするのはタブー、それをあえてした23歳の若い天皇。度々維新の元勲たちから叱られ、また昔の暮らしに戻りますかと言われて、おとなしく言うことを聞いていた天皇。

晩年の疲れ切ったような軍服姿、そしてやっぱり歳とったら生まれ故郷が恋しいのは誰しも同じ。

ひがし山のぼる月みしふるさとのすずみ殿こそこいしかりけれ

という歌には本音が出ていると私は思う。京都へ一度帰ってみたかっただろうなあ。でも帰れないと自分でもわかっていたんだろうなあ。自分に関するいろいろなことが、自分と関係ないところで次々決められ祭り上げられる。

人は皆、役割を持ってこの世に生まれてくる。自分の希望、本心と当時の社会が求める自分のあり方との間にどういう折り合いをつけたのだろうか。

いやいや君主とは自我を持ってはいけない存在なのかもしれない。

森茉莉と幸田文、対象的な育ち方をした明治文豪の娘たち。どちらも破婚のあと、物書きになる。人は別の人の人生を歩くわけにはいかない。それぞれの人生をよく生き切ったと思う。

甘やかされ放題の森茉莉にはハラハラし、露伴の厳しい躾けにも胸が痛くなる。でも人間は結局は厳しくしつけられた方がよかったのではないだろうか。二人の書くものにもその人となりがよく顕れている。森茉莉は私の若い頃はまだ生きていて、エッセィを読んだ記憶もあるが、やはりろうけつ染めの布表紙の幸田文の「おとうと」を読んだ印象の方が強烈であった。

厳しい父、拗ねて不良になり、結核で死ぬ弟。その二人の間に立って、母親代わりに心を砕く姉=幸田文の健気さに高校生の私はいたく感動したものでした。

やはり子供は厳しく育てた方がいいのかもしれませんね。

読みやすく、しかしなかなか深い本でした。森銑三に目を向けたのもなかなかセンスがいいと思います。この人も昔はまだ生きていましたよね。時々名前を見たものですが、昭和は遠くなりにけり。

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「坊主のぼやき」 川西蘭

2013-08-25 | 読書

やがて月の美しい秋がやってきます。

こちらよりお借りしました。

http://photo.yu-travel.net/


著者は10代で作家デビューし、30年くらい前には青春小説をたくさん書いていた人。少し前、真宗本願寺派のお坊さんになったとのこと。お坊さんになったきっかけ、内幕、葬式のあれこれ、自分の決意などが大変わかりやすく書かれていて、読みやすかった。

初めは正座も三分が限度、葬式の法話で何話していいか分からない、だいいち遺体が怖いと、途中からお坊さんになった苦労などなど。

また愛犬が急死し、葬儀業者の紹介でさるお寺に持ち込んだ時の住職の対応がとても冷たかった話では、今の世相をよく顕していると思った。動物の葬儀による収入は、古くから動物供養をしている寺院以外は課税されるそうな。しかし、その寺は新たにペット専用の納骨堂を建てるほど羽振りがいいのに、境内の隅に火葬用の窯を置いて業者に任せきりで筆者の家族とは目も合わせようともしなかったそうな。

ここから筆者の想像。動物の葬式で儲けるのが後ろめたいからではないか。儲ければ儲けるほど、恥ずかしくなるからではないかと。

しかし、僧侶としての筆者はそこで一言「寂しくなりますね。あとで本堂の方へもお参りください」と言ってもらうだけで、どれだけ気持ちが救われたか、それは人間の救済になっているのではないかと考える。

私も同感である。私は犬猫を飼わないけど、飼う人にとっては、ペットの死って辛いものだと思う。そんなもの自分で乗り越えればいいと突き放すのではなく、ひとそれぞれ、人の悲しみに寄り添うのも宗教の一つの形だと思う。

筆者は居酒屋で顔見知りの人が、「弟の自死のあと、葬儀、法要でいいお坊さんに巡り合え、とてもよかった」と打ち明けられ、葬式をきちんとできるお坊さんになろうと決心したらしい。

