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「わが母の記」 井上靖

2014-07-30 | 読書


1977年初版発行、1997年講談社文芸文庫へ。昭和時代に書かれた自身の母の老いと死をテーマとした三部作に、短編「墓地とえび芋」を併録。「わが母の記」はおととし、役所公司主演で映画になり、好評を博したという。

ほぼ作者に重なる私の母は八十を過ぎ、今で言う認知障害が現れ始める。最近の記憶は欠落し、夫のことも忘れ、若い頃の身内の優秀な青年の話ばかりするところから始まり、いろいろな症状があらわれてくる。人を人たらしめているのが、バランスの良い認識と人とのきちんとした距離の取り方だとしたなら、頭のどこかの機能が欠落していくにつれ、その人特有のこだわりや性格の素の部分が現れてくる。

そのことをしっかりと見て、達意の文章で書きとどめる。読む者が感じるのは人の不思議さである。何枚にも重ねられた意識の底に自分でもコントロールできない欲望や好悪が隠されていて、それが表に現れてくる。

子供のところへ来ていても、家に帰ると騒ぐ、一緒に寝ていた赤子がいないと探し回る。もっと子供に戻って裕福な祖父の素で育てられていたころの性格まで戻ることもある。

毎日何が起きるか分からない。それを突き放す出なく、うろたえるでなく淡々と書いている。その端々に親への愛情が感じられる。

親がなくなると死がすぐ向こうに見えて、死の見通しがよくなる。親はいるだけで子供を守っているというくだりは、高齢の親を抱えた私達世代の共通の認識であろう。

大事件も大恋愛もない日常を淡々と描いた作品集だけど、人間の一つの姿をよく書いていると思った。


 

「墓地とえび芋」は、古印が入ったとの知らせで京都の骨董商を訪ねた当日は、当の骨董商の葬儀の日だった。

出棺までの短い間に、先輩作家の墓参りを済ませ、親戚の墓地に預けたままの次女の遺骨を埋葬するために新たに墓地を買うことになり、再び葬儀へと戻り、妻から頼まれた買い物も何とか果たして・・・というそれだけの短編だけど、ちょっとした縁に引きずられて、昔暮らしていた若い日を思い出し、改葬まで思いつく、縁の不思議さ。

さすが大家、うまい。最近ではこんな端正な文章にはめったにお目にかからないと思う。

 

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「知の訓練 日本人にとって政治とは何か」 原 武史

2014-07-26 | 読書


 

明治学院大学の講義録。話し言葉で分かりやすく、まとめている。全体には新聞記事や、今までどこかで読んだものという印象で、特に新しい切り口はなかったと思う。

以前新聞広告で、「アメリカ化する地方」という章が印象に残っていて購入。しかし、モータりーぜーションの発達で、駅前がすたれ、道路沿いに店が増えたと軽く流す程度。生活の変化は人の心にどのような変化をもたらしたか、そこまで触れてほしかったかな。

時間と政治では、日本は近代国家になって時間の管理を徹底し、全国民一斉に、時には海外の植民地まで同時に皇居を遥拝したり、様々な行事が行われ、究極の支配者は時間であるという言い方をしているけれど、うーーーむ、そうかな。やっぱり支配者はその時々の権力者だろ、と思った。

一例として、毛沢東は自分の乗った列車を気の向いたところで止めた、戦前の日本では天皇の行列を誤って先導した警部補が自殺を図ったと言っているけれど、これもちょっと突っ込みたい。

中国では時間通りに乗り物が動かないことはごく普通。ダイヤにものすごくフラがあるんだと思う。まして毛沢東の時代、列車を停めても影響のないほどにゆるいダイヤだったとは考えられませんか。

先の自殺未遂問題も、時間が究極の支配者と読み解くべきではなく、それほどに天皇制の縛りが大きかったと読めませんか。

で、最大の疑問は現皇后の行啓を最高の女性政治家と言っている。神功皇后ではなく、光明皇后に肩入れしていると言ってるけれど、何しろ史料の乏しい古代、どちらも歴史というよりは神話、伝説に傾いたエピソードだと私は思うので、すぐに結びつけるのは科学的な態度ではないように思う。

うーーーむ、私ごときがえらそげで申し訳ないのですが、教養講座として、興味を持つとっかかりにはなるけれど、それ以上のものはなくてやや期待外れ。

 

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外反母趾になりかかった・・・

2014-07-22 | 読書

昨日と同じ場所をロングで。


 

と思って、本日夕方、近所の整形外科受診。

二週間くらい前から右足の内側に違和感があり、金曜日は一目で見ただけでも膨らんでるのが分かり、血管が引っ張られるような違和感。土曜日様子見たけれど、よくならないので、連休明けの本日、思い切って受診。

装具嵌めるのかな、リハビリは痛いのかなと、休みの間、気が晴れなかったけど、結果はそこが炎症起こしているだけで異常なしとのことでした。やれやれ。

ふだんほとんど医者に掛からないので、ものすごく億劫で、ものすごく緊張する。この私が。でもまあ、大したことなくてよかった。

もう一つの懸案は左目の結膜炎。これは先週孫二人が感染し、我が家へ来たので面倒見るうちうつってしまった。

痛くはないけれどうっとうしい。早く治りたい。


いよいよ夏本番。朝、化粧してちゃんと服着て外へ出かける用事を済ませたら、あとは化粧を落とし、家中の窓を開け放して風を通し、新聞読んで、ネットを少しして、あとは本を読む。畳の感触と木綿のワンピース、風・・・ああ、極楽。だから夏になると来客はとても困ります。

