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山口県の山に登る

2016-02-28 | 山歩き

本日は、山口県下松市の茶臼山登山。

濃霧で岩国から玖波まで、高速道通行止め。一般道を行くうち・・・・

わおうーーー、巨大な雛人形にたくさんの鯉のぼり。

こちらは寺院風の建物。これは山賊という料理屋さん。確か大竹辺りにも店があったはず。

しかしこのインパクト、一般道は渋滞していたので、退屈しのぎに楽しませていただきました。

ヤレヤレ、徳山東からR2→R188で登山口まで。

http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-178417.html

本日の山はこちらです。10年以上前、ツアーで参加。割と簡単な山だった記憶があるのですが・・・

道端のPに車入れて歩道橋を渡っていよいよ登山開始。10時出発のはずが、45分遅れです。

 

尾根を一つ越えて、深い谷へ下り、ダムの堤を向こうへ渡ります。ここまででヘロヘロです。

あれ、こんなにきつかったかな・・・と首を傾げる私。

再び、尾根までの急坂を上り、アップダウンを何度か過ぎて見晴らしのいいところへ。

大谷山です。ここまでで約一時間。頂上はまだずっと先です。

霧も晴れて見晴らしがよくなってきました。向こうに笠戸島が見えます。

さらに一時間歩き、何度も頂上と期待してはまた下り坂・・・・

最後の登り。この坂を上りきったら幸せが待っている。座って休み、水、景色、お弁当・・・頑張れ私。

光市方面

登った証拠に。低い山だけど、尾根が長くて積算すると500mくらいは上がったかも。

下松市。空き地は石油化学コンビナートの撤退した跡(と山頂で出会った方に教えてもらう)。ソーラーシステムがぽつんと。

六角形の構造物は石炭の貯蔵施設だそうで。

輸入したのはここから日本全国に運ばれると、これも出会った方の情報。

帰りは反対の道から谷筋の向こう側の道を。こちらは起伏もなく、とても歩きやすくて一時間で下山。

夫の計画では一時間で山頂まで行く筈だったけど、倍もかかった。本尾根ルート、一時間では無理だと思う。というか、大谷ルートはもっと下関側から、川筋を上がるはず。今思えば、初めから間違ってます。

里山はルートたくさん、間違えやすいのです。一番間違うのは登山口ですね。

もうすぐ登山口です。

朝のところまで戻ってきました。やれやれ。


このあと冠梅園へ行けども、駐車場がすべて満杯、上へと誘導され、一山越えたPまで。もう山登りたくないので帰ってきた。数年前、お姑様と三人で行ったときにはお姑様はまだまだ元気だった。そんな話をしながら帰宅。

本日の敗因。大谷口登山口を登らず、とんでもないコースでダムまででヘロヘロ。普段の運動不足を痛感しました。暖かくなるので少しずつ体を動かしましょう。

 

 

 

 

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倉敷の雛めぐり

2016-02-21 | 旅行

倉敷へ行きます。

商店街に大きな人形

男雛

たばこや兼玩具店

糸雛

紙雛

売りものらしい

通りから庭に入り、

路地に出ると蝋梅一本

家と蔵

アセビ

大原美術館の別館 袋帯に丸帯地

市松人形

市松人形

雛、いろいろ

庭先の雛

鶴形山の倉敷八十八カ所

阿智神社参道

沈丁花

美観地区を見下ろす

阿智神社の会場。こちらは観光客はあまりいない。

広間

勢揃い

豪華

高砂とかぐや姫

観龍寺横の参道

冬晴れ

食堂

チボリ公園時代からのからくり時計。

ローテンブルク、広島そごう・・・

アウトレットパークへ戻る。なにも買わず、うどん食べてコーヒー飲む。

16:30倉敷発、19:00前、広島着。

今日は夫が留守なので、一人で出かけました。寒い予報が外れ、とても暖かい春を感じる一日でした。

 

 