最近の葬儀はショーアップしているけれど、お坊さんとしては快く思ってないことなども分かった。

次にもし誰かの葬儀にかかわることになれば、業者さんの話に流されず、静かに名残を惜しみたいと思った。


先月、息子が送ってきた画像。愛知県某所。入り口は駐車場になるらしい。いゃあ、自然がいっぱい。

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「あの頃のこと」 吉沢久子27歳。戦時下の日記 吉沢久子

2013-08-23 | 読書

吉沢久子さんは、時々新聞に登場する家事評論家で、最近は老いに関する本も出している。ふくよかな方で、とても若く見える。拝見するだけで、私たちのおばあちゃんという安心感。


この本は昭和19年の11月、初めて東京に空襲警報が出された日から始まって、敗戦後8月21日までの東京の市民生活の記録である。

当時彼女は速記者で、評論家古谷綱武の秘書を務め、古谷の出征と家族の疎開で空き家になった家の管理をしながら、鉄道関係の教科書会社に勤める身でもあった。勤めのないものは徴用されるので、つてを頼っての就職である。

毎日毎日の暮らしの記録、これが大変面白かった。空襲警報ははじめのうちは避難していたけれど、あまりに度々なので慣れてしまっていちいち防空壕に避難しなくなったこと。これは逃げたって爆撃されるときにはされる。うんと不運の分かれ目なんて、自分でどうしょうもない。いうなれば、しょっちゅう雷が落ちるような感覚なのかもしれない。

食べものは配給、これがものすごく少なくなってくる。家には新聞社の寮を焼け出された弟綱正(この人は私の若い頃ニュース番組に出ていた)と同僚が転がり込んできて、三人の共同生活が始まる。乏しい食料で工夫して調理するのは吉沢さんの役割。食料は店で買うよりも、配給、知り合いが持ってくる、会社の誰かがどこかから手に入ったと持ってきたものを買うなどが多い。庭の野草や木の芽のようなのも活用し、誰かが来たら食べさせてあげる。また隣へ料理のお手伝いに行って御馳走を呼ばれるなど、市民が助け合ってサバイバル生活をしていたのがよく分かった。

会社も殆ど仕事がなく、電車も停まるので通勤も不便で、末期には空襲を受けたところを整理して会社として開墾を始めるが、野菜を作る前に戦争に負けてしまった。

当時は生産も流通もめちゃくちゃで、田舎に親戚のない都会の人は食べものの確保に、本当に大変だったことだろう。

望みはゆっくり寝ること、家が焼かれませんようにとそれだけ。20年の初夏のころになると、戦争に敗けるのではないかと何となく不穏な感じがするのは、綱武氏から話を聞いていたからだろう。

戦中派も本当に少なくなった今、声高にではなく、戦争を告発する良書だと思った。


きょうは午前中出かけたけど、午後から雨ということで家にいた。閑なので三つも記事書いたじゃないの。結局、夕方小雨が少々、余計蒸し暑い。ガックシ。。。

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「女子と鉄道」 酒井順子

2013-08-22 | 読書

http://photo.yu-travel.net/ フリー素材写真集、旅Photo/鉄道よりお借りしました。


「負け犬の遠吠え」の酒井順子さんは鉄道に乗るのが好きだそうで、日本各地のJR、私鉄から砂防工事用のトロッコ列車にまで乗った体験記。一人の時もあるけれど、編集者とか知り合いの人と乗ることもある。

長らく男が占有していた鉄道趣味の世界に、最近は女子も参入しているらしい。しかし、この本を読んだ私の想像だけど、女はオシャレやグルメ、友達との付き合いと他にお金を使うことが多いので、男の鉄道趣味と違って求道的ストイックさはないのではないか。

男の場合、日本全国の駅名を憶えたり、時刻表をコレクションしたり、部屋いっぱいに模型電車を走らせるなど、並外れたマニアが多いらしいが、この本では「私も鉄道たしなみます」という程度。電車乗ったらよく寝るそうで、それって本当にマニアなんかなと、思ってしまった。逆に言うと、女はそこまでのめり込まないバランス感覚を持っている。女の方が賢いのかもしれない。

男の世界に女が足を踏み入れると、初めはお客様としてチヤホヤしてくれる。それは心地よいことだろうけど、そこに留まっていては本当の楽しさが得られないというのは何の趣味においてもそうではないかな。