本を読みながら、うとうとと午睡をしていると、何十年の時間なんてあっという間だなと思ったりします。本が読める夏休みは大好きでしたね。この歳でまだ夏休みのように過ごせることに感謝。

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トホホのホ 某首相の安保政策

2014-07-20 | 読書

本日はこれでございます。帯には「日本にとって最大の"脅威"は安倍政権だ」

著者は左翼でも右翼でもなく、第一次安倍内閣で内閣官房副長官補(安全保障担当)を務めた防衛官僚、実務官僚の立場から安倍政権の安保政策が、周辺の国々を刺激し、軍事的脅威を煽ることにしかならないことを豊富な資料を基に分かりやすく分析する。

一読嘆息。今の政権にあるのは冷静な情勢分析でもなく、長期的なこの国の未来へのビジョンでもなく、ただ、最近強国になった来た隣国へ、軍事力を増大したら睨みがきくのではないかという短絡的な思考である。

なぜそんなに憲法解釈を変えてまで集団的自衛権を行使したいのか、一切の反対意見に耳を貸さず、何の感情も読み取れない首相の表情がいつも不可解だった私。本書を読んでなるほどと思った。

彼はそうしたいからするのだと。理念というか妄想だけが先走る。大陸間弾道ミサイルを日本から迎撃するなんて、ミサイルは日本の上は飛ばない。飛行機だって、ヨーロッパ行くときもアメリカ行くときも北を廻るはず。迎撃ミサイルより速い、日本からどんどん離れるミサイルをどうやって撃ち落しますか、無理でしょと丁寧に説明してくれている。

だいいち、今どこの国がアメリカに向けてミサイル打ち込む?そんな危機が迫っているわけでもないのに、あり得ない前提。全く国民をバカにしているというものです。理屈が初めから破たんしているので、次は感情に訴える。温厚な私も←どこが!!呆れます。

アメリカも中国も戦争をしようとは思っていない。お互い落としどころを探り合うことがこれからも続くはず。日本が国際社会で「名誉ある地位」を得ようと、軍事バランスの一角に食い込もうとするのは間違い。

外交の力で根気よく戦争を回避してもらいたいもの。尖閣諸島について、口では聞くに堪えない強気なことを言っても、用心深く衝突を避けているのが中国。日本が挑発に乗って何かを起こすと、相手が先に手を出したということになりがちと、この本ではいさめている。

政治家はもっともっと賢くなるべき。政権の中にも昔はいろいろな意見があってバランスが取れていたけれど、今はノーと言う人がいない。

靖国参拝も一部国民と右翼以外に誰も賛成せず、アメリカからも失望されたのに、前もってなぜそれが分からないのかと思ってしまう。合祀したのは、前に分祀していたのだからまた出来るはずとは全くそうだし、神様も仏様も結局は人間が自分の都合のいいように作ったものだから、どのようにでも替えられずはず。

これからの日本は米中の大国の間にあって、その時々で様子見ながら妥協しながら、時には二国間の安全弁になって独自の平和国家として生き延びるべき。

132ページとハンディな本だし、著者も岩波の編集者はさすが優秀で、必要にして充分な内容です。是非、ご一読ください。

口コミはこちら。

http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%A1%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%AE%89%E4%BF%9D%E6%94%BF%E7%AD%96%E2%80%95%E2%80%95%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%94%BF%E6%A8%A9%E3%81%A8%E3%80%8C%E7%A9%8D%E6%A5%B5%E7%9A%84%E5%B9%B3%E5%92%8C%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%BD%A0-%E6%9F%B3%E6%BE%A4-%E5%8D%94%E4%BA%8C/dp/4000247867

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ガヴァルニー圏谷ふたたび

2014-07-08 | 初夏のフランス南西部

7/1 ルルドの街を出てはるばると国境の近くまで、そこは氷河が作った美しくも雄大な切り立った崖のある景色でした。

到着後、あの向こうにあるはずが頂上は雲。

これは以前にもアップしましたが、防寒具を着込んでいざ出発。

 

取り敢えず歩いていきます。広いです。

川の横を通って。雪解け水で水量豊富。

もうすぐ晴れ上がりそう。行けども行けども谷の奥には近づけません。

今来た道を振り返る。周りは3,000m級の山々。

同じ場面だけど、露出が違うとこんな感じ。

近くて遠いのが田舎の道。すぐ向こうに見えますが、だいたい二時間歩かないと滝には着かないそうです。

あまりに広くて、24人のツアーなどすぐにほどけてしまいます。

いちばん大きいのが落差422mのヨーロッパ最大のガヴァルニーの滝。その他無数の滝が。山頂から谷底までは高度差1,700mもあるそうですが、一番通りやすいところにスペインの聖地、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路があり、昔から人が歩いていたそうです。

ちょっと三蔵法師のヒマラヤ越えを思い出しました。信仰の力は山をも越えて行きます。ガヴァルニーの村は昔から、そのための宿などもあったのでしょう。

帰り道。川を横切ります。

 

 草むらに亜高山帯の花多数。

振り返ると・・・晴れてきました。

雄大な景色にすっかり魅せられました。もう二度と行くことはないだろうけど、好天に恵まれた花の時期に行けてけつこうでした。


 

本日は月に一度の器の絵付けのお稽古日だったけど、用事で行けず。残念。夜になって帰宅。忙しい一日でした。 

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6/17 午後からミディ運河のクルーズそして旅の終わり

2014-07-05 | 初夏のフランス南西部

午後からミディ運河をクルーズします。運河は17世紀、ルイ14世の命令で、約30年の大工事の末に完成。

これによりフランスの地中海側と大西洋側が直接結ばれ、物流が便利になって流域は大いに発展したそうです。

19世紀に鉄道が発達すると交通機関としての役割は終え、今は観光地として賑わっているそうです。


 

乗り場はカルカソンヌ駅前。フランスの国鉄は6/10に行ったときにはすでにストライキをやっていて、一週間たったこの時もまだ継続中。

駅のトイレは鍵がかかっていて使用不能。駅中のスーパーでお土産買う人もいました。今回のツアーは本当にお土産買う時間がなくて、SAのトイレ休憩のとき、よく考えず、掴むようにしてレジに並ぶことも再々。その点では不満が残りました。

船乗り場は駅前です。

むこうは切符売り場。観光局のサイトで見ると1~35人までの一グループが同一料金、130€だったかな。うーーーむ、イマイチよく分からない料金体系だけど、船一隻のチャーター料金?