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ひな人形で遊んだ

2016-02-13 | 日記

ひな人形で遊びました。

お茶道具でままごと、牛車を動かす。

お茶どうぞ。

刀を抜く。これはみんなやりますね。

牛車を押してみる。

ひな人形の周りを巡ってみる

屏風の後ろから顔を出す。

この他に、箪笥の引き出しをあける、お雛様に鏡を見せる、橘と桜を並べる、まではいいとして、雛段を上がるは止めてもらいたいもんです。けっこうぐらぐらして危ない。

モノを大切にすることは踏まえつつ、自由に遊べる楽しいひな人形でした。

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ひな人形を飾った

2016-02-13 | 日記

ひょんなことから、我が家に雛人形がやってきました。

男の子ばかり三人産んで、とんとご縁のなかった私、この歳で初めての体験です。

これは夫と組み立てる。夫も初めて。

けっこうグラグラする。スチール製。

あとは私一人でやった。初めてのことで、戸惑うことばかり。下の方の人形が持ち物がいろいろ、時間がかかった。

上の方は届かないので、出窓に上がり横から廻り込む。

毛氈敷き始めたのが22:00。完成は24:30。

育児で忙しい若いお母さんにこんな飾りつけは酷というもの。豪華七段飾りは、親と同居して、その家には広い座敷があって、人手もあった時代の名残かも知れない。


 

もう先もそうないので、これからは、したかったこと、ひとつひとつして行きたい。

段飾りのひな人形、触ったことないというのが私のコンプレックスでした。これからはひな人形の話にも加わって行けそうです。やれやれ。

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木ノ宗山に登る

2016-02-07 | 山歩き

広島東ICすぐ北に見える、形のいい独立峰、それが木ノ宗山(413.1)mです。

きょうは月末の登山の足慣らしで、近くの山へ行くことにしました。

9:17自宅発、広島都市高速福田で降り、少し行って深川への細い道を走り、木の宗山憩いの森に車置きます。

公園にある説明版。機織りしている老婆って・・・私みたい。

登り始めたのが9:49

古い案内版

階段

ソヨゴ

コシダ、ウラジロ、シキビなど。

銅鐸出土コースとの合流点。山頂は左へ。

岩が増えて・・・

ここからは急になります。気をつけましょう。

頂上直下

山頂、10:39。50分で登ってきました。向こうは権現山に阿武山。

阿武山の土砂災害の跡。ブルーシートで覆われた場所、砂防工事の場所など。

むき出しの土が緑に覆われるのはまだ先のようです。

手前、太田川本流。山は急傾斜で、山と川の狭い場所に家が建っていることが分かります。

山陽道、広島IC付近。向こう、牛頭山。

北側。三篠川上流へ。

広島市中心部。向こうは似島、江田島など。ずっと向こうは山口県。

冬晴れで、遠くまでよく見えます。

山頂は中世の砦があったと言われている。

再び合流点まで下山。機内文化圏の銅鐸の出土地としては、この地は最西端だそうで、九州中心の銅剣が同時に出るのは極めてまれとか。

二つの文化圏の重なり合う場所、それが広島。

そう言えば、広島弁はかすかに九州なまりを感じるし、畿内と言うよりは名古屋付近の言葉とも近そうだし(私の印象)、四国の香川、徳島よりは田舎だと私は思っている。って、何を熱く語っているんだか。

いえいえ、その昔、久しぶりに高校の同級生♂に電話したら、「すっかり広島弁」と指摘されましたです。

今さらもう、広島人でいいですけど。

いま下りてきた山を振り返る。登るときここまでは楽、頂上までの残り三分の二が険しい。

11:15、早いけどお弁当食べて帰ることにしました。

いつもながらの必殺手抜き弁当。製作時間約5分。

手抜きでも、太陽の下、木のベンチに座って食べるお弁当はおいしい。陽射も少しずつ春、気持ちいい早春登山でした。

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このブログの英語版

2016-02-04 | 旅行

今朝、リアルタイムアクセスを開いてみたら、こちらからアクセスされていた。

https://translate.google.com/translate?depth=1&hl=en&prev=search&rurl=translate.google.co.uk&sl=ja&u=http://blog.goo.ne.jp/kawashima134/e/2fdfc48f76912ddfd4cec308245cae38

あれッ、どこかで見た写真と思ったら、2012年の12月だったかに、京都の法金剛院へ行った私のブログの記事。

よくこなれた英語(らしい)、和歌や詞書まで英訳、ブッシュカン(仏手柑)もちゃんと英語になっているのでびっくりです。

待賢門院がMachikenmonin・・・だけど、まあそれは些細なこと。

ふむふむ、ちょっと嬉しい私でした。

この記事見て、地味だけど謂れたっぷりのこの寺院へ行く人がいればうれしいですね。

今読んでいる本、西行の母方の祖父は白河院の近習、今様にも造詣が深く、西行の歌はその影響がみられるとのこと。

今、西行の歌が心に響くのは当時の今様(歌謡曲)の影響だったんですね。古今の花鳥風月、定型の詠嘆ではもう古臭くなっていて、当時の心を当時の言葉でうたう。

勅撰和歌集も民衆の文化のうねりの影響受けている。中世はすぐそこまで。

 

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