もう少し踏み込んだ見聞、踏み込んだ感想を期待したけど、ちょっと期待はずれかな。


とは言え、この本で教えられたこともあった。男の子は鉄道派と自動車派に初めから別れているそうで。わが息子を見ても確かにそう。自動車好きが高じて、とうとう自動車会社で働いている。鉄道好きは鉄道会社では働いていませんが、鉄道の話をするときは幼稚園児と同じ嬉しそうな顔。

真ん中は戦隊もの、恐竜など強くて勇ましいものが大好き。とっいって戦隊にも恐竜にもなってませんが。

すみません、自分の話ばかりで。


私ならどう書くかな。女と鉄道の歴史とか。

祖母の話、横須賀や佐世保の海軍に面会に行ったことがある。遠かった。田舎の女がとても遠いところへ行くことになったのも、戦争があったから。当時はものすごい人の移動があったはず。楽しい旅行だけではなく、やむにやまれぬ移動の方が多かったのでは。

姑の話、鹿児島から東京まで二週間くらいの鉄道を利用しての修学旅行。当時は女学校へ行くのは少数派、卒業して家庭の入る前の一世一代の大旅行だった人もいたことだろう。

いやいや、こんな古臭い話、今の人に受けるとも思えない。若い女の子がローカル線に乗って旅行することがあるのだろうか。それよりは海外が楽しそう。ローカル線に乗って降り立った駅前には何もなくて、という世界。

その中で女として鉄道を究めるってどうしたらいいんだろう。謎。

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「絲的炊事記 豚キムチにジンクスはあるのか」 絲山秋子

2013-08-21 | 読書

夕方出かけて、慌てて帰宅したら家はもぬけの殻。テーブルの上には菓子箱一つ????誰かに頂いたのかな????

ん、今夜は会合で不在、ご飯も要らないということを忘れていた。慌てて帰って損したようーーーー

必殺一人ご飯。赤米少し入れて赤飯風に。イトヨリで鯛素麺風に。あとはテキトーに。


えー本題に。Hanakoという雑誌の連載エッセィを一冊にまとめたもの。面白かった。食は人なり。何をどう食べるかということはその人らしさがいちばんでるのではないだろうか。だって、誰でもご飯は食べているので。

あまりに当たり前すぎる食事を改めて文章にし、しかも、おいしさもまずさも表現するのは案外難しい。また、誰とどのようなsituationで食べるかも、食事の味と楽しさを左右する。

作家はスタンダードな各国の料理を自分なりにアレンジして、いいこと悪いことをいろいろと考える。こういう作品は語り口も大事。エッセィのほかの諸作品同様、男前の書きぶりが痛快。

暑くて、最近めんどくさい本読みたくない。本屋行っても新刊書ばかりだし、あまり出かけないので、だんだん私自身が袋小路に入って行く感じ。涼しくなればね。ああ、早く涼しくならないかなあ。。。。

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「女ひとり寿司」 湯山玲子

2013-08-19 | 読書

http://photo.yu-travel.net/ この写真は「フリー写真素材集 食べもの」よりお借りしました。ありがとうございます。


以前この人の「女装するおんなたち」という新書を読んだ記憶がある。切り口が新鮮で、なるほど都会で働く女性ってこんなことになってるのかと思った。

雑誌二誌に連載したものを、2004年に単行本として出したもの。内容はズバリ、女一人でいろいろな寿司屋へ行って食べてみた体験記。

ひとり寿司のきっかけは、仕事のあと、気晴らしに寿司屋へ行き、とてもひどい扱いを受け、その仕返しのつもりとのこと。一人で出かけた店で、味、雰囲気、客層など、しっかり観察しているのが面白い。

寿司屋には、常連客と店主が醸し出す一種の雰囲気があって、いきなり飛び込んでも上から下まで値踏みされるだけで、とても入り辛い。それをあえてした勇気。えらい。

初めはこわごわ、でも一流店ほど、客の緊張を解き、味と雰囲気でいい感じにして帰してくれるらしい。客層は接待に使うビジネスマン、水商売の女性とそのパトロンが主流で、東京の高級住宅地の店などは家族で来て、子供も各自注文して寿司をつまむんだそうな。