出発しました。

細いです。

堤防の向こうに午前中に見学したシテの建物が。

両側は、船を引くために人や馬車が通る道でした。今は気持ちいい遊歩道に。

途中何隻かクルージング船とすれ違います。船をチャーターして、何日もかけて旅行する人もいるようです。デッキで日光浴しながら本読んでる人がいました。さすがバカンス大国フランスです。

運河はたくさんの堰(閘門)があります。運河は場所によって高度差があり、水面の高度を同じにしながら進んでいきます。

子供たちの遠足のようです。

二つの堰に間に入って、これから進む方向と水位を同じにします。ここでは向こうから水を入れて、水位を高くしています。

途中何度かこの操作をしながら進みます。運河全体では80くらいの閘門があり、場所によっては道路より高いところに水路があるそうです。添乗員さんは琵琶湖東岸の、東海道本線より高い川を例に上げて説明していました。

あれは天井川なので成り立ちは違いますが、ツアーは関西の人が多いので、イメージとしては分かりやすかったのではないでしょうか。

いずれにせよ、フランス革命のまだ前、その技術の高さに驚きます。フランスは運河開削の技術に優れているのか、確かスエズ運河もフランス人だったような・・・

水が増えてきました。もうすぐ通れます。

約二時間の楽しいクルーズが終わりました。午後4時過ぎ、まだまだ日の盛りです。

クルーズ船の船頭さんの一人は何と若い女性。船から陸へ上がると、艫綱をぐいと引いて係留、鮮やかな綱捌きに驚きました。

トゥールーズー帰る途中、カルカソンヌのお城のよく見える橋の上で写真を撮りました。

ライトアップを見に来るのもこの橋だそうです。


 

昨夜はホテルの中で食事しましたが、最後は街中のレストランです。

前菜のお皿

1969年というと私は大学生。年初め、大学はロックアウト、そのうち講義はほとんどなくなって、集会があって・・・なんてことを極東でしてた頃、この街ではこのレストランが開店してたんですね。

フランスの五月革命前後で、大学町トゥールーズも騒乱の時代だったと思う。

長い時間がたってはるばると日本からやってきた私。

醤油みたいだけどワインです。これで一人分。、ワインはハーフボトルがお得だそうで。でも今までのレストラン、大きなグラスになみなみとワインが注いであり、グラスワインも量としては遜色なかった。

どの店も値段も3.5€から5€くらいまで。おいしくて安くて、毎日ワイン飲んで帰ってみたら太っていた。およよ。

メインはムール貝です。

大鍋いっぱいで二人分だったかな?食べても食べてもなかなか底が見えてきません。

思わず天井を見上げます。おしゃれな絵になっています。


 

奥には今回初めて遭遇した中国人のツアー客が。最近の日中関係の悪化を店の人は知ってか知らずか、顔合さないよう配慮していただいたようです。

それにしても某首相の暴走です。強い国という妄想はあなたの頭の中だけにしていただきたい。某島で、突発的に衝突が起きるかもしれない。その時どうする?

勇ましいこと言っても何の解決にもならない。今どれだけの企業が向こうに進出しているか。

また日本が最大の貿易相手国と知って、それでも国内の矛盾から目をそらせるために、愛国心を煽る。昔の日本みたいに。

自分が貧しいのは、恵まれないのは、自国の政治の問題ではなくて、外国勢力のせい、それこそが敵だと国民世論を誘導する。

広い視野を持って本当の安定と幸せが何かをかの国の人たちには考えてほしいし、中国は好きだろうと嫌いだろうとそんな感情レベルを超えて、日本の経済活動には欠くべからざる相手だと私は思う。

某国のお坊ちゃま首相、子供が強くなりたいみたいな妄想。それより国の大借金どうする???


おやおや、フランス旅行と全然関係ない話に。

食事していてそのうち・・・

空模様が怪しくなって…突然の豪雨。日本の夕立みたいな雨でした。

急いでバスに乗り、ホテルまで。でもまあ、一週間の観光でナポレオン橋の小雨だけ。お天気には恵まれた旅でした。

バスの中から。ものすごく降ってます。涼しくなりました。


 

ホテルはHOLDAY IN AIRPORTに連泊。広い部屋でした。

向こうのベッドが少し狭いのかな。

今回は私的にはボルドーのホテルがとてもよかった。QUALITY SUITES BORDEAUXです。

他のヨーロッパタイプのホテルも部屋がいろいろで話聞く限りでは面白かったけど、エレペーターがやや不安。もともとツアー客を想定していないのかも。


 

翌日はトゥールーズ発10:35でまずパリへ。13:35パリ発、大阪着は翌日8:30頃でした。

エコノミーは自分で機械でチェックインということでしたが、なぜか荷物を預けるのと一緒にチェックインできました。

"Aisle seat please!!"と"My baggage is to Osaka"と叫ぶ。"OK、Madame"と言っているようなので 通じたらしい。やれやれ。

