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「家日和」 奥田英朗

2015-12-25 | 読書

昨年の今頃 近所で。


 

家にまつわる、可笑しくも物悲しい6つの短編。

サニーデイ:インターネットオークションにはまり、ついつい夫の大切なものまでオークションに出す主婦

ここが青山:会社が倒産して主夫をやり始めた男。妻は替わりに働きに出る。主夫もなかなかやりがいがある。

家においでよ:妻と別居した。家財道具殆どを買い直すことになり、心地よい空間をつくることに夢中になる。やがて部屋は同僚たちのたまり場となり・・・男には居場所がないのだと、つくづく思わされる。

グレープフルーツ・モンスター:宛名入力の内職をする主婦。仕事を持ってくる外回りの若い社員に、勝手に妄想を抱く。小さな刺激。平穏な日々。

夫とカーテン:夫が湾岸地区のマンションブームの場所でカーテン屋を始める。私はデザイナー、夫の先行き不安な時にはインスピレーションが湧き、いい仕事ができる。以外にも店は繁盛、私はしばらくはこの波に乗ろうと考えたりして・・・

妻と玄米ご飯:作家の私は大きな賞を取り、仕事が安定して収入も増えた。途端に妻はロハスに走る。玄米ご飯に無農薬野菜、ヨガに流木アート・・・お高くとまって自分の正しさを疑わない人を茶化す小説を書いた。編集者には受けがよかったが、思い直して直前に書き直すことにする。案外、妻もいいとこある、しと思い直しながら。

人は毎日顔を合わす家族のことはそう気にも留めないが、その中にこそ、人世の喜怒哀楽、後悔も教訓も全部詰まっているというお話。

あるある、こういうことって。とかゆいところに手が届く心地よさ。

実は前にも読んでたんですね。公民館で借りて返したものと思います。

http://blog.goo.ne.jp/samubuto/e/07b8420e3cd5550a69787b7214613cff

読み始めてすぐ気が着いたけど、お金出して買ったので悔しくて最後まで読みました。はい、順調に歳とってます。

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「安部公房とわたし」 山口果林

2015-12-12 | 読書

この本、以前紀伊国屋でざっと立ち読みした。

これです。

感想はこちら。

http://blog.goo.ne.jp/kawashima134/e/00aee40d943eb1e0c59e7432496fb918

近所の公民館できのう借りてきて、本日読了。

感想は2年前と大して変りないけど、この本を出す前に安部公房の娘さんが父のことを本にしたその対抗として出したらしい。

娘さんの本には当然著者のことは殆ど触れられてないらしい。それは妻と娘にしてはあってはならないことだから。「ちょっと男の子をしていた」という表現だけ。

この本の中で、安部公房は娘ほど歳の離れた著者と逢瀬を重ね、旅をし、買い物や食事に行き、後半では家族と別居して箱根の別荘で生活し、楽しそうである。

著者もまた女優としての仕事があり、収入もあり、単なる愛人ではないという自負もあっただろう。そして作家を何よりも理解し、小説が産まれる現場に立ち会ったのもこの私であると、言いたげでもある。

私には人様のことを断罪する趣味も資格もないけど、やっぱりなあ、男がずるいよと思った。家庭と愛人のいいとこどり、どんなに遊んできても最後は妻子は自分を迎えてくれると高をくくっていたのではあるまいか。

前にも書いたけど、ノーベル文学賞を貰うのに愛人の存在は都合が悪いと編集者が言っただけではなく、ご本人もそう思っていたのではないかと思う。

本妻さんとはほとんど接触がなかったけど、初めのころ、本妻さんに「私達は週に二度夫婦関係がある。私とは別れないと言っている」と宣戦布告され、臨終直前、「病院には来ないでほしい」と言われたと書いてるけど、誰でもそのくらいのことは言うと思う。本妻さんが特にいじわるではないと思う。