女が一人で寿司を食べるときのルールは三つ

予約を入れて女一人だと告げる

自分についた職人にいい感じを持ってもらう。

敵は二通り、おばはん主婦(夫か友人と来ているのかな。一人ではなさそう)と若い女連れの、三十代~四十代の男だそうで。専業主婦と自分で稼ぐことのできる女との宿命的な対立、あとの方は若い女の関心がひとり寿司している女に向いてしまうんだとか。なるほど、場数を踏んだだけに鋭い観察。

寿司屋とは、庶民には分からない高級なものを出し、それを享受する高級な客が醸し出す、一種スノッブな雰囲気。女子供は初めから締め出されている。男におごられ、男の威張るのを受け入れる場合のみ、女も行っていいところだった。

その常識に風穴をあけた功績は大きい。どのくらい大きいかというと、この本に触発されて上野千鶴子が「おひとりさまの老後」を書いたそうな。面識ないけど本を送ったら、行きつけの隠れ家レストランに招待され、のちにその店がミシュラン三ツ星になったとか。さすがと褒めていた。いい店を見分ける嗅覚は超一流。

で、この二人がレストランで「おひとりさま」について語り合う。いいなあ、こういうの。

私はこの中ではおばはん主婦というカテゴリーだけど、隣で女の人が一人でお寿司食べてても敵意は持たないと思う。かっこいいなあと感心すると思う。この人と私と、どこでどう違って今の境遇なんだろうかと、ちょっと考える。

でもそれぞれいいときもあるし悪い時もあるし、羨んでもしようがない。自分の人生を生き切るしかないんだと、気持ちを新たにするかも。だからたまには違う立場の人と出会うのも大切。

私など、高級寿司屋にはとてもひとりで行けない。夫と行っても家の延長でときめかないし、それならジャスコの盛り合わせを30%オフになってから買って家で食べればいいし、話するだけでいい、という山羊さんみたいな大金持ちのお爺ちゃんに誘われたら行くかもしれないけど、そんな場面あるわけないしね。

で、最後に思ったのはつくづく飽食の時代だなと。食べ物のちょっとした差異で人は一喜一憂し、高級寿司店で差別し、差別し返すそのシビアな世界。逆に、身構えて入った寿司屋で親切にされてホッとするなんて、考えてみたら寂しい時代でもあると思った。

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「新しい人」の方へ 大江健三郎

2013-08-15 | 読書

 

愛媛県内子町大瀬、作家の実家はミツマタを買い入れて造幣局へ納める仕事をしていたそうです。ビールケースの向こうがその実家。

集落の後ろは清流小田川。

この本では家の後ろ=川に向かった家の南側は畑があって、子供の頃、木の上に本を読むための自分専用の小屋を作ったこと、川の中の大きな岩の窪みに頭を入れて泳ぐウグイを見るうち、頭が抜けなくなっておぼれかけたこと、店の奥で事務を執る父親の記憶など、分かりやすく語られている。

先月行ったばかりなので興味深く読んだけど、この人のを読むのは何年振りだろう。「治療塔惑星」のあとは記憶がない。25年ぶりくらい???


 10年以上前、若い人に向けて書いたエッセイ集で週刊朝日に連載していたもの。難しい言い回しは全然なくて、自分の生い立ち、読書に対する姿勢、渡辺一夫に憧れて東大仏文科に進んだこと、障がい者のご長男と家族のことなどが率直に語られる。

著者は本好きで、ちょっと変わった子供としていじめやからかいの対象になることもあった。その経験を踏まえて、若い人に意地悪をしても何も生み出さないと思うだけでいいとアドバイスしている。

また地区の教師から「仏文科出ても愛媛県では職がない」と家族まで注意される(難癖付けられる)。人間は自分の見聞の範囲でしかものごとを理解、判断できないいい例だと思うが、狭い地域社会で、少年時代の著者は本をたくさん読むことで広い世界へ出て行こうという思いを育てたのだと思う。