帰りは早い。

バイカル湖の付近でしょうか。

寝るつもりだったけど、周りの人と楽しく話してあっという間に関空に着きました。今回は男性7人に女性17人のツアー、友達同士、姉妹、一人参加の人と多彩で、皆さんによくしていただき、またいろいろな人と楽しく話してとてもいい旅行になりました。

添乗員さんは、JTBで初めてのコースの最初の日程で、何かと御苦労も多かったと思います。各地、英語のガイドさんしか来ないので、いちいち通訳して説明して、時間はかかるし、最後は声が枯れていました。

それでも大きな病気やけが、お金やパスポートの盗難もなく、迷子になる人も一人もいなくて、お天気にも恵まれ、本当に気持ちいい旅になりました。

なによりも89歳の男性が一人で参加されていたのには驚きました。全然迷惑かけることもなく、むしろ教えられることも多く、世間にはいろいろな方がいるのだなあと、少し視野が広くなりました。

皆様お疲れ様でした。そしてありがとうございました。


自宅へ帰ったのは12:35分頃。夫の仕事場から帰れば、近所の人にスーツケース押して歩く姿見られずに済むと思ったけど、外出するスタッフに見つかってしまった。

今回はお土産、買ってません。買うだけの時間が全然なくてごめんなさい。

台所のテーブルの上に取り敢えず出してみる。手前の白っぽいのは鍋つかみ。

いゃあ、あまり買えませんでしたね。チーズは今回、カルフールで買ったけど、前のモノプリの方かおいしかった。

フランスのポッキーはLUという会社のライセンス製品。Tシャツはカルカソンヌで。

サクランボのジャムはサルラのカルフールで。2€しなかった。激安。その上の小瓶はルルドの聖水を入れるための瓶。1€。

クルミは同じくサルラの教会の中のマルシェで。友人に差し上げました。

絵葉書各種。どれれも0,4€くらい。ニース、プロバンス、モンサンミッシェル、パリ等に比べると良心的なお値段。

日本では最近絵葉書のお土産ってあまり見ないけど、フランスでは各地で売ってました。

左上よりサン・シルク・ラポピー/ラ・ロツク・ガジャック/カルカソンヌは三枚、右下はサン・シルク・ラポピーです。

その他にロートレック美術館でも。

ロートレックはポスター版画が有名だけど、肉筆画の的確なデッサン、過度に描き込まずにすっきりとそれらしく見せる技がとても洗練されていると思いました。

私の中では色物という扱いの画家でしたが、なかなかどうして。長生きしたら、もっともっといい絵を残してたであろうに残念です。

これにてフランス南西紀行はひとまず終了します。半月に渡るお付き合い、ありがとうございました。

 

 

 

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6/17 カルカソンヌの見学

2014-07-04 | 初夏のフランス南西部

空港近くのホテル、午前6時頃。昨夜は10時ころまで明るく、あの場所にお客さんがいました。

ホテルの裏口。8:45にバスで出発、94キロ離れたカルカソンヌを目指します。

今日も好天です。麦が取り入れの時期を迎えています。

少しだけ山に掛かります。糸杉多数。

10:20頃、到着しました。カルカソンヌは昔からの要塞が残っています。

フランス南部、地中海と大西洋を結ぶ大事な場所で、ローマ時代にはすでに要塞が築かれ、その一部も残っているそうです。

右端の女性は、この城に籠城してフランク王国と闘い、撃退した女王の胸像。

13世紀、ルイ9世の時城壁が二重にめぐらされ、以後は難攻不落を誇るそうです。

城壁の内側はシテと呼ばれ、住民もいます。建物の殆どは土産物屋、レストラン、ホテルなどです。平日ですが大勢の人です。日本人観光客は私達だけ。ここでもほとんどがフランス人のようです。

涼しげなレストラン

この店は地図、絵葉書のほかにワインも。フィットウというメーカーのワインがおいしいそうで、赤を一つ買いました。

いちばん奥まで来ました。今から城壁の上の見学者コースへ行きます。

中庭は、籠城に備えて作物の栽培もできるようになっていたとか。

暑くてやってられません。プラタナスの木陰が何よりのごちそう。やれやれ。

城の模型です。城壁内の商店街は省略されているようです。

城壁の上から北を見ます。丘の地形を利用してるようです。

屋根などは19世紀に修復。今の形になりました。それまでは近所の人たちが煉瓦を調達する場所だったそうです。

城内のカフェ

向こうも旧市街です。

城内をガイドさんに連れられて弾丸見学。これは門の下におびき寄せ、敵に向けて落とす石。痛そうーーー

中世の装飾品も少し残っています。

フレスコ画なども。

ホテルがあります。古い様式で建てられた新しいホテルだそうです。

最後は教会へ。城内に教会もあります。

ボランティアの合唱隊。ボルガの舟歌を聞かせていただきました。

食事時間まで30分ほど解散。だったかな。うーーーむ、自由時間が少なすぎる。教会が苦手で初めから付いてこない人、途中で脱走する人も。ツアーの契約上、案内は必要だけど、城壁内では臨機応変に希望者のみというわけにはいかないのだろうか。

このツアーで唯一賑やかな観光地らしいところだったけど、時間がなさすぎ。人と付き合っていたら物が買えないので、「ごめんなさい。買いたいものがあるので」と脱兎のごとく逃げる私。