辛い思いもいろいろしただろうけど、それに余るいいこともあったはず。後悔はしていないようなので、まあよかったと思いますが。

ちょっと引っかかったのは、登場人物、死んだ人も生きている人も全部呼び捨て。これはちょっとないんではないだろうかと。特に安部公房の娘は本の中で呼び捨てされて感じ悪かったのでは。奥さんも生きている間は奥さんでいいのでは。あえて名前で呼び捨てすることもなかろう。

それはまあ女優さんですから。一般人とは感性が違うのかも。安部公房が取ったと思われるヘアヌード写真もあります。ファンの方は必読です。

やれやれ、何かイラッとした。お茶でも飲もうっと。

ノーベル賞にいちばん近いと言われた作家もやっぱり男だったわけで。ガックリ。

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「耄碌寸前」 森於菟

2015-12-11 | 読書

母89歳。昨年の今頃、我が家で。耄碌寸前までは未だ行ってないけど、年寄りの写真がないので拝借。

笑顔に撮れたので、この後、引き延ばして額に入れて渡した。

葬式の写真、慌てて探さなくてもいいように、そこら辺に置いておきなさい。と指図する娘。


森鴎外の長男、於菟のエッセィなどを集めた本。書いたのは戦前から昭和30年代まで。

古風で端正な達意の文体が読んでたいそう心地よく、また解剖学者として、正確な言い回しも分かりやすかった。

この中では鴎外の自宅、千駄木の観潮楼に集まる、キラ星のごとき作家、歌人、などなどがとても興味深かった。そこでどんな話が交わされたのだろう。聞きたかったなあ。

ちなみに出てくる名前は、佐々木信綱、与謝野寛と晶子、伊藤左千夫、啄木、白秋、吉井勇、木下杢太郎、永井荷風、芥川龍之介、上田敏、斉藤茂吉・・・といずれもビッグネーム。これだけで文学全集が編めそう。

まだ海の見えていたその家は、鴎外没後人に貸し、次第に荒れて行き、最後は反社会的勢力が居座って立ち退きの裁判までするようになり、やがて失火で全焼。

過ぎた日々を家の来歴を通して哀切に追慕している。

広く知られているように、鴎外は最初の妻を長男が生まれたのちすぐに離縁し、ドイツから追ってきたエリゼは会わせぬままに親戚が追い返し、ずいぶんのちに母親の意にかなう年若い後妻を貰った人。

長男からすればいろいろ思うこともあっただろうが、そこは科学者らしく淡々と流している。子供のころから、本当に甘えるということを知らない人だったのかもしれない。父の名声を汚さないようにと、頑張った人生だったと思う。その人柄が端正な文章によく出ていて、心を打たれた。

解剖学者が、生きている人間より、水槽の中の解剖実習を待つ死体の方に親しみを感じ、心の中で対話すると言うのは「死者の驕り」を彷彿とさせる。これがネタ本かも。

もう出会うこともない古風な文章に、明治生まれの人の遠い声を聞いた気がした。

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「美しき身辺整理」 竹田真砂子

2015-12-08 | 読書

うーーーむ、私たちの歳はそろそろ身辺整理を始めた方がいいと言われているらしい。

要らないものを捨てる。これは本当に思い切りがいる。一つ一つに思い出と物語が宿っている。捨ててすっきりと行きたいところだけど、ものがなくなると自分が自分でなくなるような寄る辺なさを感じたりはしないのだろうか。

いやいや、自分らしさは自分の思い出の中にだけある。ものがないと思い出せないことなんて、初めから大したことないんだ、と言うこともできる。

ものひとつの所有の流れを考えると、買う手間と買うお金、家にあるときは使って便利なはずだけど、管理する手間もかかるし、捨てるときは捨てる手間。その前の葛藤、時には捨てるのにお金がかかることもある。

それ考えたら、どうでもいいものは買わないに限る。収納や断捨離の本が年末になると特に増えるのも、みんなものを持て余しているからだろう。

この本は老後の様々な整理と死の準備を書いた本だけど、ハウツー本ではなく、歴史上の人物の死に際なども取り込んだエッセィと思った。時には独断と偏見もあり。

例えば、最近の医師はいいところのお坊ちゃん、お嬢ちゃんなのできつい仕事をしたがらないとか、統計でも引いて言うなら納得するけど、あくまでも著者の印象から出た言葉。こういうのが随所にあり、ちょっと読みにくかった。