私は長い間、小説の森の話は大げさに描いているとばかり思っていたけれど、内子への近さは別にして、深い森と清冽な流れが作家の感性を育てたことが理解できた。行ってよかったと思う。

権威に惑わされることなく、自分のしたいことをたゆまずやり続けること。若い人に向けて放つ言葉はやはりその人となりをよく顕していると思った。大人が読んでも充分面白かったです。

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「昭和時代回想」 関川夏央

2013-08-12 | 読書

2006年8月6日、三男を交えて山陰へ日帰りドライブ。修士一年目、学校では何も教えてくれないし何をしろとも言われないのでものすごーーーく閑だと、この年は珍しく長く帰省していた。「家族サービス」でドライブに付き合ってくれた。

すっかり忘れていたが、今思えばいい一日だった。いい一日って、何でもない顔つきで昨日と明日の間に挟まっているから油断できない。

夏、砂浜、海水浴、山陰本線、山、雲・・・昭和的光景。


1990年代にあちこちに書いたエッセイを、読みやすいようにまとめたもの。なかなか面白かったです。

著者は私と同世代で、この時には40代。10代、20代を振り返った短文が面白かった。新潟と四国と、ずいぶん離れているけれど、同じ時代の空気を吸っていたその語り口が、肌に合うという感じ。

ノスタルジアだけで語られてないのがいい。今より貧しく、人々はちょっと頑固で、どこへ行くのも時間がかかって、要するに今より不自由だった時代。無条件に懐かしがるのには、私も大いに違和感がある。

で、団塊の世代論である。私は団塊とひとくくりにされることは大変嫌いである。この中の特徴だって私に当てはまることもあればそうでないこともある。活字は好きだけど、お喋りは苦手である。今は歳の功で、変に思われない程度には人とも話ができるけれど、若い頃は本当に友達が少なかった。

団塊の世代がお喋りだなんて、誰が決めたんだい?じゃほかの世代の人は無口なんかい?統計でもあるんかい?

言葉が先に生まれ、共通の特徴をあとから探すような言説は、須く眉に唾付けることにしている。

とは言え、短い文章、いずれもそういう意味も含めて面白かったです。

昭和は遠く、1990年代も遠くなったけど、ものを考えるとっかかりにはなると思う。えらそげですみません。

 

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「声の残り」 ドナルドキーン

2013-08-09 | 読書

妙覚寺大門。聚楽第の遺構だそうで。2010年3月、京都で。


ドナルドキーンはアメリカ生まれ、現在91歳。長年、古典を含む日本文学の研究、評論、欧米への紹介をした人で2008年には文化勲章も受けている。

この本の元になるのは、20年以上前に朝日新聞に連載していたもの。一週間に一度だかのペースがまどろこしくて、今回改めてまとめて読んでみた。よかったです。

取り上げられた作家は火野葦平から安部公房までの18人、谷崎、川端、三島などそうそうたる顔ぶれ。執筆当時は存命だった人も次々と鬼籍に入り、今はわずかに大江健三郎だけが生きている。

全編を貫くのは文学者への敬愛、こういう空間があったことがつくづく羨ましい。そして、作家も意外な一面を見せる。川端康成がとても気を遣う人で、かつ謙虚な人柄だって知らなかった。気難しい人とばかり思っていた。

谷崎潤一郎との交遊も面白い。京都の風雅な邸宅の手洗いは「陰影礼賛」のイメージを覆す明るくて清潔だったこと、谷崎の葬儀には「細雪」の四姉が眼前で焼香をして目をぱちくりしたとか、身近に接した人にだけ分かるエピソードが、他の作家についても満載。

三島は天人五衰を書き上げた日に自衛隊へ突入して自決したことになっているが、実はその年の八月、著者は出来上がった原稿をすでに見せられていたとか。

川端がノーベル文学賞を受けなければ、川端も三島も死ぬことはなかったのでは・・・と著者はふと思う。深く交流した人だけがそのような感慨を抱けるのだろう。

戦後文学も遠くなってしまったけど、このようなよき理解者を得たことを幸いとしなければと思った。そして著者は東北大震災をきっかけに、日本へ帰化した。日本文学と日本に捧げた長い年月に敬意を表したい。