そのあと、定刻に城壁内のレストラン集合。

名物はカスレという煮込み料理。昔、籠城した時、ハムや肉各種、豆などを持ち寄り大鍋で煮込んでみんなで食べた・・・というのが由来だとか。

柔らかくておいしかったですが、肉の量は皿によってまちまち。私は少なかったので完食しました。

場外のバス乗り場集合までに10分くらいしかありません。アンティークのレース編み買いたかったけど、時間がなくて断念。ああ、ツアーは便利だけど、少しは自由に歩きたい。。。。

城の外へ出て、カルカソンヌ遠景。

左端に城が。古い橋が城と旧市街を結ぶようです。

午後はミディ運河クルーズです。そして長かった南西フランスの旅もいよいよ終わりです。名残惜しいような、もう早く日本に帰りたいような。。。。

 

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6/16 午後からトゥールーズへ

2014-07-03 | 初夏のフランス南西部

やれやれ、無事下まで全員が下りてきて12:40頃、次の目的地トゥールーズに向かいます。170キロ、三時間の予定です。

バスの窓からフランスの田園地帯。

原っぱの向こうに川、なだらかな山は牧草地?

トゥールーズの街へと入ってきました。

道案内

ホテルの案内も。

都会です。

人がたくさん歩いています。

バスを降りてガイドさんと落ち合う。このツアーで初めての日本人。今まではESG(英語を話すガイドね)ばかりだったけど、やっとJSGが来て、添乗員さんもホットとしたことでしょう。

45歳くらいの男性で、トゥールーズの隣の町から来たとのこと。どういう経緯でこのフランスの南西部にいるのかなと想像してみる。

パリのSDG空港でだったか、上品そうな年配の日本人女性が、私たちが乗り継いでトゥールーズまで行くと知ると「私もいたことある、何もない田舎よ」とおっしゃっていたけど、何がどうして賑やかな街でした。

中心部は右へ行くらしい。付いて歩きながら写真撮る。ヴィクトル・ユーゴ駐車場ってどんなんだろ?

日本人ガイドさんと待ち合わせて今から市内の見学です。

ウィルソン広場には移動遊園地が開催中。

賑やかな通りをはぐれないように付いていきます。

パリに本店のあるデパート。こちらは支店のようです。

市庁舎に入ります。

結婚式も行われる広間です。

華麗な装飾の数々。ミニベルサイユ宮殿のような趣き。

反対側。広いです。この他にも絵画を飾った部屋がいくつかありました。

中庭に出ます。

昔、処刑が行われた場所です。プレートがあります。

反対側から。

表へ出ます。EUとフランスともう一つはミディ・ピレネー地方の旗でしょうか。あるいはトゥールーズの市の旗かも。

イベントの準備中。

反対側。広場になってます。右端にあるのは見学用の小さな列車。

アーケードの下は最近の画家がそれぞれ絵を描いています。

さらに歩いていくとジャコバン修道院の鐘楼が見えてきました。

近寄ります。大きな教会です。この地方はいい石材がないので、煉瓦を漆喰で固めて建築しています。

中へ入ります。

ステンドグラス

裏へまわります。ジャコバン修道院の回廊です。

この付近でデジカメのバッテリーが危険信号、予備の二つも残量僅か。昨夜充電したのはスーツケースの中。

だました゜まし、三つを交替に入れては撮り続ける。ガイドさんの説明も耳に入らず。

さらに歩いていきます。トゥールーズは大学が多いそうで、若い人がたくさん歩いています。またこの日はバカロレアの一日目だったそうで、高校生らしい人もたくさん。田舎ばかりを歩いていたので、久しぶりの都会に目をぱちくりしつつ、はぐれないようついて歩きます。

この日もよく歩きました。ルルドほどではなかったけど。

もう一つの教会が見えてきました。サン・セルナン聖堂でヨーロッパ最大のロマネスク様式の教会だそうです。

ロマネスク様式とはゴシック様式が生まれる前の、古い教会の形・・・と高校の世界史の授業を思い出しました。フランス南部はロマネスク様式が多いようです。

入ります。トゥールーズもスペインへの巡礼の道にあたり、この教会も古いそうです。コンクの教会に似ています。

上から見ると十字架の形になっているのがロマネスク様式、古くからの建て方です。

内部は広くて立派。

この大きな建物を煉瓦と漆喰で作るのだから大変です。

煉瓦は石に比べて温かみがあって、ちょっとカジュアルな感じがします。

再び街に戻ります。

17:06頃、まだまだ夕方です。歩道にカフェがテーブル出しています。これから賑わうことでしょう。

再び広場に戻ります。この広場だけを廻る列車の形をした乗合小型バスのようです。

こちらもカフェ。広場とカフェはどこの街でもよく見ました。

トーマスウィルソンゆかりの建物?

下はこの地方の古い言葉、オック語のようです。オック語はラテン語から生まれ、似た言語がスペインの北部からフランス南西部、イタリアに分布しているそうです。

いわゆるフランス語はゲルマンの影響を受けた北方系の言葉だそうで。同じフランスでも南西部は独自の歴史と文化があるようです。


 

元の場所まで戻り、ガイドさんと別れてバスに乗り込みます。あとはホテルへ行くだけ。

途中、トゥールーズの駅前を通ります。ボルドー経由で、パリまでTGVで5時間ほどだそうです。

やれやれ、本日の観光も無事終わりました。きょうは展望台で転んだ人がいました。段差が多く、つい足を踏み外されたようです。これからフランスへ行かれる方、いえ、どこの旅行でも足元注意、なんでもないところで転びます。