珍しく私にしては正価で紀伊国屋で買った本なのに。わざわざお金払ってまで買う本でもないのではと残念でした。

お口直しに、私の手持ちの、整理に関する写真各種。説明省略。

 

 

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「小説 土佐堀川 広岡浅子の生涯」 古川智映子

2015-12-02 | 読書

 クリックで巨大に。文庫本です。


NHK朝の連続テレビ小説の原案本だそうです。350ページ近い本だけど、安かったので、買いました。

朝の連ドラ、なんか最近見るようになったのも年のせいでしょうか。8時までにゴミ出して、朝ごはん準備して(我が家は各自で。コーヒーのみ私が担当)、テレビ付けるて座ると、一日が規則正しく行くような気がして。

それに私の好きな着物が次から次へと見られる。さすがにいいものばかり、零落したお姉ちゃん一家の継ぎの当たった着物だって、別に生地傷んでなさそう。などとあれこれ思いながら、時には口に出して突っ込みつつ見るのが楽しい。

今朝は商家の襲名披露だそうで、男性に混じって主人公あさもその席に座る。その時の着物が姑から受け継いだ訪問着みたいなもの。あれれ???あの時代、訪問着ってあったのかな。大正時代、社交着として上半身にも柄のついた着物が考案されたと私は憶えてるんだけど。

この場合、着物が軽すぎ。もっと格の高い着物着てもらいたいもの。

何がいいかって?たぶん五つ紋の留袖に丸帯ですね。留袖っていっても今みたいに帯から下全体に柄のある派手なものではなく、ずっと地味で、喪服と兼用する場合もあったそうなので、明らかに今朝の着物は現代人の感覚だと思う。まあ、いいんですけど。

いやいや、あの時代、本当はどんなもの着てたかって、特に女性は、今となっては分かりにくいのかも。

着物の決まり事って時代によってものすごく変わっていくし、今、言われていることだって未来永劫続くものでもないし。


大同生命は大阪から生まれた保険会社、新選組に大金貸して焦げ付いた大阪商人が明治になって作った会社。

私の知っているのはそれだけだった。で、この本読んで、フィクションだけど、いろいろなことを知った。

広岡浅子の作ったのは大同生命、日本女子大学校(今の日本女子大)設立の資金の調達、その他炭鉱や紡績など多角経営をして財を成したらしい。

うーーーん、この辺りになるとあまり親しみは感じない。あまりに私と違い過ぎるので。

ドラマも炭鉱の場面になってからは時々見ない。資本家と労働者、共によくなりましょうって呼びかけても空々しくて白けてしまう。

阪急の芦屋駅からしばらく上がった所だったかに、ヴォーリーズ設計の洋館の豪邸があり、今は公開されている。ヴォーリーズも一族の人と結婚したいわば身内。

建物は10年くらい前に見学した。見晴らしのいい素敵な家だった。それが浅子の娘、亀子の家だったそうで。ほらね、ますます庶民とは縁遠い話。

実家は京都の三井家の一つ。三井って、土佐かどこかから出てきて財を成した家とばかり思っていたけど、あれは三菱でしたね。江戸時代からの大店、戊辰の役では官軍に軍資金用立て、新しい時代にうまく乗って行ったとか。

結論、人は生まれた家と生まれた時代からは自由になれない。しかし、それを生かすも殺すも本人次第。浅子は環境に恵まれていたけれど、奥様に納まるのではなく、よく頑張ったと思う。

でもね、いくらフィクションだと言え、嫁入り道具に振袖77領はビックリポンやわ。

結婚後も振袖着ていたんでしょうね。大家の奥様は。それが77枚。このレベルになると鎧とおんなじ数え方。女の押し出しは着物から。男の鎧とおんなじ。

最後の方で、市川房枝の名前も少し出てきます。その弟子が民主党の菅元首相、ずっといろんなことは繋がっているんですね。

あまり考えなくていいエンターティンメントなので、すぐ読めます。面白かったです。

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