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「妖談」 車谷長吉

2013-08-07 | 読書

夏の太平洋 先月高知県桂浜で


34の掌編から成る作品集。面白くかつ深い。欲に駆られた人間の救いがたい姿を様々なパターンで活写、どんな人間も一皮むけば物欲、名誉欲、所有欲、性欲・・・あらゆる欲に振り回される卑小な存在。そのものの見方と書き方が徹底しているので面白い。作者は惨めなものにも同情しない。切って捨てるような短い文章。小気味よい。

しかし、欲はまたうまくコントロールすれば人が成長する糧であると私は思う。欲は捨てきれるものでもないだろう。

捨てたらどうなるのかな。張り合いのないつまらない人生になると思う。

欲を捨てて純粋無私な稀有な人の例が、末尾に近い「文盲のおばあさん」。国夫の母方の祖母は家が貧しくて学校へ行けず字が読めなかったが、心の優しい人。よそでもらった御馳走を娘夫婦が働く田んぼまで持ってきて食べさせる。自分のようなものが婚家に出入りして娘に迷惑かけてはいけないと自制しているのである。

国夫はうちへ来てご飯食べろと誘う。お母んが眼張炊いてくれるからと。眼張に私はしびれた。少し前の日本にはこんなおばあさんや孫がたくさんいたのです。

今は「業が沸く」の勝子のように、ツアーで乗鞍へ行ってクロユリを移植ごてで掘り取り、見つかって後日、地元警察に呼び出され、頭下げてやっと許してもらったのに全く反省していない人間ならたくさんいそう。

私が遭遇したのは、四国カルストのツアーで花を盗る人、牛窓のツアーでオリーヴの実を盗る人、いずれも中年女性。つい注意したけど、全く悪びれないのであきれた。それもまた欲に駆られた人間の浅はかな姿か。

私はこの人のそう熱心な読者ではないし、どう位置づけられるのかもわからないけど、読んで損はありません。人間って一皮めくるとこうだよなあと、膝を打つ、その快感。

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「とける、とろける」 唯川 恵

2013-08-06 | 読書

先日、駅ビルの本屋で買ったもの。この人は直木賞作家らしい。私、直木賞系統の作家、ほとんど読んでません。毎日あまりに暑いので、めんどくさい本が読みたくなくて、今ネットで注文している本が来るまでのつなぎに買いました。

そう、本がないと間が持てない私。寝る前も本読んで、眠くなったら寝る。というかそうしないと眠れない私。旅館の二人部屋ではたいそう困る。家では直前まで本読んで、寝る直前に本と眼鏡持ってベッドに入る。隣の同居人はすでに高いびき、たまに「いつまでも明るい」と怒られる。

別に寝ればいいんだけど、この歳で一緒に寝て何かが起きるわけでもないんだけど、まああなたのこと特に嫌いではないよという意思表示かな。

えーーー、何の話でしたか。この本、読みやすかったです。出てくる人も男前の金持ち、見栄えはイマイチでけどベッドですごい人、派手な女性、結婚しそびれた中年OL、平凡な主婦などがあれこれあって、どうこうなるわけです。短編のすべてが全部、不倫。ある意味すごい。葛藤も特にはなく、欲望に忠実。今の時代のtrendなのかも。

美容院で手に取る女性週刊誌、漫画が中にある。男と女がどうした、こうしたという感じのコミック。そう、これは直木賞作家の手になる読むコミックです。

性愛の場面をリアルにいやらしく書くのはとても難しいと思う。人のしていることは似たり寄ったりなので(多分)、言葉の力だけで快感を描くのは技がいるのです。短いのでどれも中途半端、人が単純な動機で動くし、簡単に人を殺したりとオチを無理につけるのも興ざめかな。娯楽としての小説。もちろんそれは大いに結構なんですけど。

うーーーん、人のこと褒めないとなんか負け惜しみというか見苦しいんですけど、買ったからには読んで、ちょっと考えてみる悲しい性、なにとぞお見逃しを。

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「岩盤を穿つ」 活動家湯浅誠の仕事 湯浅誠

2013-08-04 | 読書

数年前、派遣切りに遇って、年末、住むところのない人対象に「年越し村」が開かれ、話題になった。著者はその時初めて世間に名前が出てきたが、それ以前から貧しい人の支援活動を長くやっていた。