私は一人で来ているので、腕を使えなくなったらとんでもないので、自分のこととして気を付けようと思いました。

今夜はホテルで食事。そして明日はいよいよ観光の最終日です。明日も天気よさそうです。お天気に恵まれた旅行のようです。というか、日本みたいに大雨は降らないようです。

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6/16 ピック・デュ・ミディ展望台へ行く

2014-07-02 | 初夏のフランス南西部

観光6日目、きょうは標高2,877mの展望台へ行きます。コートレから麓のラ・モンジーまでは45キロ、途中に工事があったりして2時間かかりました。

どんどん山へ向かいます。

小さな集落を抜け・・・

山の麓を通り

フランスのいろは坂でぐんぐん高度を稼ぎ

目もくらむばかりの谷底を下に見て

やがて山岳地帯に

途中の村の役場だったかな?かわいい建物。女性はかわいい建物が好きですよね。

あそこではないようです。もっともっと奥地です。

一時間くらい走ってちょっと渋滞。フランスの田舎のバス停。

バス停前の家

さらに街を外れて走り

あれでしょうか。いえいえ、まだまだ。

だいぶ分け入ってきました。

と思ううち、賑やかなところへ着きました。ここからロープウェーに乗ります。観光案内書の前には・・・家畜か野生か分からないけど、動物が遊んでます。おとなしいです。

この付近で標高1,700mくらい。坂道登ると息切れするのは空気が薄いからでしょう。すぐ慣れたけど。。。。

トイレ済ませてロープウェーに乗り、頂上のレストランで食事して、また降りてきます。時間との戦いです。

あれに乗ります。リャマという人がいました。のんびり草を食べています。

30人くらいが乗れる大きなロープウェーです。向こうの中継点で乗り換えて頂上へ行きます。

時々雲が晴れると山が姿を現します。なんか夏の立山みたいな眺めです。

雪渓が残っています。

展望台が見えてきました。元々は100年以上前に作られた天文台。10年ほど前から観光客にも公開するようになった新しい観光地です。

レストランと、小規模ですがホテルもあるそうです。

遠くは雲がかかっています。

クリックで拡大。展望台からのパノラマ。


 

このあとレストランで食事をしました。荷揚げがしっかりしているらしく、山の上とは思えないちゃんとした料理でした。

ハムの盛り合わせ、(地元の食材にこだわったという触れ込みの)子羊のソテー(だったかな?半月も前なので忘れました)、ケーキなどです。ワインもあります。暖房もしているし、3,000m近い山の上とはとても思えません。

うーーーむ、食の国フランスの底力。恐れ入りました。

12:30のロープウェーに乗らないと14時まで運休だそうで、女一人旅の四人は皆さまより2便早いので下りることにしました。

下ります。

雲は下に

深い谷も軽々超えて

遠くがよく見えます。

おやあれは何だ?

放牧しているのか野生なのか分かりませんが、羊の仲間のようです。たまに黒もいます。


 

頂上の土産物コーナーで孫息子に野生動物のぬいぐるみを買ってやりました。先日来たとき渡したら、お姉ちゃんが持って遊んでいます。

「あら、**ちゃんが持ってるの」と聞いたら「++くんが貸してくれるって言った」と申します。1歳になったばかりの弟が物言えるはずがありません。「ほんとに言った?」とつい聞いてしまいました。本人無言。

少しずつ知恵がつくけど、まだまだ子供らしいところがあるのがおかしくて、笑ってしまいました。

我が息子たちもよくおもちゃの取り合いしてましたね。ケンカするからと二人に同じおもちゃ買うと、上の子が二つ持って遊ぶという思わぬ展開。

すみません、退屈な話で。羊を見るうち、はるか昔の子育て時代を思い出してしまいました。


ロープウェーの中で、私たちは陽気なイタリア男性、60歳前後?と仲良しになりました。

シチリア島から来たそうで、「マフィア、マフィア」と胸を張ってました。全然マフィアらしくなかったけど。一緒に写真撮ったりして国際交流。とってもサービス精神旺盛なイタリア男性でした。

下りてきました。ホテルたくさん。シーズンはこれからのようで、店はほとんどが閉まっていました。

鉄平石の石段。平たく割れる。

おーいと四人で手を振りました。あれにツアーのみなさんが乗っているはず。

このあとバスで、今夜の宿のあるトゥールーズへ向かいます。

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6/15 午後からピレネー山中のゴーブ湖とスペイン橋へ行く

2014-07-01 | 初夏のフランス南西部

帰るころ、ガヴァルニー圏谷の素晴らしい姿が見えてきました。朝は小雨だったので、よくぞ晴れてくれたという感じ。

フランス人のハイカーちらほら。これから夏にかけて観光客が増えるでしょう。

私たちは約2時間の散策時間でしたが、片道二時間くらい歩くと谷の一番奥へ行けるそうです。切り立ったがけから滝がたくさん落ちています。あの向こうはもうスペインとの国境です。

元の場所まで各自で帰って来ました。

土産物屋、レストラン、ホテルなどが小さな集落をつくっています。ひつじみたいにモコモコで大きなワンちゃんが遊んでいます。この犬も放し飼いでストレスなくて幸せそうです。

日本の犬は繋がれて、たまにリード付きで散歩して、狭い住宅地で吠えたら嫌われるし、かわいそうかも。

猫ちゃんもいましたよん~

ニャンコちゃん~と呼んでも知らんぷり。「ふん、あんたなんかに用事ないわよ」という高飛車な態度。

でも影が思いっきり猫。。。。


 

この店で0.8€で水買って、外でモモ一個買いました。量り売りで一つ0.1€。14円くらいですね。新鮮だけど硬いモモでした。


 

ポンティガールと同じく、ツアーの中で写真撮りまくった私が一番最後です。

つい「ブログしてるから」と言い訳に口滑らせる私。あとでお二人の方が「植物の名前が知りたいのでアドレス教えて」と言ってこられました。うわあ~責任重大。普段からいい加減な性格のこの私、プレッシャーに押しつぶされる思いでございます。

外国のいい植物図鑑持ってないので、主にネットで検索。写真が分かりにくく、自分の写真もまた悪くて、名前については自信ありません。一候補という程度でお願いします。

参考にしたのは前にフランスへ行ったとき、パリの書店で購入したhandyな植物図鑑二冊です。高山~亜高山についてはほとんど乗ってません。針葉樹は花以上に見分けが難しく、初めからあきらめの境地。

こちら2012年にドイツへ行ったとき、ニュールンベルクで買った木と灌木の図鑑。こちらの方が掲載の種類が多く、写真も適当。なんでも完璧を目指すドイツ人、さすがであります。

あとで「あの人は植物の先生らしい」ということになってると知りました。わおう、とんでもない。好きなだけで、先生ではありません。

 

 

バスで川沿いに引き返し、今夜泊まるコートレの街を抜け、二時間かけて食事のレストランへ行きます。

途中も一部を除いて山また山。

レストランはこちらです

山の中です。

二つの急流が合流するところに橋があり、それを渡って行きます。ミシュランで星はないけど、取り上げられた店だそうです。

ミシュランと言えばわが地元の「なかしま」、前は知り合いなので気軽に行ってたけど、三つ星になってから未だ行けず。予約は昼間の一時間だけ、電話のみの受付だそうで、落ち着くのは一体いつになることやら。

誰しも権威には弱いからね。まあ、どんなお料理か期待しましょう。

amuseです。これで三人前、ムール貝に、クッキーみたいなのに、ポテトの揚げ物。おいしかったです。

受け皿は石。フランスで屋根材などにする鉄平石でしょうか。

アントレ=前菜 彩りがきれい。真ん中はプディングみたいな食感。ガトーポア、タマネギかけだそうですが。。。いずれにせよ、おいしく頂きました。

プラ=メイン 鱒の白ネギソースムース仕立て他。どれもソフトで複雑な味がしていた。コッペパンのようなのはポテトに魚卵か何かの味がかすかにしたけど、詳細不明。ソースも柔らかくておいしかった。

ディセール=デザート アイス、イチゴ、クッキー、ババロアだったかな・・・そして餃子のようなのはアップルパイ。盛りだくさんでした。見た目もとってもきれい。皆さんはもうgive upしてたけど、私は頑張って完食。ワインも飲んだし。

料理はさすがでした。ちょっと日本で食べるフレンチみたい。若いシェフが最近開いた店だそうですが、フランスの奥地も奥地、この店だけ目指していくというのも大変でしょう。

しかしこの急流の前で店を出すのはよほど自信があるんでしょう。豪雨で店が流されないことを祈っています。ってえらそげに。すみません。

とってもおいしかったです。ごちそうさまでした。

道の反対側も急流。水しぶきを上げて、音を立てて流れてきます。

さらにバスは山中へと分け入り、着いたところはロープウェー乗り場です。

ポン・デ・エスパーニャとはスペイン橋のことだそうです。橋渡ってずっと行くとスペインへ通じているそうですが、今回はもちろん行きません。

ここからロープウエーとリフトを乗り継ぎ、山上のゴーブ湖を目指します。ここでフランス人ガイドさん二人と合流。

今回のツアーは日本人が殆ど行かないところばかりなので、最終日を除いてガイドは全て英語でした。それを添乗員さんが日本語に直すので、最後はとうとう声が枯れてしまいました。大変でした。ご苦労様です。初めてのコースで時間も読めず、ご苦労があったことでしょう。ついていくだけの私たちは気楽でしたけど。

ロープウェーからの景色だったかな?あとで確認

五分ほどでリフトに乗り換え。きょうは好天。風あったら怖いかも。旅行中ずっと仲良くしていただいた一人参加の方と乗り合わせ、のんびり15分ほど揺られていく。

ん、あれはサルオガセじゃないの!!左手の遠くに、一本だけ、ぼろぎれが引っ掛かっているような木があり。

遠くて一瞬のことだったけど、いゃあやっぱりサルオガセだわ~。取り留めなく話しながら、心の半分ではめちゃくちゃ感動している私。

野生のサルオガセ、初見です。その前は一度広島市植物園で見ただけ。

菌類と光合成生物(藻類)の共生体で、地衣類に分類される。梅の木の古木に苔みたいについているウメノキゴケがこの仲間です。

栄養は日光から、水分は空気中の水蒸気を利用し、窒素などは不要らしい。木から垂れ下がって生きている。湿気の多いむ亜高山帯にあるそうで、ここら辺は雪解け水で年中そこそこ湿潤らしい。

いゃあサルオガセですからね。はるばると来たフランスで見るとは思わなかった。

リフト下りたところで、フランス人らしい女性ハイカーから、"Where did you came from?"と聞かれました。

"Japon!!"と元気よく答える私。でも後の会話が続きません。

"We came from Osaka international airport,We came from west area in Japan"くらい言えばよかった。でもそのあとまた会話が続きません。いゃあ、外国の人とコミニュケーション取るのは難しいです。

で、あとはこんな道を30分くらい、湖まで歩きます。歩きやすいですけど、列がばらけて、ガイドさんの説明はほとんどありませんでした。

高い崖の上の方にカモシカがいるとのことで、望遠鏡をセットしてくれて見ましたが、「動かないので置物じゃないの」という意見もありました。うーーーむ、どうでしょう?そうだとしたらサービスよすぎる。