落ちこぼれた人は努力が足りない、自己責任という考え方もあり、小泉政権時代は不正規雇用者が増えた時代でもあったが、それは本人の責任でどうしようもない構造的な欠陥と著者は言う。

どんな劣悪な条件でも働く人が層として生まれれば、労働者全体の労働条件が悪くなる。人の問題ではなく、自分の問題。わかりやすい話である。

また将来、生活保護を受ける人が増えれば、社会全体としてコストを払うことになる。目先の利益を求めて悔いを将来に残す、そういう社会であってはいけないというところにも同感した。

活動家としての実践的なアドバイスもたくさん。たとえば生活保護申請、まずは窓口で追い返されるという。その時には「生活が苦しいので生活保護を受けたい」とはっきり言い、申請書を置いて帰ればいいそうな。書式などは特になく、氏名、住所(住民票がなくても可)、など書いて意思をはっきり示していれば、役所としては受け取らざるを得ず、受け取ったら審査を始めるしかないそうで。参考になった。実際に使える場面が来ないことを願うけど。

巻末には活動家になったいきさつがあって面白い。著者の強みは頭がよくて(何しろ東大博士課程単位取得中退だそうで)話が分かりやすく、既成観念にとらわれずフットワークの軽いことだろう。

この本が出たのは、岩波新書の「反貧困」が大仏次郎賞を受け、管政権で内閣府参与として、政権の中で活動した時期。

著者の講演会に行ったのは2009年11月頃だっただろうか。

http://blog.goo.ne.jp/samubuto/e/e7f82b17fd7adccaa06638c31f580e9c

あれから時代は変わったけど、いいようになったとは思えない。まだまだ出番は多そうである。

 

 

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「文士のきもの」 近藤富枝

2013-08-01 | 読書

近、現代文学の作家18人の着物の好み、作品に着物がどのように描写されたかを解説。もとは江戸千家発行「孤峰」に連載したもの。

私は同世代の中ではよく着物を着る方だと思うが、この中に取り上げられた明治大正昭和初期のきものの描写がほとんどわからない。例えば長谷川時雨の幼児期の回想「紺ちりめんへ雨雲を浅黄と淡鼠で出して、稲妻を白く抜いた単に白茶の唐織を甲斐の口にキュッと締めて、単衣には水色太白の糸で袖口の下をブツブツかがり・・・」などと書いていただいてもどんな姿なのかほとんど見当がつかない。

子供ながらに縮緬は贅沢だろうと思うばかり。全編こんな感じなので、着物も近代文学も遠くなりにけり。


 

それにしても私の子供の頃、着物はもっと身近にあった。私の幼稚園の遠足、付き添いの母親はほとんど和服である。家に閉じ込められた母親の世代は、子供の行事の外出が何より楽しみでおおっぴらに外出て゜きる数少ない機会でもあったって、今の皆さんはぴんと来ないでしょ。

大学入試だって、女の子なら母親がついてきた。少なくとも私のクラスの私の知ってる子はみんなそうだった。東京でだってさえ、旅館が普通、ホテルは少ないし泊まりにくいと敬遠されてた。その付添いに私の母親は旅行だからと初めて洋服着て、スカートの足元が寒いと嘆いていた。外出に着物でないのがとても情けない感じだった。

父親は定年退職するまで、帰宅したら背広を脱いでウールのきものに丹前を着ていた。それでくつろいでいたのだろう。

女と男で着物着る場面が違うのが面白いけど、それでも昭和40年代ころまで、着物は暮らしに必要なものだった。洋服風のモダンな柄、ウールという手軽な素材も流行った。


 

この本の中で、着ている着物で年齢、職業、好み、性格などが描写されるとあるが、今の読者には判じ物のようだろう。風俗を描写したところから分からなくなって行く。新しいものは必ず古くなる。時間の波に洗われても読むに堪える、読んで感動共感できる作品目指してどの作家も頑張ったことだろうけど、着物のこととなると分かりにくい。残念である。

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