私はなんでも面白くて皆さんからどんどん遅れます。

アルペンローゼ。と教えてもらいました。バラではなくてツツジ科の小さなシャクナゲのような花です。色が鮮やか。

ハクサンイチゲに似た花。花びらが円いのが珍しい。ハクサンイチゲに極めて近い親戚とするサイトもありました。

コケモモらしい。乾燥地のようだけど、霧がよく出るのかもしれない。

フウロソウの仲間。鮮やか。

ゴーブ湖に着きました。雪解け水をたたえた湖です。

全員で池の横の公衆トイレを済ませて、再び引き返します。この付近ではガイドさんの説明は全然ないし、添乗員さんは時間が気になってるし、でゆっくり話聞けなかったのが残念でした。まあツアーですからいろいろあります。

今度はロープウェーに乗らずに徒歩で下ります。そうきつい道ではありません。

橋の上流。急流です。

橋です。

谷は深くて

水量豊富。雪解け水で夏は涼しいはず。

バスで再びコートレへと戻り、今夜の宿、「ホテル&レジデンス パルネオアラジン」に着きました。

ピレネーの入り口、山岳レジャーのお客さんが多い街のようです。ホテルがたくさん並んでいます。

クリックで拡大。部屋から通りを眺める。

セルジュさんは明日からまた運転。今日のドライバーさんはどうやって朝の駐車場まで戻るのでしょう。僻地で公共交通機関があるのかどうか・・・

部屋は2タイプ、ダブルベッド+二段ベッド、バスタブとキッチンと鍋釜付きの部屋と、シングル二つベッド、シャワーのみの部屋です。

私はシングルユースなので、ベッド一つ、でもダイニング家具セットや二段ベッドは余計でした。一週間くらい自炊できそうな部屋でした。

すぐ近くにカルフールあり。食事前の15分くらいで大急ぎで買い物に。チーズとレバーのペーストなどを買いました。ツアーのご夫婦に「この缶詰はどういう意味ですか」と聞かれたので「Thonは鯖ですね」とえらそげに。

いえいえそれはマグロのことでした。食事で隣り合わせたので「嘘教えてごめんなさい」と謝りました。「フランス語はどこで勉強されたのですか」と聞かれたので「はいYOU TUBE」でと胸を張る私。そんなん、勉強したと言わんじゃろ、

行かんなあ、外国来てだんだん図々しくなる私。


 

宿は夕も朝もビュッフェ形式でした。お料理はまあまあでした。毎日食べすぎてるので、だんだん食べられなくなってきます。

ホテルでは日本人ツアーと二度目の遭遇。山歩きのグループのようでした。あちらも女性がたくさん。

いよいよ観光はあと二日になりました。

携帯掛かってきたら面倒なので、関空で借りた海外用携帯、ずっと電源切ってます。我が家では、日本では、私がいなくて困ってないでしょうか。何も言ってこないので何もないと思われます。

皆さんによくしていただいて、この日も楽しく旅行しました。移動が多くて疲れますが、一人ではとても来れないところ。ツアーのありがたさです。

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ガヴァルニーの花たち

2014-07-01 | 初夏のフランス南西部

朝は厚い雲のかかっていたピレネーの山々、次第に晴れてきます。遊歩道の両脇にはたくさんの花が咲いています。見たこともないのもあって興味津々。

名前は暫定的。よく似た花もあり、分かりません。間違いがあれば教えてください。

オドリコソウ 日本のより花が三倍くらい大きい。フランス語ではOrutie rouge ラテン名はLamium pourpre

紫はクワガタソウタカネグンナイフウロの仲間、黄色はキンポウゲの仲間、日本ではミヤマキンポウゲが近いかも。

学名はRanunculus repens。ランヌクルス・レペンス。

小さな薄紫はワスレナグサ。

ワスレナグサですね。日本ではエゾムラサキが近い花。左端にクワガタソウタカネグンナイフウロの仲間がちょこっと写ってる。

ハタザオの仲間

あの谷が一番大きい・・・谷。落差???m 山の上はまだ雲がかかる。

ヨーロッパ中・南部からアフリカ北部に分布。標高800~2200メートルの岩礫地の斜面に生え、高さは10~20センチ。葉は楕円形から円形。7月から9月ごろ、すみれ色の唇形花を咲かせ、下唇には白色の斑あり。

学名Acinos alpinos アキノス・アルピノス シソ科

ジャコウソウの仲間 フランス名Thym sauvage 学名Tymus praecoxと思われます。かすかな芳香あり。 

ジュウニヒトエの仲間と思われます

 

ミスミソウはもう花は終わっている。

トウダイグサ

凄いですねえ~山に囲まれて平らな谷底。楽園みたい。

ミヤマオダマキ

イモカタバミの仲間?

雲が沸くところ、高原の初夏。

???

マメ科ミヤコグサの仲間 

せり科ハナウド

ハナウド 赤花?

サクラソウの仲間 ユキワリソウ、ヨウシュユキワリソウとしたサイトもありました。Primula farinosaプリムラ・ファリノサ

Saxifraga paniculata サキシフラガ・パニクラタ ベンケイソウに似ているけど、ユキノシタの仲間だそうです。

セイヨウネズ

フウロソウの仲間

フランス名Lamier jaune 直訳すると黄色いイラクサ。キバナオドリコソウと名付けたサイトもありました。

 

 一時間くらい歩くと空がすっかり晴れ渡ってきました。

 

歩くのも撮るのも簡単だったけど、いゃあ、名前を確認するのに疲れた。知らない花の名前は本当に難しい。

 

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